「ある人物を探しだしその身柄を確保して欲しいそうじゃ」 いつもどうでもいいことを熱く語って要約させられていることを鑑みれば、マッドサイエンティストを自称する世界司書アドルフにしては珍しくストレートな切り出しだった。あちこちから面倒くさそうなそれが滲みだしている。「確保して欲しいのはカミアという人物。と言ってもロストナンバー保護じゃない」 さっさと事を終わらせたいのか、彼の説明はいつになく簡潔だ。「場所はAMATERASU。依頼人はサイバノイド風見一悟」 スーパーコンピュータ=SAIによって人がコンピュータ管理されているという世界構造を除けば壱番世界と比較的似た世界AMATERASUは、人を管理するSAIと、人がコンピュータ管理されることに疑問を持った人々が組織するレジスタンスとで敵対関係にある。 現在、ロストナンバー(=外国人)はSAIにもレジスタンスにも通じていた。 SAIのサイバノイド風見一悟はセカンドディアスポラの際にお世話になった縁もあってSAIとロストナンバーの仲介役のような存在の男である。 と、それはいいが、AMATERASUの管轄は世界司書クサナギではなかったか。「同じ人物の捜索依頼がレジスタンスからも出ておる」 それでクサナギに頼まれSAI側の要員を募っていたというわけか。「実は少し前から出されていた依頼だったんじゃが…」 どこにいるのか皆目検討もつかなかったから…などと呟きながらアドルフは白衣のポケットからメモのようなものを取り出した。「先刻、クサナギの【導きの書】にカミアの事が載ったんじゃ。カミアはAKITAにあるブナの原生林にてSAIのバイオロイドに拘束されると、な」「!?」 これで手分けをして募集をかけている理由がわかった。事は一刻を争うことになりそうだ。 とはいえ、眉を潜めたくなる。SAIのインターフェイスであるバイオロイドはもちろん、サイバノイドもSAI側の人間のはずだ。バイオロイドがカミアを拘束するということはSAIはカミアを拘束するためにバイオロイドを派遣しているということである。ならば今回の依頼とは。「事は三つ巴となる。先方の希望はSAIのバイオロイドに見つからぬように、じゃが……」 SAIとサイバノイドの思惑は別のところにある、ということか。しかしバイオロイドも厄介だが、レジスタンス側もカミア確保にロストナンバーを使ってくるのだ。下手をすればカミアの取り合いに…。「正直に言って、我々としてはレジスタンス側が確保しようが、こちらが確保しようがどちらでも構わんと思っておる。バイオロイドの手に渡らんことが肝要、ということじゃ。よって、後は現場に任せる」 つまりは、そういうことか。 しかしレジスタンスもSAIも欲しがるカミアとは一体どんな人物なのだろう……。 ◇◇◇ 少し時を遡る。 サイバノイドの宿舎の六畳一間で背後にイヤな気配を感じて風見一悟は盛大なため息を吐いた。 いつの間に来たのやら、コットンシャツにGパンという軽装で、頬までかかる前髪を無造作に掻きあげながら男は楽しそうな笑みを浮かべて立っている。相変わらずノックは一切ない。彼が相手ではドアロックも意味をなさない。 サイバノイドナンバーズNo3――桜塚悠司。 半ば諦めたように一悟が振り返ると彼は今にもハグせん勢いで両手を広げてみせた。一悟は痛むこめかみをそっと押さえて吐き出す。「何の用だ?」「まぁまぁ、慌てなさんな」 悠司は空振りに終わった手をおろし一悟のベッドに腰を下ろすと長い足を組み、ゆっくりと部屋を見渡してから前置きもそこそこに言った。「SAIはレジスタンスにもコミューンに対しても圧倒的戦力を持っとる。せやのに、コミューンを根絶やしにせぇへんのは何でや思う? 言うとくけど出来へんからとかちゃうで?」「……?」 突然の問いに一悟が面食らっていると悠司は別段答えを期待していたわけでもないのか、さっさと続けた。「管理都市にとってコミューンは必要不可欠な存在やからや」「どういうことだ?」