オープニング

『今回は依頼はなぁ……。簡単に言うとブルーインブルーで海魔退治なんだが、ちょぉっとややこしいことになってる。順番に説明するからよ、ちっと長いけど勘弁な』
 そう言い、アドは皆の顔を見回すと改めて説明を始める。
 辺境都市サイレスタ。周囲をぐるりと浅瀬に囲まれたその島は船から小舟に乗り換えないと上陸できないが、天候気候共に年中穏やかで波が立つ日も少ない。しかし、穏やかすぎるせいか食料となる魚や貝類も育ちにくく、都市とは名ばかりで人口は少なめだ。幸か不幸か、島の住人たちが生きていくだけの食料は確保でき、獲物がないせいか海賊も海魔も寄り付かない。事件や事故からも無縁の都市からジャンクヘブンへ緊急の連絡が入ったのは、何かの間違いではと思われた程らしい。
 アドの看板にジャンクヘヴンへ届けられた内容が記され、皆は息を呑む。
『人魚を捕獲した。それも意思疎通が可能であり、彼女は自分の国を助けて欲しいと訴えている』
 これがヴォロスの依頼であれば驚く事はなかっただろう。エルフやドワーフを始めトロールやケンタウロス等の魔獣や幻獣、知識や知能を持ち会話が可能な亜人、異形はヴォロスに数多く存在している。
 しかし、ブルーインブルーでは今まで人間と海魔しか存在していなかった。海魔の一種で人魚型のもの存在するが、それは単に人間の肉体的特徴を持つ怪物に過ぎず、意思疎通などできなかった。
 初めて人間以外の知的種族が発見されたのだ。
 これはジャンクヘヴンにとっても厄介な事だ。会話が可能であるとはいえ人魚について何も解らない今、単純に手を差し出すわけにはいかない。まずは人魚について、少しでも多くの、確かな情報が必要だ。
『ジャンクヘヴンは数人の学者をサイレスタに派遣する事を決定し、図書館に護衛も兼ねて同行を希望してきた。この件に関して導きの書は幾つもの不確定の未来を記している。案の定、どれもサイレスタと人魚に危険が及ぶものばかりだぜ』
 それは見たこともない複数の海魔が大量に現れ、島を蹂躙し多くの生命が奪われる未来。助けを得られないと察し、逃げ出した人魚が数多の海魔に襲われる未来。そして、血の富豪ガルタンロックが人魚を手に入れる未来。どれも人魚にとって悲惨な未来ばかりだ。
『えーと、次なんだっけ。あ、海魔な。複数いる海魔ではっきり解っているのは三種類。一匹目は鯱<シャチ>型。口から炎を吐く、水中でも吐ける程の高温で触れたらやけど必須だから炎を海水で消すと傷口が超痛いだろうな。二匹目は鰭長鯉<ヒレナガゴイ>型。ヒレがすっごい長くて刃の様に鋭く毒付きだ。斬られた深さにもよるだろうけど、発熱目眩視界不良は起きるだろうぜ。三匹目は白魚<シラウオ>型。こいつら面倒だぜ。すんげー小せぇのが大量に、特攻してくる。んでぶつかると破裂する。爆破は大した威力がないが、こいつの体液が麻痺毒で痺れる。一つ一つは少量だが纏めてぶつかってくる分、麻痺毒の塗布量は多く、量が増えれば浸透する範囲も広範囲に渡り身体機能が麻痺る速さも効果持続時間も倍率ドン。 な? やっかいだろ? 解っているのがこの三種類だけで他にもいるだろうが、気ぃつけてくれ』
 言葉を区切り、アドは一つ息を吐くと話を続ける。
『でだ。どうやら学者が到着する前に、見たこともない複数の海魔が大量に現れ、島に……おそらく人魚の生命を狙っている。これは確実のようだ。……察しの良いやつは気付いてんだろうが、複数の海魔が徒党を組んで、意図的に人魚を狙ってる。これも、今まではあり得なかったことだ』
――人魚
 人間以外の知的種族と、それを狙う複数の未知の海魔。
 ブルーインブルーに今一度、大嵐が訪れようとしている。 
 新たな歴史の幕開けとなるのか。
 それとも……。
『とりあえず、だ。皆には一足先にサイレスタへ向かってもらって、海魔退治を頼む。海魔は人魚を狙ってるから、都市へも攻撃するだろうし、そのあたりもうまくやってくれ。うまくやりゃぁ、人魚と話もできるだろうぜ』




