なにやら、ターミナル中がざわめき、混乱している。 騒がしいのはいつものこと、と言えばそれまでだが……、どうも今日は様相が違う。 やたらに恋愛トラブルの局面に出くわしているような気がするのだ。 エミリエの足に泣きながらすがりつくシドを見た。 アリオを壁際に追いつめて迫り倒すリベルを見た。 アリッサが虎部隆に抱きついてキスの雨を降らせているのを見た――ような気がするが、何かの間違いかも知れない。 フェリックス・ノイアルベールは軽く首を振り、《赤の城》に向かう。 それは、鉄仮面の囚人こと、ルイス・エルトダウンの件について――彼に捕らえられ、救助隊に手間と負担をかけたことについて、謝罪するためでもあった。「あれは私が言い出したことだ。全ての責任は私にある」 執務室の机に片手を置き、フェリックスはそう主張する。 実情は、ミルカから声がけがあり、彼女と同行するものたちが若者ばかりだったので、彼らの身を案じてのことではあったのだが。 カリスは無言で指を組み合わせ、フェリックスの言い分を聞いていたが、やがて、「……それで?」 とだけ、言った。「罰を与えろとは言わない。だが、まさか救助されたから、それで終わりと言うのではないだろうな?」「……? 『それで終わり』ではいけないのですか?」 カリスは軽く眉を上げる。「あなたが何の『責任』をお取りになりたいのか、わかりかねます。囚われて危険な状態であったあなたがたに、何の根拠で何の罪を問えというのです? 意味を見いだせません」 お帰りください、私には、無意味なたとえ話に費やす時間など、1秒たりともありません。 所用がありますので、と、立ち上がり、カリスは執務室を出ようとした。ゆるやかに、フェリックスはそれを押しとどめる。「この件に関してだけではない。これまでの報告書を読むと、ロストナンバーは随分と異世界でもめ事を起こしているようだな」「それは別の話題ですね。今更何を仰るやら」「中には自らの手で己に罰を課したものもいるようだが、事態を収束させればそれで良い、事を引き起こしたロストナンバー個人への責任は問わないケースが大半のようだ」「『自らの手で己に罰を課した』かたなどおられましたか? たとえ、他者からみてそう感じられたとしても、心のうちは誰にも察することはできないものですよ」 かまわず、カリスはフェリックスの横をすりぬけた。「『失敗』と無縁なひとなどいません。無茶無謀や読み違え、単なる傍観や無関心や準備不足、作戦の拙さや現地への配慮不足、コミュニケーションの欠如や運とタイミングの悪さ、それに基づく失敗や救出者へかけた負担と心配、そして異世界への多大な影響。それらすべてが罪だというのなら」 横顔が、近寄り難く、厳しい。「ロストナンバーは全員、かつてのホワイトタワーどころか、即座に断頭台送りの重罪人ばかりです。刑を課せば、たちどころにターミナルの人口は0になり、私やファミリーも含め、誰ひとり残りません。それがどうしたというのですか」「そこまで話を広げるつもりはない。私は、世界図書館が罪と罰の基準をどう捉えているのか、知りたいだけだ」「まるで確固たる管理母体がロストナンバーを厳格に統括しているかのように、『世界図書館』と仰るけれど。あなただって『世界図書館の構成員』なのですよ、フェリックス・ノイアルベールさん」 ――本来、世界図書館とは互助組織でした。行きましょう。 かつり、と、ハイヒールの音を響かせ、カリスは歩き出す。「どこへ?」「世界図書館の成り立ちとありように基づいて、『個々人としてなにができるか』を提案し、今現在も活動くださっているひとびとのところへです」 * *「すみません、キューピッドを見かけませんでしたか?」「見かけだけは可愛い天使ちゃんなんだけど。知らない?」「……そうですか。発見次第、自警団にご一報ください」「気をつけてな! 金の矢に撃たれんなよ!」 カリスの指さす先には、虎部隆とヘルウェンディ・ブルックリンが、聞き込みに走り回っている姿があった。 * *「たかが恋愛トラブル、と、一笑に伏すひともいるでしょう。ですが、激しい恋情はときとして、ひとを殺しかねず、世界をも滅ぼしかねません。少女のころの私がそうだったように。ダイアナ卿が二百年にわたり、そうだったように」 彼らは今、災いの芽を摘んでくれているのです。 彼らは今、身を持って教えてくれています。罪と罰の基準が、個々人の、心のうちにあることを。 そして、カリスは問うのだ。フェリックスにだけでなく、すべてのロストナンバーに向かって。 ――あなたは、この事件について、どう思いますか? ――自警団の活動について、どう思いますか?※この企画シナリオは、テーマ上、企画シナリオ「【0世界自警団】キューピッド・パニック!」と同じ時系列の出来事を扱っていますが、内容が相互に影響することはないものとします。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>フェリックス・ノイアルベール(cxpv6901)=========
