ブルーインブルー辺境で「人魚の姫」が発見されたことによってはじまった一連の展開は、消息不明だった海賊王子ロミオが古代文明の遺産である戦艦を手に帰還するという予期せぬ出来事も含め、大きな動きを見せようとしていた。 世界図書館のロストナンバーたちは、ロミオと協力して人魚たちの国を救援する一方、敵対種族である魚人たちの都市へ特務部隊を派遣することを決定した。 これまでに得られた情報から、かれら――アビイス族の侵略行為は、アビイス族の王が「世界計の破片」を入手したことにはじまるらしいことがわかったからだ。 アビイス族の王都「最も深き都・ヌ=ンヴヴ」は深海に存在する。海溝の中に築かれた都市は、ブルーインブルーの古代文明の遺跡を利用しているのだという。特務部隊の任務は、ひそかにこの都市に潜入し、世界計の破片を奪取することである。 * * * 任務に参加することになったのは6名である。 もっとも、NADは物理的な肉体を持たないため、実質的には5名で臨むことになる。 NADからは物理的な形での助力を得ることはできない。そのかわり、ロストナンバーを含めた、探索地域内に存在するものの思考から情報を収集し、各員に知らせることはできる。 ひとつ、大きなアドバンテージであるのは、5名が帰還できなくなっても、NADによって確実に情報を持ち帰れるという点だ。 ジョヴァンニ・コルレオーネと吉備サクラは、さいはて海域の戦いで図書館側が得た、アビイス族の捕虜に会った。 サクラは種族の特徴をじっくりと観察するために。 ジョヴァンニは潜入にあたってこの捕虜を利用するために、である。「君は王の力の正体を知っているかね。王の異変は深海に光る星が流れた直後……違うかね? それは元々儂が所属する組織の管理下にあった物。しかも欠片であって完全体ではない。己が力の全貌も知らず突如降って沸いた異能に酔うとは笑い草じゃの」 ジョヴァンニは挑発まじりに、話す。 話す内容は嘘ではなかった。「儂はその不安定な力を盤石に置く法を知っておる。君が望むなら王が取り込んだのと同様、否、それ以上の力を授けて高御座へ押し上げる事も可能。生き字引を得て捕虜の失態を雪ぐ、悪い話ではあるまい」 そこから先は多少、虚実ないまぜになるが、要は、破片をダシに王と面会をとりつけるつもりだ。 捕虜がすべてを信じたかはわからないが、案内と取次は約束させた。 ただ、通信機のような、直接的にヌ=ンヴヴと連絡をとる手段がないため、事前の約束はできない。捕虜とともに歩いて訪問することになる。 捕虜と5名は深海へ。 サクラからは、彼女の視界内であれば幻覚を用いて姿を変えたり、隠したりといった点で協力ができると申し出があった。 晦も、自前の能力で姿を変えて動くつもりだと表明がある。 碧からは、アビイス族が視界以外の感覚に長けている可能性に警戒すべきという指摘があった。サクラも同意する。 スピアは、自分は正面から訪問をする構えだと告げる(正確にはテレパシーでそう伝えてきた)。そこで、捕虜を連れたジョヴァンニとスピアが訪問する一方、残りの面々が姿を隠して潜入することになった。 海溝の底を埋めるように、都市は広がっている。 おそらく海底の岩盤から採ったと思われる石材を組み上げた建造物が立ち並ぶ。 発光する植物のようなものが随所にあって、青白い光に都市全体が照らされていた。 海中であるので、都市は立体的に構成されているようだ。アビイスたちが縦横無尽に泳ぎ回っているのが遠目にわかる。 アビイス族の姿になった晦が、海溝の断崖に沿うようにして、そっと町はずれに降り立つ。 傍にはサクラと碧がいるが、彼女たちはサクラの幻覚で姿を消している。それでも警戒を怠らなかったこと――とりわけ、視覚で騙しおおせるとは限らない点を考慮していたのは正解だった。 