 人が訪れる事自体珍しい島では、人魚という珍客の来訪に誰もが浮き足立っている様に感じられた。
――無理もない、か。
 その姿を一目みようと集まりざわつく人々を尻目にカナンガは浅瀬に作られた檻へと歩み寄る。カナンガに気がついたのか、人魚はゆっくりと顔を動かし優しい微笑みを向けてきた。
 ゆるやかなウェーブのかかった長く美しい髪は水面に反射する光を受け、黄金色の輝きを増す。美しい細工におお振りの宝石を惜しげもなくつかったアクセサリーを身に纏っているが、彼女自身がその宝石よりも美しかった。真珠よりも白い肌。珊瑚よりも鮮やかな唇。性別も年齢も関係なく、見るもの全てが美しさに息を呑む、まさに絶世の美女だ。
「ごきげんよう、カナンガ様。今一度、わたくしの言葉が必要でしょうか?」
 檻の中に捕われている事を忘れさせる様な甘く優しい声色で、人魚は言う。
「……お願いします」
「仰せのままに」
 少し間を開けカナンガがそう言うと、人魚は不満そうな顔一つみせず言葉を紡ぐ。
「わたくしは、フルラ=ミーレ王国第三十七姫、パルラベル。我がフルラ=ミーレは長きに渡りグラン=グロラス=レゲンツァーン王国より侵略を受けております。此度の侵攻は激しく、このままでは王国が滅びかねません。どうか、グラン=グロラス=レゲンツァーン王国を退ける為、お力をお貸しいただきたく思います」
 彼女を捉えてからというもの、カナンガは何度も同じ話を聴いている。ジャンクヘヴンに連絡した内容を、一語一句違えず言う彼女の言葉を。しかし、この日だけは彼女の言葉に続きがあった。
「残念ですが、わたくしの願いは聞き入れられないご様子。これ以上返答を待っている時間も、わたくしにはありません」
「い、いや、もうすぐ、もう少しお待ちください。せめてジャンクヘヴンからの返答を……そう、その怪我が治ってからでも」
「追手から逃げ、力を貸していただけそうな元へ向かう。いくら必死だったとはいえ海上に近づいている事に気がつかなかったのはわたくしの落ち度。この怪我はわたくしへの罰です。それに、このままではカナンガ様にもこの島の皆様にもご迷惑がかかります」
 座したまま動かなかった人魚が身じろぐとぱしゃん、と小さな水しぶきがあがる。浅瀬の海水は大人のひざ下程しかなく、小さな魚ならまだしも人と同じ大きさの彼女が泳ぎ行くには難がある。何より、彼女はまだ檻の中だ。カナンガが鍵を開けない限り、彼女はこの檻から脱出できない。
「……失礼ながら。今の貴方は捕虜です。この檻より、だすわけにはいきません」
「そんな……そのような、あぁ、お願いですカナンガ様、ここから出してください!」
「……貴方は、捕虜です。これ以上の自由を与えるわけにはいきませんし、この島の代表として、この島を護る為にはジャンクヘヴンの返答を待っていただくしかできません。幸い、今の周囲は浅瀬です。貴方を狙う追手の海魔とて、この島までは近づけないでしょう」
「もう一刻も猶予はないのです! 王国を後にしてからどれほどの時が流れた事か、王国がどうなっているのかもわからない今、一刻も早く力を貸していただける方を見つけ、戻らねばならないのです! お願いですカナンガ様、カナンガ様! お願いです! ここから出してください!」
 人魚の声が虚しく空へと消えるのと同じ頃、サイレスタ周辺には大小様々な海魔の影が集まっていた。

品目長編シナリオ 管理番号2318
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメントこんにちは、桐原です。ブルーインブルーへのお誘いにまいりました。

長編シナリオです。チケットをご確認ください。


気になる事も知りたい情報もあるでしょうが、多くの海魔も討伐せねばなりません。
人魚との出会いが新たな航海への始まりとなるかどうかは、何時も通り、皆様のプレイングしだいです。



それでは、いってらっしゃい。

参加者
ヴァージニア・劉(csfr8065)ツーリスト 男 25歳 ギャング
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
古城 蒔也(crhn3859)ツーリスト 男 28歳 壊し屋
百田 十三(cnxf4836)ツーリスト 男 38歳 符術師(退魔師)兼鍼灸師
ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)コンダクター 男 35歳 ミュージシャン
ドアマン(cvyu5216)ツーリスト 男 53歳 ドアマン

ノベル

「導きの書に現れた未来の詳細をもう少し詳しく教えてもらえないか」
 チケットをひらひらと揺らしムジカがそう言うと、皆の視線がアドへと向けられる。
「特に、ガルタンロックについて。現れるタイミング……、本人が来るのか否かははっきりとさせたい。或る意味では海魔より厄介な男だろう?」
 肩をすくめおどけた様に言うが、ムジカの視線は真剣そのものだ。しかし、詳細を求められたアドは後ろ足で耳の後ろを掻いている。
『オレは探偵は嫌いだし、司書の仕事だってできりゃーやりたくねぇけどよ。依頼として出す以上、解る事は全て、伝えてるぜ。今言った事以外、何もねぇよ』
「気を悪くしたのなら、謝るよ」
『別に。……そんなにガルタンロックが気になるなら、ドアマンに聞けきゃいいじゃねぇか。この中で唯一、血の富豪ガルタンロックに直接会った事があるんだからよ』
 言われ視線が集中したドアマンはふむ、と考えるように帽子の鍔を持ち整える。
「よかったら、聞かせて貰えるかな?」
 ムジカがそう促すと、ドアマンは個人的な意見ですが、と先に伝えてから言葉を続ける。
「ガルタンロック様がパルラベル様を“稀有故に求める”という単純な理由なら良いですね。ムジカ様が気になさってる、ガルタンロック様ご本人がいらっしゃる、という事はまず、無いと思われます。彼の御方は商品が自らの元に運ばれるのを待つのです。ご自身が見に行くとしても、彼の安全が確証されている行動範囲の内。ガルタンロック様ご自身がサイレスタに訪れるとは、とても思えません」
「来ない、と言っているのに、その、こんなことを聞くのは失礼かもしれないんですが……もし、来るとしたら、どういう時でしょうか」
 小さく手を上げ、戸惑いがちに優がそう言うと、ドアマンはにっこりと笑って応える。
「パルラベル様が本物――この場合商品価値のある人魚だという事ですが、本物であるという場合や、パルラベル様を手に入れる事によって確実に膨大な利益を手に入れられる場合でございましょう。現時点で、我々は兎も角ジャンクヘヴンと同じくガルタンロック様もパルラベル様が本物かどうか、どういう存在なのかは掴めていない筈です。まだ見ぬ世界が齎す利益や海賊達が求めるものの手がかりだとしても、そういった不確かなもので堅実なあの方が動くとは思えません。未来を見据えた先行投資としても、このように曖昧な状態でガルタンロック様が動くとは……」
「ふむ。そこまで言えるのなら、ガルタンロックの驚異はそう深刻に考えなくとも良さそうだが……」
「ですが、書に予言されていたという事はガルタンロックへ繋がる何かがサイレスタにあるという事の筈です」
 百田と優が考え込んでいると、劉が小さくめんどくせーと呟き、爪を噛む。その呟きが聞こえた古城が劉へ目を向けると、劉は慌てて俯き顔を隠した。
「こいつも言ってるけど、ここでウダウダ言ってもしょうがねぇんだ、さっさと行こうぜ」
 ピクニックにでも行くかの様に、古城は笑顔で皆に出発を急かした。



