深い森。木漏れ日の射す中を、ヨニはとてとてと歩いていた。 心無しか尻尾が嬉し気に揺れている。逸る気持ちを抑え、驚かさないようにと駆け出したい衝動を抑えているのだ。 ヨニは自分の世界へと帰還した。帰属するかは、まだ決めていない。 それというのも、自分がどれだけ故郷を離れていたのか……それを見極める必要があったからだ。 ——もしもミーアが新しい伴侶を見つけて幸せになっていたら、心から祝福しよう。そして、二度と戻らない。 ヨニはそう決めて、故郷へと帰還したのだった。 ミーアの為に帰りたかった。幸せだったあの時の為に、ヨニは故郷への帰還を切望していたのだ。 これまでの旅は、他者へ任せるばかりでとても自慢出来るものではない。それでもミーアに会いたい一心で大事に守って来た命だから、ミーアを一目見たかった。 ——どうか、笑顔で過ごしていますように。 そう願いながら、森を進む。 しかしヨニの足は、途中で止まってしまった。 あともう少しで村への入り口、森の広場へと辿り着くのに、続く道で立ち止まり、どうしてもその先へ進めない。ゆらゆらと揺れていた尻尾も、今はすっかり地に垂れて、大きな耳も怖じ気づいたように垂れてしまって、息が詰まって苦しかった。 ヨニは頭を振る。今さら怖いと思うのか。 散々迷ってどうしても一歩が踏み出せなくて、ヨニは森の広場へ向かうのを諦め、よくミーアと語り合ったキノコの踊る輪へと足を向けた。 そこへなら、行ける気がした。 キノコの踊る輪へと近付いた時、ふいに少女が木々の間から現れた。 翡翠の瞳、青く光を弾いた黒い髪、クリーム色の耳と尻尾がピンと伸び、ヨニを見つけてビックリしたように立ちすくんでいる。 立ちすくんだのはヨニも同じだった。そこに居たのは、確かにミーアだったから。「ミーア」 震える声で名前を呼ぶ。少女はすると、きょとんと首を傾げた。「おばあちゃんを知ってるの?」 ヨニは目を見開いた。よくよく見れば、少女の首には約束の印が下がっていない。 では、少女は本当にミーアの孫で……ヨニは、途方も無く遠い時間から帰還してしまったのだ。 驚愕、次に落胆、そして……どこかほっとした。 ——ミーアは、幸せになったのだ。 目の前の少女が、その証拠。「どうしたの? お腹痛い?」 少女はかくりと首を傾げて、ほんの少し警戒しながらもヨニを気遣う。 ああ、なんてそっくり。「大丈夫。ミーアは……君のおばあちゃんは、元気?」 ヨニが微笑むと、少女はこっくりと頷く。「元気だよ。でもね、ずっと寂しいの」「寂しい?」「うん。おじいちゃんをね、ずっと待ってるんだけど、なかなか帰って来ないから」 ヨニの背中を衝撃が走り抜けた。 心臓が破裂しそうなほど脈打っている。 少女は続ける。「おばあちゃんねぇ、おじいちゃんが大好きなの。お母さんと叔母さんと叔父さんが生まれた時にね、一人じゃ大変だろって言われたんだって。でもね、おばあちゃんはおじいちゃんが大好きだから、一人でりっぱに育てるって言って、負けなかったんだって。おじいちゃん、つみなおとこだよねぇ」 少女はませた言葉を使ってみせる。ヨニはほんの少し苦笑した。「お母さんもね、会いたいって言ってたよ。真っ黒な瞳がね、お母さんはおじいちゃんにそっくりだ、っておばあちゃんいつも言ってるの。リーリもね、おじいちゃんに会いたいなぁ」「……どうして?」 思わず聞くと、少女はにっこりと笑った。「だって、おばあちゃんモテモテなんだよ。でも、絶対に負けなかったもん。おじいちゃんはとっても優しくて、約束は絶対に守るからって。真っ黒な瞳を思い出すだけで幸せになるけど、やっぱりせつなくて、でも、だから会いたいって。おばあちゃんが幸せになれるおじいちゃんだから、リーリ会いたいの」 ——放逐後、もといた世界からは「その人が世界に存在したという記憶」が少しずつ失われていく。 ロストナンバーとなった時、そう聞いた。だから、そうならない為に、世界図書館に保護してもらった。消えてしまわない為に。いつか故郷に戻る為に。 ああ、なのに。「おにいちゃん? どうしたの? やっぱりお腹痛いの?」 