★ ブラックスターが堕ちて ★
<オープニング>

「バケモノ! バケモノは死ね! 平和のためだ。死ぬがいい!」
 男を追いまわしながら、女はずっとそんな調子で叫んでいた。もともとは艶のあるハスキーヴォイスなのだが、ずっと叫んでいたせいで、すっかりかれている。追われている男の悲鳴もしわがれていた。男は血みどろだ。女が振り回している2本の長剣には、血がまとわりついていた。
 男はついに袋小路に追いつめられ、肩で息をしながら振り返った。
 女は長剣を振りかざし、相変わらずわめきながら走り寄ってきた。
「オレが何したって言うんだよ、このアマ!」
「貴様らは、生きていること自体が邪悪なのだ。滅びよ!」
「ふ、ふざけんな! オレは一応改心するって設定なん――」
 ズバッ、と血飛沫が上がった。
 男は脳天から頭をかち割られ、痙攣しながら倒れていった。だがその身体は地面に落ちる前に消え失せ、一巻のフィルムに変わっていた。
「うおおおおお! オオオオオオオ!」
 咆哮のような勝ちどきを上げて、女は長剣をプレミアフィルムに打ち下ろした。ケースは壊れ、フィルムが内臓のようにベロンと飛び出す。女は叫び続け、なおもフィルムをなぶり続けた。
 ……と、ヒラリ、と一枚の名刺が舞って、女の足元に落ちた。たった今死んだ男が懐にしのばせていものだろうか。
 名刺には、死んだ男の名前と、『悪役会』の代紋が――。


 今日の竹川導次は、いつもにも増して不機嫌そうだった。苦みばしった顔の額には、青筋がかすかに浮いている。市役所はあまり好きではないと言うので、彼は数名の部下を従え、カフェ・スキャンダルで話を切り出した。
「こないだのピラミッド騒ぎンとき、なんや頭のイカレた女が暴れたやろ。ミランダ、いうたな。そいつが悪役会の組員を片っ端からバラしとんのや」
 導次の横にいた部下が組員リストを出した。いくつかの名前に、赤い打消し線が引かれている。
「わかってるたぁ思うが、俺の悪役会に入ろう思う悪役は、分別のきく連中や。主役を引き立たせるためにテメェがおることをわきまえとる。堅気に手ぇも出さんし普段は大人しいモンやで。悪役ゆうだけでバラされちゃかなわんわ。……今ンとこブチ殺されとんのは、見た目からして悪役っぽい連中や。半魚人とか悪魔みてぇな」
 猛烈な怒気を抑えながら、導次は淡々と話し、深々と紫煙を吐き出した。
「払うもんは払ったる。俺が欲しいのは手ぇ汚す覚悟のある奴や。……なに言いてぇか、わかるな?」
 ミランダをブチ殺せ。
 彼は隻眼でそう語る。
 と、彼の隣にいた部下が、少し戸惑った表情を見せた。
「親分、でも……」
「なんや。――あぁ、アレか。ほっとけ」
 導次は眉間にシワを寄せて煙管を吸った。何か言いかけた部下はそれきり黙ってしまった。しかし、そのやり取りを見て、導次の呼びかけに応じて集まった者たちは、興味ありげな顔をした。導次はソレを察し、部下をギロリと睨む。
「見いや、ワレ。余計なコト言うから余計な説明せなあかんやろ」
「ス、スンマセン!」
「まあええ。……このミランダのこと考えとったら、昨日うさんくせえジジイから電話かかってきてな。女を殺すな生け捕れ言いよる。ワケわからんことぬかすな言うて、電話ブチ切ってもうたがな」
 そこまで話したとき、導次の携帯に着信があった。話は途切れた。通話している導次の顔はますます険しくなっていき、しまいには怒りに任せて携帯を叩き負ってしまった。
「あのアマ! 本部にカチコミよった。行くぞ!」
 灰皿にキセルを叩きつけて灰を出し、導次は立ち上がった。
 ミランダが、悪役ひしめく悪役会事務所に。
 とりあえず話を聞くだけと、そのときドウジのもとに集まった者たちは、怒涛の展開を前にして、即断を迫られた。今すぐ、ミランダを殺しに行くか、行かないかの――。

