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<ノベル>
1.いつもの光景瞼に刻み
ジズ襲来の少し前のことだ。
「い、いいいいいい、いい加減にしねぇとホントに訴えるぞ……!?」
「落ち着けターシャさん、取り乱しても仕方がない。これは仕事だ、そう思えば何も怖くはない、そうだろう?」
「ちょ、白亜(はくあ)、真顔過ぎて怖ぇっつーの! つぅか俺は仕事で来てるつもりはねぇし、ターシャさんでもねぇ!」
「でもさー、実際の話、あの人たちを訴えて勝てる気にはなれねぇんだけど、俺」
「……そんなもん、やってみなきゃ判んねぇだろ」
「……やってみる根性あるか、ターシャ」
「ターシャじゃねぇっつってんだろ、この理子さんめ」
「俺だって理子さんじゃねぇよ」
いつもと違う雰囲気のカフェ『楽園』の一角で、静寂を振り払うように賑やかな――そしていつも通りと言って過言ではない――やり取りを繰り広げるのは、ターシャちゃんこと神宮寺剛政(じんぐうじ・たかまさ)と亜子さんこと白亜、そして理子さんこと理月(あかつき)だ。
「だ、大体にして俺はだな、そもそも、ジジイの遣いで来ただけで……って誰も聴いちゃいねぇ……!」
いつものように、主人である悪魔の命で『楽園』に走(パシ)らされた剛政は、当然のように森の娘たちに捕まって、リーリウムの新作とか言うゴージャスでフェミニンでメルヒェンでファンタスティックなワンピースやドレスを次々に着せられて遊ばれていた。
いつもと少し違うのは、そこに漢女仲間である白亜が臨時シフトとして入っていたこと、『楽園』の常連で同じく漢女仲間でもある友人、理月が、新作タルトを目当てにやってきてとっ捕まっていたことだろうか。
その結果三人で美事に漢女化させられ、目に沁みる衣装に視線を彷徨わせる剛政と理月である――ちなみに白亜は仕事モードに入っているらしく、動じていないようだ――。
「……うう、一体何度目の仕打ちだ、森の娘改め森の悪魔どもめ……!」
「なぁなぁ、剛政」
「何だよ、理月」
「や、罵るだけ無駄だ、って虚しくなんねぇのかな、って」
「……言うな」
美漢女メイド・ターシャちゃんの眉間に苦々しいしわが刻まれる。
しかしそのしわは、実は、今の自分たちの状況についてのみ、というわけでもないのだった。……大半の理由はそれだが。
「今のこの状況はさておき、何か……妙なことが起きてるみてぇじゃねぇか?」
剛政の言葉に、理月が怜悧な銀色の目を向け、頷く。
「マルパスさんから通信があったみてぇだな。ジズ、だっけ?」
「ああ。中型のディスペアーっつったか……イーリスが言ってたが、建物を破壊して小ネガティヴゾーンを造るんだろ? 聞くだけで厄介だよな」
「まぁな」
「……しかし、ついこないだレヴィアタンだのベヘモットだのが出てきたばっかりみてぇな気がすんのにな。嫌な感覚だぜ」
「実は、私が急遽ここに来ることになったのも、ジズが原因だ」
白亜が静かに言い、店内を見渡す。
「何かあった時、いつでも補佐が出来るように、と」
いつも人で溢れ返るカフェ『楽園』は、今日もたくさんの人々でごった返していたが、現在の雰囲気は、いつものそれとは少々違っていた。
「……確かに、人手はあった方がよさそうだもんな」
理月が頷くように、現在、ここは、ここではないどこかでジズの被害にあった人々の避難場所になっている。
この近辺では一番の力を持った、神クラスのムービースターである森の女王の庇護を願ったものもいるだろうし、たまたま駆け込んだ先がここだった、というものもいるのだろう。
どちらにせよ、瀟洒なデザインの店内で息を潜める人々の目には、不安と怯えが見え隠れしている。
最初三人を漢女に仕立てて楽しんでいた女王と非道な仲間たちも、避難者が増えるにつけ忙しさを増し、今は協力者たちとともにあちこちを走り回っていて、彼らを顧みる暇もないようだった。
「俺たちも、何か手伝いを……」
「ああ、そうだな、手当てや物資の運搬くらいなら役に立てるだろう」
「待て待て待て、理月、白亜。何でそのまま行こうと出来んのかが不思議で仕方ねぇよ俺は。リーリウムがいねぇ今のうちに着替えちまうのが吉だろ、このまんまの格好で何かあったら、」
