★ ハイキングと友達 ★
クリエイター西(wfrd4929)
管理番号172-4808 オファー日2008-09-28(日) 09:45
オファーPC ヴォルフラム・ゴットシュタール(czuz3672) ムービースター 男 30歳 ガンスリンガー
ゲストPC1 月下部 理晨(cxwx5115) ムービーファン 男 37歳 俳優兼傭兵
ゲストPC2 ジラルド(cynu3642) ムービースター 男 27歳 邪神の子、職業剣士
ゲストPC3 イェータ・グラディウス(cwwv6091) エキストラ 男 36歳 White Dragon隊員
<ノベル>

「美しい、な」
 ヴォルフは、紅葉の鮮やかさに、思わず溜息をついた。
 この時期を計算していたように、公園に植えられたモミジが鮮明な赤色に染まっている。一定間隔で並べ、植えられたそれらは、秋の風物詩、紅葉を見事に表現していた。

――この国の秋は、とても綺麗なのだな。

 一地方の公園としては、不釣合いなほどに、一帯に色づいている。その美しさに、ヴォルフはすっかり魅せられていた。散策すれば、こうした楽しみを見出すことがある。だから、彼は散歩するのが好きだった。それに――。
「お、久しぶり」
「よう」
 理晨と、イェータだった。こうした、予期せぬ遭遇があるのだから面白い。
 どちらも、この銀幕市に来てから出会った、貴重な知人である。今のところ、友人と言えるほどの相手は、理晨だけなのだが――そうした手合いは、いくらいてもいいと思う。はじめはただの知り合いでも、いつかは友達と、呼べるように。
 ヴォルフにとって、これは良い刺激の機会。挨拶だけで通り過ぎる……では、あまりに味気なかった。特に今日は予定もないのだし、少し会話するくらいならいいだろう。
「こんにちは。壮健そうで、なによりだ。……今日は、二人して外出か」
「ああ、これから杵間山にハイキング。今は季節もいいだろ? ほら、紅葉なんか、見頃だと思うし」
 理晨は、そう言って手に下げたバスケットを持ち上げて見せる。
「これ、弁当な。こいつのお手製なんだが、結構美味いぜ?」
「今回は、特に自信作だ。冷めても美味いやつばかり、こしらえてあるんだぞ。量もこの通り!」
 今度はイェータが、そのたくましい腕を前に出し、一際大きなバスケットをつきつけた。その様子だけでも、ぎっしりと詰まっていることがよくわかる。
「それは結構なことだな」
「……なに人事みたいな顔してんだ? おまえも来るんだぞ」
「む?」
 突然話を振られて、ヴォルフは戸惑った。それはどういうことかと聞く前に、理晨が口を開く。
「まあ、こうして会えたのは丁度良かった。途中で知り合いの一人でも捕まえてこようかと思ったが――あんたなら、不足はない。一緒にハイキングに行こうぜ? きっと楽しいぞー」
 ヴォルフは、彼らと同行することに不都合はない。もともと暇であったのだし、誘いは渡りに船と言う物であった。だが。
「良いのだが、その……ハイキングとは、何をするものだ?」
 この地にとっては、異邦人と言うべきヴォルフである。そうした習慣など聞いた事はないし、娯楽であるらしいことは理解できる物の、具体的には想像しづらかったらしい。
 とはいえ、あまりに真面目くさった表情で言うのだから、二人はつい笑ってしまった。
「可笑しい事を、いったか?」
「――はは、いや、なんでもない。要するにさ、友達と遊びに行くことだよ。杵間山に行って、景色を楽しんだり、はしゃいだり。そんなものなんだぜ?」
「……そうか。誘われたということは、俺もそれに参加して良いというのだな」
 ヴォルフは、無表情のまま、そう言った。決して疎んじていないことは、表情ではなく、口調でわかる。
「あったりまえだろ? でなきゃ、声だってかけねぇさ」
「そうそう。いい気分転換だし、こういうのは、人が多いほど面白いもんだよ」
 だから、二人とも気分を害したりはしない。その不器用さも含めて、ヴォルフのことが好きなのだ。
「光栄だ。では、御相伴に与ろう」
「こんなときは、素直に嬉しいっていうんだよ」
「ああ……嬉しいよ」
 友と出会うのが楽しみなら、共に行動することも、また素晴らしいことだ。何をきっかけにして、親睦を深めることになるか、わからないものである。ヴォルフが、内心ではひどく喜んでいる事を、彼らはきちんと理解しているのだった。


 ここに、あの三人とは別に、杵間山へと向かう男がいる。
「紅葉紅葉っと。……適当で良いか」
 ジラルドは、居候先のマスターに、店を飾る為の紅葉を採ってくるように言われている。
 しかし、彼は己の美的感覚に自信がなかったから、どうしたものかと考え込んでいた。まさか、幹ごと持っていくことも出来まい。枝を折るとしても、下手に行えば周囲の美観を損ねる。……ここは無難に、葉だけを集めて帰るしかなかろうと、彼は結論付けた。マスターも紅葉、としか言わなかったのだから、あえて奇抜な方向へ持っていく必要もあるまい。
 そして、杵間山の山道に入ったところで、ジラルドは彼らと出会った。
「お前らも来てたのか。奇遇だな」
「ジラルド?」
「おお、本当にすごい偶然だな。びっくりした」
 ヴォルフ達である。理晨とイェータは、この奇妙な縁に感情を露出させたが、ヴォルフは無表情のままで、これを歓迎した。
「ここで会ったのも、何かの縁だろう。一緒に、どうだ?」
「どうだ――って。ああ、ハイキングにでも来てたのか。オレの方は、ちょっとした仕事で出向いてたんだが……うう、そんな残念そうな顔をするなよ。簡単なことだし、ちゃんと付き合うからさ」
 ヴォルフの顔がかげる様を見ると、こちらが悪い事をしているように思えて、ジラルドはすぐさま承諾した。残りの二人も異論はないようで、笑顔で応える。
「とりあえず、山頂まで行ってみようぜ。あそこから見える風景は、まさに絶景! だからな」
「そりゃあ楽しみだ。……そこに行くまでに、仕事を片付けておかないとな」
 ジラルドは、理晨の言葉で、余計に期待が高まったらしい。マスターからの頼みごとも、こうなると感謝してみたくなる。
「紅葉を一袋も持ち帰れば、充分だろうさ。とっとと済ませちまおう」
 しかし、彼らは知る良しもない。紅葉に惹かれて集るのは、真っ当な人間だけではないということを。
 山は、時代によっては神聖視され、黄泉の入り口とも恐れられる場所であった。この日、彼らが『人ではないもの』との戦いに見舞われたのは、果たして、偶然であったのか、どうか……。


