『雨』が止んだばかりの、とある午後。 駅前広場の館長像の、それも頭のうえに――小さな天使のようにも見えるロストナンバーが立っていた。 くるんとした金髪の巻き毛に、ぱっちりと大きな青い瞳。背中には一対の白い翼。そして、手には弓矢。 壱番世界の神話に見受けられるキューピッドそのものであるが、彼の表情は、およそ愛の神にはふさわしからぬ冷ややかさだった。気だるげに、興味なさげに、広場を行き交うひとびとを見下ろしている。(何という人の多さだ)(それでも、こんな時の動かぬ世界にさえも……、いや、だからこそ恋情は必要なのだろう)(激しい恋心、それを失った絶望、醒めたときの哀しみ、そして新たな恋)(生まれては消えていくドラマを創るのが、私の仕事)(いささか疲れたが、しかたあるまい。私が仕事をしなければ、恋は生まれないのだから) ――と。 パラソルを回しながら、ひとりの少女が横切る。図書館ホールへ行きがてら、雨上がりの散歩を楽しんでいるらしい、アリッサだった。「目標、確認」 低くつぶやくなり弓を持ち上げ、金の矢をつがえる。その瞬間、矢じりに、4桁のアルファベットと4桁の数字がランダムに浮かんだ。「汝、cuxx6990を愛せよ」 金の矢はアリッサの左胸に光のように吸い込まれ、消えた。「……あれ? 誰か、今、そこに」 アリッサは胸を押さえ、辺りを見回す。しかし、いち早く飛び去ったキューピッドは視界には入らない。「何か、ちくってしたような? それに、急に、胸がどきどきして……」 * * ほどなく。 あちらこちらで、激しい恋の芽生えと、いきなりの壮絶な別れが混沌と渦巻いた。 あっという間に、ターミナル中がパニックに陥ったのだ。 * * オウルフォームのセクタンが2羽、駅前広場を旋回している。 虎部隆のナイアガラトーテムポールと、ヘルウェンディ・ブルックリンのロメオだ。「いたか?」「ううん。もう移動しちゃったみたいね」「ったく、人騒がせな愛の天使だぜ」 彼らはトラベラーズ・カフェからの帰り道、この騒ぎに遭遇した。 しかも、隆のほうは、身に覚えもないのに当事者になっていた。「隆………! ああ隆! 会いたかった!」 何せ、いきなり駆け寄ってきたアリッサに飛びつかれて抱きつかれてキスの雨を降らせられたのである。やったあラッキー……! じゃなくて、こんなところをフランたんに見られたらえらいこっちゃどころではない。「き、気持ちは嬉しいけど落ち着こう、な、アリッサ?」「いつものアリッサじゃないわね。目が据わってる」「まったく見苦しいこと」 レディ・カリスが、アリッサを隆からぐいと引きはがす。 カリスもまた、ターミナル混乱の報を聞き、確認に出向いたところ、様子のおかしくなったアリッサ館長を見つけたという次第である。 そしてその場で、隆とヘルウェンディはカリスの依頼を受け、自警団として活動することになったのだ。 ――覚醒し、保護されたばかりのツーリスト「キューピッド」が、彼の世界における「仕事」として、無差別に金の矢と鉛の矢を放っているの。 どうやら、金の矢は恋情を掻き立て、鉛の矢は恋情を喪失させる機能があるらしい。 そのせいで、アリッサだけでなく、あちらこちらで、激しい恋に落ちたり、突然の別離にうろたえたりする男女や同性や異種族が相次いでおり、ターミナルの住人に大混乱を招いているのだという。 シドはエミリエの足に泣きながらすがりついているわ、リベルはアリオを壁際に追いつめて迫り倒しているわで、その修羅場たるや壮絶極まりない。 「解決方法はいろいろあると思うのだけど」 隆ーーー! 愛してるー! と、熱に浮かされっぱなしのアリッサの腕を掴みながら、カリスは冷静に言う。「キューピッドに、悪意があるわけではないのよ。彼はあくまでも真面目に『仕事』をまっとうしているだけ。けれど、このままでは、彼はターミナルの生活に適応できない」 どう伝えればいいのかしらね。 ――彼から「仕事」を取り上げることになるのだから。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>虎部 隆(cuxx6990)ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)=========
