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<ノベル>
「まったくもって賑やかな小姐だねぇ。同情する輩は多いだろうけど……」
研究所の片隅で、レナード・ラウが、爆音と怒号を遠巻きに見つめ、苦笑いをこぼしていた。懐に携帯電話をしまい、代わって取り出したのは銃だった。マガジンを検め、音も高らかに装填し直す。
「やあ。もしかして今、麗しの黒蜂さんと話していたのかな、ミスター」
レナード・ラウほどの者が、目の前の男の気配を知りえなかったはずがない。しかし、レナードはさっと素早く顔を上げていた。そこに、人がいるはずはないとわかっていたがゆえに。
だが、突然声をかけてきたのがヘンリー・ローズウッドだったので、レナードは軽く声を上げて苦笑した。
「いやいや、さすがの俺も驚いたよ。あんたの手品じゃ無理もない。一体どこから現れたんだ?」
「僕の奇術には基本的にタネも仕掛けもないんだよ」
「とかなんとか言って……、なにか悪さでもしてたんじゃないだろうなぁ」
「それはヒミツ。でも、いろいろ調べたり仕掛けたりしたくなっちゃう施設だってことは、きみも同意してくれるだろ?」
「あはは。いや、確かにね」
「……それで、ミスターはどっちに行くつもり? 前か後ろか」
「俺は『中』、かな」
レナードは簡潔に答えると、微笑したまま歩き出していた。
ヘンリーともレナードも、お互いに、無理にでも行動をともにしようという気持ちはなかった。レナードの言葉を聞いてヘンリーはちょっと小首を傾げたが、すぐには詮索しなかった。彼も自分の思惑を覗きこまれるのはごめんだ。レナードもそういうタイプだろう、と考えたのである。
ただ、ヘンリーはレナードの主に興味があるから、レナードにもある程度の好奇心を抱いている。それに味方であるなら、少しでも行動を把握しておいたほうがいいか。
「どんなタネを仕込むのか楽しみだよ」
「俺はあんたみたいに高尚な手品はできないねぇ。まぁ、根回し……っていう仕込みなら、しょっちゅうやってるけど」
「根回し? ……ああ、ミスター・ドウジなら裏だし、ドクター・アズマなら第二コンピュータ室にいたよ」
「おっ。サンキュー、探す手間が省けた」
ふたりは肩越しにニッコリと笑みを交し合い、それきり、別れた。
倉庫街の方々から、まるで虫がわくように現れて、アズマ超物理研究所銀幕支部を目指す黒い影。数は確かに多いが、100人もいないだろうか。ほとんどが男ばかりで、女がいたとしても、険のある顔つきだった。ヴィランズである。生まれついてのヴィランズばかり――。
竜の炎と硝煙と銃声とで、倉庫街はアクション映画さながらの騒ぎに呑みこまれていた。職員は対策課からの勧告を待たずに避難している。そんな修羅場を、ものすごい勢いで、1匹の赤いネコが横切っていった。
「オイ、あのネコ……」
ドラム缶の影で身を潜めていた狙撃主のひとりが、隣の仲間を小突いた。
「なんだよ」
「いや、今、赤いネコいなかったか?」
「ネコがどうしたんだよ」
「どっかで見たことあるような……」
「気になるなら撃っとけばいいだろ」
「いや、もうどっか行っちまっ――」
ハッ、とふたりの狙撃手は振り向いた。
いつの間にか、そこに、髪も服も真っ白の、少年が立っていたから。
刀が二振り。
血色の曲刀が一振り。
すでにビュンビュンと唸りを上げて、銃声の中で舞い踊っている。