剛政が、自分たちの出で立ちを忘れているかのように、ナチュラルに歩き出そうとする漢女仲間ふたりを制した時だった。
「来たわ、リーリウム!」
森の娘のひとり、イーリスの声が鋭く響き、店の一角で采配を揮っていたリーリウムが外へ飛び出していく。
――何か強大で虚ろなものが迫っていることが感覚的に判る。
剛政は理月と白亜と顔を見合わせたあと、小さく頷きあい、それから、そのまま店の外へ走り出そうとしていたふたりの首根っこを掴んでスタッフルームへと駆け込んだ。
「ちょ、なんだよ剛政、リーリウムたちが……!」
「そうだ、早く手伝いにいかなくては、」
「馬鹿、まずは戦闘準備ってやつだろうが! いいか、このまま戦って万が一くたばってみろ、『あの人たちは漢女姿のままで戦った末に、華々しく……』なんてホロリとされちまうだろ!? 俺は、銀幕市の末代まで語り継がれるのはゴメンだぜ!」
言いつつ、手早くいつもの格好に戻る。
急かすまでもなく、ふたりも着替えを終え、元の出で立ちに戻っており、白亜は、友人から借りてきたという、美しい造りの太刀を腰に佩いていた。
「ゴールデングローブを忘れねぇようにしねぇとな」
先ほど『楽園』を訪れた際、マルパスからの通信が入ったあとに、『楽園』内にいる全ムービースターに配られたゴールデングローブ、ブレスレットを模したそれを手首にはめながら理月が言い、剛政と白亜も頷く。
「厄介は厄介だが……コイツが俺たちのことを守ってくれるんだからな。感謝しねぇと」
「だよな。……小ネガティヴゾーンってのが展開された時、どのくらいパワーダウンすんのかは判んねぇけど、俺は、俺に出来ることをやるだけだから」
少年のような真摯な眼差しでつぶやく理月に頷きつつ、店内を駆け抜ける。
店のあちこちに座り込み、怯えた表情で外を見ている人々の姿に、剛政は、この『楽園』にいるからにはそんなカオしてちゃ駄目だろ、などと思い、不安ならすぐに取り除いてやる、と心の中に決意と覚悟を新たにした。
白亜が何人かの手を取り、絶対に大丈夫だから祈っていて欲しい、希望が絶望を払拭する瞬間を信じて欲しい、と穏やかに頼むと、何人かからは、小さな頷きが返った。
「……大丈夫だ、心配しなくていい」
白亜の言葉を合図のように走り出し、ほぼ同時に店の外へと飛び出すと、重苦しい空気が三人を包んだ。
森の娘の筆頭リーリウムと次席のイーリスとが、今までに見せたこともないような厳しい眼差しで空を見つめている。
上空、恐らく数キロメートル先には、こちらへ向かって一直線に飛来するジズの姿があり、また、別の位置では、別のジズに攻撃されたと思しきビルが崩れ落ちていくのが見えた。
この重苦しい空気が、ジズの放つものなのか、それとも緊張から来るものなのかは判らないが、楽な戦いではなさそうだ。
「……ターシャちゃん、亜子さん、理子さん」
迫り来るジズから視線を外さぬまま、リーリウムが間違った名前を呼ぶ。
剛政はスキル:ツッコミを発動させかけて、溜め息とともにそれを諦めた。
「名前なんか今はどうでもいい、俺たちも手伝うぜ」
剛政の言葉に、リーリウムとイーリスが穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、心強いわ。……でも、いざという時は、お客さんたちを避難させて、一緒に逃げてね。わたしたちは、わたしたちの務めを果たさなくては。――この街が、たくさんの救いをくれたから」
そこに不退転の、死すら見据えた覚悟を見て取り、剛政はもう一度溜め息をつく。
ちらりと見れば、白亜が眉をひそめて首を横に振るところだった。
「……森の娘がひとりでも欠ければ、女王は哀しむ。勝っても哀しみが残るのは、……勝ちではない」
「そうだ、そんなの当たり前じゃねぇか。俺は、あんたたちの誰だって、いなくなるのは嫌だぜ。終わりが避けられねぇもんなんだとしても、こんなかたちで終わって欲しくねぇ。笑って手を振って『じゃあ、また』って、本当は叶わねぇんだとしても約束して、それで別れてぇんだ」
いっそ頑是なくすらある、理月の一途な物言いに、森の娘ふたりは顔を見合わせ、そして静かに笑った。
「ええ……そうね、本当に、そう思うわ」
剛政は、その、リーリウムの隣に並んで空を見上げた。
