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<オープニング>
白い白い白い、実に白い世界だ。 不安定にして繊細なる感情も、煮えたぎる破壊の衝動をも受け止め、何者にでも成り得る『無』の力を持つのだ。 なんと興味深い、そして、なんと愚かしい世界だろう。
<Material>
夜の展示室から人の息遣いが聞こえる。美術館はとっくに閉館している時間帯だ。誰かが居るのは可笑しい。 のだが。 「……く、くそっ」 女は周囲を気にしながら作業を続けた。時間が経つにつれて増してくる焦りと緊張感に舌打ちし、がむしゃらに手元を動かした。 「あの女が、あの女が悪いのよ……あたしより良いものを描いたりするから……!」 今宵はなんて美しい満月だろう。青白い月光が窓辺から入り込み、女の前に置かれた傷だらけの絵画と、女の手に握られた彫刻用の小刀を照らし出した。 もっと切れ味の良い刃物にすれば良かった、と女は歯噛みした。包丁なんて鞄に入れて持ち歩けないから彫刻刀にしたのだが、こうも上手く傷が付けられないのでは役に立たない。失敗と言えば、油絵の具を吸って硬度と弾力を増したキャンバスの布地を甘く見ていた事か。 「あんな女が……あ、あたしはあいつよりずっと勉強してきたし、試験だってトップだったし先生に見込みがあるって褒められたのに、こんな、こんな」 苛立ちがピークに達し、女は彫刻刀を思い切りキャンバスに突き刺した。どすっとくぐもった鈍い音がする。 恐らく女も一人の描き手なのだろう。他者の作品を潰す事で己の優先順位を引き上げようとしたのかもしれないが、『あたしより良いものを』と口走っている時点で、それはまさに画家としての決定的な敗北宣言だった。 彼女の嫉妬を掻き立てる程に、確かにその作品は美しかった。 「もう、何でちゃんと切れないのよ……!」 再び、ざくり、ざくりと他人の作品を傷付けていく。その時であった。
「成程……それが最も、浸透しやすい色彩か」
「!?」 突然、すぐ隣から声が響き渡り、女は小さく悲鳴を上げて後ずさった。いつの間にか窓辺に黒いエプロンを付けた男が腰掛けている。 「な、な、な」 「誰しも飼っている毒でしょう……いや、白い世界の君達だからこそ、より強く」 唇を震わせて固まる女を余所に、意味の分からない言葉をぽつり、ぽつりと呟く。 そして、何の前触れもなく男は女の額に手を伸ばし――
「貴女の赤は、私が貰い受けよう」
じゅ、と皮膚が焼ける音がした。 女は叫び声を上げ、キャンバスを巻き込んでその場に倒れ込んだ。
<Coating>
「貴女は絵がお上手だ。私の片腕として働いて頂くとして。……貴女にはまずやって頂きたい事があります」 「何なりとお申し付け下さい。ヒュー様」 無表情な人形と化した女に、男はうっすらと笑みを零し、小さなスタンプのようなものを渡した。 「より多くの力が必要になります。まずは……集めなさい。赤き毒を育て上げる小さな種を。より『赤』の強い者程、鮮やかな炎と成り得るでしょう」 「かしこまりました」 「ああ。出来れば、アートに多少の心得がある方が良いですね」 ……そうして、深く静かに、魔術師の毒が街中へと蔓延していった。
<集会>
暗闇の中、男の声が響き渡る。 「諸君。よくぞ此処へ集まりました。君達にはやって頂きたい事が有ります」 男は立ち上がり、手前にいる眼鏡を掛けた壮年の男に一枚の小さな――龍の絵が描かれた砂絵を手渡した。 「貴方には『砂の烙印』を与えましょう。砂塵の使徒を率いる長として」 次に、右隣に居た金髪の若い男へ、青緑色の絵の具の瓶を手渡した。 「貴方は確か、アートがお上手でしたね。……では『森の烙印』を与えましょう。緑青の使徒を率いる長として」 そして最後に、左隣に居た小さな少女へ、白い鳥を模した一枚のタペストリーを手渡した。 「はは、これは私の自信作なんですよ……貴女には『風の烙印』を与えましょう。白の使徒を率いる長として、向かって頂きたい場所が有ります」 全員は一斉に頷き、男は黒い瞳を細めて薄く笑みを浮かべる。 「では参りましょうか――皆さん。我々の幸せを掴み取る為に」
<Painted over:朱色に染まる主>