大きな黒い瞳から、大粒の涙が知らず零れていた。 ああ、もしや世界図書館に保護されていなくても、消えなかったのではないか。 そんな甘い想いが胸に募る。 “おばあちゃん”と呼ばれる年になるまで独り身を貫いて。 娘息子を立派に育てて、孫が生まれて。 ああ、それでも。 それでもヨニを覚えていてくれたのか。 会いたいと思ってくれていたのか。 自分と同じように。「リーリ。どこにいるんだい」「あ、おばあちゃん!」 リーリと呼ばれた少女が駆けて行く。顔を上げた、その先に。 記憶と違う、落ち着いた雰囲気の婦人。 記憶と同じ、翡翠の零れ落ちそうな瞳。 その首に下がるのは、約束の証の黒曜。「ヨニ!」 婦人が駆けて来る。 ああ、間違いなく。「ミーア」 両腕を広げて抱きとめる。 時間が止まってしまった分、ミーアの背はヨニよりも高い。「たくさん待たせてごめんね、ミーア」「本当だよ。あたしはすっかり、おばあちゃん」 なんて返していいのか解らなくて、ヨニはただ腕に力を込める。「……会いたかった」「うん」「会えて良かった」「うん」「ずっと一緒に居たい」 ヨニの背中に回った細い腕が、小さく震えながら力を込めた。「うん。ずっとずっと、それだけを待っていたの」======<ご案内>このシナリオは「ロストナンバーたちの後日談」を描くものです。プレイングでは、みなさんの「その後の様子」をおしらせ下さい。このシナリオは便宜上0世界が舞台として表示されていますが、どの世界の出来事でも構いません。例:・3年後、ヴォロスに帰属した。冒険者相手の酒場を経営している。・数年後、○○さんと結婚。今もターミナルで暮らしている。・冒険の旅に出た。新たな世界を発見し、探索を続けている。・10年後、故郷の世界に帰り、再帰属を果たす。○歳まで生きて天寿を全うした。※「○年後」という表現があれば、北極星号の帰還の年から数えます相手のある内容の場合(結婚等)、お相手の方も同じシナリオにご参加のうえ、互いのプレイングに明記をお願いします。帰属済みであるなどしてシナリオに参加できない場合、設定欄等に同意があることをわかる記述をお願いします(納品されるまでそのままにして下さい。ライターが確認したタイミングで書かれていなければ参照しません)。なお、このシナリオの結果として、帰属や死亡が描写された場合でも、ステイタス異常にはなりません。!重要な注意!このシナリオのノベルに関しては、どのような理由であっても、納品後の修正依頼は一切受け付けません。「故郷の世界」や、「新たな世界」を描写する場合、担当ライターにその設定も含めて一任していただくものとします。複数のエピローグシナリオへの参加について、制限はありません。ただし、ライターは別のライターが執筆するシナリオの内容については関知せず、両者の内容について整合性を保つ義務は負いません。シナリオに参加したことをもって、上記の点をすべてご了承いただいたものとします。
それぞれのエピローグ ——松本 彩野の場合—— 木漏れ日の中、松本彩野はさくさくと山中を歩いていた。 三つ編みにした後ろ髪が揺れるのを、彼女の相棒であるケロちゃんが追いかける。 「うーん、ここら辺の筈なんだけどなぁ……ねぇ、ケロちゃん」 彩野は分厚いメガネを押し上げながら、地図とケロちゃんを交互に見やった。 「間違っちゃいねぇはずだ。とにかくもう少し進んでみようぜ」 ケロちゃんは彩野を先導するように前を歩き出す。彩野は「うん」と呟いて小さな緑色の背中を追いかけた。追いかけながら、空を仰ぐ。 青々と茂る葉の間から、優しい陽射しが降り注いでいる。この世界の季節は春のようだ。道々には色とりどりの小さな花が咲いて目を楽しませ、ふうわりと広がる蜜の薫りがなんとも心地よい。 ——すごく綺麗な場所だなぁ。 彩野は目を細め、これから会いに行く獣人を思い浮かべ、そして鞄にそっと手を触れた。そこには、大切な預かり物が入っている。それこそが、彼女がこの世界を訪れた理由だった。 ロストレイル13号がワールズエンドステーションを見つけ、そして帰還してきた時。 彩野はロストナンバーのままでいることを選んだ。