行方が掴めない『鉄仮面の囚人』ことルイス・エルトダウン。 かの人物を探し出すべく、世界図書館はターミナル住人からの情報収集をはじめた。その一方、アリッサは「0世界自警団」の面々へ連絡をとる。 「0世界自警団」はロストナンバー有志の発案で設立された私設のグループだが、図書館の理事会の審問を経て公認や出資を受けている。ターミナルの治安を、ロストナンバー自身の手で守ることが趣旨であるから、ルイスの確保はまさしくその使命と言ってよかっただろう。「それで話し合ったんだけどさ」 虎部 隆が館長室にあらわれ、アリッサに告げる。「まず『ファミリー』全員に話を聞きたいんだよな。渡りをつけてくれないかな」「いいわ」 ルイスは前館長エドマンドの父であり、エルトダウン家の当主であった人物だ。その人となりや、彼が収監されるに至った事情についても、もっともよく知っているのは血族・姻族である『ファミリー』の面々に違いあるまい。「それと、チェンバーの中を調べさせてもらいたい」 アリッサは、ソファーにかけて話を聞いていたレディ・カリスへ視線を投げる。「……『ファミリー』の誰かがルイス卿を匿っているという可能性を疑うのは、外部から見れば合理的と言えるでしょう」 カリスは言った。「感謝するぜ。……図書館になにか記録はないのか? ホワイトタワーに暮していたときの持ち物とかさ」「記録は……どうかしら。集められるだけのものは集めてみようと思うけど」「あとは、町で聞き込みをするだろ……。あ、そうそう、例の円形劇場を仮の捜査本部にしたいんだ。あそこは最後にルイスが目撃された場所でもある。遺留品があるかもしれないし」「いいと思うわ」「じゃあ、ひとまず、そういう方針で」 今回、自警団に属する6名のほかに、4名のロストナンバーが協力してくれることになった。 そして、ルイス・エルトダウンの捜索がはじまったのである。 * * * レディ・カリス、ヘンリー・ベイフルック、ヴァネッサ・ベイフルックは事情聴取に応じると返答があった。合わせて『赤の城』『エメラルド・キャッスル』『虹の妖精郷』を捜索する許可が得られた。 自警団は、ロバート卿とエイドリアン卿の聴取を合わせて『ネモの湖畔』で行えないかという打診を行っていた。エイドリアンがチェンバーへの立ち入りを快く受け入れるとは思われなかったので、二人をセットにすることでかえってやりやすいのでないかと考えられたからだ。 しかし。「僕自身の聴取にはもちろん応じます。ですが、『ネモの湖畔』への同行は、申し訳ないですができません」 ロバートの答えはそのようなものだった。「ですがこの事態なら僕の口添えがなくても捜査は可能でしょう。父も拒まないと思いますよ。……ただ、僕としても、あのチェンバーへの立ち入りは遠慮してあげてほしいとも思うのです。僕が言うのも何ですが。父がチェンバーに人が立ち入るのを極端に嫌うのは、義母(はは)のためです。あまりに秘密主義が過ぎるせいで突飛な空想も独り歩きしているようですが、彼女が実在すること、今も存命だが健康を害して静養しているという事情に嘘のないことは僕が保証します。そしてふたりが、ルイス卿の暗躍とはかかわりを持っていないということもね。ですから、そこは必要以上に詮索はしないでおいてもらいたいのです。僕が言うことではないかもしれませんけれども」 ロバートは淡々と言ったあと、次のような提案を持ち出した。「そこで、こうしましょう。僕が『ネモの湖畔』へ赴き、あのチェンバーにルイス卿が匿われていないことを確かめてきます。父からもルイス卿について知っていることがないか訊ねてきましょう。それでいいのではないですか?」 * * * 並行して、ロストナンバーからいくつか図書館に意見が寄せられた。 まず、『ラビットホール』を使用してルイスが壱番世界へ逃亡した可能性の指摘。 だがこれは確認できなかった。魔術的なしくみで、『ラビットホール』使用の痕跡は図書館が確かめることができる。この可能性は排除してよいだろう。 次に、「樹海」や「ナラゴニア」に潜伏している可能性。 図書館はナラゴニア暫定政府に対し情報提供を行い、警戒を呼び掛けた。暫定政府からは適切な警戒を行うこと、もし当該人物を捕獲した場合は引き渡すとの連絡があった。 そして「ターミナルの地下」を捜索すべきではないかという提言である。 ターミナルは積層的に構築された都市。街のうえに街ができ、用いられなくなった地下空間は膨大にある。潜伏するには絶好の場所であるため、ルイスは「ターミナルの地下」にいるという可能性は無視できない。 * * * 円形劇場の、舞台と客席を見渡せる調整室に、資料が運び込まれていた。 そのまえに、10人全員がかかって、奈落から照明バトンのうえまで徹底した捜索がなされたのだが、遺留品と思しきものは見つからなかった。 世界図書館が正式に所蔵している資料で、ルイス・エルトダウンの名が記されているのは、両家の家史だけである。 彼の収監にまつわる記録は、ホワイトタワーの扉が閉ざされたおり、すべて抹消されたそうだ。 ホワイトタワーでのルイスの暮らしは質素とは言えないが単調なものではあったようだ。 がれきの下から救い出された調度類、衣類は運び込まれている。この中に、なにか手がかりがあればよいのだが。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>流鏑馬明日(cepb3731)ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)虎部隆(cuxx6990)坂上健(czzp3547)三ツ屋緑郎(ctwx8735)柊木新生(cbea2051)ティリクティア(curp9866)幸せの魔女(cyxm2318)ホタル・カムイ(cdbn4553)舞原 絵奈(csss4616)=========
