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<ノベル>
「……ま、災難だなと言ってやりてぇとこだけどよ」
事態の一部始終を見ていた刀冴は、赤く染まったKENの左頬を半笑いで眺めていた。
「何でもいい、はちょっとばかり無神経に過ぎねぇかな」
「んなこと言われてもさー、思いつかねーんだもんよ。なあ、何で何でもいいで怒るわけ?」
咎められた理由がイマイチピンと来ないKENは、隣に居たエドガー・ウォレスに尋ねてみる。
「何でもいい、って言われるのが一番困る、っていう主婦の話を聞いた事があるよ。そういう些細な事からどんどんすれ違いが増えていって…最終的には夫と仲違いしたとかね」
「うええ……マジかよ」
何でもいいとは、相手を気遣っているようで全く逆の言葉だろう。和食、中華、あっさり、こってり、食欲があるのか無いのか……どんな些細なことでもいい、食べさせたい相手の情報があれば献立を決めることは決して難しくも辛くも無い。折角作ったものが相手の口に合わなかったら無駄骨だし、何より満足してもらえないことは辛いだろう。萩堂天祢が自らの日常を振り返るが如く、しみじみと頷いた。
「私もその気持ち、分かります。二人分作って相手が食べなかった時って、結構切ないものですよ」
……次の日に残り物をアレンジし直したやつを食べてると、相手がひょっこり現れてつまんでくれたりするんですけどね。天祢は思い出したようにそう付け加えて、一人幸せそうに笑った。その笑顔は銀幕に写る幸せな妙の表情にどこか似ている。相手が自分の作ったものを喜んでくれる。それは自分に喜びと安堵と、どうしようもない幸福感がいっぺんにやってくる瞬間だ。料理はおろか家事もからきしなKENには現実感が無かったが、天祢の表情に嘘が無いことだけはよく分かった。
「やあね、これだから男って」
腕組みで軽く溜息をついたのはリカ・ヴォリンスカヤだった。妙が怒る理由が分かるのか、窘めるようにKENを睨みつける。
「だいたいねえ、仕事でパティシエやってるわたしだってレシピに困ることがあるくらいなのよ? お給料ももらえない妙さんが思い詰めるの、わたしとってもよくわかるの」
「えー……つか、あんた本当にパティシエなの?」
リカのコンシャスな容姿を上から下まで眺めたKENが、思わず本音をぽろりと零す。そのナリでケーキ屋のフリフリエプロンとかマジ無い……と言いかけたが、刺さるようなリカの視線が飛んできたので自重した。笑っているようで笑っていない、あの目は凶器だ。
「失礼ね、まったく。乙女心の分からないあなたになんか任せておけない、わたしが妙さんの助けにならなくちゃ!」
言うが早いか、リカは妙が去った方向へ颯爽と足を向けた。残された男四人は互いの顔を見合わせて暫し思案に暮れたが、リカの顔見知りらしい天祢が大丈夫、と笑う。
「女心は女に聞け、ですね。妙さんのことは彼女に任せておけばいいんじゃないでしょうか」
「はは、それはその通りだね」
「よーし、なら俺たちは男らしく狩りと洒落込むか?」
「狩りだあ? 銀幕市にイノシシだのクマだの居んのかよ!」
「馬ッ鹿野郎、言葉のアヤだ。畑で収穫も立派な狩りだろ」
「それ早く言えっつの! したら行こうぜ、メシの話してたら腹減ったし!」
「おうおう、任せときな」
四人が向かったのは杵間山中腹にある刀冴の自宅だ。こじんまりとした古民家の裏手にはちょっとした畑と林が広がっている。刀冴が皆を連れて畑に足を踏み入れると、そこには勝手知ったるといった感じで理月が縁側に腰掛けていた。
「あ、刀冴さん。どこ行ってたんだ?」
「ちょっと野暮用ってとこか。丁度いい、お前も手伝いな。メシ作るからよ」
「ん、分かった! へっへ、刀冴さんの料理が食えるー」
理月はぱっと顔を輝かせ、手馴れた様子で準備を始めた。刀冴の料理ならいつも食べている筈なのに、まるで子供のように無邪気に喜んでいる。彼の作る味をよく知っている、だから食べる前からこんなに喜べるのだろうし、同時に料理でも何でも、喜びを感じることがあったなら、それを与えてくれた存在へ感謝を伝えたいのだろう。自分が一人で生きていないことを、理月は誰よりよく知っているから。
「羨ましいですね、刀冴さん。来栖にもたまにはこんなこと、言われてみたいものです」
天祢が目尻を下げて二人を見遣る。
「ま、そっちはそっちで悪い仲じゃねぇだろうよ」