種別名シナリオ 管理番号153
クリエイター龍司郎(wbxt2243)
クリエイターコメント龍司郎です。相変わらずのバトルシナリオやりたいと思います。
このシナリオに参加する前に、『【ピラミッド・アタック】マサクゥルダンス』に目を通してくださると幸いです。ミランダについての基本情報があります。
あんな状態、こんな現状なので、説得などは通じないと考えたほうがいいかもしれませんね。
一応ドウジ親分も現場に急行します。頭に血が上っていますが、テメェの身はテメェで守ってくれるハズなので、特に心配する必要はないでしょう。もちろん心配してくれてもかまわないです。龍司郎は親分好きです。

参加者
ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
キュキュ(cdrv9108) ムービースター 女 17歳 メイド
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
ヘンリー・ローズウッド(cxce4020) ムービースター 男 26歳 紳士強盗
<ノベル>

 ★ ★ ★
 
 彼女は悪くない。
 彼女は悪くない。
 きっと彼女は悪くない。
 悪いのは……。

 ★ ★ ★


「よォ、十狼(ジュウロウ)、火ィ持ってねェか」
 十狼はライターもマッチも持っていなかった。火打石なら持っているが、タバコの火をつけるには不便だ。火を求めてきたのは黒い肌のエルフで、十狼のちょっとした知人だ。最近タバコの味を覚えたらしかった。
「すまん」
 十狼がかぶりを振ると、ダークエルフは舌打ちして、数メートル後ろにある悪役会事務所が入ったビルを見上げた。
「仕方ねェ、借りに行くか。――よぅ、たまには酒でも誘えよな」
 それきり、二人は別れた。
 そんな何気ない会話が、最後のものになってしまった。
 悲鳴が、上がる。

 ダークエルフの悲鳴。ソレが通りをつらぬくことを、ヘンリー・ローズウッドは知っていた。彼は悪役会事務所の中にいて、電話番をしていたのである。
 ドウジが叩き切ってしまった、怪しい老人からの奇妙な申し出。ヘンリーはミランダの殺戮よりも、ソレに興味を持っていた。珍しく、彼はすすんで電話番を買って出たのだった。
 悪役会に身を置いてはいるが、この紳士強盗は組織やドウジにカケラほどの忠誠心も持っていない。ヘンリーはその真意をうまく韜晦している。
 しかし、不安定な一面を持つ男だった。以前、その本当の顔を、他ならぬ竹川導次に見せてしまっている。ドウジはとやかく言わず、ヘンリーも悪びれず、結局はなにも変わっていないが。
 悪役会とヘンリー・ローズウッドとの関係は、紳士強盗の精神のように、複雑だった。だからヘンリーは、ダークエルフの背後に黒い女剣士が走り寄るのを見ても、見えないフリをしたのである。急げばかばうことくらいはできたかもしれないが、自分がケガをするのはまっぴらだった。
 防弾ガラスのドアが、血飛沫で真っ赤に染まった。
 電話はかかってこない。

 耳をつんざく悲鳴に、十狼は振り向く。ついさっきまで話していた知人が、そのときにはすでに死んでいた。フィルムが転がる音が聞こえる。
(この街も戦場と同じ。生と死の道理は、我が『世界』と何ら変わらぬ。死は、必ず訪れるものだ)
 悠久の時を生きているという設定の彼だ。不条理な場面に遭っても、あきらめにも似た感情を抱いただけだった。ただ、知人の死は悼んだ。少なくとも、覚悟の上での死を迎えたわけではあるまい、と。
 十狼は顔を上げ、眉をひそめた。
 ダークエルフが死んだのは、黒づくめの女剣士に斬られたかららしい。その女が、ぶつぶつと……赤い目を光らせながら、呟いているのだった。
「……邪悪の気配だ。世の邪悪。わたしは正義だ、そうだ正義だ、邪悪を倒す役目の。最後の1匹まで……邪悪は正義の手で……この世の邪悪……」
 女は両手に、細身の長剣をさげていた。祈りの文句のように同じような言葉を繰り返しながら、彼女は――防弾ガラスのドアに、剣を振り下ろした。
「……」
 女の背後に、十郎はツカツカと歩み寄っていく。とりあえずは無言のまま、しかし凄まじい笑みを浮かべ、スラリと両腰の剣を抜きながら。
 彼も彼女同様、二刀流だった。


