オープニング

 多くの旅人が訪れ旅立つ0世界の歴史は、まだ事の始まりを語れ、年数を数えられるのだから、そう、長くはないのかもしれない。
 この数年の間ですら、多くの出来事があった。急激に旅人が増えた事で、異世界との関わりに異を唱える者がではじめ、ナラゴニアの存在により0世界でも大きな戦争すらおきた。
 それでも、日々は過ぎ時は流れ、世界図書館は今日も静かに佇んでいる。
 
 今日もぐーすかぴーひょろと寝息を立てて寝ている司書アドの傍らに、幾つもの紙類が散らばっていた。開かれたままのトラベラーズノートと導きの書、別世界への依頼書とチケット発行用書類等の重要性が高そうな物から、チラシやメモ用紙の走り書きといった物まで、いろいろある。それらが飛ばない様にか、紐でくくられた封筒の束が重石の様に置かれている。
 大小様々な封筒は蝋で封がされたものやパステルカラーのファンシーな物、羊皮紙や笹の葉でくるんだものと様々だ。


 
 旅人達からの手紙は、彼らの旅路を語る。



======
<ご案内>
このシナリオは「ロストナンバーたちの後日談」を描くものです。

プレイングでは、みなさんの「その後の様子」をおしらせ下さい。
このシナリオは便宜上0世界が舞台として表示されていますが、どの世界の出来事でも構いません。

例:
・3年後、ヴォロスに帰属した。冒険者相手の酒場を経営している。
・数年後、○○さんと結婚。今もターミナルで暮らしている。
・冒険の旅に出た。新たな世界を発見し、探索を続けている。
・10年後、故郷の世界に帰り、再帰属を果たす。○歳まで生きて天寿を全うした。
※「○年後」という表現があれば、北極星号の帰還の年から数えます

相手のある内容の場合(結婚等)、お相手の方も同じシナリオにご参加のうえ、互いのプレイングに明記をお願いします。
帰属済みであるなどしてシナリオに参加できない場合、設定欄等に同意があることをわかる記述をお願いします(納品されるまでそのままにして下さい。ライターが確認したタイミングで書かれていなければ参照しません)。

なお、このシナリオの結果として、帰属や死亡が描写された場合でも、ステイタス異常にはなりません。

!重要な注意!
このシナリオのノベルに関しては、どのような理由であっても、納品後の修正依頼は一切受け付けません。

「故郷の世界」や、「新たな世界」を描写する場合、担当ライターにその設定も含めて一任していただくものとします。

複数のエピローグシナリオへの参加について、制限はありません。ただし、ライターは別のライターが執筆するシナリオの内容については関知せず、両者の内容について整合性を保つ義務は負いません。

シナリオに参加したことをもって、上記の点をすべてご了承いただいたものとします。
======

品目エピローグシナリオ 管理番号3258
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメント こんにちは、桐原です。

 アドへと届いた手紙という雰囲気でお送りしておりますが、参加やプレイングに制限はありません。

 貴方の未来を、お話しください。

 

参加者
エレナ(czrm2639)ツーリスト 女 9歳 探偵
ルオン・フィーリム(cbuh3530)ツーリスト 女 16歳 槍術士
ナウラ(cfsd8718)ツーリスト その他 17歳 正義の味方
三雲 文乃(cdcs1292)コンダクター 女 33歳 贋作師/しょぷスト古美術商
仲津 トオル(czbx8013)コンダクター 男 25歳 詐欺師
鹿毛 ヒナタ(chuw8442)コンダクター 男 20歳 美術系専門学生
ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)コンダクター 男 35歳 ミュージシャン
ベヘル・ボッラ(cfsr2890)ツーリスト 女 14歳 音楽家
ジャンガ・カリンバ(cpwh8491)ツーリスト 男 37歳 シャーマン
サイン(cemc2760)ツーリスト 男 8歳 走竜の歌い手

ノベル

 ぽかぽか陽気の中で寝入っていたアドはすぐ近くに人の気配が在ることに気がつき、体を伸ばして起き上がる。猫のように伸び、芝生に爪痕を残しながら見上げれば、ベヘルが隣に座っていた。
「おはよう。早速だけど、聞きたい事があるんだ」
『なんだ、起こしてくれりゃよかったのに』
「よく寝ていたからね。別にそんな急ぎでもないんだ」
 北極星号が帰還しワールズエンドステーションが発見されてからというもの、多くの旅人達の出身世界――故郷が見つかったという報告が毎日の様にされ続けた。ベヘル・ボッラもまた、その中の1人である。
「出身世界に長期滞在するには、どうしたらいいのかな」
『再帰属しないで長期滞在したい、ってことでいいか?』
「うん。ぼくは〝災害に巻き込まれた瞬間覚醒し、気がつくと異世界にいた〟んだけど、どうもその時に、世界は壊れていたみたいなんだ」
『世界が壊れた? 世界が壊れたのに、出身世界が見つかったのか?』
「あぁ、そうともとれるね。そうだな……壱番世界の中の一つの世界が壊れた、って説明なら、わかってもらえるかな?」
『おぉ、お前がいた場所が壊れた、って事な。OKOK。長期滞在用のチケットは発行できるぜ。ただ、帰りの日時は決めておかないと発効できなくってな。とりあえず5年くらいにしといて、まだ滞在したいようなら切れる前に戻ってきて、次のチケットを発効すれば問題ない』
「その口ぶりからすると、ぼく以外にも出身世界に長期滞在する形をとった旅人がいたのかな?」
『そういうこった。世界群の時間経過はそれぞれ異なるからな。0世界で何年も過ごしたのに出身世界じゃ数時間しか経ってなかったとか。逆に一年足らずのはずが見つけた時にはもう何百年も過ぎてて本当に自分の世界か疑ったとか、様々さ。中には、出身世界に戻るかどうか、旅人をやめるかどうか迷って様子見をしたい、ってやつもいた』
「こんなに魅力的な事もそうないもんね。じゃぁ、とりあえず五年で長期滞在チケットの発行、よろしく」
『おーう、三日後には用意しとくぜー』
 ベヘルが立ち去り、アドはあたりに散らばる書類をばさばさと漁りだす。出身世界が見つかりだしてからというもの、多くの旅人がチケットを求め出した事もあり、アドはチケットのみ発行する事が増えていた。とはいえ、元々サボって寝てばかりのアドの元にチケット発行を求める旅人は急がない者か、ベヘルの様な問い合わせを持っている者が多かった。
 必要な書類を見つけ枚数を数えているアドの元に、また1人、旅人がやってくる。
「こん、にちは。アドさん。あの……」
『よう、ナウラ』
 どこか緊張気味に声をかけたナウラはそのまま言葉に詰まり、所在なさげに突っ立ってしまう。アドはぽりぽりと頬を掻くと書類をしまい、ナウラを見上げる。
『まぁ座れよ』
 ぽんぽんとアドが芝生を叩くと、ナウラは小さく首を横に振る。
「チケットを、取りに来たんだ」
『そうか』
 出身世界を見つけたナウラは故郷に行くかどうか、帰属するのかを物凄く悩んだ。ナウラにとってあの世界は守るべき大事な世界であり、愛する父や兄弟、そして世話になった探偵社の人達が今も暮らし続けている大事な世界だ。急に姿を消した自分を心配しているだろう。しかし、ナウラの思いとは裏腹に、世界はナウラに厳しいものだ。
 ナウラは魔道司祭が生み出した兵士であり、消耗品として使い捨てられる存在だ。出身世界に帰れば、その生命は十年も持たないと、ナウラ自身が理解している。
 ロストナンバーのままでいれば、楽しい日々が過ごせる。おいしい物を食べて、依頼を受ければ兵士としても活躍できる。友人もできた。きっと、もっと多くの友人も、できるだろう。だが、愛した家族を放っておくのか、何よりも父と誤解し合ったままでいいのだろうかという思いもある。
 答えの出ない問いは口に出す事で何か変わることもあると言われ、ナウラは思いつくままの心情を、何度もアドに語った。父が自分たちを捨てて逃げた事、大事な家族を失った事、父と再開し兄弟が死んでしまった時の事。苦しいと悲しいと、それでも家族を愛しているというナウラの思い。そのナウラが帰る事を決意し、チケットを受け取りに来た。
「私は、正義の味方だ。だから、帰って皆を守るんだ」
 ぐっと手を握り、アドを見て言うナウラの視線は力強く、その言葉も頼もしい感じがする。アドは握りしめられたナウラの手に両手を添え、頬をすり寄せる。
『もしなんかあって帰属できなくなっても、迎えにいってやれるからな。元気でな』
「ありがとう」
 ナウラはアドの喉元を撫で返すとチケットを受取り、新たな旅立ちへと出発した。



 街外れのビルジングに構えられた平沢探偵社には社長の平沢を初め、従業員である石田、賀川、ひばり、そして記者の大久保が集まっていた。それぞれが抱える仕事の事、出先で見かけた不思議な事などをのんびりと話していると、小さな足音が聞こえ、彼らは声を潜め出す。
 平沢社長は窓から差し込む黄金色の日差しに照らされた壁掛け時計へと視線を向ける。針は文字盤を二つに分けるよう、真っ直ぐ縦になっている。黄昏時、逢魔時とも呼ばれるこの時刻に舞い込んでくる仕事はだいたい、大変な事が多い。
 こつり、と扉の前で足音が止まる。ノックもなく開いた扉に従業員たちが不思議そうな、どこか怪訝そうな顔を向けるが、扉が開いた瞬間、その顔は驚きに満ちた。
「ただいま」
 ナウラがそう一言告げる。懐かしい声を聞き、変わらない姿を頭のてっぺんから足の先まで何度も見直した授業員達は喜びの声を上げてナウラを抱きしめる。
 たっぷりと熱烈な歓迎を受けた後、今までどこにいたのか、という問いがナウラに投げかけられた。ナウラが覚醒した事や覚醒してからの事を一つ一つ、丁寧に語る。平沢達は理解に苦しむような顔を見せたり、困惑し顔を顰めたり頭を抱えたりという姿を見せるが、それは全て、ナウラの言葉を信じているからこその態度だ。彼らはナウラの説明を全て受け入れ、その上で、理解しようとしているのだ。なにより、ナウラの成長ぶりが、言葉で説明しきれなくとも肌で感じられる。
「よく頑張ったね、ナウラ君」
 言い、平沢社長はナウラに優しい微笑みを向ける。その言葉を聞き、ナウラの瞳からぼろぼろと涙が零れだした。従業員達はまたナウラを抱きしめ、もう一度ナウラの無事を喜んだ。
「平沢社長、依頼したいことが、あるんだ」
「なんだい?」
「地底世界“オ・バルナリ”の魔道司祭だったタラク・ディ・シバンに、会いたい」
 ナウラの言葉に平沢社長は一瞬、驚いた顔を見せるが、直ぐに頷いた。
 タラク・ディ・シバン。それは、紛れもなくナウラの父だ。同時に、ナウラ達を捨て地底世界から亡命した男だ。
 ナウラ達兄弟は父が地底世界から亡命した後も、父の言葉を胸に、真っ直ぐに生きていた。それ故か、長兄アイロはゆっくりと心を壊し、父と再会した時に、愛する兄弟を手にかけ、自身の命をも、落としてしまう。
 アイロは、父への愛が一際強く、父の願いを誰よりも理解していた。しかし、愛する父の教えを胸に生きる中、その教えに反する任務との相反する物事に折り合いがつけられず、静かに、しかし確実に狂っていったのだ。
 ナウラの声も届かず、あれほど会いたいと思っていた父、タラク・ディ・シバンに再開したことすら、アイロは理解できていなかった。アイロの目に映っていたのは、彼が愛した兄弟でも、会いたくてたまらなかった父でもなく、任務遂行を拒んだ反逆者達だったのだ。
「アイロの思いはただ一つだ。褒めて欲しかったんだ。よくやったね、がんばったねって」
 おとうさんに、と、ナウラは繋いだ手に力を込める。
 アドに相談していた時も、ナウラはあの小さな体を手のひらに乗せ、時々撫でながら語っていた。『触れ合って語る方が、心が伝わりやすいと思うんだ』と、アドが言ったからだ。
 平沢社長のツテによりタラク・ディ・シバンに出会えたナウラは、彼の顔こそ見られないが、出会ってからずっと手を掴んだまま、語り続けている。
 父がいなくなってからの事。任務の事。兄弟たちとの生活。アイロの事。トウリの事。マエラの事。セオルの事。
 そして、ナウラの事。
 アイロの最後に父が言った言葉と、それを聞いて自分がどう思ったのか。
「今日も、本当は会ってくれないと思ってた。拒否されてもしょうがないって。でも、私たちはずっと、離ればなれだったから、ちゃんと話さないと、なんにもわからないと思ったんだ。それでね、聞きたいと思ったんだ。私たちのこと、どう思っていたのかって」
 全部ぜんぶ、ナウラは伝える。俯いたまま語っていた間も、タラク・ディ・シバンは口を挟まず、ずっとナウラの言葉に耳を傾けていた。繋がれた手が時々、強く握られたり撫でられる事で、ナウラは父も歩み寄ろうとしてくれていると、信じられた。
 ナウラは顔を上げ、父の顔を、しっかりと見る。久しぶりにしっかりと見る父の顔は涙が零れ、眼も頬も鼻頭も赤くなっていた。それでも、とっても幸せそうな微笑みをナウラに向けている。
「もちろん、愛しているさ。私のナウラ」
 言葉の終わりに嗚咽が混じる。タラク・ディ・シバンは愛娘をしっかりと抱きしめた。何から伝えようかと、鼻をすすりながらもナウラに伝えだす。アイロもトウリもマエラもセオルも、私の大事な、大事な子供達だと、いかに愛していたかを、ナウラが語ったのと同じように、タラク・ディ・シバンも伝え出す。
 父と娘は離ればなれだった時間を埋めるように、すれ違っていた分を取り戻す様に、長い間、語り合った。


