★ 【傍らに立つ仕置き人】苦難の道 ★
<オープニング>

 ポストの手紙を回収した車が走っていく。遠く、小さくなった赤い車が角を曲がり姿が見えなくなったところで美夜子は小さく溜息をついた。
 映画の情報は、例え興味が無くとも耳に入ってくる。有名な俳優が演じていたり、原作が有名な物となれば尚更だ。人々の期待が高くなればなるほどその情報は溢れるようにTVや雑誌、噂話として流れ続ける。
 曖昧な記憶の中、既に巻きこまれていると気が付いた斉藤美弥子は今起きている事を何とかして外に伝えようとしたが、手だてが無かった。
「言い訳ばっかり言わないで、買っておけば良かったね、携帯電話」
 膝掛けの上に座るミッドナイトバッキー、アサミの頭を撫でながら、彼女はそう呟いた。
 電話は無い。逃げる手だてもない。時間もない。
 そんな時目に付いたのがポストだった。筆記用具も切手が貼られた封筒も手元にあったのはある意味幸運だったが、対策課の住所など覚えていない。自宅に出したところで誰もいないし、友人の住所も覚えていなければ状況を理解して貰えなければ意味がない。
 自宅以外で覚えている住所など、一つしかなかった。
 最初から、手紙を出せる相手はたった一人。
 まっさらな封筒にペンを走らせる。一文字も迷うことなく住所を書き終え、一枚の便箋と全てを伝えるブローチを入れた所で回収車が来た。ポストに投函せず、回収員に直接渡した手紙は無事に届くだろうか。危険な事に巻きこむ。だというのに、真っ先に思うのは「会えるかもしれない」という淡い期待。そんな事を思う自分に美夜子は苦笑した。
 「嫌な女ね……私……」 
 
 

★★★


 石畳の上を路面電車が過ぎていく。トラムと呼ばれるオレンジ色の車体をした電車の中には黒いコートにスーツという、いつもと変わらないいでたちをした寺島信夫が乗っていた。寺島の他にはいくつかの人影と、地元の住民と思しき見目の人影のいくつかしか窺えない。ガタガタと車体の軋む音が響くほかには、話し声と呼べるような音ですら聴こえてこない。――じつに静かなものだ。
 窓の外を流れるのはイタリアの街並みを思わせる風景で、つまり日本のそれとは異なる景色だった。けれどもそこは間違いなく銀幕市の一画にある場所である。つまり数週間前に生じたムービーハザードの内側にある風景の中に今、彼らはいるのだ。
 ハザードが生じたのは数週間ほど前のこと。十数年前に公開されたアニメ映画の街並み(正確には、そのアニメ映画が元とした風景)がそのまま現出したものだと認定されたそれは、当初は何ら害のない、ごく平和な空間でしかなかったはずだった。
 そのアニメは、麻薬の売買などを行うようになったマフィアのボスを倒すべく立ち向かう数人の青少年たちを主役にすえたもので、原作である漫画にはコアなファンが多くついていることで有名な作品でもある。作品中ではトラムの中で主人公である少年が、後に仲間となる青年と初めての出会いを果たすという場面がもうけられているのだが。
「もう一度、今回の依頼の確認をしたい。……依頼は複数ある。『麻薬が行き交うようになったハザードの消滅』『この数週間で消息を絶った何人かの行方を捜す』『“エステ・シンデレラ”とハザード内にいるマフィア崩れの連中との繋がりを調べ、ボス共はすべて殺す』……ざっとあげただけでもこれだけある。……どれも「全部」やらなくっちゃあならないってのが「仕置き人」の辛いところだな……覚悟はいいか?」
 言いながら同胞たちの顔を見渡し、寺島は静かに言葉を続ける。
「オレはできてる」

 ハザードが現れてから一週間ほどが経ったころ、銀幕市ではひそかに、突発的に消息を経ってしまう若者たちが現れるようになった。どれも十代半ばや二十代前半といった若者ばかりで、一見すると何ら共通点をもたない彼らではあったのだが、深く調べてみるとそこには確かに共通する点がいくつか見えてきたのだ。
 彼らが消息を絶った後、彼らに酷似した人間たちがハザード内で確認されている。しかしハザード内で確認された人間たちは皆一様にマフィアの一員――中には暗殺チームの一員という位置にある者ばかりで、麻薬の売買に従事していたり、あるいはハザードの調査に訪れた者たちを殺してしまったりと、まさに吐き気をもよおすような『邪悪』を繰り返しているのだ。
 彼らに共通している一点。それは新しく出来たばかりだというエステ店『シンデレラ』を訪れている形跡があるという点だ。しかしそのエステ店はハザードから近い場所にあるとはいえ、ハザードの外にあり、経営状態を見ても決して裏ぐらいところも窺えない。もちろんエステ店を訪れた者のすべてが消息を絶つわけでもなく、店主の腕の評判も上々だ。
「しかし、この店を訪れて施術を受けた後に消息を絶ち、ハザード内でマフィア化している者が多くいるというのも事実だ。――しょうじき、マフィア化した連中のせいで、オレの仕事の量も大幅に増えて迷惑しているのもある。ともかく、それまでは何ら特殊な力を持たなかった連中がエステ店でどんな施術を受けて変化したのか……それを探る必要もある。むろんこれ以上連中の数を増やさないよう、ハザードを根絶しておくのは前提の上で、だ」
 だから今回は二手にわかれ効率よく仕事をこなさなくてはならない。そう続けて説明し、寺島は再び視線を窓の外へと移ろわせる。
 ハザード内で発見された者たちは、皆が一様に『特異な力』を身につけてしまっているのだという。それも件のアニメにまつわる内容と同様で、能力の内容は人それぞれだが、例えばナイフで傷つけた相手の身長をどんどん小さくしていくものや霧を使って攻撃をしかけるもの等々、まさに様々らしい。
 ――それに、もうひとつ。
 言いかけ、寺島は口をつぐむ。
 消息を絶った者の中には、寺島がよく『知っている』女もひとり、含まれている。彼女もまたエステ店を訪れ、それきり消息がつかめない状態になっているのだ。
 しょうじきなところを言えば、マフィア化した連中などどうでもいい。面倒ならば始末してしまえば済むことだ。だが、彼女だけは。――必ず見つけなくてはならない。むろん、万全な状態で、だ。
 消息を絶つ前にポストに投函したものだろうか。寺島のアパートに届いた薄い水色の封筒の中に入れられていたものを握りしめる。『黄金色のテントウ虫の形をしたブローチ』。それが果たして何を意味しているのか、それすらもまだ定かではなかったけれど。
 
 その時だ。窓の外を見ていた寺島の表情が一変した。
「美夜……!?」
 呟き、窓に両手をつけて凝視する。
 トラムが通るレールの脇、車椅子に乗った女がひとり。その姿はごくわずかな間しか窺えなかったが、寺島がその姿を見間違うはずなどなかった。
 車椅子に座り、こちらをまっすぐに見て、薄く片頬を歪め微笑んでいた女。――斉藤美夜子だった。
 寺島は日頃は見せない表情を浮かべ、その場に揃っていた面々に向かって振り向くと、ポケットから折りたたんだ地図を二枚抜き出して差し伸べた。その拍子にブローチも床に落ちて転がったが、それは寺島が急ぎ拾い上げる。
「オレは行かなくてはならない。あとは頼む」
 言い残すと窓に伸べていた手を大きく下に動かした。と、そこには大きなジッパーが現れ、寺島はその中に身体を潜らせるとそのままトラムの外に抜け出、それを待ち構えていたかのように、ジッパーは静かに閉じて消えた。  


 ★★★


 石造りのその部屋は部屋というには殺風景すぎた。部屋にあるのは椅子とテーブルが一組だけだが、蝋燭は全てアロマキャンドルのようだ。一本だけなら気持ちも安らぐだろうが、量が多すぎるのだろう。消して狭くはない部屋に濃厚な香りが充満している。
 剥き出しの石壁や柱には亀裂が入り足下に砂利が零れ、所々に黒ずんだ跡が点々としている。電球の類が全く無い部屋には何本もの蝋燭が灯されているが、隅々まで見るのは難しい。そんな薄暗い部屋に数人の人影が膝を付いて並んでいる。
 彼等が傅くその人物こそギャングのボスだッ!
「……実に良く馴染む肉体だが、残念だ。タバコと酒、ドラッグもやっていたら最高によかったんだがなああ」
 蝋燭から漂う濃厚な香りに包まれ、椅子に座るボスは「眼を閉じた人の顔のレリーフ」が描かれたコインを丸いテーブルの上に一枚ずつコインを並べていた。一つ一つ手作りなのか、全て違う顔が掘られたコインをボスは何度も手に取り選別していく。
 カチン、とコインの音が止むと、それが合図の用に跪いていた人達が全員立ち上がる。どこにでもいそうな風体の彼等は皆共通点があるッ!それはネックレスッ!ブレスレットッ!ピアスッ!学生服の校章の変わりにピンッ!スーツ姿の人はネクタイピンッ!全員がッ!『黄金色のテントウ虫』を付けているッッッ!
 普通の市民だった彼等は『黄金色のテントウ虫』を付けることでギャングとして生まれ変わったのだッ。
「さぁ、新しいファミリーを迎えに行こうじゃないか……! 神様がいるなら感謝する……! 我らを『銀幕市』に出してくれた『夢の力』に感謝するッ!!」
 闇の中に、彼等は消えていく


★★★


 二手に別れる手筈だった君たちはトラムを降り、飛び出した寺島を追いかけた。今までトラムで進んできた道を戻るように走り、曲がりくねった裏路地を駆け抜ける。寺島の姿が見えなくなった君たちは彼の石畳を蹴る足音を頼りに追いかけ続けたが、急に足音が消える。
 君たちが辺りを見渡すとそこは見慣れた銀幕市の町並みだ。どうやらハザードを出てしまったようだ。彼も「仕置き人」だ。先に進めばどこかで合流できるだろう。そう判断した君たちが依頼内容を確認し、地図を見ようとした時だ。ちりんちりん、と綺麗な音が聞こえてきた。
 一人の女性が扉を背中で押さえながら看板を外に出そうとしている。音が鳴り続けている事から、聞こえるのはドアベルの音なのだろう。一軒家を改装した店の扉は屋内が見渡せる程大きなガラス張りだ。
 女性は看板を出すとまた綺麗な音をさせて店の中に戻っていく。
 地図を見る必要は無くなった。何故なら看板にこう書かれていたからだ。