理由は特にないが、強いて言えばイメージを膨らませる為だろうか。美大生である彩野にとって、自分の世界以外の世界というのは刺激的だった。 ケロちゃんと一緒に旅をする事が、楽しいことも理由の一つであろう。 「おい、彩野。あれじゃねぇか?」 ケロちゃんが振り仰ぎ、指を差す。 そこにはネズミの獣人が二人、陽だまりの中に腰掛けて談笑をしている。その姿は素朴で幸せそうで、まるで童話の中の一番面のようだ。 やがて視線に気付いたのか、少年の方のネズミ獣人が真っ黒な瞳を彩野に向ける。その頭上には、<真理数>が浮かび上がっていた。 「彩野」 ケロちゃんが彩野の足を軽く押す。彩野は頷いて、陽だまりの中へと足を踏み入れた。 少年が立ち上がり、一緒に腰掛けていた婦人が心配そうにその裾を掴む。 「こんにちわ、初めまして。あなたがヨニ君ね?」 「うん」 ヨニと呼ばれた少年はこっくりと素朴に頷く。その胸に緑のガラスのようなペンダントが揺れていて、彩野はにっこりと微笑んだ。 「あなたに渡したいものがあるの。ヨニ君は、トレンチコートを着たカワウソの獣人さんって知っているかしら?」 ヨニの黒い瞳が大きく見開かれる。彩野は更に言葉を続けた。 「私、その人から手紙を預かっているの。君に届けて欲しいってね」 「本当? ヨニに?」 彩野は更に笑みを深めて、大きく頷いた。 「良かったら、受け取ってくれる?」 「ありがとう。……ええと」 ヨニは大きな耳をピンと立てて、彩野を振り仰ぐ。 「あっ紹介が遅れてごめんね。私は松本彩野。この手紙の差出人の友達よ。こっちは」 「オレはカエルだ。宜しくな〜」 彩野の紹介を遮ってケロちゃんが自己紹介をする。間違っても彩野以外にケロちゃんなどと愛らしく呼ばれたくはないのだ。 「ヨニ」 婦人が首を傾げてヨニを見上げる。ヨニは嬉しそうに笑った。 「ヨニが旅をしていた時にね、お世話になった人なの。とても良くしてもらったんだよ」 それを聞いて、ようやく婦人は表情を和らげた。 彩野が改めて手紙を差し出すと、ヨニはそっとそれを広げる。そして困ったように項垂れて、彩野を見上げた。 「……どうしたの?」 彩野は困惑した。まさか、受け取ってもらえないのだろうか。 「もう、ロストナンバーじゃないからかな。字が読めないの」 「あっ……」 ヨニは少し寂しそうに笑う。 ロストナンバーは、トラベラーズノートを所持している。これを所持したロストナンバー同士は、使用している言語に関わらず、互いの意思疎通が可能だ。また、チケットには“旅人の言語”という効果がある。降り立った地域で「もっとも一般的な言語」を理解し、会話や読み書きができるようになるというものだ。 これらは、ロストナンバーが異世界で依頼を遂行する為に必要なものだ。それは、今も変わらない。 しかし、ヨニはもうロストナンバーではない。彩野と会話が成立するのは、彩野がロストナンバーで、チケットを所持し、“旅人の言葉”の恩恵を受けているからだ。 「読んでくれる?」 「え?」 彩野は黒い瞳を見返した。 「ヨニは、もう読めないけど、彩野は読めるでしょう?」 「読めるけど……いいの?」 「うん」 ヨニはこっくりと頷く。 「最初はちょっと怖かったけど……とても良くしてくれた人の言葉だから、知りたいの」 婦人の手を引き、ヨニは微笑む。 「ミーアにも、聞いて欲しいな。ヨニがどんな人と仲良くしていたのか」 ミーアと呼ばれた婦人は、碧の瞳でじっと黒曜の瞳を見つめ、やがて頷いた。 それに頷き返して、ヨニは再び彩野を見る。彩野は頷き、手紙を開いた。 「“ヨニ殿へ。久しぶりであるな。我輩の事は覚えているであろうか?”——」 * * * ヨニ殿へ 久しぶりであるな。我輩の事は覚えているであろうか? そうでないならば、この手紙は破棄してくれて構わない。お主の時間を無駄にしたくはないのでな…… まず始めに、このような形で声をかける非礼を詫びておこう 我輩はロストメモリーとなり旅に出る事が出来ぬ身となったのだ。0世界に生涯を捧げ、骨を埋める事とした お主は己の故郷をみつけたのだな。