★ 【傍らに立つ仕置き人】苦難の道 第二部 ★
<オープニング>

 遠くで自分の声が聞こえた。どうしたのか、何をしていたのだったか、思い出そうとして、できなくなった。反射的に動きそうになった体は、感覚があるのに動かない。眼を瞑っているはずなのに、人が見える。白いオーガンジーの布越しに見るような、うっすらと幕がかかった向こうにいる人は、忘れることのできない人。二度と会うことも、話すこともないと思っていたのに、その男は『私』と会話している。

 どうしてこの人がいるのだろう
 どうしてこの人と話しているのだろう
 会いたい人には逢えないのに

 ――ひとつ……俺と友達になってくれると嬉しいのだが――

 誰が?
 誰と?

 ――……分かった――

 私がこの男と友人になるという事
 斉藤美夜子と大東凌が親しくするという事 

  イヤ  

 遠くで自分の呻き声が聞こえた。
  

 ☆ ☆ ☆


 気がつくと、そこは嗅いだことのあるようなないような、けれどけして不快ではない香で満たされた部屋の中だった。香の元は部屋のあちらこちらに置かれてあるアロマキャンドルだと、比較的すぐに気がついた。
 薄暗い部屋の中、女はぼんやりとする頭を抱え、しばらくの間呆けていたが、耳を澄ませるとどこか遠くない辺りから婚約者の声が聴こえてきたような気がして、ふらふらと立ち上がり、部屋の出口らしきドアに手をかける。ドアは開いていて、近くに数人の男が倒れているのが見えた。
 倒れている男たちに声をかけてみようかと思ったとき、婚約者の声が、今度は何者かと会話していると思しき様子で届いた。
 ――彼女には手を出さないでくれ
 婚約者の声がそう告げている。
 声が聴こえた部屋を覗き込んでみようかとも思ったが、その時、女は、後ろ首に軽い衝撃が加えられたのを知った。
 途切れていく意識の中、スーツ姿の男の姿が見えた。
 

 つい最近までハザードによりギャング街と化していた街並みも、今ではもうすっかり元通りになっている。スーパーがあり、コンビニがあり、ATMを備えた銀行があり、喫茶店や美容室がある、どこででも見受けられる、至ってありきたりな風景だ。
 その街並みの中、女がひとり、ふらふらと頼りなさげな足取りで歩道を彷徨っていた。どこから現れたのかもしれない女は、数歩を歩み進めたところでバランスを崩し、アスファルトの上に転げる。
 大半の人間は女を避けるようにして去っていくが、中には親切にも声をかける者もいる。「大丈夫ですか?」と声をかけてきたその人影に、女はすがるような目で口を開けた。
「私を……私をあの場所まで連れていってください……! 廃車置き場まで……!」

 
 
 女が人手を借りて廃車置き場に着いた頃には、もう辺りは暗くなりかけていた。
 連れてきてくれた人間も、女がふらふらと廃車置き場の中に消えていくのを見て不気味に思ったのか、いつの間にかいなくなっていた。もっとも女は視界もボヤけていて、助けてくれたその人間のこともあまり記憶できてはいなかったが。
 ともかく、迷路のようにも思える空間を辛うじて進み、ようやく辿り着いた廃屋の中に倒れこむようにして入り込む。
 廃屋の中は薄暗く、そもそも視界が明瞭としない状況下にあっては、その中に人がいるのかどうかの判別すらも危うい。しかし女は口を開けた。
「お願いです。彼を……彼を助けてください!」


 銀幕市は様々な”災害”に見舞われて混乱している。須田流未(すだ・るみ)はボランティアとして、住む場所を失くした者たちや不運に見舞われた者たちの手助けをするため、銀幕市を訪れていた。
 婚約者である大東凌の出身がたまたま銀幕市だったということもあって、しばらく滞在していた外国から最近になって帰国を済ませたばかりだった。
「彼がどんな仕事をしていたのか、私は知りません。でも、彼の命が脅かされていることは分かります。……違う。もしかしたら彼はもう”殺されて”しまったのかもしれない……」
 言って、流未は泣き崩れた。
「彼を……彼を助けて」
 

 ☆ ☆ ☆

 
  
 組織に裏切り者がいるという事実はもはや疑いようも無かった。ギャング街は消え、資金源のカジノも愛人の『肉体』も失い、手駒も少なくなった。その手際の良さは何物かが手引きせねば不可能だ。時が経つにつれ、ボスは焦りだした。ボス自身も含め、ギャング達の魂が不安定になってきたのだ。近い内に必ず裏切り者と「仕置き人」と呼ばれる者達が来る。一刻も早く頑丈な肉体に移り自身の魂も組織の地位も全て安定させねばならなかった――――――
 『ボス』の肉体の持ち主が拒否反応を示しだしたのは少し前、大東凌(おおひがし・りょう)が部屋から去ってからだ。いままで拒絶らしい反応はまったくと言って良いほどなかった肉体、斉藤美夜子の意思が『ボス』を身体から追い出そうとしている。その拒絶反応は凄まじく『ボス』の部屋に灯されたアロマキャンドルでは効果が足りなくなっていた。
「クソッ! ……早急に移動せねばならない」
 そんな中、幹部の一人が慌ただしく飛び込んできた。
「……須田流未が居ない……だと?」
 須田流未(すだ・るみ)は大東の婚約者であり、愛人の肉体として最高の相性を持っていた。先日の件で愛人がネックレスへと戻ってしまった為、ボスは予備として用意していた愛人の肉体候補の須田を『保護』していた。
 大東は小悪党だ。銀幕市出身の彼は昔、友人と事件を起こした。その事件は一人の女性の人生を大きく狂わせた物だったが、ニュースにはならなかった。彼等が揉み消したのだ。その事件から逃げるように海外へと出国した後も、大東は悪に手を染め続けた。慈善事業をする須田と出会い、婚約者となった今でも、彼はその行為を止めていない。
 婚約者の希望もあり、銀幕市へと戻った大東は組織に迎え入れられ、慈善事業を手伝う傍ら麻薬の売買を行い続けた。足も洗えず、婚約者とも別れられない大東は美夜子よりボスとの相性が悪かった。
 