 平沢特別探偵社のテーブルに味噌汁とクッキーが並ぶ。組み合わせとしてはちょっと面白いことになっているが、ナウラの思い出の品だと聞いている面々は別々にしてもよかったんじゃ、という言葉を味噌汁ごと飲み込む。
 楽しい一時を過ごす中でも、怪人魔人は時と場所を選ばず現れ、ナウラ達は慌ただしく探偵社を飛び出していく。
 探偵社の皆と、父と共に。
 昨日と同じく平穏な明日を、人々が送れるように
 ナウラは今日もこう、叫ぶ。
「平沢特別探偵社! 正義の味方だ!」



 アドの元に一通の手紙が届けられる。帰属したナウラからの手紙には、父と和解した事や探偵社の事等が記されている。
「アドさん。可能ならランズウィックさんに伝えて下さい。頑張れ。ずっと友達だと」
 次に会えるかどうか解らなくとも、幸せを祈り続ける。そう綴られた手紙を眺めアドはふぅ、と小さくため息を漏らす。
『伝えたら会いに行きたがると思うんだけど、行かせて良いのかどうか、迷う……あれ、そういやアルウィンも帰属するってい……ひぅ、へ、へ、へぇっくしょい! うー、なんかさぶさぶ』
 何かないかとポケットの中を漁ったアドは白い布端を摘まみ出す。両手を交互に動かし、ずるずると出されたのは赤い糸でアドの名前が刺繍された大判の真っ白なハンケチーフだ。
『そういえば、ナウラと同じで、あいつも帰属するかどうか悩んでたっけなぁ』
 アドは自分の眼と一張羅のベストと同じ色で名前を刺繍してくれた少女の事を思い出す。


 その世界では様々な種族が生きていた。人間をはじめ、亜人、獣人、竜人、そして魔物。知性のない魔物は人々や市町村、農作物に害を与え、意思疎通は多少可能だが基本的に好戦的な魔物が多く存在する。魔法も存在しており、ヴォロスに似た世界だといえるだろう。
 ヴォロスとの差異を語るのならば、住んでいる種族の違いもあるが、魔物を相手に戦う事が多い為、住民達が職に就く際の評価に技能や知能に加え戦闘力が在る事だといえる。自然現象のような魔法、肉体と拳を駆使する体術、そして武器を使用した戦闘方法は剣技、槍術を初め斧や棍と多数在り、戦闘力を競い合う大会も多く開催されている。
 槍術を伝える流派の一つに、フィーリムという名家がある。フィーリム流槍術は数多ある槍術流派の中でも一・二を争う命中率を誇り、素早さと技量によって腕力の弱い女性でも一撃で、確実に魔物を葬る事ができるのが特徴だ。
 そのフィーリム家の跡取り娘が、忽然と姿を消す。
 家族に一言も伝えず姿を消した娘に父母は心配したが、最初の数日は、ちょっと遠くまで稽古に出たか、途中で魔物にでも会って足止めされているのだろうと、家で娘の帰りを待っていた。しかし、数日経っても戻らず、近隣から戻る人に娘の事を聞いても、それらしき娘の姿はどこにも無かったという。
 もしかしたら、という嫌な予感が父母を襲う。同じ町の人々も、戦闘力としてはいまいちでも、曲がりなりにもフィーリム流槍術を扱う一人前の槍術士が姿を消したという事件は、何か恐ろしい事件でもおきたのではという不穏な空気が漂い出す。
 町の中から腕に自信のある者立ちを集め、人々は探索を開始する。表向きは娘の探索だが、町の人たちからすれば、槍術士を葬るような手強い魔物がいないかどうか、が重要なのだ。最初こそ多くの人々が探索に赴いていたが、日に日に参加する人は減っていく。それでも、娘の無事を祈り父母は時間さえあれば探索に出向き、町へとやってくる人に娘を見なかったかと聞きに走った。
 時が過ぎ、季節が変わる頃には街の平和を脅かす程危険な魔物はいないと判断され、大規模な探索は打ち切られてしまう。娘の探索も毎日行われるパトロールの中へと組み込まれはしたが、それも形式上の事だ。一応は探索を続行するという建前はあるが、この変更は町の人々がもう娘は死亡したのだろうと認識してしまったという事だ。生きていると信じ、街の人々もそう思って探していてくれたと想っていたかったフィーリム夫人はこの事実に多大なショックを受け、とうとう、寝込んでしまう。
「大丈夫だ。あの子は優しく強い、私と君の娘だ。必ず帰ってくる」
 床に伏したフィーリム夫人は励ましの言葉を毎日かけてくれる夫の言葉に、なによりも絶対に娘は帰ってくると信じ、妻にも決して弱々しい姿を見せない夫に支えられ続け、大事には至らなかった。
 妻がいないのを見計らい、大会の知らせに目を通すと小さな吐息を漏らす。忘れもしない。いつも同じ時期に行われるこの大会の知らせを受取った日こそ、愛娘が帰らなかった日だ。
 以前のような明るさではないが、妻は家に籠もる事も無く生活を送れている。自身もまた、槍術指南の日々を繰り返す中で娘を探す事は止めていない。季節も巡り、花は咲き実をつけては枯れていく。世界は何も変わらず、ただ、愛娘だけが忽然と消えてしまったフィーリム家は、どこか物悲しいままだ。
 大会の参加について書かれた用紙を眺めていると、玄関の開いた音が聞こえる。槍術を学び訪れる事が多いフィーリム家の門は常に開かれているが、ベルも鳴らさず声もかけずに立ち入るとはどういう事か。用紙を握りしめたまま不服そうなため息を漏らし、玄関へと向かうと、そこに、行方不明の娘の姿があった。
「た、ただいま、お父さん」
 父の呆然とした顔を始めてみるルオンは戸惑いがちに声を出す。声を聞き、ふらふらと歩み寄ってくる父をルオンはじっと見つめている。驚いていた顔は次第に引き締まり、稽古をつけて貰っている時のような、真面目な顔が向けられた。
 父娘は無言のまま、じっと目を合わせている。
 怒っているのだろうか。謝った方がいいのか、それとも、何があったのか説明したらいいのだろうか。帰ったらこうしてああして、と何度もシュミレーションをした筈なのに、いざ父の顔をみると緊張し、頭の中が真っ白になってしまった。
 不意に、父が娘を抱きしめた。
 唐突な出来事にルオンは驚くが、父の体が小さく震えている事に気がつく。
「ただいま、ただいま…! ごめんね、心配させて…!」
 父の背に手を回し、ルオンは大粒の涙を流しながら何度もただいまとごめんねを繰り返す。その声が届いた母も、娘の姿を見るなり飛びつく様に抱きつく。心が落ち着くまで、親子は何度も顔を見合わせ、泣きながら笑い合った。


――数日後
 行方不明だったルオンが戻ったという知らせは町中に伝わり、そのルオンが大会に参加すると聞いた人々はこぞって大会へと足を運び、ルオンの無事な姿を確認しに来た。
 中には戻って直ぐ大会に参加するルオンを小馬鹿にする者たちもいたが、ルオンの成績の良さにその声も消え失せる。
 試合前は何も無いところで転んだり、以前と変わらぬドジをするルオンだが、いざ試合が始まるとその身に纏う空気は一変した。
 自分より何倍も大きく強い相手でもおびえず、冷静に勝利を収めていく姿は、父すら驚きを隠せずにいる。
 ルオンの父は娘から行方不明になった原因やその間にあった出来事を聞き、正直なところ、半信半疑であった。娘は嘘をついていないのだろうと信じているが、語る内容を信じ切るのは難しかったのだ。
 見たことも聞いたこともない魔物の姿と生態、仲間だったという人々の未知の武器や魔法とその戦闘スタイル。武器や魔法だけでなく、生活必需品や道具まで、事細かに記し説明をする娘の顔は晴れやかで、真偽ともかく、とても良い経験をしたと思えた。
 だが、それも、ルオンの成長ぶりをその眼で見た今、父は娘の言葉も思い出も全て、信じようと心に誓う。
 フィーリム流槍術継承者、ルオン・フィーリム。
 心優しく、ちょっとドジなところがある愛らしい娘は、その強さで多くの大会に名を残し、父と共にの天才槍術士として世界中の人々に称され、愛され続ける。



 アドはルオンにチケットを手渡した、最後の日を思い出す。
『別に、出身世界には必ず帰属しなきゃいけないわけじゃない。両親が心配ならちょっと会って、とか。暫く旅人のままで過ごして、とか。もっといろいろやってから決めたっていいんだぜ?』
「うん……。ありがとう。慣れ親しんだ0世界を離れるのは、やっぱり寂しいよ。でも、でもね、あたし弱いからさ、帰属するなら帰る。帰属しないなら、もうお父さんとお母さんの顔は見ないってくらいの意思をちゃんと決めないと、いつまでもずるずるしちゃう。ずっと決めていた事だもんっ。寂しさを振り切って帰属するよっ!」
 そう告げたルオンの顔は、今まで見た中でもいっとう晴れやかな笑顔だった。
 アドはふぅ、と小さく息を吐くと丸くなり、ルオンが名前を刺繍してくれたハンケチーフを毛布代わりにかぶる。
 いつもと変わらぬ0世界の天候の中、アドは白いハンケチーフと微睡みに包まれていた。