  「エステ・シンデレラ」  〜OPEN〜


種別名シナリオ 管理番号893
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメント こんにちは、桐原です。
 高遠WRとのコラボシナリオをさせていただくことになりました。
 少々変わった内容のシナリオとなりますので、まずは以下の注意事項をお読みいただきたく思います。

 注意事項

■このシナリオは高遠WRがシリーズ化している「仕置き人」シナリオの番外編のようなものです。既に事件が起きており、皆様には「仕置き人」として参加していただきますので、仕事(殺し)をする事に躊躇いがある方はお気をつけ下さい。
■シナリオは同時系列ですので、同一PC様による複数参加はご遠慮ください。
■プレイング〆切が元旦となっております。お気をつけ下さい。
■ムービーファンとエキストラの皆様は「特異能力」が使えるようになる可能性がございます。ですが、同時に「ギャング」にもなってしまう可能性もあります。
■某少年漫画のような効果音が出たり、台詞がぽろっと口から出てしまうことがあります。

 こちらのシナリオは「エステ・シンデレラ」の前から始まります。依頼内容の一つ、『“エステ・シンデレラ”とハザード内にいるマフィア崩れの連中との繋がりを調べ、ボス共はすべて殺す』事がメインとなります。ですが、依頼は他にもありますので、この件だけに拘らなくても大丈夫です。

 OPに全てのヒント、答えは書いてありますので今回は補足説明は特にございません。

 皆様のご参加、お待ちしております。

参加者
フォーマルハウト(cfcb1792) ムービースター 男 35歳 <弾丸>
臥龍岡 翼姫(cyrz3644) エキストラ 女 21歳 White Dragon隊員
ミサギ・スミハラ(cbnd9321) ムービースター 男 25歳 生体兵器(No.413)
ギル・バッカス(cwfa8533) ムービースター 男 45歳 傭兵
<ノベル>

 静かだ。跪いていたギャング達は全員新しいファミリーを迎えにいった。部屋にいるのはボスだけだ。先程までテーブルの上にあった大量のコインは姿を消し、今置かれているのは二枚だけだ。他のコインと同様に顔のレリーフが掘られた、男と女のコイン。人形のように座っていたボスは男の顔が掘られたコインを指先でついと動かした。
 ボスになるまえに、ボスになった女が手紙を出した相手。
 そして、一番面倒な男になった男。
 ギャング達にとって、ボスという立場は絶対だ。それ故に、自分がボスになろうとする者もいる。だが、この男は違った。自分がボスになるのではなく「ボスのやり方が気に入らない」ただそれだけで、裏切るらしい。詳細は知らない。細かいことなどどうでもいい。ただ、「裏切る」事だけがわかっているのならそれでいい。男が「裏切る」きっかけになる「男」はまだいないが、よりにもよって一番使いやすい肉体を男は手に入れた。
 石畳の床には細かい砂利が大量にある。どれほどの手練れであっても、音を立てずに歩くのは難しい筈だ。だが、蝋燭の炎を揺らさず、扉も開けずいつのまにか部屋にいる一番面倒な男をボスは振り向きもしない。
「カジノを護れ」
「了解」 
 ボスの指先にあるコインと同じ顔をした男、寺島信夫は音一つ立てずに出ていく。何一つ変わらない。遠すぎず、近すぎず見張る。裏切り者には死を。
「水の都でも、この銀幕市でも、帝王はこの私だ!依然変わりなくッ!」
 テーブルの上にはボスと同じ顔をした女、斉藤美弥子のコインだけが残された。 





 何度目かの角を曲がったところで三人は誘導されていると気が付いた。寺島を追いかけトラムを飛び降りたフォーマルハウト、ギル、ミサギ、の三人はスターな事もあって普通の人よりも身体能力が高い。その三人が追いかけても、寺島には一向に追いつかないのだ。
「さぁて、どうするボウズども。俺様はこのまま追いかけるぜ?」
「オレも、このマま行ク」 
 走りながらギルがそう言うとミサギが応えた。
「俺はボスを始末してくる」
「いいね、ボウズがさっさと終わらせてくれりゃぁ、俺様は楽に金が手に入るってもんだ」
「ウしろ、女ノ人どうすル?」
「付いて来れてるんだあの嬢ちゃんも「仕置き人」なんだろ、好きにさせると良いさ」 
「同感だ」
 ギルとミサギはそのまま寺島らしき影を追っていった。
 三人から遅れて後を追いかけていた臥龍岡翼姫はフォーマルハウトが横切っていく瞬間、目を見開いた。地面を蹴り上げ、建物の壁を足場に踵を返した時に見えた輪郭、すれ違う瞬間の顎のライン。ここに居るはずのない、見間違うはずもない顔が通り過ぎたからだ。
「ま、待ちなさい! こら!! ポチッ!?」
 カカカッと石畳を鳴らし振り返るが、男の影は何処にもなかった。あっという間に見失った事で呆気にとられた翼姫ははぁ、と一つ溜息をついて壁に寄り掛かる。
「今の……間違いなく彼の顔……だけど、トラムには居なかった筈なのに、どうして? ……ううん、今は先に依頼を……」
 翼姫が考え事をしていると、背中のあたりで何かが動いた気がした。もぞりとした動きにストールがずれたのかと思い、彼女は改めて仕事に取りかかるため居住まいを正した。
 薄いストールを羽織り、チャイナドレスを身に纏った小柄な女性は狙いやすかったのだろう。気が付けば翼姫は数人の男に囲まれていた。姿勢正しく一歩前に進めば男達は翼姫の行く先を塞ぐ。黄色い歯を覗かせ、薄汚れた衣服を纏う男達が何を言っているのかなど、翼姫は耳に入れなかった。
「邪魔よ」
 翼姫が冷たく言い放つが、男達は下品な笑いを止めなかった。仕事もある。情報も手に入れたい。さっきの男も気になる。やらなければならないことがあるのに、どうでもいいヤツラが邪魔をする。それが、翼姫のイライラを爆発させた。
「さっさとどきなさい!」
 翼姫の怒声が響くと、彼女が羽織っていたストールがゴウッと浮き上がった。元の大きさよりも何倍も、何倍も大きく膨れあがり翼姫の周りを取り囲む。
「ヒィィィィィ! あ、あんた能力者だったのかッ!! お、お助けぇぇぇぇ!!!! まだ死にたくねぇよぉぉぉぉぉッ!!」
 渦のように曲がりパチパチと火花を散らすストールを見た男達がばたばたと逃げていく様を、変わり果てたストールを見た翼姫はまた唖然とした。
「な、なによこれ。……これが、異能とかいう、能力、なの?」
 目に見える程の火花が絶えず鳴っているが、翼姫の腕も手もその熱さを感じない。そっと火花に触れてみるとストールは静かにしゅるしゅると元の大きさに戻った。男達が来る前の、変わらないストールが翼姫の肩にある。
「……何が、できるのかしら。もう一度……」
 翼姫がもう一度「大きくなり火花を散らせ」と思うと、ストールはまた大きくなり、パチパチと火花を鳴らす。もっと火花を大きく、と思えば大きくなり、火花を一カ所に纏めて、と思えばストール全体ではなく、翼姫が思った場所で火花は一つの塊となって現れる。
 翼姫にとって一番役に立ったのは、ストールの面がディスプレイになりPCとして使える事だ。一本の糸がにゅるにゅると動き翼姫の携帯に入っていくと、データが全てコピーされてた。ディスプレイには「ナニヲ シマスカ」と文字が浮かんでいる。
「もしかして、意思があるの?」
 翼姫の呟きに応えるように、ストールの上に「ハイ」と文字が現れる。ぞくり、と背筋を冷たい物が走る。深呼吸し、翼姫は思いつく限りできそうな事や、できたら良いと思うことを問いかける。翼姫の問いかけにディスプレイには次々と文字が表示される。ストールの糸を一本ずつ伸ばし人を支えることも出来るが、伸ばしすぎると強度が弱くなる事、糸には導火線のように火花を伝える事もでき攻撃にも使える事、ストールをそのままの形で広げ自分自身を護る事もできるが、糸状にして蜘蛛の巣のようにすればより広範囲が護れるが、強度は低い事、そして、糸の先端はどんな機械にも接続ができ、繋げればあっというまにハッキングできるらしい。
「気味が悪いと思ったけど、これはずっと持っていたいわね」
 苦笑しつつも、翼姫は現在持っている情報の検索をする。一番最初に出てきたのは、ハザードの元になった映画の能力には全て名前が付いている、という事だった。次々と検索を続けるストールを見つめ、翼姫はこう呟いた。
「……貴方、名前があるのね?」
 画面の中央には「ワタシノ ナマエ ハ すふぉるとぅなーと デス」と文字が浮かんでいる。イタリア語辞書の検索画面を出して。
「嫌な意味……だけど、私には丁度良いかしらね」
 深く溜息をついた翼姫は情報の検索を続けながら歩き出した。 