「ココがトラウマ製造機の本拠地だろうと伏魔殿だろうと、なくなっちまったら物足りなくなるンだよ。せっかくあんたらが今まで頑張って色んなものを築いてきたんだ、あんな変なのに壊させるかよ!」
ぐっ、と拳を握り、迫り来るジズを睨み据える。
『楽園』は彼に、とんでもない属性をつけてくれた。
とんでもない目にも遭ったし、多分これからも遭うのだろうと思う。
しかし、それだけではないことを、剛政は知っている。
「……私は、『楽園』に感謝している」
腰から、友人に借りたという太刀、銀雷を引き抜きながら白亜が言う。
今から戦いに臨むとは思えない、静かで透徹した眼差しだった。
「……ありがとう」
ぽつり、と、感謝の言葉がこぼれる。
「ありがとう、普通の日々をくれて。ありがとう、楽しい悲鳴というものを教えてくれて」
少女めいた端正な面に、屈託のない笑みが浮かんだ。
「悲鳴を上げて、叫んで、悪足掻きをした日々も、今は楽しく思い出せる。――誰かを笑顔にできるのは嬉しかった。存在だけで疎まれるなどということのない、この街は――この場所は奇跡だった。これからも、私にとっては、奇跡であり続けるだろう」
白亜の気持ちが剛政には判る。
きっと、理月にも判っているだろう。
この街は彼らに普通をくれ、日常をくれた。
大事件もハプニングも笑顔も罵声も涙も、それぞれの映画という、彼らの故郷ではあり得なかった要素を多分に含んでいる。この街に実体化したからこそ、今の彼らがある。
今の、心がある。
「――……だからこそ、護る」
いっそ厳かですらある白亜の宣言に、異を唱えるものなど、いるはずもなかった。
あの、いつもの光景を守るのだ。
瞼の裏側にいつもある、賑やかで平和な日常を。
通りのあちこちから、『楽園』へと走ってくる人々の姿が見える。
剛政の唇は、自然と笑みを刻んだ。
負けるはずがない、そう、強く思う。
2.逃げない、諦めない、目を逸らさない
来栖香介(くるす・きょうすけ)は、仕事をサボって街をぶらぶらしていたところでマルパスの通信を聞き、ちょうど近場だったのもあって『楽園』へ向かっていた。
途中、対策課からの依頼を受けて同じく『楽園』へ急行していた片山瑠意(かたやま・るい)及びルイス・キリングと合流し、更にトト・エドラグラとも一緒になって、爆発音や建物の崩れる音が響く中、緑にあふれたカフェ『楽園』へと駆けつけたのだった。
「おや……見知った顔ばかりだね、心強い限りだ」
くすり、と笑うのは魔性の美壮年ブラックウッドだ。
彼の隣には、修羅の青年・昇太郎(しょうたろう)と、不思議な雰囲気を漂わせた青年・麗火(れいか)の姿があって、ふたりは一様に、危険な雰囲気を漂わせながら迫り来るジズを見据えている。
「あ、皆。何か、勢ぞろい、って感じだな」
理月が屈託なく笑い、
「……皆が、この場所を愛している、ということなのだな」
白亜は小さく頷き、
「ま、心強いっつーか、やりやすくていい」
剛政が肩をすくめる。
香介とは直接の面識はないものもいたが、どれもが銀幕ジャーナルではお馴染みの顔だし、それぞれの戦闘能力の高さも知っている。気兼ねなく暴れられそうだ、と香介はかすかに笑い、黒いコートの内側から、真紅に輝く短剣を引き抜いて、その刃を確かめた。
「……来(き)よるぞ」
低く言ったのは昇太郎だった。
ジズがついに『楽園』上空に到達したのだ。
白亜が美しい刀を手に身構える。
「レーギーナさん、あちこちにツタを張り巡らせてほしいんだ、足場にしてぇから」
店の奥に向かって声をかけるのは理月。
店の中からそれに応える声があって、次の瞬間には、カフェ『楽園』を含む周辺の建物一帯に、鮮やかに輝く緑のツタが絡みつき、頑丈な足場を創っていく。丁寧に編み込まれたかのようなツタたちは、身軽な彼らにとっては、絶好の階段となることだろう。
「……奇遇じゃな、俺も同じことを考えとった」
「ま、俺たちは空を飛べねぇしな」
昇太郎が言い、理月が肩をすくめる。
と、
ぶぅん。
空間全体が震えるような感覚があって、ジズが球形の部分を鈍く光らせた。
「……来る」
それと同時に衝撃波が放たれる!
「まずは……私が」
たん、と軽快なリズムとともに踏み出した白亜が、美しい刀――銀雷、と言うのだとあとで教わった――を、鋭い呼気とともに一閃させる。
ぎ、ぢぃいんん!