■ 虹の妖精郷 ■ 虹の妖精郷――かつて、リチャードとダイアナの夫妻が治め、暮らしていたチェンバーは、今は静かだ。 騒々しいカラクリ人形たちは動作を停止し、膨大な魔力を蓄積するという役割を終えたこの地に、魔力の顕現としてのあの『猫』たちの姿もない。 孤児院の子どもらが、有志のロストナンバーたちの世話を受けて穏やかかつ健やかな暮らしを送っている。 リチャード夫妻の居城はひっそりと静まり返り、城が見下ろす湖と、『アヴァロンの墓所』もまた、訪れる人もまれであった。 恐るべき陰謀の拠点であった閉ざされたチェンバーは、今や、静かな鎮魂の園となっていたのである。 ホタル・カムイはこのチェンバーの捜索をくわだて、やってきたものの、広大なこの地を一人ですべてあらためるのは骨の折れる作業では、あった。 少なくとも、彼女の見てまわった範囲で、不審な痕跡はみとめられなかった。 リチャードの城館は、無人のまま、ときおりメンテナンスに人がやってくるだけとのことだ。誰かがここに潜んでいたり、なにかを持ち出したりしたあとがないか調べたが、それらしいものは見つからない。 ホタルは時間を費やしてダイアナの残した膨大な資料を探ったが、ルイスそのものにまつわる記述に、収穫はないようだった。 当座の結論として、ルイスが妖精郷に潜伏している気配はなく、ダイアナが彼とつながりをもっていた証拠はない。 ■ エメラルド・キャッスル ■ 「眼福ねぇ。素晴らしいものを見せてもらったわ。……あ、お構いなく、私はミルクはいらないわ。蜂蜜漬けのレモンスライスがあれば十分」 幸せの魔女はやわらかなソファーに身を投げ出すと、ティーポットを載せたワゴンであらわれた使用人に手馴れた様子で言った。 「何しにきたかわかってる?」 やれやれ、と言った様子で息をつきながら、緑郎もまた歩き回って疲れた足を休めた。 ふたりはエメラルド・キャッスルを訪問したのだが、幸せの魔女は挨拶もそこそこに緑郎をひっぱりまわし、城内を歩き回りはじめたのだ。 広大にして複雑な城内だったが、魔女いわく「自慢じゃないけれども私は一度も道に迷った事はないわ」という言葉は本当で、散々ぐるぐると歩き回ったすえに、最後はもといた部屋に戻ってくることができた。 行く先々に飾られている美術品や宝飾品、内装や調度類は素晴らしいものであったから、それはちょっとした美術館めぐりの様相であり、魔女はいちいち「私の部屋にもこういうものがあるべき」「私にこそふさわしいと思わない?」と煩いのであった。 「如何だったかしら?」 ヴァネッサそのひとが、ふくよかな身体を豪奢なドレスに包み、ふたりのまえに姿を見せた。 緑郎は畏まった。 「ご協力に感謝します。……非常に不躾に見回らせてもらったのですが……」 「結構よ。べつだん隠し立てするようなことはありませんもの。存分に調べて頂戴」 対面のソファーに腰を下ろす。 使用人が彼女にもお茶を運んできた。 「僕はヴァネッサ様がルイス卿を匿っているとは思っていません」 「あら、どうして」 「そんなことをしても不利益しかないからです」 「どうかしら。見てのとおりこの城は広いわ。二人ではすべての場所を同時には探せない。あなたたちの裏をかいて、彼がまだどこかにいるかもしれないのよ」 「それはございませんわ」 と、幸せの魔女。 「そんなこと私の幸せに反しますもの。……それにしても素晴らしいところだとは聞いておりましたけれど、噂にたがわぬ夢のような宮殿です。目にすることができて光栄ですわ」 魔女は言って、ちいさな箱を取り出す。 「ところで今日はヴァネッサ様の為に珍しい宝石を用意して参りましたわ」 「あら」 魔女が蓋をあけると、中には、大粒の、きらめく宝石が収まっている。 「これは『バラマンディの心臓』と呼ばれる天然ピンクダイヤモンドでございます」 「30カラットはあるわね」 「ええ、大きさ、純度、色あい、どれをとっても逸品中の逸品です。素晴らしすぎて値段がつけられず、いまだ誰のものにもなったことがございませんの」 「それを貴女がどうして」 「ふふふ。私のもとにはこの世の幸福がすべて集まることになっていますので」 「いただくわ」 「お気に召せばさいわいです。あ、お構いなく。パイはふた切れで結構ですわ」 召使が、ベリーのタルトと糖蜜パイを切り分けてくれている。 「ヴァネッサ様」 緑郎が口を開いた。 「よければルイス卿についてご存知のことがあれば聞かせていただきたいのです。……彼の写真などはないんでしょうか」 「あったと思うわ」 ヴァネッサは扇の向こうで、召使に何事かを囁いた。 「ルイス卿は、なぜこんなことをしたのだと思います?」 「私、そういうことは考えないことにしているの」 ヴァネッサは言った。 「理解しえないものを理解しようとするのは無駄よ。理解しえないということを理解しておく、というだけで十分。むしろそれこそが誠実な態度というものだわ。人の感情や行動は矛盾するものですもの。あの人はロストメモリーを憎んでおきながらチャイ=ブレから力を得ている。それにいくらなんでもロストメモリーを全員殺すことなどできないのだし。……100年以上も閉じ込められていたら頭もおかしくなるのでしょうね」 そう言って笑った。 やがて何枚かの、色あせた写真が運ばれてきた。 「1860年代か、70年代だと思うわ」 「写真が発明されて間もない頃ですね」 「写真機の前でしばらくじっとしていないと撮れなかったの。これがルイスよ」 セピア色の肖像は、報告どおりエドマンドに似た顔立ちの紳士である。 「そしてこれがアイリーン。まだ子どもの頃のね」 ちょっとこまっしゃくれた雰囲気の女の子だった。 「少しアリッサにも似てますね」 「そうね。性格でいうとエヴァとアリッサを足したような感じよ。最悪でしょう?」 「ええと……、あれ、これって」 あきらかにインド人とおぼしき男性と写っている、美しい女性の写真があった。 「ああ、これは私。懐かしいわ。インドにいたときの写真ね。彼はマハラジャよ」 「もしかして……お付き合いをされていたとか」 「そういうことを聞くものではないのよ。フフフ」 言いながらも、ヴァネッサは楽しそうだった。 「こんな話が役に立って?」 「ええ、参考になります。この方は?」 椅子にかけた、ひとりの女性と、傍らに立つ少年の写真だった。 「あら。まだこんなものが残っていたのね。これはローラよ。ロバートの母親」 「この人が。エイドリアンさんの前の奥さんですね。じゃあこれ、ロバート卿ですか」 「この頃は可愛かったというのにねえ」 しみじみと、ヴァネッサは言った。 「今でもハンサムだと思いますけど。あ、ヴァネッサ様はもっとこう、彫りの深いほうが……?」 「だからそういうことを言うものではないのよ。