アビイスの、子どもが、ひとり。 ふたりの姿が見えないはずなのに、彼女たちの方をじっと見つめ、移動に合わせて目で追っていた。 晦が、アビイスの姿で、近くを通ると、子どもは気がそれたようだった。「海流だ」 碧が、そっと囁いた。 ここは海中。周囲はすべて水で満たされている。なにかが動けば水は動く。都市に灯りがあることから、アビイスも視覚を重視していることは間違いなかろうが、かれらが「流れ」によって周囲の状況を察知できることも間違いない。これからはいっそう気をつけなくてはならないだろう。 遠くから見た限りでも、都市の随所には、サメやダイオウイカに似た海魔を連れ、武装したアビイスの姿がある。 ただ、思ったより警戒は厳しくはないようである。ここまで攻め込まれることを想定していないのだろうか。 巨大な海魔も見当たらないので、そういったものは別の場所で飼われているのかもしれない。 このぶんなら、晦たちはこのまま市街地に歩み入ることはできそうだった。碧が、水の流れを読んで下流側から経路を示した。かれらは大通り――とでも呼べばいいのか、大勢のアビイスが行きかうあたりへ近づく。 晦が耳をそばだてたが、行きかうアビイスの会話は、日常的なものばかりで、王に言及するものはないようだった。サクラは、過去の報告書に見られる魚人型の海魔とアビイスが違うものか近縁のものなのか、観察をしていたが、姿はともかく、アビイスはずっと知的な種族であることは間違いないと思われた。ここには、あきらかに文明的な「暮らし」が見てとれたからである。 ひとまず、町の中心を目指してはどうか、と晦は提案する。 王の居所がわからないが、重要な施設は町の中心部にあるものと推測されるからだ。 一方、ジョヴァンニたちは、サメ海魔を連れたアビイス兵に取り囲まれている。 ジョヴァンニと捕虜が意向を伝えるも、どう判断したものか、兵たちは困惑しているようだ。 その間――、スピアは慎重に周囲を観察している。魚人や人魚のいる環境は、彼女の世界にひどく近い。しかし似て非なる世界だ。ブルーインブルーにおいても、かれらと敵対するかどうか、まだ決定打を持っていない。 そんなスピアの思考が、突然の殺気に中断される。 鍛えられた身体はなかば無意識に動いていた。避けたのは……ジョヴァンニが抜き放った仕込み杖の刃である。 スピアは声をもたない。何故、とただ思念で問う。「一戦交えて恐ろしさがよくわかった。どちらに味方した方が得かという事も」 ジョヴァンニは応えた。 そして第二撃。 スピアは鮮やかにそれをかわし、さらにはするりとアビイスの包囲を抜けて泳ぎはじめた。 兵士の半数が、スピアを追う。 ジョヴァンニが残ったアビイスを振り返った。「見てのとおり、儂は君等に味方するために来たのだ」 いっそう戸惑った様子のアビイスへ、「冷静に考えたまえ。儂は一人、君等は万軍。囲んでしまえば手も足も出ん。投獄も処刑もご随意に。その上で王に謁見を賜りたい」 と告げる。 視界の端で、スピアがアビイス兵に追われて都市へと消えるのが見えた。 ここへ来る前に、彼女からは全員に「もし自分が囚われても自力でなんとかするので救出不要」との話があった。こんなに早く、そのような状況になるとは、彼女自身も予測しなかったのではないか。「御会イニナルカドウカハ陛下ガオ決メニナル」 アビイスが言った。「ダガ、報告ハセネバナラヌ。来ルガイイ」====<ご案内>====このシナリオに参加が決まった方は、5月1日までに、「潜入の方法と、潜入後、最初に行う行動」をプレイングとして記入して下さい。全員のプレイングをもとに、5月2日中にOPが加筆され、みなさんの初期状況があきらかになります。