「? 何だ、お前達は」 いつの間にか周囲に集まってきた人間達にアリアは首を傾げた。蜘蛛の半身を持っている姿が珍しくて寄ってきたのだろうかとも思ったのだが……誰も驚いている様子はなく、ただ無表情に立ち尽くしていた。 アリアがもう一度首を傾げた時、彼女の半身が本能的に危険を察知し、うぅと唸りながら一歩後ずさった。
ありあ あぶない
「アリア? どうした――」 しかし、気付くのが少し遅かった。アリアの背後に居た男が大きな網を投げ、蜘蛛の少女は捕らえられてしまった。 「な、何をするんだ!? 放せ!」 驚き、喚き散らして網から逃れようともがくアリアへ、正面に立っていた眼鏡を掛けた壮年の男が歩み寄り、無表情のままに告げる。 「お前は宝石迷宮の主なんだろ?だったらあれを持ってる筈だ。出せ」 言われている意味が分からず、アリアが眉を寄せる。 「あれとは何だ。何を言われているのか分からない」 「とぼけるな!」 男は怒鳴り声を上げ――取り出したパレットナイフをアリアの足に突き刺した。少女と蜘蛛の、二つの悲鳴が響き渡る。 「ぐあぁ……う、うぐ、あぁ……!」 傷口からエメラルド色の血液が流れ落ちる。アリアは体勢を崩しながら男を睨み付けた。 「持ってるんだろう! 出せ! 『赤い石』を! 俺達を幸せへと導く『赤い石』だよ!」 「赤い石……? し、知らない。そんなもの……」 それでも首を横に振る蜘蛛女に痺れを切らし、男はパレットナイフを蜘蛛の目玉に突き刺した。 悍ましい叫び声が轟く。
くいころして やる
蜘蛛のアリアは怒りに震え、網を食い千切って人間達に襲い掛かろうとする。周囲の人間達は恐れる事なく蜘蛛女に飛び掛かり、その身体を強引にロープで縛り上げた。 腕も足も腹も、ぐるぐると容赦なく締め上げられ、アリアが苦しみの叫び声を上げた。
「やめ、やめろ――うぁあああああああああ!!」
「連れていけ。倉庫へ」 眼鏡の男が指示し、蜘蛛女はトラックの荷台へと放り込まれ、何処かへと走り去って行った。
<Painted over:燃え堕ちる明星>
その日はいつもと様子が違った。 黄昏列車がいつも通りその時間帯に公園に到着すると、既に何人かの人間達がそこに佇んでいた。 「? こんゆうわー」 少し違和感を覚えながらも、陽気な車掌は夕焼けの中に佇む人間達を列車へ誘い、黄昏列車は空へと旅立った。
ゴトトン、と電車の駆動音が車内に響き渡る。 無表情な集団に眉を潜めつつ、車掌が挨拶をすべく口を開こうとした時だ。 集団の先頭に居た金髪の若い男が立ち上がり、車内の壁側に身を寄せた。彼に習うように、他の人間達も頭を垂れながら左右に避け、集団の中心に居た男が姿を現した。 「初めまして。案内人さん」 黒いエプロンを付けた男は優雅に椅子に腰掛けながら、車掌ににこりと笑みを見せた。 「あんた、居たっけ?」 車掌は首を傾げ、男と向かい合う。男はくすりと微笑を零した。 「実は折り入ってお願いがあるのです。我々はとある捜し物をしています。貴方がたは、黄昏の地へ向かう事が出来るのでしょう?……我々を案内して頂きたいのです」 「捜し物ねぇ」 ふーん、と唸り、夕焼けのような眼差しを細めて車掌が男を見据える。 「赤の宝玉です。……私の記憶に刻まれた、恐るべき力を宿したとされる焔の石」 「あんた……そいつを見つけて、どうする気だよ」 車掌の問いに、男はさあ? ととぼけて見せた。 「……嫌だね。列車は走らせない。あんた悪い事する気だろ――おい兄者! 列車を引き返してくれ!」 車掌が声を張り上げ、運転席に居る兄に指示を出そうとしたのだが―― 「出せないのなら、仕方ありませんね。皆纏めて、燃やしてしまいましょう」
そして。 夕暮れの赤い空から地上へ、真っ赤な流れ星が一つ、墜ちていった。
<red,red, Painted over>
同時刻。小さな少女と何人かの少年達が集まり、美術館ホールで開催される「民芸作品美術展」と足を運んでいた。 その手には幾つかの作品と、白い鳥のタペストリーを持って。
そして、街を散歩していた鱧田の元にも、一人の男が現れた。 「初めまして、こんにちは。貴方に折り入って、お願いがあるのです」 「あれ? 君は………」 黒いエプロンをつけた男の登場に、鱧田は目を丸くして立ち尽くしていた。
