ヴォロスの奥地に、ヤパン=ヒノワと呼ばれる地域がある。 他の地域から隔離されているために独特の発達を遂げたそこでは、エキゾティックで神秘的な――色鮮やかで華やかでもある――文化が展開され、脈々と語り継がれているのだそうだ。 ロストナンバーたちは、【最果ての流転 アルカトゥーナ】と呼ばれる、巡礼と商売を同時に行いながら世界中を旅してまわるキャラバンの人々とともに、ヤパン=ヒノワ地方へと脚を踏み入れていた。「我々が向かうのは、モンテ・フジと呼ばれる山だ。高さや角度の関係から、年の始まり、その頂上には、もっとも早く太陽の光が射すんだそうだ。さまざまな神話や伝承に謳われてきた山で、はるかな昔には、竜や神々、精霊たちが、年明け初の日光を浴びて不老を保ったという伝説も残されている」 いつも通りナビゲーターをつとめる神楽・プリギエーラの傍らを、贖ノ森 火城が珍しげに歩いている。 年越し特別便ということで、ロストメモリーながら旅を許された彼は、年越しおよび年の初めの祝い料理をつくるべく、気に入りの包丁まで持ち込んでいるらしい。いつも通りの強面、無表情ながら、どことなく楽しげな空気を滲ませてもいた。「モンテ・フジは標高の高い山だが、アルカトゥーナの人々にとっては難しいことでもない。古き世には精霊が遊んだという山のいただきで、年を越すのは悪くないだろう?」 いつものように神楽がロストナンバーたちを誘ったのは、伝説の残る神秘の地で年を越そうという目論見ゆえだった。 それに、と神楽は続ける。「モンテ・フジの頂上は、《花冠舞う翠海》フィオレファルファーラとも称される。一年に一度、その年の始まりにだけ不思議な現象と出会える、秘境、神域、聖域のたぐいのひとつだ」 だからこそ、アルカトゥーナの人々は、ここを年越しの地に選んだのだ。 それはいったいどんなものかと誰かが問うと、神楽は歌うように答えた。巫子の背には、荷物と一緒に、いつもの神奏楽器“パラディーゾ”がくくりつけられている。「初日の出が差し込む。それは、目を射ることのないやわらかな黄金の色をしているそうだ。その黄金の光は、真冬でもフィオレファルファーラから失われることのない草海へ差し込むと同時に、無数の花と蝶に姿を変える。それらを目にするだけで、心身の傷が癒え、一年を健康に過ごすことが出来るという」 また、花も蝶も、本来は触れることが出来ないが、運命が合致する個体と出会えれば、それは光る小さな珠と変わる。珠は、その年一年間の護符として、持ち主を手厚く護るのだそうだ。「運命が合致する確率は十分の一というから、年初めの運試しにはもってこいだと思わないか?」 いたずらっぽく笑ったのち、食材がたんまり積み込まれた幌馬車へと眼を向ける。麓の町で、年越しと年始の祝い料理のために買い込んだのは、つい数時間前のことだ。「それに、ヤパン=ヒノワ地方は、壱番世界の日本とどことなく似た文化を持っていて、正月料理の見事さはヴォロス内でも有名らしい。アルカトゥーナたちも、火城も、存分に腕を揮うつもりのようだから、楽しみにしていればいい。――もちろん、きみたちが腕を揮ってくれるのだって歓迎だ」 絶景と、温かな火と、どこか懐かしくも華やかな祝い料理、清められた酒、賑やかな宴に音楽、そして年に一度だけ姿を現す奇跡。「年の初めにそれだけたくさんの楽しみがあるなんて、素敵なことじゃないか。まるで、一年間が佳きものであることを予言しているようで」 山道を進むうち、頂上が見えてくる。 モンテ・フジの空気は凛冽だが、清らかなそれは心地よく、凍えるほどの寒さではない。冬のさなかではあるものの、常緑樹は鋭角的な輝きを抱いて、どこか誇らしげに立っている。 はやる気持ちを押さえられなくなったのか、アルカトゥーナの人々が笛や弦楽器を取り出し、歩きながら、もしくは馬車の中で奏で始めた。神楽もまた、歩きながら、器用にパラディーゾの演奏を始める。 弾むような快活さをはらんだ音楽を引き連れて、人々は神話の山の頂上を目指して進んでゆく。 その先にある、楽しい年越しに期待を膨らませながら。==========●ご案内こちらは特別企画「イラスト付きSS(ショートストーリー)」です。参加者のプレイングにもとづいて、ソロシナリオ相当のごく短いノベルと、参加者全員が描かれたピンナップが作成されます。ピンナップは納品時に、このページの看板画像としてレイアウトされます。