★ The Eve ★
<オープニング>

 ネガティヴゾーンから巨大ディスペアー・レヴィアタンをおびき出し、銀幕市で決着をつける――討伐戦は、市をあげての一大作戦となった。戦う力を持たない人々は「その日」までに市を離れ、残った者は『穴』監視所や市役所に通いつめて意見や情報を交換し合う。
 祭りとは違った喧騒と慌しさは、いっそものものしい。

 レヴィアタン討伐作戦は、7月13日に決行された。

 しかし7月12日、多くの市民に知られることなく発生し、そして解決した事件がある。時期が時期だけに、意図して隠された事件だった。すべては、レヴィアタンを倒すために。
 事件を隠すことも、事件を速やかに解決することも。
 この一件が7月12日その日に公表されていたならば、もしかすると、現場が混乱し討伐作戦は中止されていたかもしれない。
 密かに窮地に陥っていた銀幕市対策課。そこに4人が偶然居合わせていなければ、もしかすると……。


 植村直樹が顔色を変えて、市長やマルパス・ダライェルに耳打ちしているところを、4人は偶然見たのである。大作戦の前夜ともなれば、彼らは寝食の時間も取れないほど動き回らなければならなかった。誰も彼もが興奮しているし、緊張している。しかしそのときの植村は、明らかに狼狽していた。
「すみません、その……どうか、内密に……力を貸していただけませんか」
 たまたま植村たちと目が合っただけという理由で、4人は事情を話された。
 オンラインになっていたパソコン、それもレヴィアタン討伐作戦のために使用していたものが、すべてクラッキングによってデータを吹き飛ばされてしまったというのだ。幸いバックアップは取ってあったので、オフラインのパソコンにデータを移しているが、今回の作戦ではアズマ研究所とも連携している。研究所とのやり取りは主にネットを通しているのだ。
 しかも、電話で確認してみたところによれば、研究所の一部のコンピュータも侵入され、データを破壊されていたらしい。現在はアズマが開発した謎のプロテクトシステムによって攻撃を遮断しているが、おかげで明日の作戦のための作業に遅れが生じているというのだ。
「こんなときにジャマをしてくるなんて信じられないんですが、アズマ研究所によると、クラッカーは銀幕市にいるようなんです。それ以上は突き止められなかったというか……それどころじゃないですからね。クラッカーの居場所や正体を調べてもらうなんて、こちらとしてもお願いできる状況ではないし。こちらはオフラインでなんとか作業していますが、研究所の話では、まだ攻撃は続いているらしいのです。お願いです、明日の作戦のために……内密にクラッカーを見つけ出して、攻撃をやめさせてください」
 植村は持っていたラップトップを開いて、画面を見せる。
「データを破壊されたパソコンです。キー操作を一切受け付けてくれないんです。再起動してもこの画面が出るだけで……。それにしても、さっぱり理解できません。銀幕市に住んでいるのに、明日の作戦の妨害をしようとするなんて。……もし、この攻撃のせいで作戦が失敗したら……なんて……考えていないんでしょうか?」
「銀幕市の崩壊を願っている、そんな市民がいるなんて……信じたくないですが……」
 市長も青褪めた顔で、パソコンの画面を覗きこむ。
 画面は真っ黒ではない、真っ赤だった。
 そしてドットで簡単に再現された銀幕市の市章が、チカチカと点滅している。市章はマンガのような吹き出しの中で、助けを求めていた。
 Help me!
 Help me!

種別名シナリオ 管理番号636
クリエイター龍司郎(wbxt2243)
クリエイターコメント龍司郎でございます。お忙しいときに、忙しいからこその緊張感あるバトルシナリオを募集いたします。
募集人数と日数が少なめですのでご注意ください。
今回は、現時点では名前も顔も目的もわからないクラッカー(ハッカー)が相手です。研究所の片手間逆探知により、発信源は銀幕市ミッドタウンにあることまではわかっています。
コンピューターに詳しいPCさんであれば、より詳しい位置がつかめるかもしれません。
また、このシナリオでは戦闘が発生する予定ですが、流れや結末はいくつか用意してあります。
このシナリオの結果がレヴィアタン討伐作戦に大きく影響する心配はありませんので、ある程度安心してご参加ください。
それでは、ヨロシクです。

参加者
ヘンリー・ローズウッド(cxce4020) ムービースター 男 26歳 紳士強盗
ミケランジェロ(cuez2834) ムービースター 男 29歳 掃除屋
白姫(crmz2203) ムービースター 女 12歳 ウィルスプログラム
リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886) ムービースター 女 26歳 元・殺し屋
<ノベル>

 植村とたまたま目が合ってしまった4人というのは、ミケランジェロ、白姫(シラヒメ)、リカ・ヴォリンスカヤと、悪役会に在籍しているチンピラだった。
「いいわよ。任せて!」
「こちらはわたくしの領域でございましょう。お引き受けします」
 快く引き受けたのはリカと白姫の2名。ミケランジェロはしかめっ面で頭や頬をかいていたが、植村の充血した目とそのまわりのクマを見ると、「面倒くさいからパス」とは言えなくなった。傍から見ると渋々といった様子だったが、彼も話に乗った。
「銀幕市の崩壊を願ってる、な。そういうひねくれもんなら心当たりあるで。悪役会(ウチ)にはそういうんが揃ってっからなあ」
「その『ひねくれもん』って、もしかして僕のことかな?」
「おお! ウワサしたら出てきよった」
 チンピラはそそくさと植村の影に隠れた。にこやかに、いつの間にか姿を現したのは、ヘンリー・ローズウッドだった。
「君、大切な親分が探していたよ。持ち場を勝手に離れたんだろう。もうカンカンだったよ」
「ほ、ホンマか?」
「君の変わりに僕がこの話を引き受けるから。早く親分に怒られておいで」
 ヘンリーの話が嘘か本当かはわからないが、チンピラは顔色を変えて走り去っていった。ヘンリーはステッキで軽く手のひらを叩きながら、植村と、他3名に首をかしげて見せる。
「疑われたままじゃつまらないしね。一緒に犯人を見つけ出そう」
「なんだ。おまえ、話聞いてたのか。そりゃいい」
 また植村が長い説明を始めるのかと、ミケランジェロはウンザリしていたところだ。ヘンリーがどうして、この「内密な話」を把握しているのかにはあまり興味を持たないことにした。面倒が早く片づくに越したことはない。
 白姫は植村からラップトップを受け取っていた。データを破壊され、使いものにならなくなったと彼が言っていたものだが、それでも、白姫にとっては「コンピュータ」以外のなにものでもない。
「この程度の性能のマシンであれば、4096台まで同時に制御可能です。それ以上の台数になりますと……」
「ここには100台もないはずよ。心強いわぁ。犯人の居場所の特定は、白姫に任せちゃっていいわよね?」
「俺もパソコンには詳しくねえし」
 リカに振られて、ミケランジェロは肩をすくめた。白姫は無表情で頷き、開いている部屋に壊れたパソコンを持って移動した。
「なあ、パソ子」
 パソコンをLANに接続しようとしたところで、突然ミケランジェロが白姫をそう呼んだ。白姫は無表情のまま一度まばたきした。自分が呼ばれたのだという認識はなかったが、自分が呼ばれたのだろうという予想がついた。その狭間で、プログラムは、人間のように戸惑ったのだ。
「わたくしの名前をお間違えですか」
「ああ、悪い悪い。まあとりあえず名前は置いとけ。提案があるんだよ」
「はい」
「発信元はミッドタウンって話だが。まず、この市役所の中に犯人がいやしねえか、重点的に調べてくれないか」
 ミケランジェロが言うと、ヘンリーも大きく笑って肩をすくめた。
「そうそう。灯台下暗しって言葉もあるし、ねえ」
「了解いたしました。計画を一部変更し、ミケランジェロ様の提案を組み込みます」
「あら。白姫は、最初どうするつもりだったの?」
「市役所内の破壊されたコンピュータシステムを修復し、プロテクトをかけるのが計画の第一段階でした。少々処理速度は遅れますが、発信源探知を同時進行しても、大きな問題はないかと」
 白姫は言いながらパソコンをオンラインにした。
 赤い画面の中の「Help Me!」の動きが、ピタリと止まる。
 そして一秒後には、網膜に絡みつくような赤色も、簡素なドット絵も消えた。リカは、思わず「あらっ」と声を上げてしまった。しかし、白姫はいつものように落ち着き払っている。
 ガリガリとパソコンのハードディスクが音を立てて動き、黒い画面に白い文字列が現れた。文字列はものすごい速さで下に伸びる。スクロールが早すぎて、文字列が点滅しているように見えた。白姫の赤い目はピクリとも動いていないが、白い文字列がその瞳の上に浮かび上がっていた。
「――市役所内に発信元は存在しません」
「はや!」
「もうわかったの?」
「アズマ超物理研究所の探知は正しく、発信元が銀幕市ミッドタウン内であることはこちらも確認いたしました。発信元は固定されており、クラッカーは移動していないものかと。住所を申し上げても?」
 リカはミケランジェロのツナギの胸ポケットに手を伸ばした。あまりに素早かったので、ミケランジェロがペンを取られたことに気づいたのは、リカが白姫の読み上げる住所をメモし始めてからのことだった。けっして、ミケランジェロがにぶかったわけではない。
 クラッカーの位置はあまりにもアッサリ判明した。
 ミッドタウン、聖林通りから一本だけ路地に入っただけのところに建っているビル。そこの地下だという。ミケランジェロは住所を見て、眉を寄せた。
「このビル、小汚い廃ビルだぞ。おとといだか、頼まれて落書きを消した」
「あら、それはラッキーね。遠慮なく暴れられるわ」
「暴れる、って。クラッカーなんて、どんな映画でもモヤシみたいなヘタレって相場が決まってるだろ。ドンパチなんかになると思うか?」
「なるかもしれないじゃない。わたし、慎重にいくわよ」
「いや……うーん、なんつーか……」
「わたくしも、同行いたします」
 ブウン、と白姫の身体にノイズが走ったかと思うと、彼女の背後にもうひとりの白姫が現れた。
「おっ。分身もできるのか」
「処理速度が落ちますので、こちらは緊急時以外はオンラインに繋ぎません。通信機代わりと考えていただければと」
「じゃあ、急いで行きましょう。って、ヘンリーは?」
 そのとき初めて、3人は気がついた。ヘンリー・ローズウッドの姿がなかった。
 と思いきや、まるで見計らったかのように、ヒョイとドアの向こうから顔を見せてきた。
「僕はここで少しやりたいことがあるから、残るよ。その小さな白いレディのお手伝いもしないとね。相手の居場所はわかった。僕も、僕の仕事が片づいたらすぐに向かうから」
 ヘンリーが頭を引っこめる。ミケランジェロとリカはすぐに部屋を出たが、ヘンリーの姿はどこにもなかった。大勢が慌しく廊下を行き来している。ほとんどがムービースターか、バッキーを伴ったムービーファンだった。
 決戦は明日なのだ。戦いを決意した者、戦う術を持っているものしか、銀幕市には残っていない。
 ミケランジェロとリカは、白姫の分身とともに、ざわついた市役所を出た。


 ミッドタウンは夜でも明るい。しかし、建物のほとんどは商業施設や公共施設であり、午後9時をまわると、昼の喧騒が嘘のように静まり返る。明日が明日なので、居酒屋も、コンビニさえも閉まっていた。今夜の静けさは特別だ。かつて、タナトス兵団が攻めてきた日もあったが、その前夜も似たような様相だったはずだ。
 足音がやけに大きく響く。目的のビルが近づくと、リカは歩き方を変えた。見た目にほとんど変化はないが、足音が消えてなくなっていた。白姫は生物とは違う身体のためか、終始気配も足音も微弱だ。しかし、ミケランジェロはまるで散歩でもしているかのような足取りを変えなかった。
「ちょっと」
「なんだ?」
「少しは気をつけて歩いてよ」
「なんで?」
「今から敵のアジトに潜入するのよ。気づかれたらどうするの」
「いや……だから……俺はそんな必要ないんじゃねえかって思ってんだけども……」
「え?」
 今度は、リカが訊き返す番だった。足を止め、ミケランジェロの考えの先を促す。
「市長とか対策課のヤサメガネも言ってただろ。『こんなときにこんなことするやつがいるなんて信じられない』。わざわざ今日の今になってこんなバカをやるんだから、何か理由があるはずだろ。……俺は、あの『Help me!』ってのが気にかかる。俺はパソコンのことはよくわからん。でも、もし俺が天才クラッカーなら、もっとべつの憎まれ口叩くか、面倒くさいからなんにも表示させないね。アレも、今日の日付と同じだ。わざわざあの言葉を選んで、ブッ壊したパソコンの中に残したことには、理由があるんじゃねえかな」
「……誰かが助けを求めてるってこと?」
「かもしれないってこと」
 ミケランジェロはポケットに両手を突っ込んだまま肩をすくめた。
「でも、正真正銘のイカレたクソテロリストの可能性だってあるでしょ? ……ううん、でも、わたしも確かに気になってたわ。あんなグロ魚に仲間がいるとは思えないし。一体どういうつもりなのかしら。――相手は人間なのよね?」
 リカが白姫に尋ねる。白姫の分身は目を伏せたまま、台本を暗誦するかのような調子でスラスラと答えた。
「送られたウイルスのソースコードを分析した限りでは、製作者は人間かと。ソレがムービースター、ムービーファン、エキストラのいずれかに該当するかは確定できませんが、少なくとも、わたくしのような『プログラムが生み出したプログラム』ではございません」
 と、そこで言葉を切った白姫が、「あ」と小さく声を上げた。
 めずらしいことだ。
「どうした?」
「少々お待ちください。この……スパゲティコードは……まるでわざと挿入されたかのよう。不自然な空白領域が――」

 白姫の中の、ほんのわずかな好奇心が、市役所に送りつけられたウイルスの中に潜りこむ。意図的に開けられた、小さな虫食い穴。
 白姫はソレをこじ開ける。
 中には、言葉が隠されていた――そう、隠されていた。
『気づいてくれたか。よかった。頼む。助けてくれ』
 必死の言葉が、白姫の腕を掴んだ。
『助けてくれ!』

 ザザッ、と白姫の姿が揺らいだかと思うと、次の瞬間には煙のように消えてしまった。リカとミケランジェロの目の前で。驚いたミケランジェロの口からシケモクが落ちてしまった。リカも思わず声を上げていた。
「白姫! ど、どうしちゃったの!?」
「急に手が回らなくなったのかもしれない。ソレに、なんだか……ヤバそうだぞ」
 足音と気配が近づいてきていた。
 問題のビルはすぐそこだ。このまま、ただの通りすがりとしてサッサとこの界隈を通り抜けてしまえば、何も起こらないに違いない。
 リカは口をへの字に曲げると、不意にミケランジェロに耳打ちして、彼のそばを離れた。ミケランジェロが返事をする暇もなかった。すでにリカはネコのようなしなやかさで、脇道の陰に飛びこんでしまったから。
 あなたは正面から。わたしは裏から忍びこむわ。
 早口で、彼女はそう言っていた。
 俺は囮かよ、ヤダよ、とミケランジェロは言ってやりたかった。
(しかも俺、丸腰だぞ)
 激しい戦闘が起こる可能性については、彼はあまり考えていなかった。武器は市役所に置いてきてしまっている。
 味方がひとり減り、ふたり減り、とうとうひとりになってしまった。ミケランジェロは明日のことを忘れた。明日よりも、今が心配である。
 もそもそと2分ばかり歩くと、ミケランジェロがつい先日見たばかりの空きビルが視界に入った。あれから新たに落書きされた様子はない。ミケランジェロは背中を丸め、ポケットに両手を突っこんだまま、ビルを目指した。ビルの中に光は見られない。しかし――周囲には、気配が散らばっている。電柱の影や窓の向こうで、誰かが息を殺して、こちらの動きを見張っているようだ。
 ポケットの中を探る。何か「塗る物」があればいいのだが、あいにく、木炭のカケラも入っていなかった。しかも、今気づいたが、リカからペンを返してもらっていない。
 リカは首尾よく忍びこめただろうか。白姫とヘンリーはクラッカーを成敗できたのか。うまくいったのなら、何かしら合図があるはずだ。
(俺は囮だったな。明日が大変だから余計なケガしたくなかったんだが、仕方ねえか。サッサと終わらせて、サッサと帰って寝ちまおう。……どうせ、眠れないかもしんねえし)
「おうい」
 ミケランジェロは間延びした声を上げた。空気が凍りついたようだった。
「誰かいるのか?」
 答えはなかった。
 だが、不意に、ビルの2階で人影が動くのを、ミケランジェロは見逃さなかった。次の瞬間、人相の悪い男が窓から姿を見せて、突然うめきながら外に落ちた。
 赤い髪の毛が男の後ろでチラリと動いたのも、ミケランジェロは確かに見た。
「くそ!」
「コイツは囮だ!」
 リカが火蓋を切って落としたのだ。ほうぼうから男の声が上がり、ミケランジェロの首元を熱い風が通り抜けていった。
 コンクリートが弾ける音。
 銃だ、向こうは全員銃を持っている。
 幸い、ミケランジェロのツナギは黒だった。周囲に明かりがないので、敵も狙いをつけづらいらしい。ミケランジェロは頭をかばいながら一気に突っ走った。ビルの入口にいかにもマフィアっぽい風貌の男が陣取っていたが、ミケランジェロの渾身の体当たりでアッサリとバランスを崩した。
 恰幅のいいマフィアと仲良く折り重なるようにして床に倒れこむ。身体を起こしたとき、マフィアがうめいた。ミケランジェロは念のため――というよりも、ほとんど反射的にその顔を殴りつけていた。マフィアは一撃で気を失った。
 顔を上げてみると、ガランとしたフロアの中に、点々と人が横たわっている。どれも縞柄のスーツを着ていたり、むき出しの肩や腕にタトゥーを入れていたりと、ワルそうな男ばかりだった。
「スパシーバ!」
 リカが満面の笑顔で柱の影から出てきた。
「このタマナシ野郎たちの注意そらしてくれて助かったわー。2階から上にはいないみたい。ま、こういうドブネズミどもは地下が好きだから、どうせ下にいるんでしょ」
「外にも何人かいるぞ」
「こっちよ。階段があるわ」
 ミケランジェロが振り返ると、銃を乱射しながら男たちがビルに入ってくるところだった。ミケランジェロはリカを追って走りだす。リカは長い赤毛をひとつにしばっていた。赤い筆だ、とミケランジェロは思った。


(あなたは?)
 0と1の世界の中。
 助けてくれというメッセージがこだましている。
 白姫は、声に向かって手を差し伸べる。メッセージの周囲には、鉄条網が張り巡らされ、機関銃が設置されている――イメージとしては、そんなところだ。実体を持たないプログラムの銃は、市役所とアズマ研究所のパソコンをひっきりなしに攻撃している。白姫の見立てでは、攻撃しているプログラムは一度設置されてからずっと自動的に活動していて、クラッカーのリアルタイムな打ち込みによるものではない。
『誰かが気づいてくれると思ってたんだ』
(あなたは?)
 もう一度、白姫は問いかけた。
『白の魔道師(ホワイト・ウィザード)。頼む、助けてくれ。おれだってこんなことはしたくないんだ』
(クラッキングを強制されているのですね)
『おれはハッカーだ。確かに映画の中じゃ世界最強のプロだった。あんたぐらいのヒトなら、クラッカーとハッカーの違いくらいわかってくれるだろう?』
(今、2名のムービースターがそちらに向かっております。わたくしが状況を報告します――)
 が、動けなかった。
 恐らく、ウイルスを駆除しようと近づくプログラムをホールドするか、コードの中に取りこんでしまう仕掛けを施していたのだろう。
 白姫の手に負えないプログラムはなかった。しかし、白姫は躊躇した。
 白の魔道師は脅されている。頭の後ろに銃を突きつけられながらパソコンに向かっているのかもしれない。彼が敗者になり、黒幕の怒りを買えば……。
 白姫が迷うのも、珍しいことだった。だが、そのわずかな戸惑いは、プログラムが壊される『音』によって打ち消された。
『おや、失礼。苦戦しているように見えたから、援護してしまったけれど。余計なお世話だったかな?』
 白の魔道師が張り巡らせた鉄条網と機関銃が、残らず吹き飛ばされていた。
 白姫のもとに届いたメッセージは、ヘンリー・ローズウッドのものだ。
『ヘンリー様』
『ほしいものも手に入ったし、可憐なホワイト・レディも救出できた。僕はそろそろ現実の「白の魔道師」のところに行くよ』
 フツリ、とヘンリーからの通信は途絶えた。
 白の魔道師も沈黙している。
 白姫は有機の世界に戻った。白の魔道師が紡いだスパゲティコードの切れ端が、彼女の服の裾に絡みついていた。
 ソレに気づき、白姫はプログラムのカケラをつまんで剥がす。
 白姫の力は、白の魔道師のプログラムにふさわしい実体を与えた。
 ダイヤモンドだった。キラキラと、永遠の輝きを放っている。
「終わりは……、望んでおられないのですね」


 ビルの地下は想像していたよりも広かった。クラブかライブハウスが入っていたらしい。音響機材が散乱し、雑然としている。そして、ミケランジェロとリカが階段を下りるなり、銃弾が四方八方から飛んできた。
 巨大なスピーカーの影に隠れて、ふたりは銃弾をやり過ごす。
「8人はいるわね。そんなにヒマなバカが銀幕市に残ってたなんて!」
「まずいな。上からも来られたら挟み撃ちにされる。クソ、モップ持ってくるんだった」
「ね、だから言ったでしょ! ナイフはあと1本しかないのよ――」
 リカの台詞の最後は、野太い悲鳴にかき消されてしまった。
 ふたりの悪役が、見るも痛そうな階段落ちを見せつけて、地下フロアに転がってきたのだ。
「セニョール・ブオナローティ!」
 その呼びかけに、ミケランジェロがハッと顔を上げる。
 階段口から、彼の愛用のモップが飛んできた。
「忘れ物を届けにきたよ!」
 ヘンリーだ。
 ミケランジェロがモップを受けとめると、今度は謎の円筒がフロアの中に投げこまれた。円筒からは白い煙が噴き出し、ガラの悪い男たちの怒号や戸惑いが、物陰のあちこちで上がった。
 ヘンリーの姿は相変わらず見えない。
 階段を駆け下りて、ミケランジェロとリカのもとに、ようやく白姫が戻ってきた。
「白姫、大丈夫だった!? 急にいなくなるから心配したわ」
「ご迷惑をおかけしました。クラッカー……いえ、ハッカーは『白の魔道師』。世界最高の天才ハッカーなる設定を持ったムービースターです。彼は、何者かに強制され、市役所と研究所のコンピューターを攻撃していました」
「やっぱりそういうことか」
「クラッカーをとっ捕まえて縛り上げてゲロ吐かせる必要はなくなったわね」
「魔法使いってのはどこにいるんだ?」
「地下の見取り図を入手しました。奥にサウンドブースとして使用されていた小部屋があります。電力の供給が容易です。コンピューターを使用する環境としては適切かと」
 ミケランジェロはそれを聞いて、モップの柄をまわした。リカはあと1本しかないナイフをどこからか取り出す。
 刃を抜き放ち、ふたりは白煙の中に飛びこんでいった。白姫のナビゲートがあれば、視界が悪くても先に進める。
 怒号と銃弾が飛び交う混乱の中で――こんな声が上がった。
「ヘンリー!? この話、聞いてなかったのか? おい、ヘンリー!」
「ヘンリーだって? オイ、撃つな撃つなバカ、やめろ!」
 どうやら、敵の中にはヘンリーの顔見知りがいるらしい。肝心のヘンリーの反応は何もない。それどころか、ヘンリーの名を叫んだ男が、銃声のあとにうめき声を上げていた。
 銃声が続く。だんだんと、クラブ跡は静かになっていく。
 ミケランジェロはブースの扉の前に陣取っていた男の手を切りつけ、銃を叩き落とした。アッと叫んでうずくまりかけた彼の急所を、リカが容赦なく蹴り上げる。
 ドアを開けると、メガネをかけ無精ヒゲを生やしたアメリカ人っぽい男が、手を上げて立ち上がった。パソコン機材が山と詰まれた狭いデスク。吸殻が詰まったペプシコーラの缶。そして、3人のガラの悪い男。
 ミケランジェロとリカが同時に刃物を投げた。どちらも男たちの利き手に刺さり、抜きかけていた銃が落ちた。
 銃声が響き、部屋の一番奥にいた男の眉間に穴が開いた。
 ミケランジェロ、リカ、白姫の後ろに、銃を構えたヘンリーが立っていた。銃口から煙が立ちのぼっている。ヘンリーの顔にいつもの笑みがなかった。彼はそのまま、手を上げているメガネの男に銃口を向けた。
「おわあ、おわ、う、ううう撃たないで! 助けて! おれは、おれは違うんだ、やりたくてやったわけじゃないんだ! 助けてえ!」
 ヘンリーは引金を引いた。
 直前の1発は確かにひとりの男を殺したハズなのに、ポンと銃口から飛び出したのは、ありがちな紙テープと紙ふぶきだった。