 ――魂の相性が悪いのであれば、自ら受け入れるさせる事で反発を無くせばいい――

 彼自身にボスに肉体を明け渡すと言わせなければならなかった。彼の弱みを探り、身辺を洗ったところで婚約者の須田を見つけた。
 大東は自分の事情に婚約者が巻きこまれているのだと信じて、自身の肉体を捧げると誓ってしまった。
 ボスは大東との約束を守る気など毛頭ない。むしろ、婚約者と共に永遠に添い遂げられる事を感謝されるべきだと思っている。
 須田の見張りについていた部下達の状況を聞いたボスがテーブルを叩くと、部屋中の物という物が飛び散った。ワインボトルやグラス、アロマキャンドルがまるで蜘蛛の巣に引っかかった昆虫のように空中に浮いている。
「やはり……裏切ったな」 
 須田は手厚く『保護』してあった。その須田が居ないというのは「裏切り者」が動き出したという事実。既にアクアネックレスを持たせている須田は、直ぐに愛人となって帰ってくるだろう。だが、もしどこかで大東と接触すると非常に不味い事になる。二人揃って逃げられてしまえば、ボスは肉体と愛人を、そして組織をも失うことになる。
 部下がおそるおそる報告を続ける中で大東の名が言われると、ボスの脳内に声が聞こえた。

 ―― イヤ ――

 肉体の内部から引き裂かれそうな痛みが襲ってくる。

 ―― モウ アイタクナイ ――

 内臓という内臓が引き裂かれ、筋肉も血管もぶつ切りにされたような激しい痛みにボスは身体を屈する。
「そいつの名前は呼ぶなッッッ! ……放っておいて良い。女を捜せ。早急に『保護』しろ。それと……空いている「肉体」を全て工場に運んでおけ。手駒も増やさねばならん。俺も暫く工場にいる」
 ボスの異変に同様した部下は戸惑いがちに返事をすると、急ぎ部屋を出る。
 今の肉体と新しい肉体にどのような関係があろうと、ボス自身には関係ない。だが、滞り無く肉体から肉体に移動しなければ危険だ。
「ぐっっ、工場に……一番効き目のある……工場の奥地にいればこの痛みも無くなる。そう……そうすれば、俺は、完全になる。その後だ……その後に、あの「裏切り者」を始末せねば……」
 呟きと車椅子は闇へと消えていった。

種別名シナリオ 管理番号994
クリエイター桐原 千尋(wcnu9722)
クリエイターコメント こんにちは、桐原です。
 高遠WRとのコラボシナリオ後編をお届けさせていただきます。
 少々変わった内容のシナリオとなりますので、まずは以下の注意事項をお読みいただきたく思います。

 注意事項

■このシナリオは高遠WRがシリーズ化している「仕置き人」シナリオの番外編のようなものです。既に事件が起きており、皆様には「仕置き人」として参加していただきますので、仕事(殺し)をする事に躊躇いがある方はお気をつけ下さい。
■シナリオは同時系列ですので、同一PC様による複数参加はご遠慮ください。
■ムービーファンとエキストラの皆様は「特異能力」が使えるようになる可能性がございます。ですが、同時に「ギャング」にもなってしまう可能性もあります。
■「特異能力」はスターの方にはつきません。
■某少年漫画のような効果音が出たり、台詞がぽろっと口から出てしまうことがあります。
■前回の続きという形ではありますが、どなたでもご参加頂けます。


 こちらのシナリオは「工場破壊」がメインとなります。工場内にはギャングが見回りも含め複数、最奥にはボスが居ます。戦闘をするか、接触を避けて工場のみ破壊するかは、皆様次第です。
 なお、前回余裕綽々だったボスはものすごい劣勢に追い込まれ何をするか解りません
 

 皆様のご参加、お待ちしております。

参加者
フォーマルハウト(cfcb1792) ムービースター 男 35歳 <弾丸>
臥龍岡 翼姫(cyrz3644) エキストラ 女 21歳 White Dragon隊員
ギル・バッカス(cwfa8533) ムービースター 男 45歳 傭兵
ジェイク・ダーナー(cspe7721) ムービースター 男 18歳 殺人鬼
<ノベル>