 世界はお菓子の家なんだよと、ベヘルがいえば、ここはデータを保存する箱―― HDDでしかないさと、ソムは応える。
 ベヘル・ボッラの出身世界は争いの絶えない世界だ。ベヘル自身の右腕が機械であるように、その世界は高度な科学技術を誇っている。しかし、その技術は正体不明の先達の遺産であり、誰もその技術を正しく理解してはいない。
 車を運転できたとしても、どういう原理かを答えられる人は少ないように。電子レンジを使え、電磁波で暖めているとは言えてもマイクロ波については説明できないように。人々は残された技術を扱えるだけだ。しかし、残された物から新しい物を作り出す事はできるらしく、過剰な技術力を集めた遊戯星では清濁問わず、多種多様な娯楽と快楽を提供している。
 その遊戯星でベヘルはAIのソムと共に音楽と映像を届けていた。聴覚と視覚の両方から脳に訴えかけるその音色は人々の心を魅了し、捕らえて放さない。熱狂的なファンが狂信者へと変わる事もしばしばあり、ベヘルとソムの音楽は麻薬と同じ括りで語られ、制限される事も多くあった。
 災害とも呼べる事故に巻き込まれた事で覚醒したベヘルが世界へ戻った時、街は綺麗さっぱり〝造り直されていた〟。当然だ。壊れたデータを復旧させるよりも初期化してやり直す方が手っ取り早く、綺麗に直せる。
 ベヘルは自分が最後にいた場所にずっと留まり、友人であり、恋人であり、相棒であったソムを探し続けた。何年もかけてソムを見つけ出したベヘルは、以前と同じようにソムと共に在る。しかし、音と映像が溢れる電脳空間で過ごすベヘルは、再帰属しようとしない。
 それを、こんな場所に居続けるよりも旅を続けたいと思っているんだと受取ったソムは『きみは居たい場所にいろよ』と、ベヘルを遠ざけ出す。
「ソムと居たいんだ」
 そうベヘルが言ってもソムは無言でいるか、つっけんどんに言い返し、ベヘルを旅人に戻そうとしていた。その矢先、いつものように側にいた二人が、いつものように喧嘩にもならない言い合いをしていると、ソムの真理数が、崩壊する。
 それは、一瞬だった。ぽろぽろと、崩れた様な気がする。いや、ふっと消えたのかも知れない。しかし、ベヘルは確かに、ソムの真理数が消える瞬間を、見た。
 ディアスボラだ。
 ソムは旅人になったのだと理解した瞬間、ベヘルは直ぐに0世界へと戻り、アドの元へと立ち寄った。
「司書と親密になれば導きの書にでやすいからね。しばらくご一緒させてもらうよ」
 良いながら、ベヘルはアドを持ち上げると地面に座り、膝の上にのせる。
『うむうむ、膝枕って言うか太ももベッドていうか。おっぱいもやーらかくていいけどこれもいい堅さで』
「……なんかイヤだからクッション出すか降りるかしてくれるかい?」
『えーーーー。そんな寂しいこと言うなよー。ちょっとしたおっさんのお茶目じゃねーか。しっかし、真理数が消える瞬間、ねぇ。めずらしいもんみたなー』
「見ていて気持ちの良いものじゃないね」
『まぁ、真理数を失うのは消失の運命を背負うのと一緒だからな、殺しの現場を見たようなもんじゃないかね』
「ソムはAIだからね。飛ばされた先に存在できる場所が無ければ、どうなるかわからないよ」
『機械の在る場所だといいな』
「そう願うよ。でも、焦ったところでどうしようも無いのも、知っているからね。地道に依頼を受けて探すさ」
『そんじゃ、ソムと作った曲でも聴かせてくれよ。子守歌にナリそうなやつ』
「よろこんで」
 ベヘルのスピーカーから、穏やかな音楽が流れだす。久しぶりに聞く相棒と作った曲はどこか懐かしい。
 ベへルも世界に戻れたのだ。ソムと再開するのにも、何年もかかった。
 今更焦ることは無い。
 必ずまた、ソムに会える。
「そしたら、一緒に旅ができるよね」
 ベヘルは静かに、そうつぶやいた。



 ぷーすーぷーすーと寝息をたてて眠るアドの鼻がひくひくと動く。すんすんと芳しい香りに引き寄せられ瞳を閉じたままアドは顔を上げていく。
『このかほりは……全粒粉パンとベーグルとレタスとトマトとスクランブルエッグと生ハムとモッツアレラチーズとエビとアボガドとバジルチキン! クリパレ特製サンドイッチセット!』
「あったりー! さっすがおいたん。一緒にたべよー」
『たーべるー』
 うさぎのぬいぐるみびゃっくんと一緒にランチボックスの蓋を開けていたエレナが笑顔で言うと、アドはいそいそとポケットからピクニックシートを取り出し芝生の上に敷く。エレナは中央にびゃくんを座らせると三枚の皿を並べ、ランチボックスからサンドイッチを取り分ける。お茶の時もびゃっくんの分を用意するように、サンドイッチもちゃんと皿に置かれた。アドもカップを三人分並べ、紅茶を注ぐ。クリスタル・パレスで出されるようなちゃんとした紅茶ではないが、エレナはアドの煎れる紅茶も好きだ。
『おっと、お帰りエレナ。謎の解明は楽しかったか?』
 サンドイッチにかぶりつき、まるで頬袋に種を詰め込んだハムスターの様な顔つきになるアドの看板には文字が並ぶ。
「うん、とっても楽しかったよ! 今回はね被害者とその関係者がどろどろの昼メロ関係だったの。容疑者候補のみーんなが嘘ばっかりついてて、ちょっと時間かかっちゃった」
 サンドイッチを食べながら、エレナはアドに事件の内容と謎をゆっくりと語る。凶器と被害者、その場に居合わせた容疑者候補と参考人とそれぞれの関係、アリバイから仕掛けまで。アドにも楽しんで貰おうと時々質問や謎かけを交えながら、ランチ時の話としては少々血生臭いが、語るエレナも聞くアドも楽しい時を過ごす。
『うぉぉぉぉ、そいつぁまた、エレナにゃ早い……くもないか』
「あたしも立派なレディだもの。愛憎いっぱいの謎だって平気よ」
『むーん、おっさんは複雑デス。まぁ、エレナは謎解きがしたくて行ってるんだから、いっか。で、次は何処行くんだっけ?』
「そう! あのね、やっとエレナの出身世界が見つかったの」
『おー、そいつぁおめでとう。じゃぁ次はそこかー』
「ありがとう! でね、おいたん。前に言ってたチケット、お願いしておいていい?」
『おう、帰ってくる頃にはすぐ渡せるよう、準備しておくぜ』
「わーい! じゃぁエレナちょっと行ってくるね」
『え、今か。今すぐか』
「うん!」
『じゃぁこのバスケットはオレがクリパレに返しておくか。いってらっしゃい、エレナ。気をつけてな。怪我しないでちゃんと帰ってこいよ』
「はーい!」
 びゃっくんを抱え元気いっぱいに駆け出すエレナに向け、アドはいつまでもひらひらと手を振る。
『乙女心ってやつはほんっとわっかんねぇわー』
 謎を求めてエレナが旅立ったのと同じ頃、0世界では一つのナゾを巡る戦いが始まっていた。


 門が開け放たれた洋館の前に中津トオルは立っていた。それなりに賑わう通りから一本奥へと入った通りにあるその洋館は、決して、寂れた風では無い。僻地に立っているわけでもなく、廃墟でも無い。トオルの背からもちゃんと、人が行き交う騒音や声は届いている。だというのに、目の前の洋館はトオルの心をざわつかせた。
 トオルはパーカーのポケットから一通の封筒を出し、折りたたまれた手紙を開く。
 差出人は三雲文乃。トオルが嘘と秘密を暴いた、被害者であり加害者である未亡人だ。
 手紙には洋館への招待と〝来なければ親しい人がどうなってもしりませんよ〟という脅迫めいた言葉も記されていた。
 間違いなく嫌われて、いや、殺意を持った憎悪すら向けられている相手からの招待状など不穏さしか感じない。それでも、トオルはこうして三雲の洋館へとやってきた。
 開かれたままの門を通り抜け、鍵のかかっていない扉を開ける。初めて訪れた場所だろうに、トオルはエントランスホールを見上げると目の前の大階段を上り、左右に広がる通路を眺めた。調度品や絵画の並ぶ廊下は埃一つ無い。周囲を眺めていたトオルはふいに歩き出す。エントランスホールからそう離れていない両扉の前に立つと、トオルは迷い無く扉を開く。ティーセットの置かれたワゴンと大きめのローテーブル、そしてそれを囲う様に置かれたソファが並ぶ、典型的な応接間だ。その窓辺に佇む三雲がこちらを向くが、今日も彼女の顔は黒いレースに包まれ、口元以外見ることはかなわない。
「ようこそ、お待ちしておりましたわ」
「やぁ。お招きありがとう」
「どうぞ、お座りになってくださいな」
 優雅な仕草でソファへ座るよう促し、三雲はワゴンへと近寄る。伏せたティーカップを元に戻し、あらかじめ煎れておいた紅茶を注ぐ。
「どうして、ボクを呼んだんです?」
「理由なんて、ありませんわ」
「理由も無いのにこんな招待状ですか」
 トオルが苦笑し言うと、三雲も小さく笑う。会話をしながら、何の変哲もない行動の中で、トオルは三雲が紅茶に何かを混入した事に気がついた。
「どうぞ」
 トオルの目の前に、湯気の立つ紅茶が置かれた。とても自然な動作で行われた異物混入。それを見ておきながら、トオルは紅茶に口をつけた。
 ごとりと音を立ててティーカップが落ちる。カップに残っていた紅茶が絨毯の上に広がり、じわじわと染みこんでシミになっていく。その直ぐ横に、穏やかな寝息を立てるトオルが横たわっていた。