 ドアベルの音を聞き、店主が振り向くと驚いて目を丸くした。「エステ・シンデレラ」へと入ってきたのは二人の男。一人は見るからに戦士や傭兵といった呼び名がすぐ浮かぶ大柄の男性だ。ドアにぶつけないよう持ち込まれた大きな槍、色白の肌に緑の瞳は一つ、右目を覆う眼帯には鉢巻きのよう布が巻かれ、灰色の髪が短く切り揃えられている。もう一人の青年は金色の瞳と真っ白な髪と肌だが、肌は半分ほど普通の人にはありえない色をしていた。年齢的にも外見的にもちぐはぐな二人に驚いた店主だったが、すぐに笑顔で迎え入れた。
「こンにちハ」
「めずらしいお客様ですこと。エステを受けに来た、というわけではなさそうですね」
「客じゃなくて悪ぃな。ちぃとばかし聞きたいことがあるんだが、少しいいかい?」
「予約のお客様がいますのでそれまでの間でしたら」
「そんなに手間とらせないぜ。すぐそこにハザードが出来てるのは知ってるだろ?」
 ギルがハザードの方を指で指し示すと、店主は頷く。
「そこで迷子になったヤツを探しに来たんだ。何か知らないか?」
「何か、と言われましても」
「ハハッ! それもそうだな! 怪しいヤツを見たとか、ハザードが出来はじめてから変な事、たとえば音が聞こえるとか人が増えたり減ったりするとか、何でも良いんだ」
 そう言われても、と店主は腕を組み、困った顔で考え込む。
「買イ物に困ル事もなイのか?」
 ふいにミサギが店内に置かれている化粧品を見て問いかけた。実際に店で使用し、販売もしているのだろう、商品説明の書かれた手作りの値札がつけられている。
「有り難いことに、買い物に行くお店は逆方向なんです。そういった化粧品等も郵便屋さんや宅配便の配達区域が家で最後ですから、ハザードの中を通らないんです。ハザードができるまえと変わらない生活をしてますので、私には特に……」
 と苦笑して言葉を濁す。そウか、と頷くミサギに何か気になります?と店主が問いかけた。
「見たコとの無イ物が多いカラ、珍しいンダ」
「確かに、男性には珍しいかもしれませんね」
 店内の商品やとりとめのない雑談をしている店主の仕草や動作をギルは隅々まで観察していた。観察、といっても彼は無意識のうちに見ている。嘘をついたり隠し事をする時や動揺する時、人は僅かな癖がでる。傭兵という仕事柄、ギルはちょっとした話しの間で相手を見極める癖がついていた。ミサギに話しかけ、ハザードから話題をすり替えたのかと勘ぐりもしたが、その線は店主自信に消された。
「そういえば……お客様に聞いた話ですが、ハザードの中にずっといる人達はハザードから「出てこない」んだそうです」
「じょうちゃんは見てないのか?」
「えぇ、先程も言いましたが私は向こうに行く用事がありませんので、お客様に聞いただけです。通り抜けようとしたら追いかけられて、ハザードの外に逃げたら追ってこなかった、と」
「よくハザードの外なんてわかったな?」
「建物、ですよ」
 そういうと店主は店のドアを開け放し、ハザードの方を指差した。店から顔だけだしたギルがハザードの方を見ると、
「このあたりの家とまったく違うでしょう?」
「確かに。それでこのあたりの人は逃げてないって事か」
「えぇ。ハザードがあるのは恐いですが、家を捨てて逃げるわけにはいきませんし、そのうち無くなるか良い方向に向かうでしょう。危険なら対策課が動いているはずですし」
 ギルは営業スマイルを向ける店主にそれもそうだ、と豪快に笑う。会話や仕草から店主は嘘を付いていない、とギルは確信していたが、何かがひっかかった。ハザードの事も迷子になった人も知らないのは本当だろう。聞いたことに対して嘘は付いてないが、何かを隠している気がするのだ。しかし、今のギルにはその何かを引きずり出す話題がない。情報が足りないのだ。
「いや、邪魔して悪かったな」
 長居をして警戒されれば後が困る。店内をじっと見ていたミサギに声をかけ、二人は店を後にした。
「ボウズ、面白い物でも見つけたか?」
「アあ」
 ハザードに向かって歩く途中、ギルが前を向いたまま声を掛ける。ハザードに入り、エステからは見えない場所で立ち止まるとミサギの掌には2つの物があった。
「コこと同ジ臭いのスる蝋燭ト一緒ニ置いてアった消臭スぷレーだ。地下室ニあっタ」
「地下室? 普通の一軒家に地下室、ねぇ」
「間取リが変ダ。アと、細イたイヤの跡があッた」
「細いタイヤ? 台車じゃないのか?」
 蝋燭と消臭スプレーを手に取り、おかしな所がないか調べているギルに向かってミサギはふるふると首を横に振る。ハザードの外、車が急ブレーキをかけてついたタイヤの跡を指差し
「アレと一緒だけドもっト細カった。それニ、壁に続いてタかラ多分、隠シ部屋か何カあルだろウ」
 アクセントが微妙にずれた発音でそう続けた。
「ハザードと同じ臭いのする蝋燭と、それが使われている店には地下室、んで隠し部屋、か。はてさて、もう少し情報が欲しいところだが、ボウズ」
「なンだ?」
「もう少し地下を調べられるか? 店に入らずにだ」
「まかセろ」 
「もう一つ、こいつらも任せていいか?」
 ギルとミサギの周りを、焦点が定まらない男や女が大勢取り囲んでいた。意味の解らない声を出し、涎をぼたぼたと垂らしているやつもいる。どうみても正気ではない、おそらくギャングであろう人が二人の周りに集まる中で会話を続けていたのだ。
 ギルの手から蝋燭と消臭スプレーを受け取ったミサギは先程と同じ言葉を抑揚を変えて繰り返す。
「マかせロ」
 ミサギが走り出し、その後を追うようにギルが駆け出す。周囲を囲んでいたギャング達がミサギに向かって動き出すと、ミサギはくるりと反転しギャング達に背を向けた。両手を組み腰を下ろすとその手の上にギルの足が乗る瞬間、ミサギはギルの足を空へ向けて押し上げる。走っていた勢いとミサギの力を合わせ高く跳躍したギルは建物の壁を蹴り上げ、取り囲むギャング達を飛び越えていった。空高く飛び、あっという間に消えたギルの姿に眼を奪われたギャング達は、慌てて残ったミサギに視線を戻す。大勢で取り囲んでいるのだから大丈夫だ、という安心感は一人佇むミサギを見た時に消え去っていた。
「一般人モ混ざってイルのか? 怪我ヲしタくいなラ、おとなシク座ってロ」
 何も持っていなかった筈のミサギの両手には一つずつマシンガンが握られていた。



 背後から銃声が聞こえる中、ギルは大槍を担ぎひたすら走り続けた。ギルを追ってくるギャング達は居なかったが、銃声が聞こえだした事で人が集まると面倒だ。背の高い建物の間、薄暗く入り組んだ路地裏をあてもなく走るっていると、 
「ウケウケコウケウケッ」 
 と奇妙な笑い声が聞こえた。笑い声、とわかるのはギルが以前にも聞いたことがあるからだ。一層暗くなっているトンネルのような道を通り抜け、小さな広場に辿り着いたギルは立ち止まる。
 円形の広場にはギルが通ってきた道を含め五つの道が繋がっている。後に一つと、左右にも同じトンネルのような道が二つ建物の間に、ギルの真正面には小さな噴水がちょろちょろと水が流れている。共同住宅と水くみ場なのだろう、いくつもの扉はぼんやりと蝋燭の火が灯っており、エステ店と同じ香りが濃厚に漂っている。
 蝋燭の微弱な光が灯る暗闇の中、ギルが辺りを見渡すと噴水の傍に二つの影が現れる。二人とも高校生なのだろう。見覚えのある学生服を纏った大柄の男が蛙のように小さくしゃがみ、ほっそりとした女子生徒の足に絡み付いていた。
「ボスに雇われた傭兵が、ボスを裏切るのか?」 
「ウケッウケコウケウケッ」
 両手を腰にあてた女子生徒が鼻を鳴らし、自信満々に言うとしゃがみ込んでいる男が笑う。二人ともトラムの中で寺島が落としたブローチと同じ『黄金色のテントウ虫』のピアスをつけている。ギルは仕置き人の依頼を受ける前にこの二人に会っており、思い出せばその時もピアスをつけていた。仕事をしないかと声を掛けられたのだが、少し考えさせてくれ、と返事を曖昧にしていたのだ。仕事の内容も依頼人もはっきりしない依頼を受けるかどうか、少し情報を手に入れてから返事をしようと思っていた。その矢先に今回の仕置き人の仕事があった。
 仕置き人の依頼は全てがはっきりしている。足りない情報は自分で補えばいいし、何より今回が初めてではない。きちんと報酬も支払われる。正直なところ、彼等の――今ではギャングだとわかったのだが――仕事は乗り気ではなかった。まず仕置き人の仕事を終わらせ、その後考えようと思っていたギルだったが、まさか敵対しているとは思っていなかった。
「何のことだい?」 
「ふん、金さえ払えば尻尾を振って誰にでも従う犬畜生が。ボスが直々にお前に依頼を、と仰らなければここで始末してやるものを」
 ギルがとぼけて言うと女子生徒はぎりぎりと歯ぎしりをして睨み付ける。
「まぁそう怒るなよじょうちゃん」
「オレを「じょうちゃん」と呼ぶなと言っただろうがッ! 一度言われたことすら忘れるのか脳筋野郎ッッッ!!」
「お……お兄ちゃんを怒らせるのは、ダメなんだ。ハイ」 
 はいよ、と返事をしたギルは小さく溜息をついた。最初に会ったときもこうだった。女子生徒は自分を男だと言うし、どう見ても年上だろう男は女子生徒を兄と呼ぶ。外見が全く違う二人が兄弟だというのもおかしな話しだが、これも仕置き人の依頼と何か関係があるのなら説明はつくが、まだ納得はできない。
 ギルは自分自身が見た物と情報が一致しない限り、確信を持たない事にしている。大らかな態度や外見からは想像もつかないが、仕事に関しては特に慎重だ。全て、命に関わることだからだろう。今も関係はあるだろう、という推測で止まっている。
「で、だ。依頼を受ける受けないはもう少しこの街を見てからにしたいんだが、さっきから五月蝿いのが多くてな。なんとかならねぇか?」
「下っ端どもなど蹴散らせばいいだろうが。お前と同じで変わりなどいくらでも用意できる。……だが、そうだな。丁度良い」
 ギルを見下すような眼で見る女子生徒が示した一本の道、暗闇の中を靴を鳴らしゆっくりと歩く影を見てギルは苦笑した。通常の人ならば、背格好で男性が歩いている事はわかるだろう。戦い慣れている人ならば、向かってくる男がギルと二人のギャングがここに居る事も、戦いになると理解した上であえてゆっくりと歩き「お前達は敵じゃないという意思表示」をしている事もわかるだろう。
 ギルには暗闇にいる男が誰なのかもわかる。陽の光が存在しない暗闇の世界で生きてきたのだ。暗闇である事の方が、ギルにとっては普通だ。
 だからこそ、今誰が歩いてきているのかがわかる。
「どっかの馬鹿が『黄金色のテントウ虫』を取られたらしい。あいつから『黄金色のテントウ虫』を取り上げろ。それをお前が持てばいい。そうすれば、お前は正式にボスからの依頼を承った事になる」 
 耳元に届く彼の足音の低さが、靴に重りが仕込まれていることを伝える。黒いハットを目深に被り、右肩から胸・腕にかけて施された豪奢な銀装飾の黒コートは襟が立てられ、口元すら隠されていた。その襟元には暗闇でも輝く『黄金色のテントウ虫』がつけられていた。
「まいったぜ」
 ギルの前に現れたのはフォーマルハウトだった。