 山頂の、見晴らしの良いところまでたどり着くと、ヴォルフは一面の光景に絶句した。

――ああ。

 言葉もなく、ただ感嘆する。眼下に広がる山と道、木々の連なりは、紅に彩られている。絵の具を始めとした、無機質な物ではなく、血液のような毒々しさとは無縁の――紅色。生命の余剰があふれ出し、他の生物にまで元気を分け与えようとする意図が、感じられるようであった。
「な? 見事なもんだろ」
「……見に来た甲斐があった。理晨、イェータ。改めて、礼を言わせてくれ」
「よせよ、照れちまうだろ。楽しみにきたのは、皆同じなんだ。堅苦しいことは、なしで行こうぜ?」
 理晨もイェータも、この光景は何度見ても見飽きぬ――とばかりに、まぶしそうに見つめていた。ジラルドも、これには美辞麗句を連ねてもよい気分になったようで――。
「綺麗……って言っちまうのも、もったいない気がすんな。言葉で表現するのが、無粋に思えるくらいの、光景ってやつか。まったく、人の言う事は聞くもんだねぇ? ただの使いのはずが、こんな役得があるなんて――な。神様も粋な事をするじゃねぇの」
 そうして、ひとしきり目を愉しませた後は、舌で幸福を味わう時間である。座るに適した場所、見栄えのよい地形を選んで、敷物を敷く。
「ほー。こいつは凄え。そんなごつい腕から作られたとは、とても思えないな」
「傭兵は銃の握り方から、飯の作り方まで、一通り出来てようやく一人前なんだぜ。驚くようなことか?」
 ジラルドの言に、イェータは反論する。確かに、彼の論理は真実ではあるが……理晨には、別の見解があった。
「イェータが凄いのは、簡易な軍用食で満足しないところだよ。俺だって、そこそこ料理はこなせるつもりだが、やっぱり向き不向きってもんが、あるんだろうな。とても、ここまで凝った料理は出来やしない。……自慢していいことだぜ? これは」
「かもな。まあ、感想は食ってから聞かせてくれよ」
 理晨は、大っぴらにイェータを賞賛して見せた。照れるでもなく、彼はそれを受け入れる。
 大きなバスケットを開けば、そこには贅を凝らした料理が入っていた。しかも、バスケットは三つ。大の男、四人の腹を完全に満たすには、少々足りぬかも知れぬが……ハイキングを愉しむ上で、満腹になるのはかえって損。後で散策する事を考えれば、ちょうど良い量であったと言えるだろう。
 だが、不運なことに、すぐには食事にありつけなかった。彼らの元へ、好ましくない乱入者が現れたからである。



 ヴォルフらが不穏な気配を感じ取ったのは、イェータ手製の弁当を広げようとした、その時であった。
 大規模な……おそらく、数十人ほどであろうか。慌ただしい勢いで、こちらに人が向かってくる気配がある。それだけならば、少々いぶかしげに思うだけだったろう。
 問題は、それら全てに、毛が逆立つような――粘質の殺気を発していたことだ。肌に張り付き、嫌悪を掻き立てる空気が、その場に立ち込めてくる。ほどなく、ここは戦場と化すだろう。他の誰でもない、彼らを巻き込んで。
「……無粋な」
「やだねぇ。せっかくの、楽しいハイキングだってのにさぁ?」
 ヴォルフが、呟く。嫌悪の情が含まれた、極めて冷たい声だった。それに続いて、ジラルドも不満を口にする。ご馳走を前にして、お預けを喰らったのだ。この苛立ちは、簡単に晴れるものではない。
「ヴィランズに期待する方が、間違ってるんだろうよ。……しかし、ここで登場するのは、自重して欲しかったな。ええ?」
 理晨も、イェータを褒めた直後の、この出来事に憤慨していた。これから自分に続き、皆が料理を口にして、それに賛同する場面であったのだ。
 彼は、身内を賞賛されることを、自分がそうされる以上に、嬉しく思うタチである。イェータの弁当に舌鼓を打ちながら、気持ちの良い時間を過ごすつもりであったのに――これを邪魔された恨みは、深い。
「まあ、適当にあしらえばいいだろ? 食事は逃げやしないさ」
 対してイェータだけは、妙に冷めていた。作り手だからこその、余裕、というべきだろう。彼にとっては、これらの料理も、さして貴重な物ではない。邪魔者を排除してから、改めて向き合えばよい。今、この時の雰囲気を乱されたからといって、憤慨する理由はないのだ。


 大勢の人間が、山道を駆け上がってくる。それを山頂から見下ろすようにして、四人は戦いへの覚悟を決めた。

――本気は、だせんな。

 ヴォルフだけが、一抹の不安を抱えている。これから向かってくる相手は、敵には……違いない。
 どうしてか? 理由はまだ確定できないが、危害を加えようとする意識が、はっきりと感じられる。それを皆理解しているから、臨戦態勢になっているのだが。