「無事、潜入できた状況で、確認できた都市の様子が描写されたOP」になることもあれば、「潜入が露見して捕らえられた状況のOP」になることもありえます。ご参加のみなさんは必ず加筆されたOPを確認のうえ、その後の行動を締切日までに正式なプレイングとしてお書き下さい(最初のプレイングは加筆が行われるまではそのままにして下さい。加筆後はすべて削除していただいて構いません)。!注意!このシナリオに参加が決まった方は、イベント「リーフディア奪還戦」には参加できません。<5/2追記>OP情報が加筆されました。このOPをもとに、プレイングをお願いします。初期プレイングは記録しており、描写に反映されていない部分(心情部分等)も本編ノベルには加味する予定です。=============
1 「やっぱり、視覚だけじゃなかったですね。それなら素直に――」 市街地に侵入したサクラたち3人。 ここまでサクラが幻影で自身の姿を覆い隠していたが、 「アビイス族の幻覚を被った方が侵入しやすそうな気がします」 「姿を完全に隠すよりアビイス族の姿に見えるようにした方がよさそうや」 と晦のほぼ同じ意見が、サクラの言った言葉にかぶさった。 もとより晦は姿をアビイスのそれに変化させている。 この際、3人ともその姿になったほうがいいだろうというわけだ。 「それで、はやく王宮に侵入しましょう。サメ海魔みたいな大きな敵は宮殿に入れなさそうですし、屋内のほうが万一の場合もむしろ戦いやすそうです」 「同意見だ」 碧が頷く。 「せやな」 「窓とか裏口とか確認して、そこから忍び込みません? 玉座の間って絶対宮殿の奥にあると思いますし、中にさえ入れたら後は何となく行けないかなって思います」 3人の意志統一はすばやかった。なんとなく、互いの考えが読めるように感じられ、奇妙にスムーズなのは気のせいか、あるいは…… 「……NADはん」 晦は、「もう一人のメンバー」へ、どこへともなく声をかける。 肉体をもたぬ、精神だけの存在。今もこの状況を認識しているのか。 「王さんの居場所がわかるか?」 (わかる。ナビゲートしよう) 頭の中に、そんないらえがあった。 「頼むわ。なんか異状あったら、報せてくれるとありがたい」 (何をもって異状というかにもよるけれど。一応、伝えておくと、ジョヴァンニ・コルレオーネがスピアを攻撃して、アビイスとともに宮殿へ向かっている) 「なんやて!?」 「何故」 晦が驚き、碧が眉を寄せる。 「王に近づくための作戦でしょうか」 と、サクラ。 「活動している世界計の欠片は生体を好みます。世界計の欠片が王に戦争を示唆したなら。王はもう半分以上欠片に支配されて、殺さなきゃ取れない可能性もあります。そう考えたから、ジョヴァンニさんは1人で先行されたんじゃないでしょうか。それなら私達も早く行って、せめてジョヴァンニさんが安全に城から脱出できるよう迎えに行かないと」 「スピアはんは?」 (それはこちらで引き受けよう。いささか気の毒だしね) 「なら頼む」 3人は、王宮へ向かって、慎重かつすみやかに移動を始めた。 サクラと碧も、外からはアビイスに見えているが、実際の肉体との相違があるため、接近されると水流によって気づかれないとも限らない。そう考え、身体形状そのものを変化させている晦がリードをとり、アビイスたちには不用意に近づきすぎないルートをとって移動する。 ジョヴァンニ、そしてスピアは無事か。世界計を抱えたアビイスの王はどのような状態なのか。気持ちは逸る。 そんなかれらを「見送り」、あるいは「見下ろし」ながら、NADと呼ばれる存在は思考を巡らす。 (さて――。どのように采配すべきだろう。願わくば良い食事を。ここで得られうる感情の質量の最適化をはからなくては。図書館が介入した以上、アビイスの現体制は終わりだ。