心より祝福しよう 我輩も嘗ては故郷を目指す為必死になったものである……チャイ・ブレに記憶を捧げた今となっては、その理由も覚えてはおらぬが だが、不思議なものでな。お主を見るとどうにも親近感を感じて止まぬのだ 以前、お主は故郷に愛する者が居ると申しておったな。我輩も案外そうだったのかもしれぬな……しかし恐らく、道を失い諦めたのであろう お主には道がある。道があれば希望も、幸も掴めるであろう 迷わず精進するがよいぞ。若造よ * * * 「ありがとう」 手紙を読み終えると、ヨニは真っ黒な瞳を濡らして微笑む。 「ありがとう、彩野。カエルも。彼に、伝えて」 ——迷わない。二度とこの手を離さない。どうか、お元気で。大切なお友達。 「伝えるわ」 彼からの手紙をヨニに渡しながら、彩野も微笑み返す。 「必ず、伝えるわ。……さて、私たちはそろそろ失礼するわね」 「もう行くの? お茶を出すよ」 「ありがとう。でも、列車の時間があるから」 そう、とヨニは首を傾げる。彩野の後ろから、ひょっこりとケロちゃんが顔を出した。 「おっさんから聞いたぞー。おまえ、りあじゅーなんだってなー。頑張れよ〜」 ヨニはきょとんと不思議そうな顔をして、それからミーアを見て、力強く頷き返す。 それを見届けて、彩野とケロちゃんは陽だまりの広場を後にした。 「ヨニさん、お幸せに」 ロストレイルの車窓から深い森を見下ろして、彩野はにこりと微笑んだ。 ◆ ◆ ◆ それぞれのエピローグ ——デュベルの場合—— それはつまり、そういうことだ。 「外宇宙でまた新しい惑星が見つかったんだって?」 「ああ、昨夜超々望遠レンズが捉えたって話だ」 「ミルキーウェイだろ? 今度はどんな惑星なんだ?」 「知らないのか。水のある青い星だよ」 「じゃあ生命体がいる可能性があるんだ!」 「でもかなりコアに近い惑星だぜ、いつ着けるかわからねぇよ」 「この間、空間跳躍機構が改良されたの発表されたから、それを搭載した新艦なら1年かそれくらいで行けるんじゃね?」 「あーっ! めっちゃ行きたいけどなぁ!」 「クルーに応募すればいいじゃん」 「簡単に言うけどよ……」 「アレだろ、縮退炉の重力制御機構の操作ライセンス持ってねぇんだろ」 「うっそ、まだ持ってないのか」 「う、うるせーやい!」 「縮退炉を使った重力制御機構が標準装備になった今、操作ライセンス持ってない船乗りなんて、オールのない小舟みたいなもんじゃないか」 「ひ、ひどい……」 「でもすげーよな、縮退炉の重力制御機構。この間、メンテナンスするのに機関班にくっ付いて行ったんだけどさ」 「へぇ、うらやましい」 「もうすげーの。わけわかんね」 「なんだそりゃ」 「機構自体は隔壁に支えられてんだけどさ、エネルギーコンデンサーやら融合炉やらがゴチャゴチャくっ付いてて」 「ゴチャゴチャはひどいなぁ」 「だってアレだろ、あの重力制御機構って元々体内にあったんだろ?」 「え、何それ何の話」 「知らねぇ? “黄金の時代”の縮退炉開発者の話」 「え、えーとなんだっけ、名前は聞いた事ある。あるよ。えーと確か——」 「デュベル」 「そうそう、デュベル! 歴史上初の宇宙進出者だっけ」 「おう。……っておまえ、船乗りになって何年経つんだよ。試験にも出たろ」 「あはははは……で?」 「で?」 「体内がどーのってのは?」 「ああ。そのデュベルの体内にあったんだよ」 「何が」 「だから縮退炉」 「ウソだぁ! あんなの、どうやって体内に維持すんのさ」 「だから、体内に縮退炉を維持する為にあったのが、重力制御機構なんだよ」 「はー? だってあんなでっかいもん」 「制御機構そのものが体内にあったんじゃなくて、あれは能力だからなー」 「能力?」 「そ。で、その能力を機械化してみたらあんなでっかくなっちゃっただけ」 「へー」 「でもさ、あれ、もっとシンプルに出来たら、艦も小さくなると思うんだよ」 「おっとと、技術畑の血が騒ぐ?」 「そりゃぁね。なんせ“黄金の時代”のデュベルの技術だぜ、改良出来たら凄い事だろ?」 「なんかずいぶん、デュベルを尊敬?