それで、ルイスは見つかりそうなの」 緑郎は巧みに世間話を織り交ぜなら、あれこれと話を引き出した。 ルイスとは直接関係しない、ヴァネッサにまつわる話も聞いてはみたが、そのあたりは上手にはぐらかされて捗々しくない。 ルイスがどこにいると思うか、という問いにヴァネッサは、 「普通に考えればターミナルの地下でしょうね。というか、そのためにアリッサはあなたたちを呼んだのでしょう? 私の茶のみ話の相手をしている暇があったら人を集めて地下を探すべきなんじゃなくて」 「地下は未知の領域も多いです。気をつけたほうがいいことはありますか」 「今のターミナルでもっとも危険なのはルイスでしょ」 ヴァネッサは言った。 「そうそう」 ふたりが帰ろうとしたところで、ヴァネッサは思い出したように言った。 「審問会のとき、私が言ったことを覚えていて?」 「……はい?」 「『例え隣人であれ、犯罪は厳正に処罰されなければならない』。あなたはそう言ったのだったわね」 扇をひらひらとさせながら。 「ルイスを探すのに、親族である私たちの疑うのは当然よ。それを非礼とは思わないわ。けれど。ルイスは自力で脱獄したのではないのよ。あの男を助け、匿った人物がいる。その人間を追及せずに、私たちだけを取り調べるのは合理的とは言えないわね。……ターミナルの治安を守るという役目。あなたたちにはやはり荷が重かったようね。私が言いたいのはそれだけよ。では、御機嫌よう」 ■ ホワイトタワー ■ 霧の海に浮かぶ廃墟。 その中に、ロバート・エルトダウンはたたずんでいた。 ネモの湖畔への立ち入りとエイドリアンへの聴取は遠慮してくれるよう、彼は自警団に申し入れた。その場合、自分が代理で父の潔白を証明するとも。一方で、彼は湖畔で父とともに合同で聴取を受けることは拒んだのである。 自警団は審議のすえネモの湖畔の調査も行うという結論に達した。 ロバートから話を聞くのも、ホワイトタワーでということになり、ここで落ち合うことになったのだった。 虎部隆と舞原絵奈がやってくると、先にきていたロバートが静かに目礼する。 「あの……、今回は、申し出を拒否するような形になってしまって……」 絵奈が謝意をあらわす。 「残念でしたが仕方がないですね」 「でも……、合同での聴取は拒否されたのに、なぜあんな提案を? ロバートさんが私達と一緒にあの場にいることに、何か不都合があるのですか?」 「そうだぜー。合同聴取には応じなかったのに代理で話すのはいいんだ? まだ親父さんと仲悪りーんだろうなーと思ったのに」 「悪いですよ」 ロバートは言った。 「だからです。ほどなくあきらかになるでしょうが、ネモの湖畔とはすなわち私たちの身内の恥のようなものですから。それが知られてしまうのは、僕としても居心地が悪いのですよ。それを守るためなら、できるだけのことはします。そういうことです」 「うーん」 ここで話している男は『ファミリー』の一員、《ロード・ペンタクル》だ。いつかともにヴォロスの密林を旅したロバートではないのだ、と隆は思った。 「いろいろあるんだろうな、ってのはわかるけどさ。……んでも1人で突っ走るとこの前みたいな事になるから、遠慮なく皆を頼ってくれよ!」 「頼りました」 《ロード・ペンタクル》は冷たく答えた。 「ルイス卿の行方を探るためにネモの湖畔を調査するのは合理的に正しい判断です。ですが僕はまったく個人的な感情としてそうしてほしくはないと思った。だから道理には反することであっても、みなさんを頼って、お願いをしたのです」 「……」 「ま、それが受け入れられなかったのは僕と父の不徳の致すところですのでそれについてはこれ以上恨み言は言いませんよ。それに、ネモの湖畔の恥とは、これは100%、父自身が撒いたタネであって言い逃れすることはできない彼の責任なんですからね。それよりも……ルイス卿の話をしましょう」 崩れ落ちた廃墟の中を、かれらは散策するように歩いた。 「こんなこと言うのもなんですけど……」 絵奈が問う。 「どうしてルイス卿は幽閉されるだけだったんですか? 前館長のように追放するという選択肢もあったのではないでしょうか。あるいは……」 「処刑することもできたかもしれませんね」 ロバートが引き継ぐ。 「当時はまだ、流転機関を得てパーマネントトラベラーにすることはできなかったんじゃないかな。そのために1台を潰せるほど、ロストレルも安くはなかった。ですがなによりも、ルイス卿を生かしておいたのはわれわれの身内への甘さ以上の何者でもありません。……彼女――ヘルウェンディと言ったかな、今回の私の提案を受け入れられない理由として彼女が言っていたね。『一連の確執はファミリーだけで問題を処理しようとした隠蔽性が原因』だと。それはまったくそのとおりでしょうね。ただ……われわれ親族の中に発生した問題を、親族以外のものがどう解決できたのかはわからないけれど」 「ルイスさんは、特別な能力を持っていたのですよね?」 「当時はそれほどでも。彼がここまでの存在になるとは予測できなかったのも、落ち度の一つでしょう。今現在の彼がどんな力を得ているのかは私にもわかりません」 「ここは昔、『白の城』っていう場所だったんだよな? やっぱ思い出とかある?」 「そうですね。あの頃は私もここが住まいでしたから」 「アイリーンは?」 「彼女はベイフルック家の人間ですから。たしか『赤の城』に暮らしていたんじゃなかったかな? でももちろん、この城にもよく来ていましたよ。ほら、ちょうどこのあたり」 ロバートはなつかしむように見回したが、そこにはがれきしかない。 「ここは中庭でした。私たちはよくここでお茶を飲んで、ゲームをしました。私とエドマンドはチェスが好きだったけれど、アイリーンはカードゲームが好きでね。いちどブラックジャックで大金を巻き上げられたことがあります」 3人は、ルイスの独房があった場所に至った。 ホワイトタワー崩壊のおり、ここも破壊され、あるものは残骸でしかない。 「彼が当初から、このようなことを計画していたのなら」 遺留品を探す隆に、ロバートは言った。 「ここに証拠を残すとは思えません。なにか見つかったら逆にそれは意図的なものですよ」 「でも100年もここにいたんですよね。本人が意識せずに残したものがあるかもしれません」 絵奈は崩れ落ちたがれきそのものも熱心に調べている。 