好きで来栖の世話をしているのだから、そう言われては立つ瀬が無い。天祢はまんざらでもない様子でちょいと頬をかき、だといいんですが、と呟いて目を細めた。
「しかし、これだけ立派な畑だと何を採っていいものやら悩むね」
エドガーがスーツの袖を折り返し、畑を眺めて感嘆の溜息をついた。よく手入れのされた耕地には季節の野菜がのびのびと育っており、土と菜っ葉の匂いを吸い込むだけで食欲が湧きそうだ。
「そうさなあ、今良さそうなのは白菜に水菜に……」
目ぼしいものを挙げながら手早く野菜を採ってゆく刀冴。理月がそれをてきぱきと手伝ってゆく。エドガーと天祢も、慣れないながらスーツの汚れを気にせず収穫作業を楽しんでいる。一方、KENは皆の作業を眺めて右往左往していた。
「……なーなー、オレ何したらいいの」
「芋でも掘ってろ。……ってのは冗談だけどよ、裏の林に山芋の蔓があんだろ。むかごが生ってるからそれ取って来てくれねぇか」
「へーい」
言われた通りに山芋の蔓を探し、葉の間に生った小さなむかごの実をぷちぷちと採ってゆく。塩茹でするだけで酒の肴になるし、バターで炒めてもいいだろう。料理が出来ないKENにとっても、こうして食材を手にとって、その先の味を想像することは結構楽しい。妙はそれを忘れてしまったのだろうか。忘れてしまったのだとすれば、どうしたらそれを思い出してくれるだろう。まだ少し痛む左頬を手の甲で擦り、妙に働いた非礼を初めて申し訳なく思った。
ともあれ、こうして皆で美味しいものを食べればそのわだかまりも解けるだろう。籠一杯のむかごを携えて戻ると、既に四人も収穫を終えていた。
「いやいや、すっかり夢中になってたよ」
「本当ですね、でも労働の後のご飯は美味しいといいますし、楽しみです」
めいめい、野菜や茸を山と抱えている。秋もそろそろ終わるというのに額には汗が滲んでいた。お互い土まみれになった服や手を指して笑いあい、これから味わえるであろう料理を思うたびにまた笑みが零れた。
一方、その頃。
「(……どうして、あんなこと言ってしまったのかしら)」
商店街の外れに、肩を落としてとぼとぼ歩く妙の姿があった。
いきなり目の前に現れた失礼な男へ平手打ちをかましたことは後悔していない。けれど、聞いた私が馬鹿だったなんて……夫からいつも言われている事を赤の他人に言われただけでああまで激昂してしまう、もしかしてこれは自分の心からの本心なのかもしれない。愛する夫にもそんな思いを抱いているのかもしれない。そう思うと無性に哀しくなってしまった。結局献立も決まらず、今日の買い物も済んでいないまま、妙はダウンタウンに実体化した自宅へ戻ろうと路地を曲がる、が。
「……きゃっ!」
「……おっと」
俯いて歩いていた所為か前が見えず、角を曲がった先に居た人物……ハウレス・コーンと派手にぶつかってしまった。
「大丈夫?」
「は、はい、どうも失礼を……」
穏やかに微笑むハウレスにおずおずと頭を下げ、妙は取り落とした買い物籠を拾う。すると不自然に籠が重い。何も買っていないのに……と中を覗いてみる。すると。
「……あらっ」
「みゃおん」
そこには、黒の毛皮に真っ白の手袋とソックス柄の可愛い猫が鎮座していた。
「こら、シズカ。人様のものに入っては駄目だよ」
シズカと呼ばれた猫はくるるると喉を鳴らし主の元へ戻る。再び空になった買い物籠を見て、ハウレスは不思議そうに尋ねた。
「商店街から来たのに、買い物はしないで帰るの?」
「えっ……ええと……」
不意を突かれた質問に、妙はしどろもどろになる。夕飯の買い物をしようと商店街に来たのは自分でも覚えているのに、何も決められなかった。否、決めることを拒んでしまった。それをハウレスに見透かされたようで。
「何か事情がおありのようだね、俺でよければ話を聞くよ」
「そんな、初対面の方にお話しするなんて……」
「でも、とても辛そうだから」
「……!」
ハウレスはあくまで穏やかな笑顔を崩さない。さっきのKENと違い、妙は彼に苛立ちを感じることは無かった。変な人だと思いながらも不思議と嫌な感じはしないし、もう一度だけなら、同じ事を聞いてみてもいいかもしれない、そう思うくらいに。
「じゃあ、あのう……実は、今日のお夕飯が決まらないんです。貴方は何を召し上がりたいでしょうか……?」
「ご飯? そうだなあ……逆に聞くけど、あなたは何を食べたいのかな」
「えっ」