――肉体的には、普通の人間と変わらぬように見える。……無思慮に力を振るっては、とんだ惨事にもなりかねん。

 かすかに感じられる、あの臭い。以前に遭遇した時から、警戒はしていたが、間違いない。ヴォルフの『獲物』が、近づいてきている。
 『聖韻』と『天使』が複数。専用の狩人だけがわかる、特有の存在感が、杵間山へと入り込もうとしているのだ。ヴォルフは、これを打倒しなければならない。だが、本気を出して狩りに行こうものなら――これまた確実に、あのヴィランズどもを巻き込んでしまうだろう。そうなれば、余波を浴びて死亡者続出、といった事態が容易に思い浮かぶ。
「んー? 何か、妙な感じがするぞ」
「ああ……格好も武装もバラバラだ。目も正気じゃないような――あれは、狂わされてる目だな。どこかに、奴らを洗脳した馬鹿がいるようだぜ?」
 イェータが疑問を呈し、ジラルドが考察を述べる。異世界をイメージしたムービーの出身だけあって、呪術やそれに類する邪法に関して、彼は多少の知識があった。ささいな違和感から真実をつかみ取れたのは、このおかげであろう。
 だが、ヴォルフにしてみれば、かえって謎のままにしてくれた方が、都合が良かったのである。いずれ知らせねばならないにしても、不快な事実を教えるのは、なるべく後にしたかったから。
「すまない。どうも、その馬鹿は、俺の知り合いらしい」
「ああ……『天使』だっけ? 奴らの後方に浮いている、あの飛行物体がそうなんだな。……さて、前は難なく撃退できたが、今度は複数かよ。ちょっとこいつは、厳しいかねぇ?」
 ヴィランズの集団から、やや後方。統率するでもなく、見守るように、空からこちらを観察している。数は、五体。
 嵐の前の静けさ……というには前方が騒がしすぎるが、この五つの物体から感じられる威圧感は、本物であった。少なくとも、この熟練の傭兵を警戒させる程度には、不気味に感じられたのである。
「天使だけではない、上位種の聖韻もいる。ほら、あそこに翼が三対の奴がいるだろう?」
「うん、確かにいるな。……どうかしたか?」
「あれは、特別な能力がなければ、倒せない。眼と翼だけなら、普通の武装でも壊せるが……致命傷をあたえられるのは、ここでは俺だけだ」
「眼と翼、ね。それがわかれば充分さ。――心配すんなって、上手くやるよ」
 理晨は前に対峙したことがあるから、天使の恐ろしさは実感として理解している。聖韻は初見だが、単純に天使を強化したような手合いなら、決して抗しえない敵でもないと、把握しているのだろう。少しの不安も、彼の言葉からは嗅ぎ取れなかった。
「話はわかった。……物騒な知り合いが、押しかけてきたもんだ。でも、別にヴォルフを恨む筋合いじゃない。場をわきまえない奴らが悪いんだ」
「ムービースターってのも、大変だな。とっとと掃除して、弁当を食おう。せっかく自信作をこさえて来たんだ。堪能せずに帰るのは、もったいなさすぎるだろ?」
 理晨に続いて、ジラルドとイェータもたいして気にしていないように応える。自己を頼むこと久しく、幾たびもの危機を乗り越えてきた、強者の自信が、そこにはあった。
「さぁて、もう敵は目の前だぜ。後ろめたいからって、遠慮するんじゃねぇぞ?」
「前向きに考えたら、食欲のついでに欲求不満も解消できる、良い機会ってもんだ。気にすんな」
 彼らは極めて楽天的に捉えており、憎むべき対象を間違えてはいない。ヴォルフは、心から、この出会いに感謝した。そして素晴らしい仲間の信頼に応える為にも、ここは自虐すべき場面ではない。
「……ありがとう」
 ヴォルフは、先陣をきって飛び出した。一言の後には、戦いの中でしか、想いを表せぬ。そんな己の不器用さに、苦笑しながら。


 まず、この大勢の雑魚を片さねばならぬ。後に本命が控えているとわかっているならば、なおさら各個撃破の好機は逃せない。いつ天使どもが割り込んでくるとも知れぬが、目障りな弱敵から排除することは、理にかなっている。
 ヴォルフはもっとも勇んで戦っているが、手心を加える余裕も、かろうじて残っているらしい。苦痛は最小限、かつ五体満足のまま、ヴィランズを綺麗に気絶させていく。
「涼しい顔して、やることは熱いねぇ」
 理晨は、そんな彼の甘さも好きになった。こんなに優しい人を、どうして恐れる必要がようか。

――あの時にやりあったのと、同じ奴らか。前は攻撃パターンが乏しかったが、今度はどうかな。

 あの時はヴォルフが一緒だったこともあってか、苦労せずに打ち倒せた。……が、本来、あれは一人で処理できた問題だったはず。だからこそ、巻き込んだ事を、ヴォルフは申し訳なく思うのだろう。
 理晨にしろ、他の二人にしろ、特に迷惑だと考えているわけではないが――それで納得できるヴォルフではない。ならばせめて、彼の行動を妨げぬよう、ヴィランズどもを一掃したかった。
「イェータ」
「わかってる」
 二人は、同じ傭兵団に所属する者同士。連携するにも、一言かければ充分だった。どう動くべきか、体が知っている。幸いなことに、ヴィランズたちは人間。人を相手にしての戦闘で、彼らが後れを取ることは、ありえない。