 肌寒さを感じ、体を縮こまらせたトオルはいつの間に寝ただろうかと、薄く目を開ける。目の前に灰色の石壁とグミ太のピンク色が見え、がばりと飛び起きたトオルは辺りを見渡した。
 石造りの小さな部屋だ。目の前には小さな格子窓の付いた鉄扉の隙間が開いており、蝋燭の明かりと木製の椅子の脚が覗き見える。手をつき、体を動かすとぐらぐらと揺れトオルは自分が居る場所を見下ろす。トオルが横になっていたのは壁に鎖で繋がれた板ベッドだった。トオルはぎしぎしと鳴るベッドから降り、改めて室内を見渡した。
「どうみても、牢屋だよね」
 確認するようにそう呟くが、当然、返事は無い。ため息交じりに苦笑し、トオルは目の前の扉に一歩近寄ろうとして、視界の端に光る物に気がつき、慌てて動きを止める。
 じっと目をこらせば、扉の前には透明なピアノ線が張り巡らされている。
「あっぶな」
 冷静なトオルらしくない言葉が漏れると、トオル自身も驚いたらしく、ははっと声を上げて笑う。一呼吸置き、トオルは慎重に、まず今立っている場所から探り出す。身の回りと天井には何も無い事を確認し、壁にはピアノ線が延びている数カ所のみ当たりをつける。床には血痕らしき赤いシミが所々に付いているが、ただのペンキらしい。トオルはその場にしゃがみ込みベッドの下を探る。ベッドしたにも、ペンキは飛んでいたが、それだけだ。
 てっきり、ベッドの下にも何かあると思ったが、目に付くような異変は特になく、一先ず、自由に動ける安全な範囲を確認しおえた。トオルはそのまま、ピアノ線の延びる壁を調べる。ゆっくりと、丁寧に調べる中、指先に僅かな変化を感じ、トオルはぴっちりとはまっている石を外す。
 ピアノ線の延びる小さな空洞には、爆薬が仕掛けられていた。少量だが、この狭い部屋を崩す事はできるだろう。
「これは……彼女も本気か」
 どこか楽しそうに言うと、トオルは反対側の爆薬も確認する。爆薬の側に小さなメモ帳が置かれており、メモには赤と青の二色で数字の羅列が書かれていた。いつか必要になるだろうかとメモはポケットに仕舞い、トオルはもう一度部屋を見渡す。ふむ、と顎に手を当て暫し考え込むと、トオルは板ベッドを持ち上げ壁に沿わせる。
「ビンゴ」
 壁にしまわれた板ベッドの裏には四角い模様と数字が描かれていた。
 縦横3マス、9分割された赤の四角と青の四角が並んでいる。大きな四角の中に赤と青の四角が9マス、ともとれるそれは、数独だ。一つの9マスの中には1から9の数字がそれぞれ1回ずつしか使えず、並ぶ縦横の9マスも、1から9の数字が一回ずつしか使えない。
 トオルはとりあえず、そのマスを全て埋めてみるが、埋まったところで部屋から脱出できるわけでも、何かヒントがでるわけでもない。しかし、それだけでトオルは何かに気がついたらしい。数字の埋まったマスを眺めていたトオルはポケットからメモを取り出し、書かれた数字の色とマスの色を確認する。
「赤の数字と赤のマスが同じ場所、青の数字と青のマスが同じ場所。数字は1と2と3と4。数独の数字をメモの数字の順番に使うんだろうけど、数独の数字もわからないし、〝何に使うのかも〟まだわからないな」
 何か見落としてるんだろうと、トオルは壁の空洞に置かれた爆薬に手を伸ばす。左右に二つあり、片方にメモが置かれていたのなら、もう片方にも何かがあるはず。
ピアノ線を引っ張らなければ大丈夫。振動では爆発しない。とはいえ、危険物の扱いは慎重に行わなければならない事に変わりはない。ピアノ線の動きに注視したまま爆薬を調べると、爆薬の下にダイアル式の鍵で壁に固定されたはさみを見つける。ダイアル式の鍵は4桁の数字で、赤と青の二つが付いている。
「あとは数字を教えるヒントか」
 トオルは自分が口にした内容にはっとした顔を覗かせると、深く考え込む。
「もしかして……」
 トオルは床に飛び散るペンキの数を数え、位置を確認する。床の石畳が、数独と同じマス目になっており、ペンキのついた場所の数字が、鍵の数字なのだ。
 答えを導き出したトオルはダイアル式の鍵を外しはさみでピアノ線を切る。他に、不審な物はないと確信したトオルは鉄扉に手をかけると、重たい音を立てて開く。
 木製のテーブルの上に蝋燭台と鍵束が置かれている。それを見たトオルは牢屋からでず、廊下を隅々まで見渡した。案の定、危険そうな罠らしきものがちらほらとみえ、トオルは苦笑する。
「何かゲームしてるみたいやねぇ。公平なひとだ」
 楽しそうに言い、トオルは牢屋から一歩足を踏み出した。



 応接間のソファに、三雲が座っている。身じろぎもせず座る彼女はまるで彫刻のようだ。テーブルにはティーカップが一つと、カップの乗っていない受け皿が一つ。本来ならそこに置かれている筈のカップは絨毯に転がり、中身は絨毯に吸われていた。
 ターミナルも変わり始めて数年、年々、三雲にとって居心地の悪くなっていく為、帰属も良いかもしれないと考えだした。しかし、あの存在を、中津トオルを放置したままターミナルを去る事はできない。彼がずっとターミナルにいるとも限らないし、何より、こんな面倒な問題を放置して帰属したところで、三雲の心は晴れないではないか。
――やはり、決着をつけて行くべきだわ。たとえ、この行動で自分が自滅するとしても――
 すっかり冷え切った紅茶を口に含み、喉を潤すと、三雲は絨毯に転がったままのティーカップへと視線を向ける。
 異物混入した事は、彼も気がついていたはずだ。こうなる事はトオルも解っていたのだろう。それでも、彼は紅茶を飲んだ。招待を拒否する事もせず、危険だと解っていてこの洋館へ訪れ、彼は今、三雲の想定通り洋館の地下へと閉じ込められている。
 地下室には鍵がかけられており、無事に出られたとしても、廊下にも即死の危険がある罠をたっぷりと仕掛けた。扉も階段も一筋縄では解けない謎を、しかし、知恵を絞れば解ける謎を、置いた。
 一思いに始末すれば良いのに、謎を解いて私の元まで戻ってこいと言わんばかりの仕掛けをちりばめた。わざと挑戦するような仕方をした自分を愚かだと、三雲は嗤う。
 彼ならばきっと、罠を解除し謎を解き地下をくぐり抜け、再び自分の前に立つだろう。こんなところで死なれてしまったら、失望するだろう。そこまで思い立ち、三雲はくすりと笑う。
「本当に、愚かだわ」
 優しい声で言い、三雲は微笑むとゆっくりと扉に顔を向ける。
 扉が開かれ、三雲の想像通り薄汚れたトオルがそこに立っていた。
「あら、随分時間がかかりましたのね。待ちくたびれてしまいましたわ」
「そいつは、えろうすいまへんな」
 言いながらトオルはずかずかと部屋を歩き、ワゴンに置かれたままのポットから直接紅茶を飲む。
「あら、新しいのを煎れますわ」
「おかまいなく」
「せっかちですこと。とはいえ、……わたくしの負けですのね。さぁ、どうぞ好きになさって結構ですわ。ホワイトタワーに突き出すなり殺すなり、お好きにどうぞ?」
「別に、そんなつもりで来たんやない」
 こん、とポットを置いたトオルは袖で口元を拭う。
「キミがもし壱番世界に帰属したら通報しよ、とは思ってたよ。でもキミはターミナルで何をしたわけでもない。ボクも綺麗な体ではないし――八重柏さん」
 その名を聞き、三雲の肩が目に見えて動く。
「キミの挑戦を受けたのはボク自身の為や。いい加減に決着を付けたいのはボクもキミも同じ、そうやろ?」
 三雲は口端をつり上げ笑うと、トオルへと歩み寄る。無言のままトオルが三雲を見つめていると、三雲はトオルの隣に立ち、新しい紅茶を入れ始める。
 その、ごく自然な夫人の動作を眺めながら、トオルは小さく息を吐く。
 トオルは三雲の秘密を知っている。その秘密を知り、初めこそ、三雲が詐欺行為で夫を追い詰めた事に苛立ちを感じていたと、思っていた。しかし、トオルが思っていたのは彼女への怒りではなく、自分自身への怒りだった。三雲が人殺しをした事は許せない。コレは絶対に、許す事はない。しかし、探偵気取りで浅はかに彼女を追い詰めた自分にも、トオルは怒りを覚えていたのだ。自分のした事に怒りは覚えるが、三雲には一切謝らないし、自分を殺す事も許さない。
「ホワイトタワーにと言われても、もう崩壊してるしねぇ。また作られるだろうけど、キミを投獄させる気はないよ」
 トオルも三雲も、なんらかの形で決着を求めていた。だからトオルは三雲の自分への殺意すら覚悟して、洋館への招待を受けた。彼女がどういう形で自分を殺しに来るのか、いろんな事を考えてこの洋館へとやってきたトオルだったが、地下から脱出してきた今、彼女は自分を殺す事は無いのだと、思っている。
 彼女は己の殺意を明確に教え、しかし殺すことなく勝負を持ちかけ、抜け道を残した。
 地下室の謎はすべて、解ける物だった。それは、三雲も自分がここまで戻ってくるのを待っていた事になる。それが、何なのか、まだトオルには解らないが、これは正当な、三雲なりのげー……
 ドン、とトオルの体に三雲の体がぶつかる。
 じわじわと、水がかかった様な湿り気が広がっていく。
   熱い。  熱い。  熱い。
 ぎこちなくトオルが顔を下に向ける。いつも通りの、黒いレースがゆらゆらと揺らめく。その下に、トオルの脇腹に、まるで祈るように握られた三雲の両手がある。
「や、やられた、なぁ。でも……卑怯だとは、おもわん、よ」
 ぐらり、とトオルの体が傾き、床に倒れ込む。トオルの体からとくとくとあふれ出す血液は絨毯に流れ、血溜りが広がる。真っ赤な血液は紅茶のシミも飲み込んだ。
 トオルの血液がついたパレットナイフを握りしめる三雲は、いつも通り頬笑んでいた。



    Ladies and gentlemen! Detective and Operative!