日本刀の一振りはブラッカ、そしてもう一振りは、応援に駆けつけた用心棒清本 橋三 (キヨモト ハシゾウ)のものだ。血の曲刀は、砂漠の民スルト・レイゼンのもの。かつて日本のとある戦で、刀よりも銃が強いことが証明されてしまっているが、それは現実の話だ。映画というフィクションから生まれてきた刀とその使い手は、現実の常識などあまり問題にしていなかった。どういうわけか弾丸は用心棒と獣人と呪い子にかすり傷しか負わせられず、銃撃者はアッという間に間合いを詰められる。
風と稲妻。広くはない研究所の廊下で、場違いな自然の力がひらめき、3人の剣士を援護しているのだった。弾丸の奇妙な軌道の乱れに一役買っているのは、シュウ・アルガの魔法であった。
ブラッカがオオカミの唸り声を上げながら敵のマシンガンを叩き斬り、刀を振り抜いたその瞬間に無防備になった背中の前に、橋三が立つ。橋三の眼前で、黒服の男の拳銃が火を噴く。横から蛇のようにうねりながら飛んできた稲妻が、音速の弾丸を弾き飛ばす。橋三は稲妻の尾をかいくぐり、一秒後には黒服の間合いに飛びこんでいた。
裂帛の気合。
刀が肉を断つ、アノ効果音。
橋三の黒い着流しが、魔法の稲妻の残渣をはね返す。
「やっぱ狭いな、ハデな魔法ブッ放すにゃ。――んじゃコイツでどうだ!」
ひっきりなしに続いていた銃声がとたんに途切れる。第一陣は一掃したか。それとも、敵が退いたのか。いや、銃がガチャガチャと音を立てて床に落ちていた。橋三が「なんだ」と驚きながら足元を見る。落ちた銃のそばには緑や茶色のカエルがいて、いずれもゲコゲコと慌てふためきながら、一目散に逃げ去っていった。
「呪いだな。あの魔法使いの力か」
スルトがシュウに目をやる。シュウはウインクでそれに答え、前にかざしていた杖を引き、ミランダが収容された部屋に駆け寄った。
「動けるうちに動こうぜ。部屋ごとブッ壊されたら笑い話にもなんねぇ」
「見たところ丈夫そうだが……、ブラッカ。そろそろ」
スルトの言葉にブラッカは頷いて、東が言っていたスイッチを押した。
ぼすん、ぷすん、と不安になる音がしたが、部屋はゆっくりと移動を始めた。中に入っているものを外に出さないために、部屋はガラスも含めて頑丈に作られているようだが、それが同時に今回の外部からの襲撃にも耐えうる仕様になっていたとは皮肉である。壁に命中した銃弾は、いずれも貫通していないようだ。
「すまんな、皆。面倒な頼みごとをしてしまって」
「いいってことよ、気にすんなって」
「仕事だ」
「俺も悪役会には借りがある」
口々に慰められたような気にもなったか、ブラッカは苦笑し、うつむき加減で歩き始めた。
蛍光灯のほとんどは割れ、配線がダランと天井から垂れ下がっている。もとは倉庫である研究所には窓らしい窓もなく、中は薄暗かった。こじ開けられ、破壊された裏口がわりのシャッター。そこから、外の光が入りこんできていた。
「アハハハハハ、愉快な行列じゃないか」
急に、ほの暗い廊下の向こうから笑い声が聞こえてきて、ミランダの部屋とともに進んでいた4人は身構えた。しかし、ステッキを片手に現れた人影を見て、橋三がため息をつき、刀を下ろす。悪役会のヘンリー・ローズウッドだ。見覚えのある男だった。
「さっき、ミスター・レナード・ラウも見かけたよ。彼らが興味を持って動いてるということは、何だかややこしいウラがありそうな気がしない? するよねぇ?」
「……人聞きの悪いことは言わないでほしいもんだなぁ」
ヘンリーの背後から、ヘンリーが今しがた口にしたばかりの名前を持つ男が現れた。きっとヘンリーはわざとレナード・ラウの名前を出したのだろう。レナードが持つスチェッキンの銃身は、まだ熱を帯びていた。
「なんだ? ウラで糸を引いているのは金燕会ではないかと、ドウジが……」
「まぁ、確かに金燕会は関わってるとは思うよ。でもそうすると、疑問がもうひとつ湧いてこない?」