(1)自警団は、0世界住人有志による任意の団体。0世界の治安を守ることを目的とする。 * (中略) * (6)自警団は0世界内で治安を乱すものを発見したら、そのものの行為をやめさせ、必要に応じて拘束するなどする。ただし、処遇は世界図書館の決定に従う。 (7)自警団は活動に際して、自己防衛と住人の安全を守るという活動の範囲を超えた、過度の暴力は用いない。 水曜日草案(第一稿)より ACT.1■愛と混沌の嵐 「離してよ! おばさまに私の恋を邪魔する権利なんてないわ!」 混乱は続いていた。アリッサはカリスの腕を振り払い、またも隆に抱きついたのである。 「信じてくれフラン。これは純粋な事故だ。話せばわかる」 そうだ、そうだとも。 ここは毅然とした態度で冷静沈着に経緯を説明する必要がある……! そう自分に言い聞かせながらも、隆は、この場にはいないはずの恋人が、あたかも超時空から必殺技(どんな?)を放つ構えを取っているのを幻視し、イヤンな汗を浮かべた。 「そうね。あとできちんとフランに見せるために、証拠写真を撮っておきましょ」 ヘルウェンディはデジカメを取り出し、アリッサ×虎部のラブラブツーショット現場を何枚も激写する。 「おいこらヘル!」 「大丈夫よ。隆の心にやましいところがなければ、フランもわかってくれるわ。……………たぶん」 「目を逸らしながら保証するなよぉぉぉー!」 「しっかりなさい、アリッサ。あなたは正気の状態ではないのよ?」 涙目の隆から、カリスはアリッサを引き離そうとする。しかしアリッサは、美しい叔母をきっ、と睨みつけた。 「おばさまに何がわかるのよ。私個人のしあわせなんて本当は考えてないじゃない。リオードル公と政略結婚させようとしたくせに」 「それは別の話です」 「政略結婚ならおばさまがすればいいじゃない」 「何ですって」 「それがイヤなら、普通に恋をすればいいじゃない。私の後見人なんかやめちゃって、お父様とでもロバートおじさまとでも、結婚でもなんでもすればいいじゃない!」 さっと、カリスの顔色が変わる。通常の状態であれば、まずアリッサはこんなことは言わない。言わないけれども――ずっとこころの奥で押し殺してきた感情かもしれなくて。 「黙りなさい」 ぱしん、と、カリスはアリッサの頬を張った。 「ちょ」 その音の激しさに、隆は目を剥いた。 「うわぁああん! エヴァおばさまの馬鹿ぁ!」 アリッサは隆の胸にすがりついて泣き始めた。 「隆ぃぃー! おばさまがひどいのよぉー!」 「あー、よしよし」 髪を撫でてやりながら、隆はカリスを見る。 「何も叩かなくても」 「……そうね。つまりはこんなふうに、恋愛がらみの葛藤は、ひとを感情に走らせてしまうのよ」 カリスはため息をついた。 「トラブルの発生は、当事者同士に留まらないということね」 その頬をかすめ、ひゅん、ひゅん、と、続けざまに二本、矢が放たれる。 一本の矢はオウルフォームのナイアの胸に吸い込まれ、もう一本は同じくオウルフォームのロメオの胸に刺さった。 「「「……あ?」」」 隆とヘルとカリスは、同時に声を発した。 ナイアとロメオはぱたぱたと空中でホバリングしながら見つめ合っている。 ――やがて。 二羽のフクロウの背景に、巨大なハートマークが浮かび上がった。 「ええええー!?」 怒濤の展開にヘルは目点である。 やがて二羽は、館長像の頭上に止まった。 そんでもって。 ぴたっと身を寄せたまま、動かない。 どうやら相思相愛のようである。 「セクタン同士の愛だと!? イグジストも恋をする、のか……?」 「わけわかんないこといわないでよ。どうするのよこれ」 突然。 ターミナル上空に、高らかな鐘の音が鳴り響いた……、ような気がした。 はらはらと薔薇の花びらの雨が降……、ってきたような気もする。 ひとりの男が、近づいてくる。 優雅な物腰の、兎耳のシルエット。 「アリッサ。そこをどけ。隆に近づくな」 おごそかに現れたのは、なんとブラン・カスターシェンだった。 ブランはうやうやしく跪くやいなや、隆の手をおしいただき、その甲に口づけを落とす。 「……隆。愛している」 「いや待てブラン。俺が愛しているのはブランだけなんだぁあー!」 あまりのことに、隆はとんでもない誤発言をしてしまった(註:WRの誤字じゃありませんですよ)。 「そうか、隆も我輩のことを……」 「違う違うちがうぅぅぅー! 間違い。