してるんだな」 「そりゃ“黄金の時代”の発明家ったら、デュベルだろ。まぁ色んな逸話はあるけど……」 「どんなどんな?」 「おまえ、デュベルの名前は出ないわ、逸話を知らないわ……」 「あはははは、まぁまぁまぁ! で?」 「はー……嘘くさい話も多いけど。体内に縮退炉があったのは宇宙人にさらわれて改造されたからだとか、秘密結社に追われて異世界に逃亡したとか、侵略して来た宇宙人と戦ったとか、自分をサイボーグ化したとか、宇宙生物と融合したとか、だから今でも生きてるとか」 「全部嘘じゃないの?」 「間髪入れないツッコミ! ひでぇな」 「まぁ、縮退炉の技術を特許化した後は消息がぷっつり途絶えてるから、どこまで本当でどこまで嘘かわかんねえのは事実だよ。でも、デュベルが体内技術解析に成功して全世界に発表したから、今の宇宙船があるわけだし。……って、これも試験に出たろ!」 「そ、そーだっけ?」 「まぁ試験は置いといて。おまえは、縮退炉と重力制御機構を小型化したいのか?」 「小型化できたら、もっと世界は広がるだろ? でかい艦に何百人と乗せて外宇宙に進出するのもすげぇことだけど、身近になった惑星に気軽に遊びに行きたいじゃん」 「あ、星の砂浜アプロディーナに簡単に行けるようになる!? 頑張って!」 「ゲンキンなヤツだな」 「おまえはどうなんだ、ライセンス無しの船乗り」 「その言い方ひどい……でも早くライセンス取って、新しい惑星調査に行きたいな。やっぱり外宇宙を大航海してこその船乗りかなーって思うし」 「へーぇ、夢は一人前なんだ」 「ひどい」 「わはは! お菓子食う?」 「食う!」 ひょいんひょいんと、金色のふさふさとした尻尾が揺れる。満足そうに髭が揺れ、活気づく街を上機嫌な足取りで進んで行く。 デュベルが生きていたスチームパンク時代、それは最もヒトが情熱に満ちていた時代。 それを数世紀経った今は“黄金の時代”と呼ぶ。 だが、今その黄金の時代に負けずとも劣らない大きな熱が、世界に渦巻いている。 金色の手がスナック菓子をつまみ、口の中にひょいと投げる。 「これから先、面白くなりそうだな」 ◆ ◆ ◆ それぞれのエピローグ ——ジャルス・ミュンティの場合—— ロストレイル13号がワールズエンドステーションに到達し、無事帰還した。 その知らせを聞いた時、旅人たちは様々な思いを抱いたことだろう。 ある者は元居た世界が見つかると、ある者は元居た世界に帰れると。 ジャルス・ミュンティもその一人、だからすぐに祖国の様子を見に行った。 懐かしい空気、懐かしい大地、懐かしい町並みに、活気溢れる人々。 ――ああ、帰ってきたのですね。 ジャルスは足取りも軽く、町を歩いた。決して裕福とは言えない、けれども温かい町。 その時、ふいの怒号が昼の微睡みを引き裂いた。 「号外、号外! スヴェントの王子暗殺未遂! 王子暗殺未遂事件だ!」 わっ、とブンヤに人々が群がる。我先にと号外を引ったくる人々に混じって、ジャルスもまた号外を掴んで広げた。 大見出しには、ブンヤが叫ぶ通り『スヴェント国王子暗殺未遂』の文字が踊っている。記事にサッと目を通すと、どうやら隣国から刺客が送られてきたらしい。王子の機転と剣技で刺客は捕らえたようだが、刺客は舌を咬みきって自殺、詳細は不明、とのことだった。 ジャルスは小さく震えた。 王子が暗殺されかけたということは、暗殺者を差し向けた隣国が攻め込んでくる可能性を示唆している。それは、戦争が起こるということだ。 戦争。 そう意識した時、ジャルスは大きく身震いをした。彼に実戦の経験はほぼ無い。0世界で様々な経験をしたとはいえ、戦争は恐ろしかった。戦争が起きれば、ほとんどの場合に勝者と敗者がいる。ジャルスの祖国――スヴェントは、お世辞にも大国とは言えない。 今居る町からスヴェントへと到着した時、スヴェントが既に敗北している可能性を見つけて――ジャルスは怖くなった。 もしそうであるなら、とてもスヴェントの地を踏めない。 ジャルスは我知らず号外を握り潰していた。 ジャルスは、スヴェント王国に使える、衛兵騎士である。 