妙はまたしても言葉に詰まった。今まで誰にも、そんなことを聞かれたことが無かったからだ。いつも優先するべきは愛する夫で、自分の都合は二の次。それが当たり前だと思っていたし、疑いを持ったことも無い。
「わ、私は……作る側、食べてもらう側、ですから」
「どうして作る側が食べたいものを作っちゃいけないと思うの? 自分だって一緒に食べるんだから、いいじゃないか」
屈託なく尋ねられ、返せる答えを妙は持っていなかった。当たり前という檻は存外に破れないものである。
ハウレスはそんな事情など知る由も無かったが、目の前の妙が何がしかに心を折られていることだけは分かる。見目に反して……というのは違うだろうか、妙を見るハウレスの目は優しく深い。
「俺にはよく分からないけれど、でもね……」
「ああっ、見つけたわ! 探してたのよ妙さん!」
「!?」
ハウレスが言いかけた台詞は、妙の後ろからやってきたもう一つの声に掻き消された。二人が声の方向に視線を遣ると、ダークブラウンのキャミソールワンピースに銀のファーコートを羽織った赤髪の美女……そう、リカが妙に向かって歩み寄っていた。
「あの、貴方は……?」
「あら、ごめんなさいね。わたしはリカ。リカ・ヴォリンスカヤっていうの。チェリー・ロードでパティシエをしているのよ、よろしくね」
「ぱ、ぱてぃしえ……?」
リカはにこやかに挨拶をし、半ば無理やり妙の手を取ってぶんぶんと握手を交わした。突然見知らぬ外国人から名前を呼ばれた妙は訳も分からず首を傾げるばかり。そもそも妙が聞きたいのは名前や職業でなく、何故に自分の名前を知っているのか、何故自分を探していたのかというところなのだが、リカはあまり気にする様子も無くまくし立てる。
「さっき商店街で男の人に平手打ちしてたの、あなたでしょう? その人から事情を聞かせてもらったの、だからあなたの助けになりたくって!」
「???」
「遠慮なんかしないで、ほら。行きましょうよ」
リカに手を取られ、妙は戸惑うばかりだった。別段遠慮をしているわけではない。どうしてこういうことになったのか、事情を知りたくはあったけれど。
「あの、私、お夕飯の支度がありますので…!」
「だから一緒に献立考えましょ! 一人でよりも二人で考えたほうが絶対に楽しいわよ。あなたもそう思うでしょ?」
当然イエスと答えるわよね?と言いたげなリカの視線を感じてか、それとも本気でそう思ったのか、尋ねられたハウレスは笑顔を崩さず頷く。
「そうだね、二人なら一人じゃ見えないものが見えるかもしれないよ。それに、俺はあなたの料理、食べてみたいし」
目の前で一遍に起こったことを理解しようとするだけで妙は精一杯だったが、同時に何かしらの、期待……のようなものも感じていた。
__一緒に献立考えましょ!
__俺はあなたの料理、食べてみたいし
こんな言葉を聞くのは、本当に久しぶりだったから。気づけば妙はリカに手を引かれ、食材を調達するためにもう一度商店街へと戻って行くのであった。
「さあ、何を作ろうかしら? 今日の特売品を見て決めてもいいわよね」
リカが楽しそうにスーパーまるぎんへ足を踏み入れ、ハウレスと妙がそれに続く形で買い物が始まった。妙は相変わらず沈みがちな表情で、陳列棚に並ぶ食材たちをぼんやりと眺めている。ハウレスが不思議そうにそれを眺め、さっきのやりとりで気になっていたことを尋ねた。
「ねえ、妙さん。どうして男の人に平手打ちなんかしたのかな?」
「それは……腹立たしい事を言われて、つい……」
腹立たしいというべきか、哀しかったというべきか。妙はその事にあまり触れて欲しく無さそうに俯いた。
「何て言われたの?」
「貴方に聞いたのと同じ事を尋ねました……お夕飯、何がいいかしらって。そうしたら、何でもいい、って言われて」
「それで腹が立った、と」
「……はい」
ふーむと軽く首を傾げるも、ハウレスはのんびりした様子で言葉を返す。
「妙さん、料理は好き?」
「……」
ストレートな聞き方に、妙は言葉を失った。妙にとって料理は毎日の仕事で、好きか嫌いかで考えるものでは無い。得意なことかもしれないけれど、好きかと聞かれて素直に頷けはしなかった。ハウレスは詳しい事情など知る由も無かったが、妙の表情は雄弁だ。
「疲れちゃったんだね、仕方ないよ」
「仕方ない……ですか?」
「うん、仕方ない。好きでも毎日毎日やってたら好きじゃなくなっちゃうよ」
ハウレスは特売品の野菜を手に取りながら、ごく当たり前のように微笑んでみせる。そのさりげない言葉が、妙の心を少しずつ溶かしてゆく。