 フォ−マルハウトが『黄金色のテントウ虫』を手に入れたのは、少し前の事だ。
 ギルとミサギの二人と別れ、翼姫の呼び止める声を無視して路地裏を走るフォーマルハウトを見張る人影が建物の上に現れた。襲ってくるかと思われた見張りは、屋根から屋根へと飛び移りフォーマルハウトを見下ろしているだけだ。行く手を遮らないただの見張りであれば、無視するところだった。路地の上空、鏡合わせのように流れる青空に自分の影をはっきりと、フォーマルハウトの視界に入るように見せつけ続けなければ。
「…………邪魔だな」
 何の前触れもなくフォーマルハウトがカクンッと角を曲がる。小刻みに、テンポ良く軽快なステップを踏むように角を右に、左にと曲がり続ける。視界に入る見張りの影が消えた時、フォーマルハウトは袋小路に立っていた。前方は高い壁に遮られた行き止まりで、ドブ水が滴る剥き出しの水道管とネズミが数匹鳴いている。
 後方にはどこから出てきたのか、ぞろぞろと足取りのおぼつかない人達が彼の来た道を塞いでいる。ふらふらと歩く人達の中フォーマルハウトの頭上から何かが落とされるが、彼は見上げることもせず避けた。ゴズンッ!と石畳を砕くそれを横目で見ると、落ちてきたのは木箱そっくりの石だ。それも、継ぎ目や長年使い古された染み、削れささくれだった木片まで精巧に掘られている。フォーマルハウトが自分の足下と石の間に伸びる影を見て、見張りが落としたのだと察すると、見張りが建物の上から飛び降りてきた。
「惜しいな、スターじゃなけりゃボスに献上したい肉体だ」
 フォーマルハウトの前に降りてきた見張りの男がそう呟く。曲がった腰を支える杖に添えられた手はしわくちゃで、真っ白な髪は側面と後頭部にあるだけで頭のてっぺんが禿げている、老人だ。
「この街の人間はなまっちょろい肉体ばっかりでお前らスターの相手もまともにできやしねぇ。ファミリーも増えねぇ。おまけにアンタみたいな「正義の味方」がしゃしゃり出て俺達の邪魔をするときたもんだ」
 似合わない喋り方をする老人が小さく溜息をつくと道を塞いでいた人垣から一人の男が前に出てきた。ほっそりとした下半身とテカテカと光っているような上半身、鍛え上げられた腕は丸太のように太い、逆三角形体型の大男だ。
「そしてそういうヤツほど、決まってこう言うんだ。「一般人の身体を乗っ取るなんて卑怯だぞ」「無関係な、女子供老人に手を出せるか」ってな」
「……へぇ、あんたらギャングは「無関係な女子供老人を含む、一般人の身体を乗っ取ってる」のか。そいつは初耳だ」
 老人の口が裂けたように広がり顔が歪む。醜く笑うその口から出る舌はヘビのように長く
伸びている。
「そりゃそうだろうよぉぉぉ? 知ったヤツらは全員俺達の部下になってんだ。そういやスターはどうなってんのか知らねぇな。ま、どっかでボスのコレクションとして並んでるんじゃねぇかぁ? フィルムになってよぉぉぉぉぉ」 
 老人がフォーマルハウトに向けて杖を指すと大男を先頭にギャングが数名、突っ込んでいく。老人はボスについても少しは知っているようだし、こうやって部下を持っているのだから下っ端ではないようだが、口が滑りやすいというか傲慢というか、立場としても下から数えた方が早そうな印象を受ける。
「ボスの居場所がわかればいいか」
 ドスドスと走る大男の腕が雄叫びと共にフォーマルハウトに向かって振り下ろされるが、彼はスッと上半身だけ動かし腕を避けると一歩だけ前に進み、大男の胸元に掌を当てる。掛け声も踏ん張る仕草もなく、フォーマルハウトが大男を軽く押すと巨体は風船のように持ち上がり、後に続いていたギャングも道を塞いでいたギャング達をも巻きこんで吹っ飛んでいった。
 真横をスッ飛んで行った部下に老人の顔が恐怖に歪む。大きく開いた口から伸びる舌もそのままに、だらだらと汗と涎を垂らしながら振り返る老人はあっというまに半分の部下が倒れているのを見て悲鳴をあげた。
「ヒィィィィィィ! き、貴様! 無関係なんだぞ!? 一般人なんだぞぉぉおぉぉお!?!? 何故ッ! 攻撃出来るゥゥゥゥゥ!!!???」
「俺の任務は「ギャングのボスとその部下を殺すこと」だ。一般人? だからどうした」
 声が近くで聞こえた老人がバッと振り返ると、そこには二丁拳銃を振り上げたフォーマルハウトが直ぐ傍に立ち、老人に影を落としていた。ハァハァと、荒い息でフォーマルハウトを見上げる老人が横目で辺りを見渡しても、部下は全員ぐったりと横たわっていた。いつ、一体どうやってフォーマルハウトが部下を全員倒したのかもわからないまま、老人に二丁拳銃は振り下ろされる。
「ば、ば、ば、ばかなぁぁぁぁぁ!!」
 老人の断末魔と共にバヂバヂッと音がした。フォーマルハウトが振り下ろした拳銃は老人に当たらず火花を散らす薄い布に遮られていたが、老人は恐怖で口から泡を吹き気絶していた。少しだけ顔を動かし、フォーマルハウトは薄い布が伸びる先に目をやるとチャイナドレスを纏った小柄な女性が睨んでいた。
「何、してんのよ。あんた」
「見ればわかるだろう? 任務をこなしていた」
「これが? この状態が? この惨状の何処をどう見たら「仕置き人」の依頼なのか、説明してくれる? 見てもわからないから」
 しゅるしゅると薄い布が女性の元に戻ると、彼女は瓦礫と倒れているギャング達を避けてフォーマルハウトの傍まで歩いてきた。その間も彼女はギッと力強くフォーマルハウトを睨み続けている。ふぅ、とあからさまな溜息をついたフォーマルハウトはそっと彼女の手をとり、甲に唇を落とした。普段の彼女ならば即平手打ちだろうが、思ってもいなかった出来事を理解するのに時間がかかった。え、と小さく声を漏らした彼女を、フォーマルハウトは帽子の隙間から見上げる
「そう怒るな。怒っている君も可愛らしいが、微笑んでいる方が愛らしい。そうそう、この状態だが、任務は『殺す事』だろう? 助ける事は含まれていないだからこうなった。この説明で納得していただけるかな? お嬢さん」
「こ、このバッタモンのロクデナシ!」  
 パシィーーン、と軽い音が瓦礫の中で響いた。彼女の平手打ちを頬に受けたフォーマルハウトは、自分の行動や言動から甘んじて受けたのか、バッタモンという意味がわからなくて受けてしまったのか。今は、避けられる筈の平手打ちを受けた事しかわからない。
「あぁ……! 一瞬でも間違った自分が腹立つッ! こんなのと間違ったのかと思うと物凄い腹が立つ! いいこと! あ、えーと」
 ここで、彼女はやっとお互いの名前も知らない事を思いだした。「仕置き人」の仕事は基本、お互いを知らない状態で進む。たとえ「仕置き人」として共に戦ったとしても、普段は見知らぬ人であることが前提だ。
「フォーマルハウトだ。宜しければ貴方の名前も教えていただけるだろうか?」
「……ッッッッッ! 翼姫よ。フルネームじゃなくて良いでしょう?」
「ツバキ……翼の姫、か。天上の姫君とも思える美しさを持った貴方によく似合う名前だ」
 な、と翼姫は言葉を失った。怒りなのか照れなのかわからないほど真っ赤に染まった頬を
フォーマルハウトがそっと撫でると、数秒遅れて彼の腹に拳をいれる。
「ばっ、ばかな事言ってんじゃないの! そんな、事より! この状況! いいことフォーマルハウトッッッッッ!!」
 フォーマルハウトが存在すら忘れていた気絶するギャング達をビッと指差し、翼姫は怒鳴りつける。
「依頼は複数ッ! 行方不明者の救出もッ! エステとの関わりもッ! ハザードの消滅もッッッッ!! 全てッッ! 全てこなすのよッ! わかった!? あんたが気絶させたギャングは行方不明者の可能性もあるでしょう! 一人もッ! 殺さずッッッ! 逃さずッッッ! 捕らえなさいッッッッ!!!!」 
 はぁはぁと肩で息をする翼姫に呆気にとられたのか、珍しくきょとんとした顔をしたフォーマルハウトに翼姫が返事はどうした、と言いたそうな顔で睨んでくる。フォーマルハウトは薄く微笑むとまた翼姫の手を取り、跪いてこういった。
「姫の望みと在らば、このフォーマルハウト『全て』の任務を遂行してみせましょうぞ」
 芝居がかったフォーマルハウトの行動に、翼姫は彼の頭にげんこつを落とすと一人で何処かへ行ってしまった。どこか逃げるように足早に去っていく翼姫を見て、フォーマルハウトはくつくつと喉を鳴らして笑っていた。
 翼姫一人居なくなっただけなのに、フォーマルハウトが佇む場所はすっかり静かになった。未だ気絶している老人に近寄ると、やはり『黄金色のテントウ虫』があった。老人から『黄金色のテントウ虫』を奪い取り、ピンになっているそれをコートにつけてみた。これといって身体に変わった事はなく、少し様子をみるかと袋小路を抜けた時だ。少し離れたところから、一人のギャングらしき男がフォーマルハウトをじっと見ていた。フォーマルハウトがその男を特に気にとめる様子もなく歩いていると、パァァッと明るい笑顔になった男が小走りで近寄って来た。
「スイませェん、『LA SQUADRA DI ESECUZIONE』の方ですね?」
 フォーマルハウトの襟元に輝く『黄金色のテントウ虫』を指差してそういう男は腰を低くし、揉み手をする。特に受け答えをするでもなく、フォーマルハウトが無言で男を見下ろしていると男は合っていると思ったのか、話しを続ける。
「先程『LA SQUADRA DI ESECUZIONE』のご兄弟から伝言を預かりまして、いや、自分は声も掛けて貰えるだけでありがたい下っ端なもんですから、証でしか見分けがつきませんで、スイませェん。あぁ、この先の広場でお待ちだそうです。なんでも、あのボスが直々に雇いたいと言った傭兵が来たようでして。ハイ。」
「傭兵……だと?」
 やっと発言したフォーマルハウトの声が低かったからか、機嫌を損ねたと勘違いしたギャングはべらべらと喋り出した。
「い、いえ! そりゃ『LA SQUADRA DI ESECUZIONE』の皆さんがいればボスの安全は確実ですって! ですが、今の俺達ですら「まともな肉体」じゃねぇもんで、ハイ。旦那は良い肉体を手に入れましたですよ。ハイ」 
「……悪いが、その広場まで案内してくれるか。どうも記憶があやふやでな」
「え? あ、ハイハイハイ! よろこんで! ささ、こちらです!記憶があやふやってこたぁ、証の燃料切れじゃぁねぇですかい?」 
 フォーマルハウトを『LA SQUADRA DI ESECUZIONE』と――おそらくボスの側近や幹部なんだろう――勘違いしたギャングは気に入られようと必死なのだろう。フォーマルハウトがつけている物より小さく、輝きの鈍い証を手に取り広場に付くまでの間ずっと話しをていた。