「コミューンは大事なバグの受け皿やからな」 彼の言うバグとは、管理都市にあって人がコンピュータに管理される事に疑問を抱いてしまった人間たちのことだった。この世界の人間は生まれた時に管理用チップを脳内に埋め込まれており、それを介し記憶をすり替えられ、現状に疑問を抱くことのないよう仕向けられている。しかし、バグを完全にゼロにすることは出来ない。往く所無ければ即ち固く、即ち戦う。故にコミューンやレジスタンスとは窮鼠猫を噛む前に用意された逃げ道だったというわけだ。「それを、学習するとはいえ、ただのコンピュータ風情が最初から理解しとるって変やと思わへんか?」「何言ってるんだ…それじゃぁ、まるで…」 一悟は背中に冷たい汗が滲むのを感じながら周囲に視線を馳せた。「安心せい。機械風情に盗聴されるようなへまはしとらん」 いつの間にか悠司の顔から笑みは消えていた。「もちろん、カグヤ様も知っとってそれを利用しとるんやろな」「……」 カグヤ様。最大規模であるFUJI〈富士〉コミューン総帥でありレジスタンスのトップの名だ。「己の記憶に自信がないんやったら俺が保証したるわ。SAIを作り運用していたこの国の支配者は12人おった。それがある日突然姿をくらまし、残ったSAIがそのプログラミングに則って支配を続けとる」 一悟は悠司の言葉に息を呑む。「したら、SAIを神にしたんは誰や?」 SAIのプログラムはあくまで人々の個人情報を管理・運用すること。だとするならSAIが自らをナギと称して12人に代わり人を支配することはない。しかし現実はナギ様ナミ様と神のように崇められている。「まさか…」「そうや。SAIの創設者には13人目がおる」「……」「SAIを壊さずプログラムを書き換える事の出来る唯一の人間」 そこで悠司は一度言葉を切った。その意味が一悟の全身に浸透するのを待って。「捜して欲しいんや。13人目――カミアを」 自分は動けない。だから外国人の手を借りて。*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・!注意!このシナリオは小倉杏子WRの「Hide and Seek of God」と、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによるシナリオへの複数参加はご遠慮下さい。*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・
ロストナンバーに問う。 もしも『世界が活力を失い、滅びに向かっているあらわれ』が単なる仮説ではなく、壱番世界の真実だとするなら、その時その真実を壱番世界の人々に伝えるか否か――。 ◇ 「先輩、送れました?」 生い茂る広葉樹の大きな葉が陽の光を遮り薄暗く続く獣道を前に金町洋はコンダクターの先輩、坂上健を振り返った。 「たぶん…」 何とも頼りなげな健の返事に洋は怪訝に首を傾げる。 「何か問題でもあったんですか?」 「ああ、うん…一応返信が着たんだけどさ…」 そう言って建はトラベラーズノートを洋に見せた。 「暗号…ですか?」 「うーん…」 そこには大きな黒丸の横に小さな黒丸がいくつか並んだものがワンセットとなって並んでいる。 「モールス…ではなさそうですね」 「誰に送ったの?」 村崎神無が尋ねた。 「ふさふさって奴」 そうして建は1枚の写真を取り出した。 「犬…かしら?」と神無。 「犬ですね」とジューン。 そこに写っていたのはしっかりカメラ目線でどや顔をキメている犬のどアップだった。たぶんこういうことだ。同じ人物を追うレジスタンス側のメンバーとカミアやバイオロイドの処遇について話しを通しておくためトラベラーズノートで連絡を取り合おうと思ったが、その使用には顔と名前の一致が必要でなため、顔を確認すべくレジスタンス側のメンバーの写真をクサナギから貰ったら、犬しか写っていなかった、と。恐らくその後ろに見える手とか足とかが他のメンバーと思われた。 