――やることは、いつもと一緒さ。……いや、今回はちょっと、趣向を変えるか。

 実戦の空気に、軽い陶酔を覚える。ナイフを構えると、はじけるように飛び出した。
 群れをかいくぐるように、理晨は人の間を駆け抜ける。前傾し、地を這うような姿勢。そこから繰り出されるは、いかなる魔技か。次々と、ヴィランズどもが倒れてゆく。
 相手のそばを通る間際に、足の腱をめがけて、斬りつけていたのだ。そうして転んだところを、イェータが仕留めて行く。……もっとも、殺しているわけではない。気絶させているだけだ。
「流石」
「今更――だろ?」
 言わなくても、わかるものなのだな……と、理晨は思う。彼が本気で殺す気でかかっていれば、手間は短縮できただろう。だが、転ばせるだけにとどめた時点で、イェータは意図を読み取ったのだ。

――人の血で汚すには、惜しい光景だからな。

 この季節。ふもとの山道から、頂上に至るまで、杵間山の紅葉を美しく見せようとする努力に溢れている。せっかく観光客も見越して整備されているのに、台無しにするのは気がひけた。
 それに、まかり間違っても、あの見事な発色を、粘ついた体液で濡らしてしまいたくはない。この光景に感嘆した今となっては、進んでこれを破壊しようとは、とても考えられなかったのである。
 付け加えるならば、殺さずにあしらえるなら、その方がいい……と。そう判断する程度には、二人も常識をわきまえていたのだ。第一、ヴォルフが嫌がりそうなことを、率先してやる理由はない。
「数に頼むだけの雑魚。……まだしも幸運だったと言えるのかねぇ? こいつは」
 ジラルドも、好んで敵を殺すような手合いではなかった。彼はもともと、命を取らずに事を収めようとする癖を持つ。この場において、一番倫理観が健全であったのは、ジラルドであると言っても過言ではない。
「ちゃんと手を抜いてやるから、安心して倒れるこったな」
 抜き放たずに、剣を鞘に収めたまま、棒の様にこれを用いた。明らかに手加減した行動であったが、それでも瞬く間に、五人は叩き伏せている。
「他愛ない。この程度なら、剣もいらんぜ?」
 彼は剣士であるし、これを使わせれば、なかなかのものだと自負してもいる。その自信ゆえか、正気を失った人に対して振るうのは、いかにも過ぎた行為に、彼には思えた。
 優れた剣士は、無手でも相応の実力を発揮する。素人同然の敵であれば、一度に三人相手にしても、適度に潰してのけるだろう。実際、もうジラルドは剣を使っていない。
 素手の当て身で、近寄ってくる敵を沈めていた。これが慈悲の形であるなら、その不器用さに微笑んでも良いかもしれぬ。
「……ふッ」
 ヴォルフは、黙々と、ヴィランズを処理していた。皆に習って……というのは、正確な表現ではなかろうが、一人として殺してはいない。ヴォルフは、とても生真面目な青年である。人を傷つけた後の、何とも言いがたい感触と嫌悪感。これらへの抗体は、あまり出来ていなかった。
 ただ、すぐに介入してくるであろう、彼の敵に対して、ここで弱気を見せたくはない。傍観してくれている内に、後顧の憂いは立つべきであったのだが……。
「グッ」
「ヴォルフ!」
 ここで初めて、天使からの横槍が入った。天使の謳が、ヴォルフに向けられる。かろうじてかわしたものの、不意の一撃の余波で、後退せざるをえなかった。
 まだヴィランズは、多くが周囲を取り巻いており、全滅させるにはしばしの時間が要る。しかしヴォルフは、ここで天使と相対する必要に迫られていた。聖韻はいまだに沈黙しているが、これはヴォルフに注意を集中している証拠ともいえる。決定的な隙一つで、彼を葬り去る為の戦術であったのだろう。それからも、天使四体の攻撃は、ヴォルフにのみ向けられた。
「チッ」
 理晨は雑魚の掃討の為、安易に彼の加勢に行くことは許されない。あるいは、こんな事態を見越して、こんな大勢をつれてきたのか……と邪推したくもなった。
 イェータに目を向けそうになったが、自制心でこれを押さえた。イェータは己のフォローに忙しい。ここでさらなる重荷を載せるのは、あまりに浅慮である。ならば――。
「む」
「危ないねぇ、おニイさん?」 
 ジラルドの出番である。放たれた謳が、ヴォルフへと叩き込まれる、その直前――ジラルドがとっさに彼を突き飛ばすことで、回避させた。
 彼はムービースターであり、非現実的な脅威との戦いにも慣れている。即座に補助に動けたのは、それだけの余裕があったからだ。
「一人で化け物どもを相手にするのは、疲れるだろ? 手伝うよ」
 この一連のやり取りの間にも、ヴィランズは確実に数を減らし続けていた。理晨とイェータの奮闘のおかげで、あたりは死屍累々。彼はもう、自由に動いて差し支えない所にまできていた。
「――頼む」
「よし、任された!」
 ジラルドが元気に承諾すると、それを聞いた理晨の頬も緩んだ。この後は、一区切りが付くまで、ヴォルフも不覚をとることはなかった。ほんの一、二分でしかなかったが、理晨はジラルドが彼の補助に回ってくれているだけで、かなりの安心を覚えたのである。

――あいつは、危なっかしいからな。こっちがフォローしてやらないと、どうなるかわかったもんじゃない。

 自分の無茶は棚に上げて、理晨は思った。折り良く最後のヴィランズを昏倒させると、振り向いてヴォルフに応える。
「雑魚の掃討は終えた、俺たちで天使を押さえる! ヴォルフは聖韻を頼む!」
「……わかった。武運を」
 多くの手駒を失った結果、ようやく天使も直々に相手になってくれるらしい。高度を下げ、直接殴り合える位置にまで降りてきている。
 これまでの展開から、空からの遠距離攻撃では、決定打にならぬと連中も悟ったのだろう。あの戦いぶりを見れば、正しい判断であったには違いない。だが――。
「一人一殺。余りは、一番早く手の空いた奴に押し付ける……でどうだ?」
「りょーかい」
「わかった。……じゃ、はじめようか」
 理晨の提案に、イェータとジラルドは賛同する。彼らもまた、常識では測れぬ存在であった。手の届く舞台に来たのは、天使にとっては失策。せめて、遠巻きに謳で狙い撃っていたほうが、まだしも長生きできたであろうに。