 暗い、暗い廃車置き場に彼女――須田流未の願いが響き、闇に吸い込まれていく。彼女以外だれ一人として居ないと思われた其処には影の中に八つの闇が存在していた。
 啜り泣き「彼を助けて」と繰り返す須田は必死に逃げだしここまで来たのだろう。心身共に疲れ、衰弱しきっている様子が見て取れたが彼女は自らの安全より未だ捕らわれたままの婚約者、大東凌の救出を願う。
 向かうべき場所は前回の『仕置き』で消滅させたと思われたギャング街のハザード跡地。銀幕市内に突如として現れ人を攫い『肉体』を奪い善良な銀幕市民をギャングへと変貌させたハザードは、ボスこそ取り逃がしたものの捕らわれていた人達を救出し、消滅させたと思われたていた。だが今も銀幕市の下、地中に存在しており、須田はそこから逃げてきたという。
 そのハザードに関わったのであろう闇達が、僅かに蠢いたようにみえる。『仕置き人』は依頼がない限り動けない。須田の依頼は大東を助ける事だ。ならば、彼を狙うボスを『仕置き』し、彼の危険を少しでも減らす為『肉体』を奪う事に必要なアロマキャンドルの精製工場も破壊するべきだ。雪辱を晴らすべく、二度と人が捕らわれる事がないように。
 声も合図もなく、闇達は二手に別れギャングハザード跡地へと向かう。黄色に黒字で立入禁止と書かれたテープが張り巡らされたエステ・シンデレラの地下、壁と一体化した隠し扉を開け、四つの闇は灯り一つ無い石通路を進んだ。
 先頭を歩くのは大柄な体躯とその身体を超える槍を持つ男。重い足音としゃらしゃら軽い金属音を鳴らすハットを被った男の間に挟まれ、小柄な身体が更に小さく見える女が不機嫌そうにヒールを鳴らし、最後尾には背中をまるめた少年が足音もたてず続いていた。一歩進むたび酷くなる悪臭は今回最優先で破壊すべき組織の工場がその先にあると教えているが、目の前には壁しかない。また隠し扉なのだろうが、先頭を歩く男は迷うことなく担いでいた大槍を振り下ろし、壁を破壊した。
 がらがらと音を立てて崩れる壁は砂煙を舞い上げ、目も眩むような光が広がると明かりが灯されたフロアが眼前に現れた。今通ってきた削られただけの石通路と違いオフィスビルのエントランスのように舗装された正方形のフロアだが、受付も待合い用のソファもない。がらんとした空間に扉だけがある。
「思ったより綺麗なんだな。で、姫はいつまでぷりぷり怒ってるんだ?」
 フロアに足を踏み入れ辺りを見渡しながらハットを目深に被った男、フォーマルハウトがそう呟くと、胸元で腕を組み俯いていた女性――臥龍岡翼姫の身体がふるふると震えだした。カンッッ!とヒールで床を踏むと翼姫は
「なんでまたアンタなの!? 信じられない!! 最悪だわ!」
 とヒステリーを起こしてフォーマルハウトにロクデナシだのバッタモンだのと罵声を浴びせだした。彼の何が気に入らないのか。キーキーとした金切り声に大槍を抱えたギル・バッカスは両耳に人差し指を突っ込んで耳を塞ぎ、二人に背を向ける。前回仕置きの依頼を共にした三人と違い、突然始まった喧嘩――というか翼姫の一方的な八つ当たりを初めてみるジェイク・ダーナーは深く被ったパーカーのフードの奥で小さく溜息を付いた。
「あぁもう! ……こんな奴相手にしても時間が勿体ないわね。ギルと、ジェイクだったわね。コレ渡しておくわ」
 未だ怒りが残るのか、翼姫はギルとジェイクに向けて渡すと言った物をぽいっと投げつけた。二人がごく自然に受け取った物は携帯電話だ。
「ソレにわたしの特異能力『スフォルトゥナート』の糸が入ってるの。この工場内ならどこでも会話できて、地図も自分の居場所もわかるようにしてあるし普通の携帯と同じように使えるわ。契約してないから今しか使えないけど……ね!!」
 フォーマルハウトに向けて携帯電話を力一杯投げつけると同時に最後の一言を強く言う。
「なるほど、その能力なら確実に連絡がとれるようになるってわけか。ついでに姫の使ってる携帯番号とアドレスも……」 
「誰がアンタなんかに教えるもんですか!!」
 フォーマルハウトが軽口を叩くと翼姫は火山が噴火したようにまた怒鳴りだした。シギャーと威嚇する猫のような翼姫と甘い言葉を囁くフォーマルハウトを、性格からいってそろそろ止めに入るはずのギルは携帯電話に四苦八苦している。初めて使う訳ではないのだが、さすがに機種が違うと訳が解らなくなるらしい。ジェイクが電源を入れてやると
「おぉ、そっちか。あんがとなボウズ、面倒だからもうこのまま触らねぇわ」
 ジェイクの背中をばしばしと叩いて感謝していた。叩かれた反動でジェイクが少しよろめくと、ギルは気のよさそうな笑顔をふっと真顔に変え何かに納得したように呟く。
「へぇ、ナリはちっせぇボウズだがさすが殺人鬼ってとこか?」
 その言葉に騒がしかった翼姫の声がぴたりと止む。フォーマルハウトもどこか落ち着きがないような態度でハットを手で押さえ深く被り直した。スッとジェイクは音もなく動き背を向け
「……おれは……違う。……もう違うんだ」
 ぼそぼそと聞き取りづらい声で言う。その背中、濃紺のパーカーにバックプリントされた絵柄はじゃんけんのパーの手と髑髏だ。血のような赤がまばらにつく指先と鮮やかなオレンジ色の掌の部分にはミイラのような薄皮がついた髑髏。鼻の部分が黒く穴が空き、前歯が一つかけた髑髏は右眼球だけがぎょろりと描かれている。ざり、とフォーマルハウトの足下で音がした。
「……まだ……話すこと……あるのか? ……無いなら……行くんだけど」
「気を悪くしたんだったら悪かったなボウズ。俺はじょうちゃんと少し話しがあるから先に行ってくれ」
「…………気にして…………ない」
 丸めた背を向けたままジェイクはそう言うと携帯を触りながら扉に向かって歩き出した。用があると言われた翼姫はギルの傍へ行き何やら二人で話しをしている。
 どうしたものか、と珍しく躊躇ったのはフォーマルハウトだ。ギルが翼姫と同様に情報を集めてから動くのは知っている。流石に仕事に関する事の話しをしている間に茶々を入れる程馬鹿ではない。かといってジェイクと行動を共にするのは、できれば避けたい所だった。
「……なぁ、あんたもまだ行かないのか」
 不意にジェイクに話しかけられ、フォーマルハウトの身体が強張る。フォーマルハウトより小さく、すっぽりとフードを被り丸めた背中で立つジェイクの顔はまったく見えない為何処を見ているのかも解らない。ぴく、と痙攣を起こしたようにはねた人差し指を見られているような気分になる。
「……やれやれだぜ……もう違うって言ってるだろ……あんたらとはちゃんと協力する」
「そう……だな。………………俺に何か用か」 
 返答はしたものの、警戒している態度を改めないフォーマルハウトにジェイクは小さく溜息をつくと
「……別々に動いた方が……早い……あんたが何処に向かうのか……聞きたいだけだ」
 物凄く面倒臭そうに言う。また数秒、フォーマルハウトらしくない間が開く。
「何処に向かうか……だと?」
「なんだ……まだ見てないのか。今貰った携帯……この辺りの地図が入ってるだろう。特に希望がないなら……おれは……左に行く」
 フォーマルハウトの返事を待たずに、ジェイクは大きな音をさせて扉を開け一人で行ってしまう。ジェイクの姿を視線で追い、居なくなった扉の向こうをじっと見つめた後、フォーマルハウトの身体はふっと力が抜ける。ちらと横目で伺ったギルと翼姫はまだ話し中だ。フォーマルハウトはゆったりと歩きだし扉を潜る。灯りはあるが薄暗い廊下を少し進むと十字路に差し掛かり、フォーマルハウトは迷わず右の道を進む。
 翼姫は良い。顔を見れば噛みつかれ、何故『バッタモン』と呼ばれるのかも未だにわからないが、話をしていて飽きないし彼女の情報収集力もあの『異能』も面白い。利用できるだけ利用し、邪魔になればまた裏切ればいい。ギルは個人的に色々と複雑だが仕事に関しては同じような物だ。
 だがジェイクだけは頂けない。
 はっきり言おう。フォーマルハウトはジェイクが――恐いのだ。
 幼い頃、唯一にして絶対の上司に見せられたホラー映画が未だにトラウマとなり、会話をする時にどうしても身体も思考回路も一瞬固まる。故に殺人鬼系スターは苦手意識があり接触を避けていた。それでも彼、ジェイク・ダーナーを前にした時は自身で思った以上に身体が言うことを聞かなかった。あまり思い出したくない記憶の中、トラウマになったホラー映画の殺人鬼とジェイクが似ているせいだろう。
 仕事はしっかりとこなすが、できればもう会いたくないと言うのも本音だ。だからフォーマルハウトはジェイクと真逆の道を選んだ。単純だが、地図がはっきりしない今は仕方がない。先程までのゆったりとした歩みと違い、右折した後のフォーマルハウトの歩みは颯爽としている。調子を取り戻したのだろう。彼の歩む道は前にも後にもどさと屍が倒れ続ける。 あのエステ店の地下通路を通っていた間、フォーマルハウトは懲りずに翼姫に忠誠と甘い言葉を捧げた。姫が望むなら今回も殺さないと言ったのだが、予想に反して翼姫は
―― 必要無いわ。ボスの……斉藤美夜子の肉体以外どうでもいいのよ。遠慮なく、一人も残さず叩きつぶしなさい ――
 と冷たく言い放った。だから、という訳ではないがフォーマルハウトはギャング達に発砲する時間も、自身を目視する機会も与えず殺していく。今回は『殺し』よりも『工場の破壊』がメインだ。銃器や抗争になれたギャングであろうとフォーマルハウトの相手ではないが、ウロチョロされるのも目障りだし、少しでも任務遂行の邪魔になりそうなモノは排除すべきだ。
 薬莢と屍が転がり、アロマキャンドルの悪臭と硝煙の臭いが混ざる通路を歩きながらフォーマルハウトは妙な違和感を感じていた。手応えが無さ過ぎる。『異能』を使う奴も見あたらない。何かが足りない。
 まだ頭が回ってないのだろうか、と考えながら進む彼の足と銃は絶えず鳴っていた。