 怒りのあまり、ドウジはくわえているキセルを噛み砕きそうだ。そんな依頼人とともに悪役会事務所へ急行したのは、4人のムービースターだった。
 梛織(ナオ)、シャノン・ヴォルムス。このふたりは、以前、ミランダと会っている。梛織はミランダが登場している『ブラックスター』を見ていただけに、まだ複雑な心境だ。
 シャノンはこの状況を楽しんでいた。悪役を助けるという泥臭いシチュエーションは、およそ純潔なヒーローとは言いがたいシャノンにとって、自分のカラーを売りこむいい機会だ。それに、悪役会やドウジに恩を売れば、今後いろいろと動きやすくなるかもしれない。
 シャノンのように『恩』を目的としているのが、ユージン・ウォンだ。悪役会ではなく、三合会というその筋の組織の幹部だった。悪役会との関係は悪くない。だが、恩を売っておいて損はない。よくある打算だった。ドウジがそれを見抜いているだろうということを、ウォンも当然見抜いている。悪役とは、そんなものだ。
 彼はカフェ・スキャンダルにはいなかったが、ミランダ急襲の報を聞きつけ、電話で連絡を取りながら現場に急行していた。途中で合流し、ドウジにずいぶんな挨拶を投げかける。
「御機嫌よう、プリンセス」
「やめんかい」
 ドウジも慣れたのか、煙たそうに返す。彼はこれまで何度も、なぜか女体化する憂き目に遭っていて、ヴィランズの間では語り草になっていた。
 そんなメンバーの中で異彩を放っているのが、メイドのキュキュだった。紅一点で、しかもメイドで、さらに妙な触手と触角つきだ。梛織があやうくその容姿にツッコミかけたが、キュキュは状況の深刻さと自分の性格に救われた。彼女はおとなしく真面目にドウジの話を聞き、余計な口をはさまず、また依頼の内容にも一切のためらいを見せなかったのである。
(俺が一番、こん中じゃ、アマちゃんかもな)
 顔ぶれをあらためて確認し、梛織はひとり、そんなことを考えた。
 できればミランダを死なせたくない――。
 しかし、実は、そう思っているのは梛織ひとりだけではなかった。ドウジはともかく、シャノンにも、彼女を生け捕りにしてもいいという気持ちがあったのだ。
 悪役会事務所が入っているビルが見えた。すでにビルの前にはガラスの破片が散らばり、血塗れの死体がいくつか横たわっていた。
「ダンスパーティーに遅れたな」
 ウォンはベレッタのスライドを引いた。
「……あれが、ドウジ様の『お城』ですね」
 事務所からは、時おり野太い悲鳴が聞こえてくる。戦闘は1階で起きているようだ。その様子を見つめ、ビルを見上げて、キュキュが言った。
「あのアマ、ええ度胸や。ドタマカチ割って沈めたる」
「おいおい、ちょっと落ち着――」
「お手伝いいたします、ドウジ様。お城に侵入してくる『勇者』の相手、私の本分ですわ」
 シャノンは一応制止したが、ドウジはどこからともなく長ドスを抜き、大股で事務所に向かっていってしまった。その後ろにぴったりついていたキュキュの、背中の触手がザワザワと揺れている。
「……」
 梛織は、一歩だけためらった。
 しかし恐れていたわけではなかったから、すぐに一行を追った。