 穏やかな海原を行く船の上空には幾つもの影が舞っている。百田が召喚した火燕と飛鼠に優のタイムを交え、海魔の群れと、不審な船が居ないか探していると、優の視界にサイレスタが見え始めた。タイムを近づけると次第に島がはっきりと見え出すが、島は予想以上に小く、浅瀬の方が広い。遺物なのか、細長い柱が数本とそこにかけられた布で作られた木陰があり、家も数える程しかない。
 優はノートに簡単な地図を描いていると浅瀬にぽつんとある檻を見つけ、タイムがそちらへと近寄っていく。青い海と白い砂浜には不釣り合いな檻の中に囚われの人魚姫を見つけ、優は息を呑む。俯いていたパルラベルが羽音に気がつき顔をあげると、憂いを帯びた顔がぱっと明るくなり、珍しそうにこちらを見ている。その姿も笑顔も、タイムの視界越しに見てもその美しさは素晴らしいものだ。
「群れを見つけたぞ」
 百田の声に気もそぞろだった優が小さく身体を跳ね上げる。百田は優の地図を指差し、皆に海魔の居場所を伝える。
「島をぐるりと囲う様に迫っている。大きな群れとしてわけるなら、3つくらいか。このまま真っ直ぐ船を進めれば端から責められそうだ」
「丁度いいかな。パルラベルの檻はどのあたりに?」
「あ、っとここです。浅瀬に接してますが、予想より島が小さいので下手に動かすよりこのままここで守った方がいいかもしれません」
「じゃぁ俺がそこにいるぜ」
 手を上げ、古城が言う。
「別に、問題ないだろ? 俺が人魚ちゃんの傍にいりゃぁ、安全も保証される。このまま海上で戦うにしたってこんな小さな船じゃ立ち回りも厳しいんだ。精々1人か2人、戦い慣れてる百田さんと劉が残ればいいし、島の防衛には優とドアマンさんが行くって言ってんだ。ムジカさんも上陸、ほら、丁度いい」
 古城が同意を得る様に皆の顔を見渡す。特に異論はないのか、皆が頷くだけだ。
「それでは、どうぞ、こちらをお通りください」
 甲板に扉が現れドアマンが恭しく扉を開くと、扉の中に白い砂浜が広がっている。穴を開けた様に、もしくは、絵画をおいたように。扉の部分だけ全く別の景色が広がり、古城は口笛を鳴らすと誰よりも先に扉をくぐり抜けていく。
「島民を避難させたら、俺も海魔討伐に参戦します。お2人なら終わらせてるかもしれませんけど」
 苦笑し、優が扉を通り抜けるとムジカも後に続く。
「それでは、御武運を」
 扉の向こうへと移動したドアマンが頭を下げたまま、ゆっくりと扉を閉める。静かに閉じられた扉が消え、視界を遮る物が無くなると、劉の目にも海魔の姿が見て取れた。
「だりー。でも仕事なら仕方ねえ」
 煙草を銜えたままぼそぼそと言う劉に、百田のはっきりとした声がかけられる。
「移動手段はあるか?」
「ねぇ。この船の上から戦うだけだ」
「そうか。なら……鳳王招来急急如律令! 船を守り、帆へ風を送れ」
 百田の召喚に応じ、体長10m近い鳳が現れると、風が船を覆う。ぱんと張った帆はシワ一つ無く、船の速度がぐんとあがる。
「行き先は決められんが、島から離れないよう命令してある。戦う邪魔にはならんだろう。幻虎招来急急如律令!」
 続け、百田は蜃気楼の様に揺らぐ虎を呼び出すとその背に跨った。水面を蹴り、海原へと駆け出していく百田を眺めながら、劉は甲板に煙草を吐き捨てる。
「うぜー」
 悪態をついている劉だが、百田には少し、感謝している。のろのろと動く船等格好の的だし、壊されれば劉は泳ぐしかなかった。船の速度も防御も確保され、あとはただ、海魔を切り刻めばいいだけだ。
 ばしゃばしゃと水飛沫の音が迫る中、劉は新しい煙草を銜え、タランチュラの意匠が彫られたライターで火を点けた。風が強いせいか、煙草の燃え方が早く紫煙も多く出ている。海魔が数匹、劉へと飛び込む。
「あー、やっぱだりー」
 キンッとライターの蓋が閉じる音と共に、飛びかかって来た海魔は輪切りにされ落ちる。ライターを振り閉じた劉の指先から伸びた鋼糸が光った。


 草原を駆け抜けるのと同じ様に海原の上を走る幻虎の後を何匹もの海魔が追いかける。刃の様な背鰭を見せる海魔は海原に白い線を引き、海面から飛び出しては百田へ食付きにかかるが、幻虎にひらりと避けられ、大きく開いた口には餌の変わりに鉄串が飲み込まれる。海魔の口が閉じられれば鉄串に巻かれた符術が発動し、海魔は不格好な姿のまま海へと落ち、ぷかりと身体を浮かせた。白魚の群れには護法を封じた護符を展開し、近寄らせる事を許さない。
「ふむ、なんというか……」
 確かに、大量の海魔が集まり群れを成しているのだが、どうも、それぞれの動きや攻撃が独立しすぎていて驚異に感じられない。連帯された攻撃なら苦戦もしたのだろうが、ただ、多くの海魔が集まっているだけという感じが否めない。
「そこまで細かい命令が出せないのか、それとも、海魔が理解できないのか……。まぁ、助かった、と考えるべきだろうか」
 四方から襲いかかる海魔を避け、幻虎が空高く飛び上がる。鉄串の雨が海面へ降り注いだ。