そうね。個別に、相談への対応もやりたいと思う。住民のトラブルのようなものとか……世界図書館が対応 しきれない事件的なものも含めて。 事件対応や治安維持以外に……0世界に初めて来たロストナンバーの中には、違う世界の『常識』に戸惑う人もいると思う。そんな場合の相談に乗ってあげられないかしら。 ――自警団初代団長:流鏑馬明日 ああ、それ! それは私も考えてたの。 覚醒まもないロストナンバーのサポート、住むところや職の斡旋……それってすごく必要なことだと思うわ。0世界で暮らしていくうえの、お悩み相談窓口ね。 ――自警団団員:ヘルウェンディ・ブルックリン いいぜ、俺もターミナルの平和のために日夜戦い続けるか! ……週1くらいで。 ――自警団団員:虎部隆 ACT.1■金の矢と鉛の矢 キューピッドは駅前広場上空を旋回している。 続けざまに放たれる金の矢と、そこここで発生している修羅場に、自警団のふたりは振り回されながらも、なかなかに善戦しているように見えた。 「そういえば、被害に遭ったアリッサが何やら暴走しているのを見かけたのだが」 「ああ。あなたがいらっしゃる前に何とか保護しました。今は赤の城の東屋で休ませています」 カリスは苦笑する。 「感情まかせのあの子のことばに、理性を保っていたはずの私も多少、引きずられて動揺してしまいました。ひとは感情の生き物だというのは、本当ですね」 「もう大丈夫なのか?」 「いったん気を失わせたのが功を奏したようで、どうやら落ち着いたようです」 「いや、貴様がだ」 「私が?」 気遣いのことばさえもフェリックスは高圧的だったが、カリスには伝わったようだった。 「貴様が動揺するなぞ、余程のことだろう」 「……あの子の口からヘンリーやロバート卿のことに触れられますと、さすがに」 「金の矢を受けずとも、ひとは恋情に取り憑かれ我を忘れるものだろうし、鉛の矢を受けずとも、恋情は醒め、恋の魔物は去っていくものだろうからな」 「私がキューピッドを問題視するのは」 カリスがそう言いかけた瞬間。 ひゅん! 金の矢が、こちらに向かって飛んできた。 カリスはすらりと『聖杯の剣』を抜き放ち、こともなげに打ち返す。 「何もかも、金の矢と鉛の矢のせいにしてしまえるからなのです。恋が主観的なものである以上、発生も収束も自己責任でしょうに」 「しかし」 フェリックスのほうにも流れ矢が来た。彼もまた、さらりと身をかわして避ける。 「キューピッドにしてみれば、恋の始まりも終わりも責任を負うのが仕事ということなのだろうな」 「フェリックスさん、貴方は」 ひゅん! ひゅん! 今度は立て続けに、鉛の矢がやってきた。 またもギアで叩き落しながら、カリスは問う。 「恋をしたことがあって?」 同様に身をかわしつつ、フェリックスは考える。 「……恋愛か。そんな感情など、とうの昔に忘れてしまったが」 鉛の矢を一本掴み取り、見つめた。 「それがひとに与える影響が、小さくないことは知っている」 「それで十分だと思うわ」 「まあ、この事件の問題点は、恋愛うんぬんにあるわけではないと思うがな」 「では、何が問題だと?」 「ひとの心を勝手に操っているという部分だろう」 「精神操作の弊害ということね」 「ひとの精神に干渉し、意のままに操ることが可能なロストナンバーは他にいくらでもいる」 ……そうとも。 神にひとしき力を持つ旅人の、何と多いことか。 「だが、彼らは、0世界でその能力を駆使したりはしない。余程のことがない限り、依頼でも使用しない」 「そうね」 「精神干渉そのものに強い嫌悪感を持つロストナンバーが多いというのもあるだろうが、何よりそれが、相手の人格を否定し踏みにじる行為だとわかっているからだ」 ――それが『モラル』というものだと、私は思う。 ACT.2■モラルと常識 「とはいえ、それを問題と捉えるのも、私自身が私のなかの『常識』に囚われているからに過ぎない」 「『常識』の基準を設定することはできないですものね」 「常識は世界の数だけ、ロストナンバーの数だけある。すべてのものが納得し共有できる規範を用意することは不可能だ」 「だから、どうしても個別対応ということになるわね。今回がそうであるように」 「どこかで最大公約数的な妥協点を見出さなければならない。それにより、一方的な不利益をこうむるものが発生するにしても」 ――すなわち、自警団は、『常識』の範疇に収まらないものたちに妥協点を提示するため、活動しているとも言える。 フェリックスは、ぽきり、と、鉛の矢を折った。 「自警団が考える常識とモラルがどんなものであり、それが適切な妥協点と成り得るかどうか、興味深いところだな。……そういえば、自警団の構成員は壱番世界出身の若者が多いと聞くが」 「今のところはそうなっているわね」 「0世界を発見したのも、世界図書館という互助組織を最初につくったものも、ファミリー、すなわち壱番世界出身者だ。