「ルイスはアイリーンに執着してる。写真でもあるかと思ったけど」 「アイリーンはきっかけに過ぎないのかもしれませんね」 「図書館を恨んでいるんだよな?」 「あるいは運命そのものを。……ルイス卿は厳格で神経質ではあったけれど、彼もまたもとは平凡な紳士でしかありませんでした。でもロストナンバーへの覚醒と、200年の歳月が彼を変えた。報告書を読む限り、今の彼は悪意の化身としか思えません」 「……かなしい、ですね」 ぽつり、と、絵奈がつぶやいた。 ■ 館長公邸 ■ 流鏑馬明日とホタルとが、館長公邸にヘンリー・ベイフルックを訪ねた。 ホタルは初対面だが、ヘンリーはにこやかに挨拶に応え、ふたりを中庭のあずまやへ誘う。 ホタルは『ファミリー』の面々とは縁が薄い。そのぶん、新鮮な目でかれらを見ることができるが、ヘンリーはきわめて平凡な男に映った。 「お役に立てることがあるかどうか」 ふたりにお茶を勧めながら、彼は言った。 「ルイス氏が『鉄仮面』となった経緯について、私は詳しくはないのです。当時、ターミナルにいなかったものだから……」 「その点なんですけど」 明日は気になっていた部分を質す。 「ヘンリーさんが旅立たれたのと、ルイス氏がアイリーンさんを殺害して収監されたとされるのは時期的に近いです。これにはなにか理由があるんですか?」 「直接的な関係はないと思います。ただ、あの頃に、世界図書館のシステムは完成されていった。つまり世界司書がいて予言をもたらし、あまたの世界群にロストレイルを走らせるという、このシステムが、です。そのなかで、『最初の世界司書』であるアイリーンを彼が殺したことには、彼なりの意味があったのかもしれませんね」 「図書館への……反発?」 「そう思うと、皮肉なことですよね」 ヘンリーは頬をゆるめる。 「私もエドマンドもルイス氏も、それぞれがそれぞれのやり方で、チャイ=ブレに支配され、おのれの世界と記憶を奪われるこの体制を打ち崩そうとしていたことになるんです。でも結果的に……エドマンドは図書館の館長になり、ルイス氏はそのチャイ=ブレから魔力を得て暗躍し、私はこうして図書館に戻ってきて、ルイス氏を捕らえるための捜査に協力している」 「ちょっと気になってるんだけれど」 ホタルが口を開いた。 「ルイスが人の悪意を増幅させる鉄仮面を作れるのはチャイ=ブレのおかげなのか?」 「そのようですね」 「でもルイスは、チャイ=ブレに記憶を捧げたロストメモリーを殺しているんだよな」 「一人二人のことであればチャイ=ブレは頓着しませんよ」 「そういうもんか……。んでさ、ヘンリーさんから見たルイスはどんな人だった」 「私にとって彼は『エドマンドの父君』です。立派な人物だと思っていましたよ。件の経緯を聞いて、むしろ意外でした。アイリーンに対して特別な感情を持っているとは思いませんでしたから。私が疎かったのかもしれないけれども」 「アイリーンさんはどういう関係の人だったんですか?」 明日が訊ねた。 「ベイフルック家の遠縁ですね」 「彼女は世界司書となって、過去の記憶を棄てた。ルイス氏は自分と彼女の思い出も棄てられたと感じて、彼女を殺してしまった。そういう解釈は正しいと思いますか?」 「報告書を読む限り、彼の言葉はそういう意味合いを示唆していると思います。さっきも言ったように、私には意外でしたけどね。だって私にしてみれば友人のお父さんのことですよ。アイリーンと彼はけっこう歳の差もあったと思いますし。でも、事実はそういうことなんでしょうね」 「レディ・カリスはルイス氏を恐れているように感じます。なぜでしょう?」 「100年も彼を閉じ込めていたのだから、復讐されると思っているんでしょう」 「円形劇場について訊きたいんですけど。あれはヘンリーさんの設計ですよね」 アイリーン・ベイフルックが殺された場所。 そして鉄仮面が最後に目撃された場所だ。 「設計図をお借りできませんか」 「構いませんよ」 「率直にお聞きしますけれど……あの劇場にもあなたしか知らない仕掛けがあるのでは?」 ふっ、とヘンリーは微笑った。 「そのとおりですよ、明日さん。……正確には、今は『私しか知らない』仕掛けではないでしょう」 「ルイス氏もそれを」 「報告書を読んですぐにわかりました。アイリーン・ベイフルックが密室で殺されたことになんのトリックも不思議もありません。ただ単に、ルイスは隠し通路を使っただけです」 ■ ネモの湖畔 ■ ネモの湖畔を訪れたのは、ヘルウェンディ、絵奈、幸せの魔女の3人である。 そして彼女らを迎えたのは、エイドリアンその人であった。 「ようこそ、ネモの湖畔へ」 歓迎されないだろうと思っていたが、エイドリアンの態度は意外に柔らかかった。 「来たまえ。案内しよう」 一同はエイドリアンの先導で、チェンバーを歩いた。 この場所に訪れたことのあるものは少ない。ヘルウェンディたちは、報告書で知らなかったその妙なる風景を初めて目の当たりにした。 刻々と色を変えるオーロラのたゆたう空。 その下に、陰鬱な針葉樹の森が広がっている。その中にぽっかりと開けた地に、湖とそれに寄り添うようにしてなだらかな丘陵がある――そんな風情の場所だ。 「見えるほど、このチェンバーは広くはないのだよ」 だがエイドリアンはそう言った。 どこまでも続くかに見える森は、そう見えるだけのことで、実際はさほどもないらしい。 湖畔に、立つ。 湖には睡蓮が、かの壱番世界の名画のうつしのごとくに咲く。 絵奈がじっと目をこらし、湖水を見つめていると、ふいに、押し殺した笑い声が聞こえる。エイドリアンだ。やがて彼は大きく声を立てて笑った。彼が笑うところを、初めて見る。 「いや、失敬。あまりに熱心なものだから。まるで、ルイス卿が湖の中に隠れてでもいると言わんばかりにね」 「泳ぎは自信はないですけど、捜査に必要なら潜ります」 絵奈は言ったが、それがまた、さらなる笑いを呼んだようだ。 鉄仮面の男が水中にいる様子を想像すると、ヘルウェンディと幸せの魔女も苦笑せざるをえなかった。 湖畔に沿って、敷石の敷かれている遊歩道をめぐり、屋敷を横目に森の中を歩く。 チェンバーはひどく静かで、生き物の気配はまったくなかった。 ヘルウェンディと幸せの魔女は目を見交わす。魔女がそっと頷いた。