そもそも、ジャルスが王国に仕えるようになったのは、主君……スヴェントの王子とその将軍に助けられたからである。 幸せに暮らしていた家を、突然、あまりに唐突に賊によって壊された。そこに偶然通りかかったのが、王子と将軍だったのだ。ジャルスは一命を取り留め、その恩を返す為にスヴェント王国に仕える事を決めた。 そんなジャルスを、王子はとても気に入っていた。 王子は幼い頃、両親を病いで亡くしていた。隣国との関係もあるため、王子ということにはなっているが、実は彼は異例の若さで王座に就いたのだ。 そして今、そんな王子が危機に陥っている。 それなのに。 そう、それなのに。 ジャルスは躊躇してしまったのだった。 平穏な暮らし、平穏な毎日、それを突然壊されたときの恐ろしさと悲しみ。 それを癒してくれたのは、王子と、ジャルスが王国に仕え始めた頃から彼を指導してきてくれた、将軍である。訓練の時は烈火の如くに激しく厳しかったが、それ以外の時は陽気で優しく、身寄りの無いジャルスを親のように可愛がってくれた。 そんな二人が、もし居なくなってしまったら。 そんな二人が、もし既に居なかったとしたら。 怖くて怖くて、とてもすぐに帰属する気になどなれなかった。 ジャルスは駆け出した。 とにかく今必要なのは、情報であることに気付いたからだ。 正体は隠しつつ、ロストナンバーのまま、スヴェントへと向かって情報を集めた。 時は刻々と過ぎて行く。けれど、王国に飛び込めるほどの勇気もなく、けれど足を運ばずにはいられない日々が続いた。 「スヴェント王国なら、いま戦争の準備をしているところだよ」 そうして手に入れた情報は、王国が無事だということ、そして……戦争の準備をしているということだった。 けれど、だからこそ、ようやくジャルスは決意することができた。 王国が無事であるならば。 王子が無事であるならば。 祖国の為に、身命を捧げようと。 正直に言って、0世界から離れることは名残惜しかった。 死んだと思った時に覚醒したジャルスにとって、0世界という異界は第二の人生でもあった。0世界での出会いと暮らしはとても素晴らしく、情熱に溢れていた。 0世界の生活と、祖国の危機。 ここで祖国の危機を選ばないのは、衛兵騎士としての矜持が許さない。 また、0世界で出逢った人々も、決してそれを望みはしないだろう。 素晴らしい思い出は胸に留め、ジャルスは帰属すべくチケットを切った。 「……ジャルス? おまえ、ジャルスじゃないか!」 「お久しぶりです、ガルヴァン将軍」 「生きていたのか! なぜすぐ戻らなかった。王子も大層心配しておられたのだぞ……ああ、もういい。とにかく謁見しろ。よく戻ってくれた!」 ジャルスよりも更に大柄な、深紅の鱗を持つドラゴンのガルヴァン・ヴェノム将軍は、ジャルスの肩を叩き、謁見の間へと急かし立てる。 謁見の間では会議が行われている最中であったか、宰相から王宮仕えの学者までが揃っていたが、ガルヴァンは気にした様子も無く扉を開け放った。 「王子! ジャルスが戻りました!!」 「なに」 謁見の間、その最奥。 煌びやかな椅子、そこから腰を上げたのは……ああ、紛う事なくスヴェント王国第一王子、グレン・スヴェイン・スヴェント。 なんて、なんて懐かしい。 「大変……遅くなりました、王子。ジャルス・ミュンティ、只今戻りました」 ジャルスは膝を付き、深く深く頭を下げた。知らず、涙があふれる。 「よく……ああ、よく戻ってくれた、ジャルス」 ああ、なぜ躊躇などしてしまっていたのだろう。 こんなにも、王子の声を切望していたというのに。 ゆっくりと喜んでいる暇などはなかった。慌ただしく戦争の準備が始まり、そして戦争が始まった。 初めての実践。震えは相変わらず止まらない。 けれど、そこには恩師である将軍と、守るべき主君がいる。 ジャルス・ミュンティの奮闘は戦争を勝利へと導き、そしてその功績は讃えられ、憧れの将軍に匹敵する昇格が行われた。 戦争は、傷跡を残す。けれど、祖国を愛する人々の手によって、傷跡は少しずつ癒えるだろう。 