「イラスト付きSS(ショートストーリー)」は便宜上、シナリオとして扱われていますが、それぞれ、特定の担当ライターと、担当イラストレーターのペアになっています。希望のライター/イラストレーターのSSに参加して下さい。希望者多数の場合は抽選となります。《注意事項》(1)「イラスト付きSS」は、イラストを作成する都合上、バストショットかフルショットがすでに完成しているキャラクターしか参加できません。ご了承下さい。(2)システム上、文章商品として扱われるため、完成作品はキャラクターのイラスト一覧や画廊の新着、イラストレーターの納品履歴には並びません(キャラクターのシナリオ参加履歴、冒険旅行の新着、WR側の納品履歴に並びます)。(3)ひとりのキャラクターが複数の「イラスト付きSS」に参加することは特に制限されません。(4)制作上の都合によりノベルとイラスト内容、複数の違うSS、イベント掲示板上の発言などの間に矛盾が生じることがありますが、ご容赦下さい。(5)イラストについては、プレイングをもとにイラストレーターが独自の発想で作品を制作します。プレイヤーの方がお考えになるキャラクターのビジュアルイメージを、完璧に再現することを目的にはしていません。イメージの齟齬が生じることもございますが、あらかじめ、ご理解の上、ご参加いただけますようお願いいたします。また、イラスト完成後、描写内容の修正の依頼などはお受付致しかねます。(6)SSによって、参加料金が違う場合があります。ご確認下さい。
馬車の傍らに設置された賄い場には、おいしい湯気と賑わいがあふれている。 お祝いに相応しい、彩り華やかな料理が次々に仕上げられ、特別の日用の格式高い重箱へと品よく詰め込まれてゆく。 餅を搗く音と、囃し立てる喝采も聞こえた。 「絹カブと紅玉人参の紅白なますに日の出海老、翡翠鴨の松風焼き、水晶鱚を使った蓬ヶ島、穴子の龍目巻、伊達巻、鰤の照り焼き、栗きんとん、薔薇鯛の昆布〆とその子の旨煮、蒸し鮑、黒豆煮、各種煮しめ、合鴨の照り煮、……で、薔薇鯛の塩焼き、と」 皆が準備に追われる中、自分もまた包丁を握りながら、アキ・ニエメラは実に楽しげだ。ヴェテラン主婦のごとき熟練の手つきで、鮮やかな赤をした魚の下ごしらえに入る。 「正月って、俺の故郷じゃそんなに重要視されてなかったから、おせち料理ってやつには憧れを感じる。美しい上に旨くて保存も利くとか、昔の人素晴らしすぎだろ」 興奮しきりのアキを、ハルカ・ロータスは一生懸命手伝っている。 といっても、料理などは出来ないので、運んだり詰めたりといった作業が中心だが。 「そういやお前んとこの祝い料理ってどんなんだ? せっかくだしつくるぜ」 「え……豆と羊肉をスパイスで煮るとか、ドライフルーツとナッツをシロップで煮るとか、そういうの」 そこへ、 「アキ、酒お代わり。今度はぬる燗にしてくれてもいいんだぜ?」 古城蒔也が空になった盃を振ってみせた。 「ペース速ぇな」 「ん? 舞台がいいと、酒が美味くてさ」 蒔也は珍しくヘッドホンを外していた。 アルカトゥーナの人々や神楽が奏でる音楽を聴きながら、アキが注いでくれたお代わり――絶妙の加減で燗にされたそれ――を口に含む。 「音楽はいいな。この世の醜い雑音を全て遮り、彩を与えてくれる」 モンテ・フジの向こう側に広がる、輝くような緑、どこまでも続く大地、そんな美しい光景を眺め、音楽に耳を傾ける蒔也はご満悦だ。 しかし、こぼされる息には、ときおり物憂げな色が混じる。 「……まるで、すべてに置いていかれるみたいだ」 目に映るものすべてを自分の手で壊すことはできない。 美しいこの光景をすべて破壊し、何もかも自分のものにしたいという欲求を満たすことは不可能だ。――手を伸ばしてみても、見えるものすべてに触れて包みこむことはできないのだから。この景色を独り占めすることはできない。 それが何とも口惜しく、心細いのだ。 世界の片隅に、たったひとり取り残されるようで。 「蒔也、これつまみに……あの、何か?」 孤独と心細さを酒に紛れさせ、酔っ払いはスキンシップへ移る。 小魚の乾したのを持ってきてくれたハルカの腕を引っ張って隣へ座らせ、腰の辺りに抱きついたり膝枕をしてもらったりしていると、 「蒔也は甘えん坊なのか。俺といっしょだな」 納得したらしいハルカが頭を撫でてくれる。 それを見て、神楽が弦を繰る手を止め、くつくつと笑った。 