 十狼は、彼女を見過ごせなかったのだ。だから今、剣を抜いて相手をしてやっている。黒づくめの女、赤い目の女。十狼は彼女がミランダという名前であることを知らない。ただ、似たような容姿の女が以前不可解な騒動を起こしていたと、銀幕ジャーナルで読んだ記憶はある。しかし、そのあたりの事情も名前も、十狼にとってはあまり意味を成さない。十狼が許せないのは、彼女が『正義』を掲げて殺戮に手を染めているという事実だ。
「その正義は……」
 ミランダの左からの一撃を、右の黒い刃で受け止める。
「貴殿を標榜とするものか?」
 右からの一撃は、左の白銀の刃で。
「ならば、私も貴殿のように……」
 交差した腕を振り抜いて、ミランダの両剣をドウジに振り払う。
「『己は正義』とうそぶこう。私にとり、貴殿は悪だ」
「悪、……悪、邪悪……」
 剣を下ろして堂々と言い放った十狼に対し、ミランダは赤い目を見開いて、ブルブル震え始めた。
「ギ」
 そして――
「ぃアアアアアアアアアアアアアアァァァーァアアア!!」
 正気の沙汰とは思えない金切り声を上げた。
 十狼は唇を噛みしめた。彼女に通じた言葉、いや単語は、『悪』だけだったようだ。ミランダは正義を掲げる言葉を口にしていたが、その瞳の中に正気はなかった。
 十狼が見た答えは、彼女の狂気だけ。
 狂気の太刀筋には、構えも型も見られない。まるで子供のようだ。彼女はただ剣を振り回す。恐慌におちいった剣にも似ていて、太刀筋の予測がつかない。十狼なら相手にもできたが、事務所の中は障害物が多すぎた。十狼はいったん下がって、様子を見る。
 ヘンリー・ローズウッド。彼もまた、タバコのヤニで黄ばんだ電話機を持ち、薄ら笑いを浮かべ、部屋の片隅で様子を見ていた。十郎と違い、彼の場合は、ミランダを攻撃するチャンスをうかがっているわけではない。いかにして無傷のまま舞台を最前列で見物するか、ソレだけを狙っている。
「ミランダ!」
 ドスの利いた声が響いた。部屋の隅に逃げていた悪役たちが、一斉に入口を見る。ミランダも、自分の名前を認識するだけの意識はあるのか、ピクリと震えた。
「親分、逃げてくださいよ!」
 竹川導次が、長ドスを片手に、仁王立ちしていた。彼はすでにすっかりキレていたが、罵詈雑言を吐き散らして暴れまわるような真似だけはしなかった。そしてあいにく、逃げろと言われて逃げるような男でもなかった。
「ゥ、ゥ、ゥ……」
「覚悟はできとんのか、どないや。黒アマ!」
「ワアアアアァァア!」
 十狼は、信じられないものを見た。ミランダの腕が伸びたのだ。ドウジも意表を突かれていた。一瞬にして伸びたミランダの腕は、ドウジを袈裟懸けに斬りつけた。
「!!」
 悪役たちの驚きと悲鳴の中、ドウジがよろめく。
 だが、血の華は咲かない。
 ドウジはよけなかった。というよりもよけられなかったのだが、ミランダの剣は確かに彼の身体に届いたにもかかわらず、ドウジには傷ひとつついていなかった。トレードマークの縞スーツもまったくの無傷だ。
「ムダです。ドウジ様には『斬属性無効』の魔法をかけております」
 キュキュが、透き通った声で告げる。彼女の体のどこからか、ザワザワジュルジュルと不気味な音がし始めていた。
「私と同じですね。腕が伸びるなんて……」
 ザザザ、ザ。
 キュキュのスカートの中や袖の中、髪の中から、触手が姿を見せた。ザワザワとゆらめくシルエットに、ミランダの赤い目が釘付けになる。彼女が憎む邪悪の、典型的な姿だからか――。
 ミランダよりも先にキュキュの触手が動いた。ミランダの両手首を絡め取り、自由を奪う。ミランダが狂った犬のように叫んだ。それを見たウォンが唇の端をゆるめる。
「こいつはいい。メイド、私も力を貸すから、ひとつ囮になれ」
「かしこまりました、ウォン様」
「何か策でも?」
「ここは邪魔な『モノ』が多すぎる。パーティー会場を変えよう。西に行ったところに袋小路があるはずだ」
「よし」
 シャノンがいち早く走りだす。十狼も、散乱する机や死体、まだ生きている悪役をちらと確認し、外に出た。
 一方、梛織だけは、わずかに躊躇した。ミランダの腕が伸びるのを見て、いちばん驚いたのは彼だ。ミランダにはそんなモンスターじみた設定がなかったことを知っているだけに。
「おい。哥々(ココ)にくっついていかなくていいのか」
「ココって、シャノンのことか?」
 ウォンに言われて、梛織は少しムッとした顔になった。そんな彼に、ウォンがベレッタを投げよこす。
「ソレを持って先に行け。私たちのような『悪』のほうが、あのビッチにとっては好みらしいからな」
「……頼んだ」
「フン」
 ギリリ、とキュキュがミランダを拘束する触手に力をこめた。あまり彼女の表情は変わっていないが、そんな音がしたし、ミランダが踏まれた虫のように激しく暴れだしたから、確かなことだ。背骨が折れていてもおかしくない。
「わざわざ外に連れて行かないで、そのまま絞め殺せば?」
 なおも電話を膝の上に置き、ヘンリーが呑気に言った。彼はロッカーの上に腰かけている。天井が頭につくほど近いので、彼は膝に頬杖をつきながらミランダとムービースターの攻防を見下ろしていた。まさに、高みの見物だ。
「もしかして、捕獲なんか考えてるのかな、ミスター・ユージン。僕が知ってるキミは、もっと容赦なくて……歌が上手で、僕好みなんだけどなあ」
 ウォンはぴくりと眉を上げ、ヘンリーの台詞の後半を聞き流した。
「そう言うおまえは?」
「僕は親分に従ったほうがいいと思うんだけどねえ。今回の件の依頼人なんだから。親分はそいつに死んでほしいって思ってるはずだけど」
 ヘンリーがニタリと口の両端を吊り上げ、ウォンもゆっくりと口を歪めた。
 ミランダが吼えた。赤い目は獣のようだった――そしてその力も、ただの女剣士にしては強すぎた。キュキュの触手の力はすささかも揺るがなかったが、ミランダが激しく身じろぎしたことで、わずかにズレが生じた。ミランダの黒い手が、その隙間から抜け出した。
 剣がひらめき、キュキュの触手が斬り飛ばされる。
「フウウ、ウウ、ウウウウァアアア……!」
「よし。出るぞ」
「かしこまりました」
 斬られたはずの触手は、ズルズルと音を立ててすぐに再生した。ミランダの目はそれを食い入るように睨みつけていた。
 ウォンとキュキュが、ミランダに背を向けて悪役会事務所を飛び出す。すでに有志による規制線が敷かれていたか、事務所の周辺には人っ子ひとりいない上に、不気味なほど静まりかえっていた。ウォンとキュキュ、そして――ミランダの足音が、やけに大きく街に響く。
 袋小路。
 十狼とシャノンと梛織の気配。
 ミランダの姿をみとめるなり、十狼が無言で動いた。ミランダは――もう言葉らしい言葉を話さない。正義と邪悪の主張も忘れてしまったか、どこかに吹っ飛んでしまったようだ。そして、彼女の腕は、また伸びた。キュキュに締め上げられて、何箇所か折れているはずだったが。
 キュキュの指先から紫色の光が飛んで、ミランダに絡みついた。
 黒い女剣士は、その腕ごと、動きがスローモーションになる。今の彼女を斬るのは、十狼にとって、樹木を切るよりもたやすい仕事だった。
 シャノンはこの状況でも冷静に狙いをつけ、十狼の背後で引き金を引いていた。
 十狼の刃がミランダの両腕を落とすのと、シャノンの弾丸が両膝を撃ち抜くのは、ほとんど同時だった――。
「皆、タダではすまさんつもりか、生け捕りにするつもりか……まだ、わからんな」
 ミランダの退路をふさぎ、ウォンは傍観者に徹していた。彼の背後には、ようやく電話から離れたヘンリーがいて、同じように動向を見守っている。
 両足を潰され、腕を斬り落とされて、ミランダの万策は尽きたかに思われた。
 風が吹いてもいないのに、そのとき、突然……音が響いた。