――今更、逃亡は許さん。

 そしてヴォルフも、聖韻と真正面から相対し、睨み合っていた。お互いに、敵の強さを過小評価していない。動けば、その時から、一切気の抜けぬ戦闘に入るだろう。
 ことここに及んでは、半端な形で撤退など、思いもよらぬ。どちらが勝利するにしろ、結果は敵の消滅……それ以外に、在り得なかった。



 ヴォルフが睨み合い、そして戦闘に移るまでの、僅かな時間。この頃すでに、天使達と彼ら三人との戦いは始まっていた。
 天使の謳が、三人を襲う。これを散開してやり過ごすと、彼らはそれぞれ単独で天使と抗した。ジラルドとイェータは接近し、理晨は絶妙に距離を保ちながら、射撃戦へと持ち込んでゆく。
「怖いといえば、確かに怖いんだが……」
 理晨は、正確に敵の力量を把握していた。謳の効力と、範囲の広さは脅威ではある。
 しかし、あれは相応に力を消費するのか、連続して使ってくることはない。また、天使には多少の知性はあるようだが、戦術と言う観念には疎かった。現状は四対三で、彼らが一人一つずつ相手にしても、天使が一体余る計算になる。理晨が相手の立場であったなら、数の優位を持って、戦術的にこちらを封殺したであろうが……。
「同士討ちしかねん場所から援護って――頭悪すぎるぜ?」
 銃で、余りの天使へ威嚇射撃。さらにもう一体に牽制の銃弾を叩き込んで、連携を妨害した。まとまって動くこともせず、ただ眼前の敵の事しか考えないから、こんな風に行動を潰されてしまうのだ。それぞれがタイミングを逃したり、射線を邪魔しあったりと、ここまで稚拙なら、理晨がつけこめる隙も大きい。
 戦術的な思考もなければ、危機感もない。銃で体が穿たれようとも、連中は怯まなかった。恐れを知らぬ無防備さに、彼は呆れる。

――ま、そのおかげで、思ったより苦戦はしていないらしい。ありがたいね、本当に。

 ちらりとイェータの方を見れば、俊敏な機動によって翻弄し、まともに反撃させていない。巧みに天使を誘導しながら、決して謳による破壊を許さず――。敵の呼吸を読みつつ、ナイフでじわじわとダメージを蓄積させていた。
 反射・運動神経の高さと、異常なほどに鋭い勘が、イェータの戦いを支えている。スタミナも人間離れしているから、どんなに激しく動いても、息が切れる不安はないのだろう。ほどなく、あちらはカタがつく。ジラルドにまで意識を向ける余裕はないが、彼が負ける姿は想像できない。ならば、理晨も負けてはいられなかった。
「そら、よッと」
 相手の動きを止める、牽制の銃撃から、一足に飛び込んで近接。この際、もう一体からの妨害を防ぐ為に、接近した天使が盾となる位置に移動。ここで迂闊に謳を用いれば、仲間を吹き飛ばしてしまうだろう。この一瞬の交錯を利用し、理晨はナイフに武器を持ち替え、天使の首めがけて斬り付ける。……天使の首が胴から離れると同時に、彼は謳の射線から身をそらし、離れた。
「危ない危ない」
 断末魔と言うべき謳が、理晨を襲う。……これを何とか避けて、彼は生還した。ほぼ無傷、完勝といって良い。
 時を同じくして、イェータも一体の天使を屠った。これで、残りは二体――。
「……これで、片付いたな」
 いや、全滅か。ジラルドが最後の天使を斬り捨てて、剣を鞘に収めている。理晨が集中している間に、ジラルドは相手にしていた一体と、理晨に向かっていたもう一体を潰していたのか。まったくもって、あなどれぬ剣技である。
「もう少し、頭の回る奴らだったら、危なかった。――しかし、命を絶つ感触は、人そのものだな。けったくそ悪いぜ、まったく」
「見た目はほとんど人間だからなぁ。なのに、出来の悪い機械みたいな反応をするから、まぎらわしくて困る」
 ジラルドの言葉に、イェータも続いた。その辺りは、理晨も全面的に賛同したい。……が、もっとも驚嘆すべきは、ジラルドの速攻であろう。ムービースターと、現実の人間との間には、ここまでの次元の差があるのか。
「ああ、もう。こんなところに転がってたら、危ないってのに」
 だが、それ以上に微笑ましいのは、先ほど撃退したヴィランズどもを、心配している点である。あの連中の安全を確保する為に、てきぱきと戦場から運び出そうとする様は、見ていて苦笑を誘った。
 感心する以上に、あれだけの能力と、性格を持つに至った境遇に対して、興味がわく。……まあ、過去を詮索するにしても、それは今日ではない。
「ヴォルフは……?」
 残るは、聖韻ただ一体。これに対抗するは、ヴォルフ。因縁のある戦いであり、彼の出自を考えれば、敗北などありえぬものと思われたのだが。
「あ――」
 理晨はこれに目を見開き、イェータとジラルドも、思わず声を出しそうになった。それというのも、ヴォルフが謳に飲み込まれる瞬間を、彼らは眼にするところであったのだから。


 ヴォルフは、仲間が何かとこちらを意識している事を、なんとなく悟っていた。それでも、健闘をたたえることは、目の前の敵が許してはくれなかったが。
「……く」
 ヴィランズは排除され、仲間が傷つけられる心配もない。……だが、ここでも彼は、リミッターを解除する決断を下せなかった。
 周囲への影響……それもある。だがそれ以上に、ヴォルフは友人に己の姿を見せたくはなかったのだ。聖韻との戦いに苦闘しながらも、彼は思う。