 
 足下に転がっている人数分の『黄金色のテントウ虫』が一匹ずつ並べられている。僅かに差し込む太陽の光に反射しミサギの顔を照らしているそれらは、トラムで見た物より小さく、輝きも鈍いように思えた。実際に並べられた『黄金色のテントウ虫』の大きさも疎らである事でわかることだが、ミサギは確認するように
「大きサが、違うノか」
 と呟いた。ギルと別れ、できるだけ傷つけないように戦ったせいで時間が掛かったのだ。ミサギは全ての『黄金色のテントウ虫』を回収し、たった今人数と数を照らし合わせが終わり全員がつけている事を確認したところだ。
 手近な物を一つ手に取ると、ミサギは分解を始めた。ポケットや鞄から取り出した様子もなく、彼の手元にドライバー等の工具があるのは彼の体内に納められている物だからだ。
 ミサギの頭には一番最初に奪い取ったヘアピンの『黄金色のテントウ虫』が付いている。『黄金色のテントウ虫』は回収している間も指先で確認したが、それ自体に特に変わったところが見あたらなく、こうしてつけても何ら変化は訪れない。
 慎重にマイナスドライバーを溝に入れ、ほんの少し力を込めるとギュイィィィィンと音がし、ミサギは手を止めた。左右を見渡し、頭上も確認するが誰もいない。手元のアクセサリも壊れてない。首を傾げ、改めてドライバーを動かすと今度はチュミミィィィィンという音がした。ミサギはもう一度辺りを見渡しアクセサリを確認するが、先程と同じように何も変化はない。不思議そうに首を傾げるミサギは、何度も聞こえる奇妙な音を無視してアクセサリをバラバラに分解した。バラバラに、といっても足が付いた胴体腹部分と触覚の付いた頭、そして胴体羽根部分の3つだ。胴体が二つに別れると妙な擬音も止み、中から白い綿が出てきた。
「…………変ナ音………………鳴キ声?」
 しげしげと頭や胴体を見るが、生きている筈もない。ただの部品だ。出てきた白い綿を摘んでみると少し湿っており、ハザード内の香りが一層強まった気がする。鼻を近づけ、くんくん、と臭いを嗅ぐとハザード内の、そしてエステ店内と同じ香りがする。
「ハざードと店内、ぎャングが同じ臭イ?」
 綿や部品をじっと見つめ、ミサギは暫し考え込むと立ち上がり、周囲の瓦礫を除け始めた。先程の戦闘で建物から落ちた煉瓦や気絶したまま起きないギャングを移動し、目的の物を見つける。
 排水溝
 ミサギは地面に並べた『黄金色のテントウ虫』をかき集め排水溝の傍に置くと、その場に座り込んだ。ミサギの身体からゲル状の糸が伸び、そのまま排水溝へと侵入していく。
 ミサギはギルと一緒に入ったエステ店内でも、同じ事をやっていた。ミサギの体内に物を取り込めるのも、気が付けば彼の手元に物が現れているのも、彼の身体がゲル状になるからだ。糸状に伸ばした先端には小型カメラが仕込まれており、目で見るのと同じように中の様子は観察できる。排水溝からエステ店、そしてもう一度地下室へ。今度は店主に気を使う事もなく地下室を探索し、壁に消えているタイヤの跡も調べられる。
 ミサギは片眼で地下を、もう片方の眼で『黄金色のテントウ虫』を見て分解する。ズボゥア!ウゥウア!ドドドドドドドド!ボッ!ドギャァァン!ドシュー!ゴゴゴゴゴゴゴゴ
 分解する度に聞こえる擬音を、ミサギはもう気にしなかった。





 フォーマルハウトが広場に入ってくると、足下の霧が風圧で動いた。広場にいるのは向かい合ったギルとフォーマルハウト、そして二人の学生だ。
「依頼ってよぉ、内容と金額が一致するよな? 金額が高ければ高いほど内容も難しかったり面倒だったりするもんだ。そうだろ?」
 ギルが口を開くとフォーマルハウトは歩みを止める。『黄金色のテントウ虫』がつけられた襟とハットでどんな顔をしているか全く見えないフォーマルハウトは静かに腕を上げ、銃口をギルへと向ける。
「俺様は傭兵だ。金さえ貰えりゃなんだってする。だがな、だからこそ内容も依頼人も気になる。この銀幕市に来てからは余計に、だ」
 二つの銃口が自分に向けられているというのに一向に戦おうとしないギルを『兄』は睨み付けるが、ギルはニヤニヤと笑いながら大槍を担ぎ直し、話を続ける。
「どんな内容だろうといんだが、誰だってよぉ、仕事ならちゃんと『金が払われるか』は調べるだろ? 誰だってそーする。俺様もそーする」
 銃声が一つ、ギルの担ぐ大槍を二度鳴らした二つの弾丸は学生のピアスを通り抜け背後の壁へとめり込んだ。フォーマルハウトの構えた銃は二つとも硝煙を立ち上らせていた。彼は、寸分の狂いもなく、二つの銃を同時に撃ちその銃声すら同時に轟かせたのだ。 
「キレ……てんのか……?……この野郎……」
「い、い、いきなり撃ってきたよッッ!お兄ちゃんッ!」
「慌てんなッ! あいつらに、俺達がヤラれるわけねぇだろッッ! 俺達が何処にいるのかもわかってねぇんだッッッッ!!!」
 気が付けば二人の学生の姿はなく、影だけが二人の間に長く伸びていた。へぇ、と楽しそうに笑うギルがぐるりと首を回し辺りを見渡せば、扉の前や二階のベランダ、通路の横と二人の影は幾つも存在していた。
「俺にとって、このフォーマルハウトにとって最も『重要』なのはここにいる誰が『ボスの居場所を知っている』かという事だ」
 銃声が鳴り、影が映る壁に穴が空く。フォーマルハウトにとってどの影が本物か等関係なかった。当たれば本物、当たらないなら本体を探す。それだけだ。
「期待に添えなくてわりぃが、俺様はしらねぇぞ。全然。まったく。むしろ何か知ってる事があったら教えて欲しいくらいだぜ。俺様は『下っ端なんて変わりなどいくらでも用意できる』って事くらいだ」
「俺か? 俺が聞いたのは『ギャング共は無関係な女子供老人を含む、一般人の身体を乗っ取ってる』って事くらいだ。あぁ、今の二人が『LA SQUADRA DI ESECUZIONE』って呼ばれてる事も聞いたか」
 撃ち込まれた弾丸が影の足や腕に命中している。もし、あの弾丸が本体に当たっていれば大怪我だというのに、ギルはのんびりと穴を見て応えているのだ。銃を撃ったフォーマルハウトも何もなかったようにそれに応える。慌てているのはギャングだけだ。
「き、貴様ッッ! この「肉体」が一般人のものと知っていて撃ったのかッッッ!」
「そうだが? 」
 さらりと肯定するフォーマルハウトにギルは豪快に笑う。今も銃口が自分に向けられているのに、だ。ギルが本当に『裏切った』のなら、フォーマルハウトは躊躇なく微塵も戸惑うことなく、ギルに向かって弾丸を撃つだろう。フォーマルハウトという男はそういう男だ。一つ、注意しなければならない事がある。フォーマルハウトは決して、ギルが『裏切った』から攻撃するのではない。裏切ったかどうかはどうでもいいのだ。任務の邪魔になるのであれば、彼は撃つ。同じ「仕置き人」であったとしても、だ。
 ザリッと建物の屋上から砂を踏みしめる音がすると二人はほぼ同時に飛び上がった。広場同様深い霧に包まれた屋上は今まで二人の居た広場も路上も隠している。二人の学生は見あたらないが、視線と気配は感じている。
「この街、こんなに広かったか?」
「同じような建物が多くて場所がわからんな」
 ギルが遠くを見渡しそう呟けばフォーマルハウトは溜息混じりに応える。お互いの姿が見えなくなるほど急速に濃くなっていく霧はギャングの『特異な力』なのだろう。視界が悪くなるだけで特に身体に影響がないので二人とも気にしていない。ギィィィギィギギィと古い扉を開けた音がする。霧に紛れ、見えない路上や二人のいる屋上に人が集まってきているのだろう。ガリガリリと引っ掻くような音も聞こえているのは、建物の壁をよじ登っているのか、二人を囲む人影が増え、『黄金色のテントウ虫』の輝きが幾つか煌めく。
「さっきも言ったが、俺にとって最も大切な事は『依頼を完了する』だ」
「そうかい。だけどよぉボウズ、決して、一般の人は巻きこんじゃいけねぇよなぁ」
「クッ……そうだな。その通りだ。決して、巻きこんじゃいけない」
 キラッと『黄金色のテントウ虫』が光った瞬間、ギルが担いでいた大槍をぶんっと振り回す。霧と囲んでいる人影が歪み、片手ほどの悲鳴が聞こえる中フォーマルハウトの銃声が二度鳴った。
 大槍を担ぎ直したギルはさっくりと切り分けられた霧の先、フォーマルハウトの弾丸が当たった二人の学生に向けて人差し指を向けるとこういった。
「次ぎにお前はこう言ういう、「一般人を巻きこまないってキッパリいったばかりじゃねぇか」と」
「一般人を巻きこまないってキッパリいったばかりじゃねぇかッッッ!……ハッ」
 ギルとフォーマルハウトは口端を歪めて笑い、声を揃えてこう言った。
『スマン。ありゃウソだった』
 ギルの大槍が振り回され、霧も人影もギャングも纏めて霧散していく。フォーマルハウトは一際輝く『黄金色のテントウ虫』だけ狙い撃ち、自分の傍にいるギャングは殴りつける。
 強い者やリーダー格がやられれば下っ端のゴロツキなど烏合の衆だ。
「さて、こうなると店に行くしかないわけだが……方向はわかるんだな?」
「俺様が知ってると思うか? 単純だ全員おねんねさせてハザードを突き抜ける」
「単純でわかりやすい事だ」
 霧が晴れるまでの間、不思議な悲鳴が轟き続けた。