「まさか…」 洋は健のトラベラーズノートを見返した。そこに並んでいたのはまごうかたなき肉球である。 「ふさふさ?」 洋が尋ねる。健はコクンと頷いた。 「しかし不思議ですね。我々ロストナンバーはトラベラーズノートを持っている限りどんな言語形態であっても意思疎通が出来る、と聞いていましたが」 ジューンは首を傾げている。 「じゃあ、やっぱり暗号なんですね!」 洋が意気揚々と腕を捲くった。とりあえず眉間に皺を寄せている健には「返事がきてるって事は届いてるってことですよ」と軽く請け負って。 「歩きながらにしろよ」 暗号の中身は気になるが、目下の優先順位は人探しが上である。健の言に慌てて本分を思い出した洋が地図を広げた。 「探索ルート、このようにしてみました」 クサナギのちょんぼのおかげで事前に一悟に会えなかったため、それは壱番世界の地図である。クサナギ曰くそれで事足りるという話だったので、とりあえずそれを使って洋が理系娘の本領を発揮したのだ。 芝刈り問題というのがある。数学の未解決問題の一つだ。 『未解決じゃダメじゃん』と健に突っ込まれたりもしたが、元は庭の芝を効率よく刈るための最短ルートを求める問題で、現時点での最短ルートというの存在し、ただ世の数学家たちは記録を更新すべく今も試行錯誤を繰り返しているという点で未解決なのだが――遭難者の救助なんかにも応用されているものだった。とはいえ遭難者は動かないがカミアは常に森を移動しているから使えないか、と思っていた洋にジューンが言ったのだ。 『先ほど洋さんはこう仰いました「原生林なら林床の植物も手付かずだろうから、下生えの痕跡に注意すれば」と。痕跡は動くのですか?』 洋は目から鱗でジューンを見返したのだった。 というわけで、健のオウルタン――ポッポの視界範囲から計算して効率よく原生林を塗りつぶしていく出来る限り短いルート割り出したのである。 「この分岐は?」 神無が尋ねた。 「ここは崖になっているので二手に分かれて進んだ方が効率がいいと思ったんです。もちろん、コンダクター組が下回りですよ」 洋はペロリと舌を出してみせる。万一出くわすのはカミアばかりではない。うっかりバイオロイドに出くわす可能性を考慮すると、戦闘力の高い者と低い者が分かれて動くのはあまり得策とは言えないが。 「了解です。何かあれば…」 言いかけるジューンに健が空を指さした。彼の頭上ではポッポが弧を描いている。 「トラベラーズノートよりもポッポが速い」 「はい」 ジューンが頷いた。 再度地図を確認し4人は原生林の中へと踏み込んだ。暗号と格闘中の洋が遅れないように健が最後尾を歩く。先頭を進むジューンに神無がずっと気になっていたことを聞いてみた。 「カミアさんのバイオロイド対策はジューンさんにも影響はないの?」 カミアはAPフィールドの他に、ECMも用意していると言っていた。ジューンはアンドロイドである。 「現在、アンチジャマーを展開、電子機器防護システムを起動しています。しかし、この世界の科学力が私のいた世界よりも高度であった場合、影響を受ける可能性を否定することは出来ません」 「なるほど」 神無は考えるように視線を落とした。もし、ジューンが何らかの影響を受けるのであれば、ジューンが万全の状態の時、カミアは近くにいないと考えることが出来るかと思ったのだが、断定は出来ないということらしい。 程なくして分岐地点へやってくる。ここまでにそれらしい跡はないし。 「現時刻9時18分。合流予定時刻10時25分」 全員が持っていた時計を確認する。 「あ、ジューンさん、手榴弾持ってってくれ」 「武装貸与はありがたくお受けします」 「じゃぁ、気をつけて」 「バイオロイドに遭遇しても無理をしないように」 「はいっ」 かくて4人は二手に分かれた。 ◆◆◆ 「えぇっと…?」 洋は状況の認識に今一度時間をかけてみた。 張り出した木の枝を掻き分けるようにして進んだ獣道で、いきなりバッタリ出くわした男を何度も見返す。