 浅瀬の端に剣を構えた優が立っている。耳を澄まし、自分の立つ場所よりも濃い色の海面を見つめ海魔の出現をじっと待つ。浅瀬と外海の境目は線を引いたようにくっきりと色が分かれており、注意深く見れば変化がわかりやすい。
 水面が揺れぽこぽこ、と音が聞こえた方に向き直り、優は剣を握る手に力を込める。海面が盛り上がり、海水が滝の様に流れる赤い甲羅がきらりと輝いた。見上げるほど大きな蟹はゆったりと動き、その大きなハサミを優へと振り下ろす。優の剣が淡く輝き防御壁が周囲に展開されると、ガキン、と硬い音が響き蟹のハサミが弾き返される。2度、3度、4度。振り下ろされるハサミが音を立てて弾かれる度、優はじっと耐えタイミングを伺う。一際大きくハサミが振り上げられると優は手に力を込め、衝撃に備える。強い攻撃は弾く時の反動も大きく、蟹のバランスも大きく崩れる。その瞬間、優は前に駆け出し、防御壁を大きく展開し、防御壁で蟹を押し倒す。ひっくり返りそうになる蟹がじたばたとすれば、柔らかい腹の部分ががら空きだ。優はそこめがけて剣を突き刺し、蟹を倒す。水飛沫を上げ倒れた蟹は、もう何匹目か解らない。
ふぅ、と一息吐いた優が顔を上げると、空にはドアマンの出した扉が幾つも浮かんでいる。飛んでくる火の玉を受け入れ吐き出した鯱に返したり、飛び跳ねる魚を掃除機の様に吸い込み姿を消したりしている。時折、爆発音が聞こえたり高く上がる水柱が見えたりもする。
 ハデな戦い方ができるわけではなくとも、自分にできるやり方で一匹ずつ確実に仕留める。それが自分の戦い方だ。
 呼吸を整えた優が剣を構え次の海魔に備えると、背後から水の音が聞こえ振り返る。いつの間にか、海岸には島の子供が集まり、数人の男の子がカヌーの様な船を出そうとしていた。
「あ、危ないよ! 戻って!」
 優が慌てて声を上げるが、子供達は戻ろうとしない。優は慌てて辺りを見渡し、海魔が迫っていないのを確認すると、足を高く上げて子供達の方へと走り寄ると、沖へと押し進める船に手を置いた。
「ダメだってば、まだ海魔が沢山いるから、ね。戻って」
「あれだけ! 蟹一匹取ったらすぐ戻るから! な!?」
「蟹って……あんなのどうするの?」
「食うに決まってんじゃん! あれ一匹でみんなお腹いっぱいになるんだって! な!」
「た!?」船をおす子供達は矢継ぎ早に言う。
「一匹! 一匹でいいんだって!」
「頼むよにーちゃん!」
「ち、ちょっとまって、あんな大きいの君達だけじゃ運べないし、せめて戦いが終わってから」
「すぐ済むから! 紐括って引っ張るだけだって」
「今じゃないと駄目なんだって!」
「もうかーちゃん乳でなくて長いんだ! このままじゃ赤ん坊死んじまう!」
「そ、そんな事言われ……たら」
 脳内で海魔の危険と、それとはまた別の危険を天秤にかけていると、ドアマンの姿が見え優は叫ぶ。
「ドアマンさーん! 蟹! 一匹! 海岸に移せますか!?」
 シルクハットを少し持ち上げこちらを見るドアマンに優は大きく手を振り、蟹を指し示す。ドアマンの腕が大きく振り上げられると一瞬だけ、シルクハットの鍔付近に青白い光が瞬くと、海岸上空に大きなドアが現れ、海水と共に蟹が一匹落ちてきた。砂浜から大量の海水が押し寄せ、船を押さえていた優や子供達の身体が波に押され大きく揺れる。
 不思議な出来事にか、それとも手に入った喜びか。興奮した子供達は感極まった叫び声を上げ、優の耳を劈く。
「にーちゃんありがとー! おっちゃんもー! ありがとー!」
「あぁ、よかった! ずっと漁が不作だし商船と取引する物は少ないしで、どうしようかって!」
「ほんとにありがとな!」
 感謝の言葉を言い続ける子供達の声にふと、違和感を感じた優は船を押し戻ろうとする少年の手を掴み、止める。
「……商船? 商船がくるの?」
「え? うん、たまに。あの蟹の甲羅も高く売れるけど、いつもはこういうのを渡してる。拾ったらカナンガ様のトコに届けるんだ」
 少年が腰につけていた網袋を広げ、中の物を優に見せる。一見するとガラクタの様なそれらを見て、優の顔が険しくなる。
「……これとこれ、一個づつ借りてもいいかな? 後で返すから」
「? 別にいいよ」
 少年が海岸へと駆けていく。優は手渡された物をじっと眺める。その手の向こうに広がる海面が揺れ、ごぽごぽと海魔の訪れを知らせる音が聞こえ出す。
「……後で確認しないとな」
 少年から借りた物をポケットへ入れ、優は剣を構えた。