 ビ、ビビビビビビビ……!

 奇妙な音だ。紙が風に揺れるような。いや違う。引き出されたフィルムが風に揺れる音だ。ミランダの身体の端がほつれて、どす黒い35ミリフィルムになっている。フィルムはとぐろを巻いていた。切れ端は灰色の煙を上げながら空気に溶けている。
「ア……、ァァ……、ア……」
 赤い目を皿のように見開いたまま、瞬きもしないミランダ。彼女はその目の焦点をどこにも合わせず、ヨロヨロ、前や後ろにフラついていた。傷口という傷口から現れて揺れているフィルムが、徐々に、崩れたミランダの身体を再構築していく。
「なんだ、そのザマ。どっちが『邪悪なバケモノ』だ」
 言ったのはシャノンだ。つられてウォンがニヤリと嘲笑した。ふたりとも、ミランダに銃の照準を合わせたままだ。黒いフィルムのバケモノを見ても、彼らは動じていなかった。ウォンとシャノンばかりではない――キュキュとヘンリーも平然としている。
 ただ、十狼と梛織は、恐怖こそ感じてはいなかったが、固唾を呑んでいた。
「ちがう」
 梛織が呟き、隣のシャノンが無言でその先を促した。
「ミランダじゃない。ちがうモノになってるんだ」
「我らは、誤っていたのか。我らが憎むべきは、ミランダではなかったのでは――」
 十狼は張り詰めた眼差しで、ミランダの姿をしたものに探りを入れていた。