「今ってレシピと材料をセットで届けてくれるサービスがあるんだってね。考えるのが辛かったらそういうのを使うのも手だし、それも面倒だったら外に食べに行けばいい。旦那さんだって妙さんの料理を食べなきゃ死んじゃうってわけじゃないんだよね?」
「それは、そうですけれど……でも……」
主人は此処に居ないんです、その一言を妙はどうしても言えなかった。居ないという厳然たる事実を受け止めてはいたけれど、口に出せばそれはずっと居ないままになってしまうのではないか、そんな風に思っていた。二人で暮らしたあの家まで実体化しているのに、どうして夫だけが居ないのか。いつか実体化してくれるかもしれない、そう思い続けて毎日二人文の食事を作る空しさを思い、哀しさと寂しさが募る。
「いいじゃない、自分も食べるものなんだから自分が好きなものを作れば」
ぽんとハウレスに肩を叩かれ、妙は少しだけ眉を下げた。その表情から本心を窺い知る事は難しかったが、買い物籠を持ち直して食材を選びにかかる姿は、少なくとも先程より明るく見えた。
「妙さん、お買い物終わったかしら?」
「あ、はい、もうすぐ……」
既に買い物を終えたらしいリカが、ビニールの袋をがさがさ言わせながらレジ向こうから声をかける。楽しそうなその様子に後を追うが、リカの選んだカオスな食材が後々とんでもない事態を招くとは、ハウレスも妙もまだ気づいていなかった。
ダウンタウンの住宅街に向かう道すがら、ふとした事からリカとさっきの平手打ち事件の話に発展した。一部始終を見ていたリカはどうやら妙の味方らしい。
「……だからね、わたし言ってやったの。乙女心の分からないあなたになんか任せておけないって」
銀幕市に実体化してからというもの、女性の知り合いが居なかった妙にとって、リカは頼もしい存在に見えた。自分の言いたい事をハッキリ言える姿勢は羨ましかったし、多少の強引さに戸惑う事の方が多いが、それでも遠慮しがちな自分を引っ張ってくれるのが何だかとても嬉しかった。
「でもね、悪い奴じゃないと思うのよ。あなたのこと心配してたし」
「そうですか……」
「ほら、噂をすれば! あれがあなたの家よね?」
リカが河原家の玄関先を指差して声を上げる。追いついた妙が目線をやると、見慣れた門構えの前には山の幸を抱えた男五人が立っていた。その中には、自分が平手打ちをかました失礼な男も混じっている。
「あ、貴方どうして……!」
どうして追いかけてくるの、と言いかけたところでリカがぐいと妙の手を引く。
「折角皆集まってくれたんだもの、お料理しましょうよ。ね?」
「えっ、あ、はい……」
妙は出鼻をくじかれて思わず頷いてしまった。KENは申し訳無さそうに妙へ目線を送り、ぴょこりと頭を下げる。追い返すのも可哀想だし、心配していたというのも気になる。妙は玄関を開けて七人を招き入れた。
「驚かせてすまないね、邪魔するよ」
「大勢でご飯なんて久しぶりですね」
「どんな献立にしようかしら、楽しみだわ!」
「刀冴さん、腹減ったあ!」
「待っとけ、美味いもん作ってやるからよ」
「あ、シズカを庭で遊ばせていいかな?」
一人ぼっちの河原家に、久しぶりの賑やかさが灯る瞬間だった。
「さて、と……」
妙に断って台所を借り、手に入れた食材を眺めながら刀冴はぶつぶつとメニューを考えていた。
「刀冴さん、何か手伝うか?」
「そうだな、とりあえず野菜洗って下拵えだ。理月、俺の言う通りに切ってくれるか」
「了解!」
特に事情を知らないでやって来た理月ではあったが、刀冴の手伝いをする姿は楽しそうだ。
「ほうれん草は赤いトコが美味いんだよなー……なあ妙、包丁何処だ?」
「えっ、あっ、流しの下の扉の中に下げてあります……」
「サンキュ。……どしたの、そんな苦しそうなカオして」
苦しそうな顔。自分はいつの間にかそんな顔をしていたのだろうか。ふと窓に映った自分の顔を横目で見る。確かに、目の前にある理月の明るい顔とは違っていた。
「……きっと、お献立が決まらないとこんな顔になるんですね、私」
「んー……俺にはよく分かんねえな、食えるときに食うのが当たり前だったし」
映画の中で傭兵をしていたという理月の話を聞き、そんな世界もあるのだと妙は目を丸くした。
「でもさ、妙とか刀冴さん程じゃねえけど俺も料理するから、大変なのは分かるんだ。いいじゃねえか、献立なんか決まらなくても好きなもん作れば」
分かってくれる人が居たら、それだけで楽になんだろ? そう付け足して理月は無邪気に笑った。銀幕市で寄る辺の無い妙にとって、それはどれほど嬉しい言葉だっただろう。