 海岸へ一歩踏み出すと、柔らかい砂が靴を覆う。歩くたび深く足を取られ穴の様な足跡を残していくと、パルラベルが顔をあげた。
「綺麗だなぁ」
 古城が溜息と共に賛辞の言葉を零す。ムジカはちらと古城に目をやるが何も言わず、直ぐにパルラベルへと視線を戻した。
「はじめまして、パルラベル姫。ムジカです」
「蒔也だ」
 ムジカが胸元に手を置き、頭を下げるのとは対照的に、古城はパルラベルに対しひらひらと手を振る。姫への敬意と共に、友人に会うような柔らかい態度を同時に魅せられ、パルラベルは一瞬目を丸くするが、直ぐに優しく微笑んだ。
「パルラベルと申します。貴男方がカナンガ様のおっしゃっていたジャンクヘヴンの方々、でよろしいのでしょうか?」
「正確には、違います。おれ達はその使者が安全にこの島に辿り着く様、そして貴方を海魔の手から護る為に先に来た、先遣隊です」
「まぁ……。では先程から聞こえるこの音は」
「大丈夫、お姫サマにゃ近寄らせないから」
 古城はにこにこと笑い言うが、流石に不安なのか、パルラベルの顔色は優れない。詳しい話を聞いて見たかったが、やはり、現状では彼女も落ち着かないようだ。
 心配そうに大きな音が聞こえる方を見るパルラベルの姿を、ムジカは不躾にならないよう確認する。頭上に真理数を確認し、装飾品へと目を動かす。宝石一つ、細工一つとっても美しく不可思議なそれらの中に、目当ての物を見つけムジカはパルラベルに声をかける。
「素敵ですね、その丸い……〝天秤〟のレリーフでしょうか」
 ふいに言われ、パルラベルは自身の体についていた装飾品を手に取る。腰元のベルトから伸びる鎖の先に付いたそれは〝太陽と月の天秤〟がついている。
「こちら? わたくしの国で時々見つかりますの。綺麗でしょう?」
「えぇ、貴方の髪と同じ金色で、とても綺麗だ」
「まぁ、ふふふ」
 他愛もない会話をしたせいか、ほんの少しパルラベルの態度が和らぐ。ムジカとパルラベルが微笑み合っていると、古城は服が濡れるのも構わず、檻のすぐ傍に座り込んだ。
「お姫サマが望むなら、俺がすぐにでもここから連れ出してやるさ。ただ、会話を楽しむのも息抜きには悪くない……だろ?」
 ムジカの微笑みとはまた違う、さっぱりとした笑顔を向ける古城にパルラベルが近寄っていく。浅瀬に作られた檻はそう広くなく、パルラベルが数歩――彼女の場合足が尾鰭なので両手で移動するのだが、身体を引き摺るように少し動けば直ぐに檻の柵へと辿り着ける。ぱしゃんぱしゃんと水を跳ねさせ檻へと手をかけたパルラベルと古城は檻越しに見つめあった。
「お話、ですか。いったいどんなお話をしてくださるの?」
「俺が話すより、あんたの事を聞きたいんだ」
「わたくしの?」
「そう」
 檻の隙間から手を伸ばし、古城はパルラベルの髪を指で弄ぶ。パルラベルはその指先に視線を向けはするが、払い除けはしない。
「何をお聞きになりたいのかしら?」
「うーん、何がいいかな。あんた、綺麗だから聞きたかった事が口から出る前に消えちまう」
 古城の言葉にパルラベルはくすくすと笑う。まるで恋人同士のような甘い空間にムジカは少し呆れた様な仕草をする。檻の中に囚われてからこういった、普通の会話はあまりできなかったはずだ。古城との会話で打ち解けてくれる事を期待し、ムジカは静かにその場を離れる。砂浜を上がればすぐ傍に住居が一つある。住居の横を通り抜ければサイレスタにある家全てと、対岸の浜辺も見えてしまう。
 名ばかりの都市とは聞いていたが、これでは村にもならない、集落だ。幾つか調べてみたい事はあったがこれでは禄な情報はないだろう。宛が外れ、ムジカは辺りを見渡し居住区を通り抜け人のいない海岸へと足を進める。島民のそばを通るとじろじろとした視線を向けられるが、ムジカは気にとめる風もなく歩き、サングラスの奥から人を観察する。島には女子供老人が多く目立ち、大人の男は数えるほどだ。ほぼ全員が血縁者だろうと思ったが、子供達の顔立ちがばらばらだ。
 あっというまに対岸へとついてしまったムジカは木陰で立ち止まり海を眺める。浅瀬の向こうでは百田の式が炎や氷を吐き出しているのが見え、島には近づけていない。これだけの人数が派遣されたが、全員が当たらなくとも海魔は討伐できそうだ。
「少し不思議、かな」
 ムジカは口元を少し緩ませて言うと、友人から借り受けた通信機を取り出し、耳に当てる。相手が出るかどうかはわからないが、やってみる価値はあるのだろう。
「la――」
 通信機に耳を傾けたまま、ムジカは小さく歌いだした。
「Langt ude i havet er vandet så blåt, som bladene på den dejligste kornblomst og så klart, som det reneste glas, men det er meget dybt, dybere end noget ankertov når, mange kirketårne måtte stilles oven på hinanden, for at række fra bunden op over vandet.」
 囁くような歌声は、波にかき消される。
「Dernede bor havfolkene. Nu må man slet ikke tro, at der kun er den nogne hvide sandbund;」
 伴奏も何もなくとも、ムジカは謳う。誰に聴かせるでもなく、思いつきのフレーズに乗せて、謳う。
「nej, der vokser de forunderligste træer og planter, som er så smidige i stilk og blade, at de ved den mindste bevægelse af vandet rører sig, ligesom om de var levende. Alle fiskene, små og store, smutter imellem grenene, ligesom heroppe fuglene i luften.」
 ちりちりと、小さな耳鳴りの様な音が通信機から聞こえ出しても、ムジカの謳は続く。
「På det allerdybeste sted ligger havkongens slot, murene er af koraller og de lange spidse vinduer af det allerklareste rav, men taget er muslingeskaller, der åbner og lukker sig, eftersom vandet går;」
 通信機の向こうから人の声が聞こえだし、ムジカの謳が止まった。
『……なんだ、やめちまうのか』
「繋がるまでの暇つぶしだったんだ。今度会えたら、目の前で歌うよ」
『そいつは楽しみだ』
 通信機越しに聞こえる青年の声に、どこか逞しさを感じたムジカの口元が綻ぶ。
「こっちは今、人魚の護衛しているよ。そっちはどうだい?」
『へぇ、奇遇だな。俺もだよ。『そちらの姫さん』は無事なのか? 何番目だい?』
「少し怪我をしているようだが、問題なさそうだ。確か、37番目のパルラベル姫だ」
『そりゃよかった。37……か。それじゃぁ妹も無事だって伝えてくれ』
「そっちは妹姫さんか、いったい何人お姫様がいるんだか」
『俺が聞いた話じゃ、100人らしい』
 ムジカの声が一瞬止まると、通信機の向こうから笑い声が聞こえる。
『俺も聞いたときは驚いた。で、そっちは今どの当たりだ?』
「サイレスタという島だ」
『あぁ、最果ての島か』
 反響するように相手の声が遠く聞こえ、浅瀬に波間が広がり出す。ムジカが目を細めると浅瀬の中に敵影が見える。
「最果ての島?」
『そ、この世の果て海の果て……。何にも無さすぎてそういう呼び名がついたんだ。丁度、俺もサイレスタ方面へ向かってる。そのうち会えるだろう』
 ざざ、と波しぶきを立て、ムジカの眼前に大きなヒトデが姿を表す。地面を這いずってきた為、ここまで見つからずに来たのだろう。ムジカは通信機を左手で抑え、懐からギアの拳銃を取り出す。
「そうか。お姫様を狙う海魔に気をつけて」
『はは、そっちもな』
 海魔が現れた音が聞こえたのだろう、軽い笑い声の後、ぷつりと通信は切れた。
 星型のヒトデがのそのそと浜辺に上がり、立ち上がるように身体を起こすと、一発の銃声が響く。
「det ser dejligt ud; thi i hver ligger strålende perler, en eneste ville vare stor stads i én dronnings krone.ってね」
 拳銃を仕舞い、ムジカは島の中央へと戻る。
 浜辺には大量の泡が浮いていた。