<Escape stairway>
茜雲が輝いている。春の夕焼けを浴び、腹に宿した光の粒子を煌めかせながら遠い世界へ伸びていく。 遠い遠い世界へ。 いずれは全ての水分を吐き落とし、風と共に散り散りになって消えて逝くのだろう。 存在して居られるのは今だけだ。 「なんと赤く鮮やかだ。だが我々は、あの雲にすら成れはしないのだろうな……色彩は所詮、キャンバスを飛び越える事など適わないのだから」 そっと呟き、男は絵の具塗れのエプロンのポケットへ手を滑らせた。中から煙草ケースを取り出し、一本抜き取ってかちりと火を点ける。 「……赤の宝玉。至高の絵画を作り上げる事が出来るという、焔の石。『ヒュー・ファイシェイ』という男が魔女を倒す為に用いたと、私の記憶には刻まれている。その力を以って私は――これは、ある種のあてつけなのかもしれないな。その力を使い、この世界を魔滅に導こうなどと」 誰に語り掛けているのだろうか。古びた非常階段から紅く染まる街を眺め、そっと呟く。 桜の香りが鼻を掠める。 「この世界は私の街によく似ている――何故、こんな記憶が、こんな感情が存在する。私は私でしかない、いや、私ですら無いと言うのに……まあ、そんな事はどうでも良い」 ――いや、と頭を振り、階段の手摺りに寄り掛かった。 「これが私なりの愛し方なのだろう――ならば、私は私なりに描き尽くそう。色彩の焔は虚像に過ぎずとも、見る者の目を焼き潰す事が出来る」 ふうと煙草の煙を吐き出した時、彼の隣に一人の女が近づき、お辞儀してから何事かを耳打ちした。男はこくりと頷き、うっすらと笑みを浮かべる。 「そうですか。ご苦労様です。……私には分かります。きっとあの石はこの街に実体化しているでしょう。何としても探し出し、この街を幸福へと導きましょうね」 そして、彼もその場を後にした。
「目覚めよ、芸術の獣達よ。白い世界の者達を後悔させて遣りなさい。我が油煙の呪いを以って、何もかも噛み砕いてやろう」
***ご注意!***
このシナリオは、イベントシナリオ【終末の日】以前の出来事として扱われます。ご了承下さい。
種別名 | シナリオ |
管理番号 | 1011 |
クリエイター | 亜古崎迅也(wzhv9544) |
クリエイターコメント | こんにちは、亜古崎シナリオ【魔滅の絵画】の最終シナリオをお届けに参りました。 まず初めにお知らせする事は、 *プレイング募集期間が大変に短くなっております。これはOP提出が遅くなった私の所為です。すみません……(伏) *それから当シナリオは、イベントシナリオ【終末の日】以前の出来事として扱われますので、ご注意下さい。
魔道師ヒュー・ファイシェイは記憶の中に刻まれた『赤の宝玉』を使って街に災いを齎そうとしています。彼の悪巧みを打ち破って下さい。 ・彼らが石に辿り着く前に赤い石を探し当てるのも手かもしれません。実体化しているかどうか、何処に在るのかどうかはヒュー本人にも分からないようです。 ・ヒュー率いる魔滅の使徒軍団は数グループに分かれて活動しています。リーダーが最も強い呪いを掛けられ、その他の駒は軽度の呪い、とお考え下さい。それぞれのグループに一つずつ「絵画」が手渡されており、何かが起きる可能性があります。彼らを止めに行く場合、プレイングとしては向かいたい場所をひとつ選択して頂ければ幸いです。(美術館、鱧田の元、アリアの元、黄昏列車、など) WRとしては行く人が居なかった場所から攻撃を――げふんげふん。 ・冒頭の彼女はヒューの側近として動いています。絵心があり、呪いの絵画を描く事が出来るようなのでご注意下さい。また、ヒューのダミーも何体か送り込まれています。 「幸福へ導く」などと嘯いているようですが、ヒュー本人の考えや彼が本当に行おうとしている狙いなど、何か思う事が有れば是非。彼の命を奪うか否か、など。
ギリギリになってしまって申し訳ないです!皆様の素敵なプレイングをお待ちしております。 |
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