 


 話がある、と翼姫を呼び寄せたギルは彼女が傍に来ると受け取った携帯を手の中で弄ぶ。
「前はできなかったよな? こんな事」
「成長した、と言うべきかしらね。出来ることも増えたわ」
 ふわりと彼女が纏うストールが浮かび上がる。前回見たときより大きく膨れあがるそれの表面には、ディスプレイのような画面が幾つも浮かび次々と文字がスクロールされている。翼姫が操作しなくてもプログラミングで自動的に情報を集めているようだ。
 ほう、と感嘆の声を漏らしたギルはその画面と携帯の画面を見比べた。翼姫のストール上で新しく表示された工場内部の地図は直ぐに携帯へと送られる。新しくなった地図の上ではフロアに赤い光と“T”の文字が、“F”と“J”の二文字は左右に移動している。赤い光は自分を表し、一緒に居る翼姫は“T”右に行く“F”がフォーマルハウトで左に行く“J”はジェイク。二人の携帯画面では“G”と“T”がフロアに留まっているのだろう。
「サボったら一発で解るわよ。良い能力よね。ここでしか使えないのがちょっと勿体ないわ」
「で、じょうちゃんは大丈夫なのか?」
 いつも豪快に笑うギルがふいにまじめな顔と声で翼姫にそう問いかける。翼姫は一瞬何の事かわからずにいたが、思い当たる節があるのか。あぁ、と退屈そうに短く声を漏らす。
「そんなにヤワじゃないわ。……でもこれ以上先に進むと鼻がひん曲がりそうだから今回はここでバックアップに専念する事にしたの。別に良いでしょ?」
「あぁ、それで良い。俺なりに情報は集めたが詳細な工場の地図までは手に入らなかったんでな。俺もこの出入り口以外は全部ぶっ壊して向こう側との通路をまず断ち切ってくる」
 腰の後に付けたバックに携帯を突っ込み、大槍を担ぎ直したギルは片手をあげて歩き出す。フロアを抜け最初の別れ道に立つと、ギルは壁や天井を壊し二人が進んだ左右の道を塞ぐ。コンクリートやその奥にあった土壁が土砂崩れを起こし砂埃が足下で踊る中、ギルは後のバックから携帯を取り出して画面をチェックする。自分が居る場所の地図が変更され、左右の道が塞がっているのを確認したギルはまた携帯をバックに入れると真っ直ぐに歩き出した。脱出に必要ない通路は全て塞ぎ、進むべき道にギャングがいれば討伐をする。
 地図を見ると動力源付近や途中に“向こう側”と繋がっている通路が幾つかある。ギルはついでにそこも塞ぎながら進む事にした。動力源が落とされれば工場内の人は侵入者に気が付き集まる。
「邪魔なギャングを俺様が片付けて、退路も確保しておけばボウズ共も暴れやすいだろ」
 扉を壊し、動力室に入ったギルは呆気にとられた顔をして立ちつくした。バックから携帯を取り出し翼姫に話しかける。
「あ…ありのまま、今、起こった事を話すぜ! 『動力源をぶっ壊そうと部屋に入ったら地面に亀裂が入って動力源も床も何もなかった』な…何を言ってるのかわからねーと思うが俺も何が起こってるのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだ…催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえもっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」
「移動しただけでしょ。何馬鹿な事言ってんのよ」
「いや、なんか口から言葉が勝手にでてきたんだぜ?」
「はいはい」
 翼姫に軽くあしらわれたギルは納得がいかない、という顔をしながら携帯をバックに入れる。動力源は床ごと移動させたのか、部屋一つ分の大きな穴が広がっているだけで何もない部屋は見通しが良い。暗闇の方がよく見えるギルの目でも亀裂の底は伺えず、底があるのかどうかも怪しい。亀裂の向こう側の扉は開いている。飛ぼうと思えば飛べる距離だが、コチラ側の扉を塞いでしまえば良い話だ。わざわざ移動する必要もない。向こう側の扉を見ていると、キィィィ、と音を伴って人影が現れた。
 車椅子に乗る女性――ボスだ
「残念だ。実に残念だよギル・バッカス。私の依頼を受けて貰えなかったことに私がどれだけ悲しんだかわかるかね? どうだ、今からでも私の側につかないか。君ほどの人物なら、私は惜しみなく君が望むままの報酬を出そう」
「悪いが金ならもうもらってんだ。他をあたりな」
 嘲るように薄く笑うギルがそう言うとボスは眉間に深く皺を寄せ唇を噛み締める。歯ぎしりの音こそ聞こえないものの、激怒しているのは目に見えている。ボスは非常に用心深い男の筈だ。そのボスが今、ギルの目の前に現れわざわざ勧誘しに来る事でギルは余程切羽詰まっているんだと理解した。
 事前に調べた情報でボスの能力は知っている。だがその“肉体”斉藤美夜子の『特異能力』はわからない。現に翼姫の『異能』スフォルトゥナートは原作に存在しなかった。ギルが特に仕掛ける様子が無かったからか、ボスはまた音と共に闇の中に溶けていく。
―― 増員が来るのも面倒だがまた逃げられるのはもっと面倒だ。たとえこの工場を破壊したとしてもまたボスを逃したら意味がねぇ。ココ以外でまた工場を造り体勢を立て直されたらまた被害者が増えちまう。それじゃぁ依頼を完遂した事にならねぇだろうが ――
 ギルは金さえ貰えればなんでもこなす傭兵だが、依頼内容に見合った報酬が必要になる。非道な依頼や納得がいかない内容には法外な額を要求するし依頼者が気に入らなければ断る。無条件で良い人とは言えないが、彼なりの信念がある。受けたからには完璧に終わらせる。
 元動力室の扉を塞いでいるとバックの中の携帯から聞き取りづらい声がした。