ふふん、とヘンリーは楽しげに笑う。
「何のためにミランダをほしがってるのか。僕ら悪役会が彼女を渡せって言うならわかるよ。ひどい目に遭わされたんだからねぇ。でもミスター・ドウジは知らないって言ってるから、彼の派閥は関係ないだろうけど。親分は嘘をつかない主義だからね」
「ドウジの派閥……、まさか――」
「金燕会が黒幕か、それとも金燕会のウラに何かいるのか、手を貸しているヤツがいるのか。……それも直接聞いてみればいいさ」
「サイモン・ルイに?」
シュウがレナードの言葉の意味を拾う。
ひとり、またひとり。
研究所のトレーラーを包囲していた『駒』が消えていく。
サイモン・ルイは、それに気づいていた。だが相手は気配を持っていないのか、消せるのか、はたまた霧にでもなれるのか、なかなか姿を現さない。
ひとり、またひとり。確実にしとめて、トレーラーを奪還するつもりだろう。
トレーラーは東が言うところの『超物理』にもとづいて造られているのか、やけに頑丈で、ロックも外れなかった。ミランダを移送している部屋と同じ物質や構造でできているのかもしれない。
だが、研究所の外で暗躍し、トレーラーを守ろうとしているのは、ひとりだけのようだ。
白い服に赤い目、赤いネコ。銀幕ジャーナルでもしばしば見かける名前と情報だ。サイモンが知らないはずもなかった。
「アル。吸血鬼……か」
彼の武器は銃と……倭刀。
吸血鬼を殺せるかどうかはわからない。
それでも、足を斬れば足止めにはなるし、首を飛ばして転がせば、しばらく黙らせることもできるだろう。
この作戦としか呼べない襲撃の目的は、単なる完全破壊ではないのだから。
サイモン・ルイは、すらりと刀を抜き放った。
そのとき、トレーラーがひとりでに動いた。
いや、運転席に誰かいる。
つい3秒前まで運転席は無人だったはずだが、いつの間にか、燃えるような赤い髪の女が乗っていて、ハンドルを握っていたのだ。サイモンと女の目が合った。
女の目も、顔も、妖艶で、髪は燃えるような赤で、どこか――そう、ネコを髣髴とさせる容姿だった。赤いネコ。サイモンには見覚えがある。この戦場をちょろちょろと駆け回り、銃弾をかいくぐっていた、あの……。
「サイモン・ルイ!」
血なまぐさい風のかたまりが、コンテナの上から降ってきた。
アル。
手甲から伸びるのは、血の色の糸。
サイモンはものも言わずに倭刀をふるっていた。
「こっちの人数は充分そうだな。……俺はまた用事ができたんでね、行かせてもらうよ」
「あれぇ、一緒に行かないのかい、ミスター」
ミランダを収めた箱がシャッターに引っかかっていた。が、シュウの魔法がハデにシャッターを吹き飛ばしていた。橋三が残骸を取り除けるという地味な仕事を、黙々と、文句ひとつ言わずに手伝っている。それを見て、レナードは銃を手にし、研究所の奥へと消えていった。
「お!? 見ろよ」
「ん?」
「トレーラーってアレだろ」
自分で豪快に開けた壁とシャッターの穴から外の様子をうかがい、シュウが素っ頓狂な声を上げる。スルトが訝り顔で彼の後ろから外を見た。
トレーラーが一台、シャッターからそう離れていない場所に停まっていた。目に入らないはずがないほどデカデカと『AZUMA.S.P.LABO』とロゴがコンテナにペイントされている。なるほど確かに、あのトレーラーはアズマ研究所のものらしい。
「……誰かが動かしてきたようだな」
「ああ。話じゃもっと遠くに置いてあるってことになってた」
「誰が近くに寄せたかが問題だ――」
トレーラーのドアが開いて、赤いネコが中から飛び出してきた。