今の間違いだから。フランだフラン!」 隆はわたわたし、アリッサはくるりとブランに向き直った。 「あなたこそ隆に近づかないでくれる?」 ぴしっと、人差し指をその鼻の頭に向ける。 「何よこの泥棒猫ッ」 「我輩は兎だ」 「もてもてね、隆」 ヘルはもう、何をどうコメントしていいのだかわからない。 「ヘルー! 助けてくれよぅ」 「わかったわ。ブラン×虎部の写真もちゃんと撮っておくから」 「写真はもういいようーー! 助けてくれよう、カリスー!」 「わかりました。後日、釈明が必要な場合は、証言いたしましょう」 言ってカリスは、アリッサのみぞおちに手刀を打ち込む。 アリッサはあっけなく気を失った。 「しばらく赤の城で休ませて、まだ効果が切れないようなら、《静謐の棺》に放り込むことにします」 引きずるように抱えて去っていくカリスの後ろ姿に、隆は叫ぶ。 「カリースー! カリスさまぁ! 俺を捨てないでくれー! ブランはー? ブランはどうすんだよぉ。おおおおーーーい」 「おまかせします」 「まかされても!?」 ACT.2■衝撃の告白……? 「仕方ないわね」 ヘルは少し考え、ブランの手袋を引っこ抜いてから、その頬に叩き付けた。 「ブラン。決闘を申し込むわ。隆と付き合いたいのなら、私と勝負なさい」 「何と!?」 「まさか誇り高き貴族様が、決闘から逃げるなんてことはないわよね?」 「あ、当たり前だ。受けて立とう。いざ、尋常に勝負!」 「じゃあ一週間後、またこの場所でね」 「……今ではないのか?」 「何を言ってるの。正式な決闘は手順を踏んで行われるものでしょ? 立会人も必要だし。それとも誇り高き貴族様が正当な手続きをないがしろにするの?」 「う、む。それはそのとおりだな」 では一週間後に、と、ブランは素直に引き下がった。 (ま、一週間後には金の矢の効果は切れてるでしょうし) 「かっこいいぞ、ヘル。惚れそうだ!」 「こんなときにきつい冗談はやめて!」 ブランがくるりと背を向け、薔薇の花びらのカーテンが薄れかけたその瞬間―― 天使が金の矢をつがえ、飛んでいるのを隆はみとめた。 矢は、真っ直ぐに、ヘルを狙っている。 「危ない、ヘル!」 隆は全面に立ちふさがり、矢をその身に受けた。 「隆!」 どう、と、倒れた隆に、ヘルは駆け寄った。 「ああ、ヘル……。無事か?」 そっと伸ばされた手を、ヘルは握りしめる。 「ええ」 「そうか。無事で良かった」 「……ありがとう。庇ってくれたのね」 「君が傷つくくらいなら、俺は串刺しになってもかまわない」 「しっかりして。傷は浅……、っていうか……、」 な い わ よ ね 、 傷 ? 「お、俺は矢を受けると助からない能力の持ち主なんだ……」 ごぶり、と、隆は吐血する。 何やらケチャップの匂いのする血だ。 もともと、はは〜ん、と思っていたヘルは、調子を合わせる。 「隆にもしものことがあったら……、私……」 「実は俺は、君を愛していた」 「そうだったの……。気づかなくてごめんなさい」 「フッ……。愛のために、君のために死ねるなら本望さ……、ガクリ」 「隆……! 何てことなの!? こんな展開があなたの望みなの? 私はこんなの望んでなかった!」 隆にすがりついてヘルは泣き崩れる。 しばらくの間、困惑しながら、彼らの頭上を旋回していたキューピッドは、やがて、いたたまれなくなったらしく、地上に降り立った。 「そんなはずはない。今の矢は、外したはずだ」 「へへー、ばれたか」 にやりと笑い、隆は半身を起こす。 金の矢は、隆の左脇に挟まっていた。 おもむろに、ヘルは、天使の眉間に銃口を突きつける。 「その弓矢を離しなさい」 ACT.3■プロフェッショナルの矜持 で。 トラベラーズ・カフェである。 騒ぎを起こした超本人のキューピッドと、それを拘束した自警団のふたりが、同じテーブルでクリームソーダなどをすすっている図に、ロストナンバーたちは怪訝そうな顔をしながらも、口々に、「おつかれさまー」「がんばってー」「手伝えることがあったら言ってー」などと声を掛けていた。 「……なるほど、自警団か。おまえたちの立場はわかったが」 三杯目のスペシャルチョコレートパフェをつつきながら、キューピッドは、しかし未だ納得していない。 「つまり、不適応者は矯正するというのだな。傲慢なことだ」 「そうね。