衝撃波と、剣閃……不可視のそれらは、まるで刃と刃のように甲高い音を立てて噛み合い、光の欠片を周囲に振り撒いて消えた。
「……効いている、か……」
白亜が言い、第二波に備える傍らを、剛政と理月が右から駆け抜けていき、ツタを駆け上がる。香介は昇太郎とともに、白亜の左側を走り抜け、ツタを足場にジズへと接近する。
ルイスと、彼に手伝いを頼まれたトトもまた、別のツタを伝って屋根に駆け上がり、身構えた。
幸いにもツタは頑丈で広範囲だ、空を飛ぶジズに攻撃を仕掛けるための足掛りとしては充分だろう。
「さァて……どう攻める……?」
どこかの民家の屋根へ佇み、香介は赤く染めた眼を細めてジズを見据えた。
その間に、何ごとかを唱えた白亜が、戦闘に参加する全員に、何かの魔法らしきものをかけてくれる。目だけで問えば、静かなのによく響く声が、存在の認識をぶれさせ、ジズにこちらを捉えにくくさせるためのものだ、と答えた。
「まずは様子見、ってか……!」
気合いとともに別の屋根から跳躍した剛政が、魔力を込めた拳を振り上げ、ジズ目がけて振り下ろすのが見えた。
――ジズは大きい。
よそに出現したジズもまたそうであるのかは判らないが――ディスペアーというのは、同じ場所から出現しても整合性のない部分も多いから――、現在、『楽園』上空に漂うジズは、球形の部分だけで直径が二メートル以上あった。翼もあわせれば、全長は五メートルを軽く超えるだろう。
「ったく、殴り甲斐のあるサイズだぜ……!」
白い風をまとった剛政の拳が、ジズの天辺付近を打ち据える。
がつん、という硬い音が聞こえた。
ジズがぐらりと揺れる。
「硬ぇ……けど、効く……!」
地面へ落下しながらジズを見上げ、剛政が指摘する。
左右の民家の屋根で様子を伺っていた昇太郎と理月が顔を見合わせ、小さく頷くと、剛政と同じく跳躍し、ジズへと斬りかかった。
古く刃こぼれした刃と、白銀の刃が、ジズの球形部分へ振り下ろされ、がりり、という硬い音を立てて吸い込まれる。
――ジズの表面に疵がついていた。
血は出なかったが、ジズは身もだえするようにぶるぶると『身体』を震わせ、腹いせとでも言うように衝撃波を放った。
迎えるのは――銀雷を手にした白亜と、蝙蝠化したブラックウッド。
白亜が衝撃波を『斬る』べく銀雷を揮うと同時に、ジズよりも大きな蝙蝠に変化したブラックウッドが、羽ばたきと超音波を組み合わせて『波』を創り、衝撃波にぶつけることで、そのエネルギーを相殺する。
「気高き女王の園を踏み荒らそうとする不届き者を、捨て置くわけには行かぬのでね」
瞬時に人型に戻ったブラックウッドが、器用にウィンクをしてみせ、そのあとすぐにまた巨大蝙蝠へと戻る。
いつも通りのその様子に笑った理月が、剛政や昇太郎とともにまたツタを駆け上がっていく。いつの間にか長剣を手にした森の娘たちも、流麗なゴスロリワンピースの裾を翻して、動き難さなど一切感じさせない滑らかな動きでジズに斬りかかり、抉れたような斬り込みを入れていた。
ちなみに、彼らが十メートルを越える上空から落下しても無傷でいられるのは、頑丈極まりない森の娘たちはともかく、風の精霊を使役した麗火が、その落下速度を緩め、また衝撃を緩和してくれているからだ。
「……俺、文系なんだけど……なんでここにいるんだろう……」
ぼそり、と呟きつつ、今度は焔の精霊を具現させ、焔を練り上げるようにして鷹のかたちにすると、朱色の鷹を五羽、ジズに向かって解き放ち、それと同時に風の魔術を一気に編み上げて、ジズの放つ衝撃波の威力を殺すべく、範囲の広い防御壁を周囲一帯に張り巡らせる。
焔の鷹がジズの喰らいつき、表皮を、翼の一部を焼け焦げさせた。
戦闘のために表に出ている十二人中十人が超前衛型という攻撃的な布陣だが、余裕はあまりない。
ジズはひっきりなしに衝撃波を発生させ、攻撃してくるのだが、この衝撃波はどうやらネガティヴゾーンと同じ力を持っているらしく、相殺し切れなかった衝撃波の余波が周囲に散るたびにゴールデングローブが作用してしまい、緩和・相殺を担う面子はいつも通りの力を発揮できずにいるのだ。
規模はそれほど大したものではなく、すぐに復帰は出来るものの、厄介であることに変わりはない。
「でも……物理攻撃は効く。ムービースターの武器も、映画から実体化した武器も、使えるみてーだしな……」
香介はそれらを、屋根の片隅でじっと観察していた。