 



 ストールに浮かぶ情報を眺め翼姫は小さく溜息をついた。ハザードやギャングの原因となった作品は原作者が日本人というのもあり、某情報掲示板のスレッドも個人HPも大量にある。今は翼姫もHPを運営している身だし、情報検索なら慣れた者だが、今はその情報が有りすぎて困っている。どのソースも原作を知っている人なら当たり前の事で固められ、翼姫は大元の内容を調べては関係無い、という事が続いていた。別行動しているWDの仲間、リシャールならもう少しわかっただろうか、と思うが聞くのもなんとなく嫌なのだ。
 薄暗い路地裏から一歩日当たりの良い場所に出た瞬間、プツンッと画面が消えストールがただの布に戻った。翼姫はバッと身を翻し辺りを見渡すが人影もなく、攻撃を仕掛けられたわけではないようだった。慎重に何が変わったのか、と確認すると、翼姫はハザードの外に出ていたのだ。
「……ハザードの中でしか使えない……か」
 少し戻ればハザードの中に入り、またスフォルトゥナートは使えるだろう。だが、使えない情報を手に入れるより先に行くべき場所がある。
――エステ・シンデレラ――
 噂に聞いたことのある、腕が良いとそれなりに名の知れたエステ店。一度行ってみるかと思っていた場所だけに翼姫は嬉しくもあり、複雑でもあった。
「関係ないといいんだけど、状況もアレなら名前が名前だしね」
 原作にも同じ名前の店が存在していた。ただの偶然か、原作を知っていて単に店主が気に入ったから使ったのか、それとも本当にギャングと関わりがあるのか。なんにせよ翼姫は向かわなくてはならない。
「ま、ちょっとだけ安心よね」
 店主が翼姫と同じように『能力』に目覚めていたとしても、ハザードの外だから関係ない。翼姫は真っ直ぐにエステ・シンデレラへと入っていった。



 隙間にドライバーを差し込むとピシガシグッグッ!グッパオン!と音が鳴る。ガチリ、とバラバラに分解し、音が止むとそれきりミサギの動きも止まった。排水溝の傍に座っているミサギは自分の周りにバラバラになった『黄金色のテントウ虫』を放り投げたまま、じっと空を見つめている。
 端から見ればどこをみてるのかと不安になるその眼は、排水溝の先、エステ店の地下室を見ていた。『黄金色のテントウ虫』をバラバラにしている間見ていた地下室は特に変わった物もなく、ギャングと関わりがありそうな物――ドラッグや銃火器等の危険な物――も見あたらない。タイヤの跡が消える壁はうっすらと線があるだけだが、隠さなくてはならない物がその先にあるのは明白だ。壁の向こうに侵入しようにも何故か線が通れない。外側は地下室が下水道より上にあるため堅い土やコンクリートに固められ、こちらも先に進んでいる感じがまったくしなかった。ゲル状になっているのにどこにも辿り着かない。
 ギルと別れてからかなりの時間がたっている筈だが、彼が戻ってくる気配はまったくない。それどころか人が近付いてくる気配もない。そう、気配は全くない。だからミサギは直接、もう一度エステ・シンデレラに行って店主に地下室を見せて貰おうと思っていた。
 それなのに、何故、彼の片目に映る地下室の壁が、タイヤの跡が消える壁が、動いているのか。壁の線が次第にはっきりとしてくる。壁が動いているというのに、砂埃が立つことも壁にひびが入る事もなく、よく見なければ気が付かなかった程細かった線がしだいにはっきりと、線が面になっていく。
 まるで壁の一カ所を黒いペンキで四角く塗りつぶしたようだ。壁の向こうは全く見えない。そんな暗闇の中から宙に浮いた人の足が出てくる。最初は爪先が、徐々に靴全体と足首がみえ、土踏まずのあたりに足を支えている板が見えると、タイヤが闇から顔をだした。
 地下室の床に残る跡と全く同じタイヤが、同じ場所に、跡をなぞるように出てくる所まで見たミサギは糸を店内へと移動させた。店主が関係者かどうか確認してから店に向かおうと思ったのだが、店内を見た瞬間ミサギは伸ばした糸を自ら断ち切りエステ店へと走り出した。
 店内では椅子に座った女性を背後から押さえつけている店主が見えた。その女性、翼姫の肉体から半透明の彼女自身が取り出されようとしていた。
 