「なっ、よもやあのネコが!?」
「ああ、いやいや、ありゃアルの使い魔だよ、サムライさん」
目を丸くする橋三の足元を走りぬけ、赤いネコはシュウの腕の中に飛びこんだ。
『サイモン・ルイだ! 僕が止める。今のうちにミランダさんを!』
赤いネコの口から飛び出したアルの声に、今度はシュウが目を丸くした。
「ひとりは危ないんじゃないかなぁ」
誰もが思っていたことを、ヘンリーが笑顔で代弁した。
ブラッカがボタンを殴りつけるようにして押し、再びミランダの部屋を動かす。シュウと橋三とスルトの三人はすでに外に飛び出していた。銃声はほとんど聞こえなくなっていたが、破壊の音と、剣戟が聞こえてくる。
「助太刀するぞ!」
相手も武器が刀であったのを見止めて、橋三の気が昂ぶった。血色の剣でサイモンと切り結んでいたアルが、チラと応援の顔ぶれを確認する。そのときにはすでに、スルトが手の呪布を解いて、血を飛ばしていた。そこに匂い立つ血煙は、もはやアルのモノなのかスルトのモノなのか、わからない。しかしその煙は、風向きを無視し、サイモン・ルイひとりの顔にまとわりついた。
「……!」
視界をふさがれたサイモンを援護するかのようなタイミングで、跳弾の音。
「狙撃手だ! 誰か視界をふさげないか!」
「はいはい、お安い御用で」
ヘンリーが帽子を取って、ヒラリとひるがえす。
たちまち、硝煙くさい倉庫街に漆黒の夜が訪れ、空気が湿り、男たちの視界は白い霧の中に閉じこめられた。銃声がやむ。ただ、ミランダを包む部屋がゆっくりとトレーラーを目指して動く音だけがする。
「サイモン!」
霧の中、シュウが襲撃者にするどく問いかける。
「今回の騒ぎ、本当にカレンちゃ……カレン・イップが、望んで企てたのか? どうしてミランダなんだ? 誰と何するつもりなんだよ!」
答えはない。もとよりシュウは答えを期待していなかったのかもしれないが、真剣な眼差しで霧の奥を睨みつけていた。サイモン・ルイの姿も、刀も見えない。サイモンどころか、味方がいる方向さえあやふやだ。オマケに、ミランダの部屋が動く音も大げさだ。
サイモン・ルイからの答えはなかった。敵味方とも動けない状況の中、やがて、ガシン、と重い音がして……それきり、大げさな機械音が止まる。
「ミランダがコンテナに入ったぞ!」
「ヘンリー、霧を消してくれ!」
「運転は俺が!」
にわかに沈黙が破られ、霧が晴れていく。ブラッカがトレーラーの運転席のドアを閉める、銃撃が始まる、スルトとヘンリーがコンテナ内に入る、赤いネコを抱え上げてシュウがそれに続く、コンテナのドアが閉められる、サイモンの前に清本橋三が立ちはだかる。数秒のうちに、それだけのことが起きた。
「行けい! こいつは俺が食い止める!」
刀と刀が打ち合い、火花が飛び散るのを見て、アルはほんの少しだけ迷ったが、頷いて弾丸の中を走り始めた。トレーラーに、自分に、銃撃が浴びせかけられている。アルの白さが血の色に染まっていく。だが、トレーラーのコンテナのドアが、ロケットランチャーか手榴弾かの爆発のあおりを受けて、吹っ飛ぶのを見てしまった。内部があらわになったコンテナの中で、シュウが立ち上がり、杖を振りかざしていた。爆破のお返しとばかりに火球が飛ぶ。銃撃者の数は少ないようだが、トレーラーが倉庫街を出るまでは、守らなければならない。
「ぐわぁぁああッ!」
だが、グレネードランチャーの装填をしている敵の生気を奪ったとき、アルは背後の断末魔を聞いた。
ソレは橋三のものだった。
「む、……無念ッ……!」
まともに袈裟懸けに斬られ、キリキリと回りながら見事に倒れる用心棒。なぜか血は出ていない。だが、確かに倒れてしまった橋三を捨て置き、サイモン・ルイが走り出している。携帯電話で、誰かと連絡を取りながら。