別に、怠けていたわけではない。
ジズの性質、攻撃のタイミング、衝撃波発生のプロセスや状況などを観察していたのだ。
自分ひとりがほんの少し戦わなかったからと言って全滅するほどやわな連中ではないことも理解しているので、香介はひどく冷静だし、思考は客観的で大局的だ。自分がどうすべきか、を、香介はよく理解し認識している。
「このくるたんめ、何サボってんだ! ……って、俺もあんまり人のこと言えないけどな!」
そこへ、地上からかかった不愉快な呼び名は、瑠意から発せられたものだ。
瑠意は天狼剣とディレクターズカッターを装備してジズと向き合っている。
本当にただのムービーファンなのか判然としない武闘派歌手である瑠意は、恋人に贈られたという指輪の魔力を編み上げ、天狼剣の力と組み合わせてカマイタチを発生させてジズを攻撃していた。
しかしそのカマイタチも、ネガティヴゾーンの作用を多分に含んだ衝撃波の前には緩衝材程度の役割しか果たせておらず、それゆえに瑠意は自分も人のことは言えない、と言ったのだろう。
「くるたんとか言うなッ!」
こんな場面でも律儀に大人気なく怒鳴り返しつつ、香介はコートの内側から投擲用の小さなナイフを幾つか引き抜く。
それを見ながら、瑠意がツタを駆け上がってくる。
「えー、だってくるたんはくるたんだしさー」
「だってもクソもねぇッ!」
まったく反省のない瑠意に、律儀に反応し、香介はナイフを投擲した。
百発百中の精度を誇る香介の手から放たれた小さな刃たちは、狙い過たずジズの翼に突き刺さり、ずぶずぶと埋まった。
ジズが苦悶するように身を震わせる。
心なしか、衝撃波の威力が落ちたような気もする。
剛政の拳がまた、ジズを打ち据え、その球形をぐらりと傾がせた。
「おー、さすがくるたん。やるねぇ」
ヒュウ、と口笛を吹き、飄々と笑う瑠意の、本来ならば鮮やかなアメジストの色をしているはずの目は、今は赤く染まっている。
「くるたんじゃねぇっつの! ……ん? あんた、そんな色の眼してたか? 何か悪いもんでも食ったのか?」
「……悪いものを食べて赤く染まる眼って、嫌じゃねぇ?」
「ん? いやまぁそりゃありえねーけどよ。あんたなら割となんでもありかな、って」
「なんで俺だと何でもありなんだよ……」
呆れたように言いつつも、瑠意の眼は笑っている。
余裕というよりは、この場所に集った人々への信頼のゆえだろう。
「大切なヒトたちを守るのに、力の出し惜しみなんてしている場合じゃないからな」
「へぇ?」
「……『大元』もいることだし、普段より動きやすい。でも、俺、ちょっとびっくりしたんだ」
左右のツタをふたり同時に駆け上がり、同時に跳躍してジズに斬りかかりながら、世間話のように瑠意が言う。
香介は、がつり、ごりりという硬い手応えを感じながら首を傾げた。
「何がだよ?」
「くるたん……まぁ香介にしといてやろうか、香介が、ここに来たってことに」
「……ああ」
香介は肩をすくめる。
「たまたま近くにいたからな。あんたたちに会ったのもあるし」
「なるほど、香介らしいや」
かすかに笑った瑠意が、指輪の魔力と天狼剣のエネルギーを組み合わせてまたカマイタチを生み出すのを横目に見ながら、香介は真紅の短剣【明熾星(アカシボシ)】を握りなおした。
この頃には、衝撃波に巻き込まれて半数以上が負傷していたし、『楽園』の建物も少し被害を受けていた。ツタの足場も三分の一ほどが失われ、衝撃波の相殺が間に合わず、周囲の建物も幾つか倒壊し瓦礫となっていた。
しかし、こちらが与えたダメージも決して小さくはなく、ジズの疲弊がわずかばかり伝わってくる。
――だが、恐らく、まだ終わりではない。
何かが待っている、そんな気がする。
それでも、負けるわけには行かない。
香介はプラス方向に働く強い感情とは縁遠いが、逃げるわけにも諦めるわけにも目を逸らすわけにもいかないと、まるで呪文のように思っていた。
「これで終わりなんて冗談じゃねぇ……まだまだ楽しめる、だろ?」
香介がここに来たのは確かに偶然だ。
たまたま、近くにいたから、というだけのことに過ぎない。
しかし、この『楽園』が、香介にとっては遊び場のひとつであることに違いもない。
『楽園』には苦い思い出も多いが、ここのスイーツは美味いし、わいわいやるのは、実は、そんなに嫌いでもない。もちろん、女装は二度とごめんだと思っているが。
ぶうぅん、キィン!