 遠くで破壊音がする。ばたばたと叫びながら走り回るギャングの中をジェイクは一人逆送していた。まるでギャング達には直ぐ目の前を歩くジェイクが見えていないようだ。一人のギャングがジェイクにぶつかると、ギャングは不思議そうな顔をしたまま立ちつくし、胸元にはアイスピックが一本深く刺さっている。ジェイクはどこからか太めの鉄パイプを取りだし真ん中から捻り切り二つに分けると、鋭利な先端をギャングの足甲に突き刺した。甲を突き抜け地面にまでめり込んだ鉄パイプを数回捻った。ぐらりと倒れてきたギャングの身体を胸元で二本の鉄パイプで支えてやれば、後ろ姿はただ立ちつくしている人のように見える。
「……悪いな……あんまり構ってやれなくて」
 届かない言葉を残し、ジェイクは歩き出す。自分一人が慎重に行動しても破壊活動に気付かれるとは思っていた。ギャングは見つけ次第、迅速に処理し火でもつけて少しでも注意を自分に向けさせようと考えていたが、どうやら皆同じ事を考えていたようだ。
 地図を見ると工場は作業工程に分けられいくつか存在している。ならば、と彼は人に存在を気付かれづらい自身の特徴を活かし真っ直ぐに工場へ行きさっさと破壊する事を選んだ。扉を開けた音で部屋に居た人には気付かれたが、彼を追い出そうとする作業員が近寄ると胸元にアイスピックを突き刺し、絶命させる。
「……殺して良い人……殺して良いんだ……ここの奴等は殺して……良いんだ」
 足下に倒れるギャングの死体を見下ろし、自分に言い聞かせるように呟くとジェイクは工場内を見渡す。部屋には同じ形をした機械が幾つも並んでいる。上部には冷却用の貯水タンクが設置され、その下でシャフトの回転音が低く唸りをあげる。壁には幾つものダクトと突き出た鉄板が大きな釜の上まで延びている。他の部屋から運ばれているのだろう、突き出た鉄板の上を液状の物が流れ、大きな釜の中でぐつぐつと煮込まれる。できあがりを運ぶのか、錆びて形が歪なスコップが立て掛けられたベルトコンベアーや山積みのコンテナもある。液状の物を加工するため部屋の温度が上がっているのだろう、通路より気持ち悪臭が濃く感じられる。
 ジェイクは大きなバケツ缶を幾つか取り出すと蓋を開け、部屋に中身をぶちまける。火気厳禁の塗料だ。きっと良く燃える。床や壁、機械にも適当に塗料をばらまき、エンジンスイッチを押し機械を停止させる。ごうんごうんと鳴っていたシャフトがゆっくりと停止したのを確認すると、ジェイクはコードレスタイプの電動ドリルを取りだし分解を始めた。
 少しして、ジェイクの思惑通りギャングが集まってくる。機械の前でしゃがみ込むジェイクの肩をギャングが掴むと、ジェイクは振り向きざまにギャングの額にドリルを突き刺した。トリガーは引かれたままだ。ぎゅりゅぎゅりゅごりごる、と色んな物を巻きこみ、削っている音がする。異様な攻撃方法に集まったギャング達は一瞬戸惑うが、纏めてジェイクに向かって来る。何人ものギャングはそれぞれ胸元や額、首からアイスピックを挿されて、数人は飛びかかるとマシェットで身体を二つに分けられた。一人だけ、『異能』を使う男だけはチェーンソーで輪切りにされた。
 ジェイクは――いや、『ダリオ』は満足したのか、一カ所に留まりすぎた事に気が付き隣の部屋へ向かおうとするが、ギャング達は虫のように沸いて出てくる。彼は血と油で動きの鈍いチェーンソーを機械に押しつける。飛び散った火花が塗料に着火し、部屋は瞬く間に炎の海となった。
「……ちょっと……燃えすぎだな…………塗料こんなに燃えるのか」
 ジェイクは持っていたチェーンソーを貯水タンクに向けて放り投げると、生きたまま燃やされる苦痛の叫び声と肉の焼ける臭いがする部屋を後にした。完全に鎮火させなくて良いから、見届ける必要も無い。
 火の臭いが消え、工場や通路の悪臭だけの通路を歩いていると、彼の鼻に“嗅ぎ慣れた”臭いがする。立ち止まり地図を確認すると一つの部屋が近くにあった。特に名前も付いてない、用のないただの部屋だが近付くたびに“嗅ぎ慣れた”臭いが彼の鼻を擽る。何かに誘われるように、彼はその部屋に入る。
 その部屋は五つの棺が並べられた部屋だった。吸血鬼が寝床にしそうな木製の棺が五つ、蓋を開けた状態で並んでいる。他には何もない。壁には部屋に相応しくない、工場内のダクトがみっしりと並べられ、工場内の香りをこの部屋に運んで充満させているようだ。つまり、それだけあの香りが必要な人達、ということになる。
「…………『肉体』の……予備……か」
 どこでボスと接触するか解らない。この中の誰かにボスが移動した時ここまで戻る時間があるのか、そもそも誰に移ったのかも解らなくなる。懐から重く頑丈な鎖を取り出し、棺に近寄る。とりあえず拘束しておくことにしたのだが、その棺の中にいる人達を見て彼は
「あぁ…………どうりで……」  
 と呟いた。“嗅ぎ慣れた”の元が何かはわかったが、今度は拘束する必要があるのかどうか解らなくなった。
 ジェイクは沢山の本を読んでいる。原作のコミックも図書館で読んだし、どうすれば工場が止まるのかも知っていた。どんな依頼でも原作通りの行動をすれば原因は止まるが、銀幕市ではその続きが未定になる。流れが変わった後は、原作通りでは無くなるのだ。
『肉体』については他の人の方が詳しいだろう。携帯を取りだし目の前の棺を写真に撮ると画像を送り、皆に話しかけた。
「……これ……拘束しといた方が……良いか?」
 