こんなブッシュを歩いているせいか薄汚れ裾は破け、すっかりくたびれたトレンチコートを着た男が、同じように木々を掻き分けるようにして立っていたのだ。 ただ、「君たちは?」と尋ねる男は1人で歩いていたわけではない。かといって2人でもない。 「ふさふさ君に見えるんですけど…」 洋が言った。 「わんっ!!」 犬が元気よく応えた。 「もしかして、この犬の飼い主か?」 トレンチコートの男が尋ねた。 「「違います!!」」 洋と健は異口同音で力強く否定した。 ところ変わって獣道を抜け少し開けた場所に腰を落ち着ける健と洋と、それからトレンチコートの男と犬。 先ほどトラベラーズノートで連絡を入れておいたので、程なくジューンと神無も合流するだろう。 「さてと…」 と呟いて健は後ろから犬のこめかみ辺りにグーをあててぐりぐりと両側から押し付けた。 「ちゃあ~んと、説明してくれんだろうな?」 「わんっ!! わんわんわん!!」 必死で何かを健に訴えようとしているふさふさ。 「てめぇっ、みんなにはちゃんと伝えてんだろうな?」 「わんわん、わわん!!」 そんな1人と1匹を取り残して。 「私は金町洋っていいます。で、こっちが坂上先輩。えぇっと、カミアさん…ですか?」 洋が尋ねた。 「そうだ」 トレンチコートの男――カミアが頷く。 「どうして、ふさふさくんと?」 「岩に挟まって崖から落ちそうになっていたのを助けた。どうやら迷子らしい」 「わんわんわんっ!!」 何やらふさふさが抗議の声をあげる。 「さっぱり、わからない」 カミアは肩を竦めた。 ふさふさがノートを取り出し何やら書き込む。 「仲間の方が迷子になっているそうだ」 カミアが言った。 ふさふさはその隣でうんうんと頷いている。そんなふさふさを健は胡散臭そうな目で見返した。 洋は身を乗り出す。 「カミアさん、これが読めるんですか!?」 「ああ、簡単な法則だよ。この犬は論理的思考の出来る珍しい犬だ。素晴らしい」 カミアが言った。隣でふさふさがどや顔している。健は不審そうにふさふさを見返した。 「君たちが僕を知っているということは、君たちも僕を探していたのか?」 「あ、はい。私たちはサイバノイドに頼まれて…」 「サイバノイド? 桜塚か?」 「え? いえ、風見さんって人ですけど」 「風見? 確か…前に情報屋が話していた男だな。ということは、君たちもカグヤの迎えということか?」 「え? いや…えっと? それは本人に直接聞いていないのでわかりません」 「ふむ」 そこへ神無とジューンが合流する。後はレジスタンス側と合流してカミアを引き渡すだけだ。レジスタンス側との連絡はふさふさに頼んで、この機会に、ジューンの髪に呆気にとられたり、「私たちは外国人なんです」という言葉に驚いたりしているカミアに、早速4人は疑問をぶつけてみることにした。 ……。 「どうしてブナの原生林にいるんですか? 何か目的があるんでしょうか?」 洋が尋ねた。 「特にはない。ただ、人を避けていたらたまたまここを通ることになっただけだ」 「じゃぁ、どこかに向かっているところだったんですか?」 「ああ」 「どこに?」 「柱だ」 カミアの答えは簡潔だった。それ以上に要領を得ない。 「柱?」と首を傾げる洋に「そうだ」とだけ答える。「柱って?」と尋ねた時だった。 「バイオロイドを発見しました」 落ち着き払った声でジューンが言った。 「なにっ!?」 健が慌てたように身構え、辺りをキョロキョロと見渡している。カミア発見に気が緩んだのかポッポは傍らで羽を休めていたのだ。 「そこまで近づかれてはいませんが」 ジューンが半ば呆れたように指摘する。 カミアがのんびりと立ち上がる。 「そういえばどうしてカミアさんはバイオロイドに狙われているんですか?」 洋が聞いてみた。 「それはもちろん…」 「もちろん?」 「そのようにプログラミングしたからだ」 「誰が?」 「僕がだ」 ……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? 