ならばその変化を前提として私にとってもっとも都合よく事態を推移させる必要がある) NADの感覚――見えざる超感覚の触手とでもよぶべきものが、深海に築かれた都市をくまなく這い回り、調べてゆく。 喰らうべき感情、あるいはそれを生み出す人格を見つけるためだ。 (おっと、そのまえに、仕事があるのだったな) 精神生命体の知覚は、深海の都市の一画にさざめく感情の粒を見つける。 ぷちぷちと弾ける、シャンパンの泡のような闘争心と義務感。そして、研ぎ澄まされた怜悧な意志。 スピアだ。 (……魚人とはどうあっても敵対する運命らしい) 内心でそんな嘆息を漏らしながら、スピアは手の中にパスホルダーを召還する。そこから槍型のトラベルギアを取り出し、追いすがるアビイスの一人に突き出した。 鋭い穂先に鱗の肌をえぐられ、アビイス兵の血が海中に散る。 ほかのロストナンバーと違い、スピアにとって海中はホームグラウンドのようなもの。後方からアビイス兵が矢を射掛けてきたが、ひとつとして命中することはなく、滑るようななめらかさで彼女は泳いだ。 (敵を欺く演技だったかもしれないが) 先ほどの、ジョヴァンニとの一幕を、泳ぎながら思い返す。 (事前にことわりのなかった以上、現時点では寝返ったものと考えて行動せざるをえない) 裏切りが真実である可能性がゼロではないなら、そう判断しなくては、スピアのほうがリスクを負うことになる。結論。次に会ったらすみやかに無力化する。そう記銘したうえで、目下の事案に意識を引き戻した。 石灰石の都市の壁を蹴り、ターン。 眼前に、アビイス兵たちの群れ。 客観的には都市のはずれまでスピアが追い詰められたように見える。だが。 わっと一斉に飛び掛ってくるアビイスたち。スピアも動いた。彼女の手のなかですばやく回転した槍の切っ先が2人の兵士の喉をかき切り、空いたところからするりと包囲を抜け出すスピア。魚そのもののようなすばやさで、細い路地のなかへ飛び込む。慌てて追うアビイスたちだが、狭い路地に殺到しては動きが鈍る。案の定、最初に飛び込んだ一人はあっという間に返り討ちにあうのだった。 2 「陛下! 都市ニ侵入シタ地上人ヲ捕獲シマシタ!」 ジョヴァンニが連れてこられたのは、石造りの王城の奥である。 ここまでの道のりで、ジョヴァンニは面白いことに気づいた。もともとこの都市は海溝、すなわち海底の谷間に築かれているが、中でも、城は都市のもっとも低い位置にあった。通常、王城と言えば、城下を見下ろすような高所に建設されるのが普通だ。高い位置にあることは戦略的にも優位だし、それによって権力を象徴する意味もある。 だがアビイスの城はそうではなく、さらに、王の居所は、建物のさらに深部にあったのだ。 どうやらアビイスの文化では「より下方にあること」が、尊いことであるようだ。深海の種族ならではの考え方である。 「地上人だと……」 ぎょろり、と冷たい魚眼がジョヴァンニを見る。 ジョヴァンニは、さっと膝を折って、礼を示した。頭を垂れながらも、目では石の王座に沈む巨体を観察する。 「ふむ。ネレイスの女王の娘どもが、地上人に助けを求めたとは真であったか。愚かなことだ。地上人に何の力があるというのだ。この偉大なアビイスの、さらに偉大なる王――この我、ダール・ヌィ・ダグヌン8世の前にどのような力が!」 ダール、という名なのだろうか。 アビイス族の王は、まず、非常に大柄な男であった。 そして他のアビイスに比べると全体に肥満している。そのため、魚人というよりは、手足のある魚、あるいはクジラと言ったほうが形容しやすい。 そのクジラ人が、魚の骨や貝殻などでつくったとおぼしき飾りものを全身に身につけているのは、ジョヴァンニの目にはなにかの醜悪な戯画のようであった。 「さて、それは如何でしょうか、陛下」 ジョヴァンニは言った。 「なに。