 

 フロアに一人佇む翼姫は胸元で腕を組み、イヤホンマイクを付けてストールに映された画面をじっと睨んでいる。工場内のマップには三人が動いている様子が見て取れ、次々に通路も工場も破壊されている。三人とも問題なく、順調に事を運んでいる。
 前回、色々と腹立たしい思いをさせられたギャング達については徹底的に調べた。そこらへんの小悪党やチンピラはもう逃げ出した後で、ギャング内には産まれついてのド悪党しか残っていない。殺しても構わない奴等ばかりだ。ボスもギャングも全て、徹底的にぶちのめしたい。だが、斉藤美夜子の身体ごとというのは少々頂けないと今でも思っている。可能なら、無理矢理捕らわれている彼女だけは、救いたい。そう思うのは恐らく、別チームが担当している今回の依頼、大東について調べたからだろう。
 ボスの次の“肉体”とされている大東。彼は銀幕市出身で、小さな事故を起こした後に海外留学となっているが、それが本当に事故だったのか事件だったのかまでは洗えなかった。詳しい調書がPCに記録されていない為データを探れなかった。一番最初の調書を直接手に入れ、その事故に巻きこまれた人がいた事が隠蔽されているのを発見し、データが工作されている事に気が付いた。一カ所だけ被害者――斉藤美夜子とわかる記述がある。彼女の入院記録などの時期的に間違いない。
 救うべき大東と浅からぬ因縁をもつ二人が揃う。この事が何を意味しているのかは解らないが、その答えのヒントになりそうな物を彼女の入院記録で見つけた。契約書のサインが、寺島信夫だったのだ。基本、家族以外は同意書にサインできない筈だ。少し調べると斉藤美夜子と寺島信夫が同じ大学の卒業生であり、それなりの関係だった事までは突き止めた。
 翼姫には好きな人がいる。大好きな弟に会いたくて会いたくて、我慢できなくなってこの銀幕市にきた。同時に思いを寄せる男性にも少しずつアピールしている。あまり気が付いて貰えていないが。だからだろうか。なんとなく翼姫は彼女を助けたいと思ったのは。二人の関係に口を出すつもりは毛頭ない。が、どうせなら会わせてみたいとも、思ったのだ。
 軽く頭を振り、思考を依頼内容に戻そうとした翼姫が画面を見ると、マップ内に自分の物とは違う、微弱な電波があることに気が付く。ギャング側の連絡手段だろうか、新しいウィンドウを開き翼姫は一応それも調査しておく事にした。
 ふぅ、と深呼吸をして今回の依頼人、須田に関する情報に目を向ける。翼姫は須田も信用していない。ボランティアをするような人間がなぜギャングの男と付き合っているのか。理解できなかったからだ。だが、彼女の予想に反して須田は普通の女性だった。特に調べる事もなくあっさりと経歴等が手に入り肩透かしをくらった気分になるほどだ。
 家族が居て、大学へ進学し就職しボランティア活動に励んでいる。ブログには家族旅行が写真付きで乗っていたり、一緒に活動している様子が楽しそうに書かれている。家庭環境は中の上、いままで生活に困ったこともないのだろう。平凡で、愛された幸せな人生を送っているようだ。馬鹿馬鹿しいほど愛情が、幸せと楽しいがいっぱい詰まったブログを見た翼姫は鼻で笑い、そのウィンドウを閉じた。
 一つ減った筈の画面に新しいウィンドウが現れる。“J”と表示されたウィンドウはメール添付された一枚の画像が映し出され、画面から彼の声がする。声がすると音声メーターがひゅっとあがる。
『……これ……拘束しといた方が……良いか?」
 その画像を、ギルも見たのだろう。翼姫が溜息と漏らすと同時に声を拾ったらしいギルの音声メーターが少しだけ動いた。そう、と言った翼姫の声が止まる。肩を震わせながら息を吸い、はぁ、と声を乗せて息を吐くと改めて話しだした。
「そうなっていてもギャングの魂が入ったら動く可能性もあるわ。一応纏めておいて。余裕があったら、運ぶわ」
『……わかった。纏めたら……先に進む』
 音声メーターが動かなくなると翼姫は乱暴にイヤホンマイクを外し、もう一度大きな溜息を尽く。
 こうなる予想はしていた。別チームが向かっている場所は阿片窟。アロマキャンドルの材料は麻薬であり、その効果によって『魂の定着』が行われている。この工場が精製場所なことも、容易く想像がつく。
 翼姫も傭兵団の一員だ。幸か不幸か、ドラッグには慣れている為耐性がある。用法用量さえ守れば薬だが、連続して使い続け、ここまで臭いが充満している場所だ。普通の人間が耐えられるとは思えない。 先の件、エステ・シンデレラを含むハザードを消滅させた時に救出された人達の中にも、未だに入院、通院している人は多い。
 翼姫はもう一度ジェイクが送った画像を見詰める。
 “ああいうもの”も見慣れているし、むしろ綺麗なだけ良いとすら思う。特に哀しいとは思わないし泣くことも無い。涙は流れないが、ほんの少し心にトゲが刺さったような気持ちになった。