「なんだ、ずいぶん仲がいいんだな」 蒔也は膝枕の体勢のままひらひらと手を振る。 「おう。仲よしさんたちのために、もっと弾いてくれていいんだぜ?」 「あ、俺も聴きたい」 リクエストに応え、巫子が再度奏で始めた辺りで阮緋が帰って来た。彼は、以前アルカトゥーナの人々と旅をした際に借り受けた馬とともに、周辺の見回りを行っていたのだ。 「お疲れ緋。特に何もなかったろ?」 アキが景気づけとばかりに差し出した、盃へなみなみと注がれた酒をひと息に呷り、緋は凛とした面をほころばせる。 「そうだな、喜ばしい気が満ちるばかりで、悪しきものの気配は感じられなかった」 「無駄足踏ませて悪かったな」 「何……悪くなかった。知己の故郷が少し似ているものでな、彼奴の護った国もこんな文化だったのだろうかと、少々、思いを馳せていた」 遠い日を思い起こし、緋は穏やかに微笑む。 太陽は少しずつ傾き、平原のかなたへ還っていこうとしている。 盛大な焚火が、青と紺と朱の混じる空を焦がし、小さな火の粉を舞い踊らせる。 * 刻一刻と夜が更けてゆく中、酒宴は盛大に、終わりを知らぬかのように催された。 この日のために用意された幾つもの酒樽が、次々と空になってゆく。 「ヒノワの文化とは素晴らしいな。いや、愉快愉快!」 鶉の照り焼きを頬張り、盃を豪快に空けつつ緋はご満悦だ。 前回の旅を覚えている人々から喝采が上がれば、盃を持ったまま剣を取り、焚火の周辺を巡るようにして、流麗な演舞を披露してみせた。 「勇壮な舞だな。あんたの故郷のか?」 「そうだ。宴の折には、しばしば乞われて舞ったものだ」 「見事なもんだ。こいつぁ一献捧げねぇわけにゃいくまい」 「いただこう。アキの料理も見事だった」 「ははッ、そりゃあ嬉しいね! あっほら火城、あんたも呑めよ」 ほどよく酒が入って上機嫌なアキが、火城の首に腕を回して引き寄せ、白磁の徳利を突きつける。火城は苦笑したものの、黙って盃に酒を受け、ひと息に乾した。 「ハルカ、それ何? なんか美味そうだな、俺もほしい」 「餅を大根おろしとイクラで和えたの、らしい。ええと、じゃあ、はい」 絶賛甘えモード中の蒔也は、ハルカにもアキにも緋にも火城にも神楽にも、アルカトゥーナの人々にもべたべたしつつ、ハルカに世話を焼かれている。 「ウチのハルカが人さまの世話を。立派になって……!」 「……何というか、アキは、母親のようだな」 よく言われる、と火城へ返し、アキはハルカの器へ料理を取り分けてやる。 緋は酒豪たちと飲み比べを始めた。 朱塗りの大きな盃が、あっという間に空になる。 やんやの喝采を受け、緋は朗らかな笑い声を立てた。 宴は賑やかに、時間を忘れて続けられる。 ――そして、やがて、その時が来る。 地平線の彼方から顔を覗かせた陽光の、最初の光が、モンテ・フジの頂へと差し込む。 光はとろりとした金の色だ。それは静謐で、あたたかく、やわらかだった。 次の瞬間、ふわり、と。 先ほどまでただの緑だったそこに黄金の花が開く。蓮花と蘭を合わせたような、優美な花だ。 気づけば、いつの間にか、周囲を同色の蝶が舞っている。 まぶしいほど美しい黄金は、しかし眼を射る鋭さを持ってはいなかった。 「へぇ……すごいな」 蒔也はハルカに膝枕されたまま目を細めた。 「なるほど。これは、佳き一年になりそうだ」 緋は捧げるように盃を掲げてみせ、 「眼に優しい光だな。気持ちが穏やかになる」 アキは、光を掬うように手を広げた。 最初、ハルカは言葉もなく、ややあって、 「……美しいっていうのは、なんだか苦しいくらいせつないことでもあるんだな」 胸の内にあふれる、感動という言葉をかたちにできないまま、ぽつり、そう呟いた。 あの蝶に触れてみたい、そう思ったのは皆同じだったようで、誰ともなく空へ手が伸ばされる。 運命が合致する確率は十分の一。 ――しかし、それぞれの、長くて武骨で力強い指は、金の蝶を素通りしただけだった。ゆらり、ゆらめいた蝶も花も、次の瞬間には何ごともなかったように光を放っている。 「全員外れか。まァ……充分すぎるわな」 「まったくだ、これ以上の贅沢はない」 蒔也と緋は、くつりと笑って盃を触れあわせ、同時に乾した。 「……来てよかったな」 アキの笑みに、ハルカは頷いた。 火城の仕立てる、雑煮の香りが鼻腔をくすぐる。 ――じき、新しい朝がやってくる。
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