 バルーンがいくつも飛び交う空に向けられたスポットライトの明かりは光の道を作り出す。後ろが大きく膨らんだドレスに大きな帽子と仮面をつけた貴婦人は羽の扇子で口元を隠し談笑する。笑顔を描いたピエロはアクロバットな動きを見せたり、逆立ちして大きな玉に乗って行進していく。街を挙げてのミステリーイベントに合わせての催し物は19世紀ロンドンのような街並みに溶け込んでいた。
 ミステリーイベントの目玉は、当然、謎解きである。主催者が用意した迷宮から謎を解いて宝を手に入れてくるものだが、参加には申し込みが必要だ。
 この世界には、探偵ライセンスという物が在る。ライセンスを所持している人と所持していない人ではどうしても、謎のレベルが違ってくる。参加申し込みが必要なのは謎の難しさが違う事と、ライセンス持ちは危険が伴う事もあるので、生存確認も兼ねているらしい。
 その、ミステリーイベントの申し込み場所で問題が起きたと連絡が入り、主催者が慌てた様子でやってきた。なんでも幼い少女が探偵の方の謎解きをしたいと申し込みにきたという。少し荒い呼吸を整え、ブルーは膝を付いて少女に目線を合わせる。
「お待たせしました。主催のブルーです」
「こんにちは、エレナだよ。こっちはびゃっくん」
 先に聞いていた通りの少女にブルーは驚きと困惑を隠す事無く、エレナの姿をまじまじと見る。ウェーブのかかった黄金色の髪と透き通るような青い瞳、そして、まっしろいうさぎのぬいぐるみを持った、とても可憐な少女だ。だが、座ったままじっとブルーを見つめるエレナはその見目からかけ離れた落ち着きが感じられる
「今って探偵ライセンス更新が必要だった?」
「え?」
 抱えたぬいぐるみと一緒に首を傾げエレナが問う。
「ライセンス持ってたら参加できるっていうからきたんだけど、なんかみんな慌ててるから。ライセンス切れてたかなって思って」
「いえ、あなたのライセンスランクは今も更新が必要ありません。まさか伝説の最年少探偵がいらっしゃると思わなかったものですから、びっくり致しまして。それで……」
「うん、確認するのよね。ライセンス番号を言えば良い?」
「はい。何度もしていただいていると思いますが、もう一度だけお願いできますか」
 僅か5歳にして探偵ライセンスを所持した少女の事は、街の誰もが知っている。それ故に、その名と権力を悪用しようとする者が少なからず居ることも、事実だ。
 ブルーはエレナの言う数字と手元の書類とを照らし合わせる。10桁、5桁、5桁、とハイフンで繋がった長い長いライセンス番号を一語一句間違わず、止まること無く言い終える少女に、ブルーはもう一つ、質問を付け加えた。
「念のため、お名前もお願いできますか?」
「エルライアノーラ・レイアストリア・ニア・ナンナ・エーデルローゼ。長いからエレナって呼んで貰ってるの」
 にっこりと微笑み言う少女に、ブルーは困惑気味な笑顔を見せる。
「確かに、あなたはあのエレナ嬢ですね。今までの失礼を心からお詫びいたします。そして、ミステリーイベントへようこそ。歓迎いたします、探偵」
「ありがとう」
「ですが、もうイベントも終盤でして、あまり時間がありません。何名かクリアした探偵もいると聞いています。そこで、よろしければ私を同行させていただけませんか」
 エレナがまた、うさぎのぬいぐるみと一緒に首を傾げる。
「探偵向けの謎は様々な場所を巡ります。当然時間がかかりますのでエレナ嬢が終了時刻に間に合わない、と判断した場合、謎解きは終わりとさせていただきたいのです。という建前の元、エレナ嬢の推理を近くで見てみたいだけなんですがね」
「参加できるんならそれでもいいよ。 じゃぁさっそく行こ!」
「はい、レディ」
 ブルーはその場にいた人たちにいくつか言伝をすると、エレナの後ろをついて歩く。
 主催者であるブルーは謎の場所、ヒントの場所、そして答えの全てを理解している。うっかり謎やヒントの場所を見てしまわないよう、エレナの後ろを付いて歩くだけなのだが、エレナはヒントには目もくれず、問題だけを見て歩き続ける。
「もしかして、もう謎解けてる?」
「うん。イベントが後半だったせいでだいたい謎の場所もわかっちゃうの。ちょこっとズルっこだよね、これ」
 えへへ、と笑うエレナにブルーは目を丸くし、聞く。
「なんで後半だと謎の場所がわかるんだい?」
「謎の場所にみんな集まっちゃうでしょ?」
 不思議そうにそう言われ、確かに、後半になれば解けない謎の場所に人が集まりやすくなるのは必須だとブルーは納得してしまう。しかし、今日はあちこちで大道芸人が演技をしている。催し物を見学している人が集まっている場所も多くあるのだ。多くの人が集まっているからといって、そこに謎があると確信できるものだろうか。
 エレナの後ろを付いて歩くブルーが考え込んでいると、エレナはこうも言う。
「謎に関わっている探偵の顔はだいたい、真面目か難しい顔なの」
 だから、他の人だかりとは違うんだよと言うエレナの肩越しに、うさぎのぬいぐるみがブルーへと手を振る。
 確かに、言われてみれば催し物を見ている人たちの顔は笑顔や驚きばかりだ。ただ側を通り歩くだけで些細な表情まで見分けている、年齢や外見ではなく探偵の洞察力と推理力、そして説得力に深く納得するのと同時に、ブルーの胸中には言いようのない不安にも似た思いが膨らみ、ブルーの肩に最年少ライセンス獲得という事実が重くのしかかる。
 エレナはどんどん歩き続け、謎を順番に訪れ確認しては、時々、ブルーが不思議に思っている事を説明してくれる。ミステリーイベント主催者としてこうもあっさり解かれては面目丸つぶれだ。エレナの快進撃に戸惑っていたブルーだが、やはり、彼もミステリーイベントを主催する程の、謎好きな男だ。次第にエレナとの会話が楽しくなり、いろいろな質問もするようになりだす。エレナはどれも笑顔で、わかりやすいたとえも交えて詳しい説明をしてくれる。
 カーン、と時刻を知らせる鐘の音が聞こえる。終了時刻までもう少しだ。宝が隠された迷宮の入り口でエレナが振り返る。
「はいっちゃってもいーい?」
「もちろん」
 迷宮の中にも多くの謎は存在する。しかし、エレナにはそれらの謎が謎としての意味を成さないと、ブルーは確信していた。この調子では最短記録も更新するのではと苦笑するしかない。
「あのね、エレナも聞きたいことあるんだけど聞いてもいい?」
「えぇ、どうぞ」
ブルーはミステリーイベント参加者からの質問には答えてはいけない立場だ。しかし、エレナは自身の力で謎を解く事を楽しんでいるのを、最初からずっと一緒に居るブルーはよく理解している。聞きたいことはイベントの謎に関してではないという確信も踏まえて、ブルーは二つ返事を返した。
「ブルーはエレナの弟であってる?」
「え?」
 謎の仕掛けを解きながら、エレナはなんという事の無い話題のように質問を言う。
「ど、どうして、です? その、エレナ嬢より、私は年上だと、思いますが」
「うん、背も大きいし年上だよね。でも十代前半でしょ?」
 エレナが振り返るとブルーは驚愕と恐怖の混じった青い顔で、こちらを凝視していた。
 エレナが歩き出すと、ブルーはちゃんと、後を付いてくる。
「エレナが行方不明になったのは9才の頃だよ。新聞や広告、それからこのミステリーイベントの申込用紙にも書かれていた年代を確認したけど、あれから13年も経ってる。それなのに、ライセンス所持してるだけで外見変わってないエレナを通報しないのはちょっとおかしいよね」
「ライセンス番号もフルネームも確認しましたし」
「でも、普通、行方不明だった少女が現れたらイベント参加させる前に警察や家族に知らせない?」
「………………」
 かちり、と軽い音をさせたエレナは大きな扉を両手で押し開ける。赤い絨毯が伸びた先に、スポットライトに照らされた箱がきらきらと光っていた。それを囲む様に、天井と床には沢山の薔薇や蔦が描かれている。
「髪と眼もエレナと同じ色で、ちょっと面影が似てるのもあるんだけど」
「いつから、わかってました?」
「最初に会ったとき」
 エレナは天井を見上げ、箱から反射する光を追う。一つだけ、天井に描かれた薔薇の中心にあるのを見つけると、エレナは床を眺め、同じ場所の薔薇へと歩み寄る。
「他の人はね、エレナの姿とか名前とか、ライセンスの事に驚いていたの。でもブルーだけは違った」
 薔薇の中央にはめ込まれていた小さな石を外し、エレナは中から宝を取り出す。宝をブルーに差し出し、エレナはこう答える。
「ブルーはびゃっくん見て驚いてたよね。あたしが居なくなった時に置き去りにしちゃったぬいぐるみを知っている人は、あたしの家族だけだもの」
 ブルーは驚愕した顔のまま、エレナが差し出した宝を見る。少女の手に収まる程の、小さな宝。それは白いうさぎのぬいぐるみが薔薇の宝石を抱えているオブジェだ。
「すごいね、ここの迷宮。ちゃんと入った人が何人でも、宝が手に入るように設計されてる。謎を解く事で時間稼ぎをさせて、この広間には一人、もしくは一チームしか入れないようにしてる。その上で、箱から反射させる光の位置を変えることによって宝を隠した薔薇を示し、このオブジェが手に入る。ここの薔薇全部に、同じ宝が入っている」
 ぱちぱちぱち、と拍手の音が広間に響く。
「流石ですね。おめでとうございます、探偵エレナ、あなたが最短時間攻略者です」
 今にも泣き出しそうな笑顔で賞賛を送るブルーに、エレナは笑顔で応えた。



 エレナがブルーと共に戻ると、連絡を受けていた両親がそこに居た。エレナの無事を喜ぶ両親は涙を流しながらエレナを強く抱きしめる。
 ひとしきり再会を喜んだ後、テーブルに付くと6つの紅茶が並べられる。エレナの隣にはギアのびゃっくんと、実家においたままだった、少し薄汚れくたびれたうさぎのぬいぐるみが置かれている。
「このミステリーイベントを開催し始めたのも、貴方を見つけるためでした」
 両親と大きな弟に見つめられながら、エレナはブルーの言葉に耳を傾ける。
「ご存じかもしれませんが、貴方が行方不明になったのと私が生まれたのは同時期です。私がもうすぐ産まれそうだという時に、貴方は謎を解きに遺跡へと行ってしまった。そして、今まで行方知れずでした」
「ブルーの誕生日プレゼントを探しに行ってたんだよ」
「えぇ、そう聞いています」
 照れくさそうに笑い、ブルーは話を続ける。
「私は貴方の残したこのぬいぐるみと一緒にずっと帰りを待っていました。初めのうちはきっと、すごいプレゼントを持って帰ってくるんだと、わくわくしていましたが、何年経っても姉が帰ってこないので、次第に、プレゼントなんていらないから、早く帰ってきて欲しいと思うようになったんです。写真でしか見たことの無い姉と、早く会いたくて」
「帰るの遅くなってごめんね。長い旅をしていたの。それに、謎がいっぱいあったもんだから」
「あぁ、やっぱり、思った通りだった」
 嬉しそうに笑い言うブルーと、声を上げて笑う両親にエレナがきょとんとしていると、ブルーは初めに戻りますが、と言葉を続ける。
「きっと謎を解くのが楽しくて、姉が帰ってこないんだ。なら、とびっきりの謎を用意していれば、帰ってくるんじゃないかって、思ったんです。このミステリーイベントは、貴方が帰ってくる様にと願って開催していたんです」
「謎につられちゃった」
「私たちとしては、探偵エレナが戻ってきてくれて本当に嬉しいですよ」
「うん、でもあたし、すぐ行かなきゃいけないの」
 落ち着いた声でいうエレナに、三人が息をのむ。
 ブルーは肩を落として俯き、せっかく帰ってきたのに、どうして、どこに、といろいろな謎が頭を駆け巡るが、その答えは出ない。謎を作る事はできても、探偵ライセンスを所持していないブルーに探偵エレナの考えなど、わかるはずもない。しかし、姉の事なら、わかる。
 ブルーは頭を横に振り、深いため息を吐くと顔を上げる。笑顔をエレナに向けているがどこか寂しさが漂う。
「ミステリーイベントの謎では、貴方をここに留めておけないんですね」
「謎解きは楽しかったよ。でもね、あたし、絶対に解きたい謎があるの。それはね、ここじゃできないことなんだよ」
「……また、帰ってきてくれますか?」
「うーーん、どうだろう」
「ははっ。じゃぁ、また帰ってきて貰えるようにとびっきりの謎を用意します」
「それいいね」
 子供達の姿を、両親は微笑ましく見守る。話し合いも息子に任せていたあたり、口を出すつもりは一切無いようだ。
 エレナは椅子から立ち上がるとびゃっくんを抱え、両親と年上の弟を見る。
「いってらっしゃい。エレナ姉さん」
「うん。行ってきます」
 小さな探偵は、最難関の謎に向かって走り出した。