――見せられるか? あの姿を。

 リミッターを解除すれば、ヴォルフは人ではなくなる。恐れられた経験もあれば、刃を向けられたことも……なかった、とは言えない。だからこそ、彼は聖韻を前にして、全力を出し切れなかった。一つ問題が解決すれば、また別の問題が顔を出す。ヴォルフの優しさ、脆さからくるこの感情は、強さの根源となると同時に、彼のリミッターとしての役目も果たしていた。
「グ――うッ!」
 ついに、ヴォルフは押し切られた。聖韻の謳は、天使のそれを凌駕する。純粋な火力でも、効果が及ぶ範囲も、比べ物にはならない。ついに回避しきれず、正面から受け止めざるをえなかった。防御に意識を割いていた事もあってか、致命的な負傷は受けていない。しかし、上半身全体に焼けるような痛みが走り、それが集中力を削いでいく。
 この成果に、聖韻は薄く笑った。天使と違い、聖韻は僅かなりとも性格付けが許されている。設定上の名前さえあるのだが、ここでは固体名に意味などない。ただ、神に仇なす者への殺意があるのみだ。

――これまで、なのか。

 そして……重い一撃を喰らったヴォルフが、さらなる追撃に耐え切れなくなったのは、必然であった。むしろ全力闘争を拒んだまま、良く戦えたものだと、評価すべきかもしれない。ヴォルフは、目の前に迫る、決定的な滅びの力を見据えながら、思った。

――理晨は、皆は、許してくれるだろうか?

 死が視界に入る状況でも、なお、彼は仲間を案じていた。友人に嫌われることを、危惧し続けていた。それだけが、ヴォルフの悩みであったから。
「ヴォルフッ!」
 拒み続け、否定し続けた、己の力。それを彼らが何とも思っていない、気にしてもいないことに、もし気付けていたら……理晨の行動も、予期できただろうに。それがわかっていたなら、誰も危険になど、晒さなかったと……後に、ヴォルフは反省することになる。
「理、晨」
 ヴォルフが、聖韻の謳を浴びる、その直前。理晨が飛び出し、強引に体当たりの要領で、攻撃の射程から離れさせた。彼の身を張った献身によって、ヴォルフは九死に一生を得たのである。
「い、ってぇ――」
 理晨の背中が、焦げていた。まるで重度の火傷を負ったかのような、露出した皮膚。正面から突進してきて、押し倒すような体勢になったものだから、ヴォルフには、彼の傷が良く見えた。
「許してくれ。俺に、勇気があったなら。初めから覚悟していれば、理晨を、こんな目にはあわせなかった……!」
 身を起こして、理晨をうつ伏せに寝かせる。……命に関わる、傷ではない。それだけが、救いだった。
 そして責めるべきは、己の不甲斐なさ。最初からリミッターを解除していれば、こんな事態にはならなかったはず。人の姿を捨てることを恐れた結果が、これなのだ。ヴォルフは、自分を憎まずにはいられない。
「理晨。理晨――ッ!」
 彼の負傷に怒りを覚えたのは、ヴォルフだけではない。イェータも激情をあらわにし、憤怒の表情を見せた。が、一瞬で熱は冷気となり、イェータの心を冷たい炎で包み込む。
 顔のゆがみは感情ごと消え去り、氷の殺意を聖韻に向ける。ヴォルフが自省し、決意を固めた頃、もうイェータは行動を開始していた。
「勝ったな」
 ジラルドは、聖韻が躯を横たえる瞬間を想像することが出来た。冷酷さを取り戻したイェータと、何かしら決断を終えたヴォルフ。この二人を敵に回して、あれが生き残る未来を、どうしても彼は読み取ることが出来ない。そして、もう自分が介入せずとも決着が付くのだと悟り、理晨の介抱に向かうのであった。