 ちゃぷちゃぷと揺れる波に膝を濡らす優は浅瀬に立ち尽くしたまま空を見上げる。晴れ渡る空に筆をすべらせたような線がふっと現れ、優は目を細めてタイムと視界を合わせた。
 優の周囲にあった海魔の影はグンと減り、穏やかな海が広がっている。高度が徐々に上がり、島の周囲を見渡せる様になると、まだ少し海魔が残っているらしい影が見えるが、その塊も百田と劉が挟み込んでいる。
「大丈夫そう、かな」
 じゃぶじゃぶと海を掻き分け優が浜辺へ向かうと、ドアマンが立っていた。この炎天下の下できっちり着込んだ洋服は熱くないのだろうか、汗一つ欠かずぴしっとした姿勢でいる。
「さっきはありがとうございました」
「いいえ、お役にたてたようならなによりでございます。どうやら向こうの群れに指揮官がいるようでして、捕獲してみようと思うのですが、相沢様は如何なさいますか?」
「……すみません、ちょっと確認したい事があるので……」
「かしこまりました。では、後程」
 ドアマンは頭を下げ後ろ手に扉を開ける。海魔と戦っている劉の乗る船の甲板が一瞬見えるが、直ぐに扉は閉じられる。
 濡れた足に纏わりつく砂に気持ち悪さを感じながらも、優は居住区へと進む。ついさっきまで島の住民全員がいた島の中央にはカナンガしかいなかった。カナンガは優に気がつくと早足で駆け寄り、頭を下げる
「蟹をくださったそうで……。戦いの最中に、子供達が大変申し訳ない事を」
「いえ……。ほかの皆さんは」
「その蟹を処理しに行っております。本当に、助かりました」
「そう、ですか」
 歯切れの悪い優にカナンガが不思議そうな顔を向けると、ムジカが歩み寄ってきた。
「そろそろ終わりそうだ。パルラベル姫のとこに行って詳しい話を進めようか」
「すみません、ムジカさん。その前に、……あの、カナンガさん。お聞きしたい事が……」
「なんでしょう」
 聞きたい事があると言ったものの、問う事にまだ迷いがあるのか、優は言葉を短く区切り言いづらそうにカナンガへと投げかける。
「この島に、商船、が、来るそうですね」
 優の言葉にムジカは無言でカナンガへと顔を向ける。カナンガは唇を強く結び、少し、険しい顔を見せた。
「はい、不定期ですが、訪れます。それが、なにか」
 生きていくのにギリギリの食料しか取れない、海賊も海魔もよりつかない、最果ての島サイレスタ。そんな島に、そんな島に不定期ながらも商船がくると聴き、ムジカは居住まいを正し優とカナンガを見直した。
 偽る事なくカナンガは応えたのだと、引きつった表情から察した優は、意を決した風に拳を握る。
「子供達から聞きました。食料を集めている時に、珍しい物を見つけたら集め、貴方の家に届けるように言われていると。特に、虹色の貝殻やこのコインを」
 優の差し出した手にはあの沈没大陸の機械を動かすのに必要な虹色の貝殻と、パルラベルがベルトにしていたものと同じ、太陽と月の天秤が施されたコインがあった。
 カナンガが無言でいると優はこうも続ける。
「商船は、ガルタンロックの商船ですね?」
「私があの人魚を差し出すと?」
「違いますか」
 ざざん、と波の音が響く。カナンガを見る優の瞳は確信に満ちている。ジャンクヘヴンからも、海賊や海魔すらも見捨てられたこの島で生きていく為には、例え悪名高き海賊の商船との取引でも構わなかったのだろう。その事実は優の心に何とも言えない悔しさや悲しさを覚えさせるが、カナンガを責めるの事など、まして、この事実をジャンクヘブンに伝える事など、できるはずもない。
 彼らは生きる為に必要な事をしていただけだ。それを、何故、優が咎めることができるだろうか。
 優が言える事は、ただ一つ。
「ガルタンロックに、パルラベルの情報を渡さないでください。食料は、充分確保できたはずです」
 言われ、カナンガは目を閉じると深い深い溜息を零す。
 無言の時が、流れる。
「………………。わかった」
 カナンガは、苦しそうにそう言った。