 ぱらぱらと書類を眺めているアドの元にベヘルがやってくる。
『よー、良いとこに来たな、ちょうど、ソムのパスホルダーが届いたとこだぜ』
「それはよかった。ギアはまだぴんと来ないみたいでね、取りあえず、何かの依頼に行ってみようと思って来たんだよ」
『依頼かー。なんかあったかな』
「できれば音楽か機械関係がいいんだけど」
『オレんとこにそんなもんが求められるなんて』
 ばさばさと書類を漁っていると、エレナがやってくる。
「たっだいまー」
『おかえりー。あ、エレナの出身世界なら機械関係の依頼があったような……。あったあった。演劇関係の機械が爆発しちゃうんで、ソレを止めるか、被害を最小限に止めるか、っていうのだ。詳しくはこれな』
 アドはベヘルに書類を渡すとエレナへと顔を向ける。
『エレナは……すぐ出発するか?』
「うん!」
『ほいほい。じゃぁこれ、フライジング行きのチケットな』
「いいね、フライジング。ボクもそのうち行こうかな。キミは観光? それとも誰かに会いに行くの?」
「エルちゃんに求婚するの!」
「それは、すてきだね」
『お、おーう、がんばってこい』
「うん! いってきまーす」
「どうしたのさ、しょぼくれて」
『愛娘を嫁に出す気分がちょっとだけあって……』
「帰属する人、増えたしね」
『すぐ慣れるっちゃー慣れるんだけど、寂しいもんは寂しいんだよなー』
「はは。この依頼、面白そうだから受けたいな」
『そりゃ助かる。そんじゃ、これチケットな。ベヘルとソムもいってらっしゃーい。きぃつけてなー』
 ひらひらと手を振りベヘルを見送っていると、ベヘルと入れ違いでアドの元へヒナタがやってくる。
「ちょいご無沙汰、元気?」
『ようヒナタ。そういや、ヒナタの顔久々に見たなぁ。学校忙しかったのか?』
 灰金に染めた短髪とモノクロの服に、サンバイザー。以前見た時と変らないヒナタの装いを見たアドは、ヒナタはまだ学生をしていると思ったらしい。
「いや就活してたのよ、俺拠点は地元だし」
『それじゃもう卒業したのか。それで、肝心の就職先はどっか決まったのか?』
「いや……まぁ。結果は妥協しなかった末、妥協したっつうか……。絵描きの道を捨てず虻蜂取らずで、結局正社員は潰えたよね!」
『oh……新卒カードは一度しか切れないというのに……。不況ってやつか』
 アドがポケットからお湯の入ったポットやカップ、インスタントコーヒーの粉等を適当に取り出せば、ヒナタも勝手に飲み物を選びカップに粉と湯を注ぐ。
「仕事も募集もあるんだけどねぇ。こっち系のカタギ、デザイナーは無理ですわ。俺彩色が……アレだから。結局、WEBや書籍用に画像を加工して切った貼ったする非正規よ。専学の履修が生きたのは画像処理ソフト技能のみさ。現実ってそんなもんよね!」
『??? なんかよくわからんが、壱番世界の現実が厳しいのはわかった。それじゃ、しばらくは仕事ばっかりか? ヒナタ、絵書くのが好きだっただろ』
「あ、でも。今度展覧会出品するんだー。しかも日本スキップして米国。どうなのソレ」
『うん? 展覧会って、何人かの画家の作品を並べて、売ったり雇ったりするやつであってるか?』
「そうそう」
 ばりばりとおかきを囓りながらヒナタが同意すると、アドはクッキーにかじりついたまま首を傾げる。
『でもヒナタ日本だよな? どうやって米国の人がヒナタの絵を見つけたんだ?』
「俺、水墨画の製作過程の動画アップしてんだけど、先方がそれ見てSNSアカにコンタクトしてきたのね。日本画系若手アーティストの作品集めて、展示した後販売する企画みたい」
『あぁ、そういやもう写真も映像もすぐ撮れるんだったな。へー。そんな遠くの人にも見て貰えてってなぁ、すごいじゃねぇか。前にヒナタの水墨画でオレも描いて貰ったなぁ。懐かしい』
「そんな事もあったねぇ。そういやファンタジー系、ヴォロスとか魔法使える人たちには水墨画が珍しい感じだったじゃない? 米国の人たちもそんな感じなのかね。小さいギャラリーらしいけど、無名の新人を発掘したがるお金持ちとか、お手頃価格狙いのライトコレクターがいらっしゃるご様子」
『そら、絵画っていやぁ色が付いてるのが当たり前っていうか、目に見えている景色や姿を残そうとするのに黒一色では描かないもんだからじゃねぇの? アリッサの家も画家見つけて肖像画描いて貰ったりしてたはずだけど、そういうとこは今も昔も変わらねぇんだな~』
「ところかわればってなー。そんな訳で、今度挨拶と偵察と売り込みがてらNY行ってきまー」
『いってらっさー』
「ロストレイルでな!」
『い?』
「こっちの通貨の方が余裕あんだよ、自腹だし問題ねえだろ。何よりチケットあれば言葉の壁ないじゃん、これ最重要。再帰属暫く様子見も致し方なし。ロスナン素晴らしいネ! 忘却される可能性などへし折る勢いでアピールしてくるさ!」
『オレ、ヒナタのそういう器の小さくて姑息なとこ好きよ?』
「悔しい! でもありがとう! 壱番世界が今すぐ食われるでもないなら、俺は目先の実利を選ぶ。姑息結構、無学な庶民には切実なの! おっかない現地でうっかり絡まれてもギアあるし……。アドさんならわかんだろー?」
『よぉっくわかります』
「デスヨネー! あぁもう、たのむぜー。お得意さんとはいわないから、一つくらい作品売れますように。 できたら次もっていわれますように。 繋がれ次回へ! そんでさらにできたら十数人を集める展覧会じゃなくって数名の個展モドキ! 名前がポスターにおっきめにのるやつ!」
『だからあれほどロバートの後ろ盾を貰えと』
「ファミリーは大きすぎるから怖い!」
『ほんっと、オレ、ヒナタ好きだわー。そういう小市民的なとこ、大好き』
「うぅ、言い返せないどころかそう言われてほっとする俺まじ小市民……。だってよー、実力伴わないのはさー、なんかさー」
『わかるわかる。怖いし面倒だしはーこりゃこりゃってなるんだよな。大丈夫。おっさんもそうだか、らぁ!?』
 肩を落とし、のの字を書いているヒナタが驚き顔を上げると、医療スタッフのクゥ・レーヌが片手でアドの首根っこを掴み地面に押しつけていた。アドは両手で持っていたカップを掲げるような耐性でぷるぷると震えている。
「力を抜いて、呼吸をしなさい。ちゃんと入らないだろう。痛くないから」
「あのぅ、クゥさん、いや、クゥ先生? 言葉だけ聞いてると、あれがそれなんですけど、なにごとです?」
「この男は何度言っても予防接種を受けに来ないのだよ。0世界にいるロストメモリーとはいえ、体調を崩す事も病気になることもあるというのに……」
『ぐぬおぉぉぉ、注射は痛いからやだっていってるだろー。あれ、なんていうんだっけ、こういうとき、ほら、あれ』
「らめぇ?」
『あ、それ、らめぇ』
「馬鹿なことを言ってないで呼吸をしなさい。呼吸を止めたら血液の循環も止まってしまうだろう。む、アド、キミ、太ったね?」
『え?』
「首回りが随分とふとましい……これは、メタボにな」
『ええええええええええええええええええええええええ』
 ぷすり、と注射がさされ、看板にえ、と一文字大きく浮かび上がる。
「はい、おしまい。次はちゃんと自分で来るように。キミも予防接種をしたかったらいつでもおいで」
「は、はーい。ありがとーございまーっす」
 一仕事終えたクゥは白衣を翻し颯爽と去って行く。その後ろ姿を見送ったヒナタは、押さえつける者が居なくなっても同じ格好のままでいるアドへと視線を落とす。
「大丈夫? ていうかそんな注射キライなんだ?」
『うぅぅ……あの入ってくる感じがすっげぇイヤ』
「だねぇ。そだ、後でクゥさんとこよってNY行く前に予防接種もしてもらおうかな。向こうの病気怖いし。あ、お土産リクある? NYの鼠ってでかいらしいよ。鼬の好物じゃなかったっけ。って、あれか、クゥさんにメタボがどうのって言われた後じゃ、まずい?」
『おぉぉぉ、おまえだっていつかは腹が出てくんだぞたぷんたぷんになるんだからないつまでも若いとおもってんじゃねぇぞあっちゅーまだかんな! くそっくそっ! 最近運動してなかったからなー』
「前はなんかしてたの?」
『逃亡用兼脱走用兼緊急時避難ルートの為の抜け道制作を少々』
「俺、アドさんのそういう逃げるためには労力惜しまないところ、好きよ?」
『デスヨネー。もうあんなでっかい戦争無いといいなー』
「そうやねぇ。とりま、NY行きのチケット宜しく。ついでになんか俺向きの依頼あったらよろしく」
『あいよー。ヒナタも展示会の作品作りがんばれー』
 ヒナタを見送り、やれやれと腰を下ろしたアドはトラベラーズノートにメールが来ている事に気がつき、ノートを捲った。



 隙間無く生い茂る草木をかき分け、サインは駆け抜ける。隙間無く広がる大きな葉を爪鉤で切り裂き、がざざ、がざざざざざと音を立てて、ひたすらに走り続けていた。前に倒した上体の背には小さな少女が跨がり、サインの首に必死でしがみついている。
 がざざ、がざざざざざ めき
 サインの立てる音とは別に枝をへし折る音が聞こえ、サインの背に乗る少女が後ろを振り向く。ねじ曲がった枝や蔦、傘になりそうなほど大きな葉の向こうの暗闇に、ぎらぎらと輝く瞳を見つけ小さな悲鳴を上げる
「き、きた! 追いついてきた!」
「うん、大丈夫だよぉ! しっかり捕まっててねぇ」
 サインの言葉に従い、少女は手や足にぎう、と目一杯力を込める。サインは子が落ちないよう上体をさらに低くし、極力揺れないよう足だけを動かして走り続ける。
 めりめりと、枝をへし折る音に続き獣の咆哮が轟く。サインと少女を喰らおうとしているのだと理解できるその叫びはどんどん大きくなり、サインの背に跨がる少女は恐怖に耐えきれず薄く眼を開け、背後を窺い見る。
 大きな口、真っ赤な舌、涎をぼたぼたとたらす尖った牙。ひっ、と息をのむ子の視界に、黄金の線が走る。え、と不思議に思った時には、恐怖の塊だった獣の姿が消えていた。
 何が起きたのか、少女はサインにしがみついたまま体を起こすと、サインが速度を緩め方向転換をする。
 サインの陰から少女が覗き見ると、たった今まで自分の命を脅かしていた獣が地面にめり込んでいる。その上に黄金色の、鬣のような髪型の青年が佇んでいた。たしか、サインと一緒にキャラバンの護衛についてくれた人だ。
「やっぱりジャンガは強いねぇ~」
「おいサイン、あんたの足は速すぎんだ。ちょっとは加減して走れ。キャラバンから随分離れっちまった」
「ぼく、そんなに遠くまで走っちゃった? ごめんねぇ」
「サインは悪くないよ! 離れたとこで遊んでたあたしが悪いの! サインを怒らないで!」
 サインの背に跨がったまま少女が叫ぶと、ジャンガは眼を丸くするが直ぐに大きな声で笑う
「ははっ、怒ってねぇよ。怪我も無いみたいだし、もうひとっ走りしてさっさとキャラバンに戻ろうぜ」
「うん~。またしっかり、捕まっててねぇ」
「うん!」
 ジャンガとサインは今できたばかりの獣道を戻っていく。
 ヴォロスのキャラバンが獣に襲われるという依頼があったのは、二日ほど前だ。七日間の旅の間、その獣はどこかで現れるが、一度現れたら後は何の危険も無く旅が終わるという。
 思ったよりも早く獣が現れ、そして討伐しおえた今、キャラバンは楽しい旅路を続けるだけだ。少女を連れ帰ったジャンガとサインはキャラバンの人たちから溢れんばかりの感謝を受け、その夜は少し豪勢な宴が開かれた。
 ジャンガは酒を飲みながら、キャラバンの皆と共に歌を歌うサインを眺める。
 様々な世界を巡り続けるサインの旅は、歌を届ける旅だ。
 サインの歌は、愛の歌。
 沢山の世界と多くの人にこの歌を届ける為に、いくつもの依頼を受け旅を続けている。ジャンガはその旅についてきている。保護者的な役割もあるが、サインの歌う愛の歌が好きな事が、一番大きな理由だろう。気恥ずかしくてサインには正直に伝えていないが。
 どこの世界でも宴があれば、いや、宴が無くてもサインは歌を歌う。強面な男達もサインの優しく暖かな歌に耳を傾ければ、故郷や家族を懐かしむような顔を見せる。
 サインの歌を覚えた人たちと一緒に歌ったり、逆にサインが歌を教えて貰って一緒に歌ったりと、楽しい日々は飽きることがない。
 キャラバンの皆と楽器を鳴らし笑うサインをよそに、ジャンガは荷物の中から便せんをとりだし、ペンを走らせる。
 サインの旅が歌を伝える歌ならば、ジャンガの旅は文字と香りを流す旅だ。
 便せんの内容も香りがどんなものなのかも、決まっていない。ただ、思いつくままに記し、香りをつけて、流す。流し方も固定されておらず、その時、最もあった流儀で流していく。水に、風に、空に、土に。自然と共に生きるシャーマンであるジャンガは、その時最も強く感じた事を大事にしている。
 キャラバンの人たちとサインがジャンガを呼ぶ声がする。
「ったく、しょーがねぇな」
 残りの酒を一気に煽ったジャンガは面倒くさそうに立ち上がると、人の輪に加わっていった。



 ロストレイルのボックス席に座ったサインは簡易テーブルを出し、トラベラーズノートを広げる。アドの顔を思い出しながらペンを走らせだした。

 ヴォロスのキャラバン護衛依頼、無事に終わったよぉ。7日間、キャラバンの人達と一緒に歌ったり、踊ったり、楽しかったよぉ。
 綺麗な風景もたくさんあったし、見せてあげたかったなぁ。カメラ、だっけぇ?それ持っていけばよかったかなぁ。……あ、でもぼく、その扱い方知らないやぁ。ジャンガなら分かるかなぁ?
 今は帰りのロストレイルの中でこれを書いてるよぉ。キャラバンのお手伝いもして、疲れちゃった!
 だからちょっと眠いから、これを書いたら寝ようと思ってるのぉ。
 さっきもジャンガと、今度はどの世界に行こうかなぁって話してたところなんだぁ。また決まったら教えるねぇ。
 旅もあって、毎日が本当に楽しみだよぉ。
 アドも、旅ができたらいいのにねぇ。
 あ、今度はカメラ、ちゃんと持って行って、えーと、写真だっけ? 撮ってくるからねぇ!