国を治めるのに相応しい貫禄を身に着けた、嘗て王子と呼ばれたグレンの隣には、彼の為に力を尽くす、ジャルス・ミュンティの姿が生涯あったという。 ◆ ◆ ◆ それぞれのエピローグ ——“氷凶の飛竜”ゾルスフェバートの場合—— “氷凶の飛竜”ゾルスフェバートには、故郷という概念は解らなかった。 だから、ロストレイル13号が帰還し、故郷が見つかったと知らされた時も首を傾げ、それよりも空腹を満たす狩りを優先して、すぐにそんなことは忘れてしまった。 だが、ある時ゾルスフェバートはロストレイルに乗り込んだ。自らの意志ではなく、世話を焼いた物好きな(竜好きな)誰かが、無理矢理押し込んだのかもしれない。 そうしてロストレイルが停車した大地に足を踏み入れて……ゾルスフェバートは、全てを既に忘れていた。 忌まわしき土地。 年中吹雪が絶えない、深く険しいこの山。 大剣を振るう人間と死闘を繰り広げ、“氷凶の飛竜”とまで呼ばれたゾルスフェバートが力及ばず、逃げることも敵わず、谷底へと落ちた——それは、彼が覚醒した時の記憶。 (イナイ) ゾルスフェバートは思う。 あの、大剣を振るい、己に大きな傷を負わせた、人間がいない。 あの人間はどこだ。一体、どこにいる。 (イナイ) ならば。 あの人間が来た時と同じ事をすればよい。 あの、貧弱な人間共を狩れば良い。 そうすれば、あの人間は必ずやってくるだろう。 そう、あの大剣を携えて。 ゾルスフェバートは、猛った。 青い瞳が爛々と光る。 それは、彼がこの深く険しい山の王者に再び君臨した合図であった。 雪と氷の中、ゾルスフェバートが去ってから我が物顔で闊歩する獣共を喰い破り、人間共を食い散らかして、どれだけの時が経っただろう。 ゾルスフェバートは塒の中で、その音を聞いた。 軽い、ただの寄せ集めの軍隊の足音とは違う。 重い、雪と氷を踏み砕くような足音。重い何かがぶつかり合う、金属音。 (キタ!) ゾルスフェバートは塒から一息に飛び出す。 重い金属音が止まった。 強い氷風。その風に、青い布がはためく。 今はもうドス黒く染まったその布は、0世界で出来た子分からもらったものだ。今はもう、覚えていないその布を、しかしゾルスフェバートは強さの証と信じていた。 そして、青い瞳に一人の人間の姿が映し出される。 あの、大剣を携えた人間。 あの時と寸分違わぬ、強い意思を宿した眼光の人間の顔が見える。 嗚呼、嗚呼、嗚呼! ゾルスフェバートは猛った。それは、歓喜の咆哮だ。 待ち望んでいた人間。 今度こそ、今度こそ、今度こそ! (カツ! オレ、サイキョウ!) 雪山に響き渡る、咆哮。 それは死闘の合図であり、そして終焉。 勝利の宴か、敗北の叫びか。 それを知る者は、ただ一人だけである。 ◆ ◆ ◆ それぞれのエピローグ ——業塵、イェンス・カルヴィネン、ナウラ、村山静夫の場合—— ロストレイル13号が帰還し、ロストナンバーたちは選択肢を与えられた。 ある者は故郷へと帰還し、ある者は別世界へ帰属し、ある者は旅を続ける事を選んだ。 そうして彼、業塵が思いついたのは……お別れ会、の、筈だった。 「おいおい、こりゃぁなんの冗談だ」 村山静夫は鳥の顔をひくりと引き攣らせた。目の前には“甘味”と呼ばれる類のあらゆるものが並べ立てられている。 「冗談ではない。これは真剣勝負である」 業塵はにたりと笑みを深め、舞い宛らの優雅な動作でコトリと皿を置いた。 静夫は甘い香りと、目の前で質の悪い笑みを浮かべている男に何やら目眩をする思いがした。 「なぁ、村山。これ……全部食べないと、帰れない、んだよね?」 静夫の隣で、ナウラが大量に並べられて行く料理の数々に途方に暮れた声を出した。 ああ、なんということだ。 イェンス・カルヴィネンがお別れ会をしたいというから、相棒も連れてやってきたというのに! 「すみません、すみません、悪い子ではないんです。皆さんと楽しい時間を過ごしたいと考えたのは本当で!」 「楽しいのはどう考えてもそちらさんだけだよな」 イェンスが必死に頭を下げている。彼もまた、業塵に騙されたのだろう。それはわかっている、わかってはいるが思わず声が低くなる。 