「バイオロイドはどこ?」 神無がジューンの隣に並ぶ。 「あそこです」 ジューンが指差した。 「え?」 それを一同が仰ぎ見る。 ……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? バイオロイドは巨大化した少女の手のひらの上にいた。 「どうやら、ふさふさ君の迷子さんたちはあそこにいるみたいですよ」 洋が指差した。 「わんっ!!」 「バイオロイドは私とジューンさんでひきつけます。その間に健さんと洋さんはカミアさんを!」 神無が言った。 「らじゃー」 健が応える。 「行きましょう」 洋がカミアを促して、5人と1匹は巨大化した少女――ゼロに向けて動き出した。 「バイオロイドは破壊していいのですか?」 神無が確認するように尋ねた。 「構わない。所詮機械だ」 カミアが答える。 「何のためにバイオロイドに?」 狙われるようなプログラミングをしたのか聞いてみた。 「性能確認だ。どれだけ人に近づけたかを見るための」 「どうしてそんなことを?」 「その話はカグヤも交えてゆっくりするとしよう」 「…」 ◆◆◆ ゼロが手の平の上で確保しているバイオロイドは一体のみらしい。レジスタンス側の2人が残りのバイオロイドと交戦中だったが程なくして静まった。 神無とジューンは慎重にそこへ足を運ぶ。 一方。 「わふっ?」 突然ふさふさが足を止めた。 「どうかしたのか?」 後ろを歩いていたカミアが問いかける。 その時だ。 「カミア、渡さない!!」 言うが早いかライオンヘアーのアマゾネスを思わせるような女性――ルンが自分よりも背の高い男を軽々と小脇に抱え奪い去っていった。 「えーっと…」 呆然と取り残される健と洋と、それからふさふさ。 サイバノイドには絶対渡さない勢いのルンは、カミアをサイバノイド側が確保したと勘違いし奪い去っていったのだ。つまり、レジスタンス側に引き渡すつもりでいたこちらの意図は… 「全然伝わってねーじゃねーかっ!!」 と怒鳴りつける健だったが、もちろんふさふさはそれどこではない。ルンはカミア以外には脇目もふらなかったのだ。ふさふが視界に入っていたかも怪しい。 「置いてかれてるけど?」 優しく言って洋がルンの消えてった先を指差した。 「わんわんわおーんっ!!」 ふさふさがその先を目指して走り出す。 「頑張ってね~」 洋がその尻尾に手を振った。 ◆ カミア確保の報を受けてか、ゼロが縮小。手の平の上に乗っていたバイオロイド――諏訪は放置。レジスタンス側はカミア確保と同時に撤退するようだ。 諏訪は当然それを追おうとするが、レジスタンス側はその相手をする気はないらしい。 健と洋は頷きあって走り出すと諏訪の行く手に立ちはだかった。 「待って! 聞かせてください!!」 時間稼ぎも兼ねて、洋は先ほどから抱いていた違和感をぶつけてみる。カミアがバイオロイドに狙われていたのが彼のプログラミングによるものだとして、ならば『導きの書』に記された、彼がバイオロイドに拘束されるというのはどういうことなのか。 「どうして彼をつかまえようとするんですか?」 「どうして?」 諏訪は不思議そうに首を傾げる。そんなこともわからないのか、と言わんばかりに。 「あの男はナギ様の監視下においとく必要があるんでね」 説明するのも面倒そうに諏訪が仕掛けようとする。 そこへ、もう一体のバイオロイド――出雲を倒したジューンと神無が合流した。 「よかった…」 あからさまにホッとする洋を、なんだか納得のいかない面持ちで健が振り返る。 対峙するバイオロイドと4人。 「ちっ…次から次へと何なんだ。出雲は使えねーし。ま、サーモグラフィなんてそもそも夏になったら全然使えないけど」 ぶつぶつと諏訪が呟く。 先ほど戦った出雲もそうだが、AIのくせに他者と自分を比較してそのスペックを誇ったり妬んだりする。一体どういうプログラミングを、と思って神無はハッとした。 まさか――。 