 ジャンガが席に戻ってくると、サインは簡易テーブルに突っ伏して眠っていた。エアメールを書いたノートを枕にし、ペンを握ったまますやすやと気持ちよさそうに眠るサインの姿にジャンガは苦笑する。
 起こさないよう、ジャンガはそっとペンを取ってやるがノートは体の下だ。ページがよれたり文字が鱗に付くかもしれないが、それもまぁ、楽しい旅の思い出になるだろう。
 ふと、ジャンガは自分のトラベラーズノートに何か届いた気がし、ページを捲る。
『よぉ、サインが不思議な文字? 模様? 残してんだけど、なんかあったか? 大丈夫か?』
 アドからのメールにジャンガは不思議そうにペンを走らせる。
「サインならよく寝てるぜ。あんたへのメールを書いてる途中で寝ちまったみたいだ」
『おう、そうか。じゃぁこれは寝ながらつけちまったけど、まだオレへのメールを書いてるつもりだったから届いたんだな。何事もないならそれでいんだ。ジャンガもおつかれさん。気をつけて帰ってこいよー』
 心配性な司書に小さく笑いを漏らしらジャンガはノートをしまい込む。サインに毛布をかけてやり、向かい座ると窓の外を眺める。何処までも続く星空の輝きは、それ一つ一つに多くの人が生きている、世界だ。
 その全てに、愛の歌を届けるのはいつになるか。一度だけではなく二度、三度と訪れ人々がサインの歌を忘れてしまわないようにもしたい。
 ジャンガは目の前で眠るサインの寝顔を見ると、満足そうに笑う。ゆらゆらと心地よい揺れに揺られながら、いつまでも星空を眺めていた。


 ほっとした様なため息を漏らし、アドがトラベラーズノートを閉じる。
「ごきげんよう。アドさま」
 アドが声に顔を上げると黒衣の未亡人、三雲が佇んでいた。
『おまえさんがここに来るなんて珍しいな。どうした?』
「あら、いやですわ。わたくしの様な旅人が司書さまにお会いに来るのはたたひとつ……。そうでございましょう?」
『お茶やランチの誘いも大歓迎なんだけどな、オレぁ』
「あら、そうでしたの? わたくし、てっきりアドさまには嫌われているもんだとばっかり」
 口元を手で覆い隠し、くすくすと笑う三雲にアドは大きなため息をつく。
「あんたのそういうとこぁ苦手だけど、きらっちゃいねぇさ。探偵は嫌いだけど」
「そういえば、どうしてそんな探偵がお嫌いなのか、伺っても?」
『んー? そりゃ、あれだ。探偵ってやつぁ、なんでもかんでも引きずり出しすぎだからさ』
「あら……」
 三雲はごそごそとポケットを探るアドをまじまじと見下ろす。
「謎は謎のまま、というのはわたくしも好みですわ」
 少しだけ、優しい声色で言われた気がし、アドは驚いた様に三雲を見上げるが、見慣れた微笑みの未亡人がいるだけだ。
 アドはポケットからチケットと一つの封筒を取り出すと、一緒に差し出した。チケットはともかく、封筒に心当たりの無い三雲が不思議そうに眺めているとアドの看板に文字が浮かぶ
『餞別さ』
「まぁ、うれしい。では、ありがたく」
『元気でな』
 チケットと封筒を受取った三雲はアドに微笑みを返すと、そのまま旅立っていった。