「まだか?」
「おやおやぁ?」
アズマ研究所の中枢、メインコンピューター室。ドアが薄いせいか、スーパーコンピュータの稼動音とファンの唸りが廊下にまで漏れてきている。そのドアの入口に、悪役会の男がふたり立っていた。その顔を見たレナート・ラウは、わざとおどけた笑みと声を投げかけ、ゆっくり近づいていく。
「あんたら、さっきまで見なかった顔だなぁ。ドウジじゃなくて……サイモン・ルイと一緒に来たほうかい?」
彼らは、明らかに、『見つかった』とでも言いたげな顔になった。
次の瞬間には、レナードに銃弾を浴びせてきていたが。
レナードは身を屈め、ゴミ箱で初撃をやり過ごし、ただの2発でふたりを仕留めた。フィルムが転がる音を聞きながら、コンピュータールームのドアを開ける。
誰かが携帯電話で誰かと連絡を取りながら、一台のパソコンの前で操作をしていた。が、その中国系の男は、レナードの顔を見るなり立ち上がった。レナードもまた男の顔を見て、軽く首を傾げる。面識はない。だが、どこかで見たような……特徴を聞いたこと、見たことがあるような……顔だ。
部屋の隅にはアズマ研究所の研究員が、全員まとめて縛り上げられ、身を寄せ合って震えていた。所長の東だけはこの状況でも自信満々だ。縛られているのに胸を張ってあぐらをかいている。
「……思ったとおり。火事場泥棒サン、ここのトンデモデータをどうするつもりだった?」
レナードはすでに、男に銃口を向けている。
中国系の男は、両手を上げる素振りを見せ――銃を抜いた。
レナードは眉ひとつ動かさず、引金を引いていた。研究員の悲鳴が上がる。
床に、フィルムが転がった。
「ええい、早く縄を解け! データが! 我輩のデータが転送されておるのだ!」
「ああもう、まったく」
レナードは苦笑と溜息を漏らし、男が操作していたパソコンに駆け寄ると、鮮やかな手つきでキーを叩いた。
「さっき言ったじゃないか、博士。大事なものを盗まれないように気をつけろって。――どうやらデータをピックアップして転送してたみたいだなぁ」
「全部ではないのだな!? どのファイルの何番のデータだッ!」
「あー、……M#の005から087まで。あとは俺が手動で止めた。M#の134までが目的だったようだねえ」
「……ふむ!」
データの一部を何者かに転送されたというのに、なぜか東はそこで鼻の穴を広げて得意げになった。
「こんなこともあろうかと、我輩は特殊なプロテクトを開発しておいたのだ。おぬしの忠告を受けてついさっき初めて実装したのだが、あれはそう簡単に突破できるシロモノではないぞ」
「実装できる段階まで出来上がってるなら、前もってかけておけばいいのに。……それで、このM#っていうのはどういう研究データなのさ?」
「ミランダ……、いや♯がついているということは、『ムービーキラー』全般の研究データだ。まあ、ナンバー87までなら、ムービーキラー全研究データの7割にも満たないがな。いやそれよりも我輩が手がけたプロテクトXによってその7割のデータも容易には読み取れ――」
「ムービーキラーの……?」
東の高説は、レナードの耳に入っていない。彼の目は、パソコンの前に落ちたプレミアフィルムに落とされた。パソコンの操作に長けたヴィランズが、確か、騒ぎを起こしたある一味の中にいたことを思い出す。悪役会ともつながりがあり、ドウジとも無関係ではない。だが、金燕会とはかかわりがなかったはず。少なくとも、つい最近までは。
「類は友を呼ぶとは言うけど、なんだかねぇ……」
ハン・シソウ。