彼女の魔法は何も感知していない。それはこのチェンバーに「彼女の幸福を妨げるもの」がいないことを示唆している。ヘルウェンディが空に放ったセクタンの瞳も、動くものの姿はとらえることができていなかった。 続いて、屋敷の中へ。 エイドリアン夫妻はごく少数の使用人のみにかしづかれて暮らしているという。 その暮らしは質素とは言えないが、地味ではあった。 3人は応接に通される。 「質問してもいいですか?」 絵奈が言った。 「なにかね」 「ルイスさんとはどのようなご関係だったのですか?」 「義理の兄弟ということになるだろうね。特段に親しくはなかった」 「もしも、ルイスさんが匿ってほしいと言ってきたら、応じましたか」 「彼がその気なら私の意志など関係なく、そうなっただろう」 「そうしなくてはいけない理由が?」 「私が彼に従わされる弱みがあるのかという意味かね。それは特にはないと思うが、ルイス卿はおのれの意志を通すことに何の遠慮斟酌もない人物だからね。それは息子やレディ・カリスも同じだが」 「ルイスさんに味方をする人に心当たりはありませんか?」 「われわれの中に? さて……。きみは自分が100年も幽閉されて、それをしたものたちの中に味方をもとめるのかね?」 かわってヘルウェンディが質問する。 「ルイスってどういう生い立ちの人なの」 「エルトダウン家の正統な継承者として生まれ、育てられた男だよ。若くして優れた商才を発揮したと聞いている。覚醒前後は、株をやって儲けていたはずだ」 「アイリーンという人は?」 「彼女は……なんというか、純粋で、破天荒な女性という印象だ。あの当時の女性としては驚くほど行動的で、思ったことはなんでも口にする。しかし不思議と憎めない娘でもあった」 しばし―― 話題が途切れ、場に沈黙が落ちた。 エイドリアンは、 「そろそろ、妻に会うかね」 と言った。 「そのために来たのだろう?」 「勘違いしないで欲しいわ」 幸せの魔女が言った。 「私達は0世界の人達を守る為に捜索を行うのよ。決してゴシップ的な興味ではないの。今まで幾度となく0世界の危機を救ってきた、この“幸せの魔女”を少しは信用して頂けないかしら?」 「失敬。そういう意味で言ったのではないよ」 「私は疑ってるんじゃないの。直接奥さんの潔白を確かめたいから来たんだわ」 とヘルウェンディ。 彼女は目隠しを取り出した。 「でも奥さんの心労になるのは本意ではないもの。だから姿は見ない。話を聞くだけ。なんなら筆談ということにして、声も聞かない形でも構わないわ」 「それには及ばない」 エイドリアンは、しかし、優しい微笑さえ浮かべたのだ。 「そのような心遣いを、きみたちが示してくれたことは心に刻んでおこう。だがぜひ、その目で妻を見、その耳で声を聞いてやってくれ。……私はね。今日、ほんの少し、嬉しくもあるんだ」 「嬉し……い……?」 「あれは私の罪だから。あれをずっと隠し続けていることは重荷でもあった。それをきみたちといくばくかでも共有できることが、むしろ嬉しいのだよ」 エイドリアンに先導され、屋敷の二階へ。 廊下の奥、重そうな木の扉のまえで、エイドリアンは待つような身振りをした。 そしてノック。 「マリー。私だ」 声をかけ、鍵穴に鍵を差し込む。扉が外から施錠されているという事実に、ヘルウェンディたちははっと顔を見合わせた。 エイドリアンが扉を身一つぶんだけ開けて滑り込んだ。 「気分はどうかな。今日はお客様がいるんだ。かわいいお嬢さんたちだよ」 そんな声が聞こえてくる。 それから二言三言、やりとりがあって、やがて彼が顔を出した。 「入りたまえ」 部屋の中へ――。 やさしい色あいの、やわらかな印象の部屋だった。大きな窓から美しい湖の風景が見渡せる。 天蓋つきのベッド。暖炉。趣味のいい家具たち。 そして天井から吊るされている、たくさんの鳥籠。 チチ、チチチチ―― カナリアだ。カナリアたちが、来客に反応してか、一斉に鳴きはじめる。 そしてその傍ら、窓辺の椅子に……彼女が、いた。 「妻のマリーだ」 「はじめまして。私――、ヘルウェンディ・ブルックリンといいます」 「幸せの魔女と呼ばれているわ」 「舞原絵奈です」 いらえは、なかった。 ただ、澄んだ瞳が彼女たちのほうへ、茫洋と向けられただけだった。 ほっそりとした白人女性である。ダークブラウンの髪。抜けるように白い肌。年齢は判然としないが、不思議と幼くもある――少なくとも三十台後半ではあるはずなのだが。 ゆったりとした部屋着をまとって、椅子にかけている。 エイドリアンが傍に立ち、そっと肩に手をかけると、ふっ、と顔を夫へ向けた。 「シュークリームはいくつ焼けばいいと思う?」 「……好きなだけ焼きなさい」 「あら。どうぞお構いなく。私たち――」 「しっ」 幸せの魔女の言葉を、ヘルウェンディは遮った。その違和感は、彼女の中で急速にかたちをなす。わかりかけてきたのだ。隠されていた真実が。 「ごらん」 エイドリアンが部屋の一画へ、3人を招いた。 その壁には写真を納めたたくさんの額が架かっていた。どれも着飾ったマリーの姿が写っている。中に、新聞記事の切り抜きもあった。 「彼女はね。パリで生まれた。とても才能のある、優れた歌い手だったのだよ」 写真のマリーは生き生きと笑い、輝いている。 その姿と、今ここにいる彼女とを、比べずにはいられない。その違いが、明らかなのだ。過去を切り取り、静止しているはずの写真のほうが、はるかに「生きている」。ルイス・エルトダウンは言ったのではなかったか。ネモの湖畔を評して、「だれひとりなにひとつ生きているモノがいない場所」と。 ふいに、金切り声の悲鳴があがった。 マリーが、ひどく取り乱した様子で引き出しを開け、中のものを片っ端から投げ棄てていた。 「ネズミが! ネズミがいたの!」 「マリー」 エイドリアンがうしろから彼女を抱きしめる。 「ネズミがいたわ! 笑ったのよ! 庭に毒キノコが生えているぞ、って言ったわ! お庭へ行かなきゃ。ローズヒップのお茶を撒けば大丈夫よね? いやだわ、私、私――」 「平気だよ。落ち着いて。ピアノを弾いてあげるから、歌のお稽古をしようね。カルメンは覚えているだろう? トラ・ラララ――、トラ・ラララ……」 エイドリアンが耳元で旋律をハミングすると、マリーは落ち着いたようだ。