静夫は甘いものが苦手だ。おまけに以前、この業塵からとんだ被害を受けている。 イェンス——業塵の飼い主が一緒だからと油断した、その結果がこれだ。 「ここは食のコロッセオ。さぁ、食おう」 業塵は更に笑みを深めた。 「最後まで食し続けた者が勝者である」 こうして火ぶたは切って落とされた。 ——食のコロッセオ。 それは、施設側と客側で争う施設である。 ありとあらゆる料理・飲み物をただひたすらに食いつくし、飲みつくす。テーブルに運ばれたものは、必ず食べ、飲まなければならない。それだけがルール。それだけが全て。なんて単純。されど、それは時に圧倒的な暴力となる。 「匂いだけで気持ち悪くなるぜ……」 「大丈夫だ、村山! 甘いのは俺が食べるから!」 心優しい相棒、ナウラが頼もしく胸を張る。目の前には色とりどりの“甘味”と呼ばれるあらゆるものが並べ立てられて行く。 「これじゃ、ナウラの栄養が偏っちまう! これは真剣勝負だ!」 いつだったか、誰だったかが言っていた言葉を思い出し、静夫の目に火が灯った。 そこからはもう、阿鼻叫喚の渦だった。 たくさん食べられるから、と何も考えずに食のコロッセオを選んだ業塵は、ただひたすらにテーブルに並べられる料理と食事を黙々と胃袋に収めて行く。 ただ、時々辛い物が紛れ込んでいてそれをポイと床に放れば、まるで何ごとも無かったかのように綺麗にテーブルの上に出現する料理に肩を落とす。 勿論、その辛い料理を次々と業塵のテーブルに運んだのは、高速移動術を駆使した村山静夫である。これはリベンジ。あの日のクリーム地獄を、彼は決して忘れない! 忘れない、が……あまりの甘い香りに、静夫は早々にギブアップ。 「お、お別れ会は……?」 俊敏さを活かして運搬を頑張っていたナウラは、徐々に泣きそうになっていた。甘い甘いデザートの数々に、我慢に我慢を重ねてきたがそろそろ限界。なんでここに来たんだっけ、みたいなところから思考回路はショート寸前。おまけに、静夫が既にダウンしている。食べていいのか、運べば良いのか、もう泣きたい! 好き嫌いは特になく、最初はとにかくひたすらに謝り続けていたイェンスも、ギアを駆使してまで食物を運搬していた彼ですら、なんかもう何で謝っているのだか、なんで食べ物を運んでいるのだか、なんで食べているのだかわからなくなってしまった。 「業塵、なんでこんなことに」 「さて」 甘いものをもっきゅもっきゅと食しつつ、業塵はイェンスの問いににたりと笑う。 「何で今の状況で笑えるのかな……」 思わずぐったりするイェンスに、変わらずもっきゅもっきゅと甘いものを頬張りながら、業塵は更に笑みを深める。 「困る様がなかなか愉快である故な」 イェンスの肩がぴくりと動いた。 あ、まずい。 ナウラと静夫は同時に思った。 「あの二人はまだだろうか」 本当はここに、あと二人来る筈だ。それが、まだ来ない。 「業塵!!!!!」 イェンスが怒りに満ちた怒号を発し、業塵は首を竦めた。 やばい。 ああ、もしや、自分の命は今日を限りになるのではないか? ある日の恐ろしい出来事が、業塵の頭にフラッシュバックする。 かたく、かたく、ものすごくかたく誓った、筈、だったんだけれども—— 〜しばらくお待ちください〜 「お別れ会は仕切り直し! また後日!」 ナウラは何も見なかった。 静夫も何も見なかった。 ただ、イェンスの声にこくこくと頷くのみだった。 業塵は……辛い物の海に沈み、今度こそ、今度こそ困るのが愉快などと言わないと誓った。 むかぷんと怒るイェンス。 ぐったりとした静夫を介抱するナウラ。 そして、この場にはいない(おそらくイェンスが「来るな」とノートで連絡した)二人を思い、ほんの少し、意識が遠退くほんの一瞬、業塵は小さく笑みを浮かべた。 「息災でな」 お別れムードは吹き飛んだ。後日、きっとイェンスによる穏やかなお別れ会が行われる事だろう。 そして、こんな一幕もまた、思い出の一つに変わりないのであろう。
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