 天井から床まで真っ二つに裂かれた機械には数人分の死体が乗っている。床の上や壁にもたれ掛かるように、扉に向かって倒れている者もいる。機械も人も、全てが沈黙する部屋を後にし、フォーマルハウトは通路を逃げるギャングすら撃ち殺していく。殺さないでくれと泣きながら懇願する者がいた。工場がなくなると困るんだと叫ぶ者がいた。
「お前達の事情など興味ないな。俺を動かせる『絶対』は一人だけだ」
 向かってくる者も逃げる者も、フォーマルハウトは彼等全ての者に平等の“死”を与える。銃声が止み、誰もいなくなった辺りがしんと静まりかえるとフォーマルハウトは携帯を取り出した。先程の届いたメールを見る為だ。受信音がして携帯を見たとき、画像があるのはわかったが、送り主がジェイクだったので会話も聞かなかったのだ。声を聞くのがイヤだったのだ。
 画像を開き、フォマルハウトは整った眉をひそめる。幾つかの画像を見たフォーマルハウトは、ギャングとの戦闘で感じた違和感の正体に気が付いた。恐らく、ジェイクがこの画像を添付したのもその件に関する話だろうが、他にも何か情報があったかもしれない。フォーマルハウトはそのままギルにコールをかけ、話しかける。
「ノックしてもしもお〜〜〜し。よう、今画像みたんだが、写真のヤツらどうしたんだ?」
「はあぁ? 見ての通りだ。恐らく大東と同じ『肉体』なんだろうが、な」
 溜息混じりの声を聞いたフォーマルハウトはハットを被り直した。どうにも、ギルの声が沈んでいるだけで『あの人』を思い出してしまう。違うと解っていながら、条件反射のように脳裏にあの姿が思い出されるのだ。
 静かな空間にキィィ、と音がする。フォーマルハウトは条件反射で銃を構え音がする方向に発砲した。二発目を撃った時に対象が視界にはいり、それが“ボス”だと気が付いたが、彼は構わず発砲し続ける。通路向こうでぎちぎちと音を立て、無理な動きで弾丸を避けるボスがフォーマルハウトを睨み付け叫ぶ。
「…………ッッッッッ! トゥイチェットッッッ!!!」
 カカカッッ、と音がしてフォーマルハウトとボスの間に線が現れた。天井と床、壁と壁、壁から床や天井を縦横無尽に繋げた無数の糸は布製の暖簾のようにフォーマルハウトとボスの間を遮る。翼姫の『異能』とどこか似ているその糸はフォーマルハウトが放った弾丸を貫き、二人の間で浮かばせていた。
 苦しそうな声を漏らすボスは身体を屈め腕を握る。服に皺を作り握られた腕からは血が滲み、欠けた車椅子の手摺をつたい亀裂の入ったタイヤカバーを流れいく。弾丸を全て塞ぎきれなかったボスは血走った瞳でフォーマルハウトを睨むと、やがてゆっくりと後退し始めた。ぎちぎちきぃぎちぎちきぃと一定の間隔で壊れた音をさせながら逃げるボスを、フォーマルハウトは追わない。今は工場破壊が優先であり、ボスにはもう用がないからだ。繋がったままの携帯からギルの声がする。
「おいボウズ、なんで撃った」 
「ボスだから、だろうな?」
「疑問系かよ。ったく、まだ間に合う可能性だってあんだろうが」
「何に、間に合うんだ?」
 くつくつと喉を鳴らしフォーマルハウトが笑うが、携帯の向こうからは何も聞こえない。もう間に合わない事をギルもわかっているのだろう。ジェイクが送った画像――棺に納められた『肉体』は既に死亡している。交戦するギャング達に手応えは無く、彼等の生命線である工場を守る者の中に『異能』を使う者が少なかった。動きは鈍く、目の焦点が合っていない彼等は、動けるだけで虫の息だったのだ。何より、フォーマルハウトが撃ち抜いたギャング達は“血を流さなかった”
「……その先にある工場も壊しとけ」 
「冗談、俺を動かせる『絶対』は一人だけだ」
「我が儘言ってんじゃねぇよクソボウズ」
 プッ、と通話が切れる音がする。無音になった携帯を見下ろし、フォーマルハウトは自嘲気味に笑った。美しい外見と甘い言葉で人を魅了し裏切りを続けるフォーマルハウトに指示を出せ、彼がその通りに動く『絶対』の人物。虚言と戯れを繰り返す彼が唯一、盲目的に信頼する男は、この銀幕市に存在しない。彼と共に生き、幾つもの屍の山を築き上げた。彼の為に仲間も裏切り、殺し、彼に殺された暗殺者。例えここに居なくともその唯一にして絶対の存在は変わらない。フォーマルハウトの心は今も彼だけに従う。
 ギルは少しだけ彼と似ている。豪気な態度と快活な性格。見ていて気持ち良いほど楽しそうに酒を飲み、笑う。ギルはギルだ。『彼』ではない。解っていても、いや、解っているからこそフォーマルハウトは複雑な気分になる。
「あんたは、俺の<銃身>には成り得ないんだろうな」 
 ぼそりと呟き、フォーマルハウトはハットの鍔を少しあげ、彼のために誂えられた銀色の細工が施されたリボルバーにそっと唇を落とした。
「ああ、仕事はしっかりとこなすから心配するな。こう見えても律儀なんだ」
 誰もいない場所で誰かに語りかけるようにそう言うとフォーマルハウトは歩き出した。




 ドズン、と穴を開けギルは大槍を床に突き立てる。目の前にはナイフで果物を切ったように綺麗に切断された鉄の塊が鎮座し、大きく切り分けられたパーツは床や壁に投げ捨てられ、数人のギャングがその下敷きになっていた。フォーマルハウトが工場を破壊していれば、これで最後の筈だ。腰の後に付けたポケットから携帯を取りだし、地図を確認すると全ての工場は破壊されたマークがついている。
「ったく、どうせ行くんだから素直になりゃぁ良いのによぉ」
 笑いながらそう言うと、辺りからズズズ、と音がし始める。工場全体が崩壊に向かっている音に誰かがボスを『仕置き』したのだと察しが付く。ボスはいなくなり全ての工場が破壊された今、後は崩れ落ちるだけだ。
 乱暴に壁を破壊し、ぽっかりと口を開けた穴からギルが脱出用に残した廊下へと移動すると、崩れ落ちる廊下の奥からぎちぎちきぃと聞き覚えのある音がする。フォーマルハウトと話した時に聞こえた『ボス』の移動する音だ。大槍を構え、目を細くして通路の奥を覗くと、確かに『ボス』がこちらに向かっている。が、その姿を全て見据えたギルは構えた大槍を肩に担ぎ直した。車椅子をジェイクが押していたからだ。
 ボスは『仕置き』され、車椅子に乗っている女性は斉藤美夜子に戻っている。ぎちぎちきぃぎちぎちきぃと音を鳴らす車椅子を押すジェイクの顔は伺えないが、丁寧に、振動がないようにゆっくりと歩いている姿を見てギルは顎髭を指で撫でつけた。
 前回の仕事でも一緒だった翼姫とフォーマルハウトの二人は――態度や性格は別として――少なからず信用しているが、噂を聞いた程度の情報しか持たなかったジェイクに関しては仲間といえども少し警戒していた。殺人鬼というスターも珍しくない銀幕市だがその分、彼等『殺人鬼』は人を殺める事に関して人格が変わりすぎる。一見して外見も話し方も普通で、普段は学校に通っているというジェイクが『仕置き』に関わったのは人を殺す事を楽しむためなのではないか、とも考えた。目の前の少年は彼女を気遣い、こうして連れてきている。知り合いだったのだろうか、と考えた所で、ギルは考えるのを止めた。
 『仕置き人』はその場限りの縁。基本的には依頼を離れれば他人同士であり、出会っていない事になる。こうして『仕置き』で初対面した三人は銀幕市内ではすれ違っても見知らぬ他人同士。他の依頼で出会ったとしてもその部分には触れ合わず、もう一度“初めまして”と言うことになる。
 今にも壊れそうな音をさせる車椅子を押すジェイクに背を向け、ギルは通路を塞ぐ大きな岩を粉砕しながら先導する。ギルは自身の深い部分に入り込まれるのが好きではない。それ故、ギルも相手と深く関わろうとはしないのだが、ジェイクを、そしてフォーマルハウトも放っておけないのだ。
 ギルには年の離れた弟がいる。いや、その弟も銀幕市には来ていないのだから“いた”と言う方が正しいのかも知れない。10に満たない少年の頃から共に生活し、生きる術も戦い方も教えてた。話術に長け、狡猾で少し捻くれている所があった弟は成長し、ギルの相棒となって共に仕事をするようになった。
 その弟にジェイクとフォーマルハウトを重ねる時がある。容姿や面影等は全く似ていない。年齢が近いわけでも話し方が似てる訳でもない。用は全くの別人なのだが、二人が時折見せた不器用な、男故の強情さを見てふと思い出しただけだ。
「ったくよぉ……子育てだの教育だの……面倒くせぇからもうやんねぇっての」
 言葉通り面倒くさそうに言うギルの顔は、笑っていた。