ターミナルの秩序を維持管理するにあたり、無意識のうちに壱番世界の『常識』で判断していないとは言い切れない」 ひゅん……! 再びよぎる、金の矢。 やり過ごした先に、キューピッドの眉間に銃口をつき付ける、ヘルウェンディのすがたが見える。 拘束に成功したのだ。 「彼らは『ターミナルの平和を護るため』に活動している。それに従うべきと言われれば、そういうことになるのだろう」 フェリックスの見たところ、キューピッドはまだ釈然としていない様子だ。 「自警団はそれを承知のうえで活動しているのだろうな。貴様らが認めた組織ということであるならば」 ACT.3■ターミナルの罪と罰 「ホワイトタワーに類する施設は今も存在し、そこに投獄されているものもいるらしいな」 「ええ。拘束して投獄することが不可能な場合は、討伐隊を派遣したこともあります」 「彼らと私達の違いは何だ?」 フェリックスの声音が、重厚な響きを帯びる。 「その処置は、誰がどういう基準で決めている?」 それこそが、彼が聞いておきたいことだったのだ。 カリスは、しばらくの間、無言で考えていたが、やがて、ゆっくりと口を開く。 「館長と理事会が合議したうえでの決定です。目には目を、歯には歯を――というのは、それこそ、壱番世界の話になってしまうけれど」 そう前置きをして、ハンムラビ法典のタリオの法を引用した。 「この条文を同害報復の推奨のように考えるひともいるようですが、これは過剰な報復を禁じ、限度を設定するというのが趣旨なのです。つまり、目を奪われたとしても目以上のものを奪い返してはならない、歯を奪われたとしても歯以上のものを奪い返してはならない。ターミナルには及ぶべくもありませんが、古代バビロニアは、多様な人種が混在する、当時の世界で最も進んだ文明国家でした」 「それで?」 「社会の維持にあたり『ある行為に対して刑罰を遂行する』には、まずは『何が犯罪行為であるかを明確にする』必要があります。ですが、貴方も仰ったように、『常識は世界の数だけ、ロストナンバーの数だけある』。私は先ほど、ロストナンバーは全員、断頭台送りの罪人ばかりだと言いました。けれど実際には、誰もがその罪を裁かれるわけではない」 「まさしく私が聞きたいのはそこだ。何故、彼らは裁かれ、私は裁かれないのだ?」 「その違いがわからない貴方ではないと思いますが?」 カリスは真正面から、フェリックスの眼を見つめる。 「それは、貴方とルイス・エルトダウンとの違いは何か、貴方とリーリス・キャロンとの違いは何か、貴方と月の王ベルク・グラーフとの違いは何か、ということになりますよ」 かつてルイス・エルトダウンが投獄されたのは、彼が「0世界で殺人を犯した」からです。 リーリス・キャロンに討伐命令が下されたのは、彼女が「明確な悪意」を持って、ひとつの世界を喰らい尽くそうとしたからです。 ベルク・グラーフがロストナンバーたちに討伐されたのは、「私欲のために他世界の人間を殺害した」からです。 ならば、と、フェリックスは言う。 「もし自らの基準で重罪を犯したと感じた者が『自分に裁きを課してくれ』と訴えて来たらどうする?」 「大変、困りますね」 さらりと、カリスは答える。 「それこそ『その処置は誰がどういう基準で決めればいいのですか?』と言う以外にないでしょう。その訴えは、ご自身の負担の軽減のために、誰かに裁きの負担を求める行為とも言えます。ご自身が罪を自覚しているのであれば、他者に裁きの重さを課するのは本末転倒では?」 「自分の罪は自分にしか裁けぬというのならば」 フェリックスは空を見上げた。 ターミナルの、その彼方を。 「それはある意味、最も重い罰かもしれんな」 ACT.4■そして、未来へ 「将来、ターミナルの治安の維持は自警団に委ねるつもりか?」 「いいえ。それはあまりにも彼らへの負担が大き過ぎます。自警団は『有志による自警団』だからこそ、意味があるのです」 キューピッドをともなってトラベラーズ・カフェに向かう隆とヘルに、カリスはふっと目を細める。 「彼らには、自警団を退団できる自由を持っていてほしいですし、もっと言うならば『自警団を解散できる自由』も視野に入れてほしい」 「成る程。私は、もしや、いずれ0世界の統治をロストナンバーに一任しようとしているのではないかと思ったのだが」 「『ファミリー以外のロストナンバー』ということですね。もちろん、皆さんの信頼に値するロストナンバーがいらっしゃれば、館長に立候補いただいてもかまわないと、個人的には思っていますし、それについてはアリッサも同意見です。そのうち、選挙などを行ってみるのも良いかも知れませんね」 「……館長選挙!」 「一案ですけれども」 思わぬことを聞き、フェリックスは、ターミナルの未来について、なおも考えを巡らす。 もうすぐ、『虹』が空を彩る設定なのだろうか。 雨上がりの空から、霧雨がまばらに降り掛かってきた。 ――Fin.
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