「ははっ、一丁前抜かしてんな。けど理月の言う通りだぜ。しかめっ面でうんうん唸ってたって仕方ねぇよ」
炊き込みご飯に入れるむかごを下茹でしていた刀冴が横から茶々を入れた。一見すれば料理や家事とは無縁に見える二人は、慣れた手つきで台所仕事をてきぱきとこなしている。
「まあまあ、二人とも。何でもいいって言葉、結構辛いんですから」
流しで茸類を洗っていた天祢も割り込んでくる。マネージャーとしての自分が妙の立場に近いことを知ってか、同情するように妙のフォローをした。
「相手あっての悩みなんですから、仕方ないですよね。喜んで欲しいって思えば思うほど、真面目に考えすぎるんですよ」
その悩みが決して無くなるものではないと知っているから、自分を追い詰めない方法を考えるべきだと天祢はやんわり主張する。刀冴もそれに賛成して柔らかく笑んだ。
「そいつはそうだな。一日二日怠けて外に食いに行ったって、バチは当たるめぇよ」
「……はい」
「刀冴さん、ほうれん草切り終わったぜ」
「お、悪ぃな。んじゃ次は……」
料理に集中し始めた刀冴に悪いと感じたのか、自分も何かしようと妙は割烹着を着込んだ。料理があまり得意でないのだろう、台所の入り口で皆の様子を眺めるエドガーに尋ねてみることにした。
「エドガーさん……でしたかしら、何か召し上がってみたいもの、ございますか? 外国の方は何がお好きなのかしら」
「そうだね……はりはり鍋と加薬ご飯、出来るかな」
「まあ、大阪の方なんですね」
エドガーは妙の問いに、目を細めて頷いた。嗅覚と味覚は人の記憶を最も鮮明に呼び出すものだという。それはエドガーが幼い頃に食べた特別な料理だった。
「思い出の料理なんだが、アメリカでは鯨なんか手に入らなくてね」
「思い出……ですか」
「ああ、幸福の記憶だよ。妙さんの料理も、ご主人にとってそうなのだろうね」
そうであればいい、とは思う。けれど聞ける相手も居ない今出来るのは、目の前の相手に新しく幸せな記憶をあげる事だろう。
「でも、困ったわ。鯨なんてこの辺のお店でも売ってるのかしら……」
「あら、あるわよ? さっき一緒にお買い物したじゃない」
リカが買い物袋の中から鯨の赤身を取り出した。鯨を使う料理などいくらも無いのに、何故買っていたのだろう。リカの買い物袋をよくよく見れば、ウォッカやらカップラーメンやらカマンベールチーズやら、よく分からない取り合わせの食材がみっしりと詰まっていた。
「……あ、ありがとうリカさん。リカさんは何を作るの?」
「そうねえ、シーザーサラダなんかどうかしら。イライラにはカルシウムが効くのよ」
「しーざーさらだ……って何かしら」
「生野菜にホワイトドレッシングと粉チーズがかかったサラダのことだろ? つか、何でシーザーサラダでカルシウムなわけ」
横文字に疎い妙に解説をしてやるが、KENは嫌な予感がしてリカに疑問をぶつけてみた。
「だってあの白いのって骨の粉じゃないの?」
「ちげーよ!チーズだってオレ今言っただろうが!!」
さらりと怖い事を言われ、KENが全力で否定した。嫌な予感はどうやら的中しそうだ。
「あら、そうなの。じゃあカルシウムって何で摂ればいいの?」
「普通なら牛乳とかじゃねぇか? あとは小魚やらひじきあたりか」
見かねた刀冴が助け舟を出すと、リカはまたも買い物袋を漁り始める。
「ああ、あったあった。お料理の本で読んだことがあるの、これがひじきよね」
リカの手元にあるのは、黒胡麻を練りこんだインスタントの春雨スープだ。見た目は何となく似ているかもしれないレベルだが、どう考えてもひじきなどとは何処にも書いていない。KENは色々と諦めてその場を離れた。妙はひじきらしきモノの行く末が気になるのか、リカの隣ではりはり鍋の準備に取り掛かる。刀冴に水菜を分けてもらい、エドガーに出汁の味を覚えているかと聞きながらお湯を沸かしている。
「ね、お料理って楽しいわよね!」
くつくつと土鍋に煮える出汁を見つめていると、隣のコンロでフライパンにカマンベールチーズを放り込んで、何故かウォッカでフランベするリカが楽しそうに笑った。手元のカオスさと表情にギャップがありすぎて、妙もどう反応していいのか分からない。相変わらずそういった事を気にしないリカは、火の収まったフライパンに乾燥したままの黒胡麻春雨を入れて、溶けたチーズと絡める作業に四苦八苦している。