 ぎしぎしと嫌な音を立てる車椅子が部屋に入ってきた。苦しそうに顔を歪め、震える手で携帯を取り出すとボタンを何度も押す。呼び出し音は何度も鳴るが一向にでない相手を怨み、ボスはテーブルを叩いた。
「クソッ! クソッ! 何故だッッッッ! 何故出ないッッ!! 私の『永遠の肉体』はどうした!! …………?」
 ドンッ、と叩いた音しかしない事に違和感を感じたボスがテーブルを見る。テーブルの上にあったはずのコインがない。慌てた様子で辺りを見渡すと、何故か目の前に少年が立っていた。背を丸め、すっぽりとフードを被った不気味な少年の肩に淡いピンク色のドレスを着たミッドナイトバッキーがちょこんと顔を出している。部屋に人がいる気配などなかった。そもそも、この部屋自体新しく創り上げ存在を知ってるのはボスだけだ。だが少年は目の前に、誰も入れないはずのこの部屋に、しかも厳重に隠しておいたバッキーまで連れてそこに立っている。驚いたボスが攻撃を仕掛けようとして、その動きが止まった。その目は大きく見開かれジェイクの手元を凝視している。
「おれ……知ってんだ。…………あんたの弱点」
 すっとあげたジェイクの血塗られたアイスピックはコインのど真ん中を貫通している。ゆらり、と揺れたキャンドルの灯りでコインが輝いた。それは、彼の手にあるアイスピックに貫かれたコインだけではない。彼の背後、壁一面に並ぶコインが波打つように輝いているのだ。どれも中心を釘で打ち付けられているそれは、まるで昆虫の標本のように美しい。それを見たボスは恐怖と驚愕と絶望と、死を認識した表情だ。
 工場が音を立てて崩れだす。身体から力が抜け、倒れそうになる彼女をジェイクは抱き支えるとそのまま身体を抱え上げ車椅子に座らせる。膝掛けをかけてやると、ジェイクの肩に乗っていたバッキーがぴょんと飛び降りる。定位置なのだろうか、バッキーは膝掛けの真ん中で何度かたしたしと布を整えると満足そうに座った。


 どちらも自分でどちらも別人。
 普通の高校生としての生活を望み誰も殺さないと誓った。だが人を殺す事で獲る恍惚感も、忘れられない。
 高校生ジェイク・ダーナーと殺人鬼ダリオの鬩ぎ合う心。
 どこかで『仕置き人』をすることで殺人鬼としての衝動を抑えようとしていたのだろうか。バイトのように、仕事としてならなんら問題は無いはずだ、と。
 肉を突き抜ける感覚がアイスピックの持ち手越しに伝わり、流れ落ちる血の色も臭いも感情がたかぶった。そんな中で、普通の、ただの高校生である自分を思い出させた彼女をどう思ったのか。
 頭から冷水を被せられ、興ざめしたと憤っているのか。止めてくれてありがとうと感謝しているのか。おそらく、ジェイクにもはっきりと解らないのだろうが彼女――斉藤美夜子がジェイク・ダーナーの平穏で平凡な日常の一部だったことは、確かだった。
 特に親しかったわけでも特別な感情を持っていた訳でもない。一度だけバイト先で出会い、会話をした。その後、稀に銀幕広場のワゴンで買い食いしている時に見かけただけだ。彼女は自分に気が付かず自分も声を掛けることはなかった。それが新しい出会い方だったのだと、今、やっと理解した。
 学校やバイト先で出会った人達はそういう括りが、分類分けが出来る。同じ学校、同じ職場。関わるのも関わらないのも自由だが、同じ場所を共有しているという繋がりがある。依頼もそうだ。同じ依頼を受けた、という繋がりができあがる。特別な繋がりは絆となり、その人を表す固有の呼び方が産まれる。『あの人』『ともだち』『同志』ジェイクにとっての特別な存在は今の所この三人。そこに現れた新しい括りが斉藤美夜子だ。彼女には同じものが無く特別な人でもない。
 知り合いから新しい知り合いができ、同時にもう二度と話しもできないのだと、ジェイクは知る。
「今日は……送ってやるよ。……汚い大人とは違うんだ。おれは」 
 



 戯れと裏切りを繰り返す。仲間でありライバルである団員達と馬鹿騒ぎをする。依頼を受け、報酬を貰い酒を飲みに行く。学校やバイトの帰り道で買い食いをする。



 彼等は何時も通りの日常に、帰って行く。



クリエイターコメントこの度はコラボシナリオにご参加いただきありがとうございます。そして、大変お待たせいたしまして申し訳有りませんでした。


少しでも皆さんらしさをだそうと追求した結果、少々捏造しすぎた部分が多くありますので、何か問題がございましたら、ご連絡いただけると助かります。

少しでも楽しんでいただければ幸いです。
それでは、ご参加、ありがとうございました。
公開日時2009-05-18(月) 00:00
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