傲慢だし、自分本位だし、身勝手な押しつけかも知れないわ」 ヘルはストローを、ぴん、と、はじく。 「事実、その通りよ。私がファミリーに首突っ込んでひっかき回した行為もね」 「――ヘル」 「じゃあ、どうすればよかったっていうの?」 声を落とした彼女だが、その表情はいつもの勝ち気さを保っている。 「放っとけばよかった? 何もしないで文句だけ言って、ひとが間違えたら、ほら見たことかって笑えばよかった? 嫌よそんなの……!」 「ヘル。それはもう」 「覚醒したら0世界で生きてくしかないの。欺瞞かもしれないけど、妥協がいやなら譲歩なさい。0世界じゃその生き方は許されない。貴方の仕事は混乱と無秩序を招くわ」 「混乱と無秩序か」 キューピッドは薄く笑う。 「だがそれこそが、恋愛の本質であり、それを招くのが私の仕事ともいえる」 「だったらあんた、なんでそんなつまんなそうな顔で仕事してるの?」 「つまらなそう、だと?」 「情熱や誇りは消えたの? 惰性と義務感だけでずるずる仕事してるなら即刻やめちゃいなさい。仕事に対して失礼よ」 「それでも、これが私の仕事であることには変わりはない」 「それは『貴方の世界での貴方の仕事』だわ。でもここは貴方の世界じゃない。貴方が仕事に精出す必要なんて全くない」 「では、どうしろと」 「無職でいいじゃない?」 あっさりと、ヘルは言う。隆もうんうんと頷いた。 「そうだなぁ。これからどうするかはゆっくり考えていけばいいよ」 「だが」 「世界が変わったんだから、今の世界に合わせて生き方を変えて行く部分も必要だぜ。第2の人生を歩むのもありじゃねーかな」 「それでも自己流スタイルを貫き通すって言うなら、力ずくで阻止するわよ?」 「うん、どうしてもこれしかできなくて、俺らの話が理解できないってんなら実力行使に踏み切る! その体に0世界のルール叩き込んでやるぜ!」 「仕事熱心だな」 キューピッドは、今度は――朗らかに笑った。 * * 「ねえ、キューピッド。私には恋人がいるの。世界で一番イイ男よ」 「……。のろけ話に興味はなくてな」 「あんたキューピッドでしょ!? 聞きなさいよ!」 「私の仕事はあくまでもドラマの創出なのだ。その後の展開や関係の継続は各自の任意というものではないかね?」 「いいから聞きなさい! カーサーっていってね、かっこよくて優しくて頼りになる最高の彼氏なのよ」 「恋愛に夢中の娘はまったく同じことを言うものなので食傷している。もう何万回聞いたことやら」 「聞きなさいってば! あんたが余計なことしなくても、勝手に惚れあって続いてるの」 ――私の好きなひとは、私が決めるわ。 「そーゆーこと。俺もさー、ガチガチに束縛したりされたりするの、あんま好きじゃないからさー」 キューピッドの肩を、隆はぽんぽん叩く。 「ほどほどにやるんなら、俺らもアドバイスしてやるよ。……あとさぁ」 そして、ひそっと囁いた。 (自警団の出資者にすごい金持ちがいるんだよー。口利きしてやっから、縁結びの新事業とかやんねぇ?) (ほう……。新事業……) (てなわけで、参考資料としてその矢、何本か貸して?) 「……聞こえてるわよ。隆………」 「い、いや、違うんだ誤解だヘル。俺は本気で縁結びを」 「本気なんじゃないのぉぉーー!」 ACT.4■愛は世界を救う……ときもある 「うむ……。なるほど。出会いのきっかけは『フラグ』とやらを立てる程度に留めればよいのか。ならば矢の威力を調整すれば対応可能だ」 キューピッドはもともと有能な仕事人であったようで、どうやら、新しい職場での適応もなんとかなりそうだ。 隆とヘルは、ほおっと一息つく。 * * (結局のところ、正義って、エゴの代弁じゃないか、って、思うのよね) (まぁなぁ。正義のありようはひとそれぞれだしな) 自警団に入ったのは―― 0世界を護りたいという気持ち以上に、私自身が今の生活をなくしたくないと強く願ってるからなのよ。 ヘルはウェイトレスを呼び止める。 「クリームソーダもう一杯。あと、領収証はまとめて『ロバート・エルトダウン』宛に発行してね」 経費の使用内容の報告義務はないって言われてるけれど、厳正にしておきたいものね。 言ってヘルは、吹っ切れた表情で笑う。 ――Fin.
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