  ジャンクヘブンの港には今日も多くの船が並んでいる。あちこちで大きな声が飛び交い、到着した船から荷物が下ろされ、次の荷物が積み込まれてと、海の男達は大忙しだ。
 遠方へと出発する船のデッキから港を眺めていたムジカは、船のタラップを歩いているベヘルを見つけ、軽く手を振ってみる。ベヘルの頭上をムジカの手影がちらちらと行き交い、不思議そうに顔を上げたベヘルと視線が合う。デッキまで上がってきたベヘルはムジカの元へとやってきた。
「やあ、久しぶり。きみもかわらないな」
「ベヘルこそ。元気そうでなによりだ」
 出航の鐘がなり、偶然居合わせたムジカとベヘルを乗せた船が動き出す。数年ぶりの再会だというのに、二人は特に盛り上がった会話をするでもなく海を眺めていた。
 ブルーインブルーは旅人が多く関わった世界だ。沢山の歴史に残る出来事が起き、多くの人の人生を変えてきた。その中でもムジカとベヘルは多くの、確信とも、運命の転機ともいえる出来事に深く関わっている。遠くを眺めたまま、ベヘルが口を開く。
「きみも自由の国に?」
「やっぱり、行き先は同じか。あれから結構経ったからどうなったかと思ってね」
「じゃぁ、その次の行き先もいっしょだね」
「そういうことらしい。依頼は?」
「受けてない」
「じゃぁのんびりできそうだ」
 潮風が二人の頬を撫でる。二人を乗せた船は大海原の果ての果て、辺境都市サイレスタのあるさいはて海域へと向かう。
 数年前、サイレスタ近くに小さな島が現れた。その小さな島を土台に新たな海上都市が建設されたらしく、二人の乗る船もその海上都市が最終目的地だ。真新しい海上都市に到着したムジカとベヘルは船を一艘借り、自由の国へと向かう。
 天気にも恵まれた二人は自由の国――海賊王子ロミオの創り上げた国の入り口へとやってきた。
 自由の国はロミオが勝手に作った国だ。だからまだ地図にも載っていない。人が訪れるはずなどない場所にやってきた旅人に島の人々は驚いたが、二人の姿を覚えていた元海賊の男がいた。ぽかん、と大きく口を開けた男はあわててロミオを呼んでくる。
「元気だったか、海賊王?」
 呼ばれ、息せき切ってやってきたロミオも心底驚いた顔でムジカとベヘルを見、言葉を失っている。当然だ。彼らに助けられ、この自由の国を造る事になってから数十年も経っている。美青年故に海賊王子という異名を持っていたロミオも壮年だ。日に焼け逞しく鍛え上げられた体躯に浮かぶ傷跡は、ロミオを頼りがいのある男に見せる。なのに、目の前にいる二人の旅人はどうだ。別れた時の姿そのままで、年上だった筈のムジカも――とはいえ以前も若々しくて自分とあまり大差ない年齢だと思っていたが――すっかり年下だ。
 聞きたいことも言いたいことも沢山あるが、それよりも、二度と会えないと思っていた旅人が訪ねてきてくれた喜びが勝る。ロミオは満面の笑みで二人に言う。
「もう海賊じゃないさ。あぁ、良く来てくれた。歓迎する。心から」
 握手を交わし、ロミオは二人を島の奥へと誘う。遠巻きに二人を眺める島の人々と、はしゃぐ子供達の視線にくすぐったさを感じながら、ムジカとベヘルはロミオの後をついて歩く。とても小さな島にはいくつかの家屋があるくらいだ。島の中で一番高い場所に立てられた、見張り塔の下にある家屋に案内されると、遠巻きに見ていた人々の姿が消える。大事な客人と重要な話をする場所と決められているのだろう。
「で、今回はどんな大事件を持ってきたんだ?」
「別におれ達が事件を持ってくるわけじゃないんだが」
「ははっ、すまんすまん」
 軽口を叩くロミオにムジカは言う。
「人はすべて自由であるべき、そういっていたおまえがどんな国を創り上げたのか、見に来ただけさ」
「そうかい。でも、まだ国にはほど遠い」
「なんだ、弱音か?」
「手厳しいな」
 首を竦め苦笑するロミオは真面目な顔を見せる。風が通り抜け、ロミオが外の海を眺めるとムジカとベヘルもそちらを見る。
「さいはて海域に来る船はそうそうないんだけどな、時々、海賊に襲われたり天候に負けて航路を違えた船とか、漂流者が流れ着く事があるんだ。この島はその為の、外の世界との関わりを持つ為の島なんだ」
「超戦艦フェルムカイトス号は?」
「こんな所には持ってこれないぜ。ちゃんと遠くに隠してる。フルラ=ミーレ王国も手を貸してくれるんだが、この島にまでやってくる時があってちょっと困るな」
「人魚姫たちも元気そうだね」
「あぁ、地上の知識と海底の知識の違いが面白いらしくてな、大人も子供もみんな、毎日が楽しそうだ」
「あんたは」
 ムジカが短く問う。
「あんたは楽しくないのか? ロミオ」
 ぴくりと肩を揺らし、ロミオの体が固まる。ざざんざざんと波の音がよく聞こえた。
「最近、ジェロームやガルタンロックともう少し話してりゃよかったかな、と思うんだ」
「どうしたんだ。いきなり」
「たとえば、だ。オレとムジカが喧嘩したとする。喧嘩して、本気で殴り合って殺し合いに発展しそうな喧嘩だ」
「そりゃ穏やかじゃないな」
「でも、それは俺たちだけの喧嘩だ。オレとムジカだけのいざこざで、仲直りしようと仲違いしようと誰にも迷惑にはならないはずだ。でも、国となるとそうはいかない。俺とムジカの喧嘩が自由の国と旅人との戦争になる。そうなれば当然、多くの人が巻き込まれる……そういうのを見てきたから、俺は国を創ろうと思った」
 海賊王グランアズーロの遺産、超戦艦フェルムカイトス号を手にいれたロミオは、遺産を巡りまた大きな戦争が起きるのを防ぐため、そして、ずっと抱いていた理想『人はすべて自由であるべき』という言葉が実現できる国を、ここ、さいはて海域に創り出した。しかし、ムジカとベヘルがいま居るこの島は、外の世界と関わる為の島だという。本来の、かつてロミオの語った自由の国には必要の無い島が、創られているのだ。
「海は繋がっているからな、どうしたって人の訪れを拒むことはできない。この島を創らなくちゃいけなくなって、実際に創ってからも、いろいろな問題がでてくるんだ」
「どんな問題だい?」
「そうだな、一番の問題は……」
「薬、かな」
 ベヘルの問いにロミオが答える前に、ムジカが言う。
「さすがだな。その通り。フルラ=ミーレ王国の医療技術は素晴らしいが、基本的に人魚の為のものだ。人間の病気には効果が無いし、そもそも、人間と人魚の病気が同じものではないらしい」
「なるほどね。フェルムカイトスの医務室を使えば病気は発見できるだろうけど、外から来た人においそれとは使えない。フェルムカイトスの薬だって無尽蔵じゃない」
「資料や知識で海魔から薬の原料が採取できるとしっても、それを薬にする技術を持った人はまだこの国に存在しない。だから、この島を創るしか無かったんだな」
「幸い、というかなんというか、一番近い島、サイレスタのカナンガとパルラベル姫が知り合いだからな。カナンガも協力的だ。そういう意味では、サイレスタがこの自由の国の入り口とも言える」
「なるほど、それでガルタンロックの名前が出てくるのか」
「サイレスタに立ち寄る商船はガルタンロックの船だったね。でも、話ておけばよかった、だからまだ悩んでるようだけど」
「本当に、お前達はなんでも知ってるな」
 ロミオは降参するように両手を挙げ、けらけらと笑う。
「ジェロームは一つの都市を創り上げ、纏めていた。ガルタンロックはこの世界全てと言っても過言じゃない流通網を掌握している。遣口は嫌いだし、今だって汚い事をしてると思うと、ガルタンロックには会いたくないさ。でも、この国に必要な物資を届け、ここの存在を秘密にしてくれる様なヤツがガルタンロック以外には居ない事も、事実だ。こんな大事な事を俺の意地や我儘で決めて良い事じゃない」
「だが、ガルタンロックの手を借りるという事はこの国の事だけじゃない。フェルムカイトスと人魚の存在、フルラ=ミーレ王国の事も教える事になる」
「そうだ。だから、思ったのさ。もっと前に、嫌いだから話さない。腹が立つから近寄らない、なんて子供じみたことしないで、もっと、ジェロームとガルタンロックだけじゃない。ジャコビニやフランチェスカ、シェルノワルのネヴィル卿とだって、話をしようと思えばいつでもできた。もっと彼らの事を知っておけばよかったなって。もっとも、あの頃の俺じゃ話していたところで耳に入らなかっただろうけどな」
 自嘲気味に笑い言うロミオは、少しだけ、情けない顔をしている。
「それでも、俺は俺の理想を『人はすべて自由であるべき』だという理想を諦めたくない。せっかく来てくれたのに悪いな。まだ、胸張ってここが理想の国だとは言えない。俺の代で完成するかも、正直わからない。それでも、よかったら、また来てくれ」
「来たばかりなのにもう追い返されるのか?」
 肩を竦めたムジカが意地悪く言うと、ロミオはあっけにとられた顔をし、直ぐに吹き出した。
「ははは、ゆっくりしていけるなら、何日でもゆっくりしてってくれ。そろそろ、沖合に姫さん達がくる頃だ。彼女たちと合流して、もっと奥に行こう」
 ロミオに案内され、ムジカとベヘルは船に乗り込む。沖へ沖へ、水平線に吸い込まれる様に船が進み、小さな島が見えなくなり、360度海しか見えなくなるとぱしゃぱしゃと魚の跳ねる音が聞こえ出す。その音は次第に大きくなり、二人の乗る船に併走し飛び跳ねる人魚達の姿が現れる。船が少し速度を落とすと、前方に人魚達が集まり船を先導し始めた。
「道案内が人魚だなんて、贅沢だね」
「ここらへんはもう彼女たちがいないと無理なんだ」
 人魚に誘われ海を進んでいくと、前方に小さな島が見え始める。
「あれは、フェルムカイトス?」
「よくわかったな。目標もかねて先端を少し出してるんだ。船も着けられるし、あの辺りなら天板が足場になって人魚と一緒に居られる」
「なるほど、ちょっとしたサロンだ」
 船を着け、ムジカが降り立つと、一人の人魚姫が海面から顔を出してきた。
「やぁ、サロメッタ姫、ご機嫌麗しく」
「久しぶりだな、ムジカ。貴方も元気そうでとても嬉しいよ」
 穏やかな微笑みで言うサロメッタに、ムジカも微笑みを返す。
「もっと沢山話したいのだが、すまない。ちょうど海魔討伐に出るところなんだ」
「出る前に顔を見に来てくれたのか? ありがとう。お邪魔でなければ暫くいるから、落ち着いたらまた話をしよう」
「もちろんだ。貴方もたしか、リーフディア奪還戦に参戦していた旅人だね、あの時は本当にありがとう、貴方とも是非、後で話をさせて欲しい」
 ベヘルにもそう告げると、サロメッタは海の中へと消え、少し離れた場所で待っていた人魚達と共に泳ぎ去って行く。
「元々好戦的なお姫様だったけど、記憶にあるよりも柔らかい笑顔だったな」
「サロメッタ姫は今、武術指南役をしているから、そのせいかもな。次世代を育てるのが楽しいって前に言ってた。こっちだ」
 水面からほんの少し顔を覗かせるフェルムカイトスの上を歩き、ムジカとベヘルは小さなコテージへと案内される。木陰をつくり、水通しの良い椅子がいくつか置かれただけのそこに二人が入ると、水面から三人の人魚姫が顔を出す。
「お久しぶりでございます、ムジカ様ベヘル様」
「やぁ、パルラベル姫、それにイリス姫とシェヘラザード姫も。お元気そうでなによりだ」
「王子様たちにはお変わりなく。相変わらず、素敵でいらっしゃること。運命の姫ぎみは見つかりまして?」
 首を傾げ、可愛らしく問うイリスの言葉にムジカはベヘルをちらと見るが、ベヘルは気に留めた様子もない。
「ぼくは今も、恋人と一緒にいるさ」
 右腕を少し持ち上げベヘルが言うと、イリスは頬を赤らめてまぁ、と感嘆の声を漏らす
「妬けるね」
「ムジカとあの人ほどじゃないよ」
「そんな綺麗な関係じゃないんだが、そうだ、シェヘラザード姫よかったら占ってくれないか?」
「えぇ、喜んで。何を占いましょうか?」
「己の行く末を」
 柔らかく微笑み、シェヘラザードはカードを操りムジカの未来を占う。束を切り、カードを並べたシェヘラザードの眉間に小さな皺ができた。その顔は明らかに困惑している。
「『意外性の連続』『安寧にはほど遠い』『最高にして最悪の友人』……? この未来をどう読み取ったものか……」
 うんうんと、考え込むシェヘラザードをよそにベヘルは
「ほら」
 と小さくムジカに耳打ちする。もはや苦笑するしかないムジカはシェヘラザードにベヘルも占ってやってくれと言い出す。
「もちろんですわ。ベヘル様も行く末でよろしいですか?」
「そうだね」
 同じようにカードを操り、ベヘルの行く末を占うシェヘラザードは、今度は淀みなく占い結果を口にする。
「『大いなる災厄』『半身との別離と邂逅』『螺旋特急の車窓』――、万華鏡にも似た目まぐるしい運命が見えます。ですが、好転するでしょう。あなたがあなたでいる限り」
「いままでどおり、旅は続くってところかな」
「そうみたいだね。ありがとう、シェヘラザード姫」
 五人が懐かしさを、そして再開の喜びを噛みしめていると、気がつけば周囲には沢山の人と人魚が集まり、多くの食事が用意されていた。
「さぁ、座った座った。積もる話は沢山あるし、お前達と話したい人魚姫も沢山いるんだ。覚悟しろよ?」
「100人と話すのか。それは大変だ」
「あら、ムジカ様。私たち姉妹は100人でしたが、ここにはもっと沢山、いますのよ?」
 パルラベルがそう言うと、ムジカは困ったように笑う。
「いいんじゃないかな、時間なら沢山あるし」
 ベヘルの言葉に、ムジカも小さく頷いた。



 満月の明かりに照らされたフェルムカイトスの周囲では人と人魚達とが混ざりあい、楽器を奏で歌を歌う。あちこちで楽しそうに語り笑う彼らの顔も、水面に反射する月星の明かりではっきりと見える。
――在りし日のグランアズーロもこんな男だったのだろうか
 人魚と人に囲まれたロミオを眺め、ムジカは思いを馳せる。海賊王と呼ばれ、この遺跡を手に入れた男は、仲間の裏切りによってその障害を終えている。一人寂しくこの世を去るはずの男が、幼いロミオに出会えたのはまさに、運命の悪戯だといえよう。
 ムジカの視線に気がつき、ロミオは仲間達の元からこちらへとやってくる。
「どうした?」
「あんたの創った国を眺めていた」
 ムジカの言葉に、ロミオは目を丸くする。まだ国として完成していないと伝えたばかりだというのに、どうしたのか。そう言いたげに、ロミオはムジカを見下ろす。ムジカは目の前の光景を眺めたまま、こう呟く
「美しい、自由な国じゃないか。人と人魚が共にあって、共存している。そして今も尚、良くあろうと成長している。あんたなら必ずや成し遂げると思っていた。あの脱獄の日から、ずっと」
「…………海神祭だったな」
「ああ」
 二人は静かに、皆の方を見る。
 理想を掲げ海賊となった少年は、強大な敵にも巨大な敵にも屈さず、仲間を失い心を折られてなお立ち上がり、前に進んできた。
「ロミオ」
「なんだ?」
「一曲、送らせてくれ」
「是非、こちらから頼みたいくらいだ」
 ステージ代わりにコテージの中央へとムジカを立たせ、ロミオは皆に集まるよう声をかける。
「自由の国に」
 短く言い、ムジカは祝いの歌を口ずさむ。
 ロミオはまだ完成していないというが、国というものに完璧な完成など、ありはしない。それでも、諦めず、理想を捨てずここまでやってきたロミオに、ムジカは祝いの歌を送るのだ。
 ベヘルに寄り添うイリスはムジカの奏でる音色にうっとりとした表情で言う。
「なんて素晴らしい音色でしょう。私の知らない世界にも、このように美しい音楽があふれている。……硝子のように透明で、澄んだ哀しみを秘めた―極光のようなこの演奏に、特にこころ惹かれます」
「そうだね」
 祝いの歌は夜空に広がり、星々へと溶け込んでいった。



 自由の国を満喫し人魚姫たちとの逢瀬を堪能したムジカとベヘルは、海上都市へと戻ってきた。ここからまたジャンクヘヴンへと戻り、次の旅へと向かうのだ。
「ぼくは0世界に戻るけど、きみは?」
「ジャンクヘヴンからドンガッシュの建てたリゾート行きだ」
「じゃぁ、ジャンクヘヴンまでだね」
「そのようだ」
 ゆっくりと船が動き出し、海上都市を離れていく。
「そういえば、聞いた?」
「何を?」
「この海上都市、ガルタンロックが関わってるかもしれないんだって」
「それは初耳だ。誰から?」
「パルラベル姫。カナンガが、ロミオにそう伝えてたって」
「なるほど。それは、ロミオが悩む訳だ」
「カナンガは裏切らないと信じてるらしいけどね」
「ロミオらしい」
 船が大海原を進み行く様に、ムジカとベヘルはこれからも、旅を続ける。止めるのはいつかなど、考えてもいない。
 気が向いたらまた、自由の国へと行くだろう。



 海上都市の一角に、小さな店がある。
 真っ黒なドレスを身に纏う、黒衣の未亡人が商う小さな美術店だ。黒いレースで隠された顔を見た者はいない、という。
 その店は〝宝石に飾られた髑髏〟に連絡がとれる店だとも、まことしやかに、囁かれている。

クリエイターコメント こんにちは、桐原です。
 この度はエピローグシナリオにご参加いただき、まことにありがとうございました。

 これからも良い旅を!
公開日時2014-03-31(月) 23:50

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル