★ 【人形遣い】第二話 雨空に斑の赤い手鞠の跳ねる ★
<オープニング>

 ぽぅん、ぽぅん
 まだらな赤の手鞠が宙を跳ねる。
 手鞠をついたり、時にそれを放りあったりしながら手鞠唄を唱和しているのは、未ださほどに年端もいかぬ稚い子供たちだ。
 輪を作り遊ぶ子供たちに紛れ、紅の振り袖を纏った少女の姿がひとつ。輪からわずか離れた場所には全身を黒で覆った黒子がひとり。
 楽しげに手鞠で遊ぶ子供たちを見守りながら、黒子の、頭巾で隠されて窺い知れぬ口許が薄い笑みを洩らした。


 桜の見頃が過ぎ、銀幕市には連日はっきりとしない天候が続いている。
 薄墨の花を無粋に落としたのは花腐しの雨だ。桜は、今やもう葉桜が目立つ有り様となっている。
 代わりにちらちらと姿を現し始めたのは菖蒲の花。菖蒲は銀幕市のそこここに見受けられ、それは市の一郭に広がる自然公園の中にある小さな水場の端にも咲いている。
 子供たちはその水場の傍で一心に遊びに興じているのだ。それは恐らく、間も無く子供たちを見つけるであろう大人たちによって遮られるまで続くのだろう。
 傍目には、凄惨たる様を繰り広げているのだという事実には気付く事もないままに。


 連日に及ぶ雨が降り出した初めの日、一件目の事件がその公園内、水場の傍で発見された。
 子供たちが遊んでいた赤い手鞠。それは無残な姿となったムービースターの首だった。
 ムービースターは、死した後、一本のフィルムへと身を変じる。これは市に住む者の大半が知る、半ば常識といっても過言ではない事実だ。
 だが、この事件の被害者となったムービースターは、なぜかその身をただちにフィルムに変じない。そも、死した後に幾時間かを屍として身を晒すという事象は、これまでには確認のされていない事だった。 事件は合わせて四件起きている。いずれも被害者はムービースター。それも、どれも子供たちの間で名を馳せたヒーローたちばかりだ。
 凄惨たる末期を迎えた彼らの首は子供たちにより玩具とされ、首から下は水場の傍らで打ち捨てられた丸太のように転がっている。
 子供たちは、当然の事ながら、全員が全身血まみれの状態となって発見されている。いずれも外傷は無く、つまりは玩具として遊んでいた首や胴体から発せられた血潮によって染められたのだ。
 四件共に、子供たちの人数は一定していない。年齢もまた一定してはいないが、いずれにせよまだ稚い年頃であるのは共通している。
 子供たちは、それまで赤い手鞠で遊んでいたのだ。――それが首である事になど、微塵も気付く事もなく。
 そうして、子供たちにはいずれもその前後の記憶が残されていない。どうやってその場まで来たのか、どうしてその手鞠で遊んでいたのかすらも。
 催眠誘導などに頼ってみても、そのくだりを探る事は出来ないという。
 子供たちの記憶の一点に、ぽっかりと小さな墨が落ちているような、そんな状態なのだというのだ。


「おまえも、随分と楽しい遊びを考え付いたものだね」
 菖蒲の揺れる水場の傍で、黒子はそう言いながら膝に抱えた一体の人形のうなじを撫でた。
 膝の上、紅の振り袖を身につけた娘の形の人形がかつりを首を傾ぐ。
「確かに、何もわざわざヒトを人形に変じる必要もないのだからね。この糸をもって幼子たちを繰り動かせばいいだけの事」
 言いながら、黒子はくぐもった笑みを零した。
「さぁて、また新しい友達を招いてやろうか。……しかし、もうそろそろまた客人方が来る頃合やもしれないね」
 くつりと笑う声が、水気を含んだ風に乗ってさわりと揺れる。
 もの言わぬ菖蒲が黒子と人形とを見つめていた。


 さて、凄惨なこの事件、実は未だ後日談がある。
 事件に関与した子供たちの中には、己を取り戻した瞬間に甚大な心傷を得る者も少なくない。そういった子供たちは病院に担ぎ込まれ、治療を受けている。
 四件。合わせて十九名の子供が関与してきたのだが、この子供たちはいずれも事件後に自身の命を絶っているのだ。
 それぞれ、同時刻、異なる場所、異なる手段で、しかし確実に。故に、当日の詳細を探る事は永遠に不可能となっている。

 だが、息子を失った母親たちの証言の内、共通しているものがある。
 ――いずれも、子供たちが命を落とす直前、鈴の音を転がすような少女の声がしたのだという。

種別名シナリオ 管理番号110
クリエイター高遠一馬(wmvm5910)
クリエイターコメントシリーズノベルと銘打ちました人形遣い、第二話目のシナリオとなります。今作もまた一話完結となりますので、前作への参加の有無は問いません。

今作でもまた黒子・人形との対面がありますが、今回は人形のみとの対峙となります。黒子は退避する事となります。ご了承ください。

また和ホラーとなります。
前作では桜、今作では菖蒲を場面場面で描写してまいります。
また、製作日数をプラスしております。ご了承くださいませ。

参加者
崎守 敏(cnhn2102) ムービースター 男 14歳 堕ちた魔神
取島 カラス(cvyd7512) ムービーファン 男 36歳 イラストレーター
鬼灯 柘榴(chay2262) ムービースター 女 21歳 呪い屋
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
<ノベル>

 雨が降っている。
 桜が終わり、それと入れ替わりにやってくる長雨よりも、それはわずかばかり気の早い、しっとりとした雨だった。
 濁った碧を広げた池の静寂たる水面を、霧のように降る細かな雨染みが刻々と小さく乱してゆく。その中で、目に見えぬほどの小さな波が菖蒲の紫をひっそりと揺らしていた。
 雨は池の傍の舗装された道の上にも雨染みを広げている。
 池の傍には遊歩道がある。だが、降り続く雨の影響でか、今は景観を楽しむ人の姿はただのひとつとして見当たらない。それどころか人気はほとんど無いに等しく、日没前だというのにも関わらず、辺りにはただ静寂ばかりが満ちていた。
 ――否、
 遊歩道には鮮やかな赤が滲んで広がっており、それは雨を受けて必然的に池の水へと流れこむ。流れ入る赤が、深碧をゆっくりと滲ませていった。
 菖蒲の花ははたはたと降る雨を受けて時折重たげに頭を垂れる。そして、その花の下に伸びる濃緑色の葉には、粘着を帯びた赤い筋が斑模様を描いて垂れ下がっているのだ。
 池の傍に、その赤の主がある。陰鬱とした景観の中、その姿はまるで何事もなく転がされているだけの丸太のような――そう、言ってしまえば、夕刻を前にした日没前であるというのにも係わらず、たちこめている雨雲の影響でどこか暗色で満たされた陰湿たる景観に、それがその場に転がっているのはひどく“あたりまえ”のような、そんな空気をも放っている。それは、まるで知らない者が目にしても、一目見た限りではよもやそれが屍であるなどとは思いもつかないのかもしれない。それほどまでに、その景色の中にあって見事なまでに一体化しているのだ。
 そう、それは屍だ。
 屍には頭が無い。ゆえにそれが何者であるのかを判別するには幾分かの手間隙を必要とするだろう。分かるのは性別。適度に締まった体躯、すらりと伸びた四肢。それらはその屍が男のものであるのを報せている。また、服装から、その男が青年と呼ぶに相応しい齢であろう事が見て知れる。決して華美ではないが、こざっぱりとした、清潔感の溢れる、カジュアルなものだ。

「……酷いものですね」
 眼鏡の奥、灰色の双眸を細め、取島カラスが低く落とした。
 道中役立ててきた傘は、しかし、公園内に踏み入り、そこに血の気配を感じた頃に閉じてしまった。黒髪は背で括っているが、すっかりと水気を含み、整った顔を隠すように張り付いている。
 公園の中には雨の音ばかりが満ちていた。――いや、そうだとばかり思っていた。だが実際に、公園内には数人の子供達の明るい声がある。その声がどこから流れてきているものかは知れないが、それは確かに明朗とした笑い声をも含んだものなのだ。
 屍の首は、文字通りに千切り取られている。そこには捻じられた残痕が痛々しいほどにくっきりと遺されていた。
「せめて、一太刀で落とされたものであるならばまだしも楽であったでしょうに」
 渋面を浮かべて視線を逸らしたカラスに、屍を興味深そうに検分していた少年が満面の笑みをもって応える。
「ねえ、この服装、僕、見たことあるんだけどさ」
 捻じ切られた首が噴き上げたのだろう。屍が纏っているシャツは赤く染まり、降り続いている雨のせいでもあるのだろうが、その色は未だ乾きを知る事もないままに、生々しい気配を色濃く漂わせている。
 その赤のせいでシャツの色柄の判別は難しい。が、少年はひとしきり屍を検めた後にすっくと膝を立てて、手にしている傘をくるりと廻してみせた。
「うん、間違いないや。このひと、去年の春までやってた“ギャンガマン”のレッドだよ。ほら、右手にブレスレット巻いてるでしょ。これが声紋照合して、それで変身するんだよ」
 言った少年の声音は、場に満ちた暗澹たる空気には不釣合いな程に明るく、そうして無邪気だった。
 カラスは、少年の言を受けて視線を屍の右腕へと落とす。そこには確かに、いかにもありがちなデザインの施されたブレスレットが巻かれていた。
「……君は」
 次いで持ち上げた視線で少年の顔を捉える。
 少年は、一見、少女かと見紛うような顔立ちだ。中学生ほどの年頃であろうか。浮かべている懐こい笑みの愛らしさとは裏腹に、全身を包む黒衣と濃赤という出で立ちは、唐突と言える程に奇抜な印象を見る者に与えていた。
 少年の、言わば場違いな程の朗らかな笑みに眼光を細めながら、カラスはさらに少年の風貌を確かめる。
 少年は肘まで達する黒い革手袋を嵌めている。そうして、その右手首、手袋の上から、鈍い光彩を放つ銀の腕輪をつけていた。
「僕? ああ、そうか、こういう場合、名乗るのが筋なんだっけ。えーと、僕はビン。敏って書いてビンって読むんだよ、面白いでしょう」
 懐こい笑みをそのままに、敏と名乗った少年は笑みを崩す事なくカラスを仰ぐ。鮮血を思わせる赤い傘がくるくると楽しそうに廻り続ける。
「俺はカラスといいます。……君は」
 眼前にあるのは陰惨たる光景だ。
 首を捻じ切られた屍が丸太のように無造作に転がり、雨が血の気配を辺り一面に広く漂わせている。無風に等しい中にあって、その臭気は押し遣られる事もなく、ぐずぐずと池の周りで澱みを創りだしているのだ。さらには、何所から流れてきているものとも知れぬ、薄気味の悪い笑い声。それに混ざり、時折唄をうたう子供の声音も聴こえてくる。遠く近く響くそれは、まるで得体の知れない経文のようにすら思える。
 カラスは、言いかけた言の続きを不意に閉ざして口を噤み、そのまま再び屍の上へと目を戻した。
 外傷――らしきものは特に無いようだ。
 仰向けに転がっているそれには、酷い残痕の目立つ首の他には、刺傷や打撲といったものの痕跡は何一つとして確認できそうに無い。ただ、指の先、爪のほとんどが剥がれている。剥がれた爪は屍の近くで見つかったが、それと同時、何かによって削がれたのだろうと思しきアスファルトの傷痕までもが目についた。
「あまり考えたくはないのですが、……この方は、もしや、生きたまま……その」
 言い辛そうに言葉を淀ませたカラスに朗らかな笑みを返し、敏が代わりに言葉を続ける。
「例えばさ、こう、この人をここにこう、動けないように押さえてさ。僕ぐらいの子供とか、もっと小さな子供でも、何人も集まって押さえちゃえば、大人のひとりぐらいの自由を奪う事なんかは簡単だよね」
 笑いながら膝を曲げて片手を伸ばし、屍の片腕をアスファルトに押しやる。
 敏の取った行動によって、屍からは再び血脈が流れて幾筋の線を描き雨に混ざった。
 カラスは敏の行動に眉をしかめてみせながらも、敏の述べた言に小さく目を瞬かせて息を落とした。
「……やはり、生きたままで首を」
 捻じ切られたのだろうか。
 再び言い淀み口を閉ざしたカラスに、敏は静かな笑みをもって応え、傘をくるくると廻した。

 仄暗い雨の中を往く曼珠沙華を咲かせた紅の振り袖を目にとめて、十狼は進めていた歩みを心持ち足早なものへと変えた。
 降りしきる細かな霧雨。足元には小さな水溜りが出来、草履を履いた足は容赦なく水気を含んで冷やされていくはずだ。しかし、袖を纏った女は和傘についた雫を落とすようにふるりと小さく廻しながら、何ら躊躇する事もなく遊歩道を歩き進めていくのだ。
「鬼灯殿」
 女の名を口にした十狼に、柘榴は足を止めて肩越しにちらりと視線を向ける。
「まあ、十狼さん」
 言ってはんなりと微笑んだ柘榴は、程なくして追いついた十狼の顔を仰ぎ見て小さな会釈をした。
「お変わりなさそうで、何よりです」
「鬼灯殿も。――それよりも、鬼灯殿。失礼ながら、何ゆえにこのような場所へ?」
 訊ねた十狼に首を傾げ、柘榴は形の良い唇をじわりと歪めて笑みを浮かべる。
「それは質問ですの? それとも確認?」
「……ならばやはり目的は同じものであるようだ」
 応えた十狼にうなずいて、柘榴は小さく短いため息を落とす。
「こちらに、知っている気配を感じました。――どうやらこの公園の一郭で不穏な事件が起きているとの事ですけれど、やはりまた今回も」
「文字通り、糸を引いている者があるのかもしれぬ」
 短い言葉を交わし、柘榴と十狼は互いに視線を交わらせた。
「……しかし、もう既に新たな血の気配がある」
「呪の気配は感じません。……けれど、なんでしょう。……それよりもよほど気味の悪い、得体の知れぬものの息吹を感じます」
「童らがムービースターの屍を使って戯れ、その後に自らの命を絶つ。そのような忌まわしい事件が続いておるとの事。それを繰り動かしている者がいるならば、……我等は彼の者が何者であるのか、少なからず知っている」
 言いながら、十狼は視線を遊歩道の奥に投げる。
 柘榴と異なり、十狼は身を守るための雨具を一切身につけていない。だが、その身はなぜか僅かほどにも雨を受ける事なく、ゆえに常と変わらず涼やかな面持ちのままだ。
 十狼の目が向いた方に顔を向けて、柘榴はかすかに眉をひそめる。
 記憶を掠めるのはふたつの影。
「参りましょう。――私、先だってお会いしましたおり、彼の方のお名前を伺いそびれてしまいましたの。今度は間違いなく伺っておかねばなりませんわ」
 ゆるゆると微笑みながら白々と細い首を傾げた柘榴に、十狼は身丈の高い、頑強な体躯からは想像もつかないような穏やかな笑みを返した。
「私も、先の折、釈然とせぬままだった」
 言いながら先んじて歩みを進めた十狼を追いつつ、柘榴は和傘についた雫をはらりと払い落とす。
 細かな雨雫が和傘の油に弾かれてはたはたと菖蒲の花に散っていった。 

  ◇

「ギャンガレッド、あいつイジワルだよな。なっかなかボール貸してくれねえでやんの」
「一緒に遊んでくれるって言ったのにねー。ボールくれただけで、ちっとも構いに来てくれないし」
「けっきょくさあ、ヒーローっていっても、全部がぜんぶ、おれらと仲良くしたいって思ってるわけじゃないって事じゃねえの」
「えー、サイテー」
「がっかりだよなー」
「でもこのボール、なんかちょっと変わってておもしろいね。弾み方とか、普通のボールと違ってて」
「だよね。ねえ、また遊ぼうよ」
「でも雨降ってるし」
「だいじょうぶだって。さっきよりも止んできたし、もうすぐきっと止んじゃうよ」
「次、こっちに投げてねー」
「ちゃんとつかめるー? さっきから落としてばっかじゃん」
「大丈夫だよー。今度はちゃんとつかめるからさ」
「ああん、もう、手がベタベタする。雨のせいかな。気持ちわるいー」

  ◇
「ん?」
「――あれ?」
「カラス殿か?」
「偶然ですね、十狼さん」
 
 池の傍近く、敏と言を交わしていたカラスが視線を持ち上げると、先ほどカラスが歩んで来た遊歩道をこちらに向かい近付いて来るふたつの影があるのが見えた。ひとつは紅に彼岸の花を咲かせた和装の女、そうしてもうひとりは見る者を圧倒するほどの体躯をもった青年だった。カラスは、その青年の事をよく知っている。自宅へ招き、共に茶を囲んで談笑するほどの親交を持ち得ている相手だ。
 十狼はカラスの口上にやんわりと頬を緩めたものの、しかし、次いで落とした視線に捉えたものを確め、たちどころに表情を曇らせた。
「……まあ」
 口を開き、重々しく絶句したのは柘榴だった。
 柘榴は傘を持たないほうの手で口許を押さえ、眼下にある無残な屍に目を向けて眉根を寄せた。
「それは……本物ですか」
 訊ねた言葉は、ある意味ではひどく暢気なものであったかもしれない。が、それほどまでに、屍はまるで冗談による産物であるかのように見えるのだ。
「残念ながら」
 小さなうなずきを返し、カラスは柘榴に目を向ける。
「あまり見ない方がいい。……気分が悪くなるかもしれません」
 言って柘榴の視線を遮るように身を動かすが、柘榴ははたりと視線を持ち上げてかぶりを振った。
「お気遣いありがとうございます。……でも、私なら大丈夫です。……少し、驚いてしまっただけですから」
「……驚いた?」
 訊ね返したカラスに、変わらず傘をくるくると廻しながら周囲を検めていた敏がちらりと顔を上げる。
 敏の視線が寄せられたのに気がついて、柘榴は少年の顔を一瞥した。少年は柘榴の視線を真っ直ぐに捉え、陰惨たる場面を目の前に据えたものとは思えない、満面の笑みを咲かせる。
「そうだよね。やっぱりびっくりしちゃうよね」
 言いながら首を竦めた少年に、柘榴は静かに目を瞬いた。
「――この者が何者であるのかは知らぬが」
 十狼が不快そうに声を潜める。
「この者がムービースターであるのは判る」
「ムービースター?」
 言を返して十狼を振り向き、カラスは灰の双眸をゆらりと細め、眼前の青年を仰いだ。
「そんなはずは。……ムービースターは何らかの理由で死を迎えた際、その身を一本のフィルムへと転じるはず」
「然り。ゆえに鬼灯殿も、そこな少年も、奇妙だと申しておるのだろう」
「僕? 僕は敏。苗字は崎守。まあ、好きなように呼んでくれて構わないけどね」
 言って小さく笑う敏に一瞥を向け、十狼は静かにうなずく。
「私は十狼。それでは崎守殿、崎守殿はこの屍がムービースターのものであるのを気取っておられたのか」
「うーん、なんていうか、僕はその死体よりも、向こうから感じる気配の方が楽しそうだから気になっちゃってるんだけどね」
「……気配」
 返し、十狼は視線をちらりと移ろわせる。
 確かに、降り続いている雨の向こうから漂い流れて来るのは、雨に打たれ転がっているままの屍が放つ暗澹とした空気よりも一層昏く沈んだ、深い闇の底を思わせる気配だ。そうして、その暗礁の主を、おそらく十狼は知っている。
 不快を顕わにしながら横目に柘榴を確める。柘榴もまた十狼と同様、眉を顰めて雨の奥を見据えていた。
「フィルムに変じないムービースターか」
 独りごち、カラスは眼鏡の縁を指の腹で押し上げる。
 ――元来、ムービースターは末期を迎えると同時にその身をフィルムへと変じる。それはいわば銀幕市における常識と呼ぶに相応しいほどのものであり、事情に通じている者ならばおそらく知らぬ者はないだろうと思しき現象だった。
 フィルムに変じないムービースターの死体。それは本来文字通りの変事であるはずだ。あり得るはずはない。
 だが、カラスは――十狼もまた、以前にも同じような変事を眼前に迎えた事がある。
あれはまだ銀幕市に桜が咲き揃う前、三月。カラスが居合わせるところとなった、斧を振るう殺人鬼との対峙。あの事件の折も確か、殺されたムービースターはフィルムに変じる事なく、屍を曝したままになっていたはずだ。
さらには、そこから遡る事二月。市の全体を襲った大きなハザードも、やはり常とは異なる顛末を迎えたのだと耳にした事があったはずだ。――あれは確か、ぐずぐずに崩れた黒いフィルムの残骸に変じてしまったのではなかったか。ならばそれもまた、ある種の変異と捉えて然るべきだろう。
雨に濡れた髪をわずかに手で除けながら、カラスはしばし思案に耽る。
「ねえ、あっちのあのあずまやから声がしてるよ。行ってみようよ」
 沈黙したカラスを見上げながら、敏が楽しげに足を進めた。
 敏の歩みを目で追いながら視線を移した柘榴の視界に、池から幾分離れた場所に建つ小さな木造の休憩場所が映りこむ。
 見れば、それは屋根こそ戴いているものの、風雨避けとなるべくして建てられたものではなく、ゆえに壁のひとつですらも無い、文字通りの休憩場所に他ならない。むろんの事、仮にその下に子供が集い座っていたならば、その姿は必然的に四人の目にも見えただろう。が、そこには子供達の姿などひとつですらも見当たらないのだ。
 しかし、敏は間違いなくそのあずまやに向けて歩んでいく。その足取りはとても軽く、今にも小さく弾んで行きそうだ。
 赤い傘がくるくると回転しながら遠くなっていくのを見つめ、十狼もまたそれを追って歩みを進める。――声は確かにその屋根の下から聴こえているのだ。さらに言えば、そこからは人の気配がしている。それも、複数の、幼子が放つ特有の気配だ。ならばおそらく、子供達は間違いなくその場所にいるのだろう。不可視ではあっても、先だって訪れた桜の森を思えば、異界と化した別空間に場所を設ける事など、多分に不可能ではないはずなのだから。
「彼の者の仕業であろうか」
 誰にともなく呟いた言であったが、十狼のそれを、すぐ傍らを歩いていた柘榴の耳が聞きとめていた。
「憶えのある気配。これは間違いなくあの方のものですわ」
 言ってちらりと十狼を見やる柘榴に、十狼もまた視線を刹那の間向ける。
「……黒子姿のあの者か」
「それは質疑? それとも確認?」
 応えた柘榴の面には艶やかな笑みが咲いていた。
 十狼は、それには応えずに眉をしかめ、視線を柘榴から外して敏を追う。
 向かう先、あずまやの屋根の下には敏が既に到着していた。敏は屋根の下で傘を閉じて雫を払い、次いで興味のある玩具を品定めするような視線で周りを検めている。
 カラスは三人を送りながら、眼前にある変事、そしてこれまで見聞してきた変事、それらを順立てながら思い出していた。
 一連の変事。これらはむろん、核となる悪意はそれぞれに別個となるもののはずだ。少なくとも、そこに繋がりのようなものがあるとは思い難い。だが、それに触れた時、それぞれから得る感触は、何れも一言に括るには容易ではない。あるのは昏い害悪。背を走る怖気。訳もなく感じる、底の知れぬ闇だ。
 ――あるいは、銀幕市という地の底、未だ波風すら立てずに身を潜めている混沌が存在しているという事なのだろうか。そうして、それらが時に何ら前触れもなく水上に顔を覗かせているのだ。そう考えれば、一連の変事はひとつの線を持って繋ぎ考えるに至れないだろうか。
「……いや」
 考えすぎだ。
 そう呟いて、カラスは場を後にした。
 そうして、未だフィルムに変じる事が出来ずにいる憐れな死骸が、静かに降る雨の中、ただひとりきりで残された。

 ◇

 ほら、やはりお客が来たようだ。
 主はそういってひくくわらう。
 主がなぜわざとお客をまねくのか、――そもそもなぜわざと気付かれるように声を大きくするのか、わたしにはわからない。
 わたしはともだちができるとうれしい。でもともだちは家にかえってしまうから、そうなったらやっぱりさみしい。だからまたともだちをよぶ。それだけ。
 でも主はちがう。わざとお客をよんでいるようにしかおもえない。
 なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?
 主もさみしいんだろうか。そう思ってきいてみたけど、主はわらってばかりだった。

 ◇

 十狼が両腰に提げた刃を抜刀し、不可視の壁に向けて一閃を放つ。放った斬撃はおよそ常たる者の目に留まるようなものではなかったが、瞬きよりも短い間、降る霧雨が細い線を描いたようにも見えた。
 視界が割かれ、鈍色の光彩が雨染みの中へ失せたのと同時に、それまでは確かに姿を見せていなかったはずの子供達が現れた。それと同時に場の空気が一息に淀みを色濃いものへと変え、辺りには鼻をつく異臭がたちこめたのだ。――それは足元の全体を満たす血糊によるものであり、そして全身を血で汚した子供達が放つものでもあった。
 子供達は何れも小学校の低学年ほどだろうか。未だ稚い、頑是無い笑みを満面に咲かせながら、唐突に現れた四人の客人を興味深げに取り囲んで懐こい歓声をあげた。
「ねえ、君たち、何してるの? 雨宿り?」
 視界を埋める血の赤にうろたえる事もなく、他の三人に先んじて、敏が一歩を踏み出す。足元に小さな血溜まりが出来ており、敏の足はそれを事も無げに踏みつける。粘着のあるものを踏みつけた、耳に不快な音が小さく響いた。
 血に塗れた子供達は、しかし、自分達が血まみれになっている事になどまるで気がついてはいないようだ。
「ボールで遊んでんの」
 ひとりが懐こい笑みをもって応えた。敏もまた懐こい笑みを返して喜色を顕わにうなずく。そうしながら、子供達の輪の中――木製の椅子の上に座っている人形に目を落とした。
「いいなあ。僕も仲間に入れてよ」
「いいよ、一緒に遊ぼう! このボール、ギャンガマンのレッドからもらったんだ。けっこう弾むんだぜ」
 言いながらボールを突いた少年に、敏はじわりと眦を緩める。
 少年が毬突きして遊んでいるそのボールは、もはや面立ちや表情など読み取れそうにない、肉の塊としか言い様のないものだった。残っている短い頭髪が、唯一それが頭部であった事を報せるものとなっている。
 敏は“ボール”をちろりと一瞥し、それから再び、娘の姿をした人形の顔に目を向けた。
「それじゃあ、あっちでドッヂやろうよ。雨も小降りになってきてるしさ」
 言った敏の言は子供達の賛同を得、歓声をあげながら屋根の外へ飛び出していった。

 残された人形は、かつりと首を傾げた姿勢のまま、じわりと身じろぐ事をすらしない。
 柘榴は人形の傍らにまで歩みを進めた後、視界に映る景色のどこにも人形の主――黒子の姿の無いのを見て、ようやく笑みを薄くした。
「黒子さんはいらっしゃらないんですね」
 言いながら人形を見つめ、ため息ともつかない息を落とす。
 十狼は周りに立ちこめている異臭に不快を示しながら人形の隣に膝をつき、銀の双眸をゆるりと細めて小さく問うた。
「そなたの主は何処か」
 訊ねた声音は聞く者の背が粟立つような低音で、無言で通すのを許容しない、静かな怒気のこもったものだった。
 娘は十狼の言に、やがてかつりと首を振る。紅をひいた小さな唇が、上下をすら見せずに言葉を成した。
「御前にございましょう」
 告げられた声音は娘のそれとは異なり、低い、どこかに笑みを含んだ男のものだった。
「わたくしはご覧の通りの人形繰り。なればお客様の御目に触れますのは娘の姿、それきりでございましょう」
「お久し振りでございます。まあ、御変わりなく、何よりですわ」
 返したのは柘榴。柘榴は手にしていた和傘の水滴を払い落とし、それを椅子に立て掛けて、なるべく溜まりを踏まないようにと配りながら半歩を進む。
「人形遊びの次には首遊びですのね。なんとも悪趣味な」
 唇の片側だけを吊り上げて笑う柘榴に、娘がかつりと顔をあげた。
「些末な戯れにございます。世間様にお楽しみいただけているならば、是幸い」
 言って、娘は器用にも、仰々しい所作で腰を折る。
「戯れ」
 一言を返し、柘榴が唇の端を歪めた。
「気に入らぬな」
 口を開いた十狼の面持ちは不快を顕わに浮かべている。
「そなた、何を思い、あのような頑是無い、戦いの何たるかも知らぬ童に斯様な無粋をするか」
「はて、無粋とは」
 娘の口を借りた黒子が小さな笑みを洩らす。十狼は更に不快を色濃いものへと染めて、娘の後方、虚ろなものとしてたゆたう薄暗い闇の気配をねめつけた。
「私は、別段彼の童らに思い入れを抱くわけではない。人というものの生き死には確かに個々の力量であろう。それも否定はせぬ。だが、命を左右する戦いならば、そこには大人も子供も隔てなく平等であろうとも思う。それを、――彼の童らは、そなたが繰り動かしておるのだろうな。よもや己が手が人を屠り、それを嬲り続けている事など、およそ気がついてもおるまい」
「……それは、そちらの人形――いや、人形の後ろにあるそれが催眠術のようなものを行使し、それをもって子供達を操っているのだと?」
 カラスが問う。カラスの目もまた十狼に同様、娘ではなく、その後ろ――風景に溶け込み、可視のものではない影を見据えていた。
 応えは、誰からものぼらない。しかし夜の帳の如くに静かに蟠る沈黙の重みが、いわば応えとなっているようでもあった。
 雨が草花を叩く音がする。それに織り交ざり、低くくぐもった嘲笑も幽かに響いていた。
 十狼は柄に手をかけて歯噛みをする。
 ――己の意思とは係わりのない部分で、しかし紛れもなく己が自身の手をもって他人の血を流す子供。子供を動かしているものが催眠であれ、あるいは他の術であれ、何れにせよそれが不快なものである事には違いない。
 子供らが眼前の惨状を知覚した時、彼らの心を衝き動かすものはどんなものであろうか。
それを思えばこそ、十狼の心中に大きな蟠りが生じるのだ。
 十狼が唯一無二と信服している存在。その幼少期の悲愴を間近に見ていた時分の感情が起伏する。
 柄を抜き人形ごと影を裂こうとした十狼を留めたのは柘榴の柔らかな声だった。
「ところで、私、あなたとお話したくもあるのですけれども、そちらのお人形ともお話したく思いますわ。ねえ、あなた。あなたはご自身の言葉をお持ちではありませんの?」
 闇を呈した双眸をゆらりと細め、柘榴は人形の前で膝を折って娘の顔を覗きこんだ。
「それとも、あなたは真実お人形だという事かしら。どんな形にせよ、あなたの主はこちらにお姿をお見せにはならないようですし、――ほら、あのように。人形ではなく人を繰る術を覚えたのならば、あるいはあなた、主から捨て置かれたのではありません?」
 くつくつと笑いながら告げる柘榴に、娘のうろんな眼が僅かに揺れた。それと共に娘の後ろで蟠り揺れていた影もまた大きく歪み、そしてそこから黒子の気配は立ち消えたのだった。

 敏は屋根のある場所から幾らか離れた平地に陣取り、数人の子供達を相手に、宣言通りにドッヂボールをして遊んでいた。
 ボールは、手にするたびにぬちゃりと不快な音を立て、雫が跳ねる。雫は両手はむろんの事、体の至る部分に跳ね上がって容赦なく汚していった。
 が、敏はその手で頬を拭い、雨に濡れた前髪をかきあげて笑みを浮かべる。
 ちらりと窺う視界の中、娘の姿をした人形の後ろに蟠っていた闇が消失したのが見える。
ああ、本体は消えたのだと考えながら、敏はおりしも飛んできたボールを掴んで足を止める。
「ねえ、このボール、ちょっと具合が良くないね。弾みが悪くなってきてるし、それに結構重いよ。違うボールが欲しくない?」
 満面に笑みを咲かせながら述べた言に、子供達は初めこそ僅かに戸惑い言葉に詰まってはいたが、しかし程無く、誰からともなしに敏の言葉に同意を返しだした。
 敏は満足そうに頬を緩めながら首を傾げ、視線をちらりとあずまやの方へ――その下にある娘へと移して言葉を続けた。
「ねえ、あそこに丁度よさげなボールがあるんだけどさ。――貰いに行こうよ」

 残された娘は、椅子の上、身じろぐ事もせずに座している。その、何をも写さぬ暗い目玉を覗き込み、柘榴は艶やかな笑みを乗せた。
「お訊ねしたいのですけれど、よろしいかしら。――この度の一件、子供達を繰っているのがあなたの主であるであろう事はさておきまして。戯れていらしたのはあなたでよろしいのですよね」
 やわらかな声音ではあるが、そこには有無を言わせぬ静かな圧力が込められている。
 娘は、しかし、やはりじわりとも動かない。
「思えば、桜の森で多くの犠牲をヒトガタへと変じさせたのは、否、それを欲したのもまたこの人形であった。此度の一件、もしもこの娘が“退屈を凌ぐため”の戯れであるならば、」
 深い息を落としながら、十狼が声を潜める。
「そなたもまた、ここで捨て置くわけにはいくまい」
『ともだち』
 今しも抜刀しようとした十狼に、娘はようやくかつりと首を傾いだ。
『主が、ともだちがほしかろうと』
 それは、鈴の音を転がすように響く少女の声音だった。
『だから、……ともだちになってくれるひとを呼べ、と』
 たどたどしく言い噤む娘に、カラスがふと口を開ける。
「ムービースターを手にかけていたのはあなた方ですか? それとも、……これはあまり考えたくもない事なのですが……」
 かつりと木遣りの音を立てて、娘の首がカラスを向いた。
「子供達がムービースターを殺し、あまつさえ玩具にして扱っていたのでしょうか」
 言い辛そうに眉根を潜めながら、カラスは眼鏡の縁を押し上げる。
 その時だった。
 それまではどこかたどたどしく見えた娘が表情を一変させたのだ。それはまさに文字通り、まるで仕掛けが施されてでもいたかのように、娘のはんなりとした白い面は瞬時に夜叉のものへと変じたのだった。
『カ、カカカっ!』 
 木遣りの音にも聴こえたそれは、しかし、娘の笑い声だった。
『然り、然り! 此度、わたくしどもは何一つ指を動かしてはおらぬ! わっぱ共の腹の底、そこに淀む泥水をほんの少しばかり掬ってやったまでの事! カカカっ!』
 娘の体は薄暗い風景の中に浮揚し、降る雨を背景に、高々とした嘲笑を立ちのぼらせている。
「なるほど」
 うなずき、歩みを進めた柘榴が、不意に片手を持ち上げて娘の小さな手へと指を伸べた。
「言った筈ですわね。ヒトを殺めた業は暗く、深く、重いと」
 言いながら、娘の手を握る。娘の指は鋭利な爪を生やしていたが、それが指先に食い込んでいくのにも構わず、柘榴は艶然たる笑みを浮かべて目を細ませる。
「友達が欲しいのでしたら、今、私がなって差し上げてもいいですわ」
「柘榴さん……!」
 カラスの声が柘榴を制する。が、柘榴は構わずに言を続けた。
「ただし、十秒。ほんの十秒ほど、ワタクシの戯れに乗じてやってくださいませ。――十秒以内に私を殺せたのならば貴女の勝ち。その時にはヒトガタにでも毬にでも、お好きなように嬲りなさいませ。その代わり、殺せなかったら私の勝ち。その時には貴女、私のモノになってくださいませね」
「――へえ、面白そうだね」
 口を挟みいれてきたのは敏だった。
 敏は両手で抱え込むようにして肉塊を持っている。
 娘の視線が一瞬敏に向けられた、その刹那。
 ――空気が一変した。
 気がつけば、そこは夜の暗色で覆われた空間となっていた。
 雨は止み、天空には刃のような三日月が張り付き揺れている。
 今しがたまで立っていたはずの場所は、今や石畳を敷いた境内の上へと変じていた。
「これは」
 ムービースターが現出させる特殊な空間。今まさにその只中にあるのだと瞬時に悟り、カラスは開きかけた口を閉ざした。
 視線を横に向ければ、そこには月の揺れる天空を仰ぎ見ている十狼と、楽しそうに目を細ませて次第を眺めている敏の姿とがあった。子供達の姿は見当たらない。彼らはこの場所に招かれなかったのだろうか。そう思いながら視線を柘榴へ戻す。
 柘榴は丑の刻参りの装束を身に纏い、黒髪をざんばらに乱した姿となっていた。その手には娘が握られている。
「十秒経ちました。さあ、ワタクシと遊びましょう」
 言うが早いか、柘榴は娘を一本の釘と共に杉の木に押し遣って、片手に掲げた金槌を大きく振り上げた。
 娘の絶叫が境内に響き、それを打ち消すかのように、金属音が闇を震わせた。

 ◇
 
「誰ぞ居るか」
 娘の絶叫が止むのと同時、柘榴が広げた空間もまた消失した。
 雨は未だ続いており、あずまやの下では顔面を蒼白させた子供達が腰を抜かして座り込んでいた。
 十狼が低い声で呼びかけると、その足元から現出した影が――それは子供達の目に触れる事のない存在ではあったが――湖面から顔を覗かせる如くに目を閃かせる。
「逃れた黒子の行方を探れ。見つけたならば即座に報せよ」
 一瞥を向けて低く落とす。
 現出したのは十狼が僕として使役している幻獣の一だった。幻獣は主の言を受けて何事かを応え、そして即座に黒子を追った。
「見つけたならば、如何様にしてでも滅ぼさねばならぬ」

 柘榴の左腕が大きく裂傷しているのを危惧し、カラスは上着の裾を裂いて傷口に当てた。
 柘榴の手には阿鼻を張り付かせたままの娘が握られている。
「……彼のお方に呪をかけようと思ったのですけれど」
 気恥ずかしそうに言いながら、しかし、柘榴は小さな息を吐き出した。
「失敗してしまいましたわ」
 そう続けながら口許に残る吐血を拭う。
 娘を残して姿を消した黒子。――否、今回、黒子はその姿を現出させる事はなかった。
現出したのは形の定まらぬ闇の塊。あわよくばと思いそれを呪ってはみたが、黒子を捕らえるには至らずに、結果、己の身が裂けた。――かけた呪いが戻されたのだ。
 カラスは柘榴の傷を手当てしながら眉を潜める。
「いずれにせよ、その人形や人形の主がしでかした事は赦されるものではありません。まして、」
 言って、視線を子供達に向ける。
 子供達は、今や己達が何をもって遊んでいたのか、あるいは自分達の風体が如何様なものであるのか、それを知覚してしまった。
 稚い彼らであっても、全身を汚す赤い斑を見れば、――何より、敏が手にしているそれを見れば、自分達が如何なる罪科を犯してしまったのかを悟る事は出来るだろう。
 恐ろしさに涙する事すら出来ずにいる彼らに、敏は変わらない笑みを浮かべて言葉をかけた。
「ねえ、君達。君達はおうちに帰らないの?」
 訊ねるが、子供達はやはり恐怖に竦み、声を発する事すら出来ずにいる。
 がくがくと震えているのは、雨に濡れた体に寒さを覚えたからではないだろう。
 敏は応えのないのには構わずに、にこりと笑んで、
 ――次の刹那、場に張り詰めた空気が広がった。
「おうちに帰って、お母さんが作ったご飯とか食べたいよね。ぎゅうって抱きしめてもらって、暖かいベッドで眠って、それで学校に行って勉強したり遊んだり……そんな風にしたいよね」
 敏の声は、一言ひとことが異様ともいえるような重みを持っている。
 それまで黙していた子供達の中の、誰が初めにしゃくりあげたのだろうか。ともかくも、ひとりが思い出したように泣き喚いたのを発端に、子供達は火がついたように泣き喚き始めたのだ。
「こわい、こわい、こわい、こわいこわいこわい」
「おかあさん!」
 見る間に広がった感情の波に、敏はゆるゆると頬を緩ませる。
 手にしていたものは、いつしか消え失せていた。おそらく、死骸がようやくフィルムへと変じたのだろう。
「それじゃあ、帰ろう」
 言いながら、今度はちらりと娘の顔に目を向ける。
「その前に、あのボールを取ってこないとね。――僕、あのボールで遊びたいんだよ」
 じわりと細めた眼差しは、柘榴が広げた空間に浮かんでいた三日月の形を呈していた。
 娘は、伸ばされた敏の手に、枯れた声を絞って空気ばかりを吐き出した。

 ◇

「それで、どうでした」
 幻獣が戻ったのを見て、カラスが十狼に問う。
 十狼は僕に労いを述べてからカラスを見やり、小さなかぶりを振ってみせた。

 黒子の姿は銀幕市のどこにも見当たらない。それどころか、その気配すら、その何処にも感じられないというのだ。……否。
「あるいは、銀幕市の随所で気配を察知出来たともいう。――つまり、」
「実体のない、……空気のように市をたゆとう者」
「然り」
 うなずき、十狼は小さな唸り声をあげた。
 カラスはしばし思案した後、思いきったように顔をあげて口を開く。
「十狼さんは憶えていますか? 二月に起きたハザードを」
「二月? 確かチョコレートキングの」
「ええ。あれの顛末は実に奇妙なものでした。……次いで云えば、俺は今回と同様、ムービースターが屍を曝し続ける事になった事件があるのを、他にも知っています」
「……」
 十狼の眉が跳ね上がる。
「……ムービースターが狙われるのは、ある意味では致し方のない事だと言えよう。……が、何故こうも続けて奇妙な案件が生じるのだろうか」
 応えながら、十狼はふと連発している爆弾魔の事件を思い出した。あれもまた、ムービースターを対象に据えた陰惨たる事件ではないだろうか。
「――何かが起きている」
 カラスの声は低く落とされ、十狼は眉根を顰める事で返事となした。

「もしやと思うのですけれど」
 現場には、無残な姿となった死骸を発見、捜査をするために集った警察や検事達が右往左往していた。
 柘榴は遠目にそれを見やりながら、横にいる敏に向けて――あるいは誰にともなしに口を開く。
「私達は、存外、知らぬ間に、大きな歪みの中に身を置いてしまっているのではないのかしら」
 呟いた言に応えはない。
 
 降り続く細かな雨が菖蒲の花を叩く、その幽かな音ばかりが項垂れた。
  

 
 

 




クリエイターコメントぎりぎりのお届けとなってしまいました。
お待たせしてしまい、申し訳ありません。
このたびは当シナリオへのご参加、まことにありがとうございました。
お待たせしてしまいました分、わずかほどにでもお楽しみいただけていればと思うのですけれども。


>崎守敏様
はじめまして。このたびはご参加、まことにありがとうございました。
サイコでホラーな敏様の表情や言動。それを出来うる限りに描写してみようと思いつつ書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
でも、子供達への心遣いもちゃんといただきましたね。形はどうあれ、優しい方なのだなと思いましたv

>取島カラス様
はじめまして。このたびはご参加まことにありがとうございました。
お言葉に甘えて、結構好きなように動かさせていただきましたが、だ、大丈夫でしたでしょうか。
眼鏡キャラということでしたので、個人的にちょっと萌えを感じつつ書かせていただきました。
今作ではちょっとした謎の部分への思案に耽っていただきました。

>鬼灯柘榴様
二度目のご参加、まことにありがとうございます。
こ、今回、ロケエリの描写もさせていただけて…!!! 感激です。ありがとうございます!!
吐血場面とかも織り交ぜたかったんですが、それはちょっと省いてみました。うう…
い、いつかきっと(?)。

>十狼様
二度目のご参加、まことにありがとうございました!
今作でも抜刀場面などを織り交ぜていこうかと思ったのですが、展開的にそれはならずに終わってしまいました。うう。
その代わりといってはなんですが、ちょっとした部分部分を挟みいれてみました。書いてみたかったんですようー! 主従、イイですよね!!


何かと萌えに走るダメなライターで申し訳ないです。
さて、次作でシリーズ完結となります。なるべく遠からずシナリオリリースできるように努めますので、よろしければまた御一考くださいませーv

また、いろいろな謎を含んだものとなってしまい、申し訳なく。
楽しんでいただけていればいいなと願いつつ。
公開日時2007-05-15(火) 22:40
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