「ァ……、ァ……」
 ビュルル、とほつれたフィルムの動きに翻弄されてフラつきながら、ミランダが呻いた。その片目から涙がひと筋こぼれ落ちた。『ブラックスター』の中では、一度も見せなかったはずの涙だった。透明だったその液体も、次第に黒ずみ、サラサラと空気に溶けていく。
「ワタ……シ、邪悪ジャ……ナ……ィ……」

 ビュルルルッ!
 根元から失われていたミランダの両腕が、また生えた。それを構築しているのは肉や骨や皮ではなかった。黒いフィルムだ。そのコマの中に、泣き叫びながらもがき苦しむミランダのシーンが焼きつけられている。
 梛織の記憶が正しければ、『ブラックスター』の中に、そんなシーンはなかった。ミランダは最初から最後まで気高く、よくケガはしていたが、あんな痛ましい姿は見せていなかったはずだ。あのシーンを流したらきっとただのスラッシャー・ムービーになる。
 梛織は引き金を引けなくなった。
 あれほど怒り狂っていたドウジも、今や押し黙って彼女を睨んでいるだけだ。
「どうしたんだい、親分。あんなに殺す殺すって騒いでたのに。それじゃ、最近の不良とまるっきり同じじゃないか。口ばっかりでさ、すぐ『殺す』って言うだけの」
「黙っとれ」
「あ、まだ怒ってた。……ところで、例の電話、覚えてるかい?」
 ヘンリーが言うと、ドウジは口をへの字に曲げて、眉を上げた。
 そうだ、得体の知れない機関が、ミランダを生け捕れと……。
 シャノンが弾幕を張った。銃弾はすべてミランダに命中したが、弾丸のいくつかは腕や足のほつれた部分をすり抜けてしまった。ビルの灰色の壁に弾がめりこみ、また、コンクリートの細かい破片が舞った。
 ミランダの左腕が、ダラリと垂れた。ちぎれかけているが、神経ならぬフィルムでなんとかつながっている。膝が砕けたのに歩いている。もはや徒手空拳だったが、それでも、彼女は殺戮をもとめているようだった。ゾンビのように、ほつれてはもとに戻る両手を前に突き出して、歩いてくる。
 腰にデザートイーグルを帯びているのに、今の彼女はそれすら認識できていないらしい。銃の使い方も、きっとわかっていないだろう。
「いい銃が、泣いているぞ」
 シャノンがデザートイーグルに同情した。
「ミランダ!」
 梛織がたまらず前に出た。両手でウォンから受け取ったベレッタM84を構え、照準をミランダに合わせている。
「ミランダ、あんた……どうしちまったんだよ!」
 言葉が通じるとは思えない。説得など考えるだけムダだろう。ソレはわかっている。それでも梛織はシャノンたちのように、無言で彼女を撃てなかった。

 夢がカタチになった銀幕市を、最近、不穏な影が横切っている。
 ソレは、まったく得体の知れないモノだった。温厚な王様が狂って街の支配を企てたことが始まりだ。それから、理不尽な負の戦いがあちこちで起こった。このミランダも、おそらく、その不吉な足音のひとつだ。

 ミランダは梛織の呼びかけに、わめき声と突進で応じた。足も、シャノンに撃たれた膝から下が、ビラビラとほつれてフィルムになっていく。
「梛織!」
 シャノンが舌を打った。
(お前が撃たないなら、俺が撃つだけだぞ)
 梛織は仕方なく、銃を撃った。