「わたし映画の中だと殺し屋だったのね。実体化して初めて、お料理とか出来るようになって……すっごく楽しいって事が嬉しかったの」
「まあ……そうだったんですか」
やっぱり手元と言葉のギャップが激しいのだが、リカの素直な心情に妙は心を打たれた。手元の惨状はさておき、リカの楽しそうな姿に結婚当初の自分を重ねて、自分も毎日こうだったのにと目を細める。隣のコンロから漂ってくるチーズとウォッカの混ざり合ったむせ返るような匂いはひとまず無視しようと心に決めた。
「……あ、エドガーさん。お出汁、こんな具合でいいかしら」
小皿に出汁を張ってエドガーに差し出し、味見を求める。受け取って一口啜ったエドガーは、にこりと笑んで空の小皿を返した。
「うん、美味い。母の味によく似ている。ご主人は幸せ者だね」
「……そうならばいいのですが」
「きっとそうに違いない。ご主人は胸を張って、愛する人の料理が一番好きと言えるのではないかな」
人の本心は分からないし、ましてや此処にはその愛する人が居ない。それを思うとやはり哀しくなったが、自分の料理を美味しいと言ってくれる人が居る、今のこの時間は寂しくない。妙にはそれが嬉しかった。
「……それにしても、夫婦って難しいものだよね」
勝手知ったる他人の家、と言わんばかりに紅茶を淹れてくつろいでいるハウレスが、台所から逃げてきたKENと語り合っていた。
「そーゆーもんかねえ」
「辛い事は半分、嬉しい事は二倍って言うけれど、どこもそういうわけには行かないんじゃないかな。妙さんも辛そうだったし」
「まーなあ……オレが悪いのもあるけど」
紅茶を一口啜り、申し訳無さそうにKENが肩を竦める。
「なんつーか、あんたも災難ってやつ?」
「そうかな? 俺はこういうの嫌いじゃないよ」
「はは、そっか。」
「お前さんらは食べる専門組かい? 茶には甘いもんだろ、デザートが先ってのもおかしいがこれでも食いな」
「おっ、すげー何コレ!」
「へええ……まるでプロみたいだねえ」
刀冴がオーブンから出したばかりの和風タルトを二人の前に差し出した。柿のペーストと漉し餡を二層にして、その上に薄くスライスした柿が彩りよく敷き詰めてある。
「うわ、美味え! おま、何でもムカつくぐらいソツなくこなすのな……」
「褒め言葉かい? ま、気に入ってもらったんなら重畳だぜ」
さくりと一口かぶりつくと、柿の爽やかな甘みと漉し餡の優しい香りが口いっぱいに広がった。黒糖を使ったタルト台も、程よい甘さと香ばしさがたまらない。その味に驚いたKENが思わず悪態をつく。
「あはは、KENさんて素直だなあ」
上機嫌で料理に戻った刀冴の後姿を見て、ハウレスがくすくすと笑う。
「妙さんも、今のKENさんみたいに褒めてくれる人が居たら違ったのかもしれないね」
「あー……そうかもな」
妙に言ってしまった無神経な一言を思い、また一口タルトを齧る。甘い筈のタルトは少しだけ、後悔の苦い味がした。
めいめい作りたいものを作っているものだから、調理スペースが常に足りない状態だ。おかげで皆で揃っていただきます、という訳にいかず、出来上がった端から寄ってたかって食べるという立食パーティのような状態になりつつあった。
「作りながら食べるってのも、これはこれで楽しいですね」
ほうれん草の胡桃ドレッシング和えに舌鼓を打つ天祢が、白菜を細切りにして塩昆布と混ぜている妙の手元を覗き込んだ。先程より大分やわらいだ妙の表情を見て、問わず語りのようにぽつぽつと話し始める。
「料理って、食べさせたい相手が居るから上達するものなんですね。私もそれを知っているから、妙さんの気持ちが分かるような気がするんです」
「……今も、その方に食べさせたいと思っていますか?」
「勿論ですよ! ……食べてくれない事の方が多いですけど、ね」
妙の問いかけに力強く頷きはしたが、相手の我侭に振り回される日常を鑑みて天祢は眉を下げた。言葉では不満の形を取っているが、それがとても楽しいことのように聞こえるのは気の所為ではないだろう。こんな形の愛情もあるのだと、妙は少し楽しそうに笑った。
「じゃーん! ひじきシーザーサラダ、完成よ」
そこへ唐突に訪れたのは混沌の合図だった。リカが満面の笑みでサラダボウルを手にしている。ネーミングからして怪しさ満点……だったが、何故かとても美味しそうに仕上がっている。食べやすい大きさにカットされたレタスの上に、ホワイトドレッシングとクルトン、粉チーズがバランスよくかかっているし、先程苦労していたひじきらしきものは見当たらない。これはもしかしたら美味しいかもしれない……。