その瞳はしかし、夢を見ているよう。ヘルウェンディたちはむろんのこと、夫さえ見えているとは思えなかった。 「……『ファミリー』が、相次いで覚醒していく中」 訥々と、エイドリアンは語った。 「中にはそれをよしとしないものも、当然、いた。そうしたものたちは壱番世界にありのままに居続けることを選び、それぞれの人生をまっとうした。彼女もそれを望んでいた。しかし私は、彼女を失いたくなかったのだ。だから強引に0世界へ連れて来てしまったんだ。その後、彼女は覚醒したが……ロストナンバーであり続けることに彼女の心は耐えられなかった」 だから、壊れてしまった。 「これがネモの湖畔の秘密。私の罪。エルトダウン家の恥だ。……この私、エイドリアン・エルトダウンは、自分の妻を狂気へ追いやった。このチェンバーは、それを覆い隠すためのものなのだよ。あのオーロラの空とイトスギの森は、かつて私たちがもっとも幸福だった頃、ともに旅した北欧の風景を写し取ったものだ。あの湖の睡蓮は、彼女が好きなモネの絵を再現した。そして好きだった小鳥を飼い、好きだったものを食べさせ、好きだった音楽を聴かせる。彼女の心が戻ってこないことはわかっている。だが私は、これは私の使命だと考えている。使命であり、罰でもあるのかもしれない。ロバートや、他のファミリーの面々は、こんな私を心底軽蔑していることだろう」 誰も、なにも、言おうとしなかった。 その沈黙をゆるやかに破ったのは、マリーの歌声だった。 心を亡くした夫人は、夫の腕のなかで夢みるように、歌っていた。 「私……。なんて言えばいいか……」 ヘルウェンディが絞り出すように言ったが、エイドリアンはかぶりを振った。 「なにひとつ、気にする必要はない。きみたちの役目は理解している」 「それでも。非礼はお詫びします」 「謝罪は受け入れよう。……ルイス卿はおそらくターミナルの地下に潜んでいるだろう」 「なにかご存じなんですか!?」 絵奈が驚いて言ったが、エイドリアンはこれにも首を横に振る。 「そうではない。だが他に考えられないからね。チャイ=ブレから力を引き出している以上、アーカイヴ近くにいるのも都合がいい。だがそれだけに気をつけたまえ。今のルイス卿がいったいどれほどの力を蓄えているのか見当もつかない。そして彼の呪いの行き着く先はすべての滅びだ。……きみたちにはまだ未来がある。大勢の旅人が、向かうべきその先の旅路へ歩き出すための場所、それがこのターミナルだ。ルイス卿の絶望に呑まれてはいけない。どうかその呪いから、このターミナルを守ってくれないか。頼む」 エイドリアン・エルトダウンは、そう言って、静かに頭を垂れるのだった。 ■ 赤の城 ■ 『赤の城』を訪れたのは坂上健とティリクティア。 健は、オウルフォームのセクタンを飛び回らせながら、レディ・カリスへの事情聴取を始める。 「カリス、あんたがロストナンバーになる前に、ルイス・エルトダウンについて知っていたこと。好きな色、服その他の好み、アイリーンとの馴れ初め、その殺害方法。あんたがルイスについて知る限りの事を全部知りたい」 「全部、というのもなかなか難しいけれど、可能な限りお話しましょう。けれど、基本的な情報はご存じね?」 ルイス・エルトダウンは前館長エドマンドの父である。 すなわち19世紀に生まれた英国人であるということだ。 「好みについては、エルトダウンの殿方としては、機能性だけでなく審美性についても理解のあった方という印象ね。けれど決して華美を好まれたのではなかったわ。黒や濃紺の出で立ちが多かったように思うわね」 健は熱心に書きとめる。 「アイリーンとルイス卿が初めて会ったのがいつかは記憶しません。ふたりが結局のところどの程度親しかったのか、いつどのように親交を深めていったのかも、あまりはっきりとはわからないの。でも、いつだったか彼女がルイス卿をカードで負かしたことを覚えています。殺した方法については報告書にあるとおりよ」 「ねぇ、カリス」 ティリクティアが口を開いた。 「私、あのホワイトタワーでルイスに会ったわ」 「ええ」 「彼はとても深い悲しみと怒りと孤独を抱えていた。彼は私達にお題を出して、私達はそのお題のもとに物語を作った。私達が作った物語は悲劇のロミオとジュリエットだった……」 「そうね」 「でもカリス。教えて。本当は何が起こったのか。ルイスとアイリーンの真実、2人の関係、そして何故アイリーンは死んだのか。私はその真実を知る為に貴方に会いに来たの」 「あなたたちは、あの密室をつくったのは私たちだと推理したわね」 ルイスがアイリーンを殺し、自殺を図ったが果たせず、ファミリーはルイスだけを連れ去り、劇場を閉ざしたのだと。 「それは美しい物語だけど、でもそうではないの。事実は単純。あのとき、あなたたちはそんなものはつまらない、物語としては美しくないと退けたことが事実なのよ。つまり、劇場には秘密の出入り口があった。それだけ」 「犯人は本当にルイスなの」 「ええ」 「ルイスはアイリーンを愛していたの」 「おそらく」 「なぜ殺したの」 「……。その点については、あなたたちの推理でそう外れてはいないと思うわ。でも、それもまた密室の中の猫なのかもしれないわね。ルイスの心という密室の。劇場という密室が崩壊しても、ルイスの心の密室は閉ざされたまま。その中身は、あるいは本人さえ観測するまで確定しないものかもしれないの。そしてルイス、劇場という二重の密室は、この0世界というさらに大きな密室に包まれている――」 「それって……」 「あのとき、アイリーンの遺体を発見した私たちは、直観的にルイスが犯人だと悟った。『白の城』で彼は私たちを出迎えたわ。そして詰め寄る私たちに言ったの。『役者は舞台の上で死ぬものだ』と」 「……」 「『白の城』が『ホワイトタワー』としてチェンバーに封印されるとき、彼は言ったの。『私は永遠の観客としてこのターミナルという舞台を観続けさせてもらう。存分に続けたまえ、この愚かなショーを』」 「……」 カリスの口を通して、という伝聞の形でさえ、ティリクティアはそのルイスの言葉に込められた、凍りつくような憎悪を感じるような気がした。 「あんた、分かっててルイスを煽ったろ?」 ふいに、健が言った。 