 劉が手を動かす度に、海魔が細切れになっていく。指先より伸びる鋼糸は槍の様に真っ直ぐに海魔を貫くかと思えば鞭の様に靭やかな動きを見せ、敵を切り裂いた。劉の指先から伸びる鋼糸は太さも長さも劉の意思一つで変えられる。百田の乗る幻虎が駆け抜けるすぐ後ろに肉眼では見えないほど細い糸を組み合わせれば、鋼糸を通り過ぎた海魔は膾になる。飛びかかってくる海魔や放たれた火の玉は周囲に浮かぶ肉片を太い糸で突き刺し、組み合わせて作る壁で防いでいた。直線と曲線、一撃で貫ける太さと不可視な細さ。自由自在に操られた鋼糸は数多の海魔を細切れにし続けた。
 劉の乗る船の周囲に百田の召喚した式が集まりだすと、あたりは一変する。氷の雪豹は口から吐き出す氷の息吹で海面に足場を作り、海魔の動きを封じる。かと思えば、炎に包まれた猩々が氷を溶かしながら、海に浮かぶ海魔を足蹴にしながら飛び回り海魔を一瞬で消し炭にしていく。
 戦い始めた頃百田が思った様に海魔達は基本、真っ直ぐに突っ込んでくる戦い方ばかりだ。獲物を追い掛け回し、特攻するだけの単純な群れは、時間はかかるが確実に減っていた。
「失礼致します。劉様、少々、お力をお貸しくださいませんか」
「あー?」
 灯油入りの樽を海へ落とした劉が気だるげに声を上げる。煙草を吐き捨て振り返ると、樽が勢いよく燃えた。
「あそこにいる、敵の指揮官と思われる方を捕縛したく思います。できましたら、その糸で捕獲してはいただけませんでしょうか」
「……だりー」
「そこをなんとか。あぁ、そうです。ささやかな御礼と致しまして、よろしければこちらを……」
 両手を叩き、ドアマンがセクタンのあみぐるみを劉に差し出すが、劉は
「いらねぇ」
 とめんどくさそうに即答した。
「そんな、こんなに愛らしいのに……あ、色もフォームも各種ございますよ?」
 劉にとってはそういう問題ではないのだが、ドアマンは至極真面目に言っているらしく、どこからかあみぐるみを取り出し続ける。
「いらねぇ、いらねぇよ。わぁった、捕まえりゃいんだろ」
 このまま関わる方が面倒だと思った劉が投げやりに言うと、ドアマンは嬉しそうに笑う。
「ただし、俺の糸は毒が付いてるからな。巻きつけても向こうが身じろぎすりゃ傷がつくし、毒が回るかもしれねぇ」
「問題ありません。効く前に、パルラベル様のところへお連れすればよいのです」
 言い終えると同時に、劉を挟み二つの扉が現れる。背後の扉が開けられると、そこにはパルラベルと古城のいる海岸が広がっていた。ドアマンがもうひとつの扉に手をかける。
「背後に繋がっております」
 一礼し、ドアマンが扉を開けると劉の手が突き出される。吸い込まれるように伸びた鋼糸は鯱に跨る者に巻き付き、あっという間に簀巻きにした。叫び声をあげる間もなかったのか、劉が腕を振り動かし簀巻きにされた人物は、まるで釣り上げられた魚の様に持ち上げられ、弧を描いて劉の背後にある扉へと投げ込まれた。
「お見事な一本釣りでございます」
 ぱちぱちと手を叩きながら言うドアマンに背を向け、劉は煙草に火を付けた。