 ヴォルフは、イェータが聖韻に仕掛けるところを目に入れながら、これを押しとどめることも、援護することもしなかった。

――気持ちは、わかる。こういっては、怒られるかもしれないが……やはり、それでも。わかる、と思う。

 イェータは、イェータが成すべき事を。ヴォルフは、ヴォルフが成すべき事を成すのみ。
 ヴォルフがリミッターを解除するまでの間、イェータには理晨の仇を打つ権利がある。そう思えばこそ、邪魔はしたくなかった。
「……」
 イェータは、普段無意識にセーブしている兵器としての能力を、全解放して臨んでいた。心の奥底で、妙に冷静な己を感じつつも、一時的に制御を離れた破壊願望は、全て聖韻に向けられている。
 天使に対したとき以上の鋭さと、敵意。決して無謀には近寄らず、攻撃の瞬間を見切って移動。反撃し、また視界から消え――聖韻はまるで狩りの獲物が追い詰められるように、翻弄され続けた。
 いかに人知を超えた化物とはいえ、姿形が人そのものである以上、肉体の縛りからは逃れられない。まず敵を捕捉せねば、謳を用いるどころではなく、攻撃するには体を動かさねばならない。イェータは、聖韻の肉体を超人的な視覚で捕らえ、筋肉のしなり、関節の動作と、そこから予測できる行動まで読み取って戦っていた。これでは、聖韻がいかにあがこうと、一方的な展開になってしかるべき状態である。
「フゥゥゥ――ッ」
 イェータの機動の速度は加速し、肉体の限界まで酷使した筋肉は、はちきれんばかり。弱点が眼と翼であることは、わかっている。
 これらを執拗に狙い、異様な身体能力と反射神経で、一撃離脱を繰り返す。イェータの姿を捉えることも、的確に謳を用いることもできないまま、聖韻は嬲られた。
「うう、ウォォッ……!?」
 もはやイェータを完全に見失ったそれは、無差別に攻撃することで、神の意思……つまり、偶然にすがった。たまたま、偶然にイェータが撃ち落されることを、聖韻は望んだのである。
「理晨を傷つけたお前は死ぬべきだ。俺はお前に、存在の意味を与えねぇ」
 しかし、この世界の神は、天の使いに慈悲を与えなかった。ついに聖韻はイェータを直撃させられず、決定的な障害を得る。敵の背後を取った彼は、呼吸を整え、跳躍。後ろから弱点である目に、ナイフを突き立てたのだ。
「ギャ、ウゥゥゥゥ――」
 だが、相手は本物の化物だった。弱点を付かれても、戦意は衰えない。人の身で出来るのは、ここまで。完全に殺すのは、イェータにも不可能だった。
「おおおおおッ!」
 突き刺したナイフを手放して、即座に反転し離脱。痛みに悶えるのも、人格があるがゆえの弱点。この点だけは、天使よりも劣っているといって、良いだろう。これでイェータの溜飲も、ずいぶんと下がった。あとを任せるのに、何の不都合もない。
「ヴォルフ、今度はお前だ!」
 殺せないことは、わかっていた。だから、彼が行っているのは、この後の決着を確実なものにするための布石に過ぎない。
 ヴォルフは、リミッターを可能な限り解除していた。自我を失う、一歩手前まで。……人の形は、もう捨てていた。
 その獣は、ヴォルフラムの名の通り狼型。灰銀の体毛に真紅の目、身の丈二メートルの、巨大な狼だった。これこそは、『神』を殺す鋼の獣。銀幕の別世界に存在する、この世あらざる咎の写し身に他ならない。
「――ッ!」
 猛るように、吼え、ヴォルフという名の狼は、聖韻の咽喉に食いついた。抗う間もなく、食い込んだ牙は命の根幹を突き破る。
「あ、アァッ。ぅう……」
 咽喉を噛み千切り、生命を絶った確かな感触を、ヴォルフは感じる。聖韻は、神の御許へと召されたのだ。
 その最後を見届けると、彼は人の形を取り戻した。これにてようやく、戦いは終わったのである。


 死亡したムービースターは、プレミアフィルムになる……という法則に漏れず、天使も聖韻も、肉体を無機質なフィルムへと変えていた。
 ヴィランズたちは、ジラルドの配慮と奮闘のおかげで、全員が無事である。……打撲や骨折に目を瞑れば、の話であったが。
 また、周辺への物理的な被害も、結構なものだった。景観が破壊される、とまではいかないが、一定の整備は必要だろう。その費用を負うのは彼らではないが、やはり少しは気落ちしてしまうものである。
「対策課に連絡をしておいたぜ。後始末は、任せていいらしい」
 意外にも、細やかなところに目が行き届いている。強いだけではなく、周囲への対応も抜かりないところが、ジラルドの美点でもあっただろう。
 生来の優しさ、とでも言うべきだろうか。この辺りの機微は、他の三人に求めがたい。理晨の介抱にしても、そうだ。この場においては、貴重な資質であったと言えよう。
「苦労をかける」
「なんの、手の掛かる相棒を持つよりは、楽なもんさ」
 ジラルドは、イェータと理晨のほうを見やる。あの後、イェータはジラルドから引き継いで、入念に理晨の身体検査を行い、手厚く看護した。ジラルドも多少は手当ての心得もあったが、あれほど本格的には出来ない。
「やっぱり、あれかな。当人が無茶をすることが多いと、周りの人が万が一に備える役目になるんだろうな」
「かも、しれん」
 それを思うと、ヴォルフも暗い想いを抱いてしまう。もとはといえば、己が原因なのである。誰も責めぬとわかっているからこそ、やり場のない怒りは、自分に向けるほかない。
 が、ヴォルフの思考はさておき、イェータは手持ちの医療品で、出来る範囲のことは行った。知識と経験から、これが後遺症を残す物ではないと見極めた時、イェータがどれほど安堵したか、決して余人にはわかるまい。
「無茶しやがって」
「おいおい、もっと優しくてしてくれ。これでも怪我人だぞ」
「何いってやがる。この程度で根をあげるお前じゃねぇだろ」
 本当に大丈夫だと判ったとたんに、イェータは理晨に抱きついた。理晨がいつもとかわらぬ口調で、返してくれる。そのことが、彼には何よりも尊く思えた。
「あんたは、何も言わなくていいのかい?」
「どういったらいいのか……いや。どんな顔をして、会えばいいのか、わからないんだ」
 ジラルドの指摘に、ヴォルフは明確な答えを返せなかった。申し訳ない気もあるし、獣の姿を見られた事を、恐れてもいる。そんな事情を踏まえた上で、声を掛ける勇気を、ヴォルフは持てない。
 嫌われたのではないか? もし嫌悪に近い感情を向けられたら……友人を失うことになったら、と思うと。それだけで、顔を合わせるのが怖かった。
「おーい、ヴォルフ。理晨が呼んでるぞ」
 イェータの呼びかけに、びくり、とヴォルフは体を震わせた。その様はまるで、狼と言うよりは、小犬に近い印象を抱かせた。
 が、やはり覚悟を決めたのか、彼は理晨と向き合う事を選ぶ。
「傷は……どうなのだ? まだ、痛むか?」
「ん? ああ、これくらいなら、なんともないさ。もっと酷い状態で、半日以上行軍したこともあるんだぜ? ――ま、そうだな。これで泣き出すような奴は、うちじゃあ笑い者にされちまうだろうよ」
 気まずい雰囲気を演出するよりは、まず口を開いて、気持ちを表したいと思ったのだろう。ヴォルフは理晨が言うよりも早く、状態を確認した。
 思ったよりも重傷ではないらしいが、やはりヴォルフの後ろめたさは消えない。改めて、詫びるべきだろうと思う。
「本当に、すまない。俺が、最初から本気でかかっていけたら……お前をこんな目に、あわせることもなかったのに。――俺の落ち度だ。如何様にも、俺を罰してくれていい」
 これは、逃げだ。正面から本音を聞きだすのが恐ろしいから、ただ謝罪し、断罪を求めている。そうすることで、己の感情にけりを付けようとしているのだ。

――俺は、こんな形でしか、友に応えられないのか……!