『そこまでだ!』

 梛織の弾丸を至近距離で受け、ミランダが大きくよろめき、突進が止まり……
 雑音混じりの大音声がその場に割りこんできた。
 ふっと彼らの頭上が暗くなった。
 次の瞬間、巨大なガラスのコップのようなものが白煙を噴きながら落ちてきて、見事にミランダにかぶさった。カポン、という音がぴったりだった。
 伏せられたグラスの中で、黒い女剣士がわめいているが、声はずいぶん小さく聞こえる。激しく透明なガラス状の壁を内側から叩いているものの、謎のコップはビクともしていなかった。グラスの底にあたる部分は怪しげな機械になっていて、様々な色のランプがにぎやかに点滅している。
「な、なんだぁ?」
「……電話で連絡くれたら、ちゃんと出迎えたのにな」
 ヘンリーが苦笑いをする。
 彼らの背後に、巨大な……ロボットとしか言いようがないメカが、ドウジばりの仁王立ちをしていた。なぜか大出力のサーチライトを背負っているため、逆光がまぶしすぎて、その姿ははっきりしない。ただ、そのメカの前に、白衣をひるがえす初老の男が立っているのが見えた。その人物もまた、腕組みしたうえで仁王立ちである。
「その女は殺さずに生かしておいた方が諸君の未来のためになるぞ」
「……忠告はありがたいが、まず自分が何者なのかくらい、断っておいてもいいだろう」
 シャノンは銃を下ろした。彼も場数を踏んでいるから、相手に殺意や敵意があるかどうかはすぐにわかる。ミランダも、どうやら簡単にはコップから脱出できなさそうだ。
「我輩はアズマ超物理研究所所長、東栄三郎である。今朝悪役会に連絡を入れたのだが、そこの石頭は話を聞こうともせん。こうして我輩自ら女の確保に出たというわけだ」
 アズマ超物理研究所。
 梛織とシャノンの口の端が思わず引きつった。「胡散臭い人間」の鑑を見た気がする。博士がようやく歩み寄ってきたので、その姿を拝めた。これまた怪しげなゴーグルやインカムやグローブを装備していて、彼が「マッドサイエンティストの鑑」でもあることが非常によくわかった。
「……あのぅ。私は、ドウジ様のご命令に従いたいのですが……」
 キュキュはスルスルと触手をしまって、急にもじもじおどおどし始めた。ミランダを封じこめているグラス状のものは、随分と頑丈そうだ。この場に集まっているムービースターが総力をかければ、おそらく壊すこともできるだろうが。
 キュキュはドウジの顔色をうかがう。これまでの状況を怒りながらも傍観していたドウジは、東という男の話を多少は聞く気になったようだ。キュキュに、隻眼で目配せをする――「ちょっと待て」。
「その女は、死ねば黒色をしたボロボロのフィルムを落としたはずだ。フィルムは回収が楽だっただろうが、やはり生体のほうが得られる情報が多い。ゆえに、我輩は生け捕りを要請したのだ」
 黒い、ボロボロのプレミアフィルム。銀幕市で最近確認されている不可解な現象のひとつだ。それを聞いて、何人かが目を合わせた。
「……この女に何が起きたか、貴殿は真因を掴んでいるのか」
 念のため、十狼は剣を抜いたままだった。彼の目は時おり、東博士の後ろのメカを見張っている。
「調べてみなければわからん点がまだいくつかある。ただ、その女のような存在を、我輩は『ムービーキラー』と呼んでおるのだ。おまえたちの中の一部では、『凶星』という呼び名で通っているようだが」
「ムービーキラー? ……この町で俺たちムービースター同士が殺し合うのは、それほど特別なことでもないぞ」
「そうだな。ここはある意味『地獄』だ」
「だが、わかっておるはずだ。ここのところこの町では、その女がもたらしたもののように、不可解な殺し合いが起きているということをな」
 東博士は鼻で大きく息をついた。
「ミランダは『回収』させてもらうぞ」
「あ、オイ、ちょっと待て!」
 東博士の背後に控えていたメカが、ズシン、と一歩踏み出す。反射的に梛織が抗議した。
「あ」
 ヘンリーが遅すぎる警告を出した。
「その辺、僕がしかけを――」

 ずっどぉぉん!