 劉に簀巻きにされた者が海岸に座らされている。彼の動きを封じている劉は彼の背後にいるが、劉以外は皆、パルラベルを護る様に彼とパルラベルの間に並び立っている。
「パルラベル姫、この者が貴方の国に進軍している国の者で、間違いありませんか?」
 ムジカの問いに、パルラベルはこっくりと頷く。
「はい。我がフルラ=ミーレ王国を滅ぼさんとするグラン=グロラス=レゲンツァーン王国の者に間違いありません」
「彼、が」
 優は目の前にいるグラン=グロラス=レゲンツァーン王国の者を見たまま小さく零す。
 彼は、パルラベルよりも人間の姿に近い。しかし、その身体は全てウロコに覆われ、手や足には鋭い爪と水かきがついていた。背中や腕、耳には魚の様な鰭が、唇はぼってりとし、額や身体には幾つかの瘤もある。
 パルラベルを人魚と称するならば、彼は魚人と呼べるだろう。
「話はできないのか?」
「いいえ。わたくしと同じく、可能です」
「という事は、話す事など無い、ということか」
 百田が腕を組み溜息混じりに言う。
「さぁ、お姫サマ、もう一度あんたの国のことを話してくれ。――あんた、自分の国が好きか?」
 ふいに、古城が言葉をかける。
「勿論、愛しておりますわ。ここも、暖かい太陽や風のある場所も素敵ですが、海底にある我がフルラ=ミーレ王国も素晴らしい国ですのよ」
「海底にあるっていうあんたの国がこいつの国に襲われている。なら、こいつの国も同じ、海底にあるんだよな?」
「はい。グラン=グロラス=レゲンツァーン王国は、少なくとも、我がフルラ=ミーレ王国とこの島よりは、近い場所に存在しています」
「侵略の動機はなんだ? 旨味があるのか。たとえば……隠された過去の遺産とかさ」
 劉の問いかけにパルラベルは首を傾げ、不思議そうに応える。
「申し訳ありませんが、我がフルラ=ミーレ王国とグラン=グロラス=レゲンツァーン王国との争いは、長きに渡り続いております。その過去の遺産、と申されましても……心あたりがありませんし、動機と言われましても、心当たりがありません」
「そうなると、グラン=グロラス=レゲンツァーン王国には、何か理由がある、という事なんでしょうか……」
 優がそう呟くと、ドアマンは彼の傍へ行き記憶の扉を覗き見る。目当ての物がはっきりしないせいか、漠然としたイメージが見える中、パルラベルと似た人魚が複数捉えられるのが見て取れた。
 ドアマンが今見たものを伝えるべきかどうか、迷っていると、ムジカが声を掛ける。
「何が見えたのか、教えてもらえるかな。今後どう動くべきか、はっきりさせる為には、少しでも情報は欲しいんだ」
「……そうでございますね。パルラベル様に似た人魚の方々が数名、彼らに捉えられる姿が、ございました」
 神妙なドアマンの声にパルラベルは悲痛の声を上げ両手で顔を覆う。パルラベル自身も彼らに追われ、この島まで来ているのだ。覚悟はしていたのだろうが、改めて聞かされると、辛いのだろう。
「もう様子見してられる余裕はねぇんじゃねぇか? 後日訪問より先行して人を送るべきだろ」
「俺としても、すぐにでもフルラ=ミーレ王国へ同行して構わないんだが……」
 古城とムジカの言葉に、ドアマンは手を上げて提案をする。
「こちらに向かっている学者様方の到着は待つべきでしょうが、いっそパルラベル様の希望も叶えてはいかがでしょうか? パルラベル様が居る所彼らの襲撃を受けるのは必定でございます。ひとまず、サイレスタの皆様の安全の為にこの島からは移動するべきではないでしょうか。何でしたら海軍や学者様にご同行頂いてはとも思います」
「ふむ、しかし海上では彼らの方が有利でもある。彼女や学者を乗せた船で移動し、囲まれてしまっては些かまずいのではないか?」
「確かに、この島を取り囲んだ海魔の数に囲まれてしまうと、難しい気がしますね」
 今すぐ向かうべきか、待つべきか。彼らの意見は何れも正しいように聞こえ、しかし、決定的な物へは至らない。熱心に相談する仲間たちを他所に、劉が煙草を銜えたままぼんやりと眺めていると、鋼糸が僅かに震えた。逃げようとでもしているのだろうか、と彼に視線を向けるが、鋼糸は揺れているのに彼は身動き一つしていない。
 劉は怪訝そうな顔で彼を見ながら、咥えていた煙草を海へと吐き捨てる。煙草の落ちた水面が輪を描き、他の輪とぶつかり小さな波紋が広がる。海面に小さな小さな揺れの波紋が沖へと広がっているのに気がつき、劉は彼の頭を踏みつけた。
「てめ、何してる」
 ばしゃん、という音に皆が踏みつけられた彼へと視線を向けた。ゲッゲッという、耳ざわりな笑い声がする。
「シネ」
 ガラガラの声で言い、彼の身体から力が抜け、事切れた。遠く、遠くへ広がる波紋に何とも言えない寒気を感じた優はタイムを空高く飛ばし、周囲の様子を見る。
「……海魔の影が、集まってきてます」
「波紋……。たしか、クジラ等の生物は音波でやり取りをすると言われていますが、なるほど、彼らは音波で海魔に指示を出していた、という事でしょうか」
 納得したようにドアマンが言うと、百田は幻虎を召喚する。
「船は、近づいているかい?」
「いえ、それらしきものは見当たりません」
「なら、安心かな。船が来る前に今の内に彼が呼んでしまった海魔を討伐してしまうべきだ」
 ムジカがそう言うと、ドアマンが扉を一つ出す。開かれた扉は皆が乗ってきた船の甲板へと続いている。だるいだなんだと悪態を付きながらも、劉はその扉をとおり船へと移動する。百田は既に幻虎で沖へと移動しており、遠くで新たな式を呼び出している。
「じゃぁ俺、さっきと同じ海岸に行きますね。ムジカさん はどのあたりに?」
「おれが居ても足手纏いだ。ここでパルラベルを護るさ」
「じゃぁ、古城さんは……」
 古城は両手を空に大きく広げあたりにビー玉を散らばせると、笑顔で振り向く。
「お姫サマの為にちょっくら海魔退治してくるさ」
 今度は戦いに参加すると知り、優は安心した顔を見せる。檻の中で不安そうにしているパルラベルを見た優は、彼女に声をかけた。
「あの、見ての通り、今ここから逃げても貴方は大勢の海魔に襲われてしまう。貴方が死んだら、貴方は国を助ける事が出来ない。俺たちを、初対面の人間をいきなり信じるのは難しいと思います。でも、それでも、今はどうか俺達を信じて待ってくれませんか」
「……わたくしは……」
「……ムジカさん、ジャンクヘヴンが協力出来なくても、俺達は、依頼を受けた旅人としてなら彼女に協力できませんか」
「可能性としてなら、あるんじゃないかな。ただ、海底への移動手段の確保が問題だけれどもね。皆も色々言っていたことだし、司書殿に聞くだけ聞いてみるよ」
 言いながらムジカはトラベラーズノートを取り出し、ペンを走らせる。
 優はパルラベルに頭を下げると、浜辺を駆け出した。



 パルラベルとムジカに見送られ、古城はヘッドホンをつけながら、浅瀬を歩き出す。大音量のクラシックを聞きながら、ざぶざぶと水を掻き分け進み、適当な場所でビー玉やゴムボールを辺に放り投げる。
 美しい物は好きだ。彼女の様な、綺麗な人も好きだ。
 彼女の住む海底にあるという王国も、きっと眩ばかりに美しいのだろう。
 だからこそ、それが壊され、荒らされている様が見たい。
 憂いていても嘆いていても、微笑んでも美しい彼女に愛を囁き、彼女の心を古城が解きほぐすのは、彼がその手で、〝古城蒔也自身の手で壊したいからだ〟
 じゃらりと鎖を鳴らし、古城は両手にマシンガンを持つ。絶え間なく銃弾をバラ巻き、辺に撒き散らしたビー玉やゴムボールを爆発させ、海魔を破壊する。その快感に古城の顔は楽しそうな笑顔を見せる。
――きっと、美しい国を破壊したら、もっと楽しい――
 わくわくとする心を抑えきれず、古城は盛大に爆発させ水柱を幾つも作り上げた。
 船が来る前に全ての海魔を倒すのが先か、学者たちの到着が先か、それとも司書からの返事が先か。

 未来はまだ定まってなくとも、そう遠くない内に、旅人は海底のへと向かうだろう。


クリエイターコメントこんにちは、桐原です。
この度はご参加ありがとうございました。

やはり、一筋縄ではいきませんでした。まだブルーインブルーに平穏は訪れない様子ですが、一先ず、司書からの連絡をおまちくださいませ。
公開日時2013-01-25(金) 23:20

 

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