「助かったんだからピーピー泣くんじゃないわよ。あんたもタマナシ?」
「ホレ見ろ。やっぱりモヤシのヘタレだった」
「助かったあ、助かったあ、ああ神様あぁ!」
 メガネにヒゲ面の男は、『白の魔道師』で間違いなかった。銀幕市に実体化してからは、特にハッキングもせずにネットゲーム三昧の平和な日々を送っていたが、半年ほど前に謎の組織に拉致されてからは、クラッカー活動や謎のデータ分析作業を強制されていたらしい。
「一見、糸口が全く掴めないスパゲティコードでありながら、埋めこまれた配列自体は非常に理路整然としておりました。実に美しいプログラムを拝見させて頂きました。有り難うございました」
「いやいやいや、あんたはお姫様、女神様だよ。助かった、おれ助かったんだよな? あぅぅぅぅ……」
「また泣き出した、もう」
「こいつらは連れていかねえとな。なんでこんなことしたんだか知ってるのは、そこのモタレじゃなくてコイツらだ」
 ブースにいた3名の男のうち2名は、すでにリカがあざやかに縛り上げている。ムッツリとした表情のまま一言も口を利こうとしない。なかなか強情そうだ。
 しかし――
「いい悪役っぷりだったよ、ハラーズにハリーズ。相手が思いやりのある人でよかったねえ」
「ヘンリー、てめえ!」
 ヘンリーは縛られたふたりの名前を知っていた。片方が憤然と立ち上がろうとしたが、リカに尻を蹴られてたちまち悶絶した。
「こいつら、おまえの知り合いか?」
「知ってるも何も。みんな、悪役会のメンバーさ」
「え? あなたも、悪役会の人よね。今回のこと、何も知らなかったの?」
「やっぱり僕は疑われるわけだ。残念ながら、僕は彼らと『派閥』が違う。会ったら挨拶するくらいだよ。彼らのスケジュールなんて、僕の知ったことじゃない」
「派閥。確か、現在、悪役会の人員構成は二分化されつつあるという情報があります」
「そういうことさ。さて、問題が解決したなら、僕はもう行くよ。皆も、明日は忙しいんじゃなかった? それでは、お疲れ様。御機嫌よう」
 ヘンリーはシルクハットを取ってうやうやしくお辞儀をすると、ブースから立ち去った。
「……そうね。真相を知るのは、明日のことが終わってからのほうがよさそう。もう、疲れちゃった。明日に響くわ」
「ごめんよ。明日が大事な日だってことは知ってたんだ、でも……」
「いーんだよ。それだけヘタレじゃ、言いなりになるしかねえだろう」
「ひ、ひどい言い方だ。おれはずっと大事な頭にピストル押しつけられて――」
「うるさいってば! あなたもケツ蹴っ飛ばされたいの? わたしはもう、明日のことで、今からテンションが高いのよ! あのグロ魚をサッサとブッ殺して、平和な生活に戻りたいの!」
「やめて! ケツはやめて!」
 4人は喋りながらブースを出た。もちろん、縛り上げたふたりを引きずるのも忘れない。
 白姫はゆっくりと、まだ煙幕が漂うフロアを見渡す。
 フィルムがゴロゴロと転がっていた。気を失っているだけの者もいるようだが。


 まだ夜は深い。ひとりで静寂を満喫していたヘンリーの懐で、通信機がガリガリと耳障りな音を立てた。
『ヘンリー・ローズウッド。きみの名前を覚えていてよかった』
「やあ、ミスター・コンティネント」
 ヘンリーはニッコリと通信機に笑みを投げかける。
『聞いたところによると、きみは今日、私の仲間を8人射殺し、ひとりの首をムチウチにし、ひとりの足首をひねった。また、ドサクサに紛れてアズマ研究所の独特なプロテクトシステムを盗み出し、新たに市役所に3つの盗聴器を仕掛けた。どうだ、私が聞いた噂は真実だろうか?』
「そうだと言えば?」
『フム。取引をしよう』
「どんな」
『アズマ研究所のプロテクトシステムを私にくれ。コピーでかまわん。それなら、私の仲間を殺傷したことを水に流してもいいし、市役所に仕掛けた盗聴器の件は、聞かなかったことにする』
「……」
 ヘンリーは微笑み、しばらく沈黙した。
「取引とは別の話になるけれど、教えてくれるかな」
『動機を?』
「そう」
『我々は悪だ。常に正しい者のジャマをする』
 声は含み笑いをした。
『きみは我々を咎めないだろう。何故なら、きみとは気が合うハズだからだ』
「……」
『気が向いたら、カジノに顔を出してくれ』
 通信は切られた。
 ヘンリーはため息をつく。不意に強い風が吹いて、彼は目を細めた。
 風は、杵間山から吹いてきている。


 レヴィアタン討伐作戦は、予定通り、7月13日に行われた。
 まるで何事もなかったかのように、予定通りに。
 そして、成功したのだった。

クリエイターコメントすっかり長くなってしまって、お待たせしてしまいました。本当は作戦後すぐにお届けしたかったのですが。スミマセン。
欧米では、優れたハッカーのことをウィザードと呼ぶそうです。『ダイ・ハード4』に登場したハッカーの通称がワーロックだったのも、そこから来ているんじゃないでしょうか。カッコよかったのでそのまんま名前にしました。あまり深く考えていません。
予定したよりもアクション成分が高くなりました。楽しんでいただければ幸いです。
公開日時2008-07-19(土) 20:00
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