「何だよ、散々なコト言ってたから壮絶なモン想像して損したっつの。どれどれ……」
無防備にサラダを口へ運んだKENであったが、次の瞬間、何とも言えない不快感がKENを襲った。
「……」
ホワイトドレッシングかと思ったものは牛乳で、ひじきらしきものはレタスの下にたっぷりと隠れている。極めつけは粉チーズと思しき何かだ。
「おま、これ何だよこの上に載ってるやつ!!!」
「何って……粉ミルクよ? カルシウム取れると思ったから」
「粉チーズだって説明したの聞いてねえのかよ!!!」
粉ミルクに牛乳というダブルの組み合わせにKENは暫し悶絶した。こうなったら犠牲者を増やしてやれと何食わぬ顔で他の面子にもサラダを勧める。
「おや、美味そうなサラダじゃないか。美人のお手製では断れないね」
何も知らないエドガーが一口。つられて天祢も一口。そして訪れる、苦しげな静寂。
「……」
「……」
「だ、黙ってないで何とか言いなさいよ!」
「……水をくれないか」
「……私にも」
二人がやっとの思いで出した言葉はSOSだった。
「お、リカはサラダかい。俺にも一口くれよ」
「俺も俺も!」
次々と犠牲者が増えてゆく。既に被害にあった者は腹いせのように何も言わずサラダを食べさせた。
「……こいつ、は……」
「……何かの試練か……?」
苦悶の表情を浮かべる武人二人。最早これ以上を語る必要は無いだろう。
「……死ぬトコだった」
「お前さん、相当の武人と見てたけどよ……まさか毒の使い手とは思わなかったぜ」
「し、失礼ね!!! たまたま失敗しただけよ、次は筑前煮を作るからみてなさい!」
「頼むからこれ以上食材無駄にすんな!!」
一同がサラダのダメージから回復するのにかなりの時間を要したらしい。その間、妙は黙々と料理に勤しんでいた。刀冴の炊き込みご飯で余ったむかごをバター炒めにしたものや、大根と鶏そぼろの煮込み、白菜と塩昆布の浅漬けなど、簡単だが素朴で味わい深いものを仕上げてゆく。サラダで心身共に消耗した面子が再び台所に顔を出した。
「あ、今度は何か美味そうな匂いする……」
「妙さん、一口……!」
「? どうしたんですか、皆さん顔色が」
「な、何でも無いのよ。それより妙さんのお料理食べましょ!」
リカが妙の疑問を遮り、皿に料理を盛り付け始める。また余計な味付けをしないかと先の被害者が戦々恐々だったのは言うまでもない。
「うめえ……!」
「うん、これは癒される味…だ…」
「生き返ったあ……」
皆の喜び方は決して大袈裟なものでなく、妙の料理はどれもこれもほっとする味だった。派手では無いし何処にでもあるありふれたものばかりだったが、毎日食べても飽きない料理とはこういうものを言うのだろう。よく味のしみた大根に箸を入れ、天祢が溜息をついた。
「はあ……いや、美味しいですよこれは。お店でも開けるんじゃないですか」
「ほ、本当ですか?」
意外な褒め言葉に妙が目を丸くし、天祢が肯定するように大きく頷いた。一番食べさせたい相手が今居ないのだし、どうせなら沢山の人に食べてもらうべきだと言う。
「それいいな、それだったら妙も寂しくねえんじゃねえ?」
理月がうんうんと賛成してみせ、真面目な顔で妙に向き直る。
「食べる、って、幸せの根本だと思うんだ。妙のメシ美味かったし、俺はそれで幸せな気分になれたし。だから……妙も笑おうぜ。妙の料理は俺達を幸せに出来たんだから」
「……!」
自分がずっと欲しかった言葉を、どうしてこの人たちは全て知っているのだろう。気づけば妙の目からは大粒の涙が溢れていた。そんな反応が返ってくると思わなかった理月は大慌てだ。
「ちょっ、何? 俺何か変なコト言った!?」
「ちが、違います、タマネギ、ですから……」
タマネギなんかとうの昔に切り終わってるだろうに、と刀冴はこっそり笑ったが、口には出さなかった。
作っては食べ、作っては食べを繰り返しているうちに、いつの間にか陽が沈みかける時間に差し掛かっていた。夕飯にはまだ早い時間だが、集まった八人は皆満腹だ。
「楽しかったですね、またやるなら今度は来晒も連れて来ようかな」
「その前に捕まるかが問題じゃねぇか?」
「何と言うかお約束みたいなものですね……!」
怪しいシーザーサラダのようなものを除いて、ほぼ空っぽになった皿やフライパンを洗って片付けながら話に花が咲く。あの料理のレシピを知りたい、次はこんな食材を持ってこよう、そんな具合に。楽しかった時間はそろそろ終わってしまう。