螺旋状に練られた強烈な衝撃波が来る。
白亜とブラックウッド、そして麗火がそれぞれの能力を駆使してその絶望のエネルギーを中和しようとしたが、さすがに威力が大き過ぎて余波を殺しきれず、『楽園』の白い壁が一部、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、また、白亜と麗火は吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
「ってぇ……」
呻くのは麗火だ。
咄嗟に精霊たちが庇ってくれたらしく、大きな怪我はないようだが、相当な衝撃だっただろうことは想像に難くない。
「これってもしかしなくても相当な貧乏籤なんじゃ……」
俺文系なのに、とブツブツ呟く彼に、人型に戻ったブラックウッドが楽しげな視線を向けた。
「おや、では……何故ここに?」
「や、それは、その。近くにいたし、放っておけねぇし。困ってる、危機に瀕してる連中がいたら手を差し伸べんのって、普通じゃねぇか?」
麗火の言葉に、ブラックウッドがくすりと笑う。
「……そうだね、普通のことだ」
「だろ。だからだよ」
「ならば……もう、ひと働き、ふた働き」
「当然」
しかし、彼らを含め、あちこちに傷を負いつつも怯まず、軽やかな動きでジズに攻撃を加えていく人々の顔に恐れはない。
それぞれがそれぞれに、自分なりの覚悟を抱いて、拳を揮い、刃を閃かせ、呪文を紡いでいる。
彼らを見ていると、香介の胸の奥に、不可解な熱が生まれる。
「……それに、まだ、オレは……判ってない」
覚悟とか決意とか、未来とか過去とか、自分とか意思とか、魂とか。
もしかすると求め続けているのかもしれない、忌避しながらも激しく欲し続けているのかもしれない、かたちにすることの出来ないそれらを、香介はまだ、見つけられていない。
自分とは何であるのか、その問いの答えもまた。
命ではないとすら言われるムービースターたちにも魂はある。否、彼らの方が、それらの所在についてよく知っていると言うべきかも知れない。
多種多様な在り方が、彼らに、自分を自分たらしめる絶対的な何かを与え、迷いのない彫像のように立たせるのだ。
「オレは、オレ以外のなにものにもなれねぇ、けど。――……いや、だから、なのか」
何のために、誰のために、何故、どうして、いつまで。
途方にくれた子どものように思う。
「……簡単にゃ、見つからねぇだろうけどな、もちろん」
実際には、本当は、もう、知っているのかもしれない、と思いもするけれど。
それでも、まだ、自分にたくさんの在り方を許し、受け入れ、様々な変化や関係をも与えてくれる、居心地のいいこの街を失くしたくないのだ。もう少し、この、満たされた場所で、来栖香介と言う器の中に、たゆたっていたいのだ。
だからこそ、今は、戦う。
この街を、心地よいゆりかごを失わないために。
「よっし、オッケイ! よろしくトトにゃん!」
と、唐突に上がった、場違いなほどに明るい声は宿敵とでも言うべきルイスのものだ。
「おう、任せろっ!」
やはりこちらも元気な、威勢のいい声は、獅子型獣人トトのもの。
見遣れば、彼は、腕に黒い塊を幾つも抱えている。
「……あれ、もしかして」
瑠意が眉をひそめて呟く間に、
「レディース&ジェントルメン、ちょーっとばかし派手な花火上げっから、しばらく離れてた方がいいぜっ」
おどけた仕草でルイスが言い、おちゃらけた態度とは言え何かを感じ取ったらしい人々がジズから距離を取る。
「よし、んじゃひとつ、派手に行こうぜ!」
ルイスが合図をすると、トトが逞しい腕に抱えた黒い塊を次々にジズへ向けて投げつける。
流麗な放物線を描いて飛んだそれが、ジズに当たるか当たらないかの位置で、拳銃を構えたルイスが、見事な腕前でその塊を撃ち抜くと、耳をつんざくような轟音とともに、塊が爆発を起こし、ジズを火と衝撃で包み込んだ。
もくもくと黒煙が上がり、それに包み込まれてしまった誰かが咳き込む。
爆発による衝撃波は、この近距離でそれをするかと若干引き攣った顔の麗火が、風の魔術を巧みに組み合わせて防いでいる。
「……やっぱり。あの時の、くすねてやがったな……」
「どーいうこったよ、瑠意?」
「多分、ベヘモット戦の時に使われたやつだよ。TNT爆弾。トリニトロトルエンってやつな」
「……なるほど、ルイスらしいっちゃらしいな」
麗火の魔術で防ぎきれなかった熱風が押し寄せ、香介の髪や瑠意の服をはためかせた。
妙に楽しげに――太くて長い尻尾がふよふよと揺れていて、それを見た理月が和んでいるのが判る――爆弾を投げつけ、ルイスが狙い過たずそれらを撃ち抜いて行くのを感心した風情で見つめているトトは、憂いや迷いとは無縁に見える。
爆発は全部で二十回。
よくもまぁそれだけくすねていたものだといっそ感心すらしつつ、香介は黒煙が晴れるのを待った。