なんと申した、地上人」 「陛下は何故、此度のネレイスとの戦に乗り出されましたかな」 「決まっておろう。ネレイスのしろしめす地は、実りゆたかな豊穣の海。それを滑るは長年、われらが王国の狙いであったゆえに」 「ならば、フルラ=ミーレを手中にされた暁には? その先の展望を陛下はお持ちか」 「我が授かりし力をもてば、その先の海をも支配すること容易かろう。さよう、地上人の暮らす乾いた地すらな」 ダール王は笑った。 ジョヴァンニはふむ、と顎をなで、そして、続けた。 「なるほど。ですが陛下。海のうえを……この世界の大半を支配しているのは人類――地上人ではございませんか。よいですか、陛下。すでにリーフディアに向かって地上人は海を潜れる巨大な鋼鉄の船に乗り、戦を仕掛けているのです。率いるは海賊ロミオ。ロミオはネレイスとアビイスの戦の漁夫の利狙い、両種族を同時に滅ぼし支配する算段。貴国の民はロミオの、否、人間の奴隷となる。リーフディアを落としたら次はここじゃ」 講釈師もかくは、といった様子で滔々とジョヴァンニは語る。 話の内容は途中から事実とはだいぶ異なったものになっていたが、それがかれらにわかろうはずもない。 「我らが地上人の鉄の船とやらに負けるというのか?」 「フェルムカイトス号は一撃で国を滅ぼす事も可能な超兵器。戦艦の脅威に対抗するには海の種族同士が内輪揉めしとる場合ではない、一時的にでもネレイスと同盟を組んで抗戦すべきでは」 「ネレイスどもと手を組めとは面白いことを言うな。先ほどから聞いていれば愚にもつかぬことをぺらぺらと。おまえは地上人ながら我が王国の力を知り、下ったと聞いたが?」 「左様。なれど、かの戦艦は決して侮れぬものだと申しておるのです。そして、敵はネレイスなどではなく、あの船であると。ゆえに陛下。ロミオを破り、あの船を手に入れれば、王国はさらに磐石なものになりましょう。御稜威の具体となさるのが得策かと」 「ふむ。それほどのものだと言うのか」 ダール王は大儀そうに身じろぎしつつ、ジョヴァンニの話を聞く。 話す間も、ジョヴァンニの目は油断なく王の身体を見つめている。どうにかして、「破片」のありかを探らねばならない。だが目に見える範囲ではわからなかった。 世界計の破片を体内にもつものは尋常ならざる治癒・再生の力を持つ。破片の箇所を特定し、回復するスピードより早く、摘出しなくてはならないのだ。ジョヴァンニの剣なら、場所さえわかれば破片をすばやくえぐりことはできるだろうが、特定せずにやみくもに斬りつけている暇はない。 「時に陛下。陛下は世界図書館をご存知か」 「何。それは何か」 「……。陛下が授かられたという力をもたらしたものです」 「何を言う。我はこれを天をより授かったのだ。これにより我は『理解』した。『禁断の地』にかつていた『祖なるものたち』は自らを無に帰した。ゆえに『禁断の地』は『禁断の地』と化した。我らが王国の繁栄は、力と知恵を極めぬことこそ肝要である」 ジョヴァンニの問いは、破片の影響を調べるためだった。 だが王の回答は謎めいたものであったのだ。 「だがそなたの言う鉄の船は興味深い。我はその力を見極めようぞ。『禁断の地』に同じく、過ぎたるものであれば封ずればよい。それほどでなければ、そなたの言うとおり、我がものとしようではないか。それはリーフディアを滅ぼし、この地に至ると言うのだな。面白い。我はそれを待とう。それまでそなたはここに居れ、その言葉が偽りではない証にな。捕えい!」 「!」 アビイス兵が両側からジョヴァンニを捕えようとする。 だがそのとき、謁見の広間の外から、慌しく騒がしい気配が近づきつつあった―― 3 少し、時は遡る。 都市辺縁の、狭い路地が入り組んだ地域では、スピアと追っ手の兵士たちとの戦いが続いていた。 