「予約してないのに悪いわね」
 書き終わったカルテを店主に手渡す翼姫がそう言うと、店主は微笑んだ。
「とんでもない。丁度時間が空いてましたし、噂を聞いてご来店してくださるお客様はとても嬉しいですわ。さぁ、どうぞ、こちらの椅子にお座り下さい」 
 店主に促され翼姫は椅子に座る。ゆったりとした椅子は小柄な翼姫が座ると少々大きすぎるのだが、背もたれが倒されると丁度よかった。肘置きに腕を置かず、身体の横に落としても狭さを感じさせない椅子は充分にリラックスしてエステを受けられる。
 ハザードから少し離れた場所に位置する店『エステ・シンデレラ』に客として入った翼姫は、店に入って直ぐ違和感を感じた。不審に思われないよう店主と会話をし、店主がカルテを取りに店の奥へと行った間、膝に置いたストールを横目で見た翼姫は生唾を飲み込んだ。ハザードの中でしか使えなかった『スフォルトゥナート』が起動していたのだ。
 使える、と解ってからの翼姫の行動は早かった。平静を装いカルテを記入し一般客として椅子に座る。店主がカルテに目をやり、必要な道具を取りに店の置くへと行った瞬間ストールの糸を細く伸ばし、ノートパソコンと接続する。店主が戻ってくるのも直ぐだ。データを選ぶ暇はない。翼姫は一瞬でHDD内のデータを全てコピーすると糸を戻し、店主に気が付かれないようストールを膝上に畳み直した。
 何事もなかったように他愛もない言葉を交わし店主が背もたれを倒す。翼姫は店主を見上げるような形になり、店主の両手が翼姫の頬に添えられた。その時だ。翼姫の視界に小さな円形のものがするりと落ちてきた。洋服の襟元に入れてあったのだろう。精巧な彫り物の間に小さな宝石が埋め込まれたアンティーク調のペンダント。
「あら、ごめんなさい」
 洋服の中にペンダントを仕舞おうとする店主の手首を、翼姫が掴んで止める。
「綺麗ね、そのペンダント……恋人に貰ったの?」
 翼姫はそのペンダントに見覚えがあった。ついさっき、画像として見たばかりだったのに逆さまに見える為気が付くのが遅れたのだ。『水の都を支配する私の愛人に相応しい品物だ』とギャングのボス自身が選び、送ったペンダント。
 ――アクアネックレス――
「えぇ……大事な…………大事な人に貰ったわ」 
「スフォルトゥナートッッッッッッッッッッ!!!!!!!」
 翼姫の叫び声と同時に膝に置かれていたストールから無数の糸が伸び、店主の身体に巻き付く。腕や脚にぐるぐると巻き付き店主の動きを封じたのだが店主は微笑んだまま、翼姫を見下ろしていた。
「最悪、という顔をしてますわね、大丈夫ですよお客様。すぐに終わりますから」
 『アクアネックレス』を付け、それを受け取ったという店主はギャングのボスの愛人。関係あるかもと予想はしていたが、こんな重要人物だとは思ってなかった翼姫は心の中で愚痴る。じわり、じわりとお互いの顔が近付いている気がするが二人の立ち位置も何も変わっていない。店主が糸に巻き付かれただけだ。はらりと落ちた店主の前髪が翼姫の顔を通り抜ける。
「こ……れは……」
 店主の髪の毛を、額を通り抜け天上が近付いてくる。スフォルトゥナートは今も起動している。店主を捕らえているというのに自分の身体が動かない。腕一つ、指一本動かない翼姫がギギギ、と横目で後を見ると自分自身がそこに見えた。
 半透明の自分が、自分から抜け出してくる。
――こうやってギャングをつくっていた……魂を取り出してッッッッ!!――
 そう理解するとぞわりとした物が身体を駆けめぐり店主を捕らえていた糸がゆっくりとストールに戻っていく。
「お客様のように意思が強い方だと時間が掛かってしまうんですが、痛みはありませんでしょう? 両手で触れるだけなのですから」
 自分が使えるのであれば、彼女にもそういった『能力』があると思って動かなければならなかったのだ。なんとかして店からでなければと翼姫が視線を扉に向けると、その扉が大きな音を立てて壊れる。カシャカシャと店の外でガラスの割れる音が続く中、一人の男がマシンガンを店内に向けて撃ち放った。壁や窓ガラス、棚に設置されている化粧品が次々と壊されていく。様々な化粧品と硝煙の香りが店内に広がる中、悲鳴をあげる店主がしゃがみ込むと男は翼姫の身体を抱え上げる。
「間に合ッて良かっタ、逃げルぞ」
 翼姫を抱えても男の銃撃は止まらない。店の前、道路に出ても既に存在しない扉の周りにまで弾丸を残してから男は駆けだした。同じ「仕置き人」であろう男に抱えられたまま急速に翼姫の身体に魂が戻っていく。グググと押し込められるような感覚に翼姫が気持ち悪さを感じていると、男が立ち止まった。男に問いかけるより早く彼女のストールが動き出す。店の外にでた事でただの布に戻ったはずのストールが動くのは、ハザードの中だけのはずだ。まだエステ店が見える中、次々と普通の家が消え小汚い煉瓦通りができていく。
「コのハザーど 広がっテる そレも物凄いスぴードで」
「っんもう! 向こうのチームもだけど……残りの二人はどこで何やってんのよッ!!」
「もウ一度店に戻っテ、女ノ人を……」 
 言葉の途中でミサギは急に動きだした。どこからか飛んでくる弾を避け、抱えている翼姫が落ちないようしっかりと支る。攻撃が止むのを確認し翼姫を降ろすと二人の前にはベルトのバックルに『黄金色のテントウ虫』を付けた男が立っていた。男は武器を所持していない。だが、ミサギが避けた場所には弾丸のような物がいくつも穴を開けている。男を見据えたまま、翼姫はミサギに声を掛けた。 
「ギャングが行方不明者なのは、知ってる?」
「あァ、『黄金色のテントウ虫』の中ニ臭いがツイた綿があっタ」
「さっきの私はエステ店で『魂を抜かれた状態』だった。このままハザードが大きくなって店がハザード内にはいったらギャングは増え放題になる。それは、避けなくちゃいけない」
 翼姫がそこまで言うと、ミサギはまた彼女を抱えてその場から移動した。男は『特殊な能力』を持っているのだろう。ミサギが避けた穴から芽が伸び、あっという間に木や花に成長すると自動的にミサギ達に向かって攻撃してきた。
「コれ、渡しテオく」
 攻撃を避け、ハザードの外に降ろした翼姫に必要そうな物を押しつけると、ミサギはじっと男を見据えた。ミサギが差し出した物を翼姫が受け取り走っていく音がする中、枝が動き花弁が刃のようになって飛んでくる。実は種を飛ばし、空中で弾け数を増やす。小汚い筈の路地裏に色鮮やかな植物が増えるのを見て、ミサギは手に力が入っていた。
 ミサギの脳裏には銀幕市で出会ってから一緒に住んでいる男の顔が浮かんでいた。ルームシェアをする事になった時、共有する場所のインテリアをどうするかでジェンガ勝負までした同居人。お互いに譲れないと言い張り、勝負するジェンガのピースもプラスチックと木製の半分で始めた。
 その同居人が愛し、大切にしている植物を、目の前の男は武器として使っている。その事にミサギは説明しがたい感情が腹の奥底から沸き上がっていた。
 翼姫の走る音が聞こえなくなると、ミサギは男に向かって真っ直ぐに走り出していた。種が爆ぜミサギの身体に突き刺さる。刃の花弁や葉がミサギの片腕を切り落とす。傷つけられる身体で、痛みに呻くことも顔を顰める事もせずミサギは男を蹴りつけた。
 男は驚きと痛みの入り交じったの悲鳴をあげて転ぶが、ミサギはそのまま男の下腹部、ベルトのバックルに手を乗せ地面に押さえつけた。
 手加減はした。男がつけていた『黄金色のテントウ虫』は既にミサギの身体の中だ。その男も呻いているが意識ははっきりしていないのだろう。ミサギの片手に押さえつけられてままぴくぴくと身体を痙攣させて地面に寝転がっている。
「テメーは俺を怒らせた、ンだ」
 男から手を離しミサギは立ち上がる。今何を言ったのか、と自問自答するように口元に手をあてた。小さく息を吐き、開いた掌に残る種を見て
「オレ、怒っていタんダ」
 他人事のように呟いた。
 種を身体に戻し、切り落とされた腕を拾うとミサギは腕を身体に付け直す。傷一つ無いミサギの身体を明るい太陽が照らし、空を見上げるとハザードが薄く消えていくところだった。
 遠くから、ギルとフォーマルハウトが歩いてきた。
 




 エステ・シンデレラの扉はもう無い。その為外からでも店内が良く見渡せる。ドアのすぐ傍に立っている店主を見つけた翼姫は、彼女に向けて糸を伸ばした。
「WAAAAAAAANNABEEEEEEEEE」
 まだハザードは店に届いていない。店内に入らなければ店主に魂を取られる心配もない。翼姫は外から店主を捕らえられるよう、ストールの内側にミサギから受け取った脱脂綿を編み込んでいた。翼姫はミサギから受け取った脱脂綿で『能力』の使用条件に気が付いた。『能力』は香りを纏っていないと発動できない。逆に、香りがあれば何処でも使える。
 走りながら脱脂綿をストールに付け口元を覆うと『スフォルトゥナート』が起動した。両手に触れられなければ大丈夫なはずだが何があるかわからない。翼姫は糸で店主をぐるぐる巻きにし外にひっぱり出すとその身体を抱きしめる。
 実にあっさりと。拍子抜けするほど簡単に捕まえた翼姫の耳にパチパチと拍手が聞こえた。じわりと汗を掻く彼女の視線は開け放たれた店内へと向けられている。捕らえた店主は気絶していたのだ。 
「ammirevole素晴らしい。数少ない情報を集め、理解し、恐怖に屈せず魂を抜き取られそうだったばかりだとというのに単身乗り込んでくるとは、さすがはWhite Dragonのsignorina」
 ずんと空気が重くなった気がした。店主を捕らえようとした時は誰もいなかったのだ。ドアは壊れ、店主だけがそこにいた。だから狙いやすかったのもある。
 見えない威圧感に圧迫され、翼姫は抱きかかえる店主の首元にそっと手をやると、生きている鼓動を確認してペンダントを引きちぎった。
「安心したまえ、私は……お前に近づかない……」
 ざり、と音を鳴らして翼姫が一歩近付く。慎重に、目の前の相手から眼を離さずゆっくりと動き店主を横たわらせる。
「ところで、signorina。相性、というものをご存じかな。単純なものだ。例えば 魚座のO型と牡羊座のA型はとてもdimolto相性が悪い。魂と肉体にもだ。だからこそこの「エステ店」という場所はとても良かった。客が生年月日も血液型も、肉体の健康状態も書いてくれる。だが相性が良い肉体というものはそうそう見つからないものだな」
 相手は本当に近付かなかった。動いているのは口だけだ。店主から離れ、翼姫が店先に少しずつ移動しても、何も仕掛けてこない。
――それよりも、気になるのは、何故、どうして自分はペンダントを持った?――
「相性が悪い肉体は「臭い」という物に頼らねば魂が定着せず、異能も肉体本人が目覚めた物しか使えなかった。だが、相性が良い魂と肉体というのは「臭い」が必要ではないのだよ。さてsignorina、君と、彼女は、とても相性がいい」
 距離をとる翼姫の足が何かを踏む。横目で確認したそれは、たった今捕まえた店主の顔が写った免許書。
――店主も、ただの銀幕市民――
「buona notte ツバキナガオカ」
 翼姫の意識が遠く、遠くに落ちていく。彼女が最後に聞いた言葉は『buongiorno』だった。





 ハザードが消えた。タイミングからいってエステ店に一人向かった翼姫か、別行動を取った「仕置き人」が消したのだろう。ギルとミサギ、フォーマルハウトの三人が確認のためエステ店に向かうと店先に翼姫が立っていた。三人に気が付いたのか、振り返る翼姫が右腕をすっと伸ばす。肩に掛けられたストールは顔半分を覆い表情は伺えない。
 無事だ、という合図だと思った。伸ばされた右腕にストールが絡み付き、三人に向かって火花を散らしながら猛スピードで迫ってこなければ。奇襲ではあったが戦い慣れている三人は掠ることもなく糸を避ける。
「サッサトあの世ニ逝きヤガレエエエエエエエエ!!!」
 翼姫が物騒なことを叫ぶと無数の糸が鋭角に、不規則に曲がりながら襲いかかってきた。空間を縫うように襲いかかるそれを、三人は避け続ける。ギルは大槍で、ミサギは日本刀で糸を断ち切り空間を広げると、フォーマルハウトは翼姫の様子を伺った。前に進み過ぎると編み込まれて太くなった糸が壁をつくる為、三人は少しずつエステ店から遠くなっていた。
「おいおい、ハザードの中でしか使えないんじゃなかったのかよ?」
「臭いがあレば使えるみたイダったけド、どウしてオレ達を攻撃するンだ?」
「本人に聞くといい」
「ボウズそれは……」  
 止めろ、とギルが制止する前にフォーマルハウトの銃口は煙をあげていた。ぴたりと止まった無数の糸は数秒空中に浮かび火花が小さくなる。火花が消えた糸から次々と地面に落ちていった。
 全ての糸が不格好な絨毯のように地面に広がった先には、右腕を伸ばしたままの翼姫が先程と同じように店先に立っている。ぱた、ぱたぱたと雫が落ちる音。右太腿と左肩に空いた真っ赤な穴から滴る血液が翼姫の身体に線を描いて地面に落ちている。あーあ、とギルは溜息混じりに呟く。ミサギは無言で翼姫を見据え日本刀を体内へと戻した。
「…………ど…………して」
 切れ切れに翼姫が呟くと、フォーマルハウトは苦笑して言う。
「俺を信じるな、お姫様」
 小さな血溜まりに翼姫が倒れた。
    