ジズからの衝撃波は、今はやんでいる。
――これで勝利だとは、恐らく誰も思ってはいないだろうが。
「効いてるぞ!」
鋭い声は剛政のもの。
TNT爆弾を至近距離で喰らったジズの翼はぼろぼろになり、球体の部分はあちこちが凹み、また欠けていた。動きもまた鈍く、ぎこちなくなって、時折がたがたと妙な音を立てる。
「もう少し動きを制限できたら」
「そうじゃな。せやったら……」
顔を見合わせて頷いた理月と昇太郎が、爆発の衝撃にもびくともしていないツタを駆け上がる。ふたりの手には、サイズの大きなゴールデングローブがある。
「ははぁ、考えたな」
拳銃に弾を込めながらルイスが笑う。
対ベヘモット戦において、ゴールデングローブをディスペアーに取り付ける、という行為は、あの絶望の塊たちの動きを鈍らせ、バッキー砲の安全な発射に貢献したのだと聞いている。
「たとえ俺たちの存在が虚ろでおかしなことなんだとしても、俺はまだ、ここにいてぇよ。まだ、もう少し、皆の傍にいたい」
静かな眼差しで、静かに独白した理月が、右の翼にゴールデングローブを埋め込み、
「終わりが来ることなんぞ、なんでも一緒じゃ。魔法があろうがなかろうが、俺らぁはいつかは終わる。それはわかっとる」
同じく、穏やかですらある表情で言った昇太郎が、左の翼の亀裂にゴールデングローブを捻り入れる。
ぶぅん、という震動があって、確かにゴールデングローブが発動するのが、少し離れた香介にも判った。
翼の動きがぎこちなくなり、ジズが降下を始める。
サイズの関係上、翼だけで飛んでいたとは思えないが、少なくとも機動力を削ぎ、上空という敵方に有利な戦場から引き摺り下ろすことが出来たのは確かな事実だった。
やがてジズは、ごおん、という音を立てて地面に落下し、アスファルトをひび割れさせて横向けに倒れた。
「よっし!」
ルイスがトトと手を打ち合わせる傍らでは、
「終わりが来るんが怖いんとは違うんじゃ。最後の最後まで、精いっぱい生きたい、それだけなんじゃ」
透き通った表情で、無様でも構わない、と、昇太郎が呟き、
「さて、次は……どう来る?」
人型に戻ったブラックウッドと白亜が、細かな振動を続けるジズを、冷静な眼差しで見つめている。
と。
唐突に、ムービースターたちがそれぞれに装備していた、様々な形状のゴールデングローブが、ぶぅん、と音を立てた。
今までにない強い反応だ。
「これ……まさか」
理月が剛政と白亜と顔を見合わせる。
まさかって何のことだ、と香介が問うよりも早く、突然日が翳った。
空気が重苦しくなり、背筋が寒くなる。
――不気味な、不快感不安感を催す色合いのエネルギーが渦巻く、膜を髣髴とさせる半球が、ジズを中心にぼわりと浮き上がった。
次の瞬間には、『楽園』を含む半径数百メートルが、その幕に包み込まれる。
「始まった、のか……!?」
息を飲み、理月が周囲を見渡す。
彼らは、寒々しい色合いをした大小さまざまなサイズの石や岩が、墓標として地面に突き立てられた剣のように――と言っても切っ先が上なので針山と称すべきかも知れない――、来るものすべてを拒む樹海のように生え出た、命の匂いの一切感じられない、乾いた場所に立っていた。
空は、不気味なマーブル模様の灰色だ。
小ネガティヴゾーンの範囲内に入った『楽園』や他の建物もまた、剣のような岩に覆われた、寒々しい場所と化しているし、ツタはすべて石化し、ほんのわずかな衝撃だけで砕けて瓦礫の一部になった。
ゴールデングローブが、さかんに自己主張をしている。
ネガティヴゾーン以外にありえない反応だった。
「……なるほど、一定以上のダメージを与えるとこうなる、ってことか」
油断のない目つきで状況を観察しながらルイスが言い、それから、ジズのいた辺りを見やって、表情を引き締めた。
「なら……あれが、本体……?」
ルイスの言葉に、十一人が一斉にそちらを向き、ルイスと同じく表情を厳しくする。
――そこには。
3.希望と絶望のフーガ
げげ、け、しし、けきき、くくくくか、げげげげげげ、がぎ、くくか
下半身は虎の前脚と犀の後脚。
上半身は辛うじてヒトに似た何か。
腕はハゲタカの翼、背には蟷螂の翅。
首から上は蛇の塊。目も鼻も口も耳も……どころか、顔すらない。
無理やり、それぞれの形状を言語化すればそうなるだろうか。
身の丈三メートルにもなる大きな『何か』は、派虫類めいた音を立てて、しかし明らかにこの場に集った人々を嘲っていた。
「……生物としての整合性なんて、あるはずもないか。何せ、絶望そのものなんだもんな……」
ぽつりと呟き、
「でも……何でだろうな、あいつを見てると、ここがネガティヴゾーンだから、ってだけじゃなくて、やるせない気分になる」
不吉な赤い目に、憐れみめいた色彩を載せ、麗火はもぞもぞと身動きをするジズ本体を見つめている。
事実それはおぞましく、奇妙で、それでいてどこか物哀しかった。