カミアは言った。どれだけ人に近づけたか、と。 神無は先ほどの会話を思い出す。 『桜塚さんを知ってるの?』 桜塚悠司。以前、神無は彼に管理都市TOKYOを案内してもらった事がある。自分を戒めた手錠を、彼は何も聞かず、勝手に外したりもせず、ただ人から見えなくした。悪い人には思えなかったのだ。 尋ねた神無にカミアはもちろんと応えた。そして彼は自分のことを恨んでいるだろうと続けた。 『恨む?』 『君はコンピュータが人間にどうしても勝てないものはなんだと思う?』 唐突ともいえるカミアの問いに洋が自信なさげに答えた。 『勘…とか?』 『正解だ』 カミアが言う。直感やインスピレーションがないと。そして彼は続けた。 『SAIはそれを補うためのバックブレーンに人間の脳を使っている』 不測の事態に瞬時の判断をするためのバックブレーン。 『貴様っ!! 自分が何言ってんのかわかってんのかっ!?』 健が激昂しカミアの胸ぐらを掴みあげた。だがカミアは顔色一つ、表情一つ変えず淡々と続けるばかりだ。 『ナギに使われたのが桜塚悠真、ナミに使われたのが桜塚悠亜』 神無は息を呑む。SAIのシステムを維持するために、SAIのシステムを守る最強の盾が必要だったのだとカミアは言った。それではまるで、桜塚悠司を得るためにその弟妹達を使ったみたいだ。 『あんたをSAIの前に引きずってったら、2人は助けられんのかっ!?』 健の絞り出すような声。 『無理だ。確かに僕はSAIを作ったメンバーの1人――兄からSAIのマスターコードを継承している。だからバックブレーンをSAIから切り離すことは出来るが…そもそもバックブレーンには脳以外の肉体がない』 『っっ!!』 桜塚悠司が機械風情と罵りながら守り続けていたのは…。 『バイオロイドとかに移植は出来ないんですか?』 洋が尋ねた。 『少なくとも僕には出来ない』 『…それを、桜塚って奴は知ってるのか?』 健が聞いた。実際にはそれほど長くはなかったのだろう沈黙の後、カミアが答えた。 『…とはいえ、聡い彼のことだ。薄々は感づいているだろう』 健はゆっくりとカミアから手を離した。 バイオロイドのAIはナギとナミのAIが流用されていると言っていた。もしかしてこのバイオロイドたちにはバックブレーンである2人の思考がコピーされてるんじゃ…。 諏訪は自分を取り囲む4人を順に見て、洋の前で視線を止めた。弱い部分に火力を集中させるのはセオリーか。 洋が身構える。 「舐めてもらっちゃ困りますよ」 トラベルギアの白衣は最強強度になっている。 諏訪の足元の土が舞った。 洋の方へ2歩進んだかと思うと踵を返して頭上で腕をクロスする。そこに振り下ろされたジューンの拳をブロックするためではない。力に力で当たらず相手の力を利用するために。そのまま内側の左手でジューンの手首を掴んで彼は後ろに飛んだ。 突き出した拳の勢いのままジューンが引っ張られるような形で前にバランスを崩す。目視する必要がない彼がわざわざ4人を見て洋に目を止めたのはジューンを誘ってのものだったか。 サーモグラフィと違ってエコーロケーションは想像以上に厄介そうだ。 崩れたジューンに足払いをして後ろを取る。だがジューンの脹脛に膝をついただけで彼は握った右手の拳をジューンの背中に下ろすことはしなかった。自らの頭部をガードしている。そこに健のトンファーが叩き込まれたからだ。右腕の骨が砕けるような音と共に諏訪は顔を歪めた。 「ぃってぇーーーっっ!!」 どすのきいた声で雄叫びをあげる諏訪に健が間合いを開けるように退くと、諏訪はその膝でジェーンの足を潰してその機動力を奪ってからゆっくりと立ち上がった。痛みを堪えるように右腕をさすりながら健を睨み付ける。 健はそれに気圧されたわけでもなかったが半ば呆然と固まっていた。 バイオロイドが痛みを感じることも、痛がることも、想像外だったからだ。痛みは肉体の限界を知らせるストッパー、と考えるなら、バイオロイドにそういう機能が付いていたとしてもなんら不思議ではない。