 ヴォルフにはその自覚もあったが、他にいうべき言葉を、思いつけなかった。浅ましいと思い、悔しいと思う。この誇らしい友の、傍らにいられる資格は、自分にはないのだ。
「罰する? ……あのさ、俺、何も怒ってないし、悪いことされただなんて、考えてないんだけど」
「わかって、いる。だが――」
「いいんだ」
 理晨は、ヴォルフに微笑みかけた。子供のような、無邪気な笑顔だった。
「いいんだよ。俺はあんたが好きだし、これからも好きでいたい。そう望むのは、悪いことかな?」
「え……あ、いや。悪く、ない。でも、俺は醜い獣で」
「綺麗じゃないか。狼の姿は、あんたにはぴったりだよ。――ああ、惚れ直した。こういっても、いいかもしれない」
 気絶したわけじゃないから、全部見てると、理晨は付け加えた。これでなお、好意を寄せてくるのだから、たまらない。
 沸騰するように、顔が熱くなる事を、ヴォルフは自覚した。それでも慌てて取り繕うように、彼はいう。
「怖くなかったのか? あれを、見て」
「怖い? なんでだ?」
「なぜって……人ではない、から」
 首をかしげて、理晨は答えた。なぜこんなことで悩むんだ? とでも言いたげに。
「だって、あんたはあんただし」
「え……?」
「形が変わってもさ、『自分である』ってのは、絶対に変えられない部分だろ? ――俺は、いいと思うよ。狼に変身する友達がいたって、いいじゃないか。それともヴォルフは、俺の友達で居たくないの?」
「そうじゃない! ……ああ、そうではない、から」
 純粋な笑顔とは、こういうものかと、ヴォルフは感じた。理晨のその無防備な表情を見ているだけで、全てが救われたような気分になる。
「わかった。……今後ともよろしく、理晨」
「素直でよろしい。――じゃ、ハイキングの続きといこうぜ!」
 これでようやく、イェータの弁当にありつける。運動した分だけ、余計に美味しくなっていることだろう。もうヴォルフは、この場であった全ての事を、受け入れられるような気がした。
「おーい、ヴォルフ。理晨をひとりじめなんてずるいぞ?」
「イェータ……そんな、つもりでは」
「――うんうん、わかってる、冗談だって。でもお前、本当に悩んでたんだな。……俺も、そういう気持ちは、無縁でもなかったからさ」
 がしがしと、ヴォルフの頭をなで、イェータは己の想いを吐露する。
 急に真剣になるものだから、ヴォルフのほうが驚いたが、ここで振り払う気持ちには、とてもなれなかった。
「だから、俺も怖がってなんかいない。付き合い方を変えるつもりもない。これだけは、覚えていてくれ」
「……ありがとう」
「礼なんかいいって。――ほら、食えよ。どちらかというと、料理を褒めてくれた方が嬉しいぜ?」
「ああ。……美味い。これは、逸品だな」
 イェータの労いを、ありがたく受け取るヴォルフ。友といえば、彼も友なのだと、ヴォルフは想いを新たにする。
「同感だ。この玉子焼きは、匠の技が光ってる。……で、オレもな。伝えておきたいことがあるんだ」
 ジラルドも、黙っていられなくなった。彼は、こんな寂しそうな奴を、放って置けるような性格ではなかったから。
「オレのいた所じゃあ、珍しい――っていう程度だ。もっと禍々しいのはいくらでも見てきてるし、あの手の連中とか、変化とか。こういう分野に関しては、耐性があるわけでね」
 軽いおしゃべり、という態度で、ジラルドはヴォルフに語りかけた。日常的なものとして、受け入れている。そんな彼の意識が、見てとれた。
「まして、銀幕市はいろんなやつらが居るだろ。皆、慣れちまってんのさ。……これは言い方が悪くなったかもしれないが、ともかく。ここは、何でも受け入れてくれる街だ。普通の人と違うからって、気にすることはない。そうじゃないか?」
「そうだな。今は、それが理解できる」
「だよな? ――ああ、オレの居候先のマスターのことなんだけどよ。これがまた、色々あって……今では、互いに持ちつ持たれつって所かな。今日もこの山には、働かされに来たようなもんだし」
「紅葉を、持って帰るのだったか。集めているのは、見た」
「そういうこった。……な? 案外気にせずに、頼ったりするもんなんだよ。だから何にも後ろめたく思うことはないんだぜ。――もしもの時は、友達に寄り掛かったらいい。オレはいつでも暇だから、呼べばすっ飛んで助けに来てやるからさ」
 ヴォルフは、ジラルドがすでに、自分の友となってくれていることを知った。度重なる嬉しさに、涙腺が決壊しそうになる。目頭を押さえて、礼を言った。
「ありが、とう」
「お前さん、本当にそればっかりだな。……微笑ましいから、いいけどさ」
 お互い、笑った。
 四人で、笑いあった。
 紅葉の美しさに、この世界の美しさに。

――今度は、酒があると、いい。

 ヴォルフは、感謝した。全ての出会いと、この日の偶然。己の身の上も、なるべくしてなったことなのだと、思いたくなる。
 友たちと語り合える、心地よい空間。その甘やかな陶酔に、彼らはいつまでも浸っていた――。

クリエイターコメント このたびはリクエストしていただき、まことにありがとうございました。
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公開日時2008-11-04(火) 19:50
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