多勢に無勢と思われたが、スピアは地形を巧みに利用し、着実に兵士を確固撃破していく。 今も、鋭く投擲された槍が、2人を同時に刺し貫く。すばやく泳ぎ寄り、敵を蹴りつつ槍を引き抜くと、上方から襲いくる敵をみとめ、迎え撃つべく上昇。すれ違いざまに回転させた槍の穂先は相手の腕を斬り落とした。 海中にアビイスの血のにおいが広がってゆく。 次々に仲間がやられて、兵士たちの士気が落ちてきたのを察すると、スピアはかれらにテレパシーで声をかけた。 『次に死にたいのはどいつだ?』 音として耳で聞いたなら、それは落ち着いた、それだけにいっそう凄みのある声であっただろう。 ざわり、と兵士たちが躊躇を見せる。 『こんな所まで追ってきて馬鹿な奴らだ』 スピアの念話がさらに畳み掛ける。 『今頃あの爺が仕込み武器で王の首を刈る頃だ』 それはむろん彼女のブラフであり、しかしある意味、事実でもあった。ジョヴァンニは王の懐に飛び込むために演じたのだから。そしてスピアは兵士を動揺させ、退かせるためにそう言ったのであったが。 「イカン」 アビイス兵たちの様子がおかしい。 「王ガ危ナイ」 「戻レ」 「王城ヘ」 「危険」 「敵」「敵」「敵」…… 混乱と焦燥が目に見えて広がってゆく。そして滑稽なほど慌てて、かれらは戻ってゆくではないか。 (……) むしろうまくいきすぎたことに、スピアはいささか困惑する。 まるで、誰かがかれらに囁いて、スピアのはったりを連中の脳内で増幅でもしたかのようだ。 『……おまえの、しわざか?』 スピアは、虚空へ思念を放つ。 (ウィン・ウィン、というやつだ。きみは追っ手を退かせることができ、私はかれらの焦りと混乱を糧とする) NADからのいらえがあった。 スピアは納得すると、ひらりと身を翻した。今度は彼女が追う番だ。 「待って、メールです」 サクラが、スピアからの連絡に気づいたのは、彼女たちがまさしく王城に忍び込もうとする寸前であった。 「無事なのか」 と、碧。 「ええ。でも『目立ってしまったので以後は単独行動をとる』って」 「そうか。あまり長引くとやばかろう。わしらも急いだほうがええな」 晦は言った。 アビイスの王城……窓から入れば、とサクラは言っていたが、陽光がわずかにしか届かぬ深海の都市に窓は不要だ。ただ、換気するように水を循環させなくてはならないのか、通風孔のようなものがあちこちにあるのである。そこから入り込むことができそうだった。 問題は、至るところにいる見張りの衛兵たちである。アビイスの姿をしていても、侵入を見咎められたら話にならない。 「要は水を止めればええんやろ」 晦が神通力で海水の流れを遮断するなか、サクラのつくる幻覚で姿を隠した3人がすばやく通風孔にもぐりこむ。 首尾よく、3人は中に入り込むことができたようだ。 青白い燐光を放つ海藻が、照明として天井や壁に植え込まれ、回廊を照らしていた。 「確認だが、王を発見したらどうする」 碧が、2人に尋ねた。 「話し合いで破片を譲ってもらうのは難しそうですよね。さっきも言いましたけど、殺さざるを得ないこともあるかも」 「ん……そうや、なあ……」 晦は、その点には躊躇があった。 稲荷神――まがりなりにも「福の神」の一種であるところの彼としては、生命を奪うのはできれば避けたい行いだった。傷つけるのはやむなしとしても、破片だけを、生かしたまま取り出すことはできないだろうか。 晦の考えを、碧は理解する。 「承知した。努力はしよう」 「甘いかもしれんけど……」 「いや」 碧は短く応える。 その実、彼女もまた、殺すことになってしまう状況も十分に認識していた。ただ、殺すという役割はそれを担うべきものが担えばいいのだとも考える。たとえば軍人のような。そうでないものが手を汚す必要はないのだ。 ――と、そのときだ。 どたばたと、前方を駆けていく兵士の一団が目に入った。 どこかで大勢の動く気配がある。王城全体が騒がしいようだった。 「何かあったんでしょうか」 サクラが首を傾げていると、ふいに、近くの扉が開いて廊下に出てきたアビイスがいる。 「……? ナンダオマエタチ、何ヲシテイル?」 「えっ? ええと」 晦の術で皆、アビイスの姿になってはいるため、それはよかったが、突然だったので姿を隠すことができなかった。 「騒がしいようだが何かあったのか」 碧が落ち着いて訊ねた。 「街デ暴レテイルヤツガイル。地上人カ、ネレイスカモシレン。……オマエタチ、ドコノ所属ダ?」 このアビイスは風体からして仕官のようだ。訝しまれていると察して、サクラと晦は固唾を呑む。対して碧は落ち着いた様子で、 「ザザイル隊だ」 と言った。 「ザザイル? 知ラン名ダガ……」 「あ!」 ふいに、声をあげてアビイスの背後を指す。思わず振り返ったところを、碧は電光石火の早業でボディブローを打ち込み、一撃のもとに相手をしとめた。 「あ、焦ったわあ」 「ありがとうございます、碧さんっ」 「急ごう。街で暴れているのはスピアだろう。陽動を引き受けてくれているようだ。町に兵が出れば城のほうは手薄になるからな。それに報いなければ」 「せやな」 「あの、碧さん」 足早に移動しながら、サクラは聞いた。 「なんだ」 「ザザイルってなんですか?」 ふっ――、と碧は頬をゆるめた。 「自分の世界にいた魚の名だ。棘だらけで、醜い顔つきの。さっきのやつに似ていたのでな」 4 がっし、と兵士に両腕を捕まれる。 ジョヴァンニはすばやく思考を巡らせた。このまま収監されてしまえば、厄介だ。なら今やるしかないのか。 「陛下!」 そのとき、声がかかった。 「報告シマス。タダ今城下デ、地上人ト思シキ――グウッ!?」 報告の声は、途中で途切れた。 血を吐きながら崩れた兵士を押しのけて、広間になだれこむ武装した一団。 「何事だ!」 「兄王、覚悟!」 なだれこんできた一団が武器を手に迫るのへ、広間に詰めてダール王を警護していた兵士が応戦する。 武装兵を率いているのは身なりのよいアビイスだ。 (仲間割れ……いや、そのような生易しいものではないな。これは――) ジョヴァンニを掴んでいた兵たちも、王と自分を身を護るために剣を抜き、ジョヴァンニどころではなくなったようだ。そのジョヴァンニへも、容赦なく刃が降りかかるので、彼は仕込み杖の白刃で受け止める。 (クーデター) 硬質な単語が脳裏に浮かぶ。 まさか、このタイミングで……? (王城に侵入者あり。王が命を狙われている) (まもなく王は死ぬだろう) (権力を奪うなら――今だ) 城内にひしめく思考を探れば、その中に鬱屈した憤懣を見つけるのは容易かった。 ならあとは、少し「囁いて」やればいい。 NADが火をともした、その暗い憎悪は王の弟である将軍のうちにあったが、そのようなことはNADにはどうでもよかった。 ただ、これにより引き起こされた騒乱は、感情を摂取するNADにとって食べ放題のテーブルのようなもの。 (この混乱に乗じて、世界図書館は破片を奪取すればいい。ウィン・ウィンというやつだ) あとはほかの旅人たちがうまくやればいい、と考え、NADは食事に没頭する。彼の役目はここまでだ。 「ジョヴァンニさん!」 「その声は吉備嬢かね」 クーデターの兵士と斬り結ぶジョヴァンニに助太刀が入った。 「大丈夫ですか? 1人で無茶したらみんな心配します!」 「すまぬ」 「世界計の破片は」 別のアビイス――いや、碧が聞いた。 「まだじゃ。体内のどこにあるのか確認できん」 「なら今やるしかない。むしろこの騒ぎが好機だ。晦、王の動きを止められるな? 自分とジョヴァンニでやる。