それでも、単純にびっくりしていた。 バキボキという嫌な音とコポゴボっという骨が擦れるような音をたてていた諏訪は、程なく感触を確かめるように右腕を回して、手の平を開いたり握ったりした。彼らのもつ強化細胞は治癒能力も尋常じゃないということか。 健は小さく息を吐く。 瞬間、彼の頬を何かが走った。 反射的に動いた場所に諏訪の拳が叩き込まれる。 かろうじてトンファーでブロックしたが健はそのまま後ろに吹っ飛ばされブナの木に強かに背をぶつけた。 間髪入れず諏訪の回し蹴り。 身を屈めてかわしながら健がトンファーで軸足を払う。 すると諏訪は軸足まで蹴り上げた。トンファーが空をきるのに健は地面を転がるようにして退く。 諏訪が木を蹴ってそれを追った。 叩き込まれるエルボーをかわすように転がって健はうつ伏せになった瞬間膝をたてて回転するように起き上がった。 「っ!?」 赤いものが走った。健の血ではない。起き上がる時に彼はトンファーの持ち手についていたボタンを押していた。トンファーブレードが健の体を軸に弧を描き追撃する諏訪の腕を裂いたのだ。 諏訪が間合いをとる。 痛みを感じる上に流れる体液は赤か。健は内心で舌を出しながら仕掛けた。打撃に対しては怯む様子もなかったが切断には弱いのか。とはいえ浅い切り傷は次の瞬間には消えているのだが。 防戦一方となった諏訪に健は調子にのったように攻撃を繰り出す。 かわすばかりでブロックも出来ない諏訪の口の端がわずかにあがった。 健が右のブレードを左に凪ぐ。諏訪が左にかわした。予想通り。それを追うように左のブレードを突き出す。右に出来た隙に諏訪が飛び込んだ。 諏訪が健の鳩尾に拳を突き出す。 そこまで予測して健は地面を後ろへ蹴っていた。 腹ばいに飛んだ健が、しかし地面に落ちることはない。 そこに滑りこむように入れ替わったジューンが諏訪の腹に右手を突き込んだ。 「っっ!?」 次の瞬間、諏訪の腹に埋め込んだC4が爆発した。 「ジューンさん!! 右腕っ!!」 洋が声をあげる。 今、洋はトラベルギアの白衣を着ていない。ジューンの左足に巻きついているからだ。潰された彼女の足を補強するためにトラベルギアを巻いて硬化したのである。ジューンがあっさり足を潰されてみせたのは、諏訪の意識下から消えるためだった。出雲との戦闘で学んだ布石だ。 「問題ありません」 ジューンは大したことでもないように答えた。 「やったのか?」 健は諏訪を見た。 「!?」 緊張が走る。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 抉れた腹を押さえながら諏訪は立っていた。血管がのた打ち回る。爛れた内臓は焼け嫌な臭いをまき散らせている。スプラッタ映画を見ているようだ。だが、少しづつ千切れた筋肉繊維が戻っていく。強化細胞の増殖再生能力が勝るのか。痛みに気を狂わさん勢いで諏訪が絶叫した。 「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 ゆっくりと歩き出す。 こちらへ向けて。 布石は、もう一つある。 「神無さん」 ジューンが落ち着き払った声でその名を呼んだ。最初から、彼をそこへ誘導するのが目的だったのだ。 「ありがとうございます」 神無が答えた。 どこを破壊しても再生してしまうのであれば、AIと肉体を切り離しそのAIを壊すほかない。 神無は静かに刀を抜いた。 諏訪の首を一閃しその額を刀で刺し貫く。 『あ、あの…』 遠慮がちに神無はカミアに声をかけた。 『何だ?』 『神様って…どう思いますか?』 『神? 何故?』 不思議そうにカミアが首を傾げている。 『私は神無といいます。その、カミアさんと名前が真逆だったから…』 神が無いと書いて神無。神が在ると書いてカミア。すると。 『ああ、僕の兄と同じ名か』 『え?』 SAIのシステムを作った人と同じ名前。 『神とは信じる者の心に存在し、信じない者の心には存在しないものだ』 カミアが言った。 