「あのう……ずっと聞きたかったんですが」
調理台の上を拭きながら、俯き加減で口を開きかけては閉じ、を何度か繰り返していた妙が、決心したように目線を上げた。
「聞きたいこと?」
「どうしたんだよ、あらたまって」
「レシピだったら紙に書いてやろうかい?」
「いえ、作り方はもう大丈夫!覚えました! ……そうではなくて、その……」
それでもここまで口ごもるとは、一体どんなことを聞こうとしているのだろう。一同が不思議そうに耳を傾けると、妙はやっとの思いでそれを声に出した。
「ぱ、ぱてぃしえ、って何のことでしょうか……!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ぶふっ」
妙の精一杯に、誰からともなく笑いを堪えきれずに噴出してしまった。
「確かに、聞くは一時の恥といいますけれども……!」
「けどさ、俺もちゃんとは知らないぜ。どういう意味なんだ?」
笑いを噛み殺す天祢を眺め、理月が刀冴に尋ねる。
「そりゃあお前、本職に聞けばいいんじゃねぇのか」
「そういえば説明してなかったわね。パティシエっていうのはね、わたしみたいなお菓子職人のことを言うのよ」
「……説得力ゼロ。世間一般の善良なパティシエに謝っとけ。つか、わたしみたいなって枕詞は誤解を招ーく!」
「ど、どこまでも失礼ねあんたって野郎は!」
リカの「凶器」の集中砲火を食らったKENが、恨みがましい目でリカをねめつけると、料理の「腕と味」という意味で全くいいところが無かったリカが眉間に皺を寄せた。ほぼ満場一致で「不味い」「ある意味試練」「生物兵器」とお墨付きを貰ってしまったが、全く堪えていないのがどうにもリカらしい。すると、唯一リカの料理を食べていなかったためにその辺の事情を飲み込めていない妙が、あっ、と何かに気づいたように顔を輝かせた。
「……分かりました! ぱてぃしえって、リカさんのようにお料理が大好きでたまらない方を指す言葉なのかしら?」
「……!」
世紀の大発見でもしたかのような妙の笑顔に、皆さっきとは違う、もう少し和やかな笑顔を見せた。ハウレスが肩を竦めてみせると、エドガーが同調するように頷いた。
「あはは、妙さんの一本勝ちだね」
「KEN、君の負けだな。それが正解ということにしておきたまえ」
「な、なんつーポジティブ……」
「いいじゃない、事実なんだもの。好きこそものの上手なれって言うでしょ!」
それを言うなら下手の横好きだ。居合わせた男連中は皆一様にそう思ったに違いない。でも、今日はそれでいいのだ。今日の食卓には、妙が心から望んだ「妙以外の笑顔」があったのだから。
食事を作るということは、食べさせたい誰かの為に自分の心を差し出すようなものだ。命を捧げてくれた食材に手をかけ時間をかけ、それを食べる誰かの、正しい明日の糧になりますようにと祈る行為だ。たとえ技術が伴っていなくとも、祈り願いながら料理を作ることは誰にも等しく与えられた愛情の表し方だろう。……ごく稀に、リカのような破壊的、もとい熱意先行といったケースも見受けられるのだが。
ともあれ。
「皆さん」
妙が穏やかな笑顔で、七人に頭を下げた。
「今日は、どうもごちそうさまでした……また、来てくださいね」
いただきます、ごちそうさま、おいしかった、ありがとう。明日の食卓にもどうか、あなたの幸せがあふれていますように。
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クリエイターコメント | 大変お待たせいたしました、 【いただきますの、その前に】お届けです。 またもギリギリ納品で申し訳ありません…!
美味しいプレイングばかりで執筆中は常に何かを食べておりました。 皆様の食欲をそそるノベルになっているでしょうか? ともあれ、お楽しみいただければ幸いです。
お預かりしたプレイングに忠実になるよう心がけたつもりですが、 思うところがございましたらお気軽に文句を言ってくださいませ。
最後になりましたが、ご参加頂いた皆様とお読み頂いた皆様に心より感謝申し上げます。 今回も楽しく執筆させていただきました。ありがとうございます! |
公開日時 | 2008-11-30(日) 11:20 |
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