ここでデータの一部を盗み出し、レナード・ラウが撃ち殺したのは、そんな名前の悪役だ。そいつは、あの……バカラ好き、フランキー・コンティネントの『仲間』だった。彼は、それも、思い出した。
市役所が見えるところまで来て、ようやくブラッカはトレーラーを止めた。
ドアを吹き飛ばされ、中まで風が入りこんでくるコンテナの中に、ひらりと飛び乗る。
「大丈夫か?」
「やっぱりこの季節になると寒いねぇ」
「運転乱暴すぎだろ、おまえー。酔いそうだった」
「追っ手はいないようだ……、負の感情は見当たらない」
コンテナ内の3人が無事なのを確認して、ブラッカが溜息をつく。
「……ありがとう。なんと礼を言ったらいいのか……」
「いま言ったじゃねぇか、あんた。『ありがとう』って」
シュウが笑い、ブラッカも薄く苦笑いを浮かべ――ふと、スルトがすばやく振り向いた。
『誰か、いるのか……』
女の声がしたのは、そのときである。
誰もがその一言で口を閉ざし、顔を見合わせた。
「……ミランダ?」
『ブラッカ……? ブラッカだな……』
壊れかけた部屋の中から、疲れた女の声がした。
ブラッカは切れたまぶたから流れる血を拭い、ヒビが入った窓に近づく。
『何が起きた……? ずいぶん、騒がしかったな……』
中に収容された女戦士の声が、外部に取り付けられたスピーカーから降ってきていた。シュウは煤けた顔のまま、ぽかんとそのスピーカーを見上げる。
「なんだぁ? ミランダが……まともにしゃべってるぜ」
「油断しないほうがいいと思うけどねぇ」
「ミランダ! 治ったのか!?」
窓にすがりつきそうな勢いのブラッカの腕を、スルトが掴んだ。振り向いたブラッカは瞬間、咬みつきそうな顔をしていたが、スルトが無言で首を振ると、いつもの冷静さをある程度取り戻し、黙って窓に向き直った。
『治っては……いない、きっと……。だが……今は、少し気分が……いい』
「ふーん」
ヘンリーが大きく笑って顎を撫でる。
「彼女を研究所に任せて正解だったのかもしれないねぇ。とりあえず言葉が通じる程度には落ち着いたみたいだ」
「……治っていない、というのは、本当だ。女の感情も気配も、何もかもが、ねじ曲がっている。俺にはわかる。ブラッカ、残念だが……」
スルトが呟くようにしてブラッカに告げる。腕を掴む手は離さない。
『私は、このままにしておいてくれ……』
「いいの? 研究所は君をモルモットとしか見てないんだよ」
『それでいい。私は、もう……そういうかたちでしか……お前たちに……銀幕市のために、力を貸せないようだ。――私は、実体化してから、ずっと……地下にいた』
「……映画の中じゃ、俺たちのアジトは、下水道の中にあったからな。確かに地下のほうが居心地がいいかもしれないが」
「ネズミみたいなこと言うなよ」
『……その……居心地のいい……地下にいたのが、まずかったのか……よくわからない。わからない……、何が起きたのか……。わ、私は……う、う、ああああ……』
ゴツン、ガツン、ドシン。
ヒビと煤と埃で窓は曇り、中のミランダがどういう状態なのかはよくわからない。だが、黒く細い女の影が、壁にすがりついて、ゴツゴツ額をぶつけている様子がぼんやりと見て取れた。ミランダは確かに、『治った』ワケではないようだ。
これまでのアズマ研究所の調査によれば、ムービーキラーはムービースターが徐々に変質していったもので――もとの設定にもどる方法は見つかっていないとされている。
もう、もどれないのだろうか。
ミランダの様子を見た者たちは、一様にそう感じた。
ムービースターをじわじわと侵食する『何か』。それは、地下に潜んでいるのだろうか……?