 呻き声をあげた翼姫がゆっくりと目を開ける。空が見えた。ぼんやりとした意識をはっきりさせたのは、重く鋭い痛みだった。彼女の右太腿と左肩はフォーマルハウトに撃ち抜かれている。痛みを、撃たれたという傷を認識した翼姫の額に玉のような汗が流れた。
「気が付いたかじょうちゃん。血止めはしといたが病院に行った方がいいぜ」
「ハザードも消えテイる。あリガとう後は……」
「消えてる……ですって?」
 止血をしてくれたギルとミサギが気遣う中、翼姫はストールを触り「能力」を使おうとする。傷が痛むのだろう。指先だけ痙攣してるかのように動かしストールに触れようとする翼姫の口元にミサギは脱脂綿の付いたストールを近づけた。
「仕事熱心なじょうちゃんだぜ」
「全くだ。あぁ、礼は必要ないぞ? 姫」
「だ……れがッ! 礼も言わないけ……ど謝罪も言われたく……ないわッッ!」
 ひゅるっとストールの糸が一本フォーマルハウトの顔に向かって行くが、彼はあっさりと避けてしまう。当てるつもりも無かったが、当たらないのも腹が立つ。翼姫がイライラしているのはストール全体に小さな火花が出始めた事で誰にでもわかる。
 自分たちを襲ってきた時よりも遅く動く糸に香りが足りないのかと思ったミサギは、ありったけの脱脂綿を彼女の顔近くに置いた。気持ち早くなった気はするが、糸の動きは鈍い。糸は翼姫の携帯を取りだし、勝手に電話帳から相手を特定し発信を開始する。とぅるるるるんとぅるるるるるんと鳴る呼び出し音は三人の耳にも聞こえてきた。
「じょうちゃんが知ってる事を聞いてから店の地下室にあった通路に入ろうと思ってたんだが……『ハザードは消えてない』のか?」
「えぇ、そう……よ。「ありがとう」と言っ……た……あんたたちは消してない。私も……何もしてない。なら向こう……のチームが消してくれた事になる」
「が、姫はそう「思っていない」んだな。やれやれだ。さっさと地下室の道に行った方が良いんじゃ……止めろって事だな。わかったよ姫。わかったからこの糸を外してくれ」
 フォーマルハウトの手首にはストールの糸が絡み付いていた。彼なら糸に捕らわれる事もなく、行こうと思えば一人でさっさと行けるのだが、
「姫と糸で繋がるなら赤い糸がいいんだがな」
 こうやって翼姫をからかいたかっただけらしい。フォーマルハウトの言葉に無言のまま、手首の糸がきつく締め付けられた。この中で翼姫は一番情報を持っており、一人だけ『車椅子に乗る人物』に直接出会っている。行くな、と止めるからには何か理由があるはずだ。
 呼び出し音が翼姫のストールから聞こえると、カチと繋がった音がした。
「ハザードが……消えたんだけど……そっち、何かした?」
『ハザードが……消えた……?』
 電話の向こう呟くリシャールの不思議そうな声が、ストールから漏れてくる。ギル達にも会話が聞こえるようにしてくれたのだろう。一度の会話で全員が理解できる方が効率がいい。三人は口を挟まず、茶化すこともせず会話に耳を澄ます。
『今……地下にいる。だから確認しようが……ないんだけど。……こっちはカジノのオーナー? ……なんかそんな感じのオッサンを負かした』
 リシャールの声とは別の籠もった声が聞こえると数人の動く音がする。他のメンバーが何かを言ったらしいが、さすがに聞き取れない。
「エステの顧客情報とか、色々、データ送りたいんだけど……受け取れる?」

『情報を送るって言っても……ケータイに? 俺、いま、パソコンとか……持ってないし』
 聞いたことのない女性の声で『受信できる』とだけ聞き取れた翼姫は自分の携帯からリシャールの携帯へとの糸を伸ばしてみる。
『この、糸みてぇなのは……? これも”異能”の力ってやつか……。俺らのとは”一味”違うんだな』
 反応からして上手くいったらしい。糸が、普通の携帯やPCとは違う物と繋がりデータが次々と送られていく。同時に繋げた機械から音声のやりとりをできるように試みたところ、相手の機械の性能がよかたのか、電波に影響も受けずはっきりとお互いの声が聞こえるようになった。
「……大丈夫、そうね。どう? 声がはっきり……きこえる?」
『ところで、ツバキ。……様子おかしくないか?』
「……気にしないで、ちょっと、撃たれただけよ」
『撃たれた!? 誰に!?』
「ちょっとよ……ほんのちょっと。それ以上……聞かないで、自業自得なんだから。あぁ、気分悪い……話し戻すわよ」
 怪我を気遣ってくれるのは、実は嫌いじゃない。だが、今回の怪我を翼姫はケアレスミスが続いたせいだと思っている。礼も謝罪もいらないとフォーマルハウトに言ったのもそのせいだ。
「結論から言うわ。『ハザードはまだ消えてない』何もしていないのに……消えたわ。ハザードの中でしか……動けないギャング……達の事を考えると、多分ハザードの大元はギャングのボス……だと思うの」
『ハザードは”消えていない”。……ああ、そうだと思うぜ。地下にはまだカジノがある。カジノもハザードの一環だろ。それが消えてねぇってことは……消えたのは”表向き”だけってことだ』
「……多分、ハザードもボスの能力の一部で、ギャングが多ければ多いほどハザードが広がるのよ。今は手下が減った事とボスの意思でハザードの範囲が狭まっている。わたしたちが、攻めてきたから体勢を整えているんだと思うわ」
『ギャングが増えればハザードも広がる。……ハザードってのは地下に広がることもできんのか?』
 ストールの向こうから聞こえた「地下」という言葉に、ギルとミサギは頷いた。止血と共に付けられたギルの薬草が痛みを和らげたのか、翼姫の言葉は次第にはっきりしてくる。
「地下? エステ店の地下室にも通路があったみたいだけど、そっちにもあるの?」
『昔、この辺で地下鉄工事があったらしい。でも工事は中断、その後はそのまま放置されてるらしいんだが』
『…………元々あった地下道を利用してハザードが”広がった”……?』
『寺島は少なくとも地下道に隠れた。ヤツがギャングの仲間になっているんだとすれば、他のギャング連中も地下道に隠れているかもしれねぇな』
『……”ボス”……ボスもいるかもしれない』
「……依頼にもあった『エステ・シンデレラ』との関係がはっきりするわね。エステの店主はボスの愛人だったわ。ただ、彼女も『肉体』は一般人だったの。そう、他のギャングと一緒で『入れ替わっていた』んだけど、彼女だけは他のギャングと違って『アクアネックレス』というペンダントを持った女性なら乗り移れるようよ。魂を『抜かれていなくても』ね。エステで魂を抜かれてギャングになるのは間違いないわ……私が体験したわ……それから、『ギャングは全て行方不明者』これは『黄金色のテントウ虫』の中から臭いで魂を定着、安定させているの。臭いがあれば『能力』はどこでも使えるみたいだけど、ハザードが消えたら解らないわ」
 電話の向こうで
『本来なら今すぐにでも地下道に乗り込んでいきたいところだが、……確かに、今は、その辺で昏倒してる連中を病院に連れてくのが先決だな』
「わたしもそう思うわ」
『……翼姫、おまえもな』
「わたし、は大丈夫だってば。先に昏倒してる一般市民が優先よ。彼等は、魂を抜かれてギャングになったのよ。じゃぁ、今、『元々入っていた魂』はどこにあるの?」
『元々入っていた魂。……そういえば初めに寺島の声がしたよね。……魂を捧げるか、とかなんとか』
『誰に捧げるってんだ?』
『当然、ボス、だよな。……じゃあ寺島とボスはどういう繋がりがあるってんだ?』
「それなんだけど……私、多分ボスにあったわ。ううん、多分じゃない。間違いなく、あの人はボスよ……ただそこに『居ただけ』なのよ。それなのにわたしは動けなかった……」
「“ボスに会った”? 翼姫、ボスは誰なんだ!? 誰を乗っ取っている!?」
『行方不明者の一人 ムービーファン斉藤美夜子よ』




 
 車椅子に座ったままギャングのボスは微睡みの中にいた。『エステ・シンデレラ』に行った後はいつもこうだ。エステ店の場所が範囲外のせいで魂の束縛がゆるむのだろう。少しでも隙を見せると肉体の持ち主は抵抗する。
 気配もなく近寄り、自身の身体に触れようとする手首を掴む。ゆっくりと眼を開け、相手を確認すると眉間に皺を寄せた男――寺島信夫が見下ろしていた。不快感を隠さないその顔に、ボスは頬を歪めて笑った。
「何故……カジノを護らなかった?」 
「俺は正しいと思ったからそうした。後悔はしてない」
 即答する寺島の手首を掴んだまま、ボスは喉を鳴らし笑う。 
「もっと頑丈な「肉体」を集めるんだ。お前のような、頑丈な「肉体」を……私がこの肉体で戦う必要が無いように……な」
 寺島の手にボスは頬を擦り寄せると、またゆっくりと眼を閉じた。その顔は、とても安心しきっている美夜子の顔そのものだ。
 ロウソクのひとつが、風もないのに大きく揺らぎ、消えた。




                                         to be continued→



クリエイターコメントこんにちは桐原です。
この度はコラボシナリオにご参加くださり有難う御座いました。また、大変お待たせして申し訳ありませんでした。

今回、少々口調が厳しいものであったり、こう言わないよね?という台詞はハザードの影響によるものです。本当に、元ネタをご存知でなければどうなんだろうというノベルではありますが、少しでも楽しんで読んでいただければ嬉しいです。

無事、というわけにはいきませんがエステ店との関わりははっきりとしました。行方不明者は殆ど救出され、ハザードも消滅しておりませんが、収束に向かっております。

続く形になってしまいましたが、宜しければ後編でおあいできると嬉しいです。
それでは、ご参加下さった四名様、お読み下さった皆様、ありがとうございました(礼)
公開日時2009-02-01(日) 09:00
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