「それは意味がわからないけど、私の言動がルイス卿の行動を方向づけた可能性はないと思っています」 「聞いた噂の通りなら、ロストメモリーを増やす相手をルイスが許す筈がない。8・2で、鉄仮面はあんたを狙う……もしくはアリッサを使ってあんたを、とかな」 「その可能性は考慮しています。でも私は、もっと大きな懸念があります」 「どういうこと」 美しい眉根を寄せたカリスに、ティリクティアが訊ねた。 「ルイスはロストメモリーを殺して、ツーリストとコンダクターは殺さない……そういうわけではない、と思うのです」 「え」 「彼はターミナルを『愚かなショー』と呼び、それを『見続ける』とも言った。でも『永遠の観客』だったはずの彼は客席を離れて動き出している。これは何を意味するのかしら。私には……彼はいよいよ決めたのだとしか思えません」 「何を」 「この劇に幕を下ろすことを」 カリスは冷ややかに言った。 瞬間――、ティリクティアは不吉な幻視をみる。それはカリスの言葉がもたらしたイメージであって、予知では決してない。来るべき未来でなどあってはならない光景だ。 劇場によこたわる《最初の世界司書》の冷たい亡骸。 そしてその周辺に倒れている……別の司書たち。リベルが、エミリエが、シドが……、ティリクティアが知っている、あるいは知り合いでもない世界司書たちの、累々とした骸の山。 さらには、ツーリストもコンダクターもなく、ターミナルにあふれかえる死体、死体、死体。 その中心で、鉄仮面の男だけが独り、立っているのだ。 「嫌!」 思わず、彼女は叫んでいた。 「そんなこと……許されないし――できっこないわ」 その声はふるえていたかもしれない。 「……。俺はいちど円形劇場に戻ろう。気になることを調べたら、また戻ってくる」 健が言った。 「あら、どうして」 「俺はルイスを知らないがあんたを知ってる。あんたは……カリスは愛する家族を守るためなら、少しでも危険を減らすために、立ち向かわず脅迫を飲むと思う。ルイスはあんたを脅して潜むタイプじゃない気がするが、だから警護と探索の両方の意味であんたの近くを外せない」 「私のボディガードをしたいということ?」 「あんたみたいな気の強い美人が居なくなったらターミナルの大喪失だ。これが終わったら求婚者の列に加わりたいくらいだね」 「そんな列があるとは知らなかったけれど」 「ところでカリス、あんたエヴァに戻る気はないのか?」 「ありません」 レディ・カリスは即答した。 「私は《レディ・カリス》の称号に誇りを持っています。返上しなければならないいわれはないわ」 ■ 円形劇場 ■ 劇場内につくられた捜査本部へ、健は戻った。 そこでは集められた資料を柊木新生が調べていた。 健はカリスの情報にもとづき、がれきの下から救出された衣類のうち、黒や濃紺のものを調べてみる。 「例えミスディレクションでもルイスならこの中に手がかりを仕込んでいる筈だ……彼が演じる自身は止められたがってるから」 「そう思うかね」 柊木は、一服を入れながら、健を見守る。 「だがルイス・エルトダウンはきわめて狡猾な人物だ」 公的な記録はほとんど残っていなかった。 それでも、ホワイトタワーに起居していた際の、彼の暮らしぶりを想像できる程度の情報はあった。 健が調べている衣類もそうだし、提供されていた食事や差し入れの記録がある。彼の独房にあった書物も引き上げられていた。 紫煙をくゆらせ、頭の中で情報を整理する。 (ここにある記録からは、ルイスの暗躍ないし陰謀の輪郭はなにひとつ掴めない) それはしかし、想定の範囲内だった。 これがあった場所は、「アジト」などではなく「独房」なのだ。つまり囚人は監視下にあった。犯罪の証拠をそこに残していくはずがないのだ。 やがて、特段の収穫は得られないまま時はすぎ、健は『赤の城』へ戻ると言って本部をあとにした。 入れ替わりにヘルウェンディが戻ってきて、『ネモの湖畔』における一部始終を語り、ティリクティアが神妙な面持ちで聞き入っていた。 ヘルウェンディはルイスの持ち物にアイリーンの遺品や写真、肖像のようなものがないか探したが、見当たらないようだ。最初からなかったのか、失われたのか、それとも独房を出るときに持ち去ったのか、それはわからない。 ティリクティアはカリスの言葉をヘルウェンディに聞かせた。 「アイリーンはきっかけにすぎなくて、今のルイスはターミナルそのものを滅ぼそうとしてるってこと?」 「まさかそこまで、とは思うけど……」 ヘルウェンディは、残されたルイスの蔵書と格闘すると決めたようだった。 そして明日が戻った。 ヘンリーから借りた図面を広げる。 「ここだわ」 柊木をともなって、舞台を見下ろすボックス席のひとつへ向かう。 柱を飾る彫刻の窪みのひとつがそのスイッチになっていた。音もなく、隠し扉が開いた。 「ここを使って出入りしたのか。劇場の地下に潜む仮面の男。まるでファントムじゃないか」 と柊木は言った。 ■ 地下へ ■ 「さあ~、ルイスはど・こ・だ!?」 隆は、トラベルギアの「水先案内人」を投げた。 「刺さって倒れない! ……これは下にいるってことだ」 彼のギアは進むべき方向を指し示すらしい。 「もうだいぶ下ってきたけれど」 明日は慎重に、歩みを進める。 明日、隆、緑郎、ティリクティア、そして柊木――かれらは円形劇場の隠し通路から入り、ターミナルの地下を歩いている。 そこは深い闇に閉ざされていたが、照明を投げかければ石畳の通りに廃墟が並ぶ街が浮かび上がった。 「明日くん」 地下空間に声が反響する。 効率よく探索するため、別行動すると言って出かけていた柊木が戻ってきたようだ。 「どうでした」 「いくつか、野営の痕跡のようなものは見つけたよ。すべてがルイスのものかどうかはわからないけれど、その可能性もあると思う」 手製の地図につけた印を見せる。 一同は合流し、なおも進んだ。 「ここは、過去のターミナルだ」 殿を守って歩きながら、柊木は誰にともなく言った。 「下へ行けばいくほど、この街の古い記憶、そして真実が蓄積されている……」 ターミナルはアーカイヴ遺跡の上にそれを覆うように築かれた積層都市。街は増築に増築を重ね、地層のように古い街区が埋もれてゆく形になっているのだ。 「考えてみれば、ルイスが地下に潜むのは当然と言えたかもしれない。100年以上も収監されていたのだからね」 「あ。