「橋三さん! 橋三さん――」
サイモン・ルイが退き、リーシェ・ラストニアが起こす炎と音もやんで、倉庫街にはようやく本来の静けさがもどってきた。アルの傷はすっかりふさがっていた。ただ、白いローブについた返り血や自分の血の色は生々しく残っているので、彼は一見、まだひどい傷を負っているようだった。
しかしアルは吸血鬼で、人間にとっての致命傷もほとんど脅威にはならない。
清本橋三はちがう、彼はムービースターだが身体能力は生身の人間と何ら変わりない。彼はサイモン・ルイにまともに斬られた。フィルムになって転がるところを見たわけではないから、アルも希望を持っていたのだが――
「おう。どうだった、俺の斬られっぷりは」
まるでケロリとした表情で、用心棒がアルの前に現れた。黒の着流しには斬られた痕跡はおろか、血の一滴もついていない。アルが、思わず「アレ!?」と驚くほど、橋三は見事な立ち直りっぷりだ。斬られっぷりも確かに真に迫っていたが。
「……大丈夫そうで、何より」
「ミランダはどうなった。無事に逃げおおせたか」
「ええ」
「あの黒服にも逃げられてしまったが……」
「奴とはまた会うこともあるでしょう。奴の主が生きていて、悪事を企てるうちは」
アルがの目が、ふと、橋三の背後にある研究所に向けられた。
焼け焦げ、銃創だらけになった建物の中から、大柄な隻眼の男が出てくるのが見えたのだ。彼は何も言わなかったが、アルと橋三に向かって片手を上げた。竹川導次もまた、無事だったらしい。
上品なシャンパンと、上質な紫煙の香りが満ちている暗闇。
その中で、ある男の目と手が動く。
「確かに手に入ったデータはほんの一部だけだ。しかも読み取りが難しいときている。こちらはハン・シソウを失ってしまったのでね、……誰かにハン・シソウの代わりを務めてもらわなければ。……まあまあ、落ち着いてくれ。怖いな、食い殺されそうな勢いだ。……なに、お互い様だろう。きみもわたしのカジノをひとつ潰して……そのうえドウジを、殺せなかったのだから。フフ。映画でも現実でも、悪事というのはなかなか思いどおりにいかないものさ」
オッドアイの男だった。彼は笑顔で、一枚のカードを眺めながら、誰かと連絡を取っている。手にしているスペードのエースには、口紅で連絡先らしきものが記されていた。
「……では、今度の土曜のディナーだが。フフ。きみの中華料理店で、反省会も兼ねてということになりそうだな。……ああ。……ああ、大姐。データは早いうちに……。おやすみ」
男は受話器を置いた。
深々と紫煙を吐き、カードを眺める。
「ああ。これこそが……悪で、……我々の姿だ……」
うっとりと、香りとアルコールでもない何かに酔う男。
彼はスペードのエースを、胸ポケットに戻した。
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クリエイターコメント | 【アズマ研究所襲撃】龍司郎パートお届けします。いろいろ情報が詰まっているので、これからの銀幕の展開に興味を持たれている方は、ちょっと真剣に目を通していただけると幸いです。 どうも銀幕市にとって都合の悪いタッグが結成されちゃっていたようです。 しかし今回、大正解プレイングがひとつありましたので、龍司郎はできれば今年中にまたこのシナリオ絡みのシナリオを出さねばならなくなってしまいました。クスン。レナード・ラウ様、お見事でした。 |
公開日時 | 2007-12-03(月) 23:00 |
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