「あっ」
「あー」
「あーあーあー」
 巨大メカがなにかにけつまづいてハデに転んだ。ミランダがウォンを突破したときのために、ヘンリーが『奇術』をしかけておいたのだ。目をこらさねば見えないほど細いワイヤーによるトラップ。引っかかった者は、ハタから見れば急にヘンなダンスを踊ってつんのめったように映るだろう。わかりやすい奇術である。
「おぉ!? なんということだ、我輩の『フィルモーグ』が!」
 博士は振り向き、ボサボサの白髪頭をかきむしった。ロボットはよろめき、黒煙を上げながら起き上がったが、アームが両方とも見事に壊れていた。
「ええい、これではサンプルが回収できないではないか!」
「誰も持ってっていいなんて言ってないんだけどね、博士」
 ヘンリーの言葉に、東博士は振り向いて、口をへの字に曲げた。
「うちの親分は、そのレディを処刑したくてたまらないんだ。この人たちは殺し屋だし」
「俺はちがう。殺しはやらない」
 梛織がヘンリーの主張をはねのけた。十狼も殺し屋呼ばわりには明らかに難色を示したが、なにも言わず、グラスの中のミランダに目を戻す。
「むうう。では致し方ない。市長に出した案件にひとつミランダのことも付け加えねばならんな」
「……なに企んでんだ」
「企むとは人聞きの悪い。我輩は協力してやろうと思っておるのだ。もう一度言うが、その女は殺さんほうが得だぞ。さらばだ、諸君!」
 東博士はあちこち壊れた自作のメカの足によじのぼり、腰のバーにつかまった。
 メカの足が変形し、タイヤが現れた。騒音を残しながら、アズマ超物理研究所所長は立ち去った――曲がり角を曲がったところで、ものすごい爆音が起こったが、たぶん、半死半生のメカがまた転倒でもしたのだろう。
「またヘンなのが出てきやがった……」
「市長にもあの博士から連絡が行っているようだな。フン……またお祭り騒ぎ、か」
 ウォンはため息混じりに苦笑し、軽く首を横に振った。呆気に取られていた梛織は我に返り、ベレッタを返そうと、黒い銃のバレルを握ってウォンに差し出す。発砲したバレルが、まだ熱を帯びているように思えてならない。
「これ、サンキュ。結局1発しか撃たなかった」
「いい。記念に持っていけ」
「……何の記念だよ」
「おまえが決めろ。哥々に扱い方を習うのもいいだろう?」
 梛織は銃に目を落とし、そして、強く握りしめた。その肩を、シャノンが無言で叩く。
「ドウジ様。いかがいたしますか?」
 キュキュが触手を伸ばして、ミランダを捕獲装置ごと持ち上げた。どういう仕組みか、底もふさがっていて、完全に密封されているようだ。通気がどうなっているのかわからないが、今のところ、ミランダは元気に内部で暴れまわっている。
 その四肢や顔はときおりほつれてフィルム状になり、またもとに戻るサイクルを繰り返していた。
「ブチ殺して沈めたい気持ちは収まっとらんが、バラしてから市長が何か言うてきたら面倒や。動きがあるまでウチで預かる」
「へえ、親分はずいぶん心が広いんだねえ。悪役会の皆が皆、親分みたいにおおらかとは限らないよ」
「……お前も気ィつけんといかんのとちゃうか。事務所も護らんと見物しくさってたやろ。見てたんは俺だけやないぞ?」
 ヘンリーはドウジの言葉に、凄絶な笑みで答えた。
 ドウジに続いて、キュキュが軽々とミランダを悪役会事務所へ運んでいく。その後ろ姿を、十狼は見つめていた。そしてようやく、剣をあざやかに鞘におさめた。
「あの女の正義が、……見つからなかった」

クリエイターコメント龍司郎です。実はミランダのモデルはミラ・ジョヴォヴィッチなんですよ。今回美貌がメチャクチャになっちゃいました。
今回のシナリオは情報量が多くなりました。これから起こるイベントへの布石でもあります。最初から最後まで目を通していただけると幸いです。
またミランダはこのシナリオで死亡しフィルムとなって例の謎の組織に『回収』される予定でしたが、
・謎の組織に興味を持ったプレイング
・捕獲も視野に入れたプレイング
・問答無用滅殺モードじゃないプレイング
以上の要素が重なったため、事務局と協議の上このような結果になりました。これぞオンラインノベルRPGの醍醐味でしょうか。
参加して下さった皆様にはお礼申し上げます。お疲れ様でした。これから忙しくなるかもしれませんよ。
公開日時2007-07-16(月) 00:00
感想メールはこちらから