そう……そうなんですね」 明日は思わず、柊木を振り返った。 柊木は気づいたかい、と目だけで返した。出来のよい生徒を見る目で微笑む。 「ここはルイスが自由だった頃のターミナルなんだわ」 今のターミナルに生活するものたちにとっては忘れ去られ、放棄された廃墟の町。だがルイスなら土地勘もあり、地の利もある。 「おそらくルイスはこの地下都市を縦横に動き回り、神出鬼没にターミナルの地上にあらわれていたのだろう。自分自身も、そして彼の分身も、また」 「そうして……『鉄仮面』を感染させていった――」 「ねえ、このままここを下っていったら……」 ティリクティアが言うのへ、緑郎が頷く。 「アーカイヴ遺跡にたどりつくね」 「ルイスはそこかもしれないわ」 「その可能性は高いと思う」 異論は誰にもなかった。 いずれにせよ、地下を降りていけば必ず行き着くのである。 やがて周囲の風景はいつしか、廃墟の町から不思議な石造りの空間へ。緑郎は以前来たときと比べて異変がないか注意して観察していたが、目に見える変化はないようだった。 「待った」 後方で柊木が言った。 「誰かいる」 かすかな気配――。彼は銃を手に、隊列の前へ。同じく銃を抜いて、明日がティリクティアたちの傍に立つ。 前方の、闇の中をなにかが動いたようだ。 「ルイスなのか!」 隆が声をかける。 「ロストメモリーを殺したってアイリーンさんは戻って来ないんだぞ! 男なら前向いて生きろや!」 挑発の意味もこめて叫んだ。 「明日くん」 「はい」 「援護を頼む」 柊木は、曲がり角に達すると、銃を構えて飛び出した。 明日がそのあとに続き、ぴたりと死角に身を寄せる。 そのとき! 「!」 闇から飛び出してくる影――白刃が、ぎらりと閃く! 銃声。 闇を裂くのは研ぎ澄まされた刀身――「柊木さん!」明日が銃口を向ける……鉄仮面! 「きみは!」 ギィン!と鈍い音がした。柊木は初撃をかわし、第二撃を銃底で弾いたのだ。 明日は見た。鉄仮面で顔を覆った人物は、しかしルイスではなかった。体型が違う。もっとずっとほっそりとしていて―― (女性……あれは――手錠!?) 「神無!」 叫んだのはティリクティアだ。 「そんな……どうして……!」 明日も気づいていた。相手は彼女も知るツーリスト、村崎神無である。 「『鉄仮面』の誘いに乗ったか」 「こないで!」 鉄仮面のしたから声が迸った。 「これ以上進めば殺す」 「どういうことなの」 「ルイスは……貴方たちを殺すわ。これ以上、彼には殺させない。死が蔓延するのは嫌。だからここから先へは行かせない」 明日がなにか言いかけたが、そんな彼女の肩越しに、立体映像のキャラクターが飛来する。 「『鉄仮面』に操られているんなら無駄だよ、問答無用!」 緑郎のトラベルギアによる攻撃だった。 「残念だけど同意だな」 隆がシャーペンの芯の射撃で援護する。 神無は刀を操り、攻撃を弾いているが、多勢を相手に圧されていくようだ。 やがて、バックステップで飛びのくと、背後の闇へ消えた。 「追うんだ、ルイスのもとへ行くはず!」 緑郎の指摘を待つまでもなく、一同は走る。 走りながら、ティリクティアは胸のなかにざわざわと黒雲が広がってゆくのを感じる。どうして。神無はなぜ、鉄仮面の手をとってしまったの。不安。困惑。焦燥。そして。 「!」 ふいに、彼女はヴィジョンを視た。 もうひとりの、彼女の友人。ひときわ、鉄仮面の囚人のことを気にかけていた少女が、どことも知れぬ場所で、汚らわしい汚濁の海に沈んでいく姿を視たのだ。 思わず、悲鳴をあげた。 それに呼応したとでもいうように。 「なに!?」 「柊木さん!」 がらがらと、足元の石組みが崩れる。 明日が、すんでのところで柊木の手を掴んだ。 「っと、間一髪!」 隆が助けに入る。 「こ、ここは――」 緑郎は広大な奈落をのぞきこむ。 二重螺旋の石の階段。その底に見える、あれは…… 「アーカイヴか……!」 「ようこそ」 ルイス・エルトダウンが、そこにいた。 中空にぽっかりと浮かんだ石のうえに、立つ。 傍らの別の石にはひざまづく神無の姿がある。 「やはり……ここにいたのか」 這い上がりながら、柊木は油断なく相手をねめつけた。 「神無さんに何をしたの」 明日が銃口を向ける。 「私もいつだって何もしない。ただほんのすこし、背中を押すだけだ」 「してるじゃん」 小さく、隆がつぶやく。 「貴方にどんな事情があって、何を思っているのか知らないけれど」 緑郎が言った。 「貴方はエルトダウン家の当主で『ファミリー』の一員だった。貴方にはその責任というものがあったはずだよ」 「なにが言いたいのかね、少年」 「貴方は個人的な動機でその責任をすべて放棄したんだ。そのことに言い逃れはできないってことさ」 「くだらん。したければ好きなだけ私を断罪すればいい。……さあ、それよりも、帰ってエヴァたちに伝えるがいい」 ルイス・エルトダウンは、奈落の暗闇に、うつろな拍手を響かせた。 「ブラヴォー、ブラヴォー! 私は100年以上、ロストナンバーたちの茶番劇をとくと鑑賞させてもらった。だがそれもそろそろ潮時だ。次は私の番。この私が書いたオペラを諸君らに楽しんでもらおうか。タイトルは、そう――『ターミナルの終焉』」 その姿が、闇に溶け込んでゆく。 ルイスと神無を載せた石が、空中を滑るように遠ざかってゆくのだ。 明日が発砲した。たしかに命中したと思ったが、その姿は霧散してしまった。分身だったのだ。神無は石を飛び降り、石から石へ飛び移って消えた。 「おい!」 隆が明日を呼んだ。 かれら、自警団のノートに連絡が入ったのだ。 それはミルカ・アハティアラというツーリストからだった。 彼女は、「名前がわかればその人物のもとに転移できる」という自身の能力を用い、有志のメンバーを集めて独自にルイスを探しに出かけたらしい(「なんて早まったことを!」と明日は言った)。 そして、首尾よくルイスの所在を発見したものの、そのまま捕らえられ、彼女を含む5人のメンバーは拘束されているという。 ミルカが伝えてきた、彼女たちが捕らえられ、ルイス本人が今いる場所は、実に意外なところであった。 それは――「チャイ=ブレの体内」だというのだ。 (了)
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