ずっしりと重みを感じて神無は膝をついた。手のひらに残るのは肉を裂く感覚だ。拭っても拭っても消えない感覚だ。頭上から降り注ぐ赤い雨は地面に吸われ土に還る。 神無は静かに刀を鞘に戻した。 ◆◆◆ 以前、ここに来た時、仲間の一人が言っていた。 この世界は壱番世界の縮図のようだと。 『えっと、さっきの話だと、カミアさんがSAIを作ったわけじゃないんですね?』 洋が尋ねた。 『ああ、SAIを作ったのは兄たちだ』 『SAIってすごく穴のあるシステムだと思うんですけど』 からくりが分かってしまえば神の不在を証明してしまう危ういシステム。もっと他に何かなかったのだろうかと洋は思ったようだ。 『確かにそうだ。だが、あの短い時間ではこれが精一杯だったということだ。だから、カグヤと桜塚が用意されたともいえる』 バグの受け皿となったカグヤ。バグキラーとなった桜塚。この2人がいて初めてSAIのシステムはシステムとして完成する。カミアの言葉に神無は何かひっかかるものを感じて眉を顰めた。カミアがSAIのシステムを作ったわけではない。しかし彼はSAIを支持しているように見える。と、するなら、カミアとレジスタンスを率いるカグヤはもしかして対立関係にあるのでは。だが、カグヤはSAIのシステムを完成させるパーツの一部だ。 そしてカミアはカグヤの迎えについていこうとしていた。 『SAIのシステムってそんなに大事なんですか?』 洋が聞く。2人の子供とその兄を犠牲にしてカグヤまで巻き込んで、そこまでして維持しなければならないものなのか。 『知らない方が幸せなこともある。たとえば君は自分がいつ死ぬか、知りたいと思うか?』 『え? ど、どうだろう?』 考え込む洋にカミアは別段答えを期待しているわけでもなく。 『見解は分かれるところだ』 あったはずの外国は今はない。何故?――それが滅んだからだと仮定するなら。 この世界は滅びようとしているのではないか、と神無はふと思う。 それが真実だとして、真実を知る者は真実を知った者がパニックを起こさないようにSAIというシステムで真実を覆い隠しているのだとしたら。 その影で真実を知る者は滅びを防ごうと奔走しているのだとしたら。 この世界はまるで壱番世界の縮図のようだ。 カミアの言った柱とやらが何か関係するのか、バイオロイドを人に近づけることに何の意味があるのか、それはレジスタンス側がカミアをカグヤの元へ連れていった時にわかるのだろう。 ただ、そうだとするなら。 SAIのシステムを破壊するということは、何も知らない人々に滅びの運命を知らせるということだ――。 ◆◆◆ 一悟の元へ報告に向かう カミアはレジスタンスが確保した、と。 一悟は「そうか」と困ったように笑っただけだった。 そういえば、と健が一悟に声をかける。 「サイバノイドがやる事って、SAIに筒抜けって聞いた気がするんだけど?」 ここでこんな話をしていて大丈夫なのか、ということらしい。 「どこで聞いたのかは知らないが、それはないさ。特にこの件に関してはな」 「それって、桜塚って人が関わってるから?」 サイバノイドのNo3。インターフェイスであるバイオロイドを介さずに直接SAIと対話が出来る唯一の人間。 頷く一悟に。 「……その桜塚って人のことなんだけど…」 健は言い出しにくそうに視線を彷徨わせる。 『…それを桜塚って奴は知ってるのか?』 健の問いにカミアはこう答えた。 『知っていたら――とっくにSAIは彼の手によって破壊されていただろうな』 SAIのシステムを破壊するということは…。 「その…」 ロストナンバーに問う。 もしも『世界が活力を失い、滅びに向かっているあらわれ』がプラットホーム化に於ける単なる仮説ではなく壱番世界の真実だとするなら、その時その真実を、あなたは壱番世界の人々に伝えますか――? ■完■
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