破片を摘出したら撤退だ、そのときはサクラ」 「はい、幻覚ですね、頑張ります!」 かれらは動いた。 晦は意識を集中する。正念場だ。多少の無茶はやむをえまい。 ぱん!と拍手。 「掛巻も恐(かしこ)き稲荷大神の大前に!」 さらに一拍! 戦いの騒乱が、すうっ、と遠ざかる。 変身に割いている力の一部が削がれて、つい、狐耳と尻尾が出てしまったがかまわず、晦は両手を開いて突き出し、海水を掴むようなしぐさを見せた。 瞬間、広間のものたちは目に見えない力におのれの動きを封じられる。 水だ。周囲の水流が重く、まとわりついてくる。 その中を、碧とジョヴァンニだけがすり抜け、ダール王へと足早に迫る。 碧は銃口を王へ向けた。赤銅色の拳銃は彼女のトラベルギア。その銃弾は、必ず、「相手にとって致命的な箇所に命中」する。と、いうことは――! 打ち出された銃弾が、大きく旋回し、王の延髄あたりに命中した。巨体が崩れる。 「そこか!」 ジョヴァンニがそこへ仕込み杖の刃を突き立てる。だが。 「ぬう!」 ジョヴァンニの身体が後方へ吹き飛ぶ。 オオオォォオォオォォ―― 「……なんやと」 晦は、見た。 首の後ろの傷口から銃弾を吐き出し、銃創が塞がると同時に、むくむくと王の巨体が膨れ上がっていく。装飾品が弾け飛ぶ。鱗の肌が盛り上がり、変形してゆく。 「止まらんかい!」 晦の神通力が圧力を増す。しかし、なおも、王の身体が膨張を続けた。 「なんちゅう、力や。これが『世界計』……」 王の巨体から、今や幾本もの触手が伸び、うねうねとうごめいている。すでにアビイスですらない異形だ。触手の一本が、手近にいたアビイスを兵を掴んだ。悲鳴をあげる兵の身体が、ずぶずぶと溶け崩れ、吸収されていく。 「やめい!」 たまらず、晦は飛び出した。 別の触手が、別の兵士に到達しようとしたところに割って入り、トラベルギアの刀で斬りつけた。 触手は寸断され、切り離された先端は溶けていったが、傷口はすぐに再生をはじめる。 「おのれ……我が王国の繁栄を……我はもたらした……」 異形が喋った。 発声器官が変化しているのか聴き取りづらい声だったが、そこに深い怨嗟が含まれている。 「だがその我を……我の力を恐れるのだな……かつて『禁断の地』に栄えた、『始なるものたち』の中でも、そうして袂が分かたれたように……。よかろう、ならば……!」 触手がめちゃくちゃに振り回され、近くにいた兵たちはなぎはらわれる。 「……っ、いかん、いったん退くぞ!」 碧が叫んだ。 「みなさん、こっち!」 サクラの声だ。彼女の幻覚が4人を覆い隠す。阿鼻叫喚の広間から外へ。 そのまえに、晦は見た。 触手が、その先端を硬質化させ、広間の床を掘りはじめるのを。 「『禁断の地』に眠りし怒りの力に滅ぼされるがいい!」 王は――かつて王であったものは咆哮した。 スピアは、王城周辺でわざと姿を見せ、兵たちに攻撃を仕掛けては逃げ、というゲリラ戦を繰り返していた。 それによって王城に詰めていた兵士を外に誘き出し、城内で仲間を動きやすくすることが彼女の目的だったのだ。 だが、しばらくすると、兵たちが城へ呼び戻されはじめたのに、彼女は気づく。中でなにか起こったのだろう。仲間がうまくやったのか、それとも。 様子をうかがっていると、今度は、地鳴りと、振動を感じた。 この深海の都市全体を襲う鳴動。……地下でなにかが起こっているのか。この都市はブルーインブルーの古代文明の遺跡の上に築かれているのだという情報を思い出す。 厭な予感だ。 彼女は、ひとまず、ここまでの経過をエアメールで世界図書館へ送った。 そして、その後、王の異形の変化の顛末を、サクラたちからの連絡で知るのだった。
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