更に、その、狂ったキメラのようなそいつには、蛸の脚を百倍おぞましく毒々しくしたような、鮮やか過ぎるマラカイトグリーンにヴァイオレットの斑点が散った太い触手が幾重にも絡みつき――否、生え出ているのだ――、うねうねと蠢いている。
ぬらりとした質感は、耐性のないものならば、その場で吐き気を催していたかもしれない。
「これが……ジズの、本体……?」
理月は眉をひそめてそれを見上げた。
くくく苦くく、死、ししし屍し、か禍かかかか げ、けけけくくかかか
ジズの哄笑に呪いが混じったような気がした。
絶望が圧し掛かってくる、そんな錯覚が迫る。
「ネガティヴゾーンって……そういう場所、だもんな……」
しかし、理月は自分を保った。
慣れたから、というよりは、たくさんのものを甘受し、自己肯定に変える力を、彼がこれまでに育んで来たから、と言うべきかも知れない。
隣に、油断なく身構えた剛政が並ぶ。
剛政の表情は、しかし、静謐で、いっそ穏やかですらあった。
「……この街に来てからは、本当、色んな奴に出会ったよな」
唐突な、ぽつりとした言葉に彼を見上げると、真っ直ぐな眼差しがジズを見つめている。
「それぞれ、自分なりのやり方で街に馴染んでいったり、街の連中も俺たちを受け入れてくれたりしてさ。……そりゃ、しょっちゅうとんでもねえ事件が起きたし、今も起きてるけどよ。俺はこの街での生活、悪くないと思うぜ。正直、気に入ってる」
「……だよな。俺も、この街が大好きだよ」
銀幕市は、絶望と痛みと憎しみに歪んだ理月の魂に安らぎと幸せをくれた。
魔法が解ければ、何もかもが消えてしまい、理月はまた元の理月に戻らざるを得ないのだとしても、この街での日々が理月をはぐくみ、やわらかくし、救いをくれたことに変わりはない。
この場所でだけでも、平穏や幸せを享受することの出来た、自分自身を幸運だと思う。
――白亜も、先ほど言っていたではないか。
だからこそ、守るのだと。
「絶望なんかに、負けねぇ。俺は、この街のお陰で、俺の中にも、確かな希望が存在するんだってことを知った。俺はその希望を信じてぇ。……皆の中にあるのと同じものが、俺にもあるんだって、信じてぇよ」
この街は理月に優しかった。
たくさんの救いが、理月を今の理月にしてくれた。
「人間の絶望がレヴィアタンやベヘモットやジズを創ったんだとしても、俺は、諦めたくねぇ」
言うと、隣で剛政が肩をすくめた。
「そりゃまぁ、今はこんなことになってるわけだがよ。あのバケモノやネガティヴゾーンが現れたのだって、別に、誰が悪いってわけでもねえ。誰だってムカついたりへこんだり妬んだりするし、そういった感情を持ってるからこそ人間なんじゃねぇの? 希望も絶望も、どっちもあるからこそ、そういうもんなんだって判るんだろ、その程度のことなんだ」
「……うん」
「だからまぁ、今回のことは色々と悪条件が重なって、ツイてなかったんだ、それだけのことなんだよ」
飄々と、しかし確固たる意志を感じさせて剛政が言い、理月は、そんな剛政のこともたまらなく大切で愛しいと、この街の人たちが大好きだと思った。
「……来るよ、理月君」
そこへ、静かなブラックウッドの声がかかる。
理月は頷き、びゅるびゅると音を立てて伸縮する太い触手を見据えて身構えた。
そして、強く地面を蹴り、一気に突っ込む。
「無茶ァしよるの。……まァ、あんたにゃあいつものことかもしれんが」
「それ、あんたにだけは言われたくねぇ」
呆れる理月の隣に昇太郎が並び、
「……どっちもどっち、とはいい言葉だと思う」
更にその隣に、淡々とした表情で、しかし密かに突っ込みつつ白亜が並び、
「よーし、いっちょ、ぶちかましてやるかぁあ!」
あっけらかんと明るい声とともに、金色の獣人が並ぶ。
びゅるる、ごうっ!
うねうねと蠢いていた触手が、ぼこぼことふくらみながらこちらへと殺到する。
ジズ本体に絡み付いていたものだけとは思えない、圧倒的なまでの質量だったが、前衛面子にそれを怯えるような可愛らしい神経はない。矢のように速いそれらが、木の根のように細い触手を生やし、槍の群れのようになって襲い掛かっても、だ。
「うっわー、キモっ」
身も蓋もないことを言ってルイスが【炎獄】と名づけられた剣を揮うと、ぶちゅん、という気味の悪い音を立てて触手は断ち切られ、ぶつぶつと泡立ったのち、ゆっくりと消えていった。
「物理攻撃は効く……んだな」
細い触手に絡みつかれつつ、理月は『白竜王』を揮って次々と太い触手を切り落としていった。ねばねばとした感触に鳥肌が立つが、贅沢は言っていられない。
本性を現したジズが、銀幕市に深刻な被害を撒く前に、一刻も早く仕留めなくてはならないのだ。
その思いは皆同じようで、後衛で、“ないよりはまし”な類いの補佐の魔術を編む麗火と、状況を見定めているブラックウッド以外の十人は、細くてねばつく触手に絡みつかれ気色の悪い思いをしながらも、迫りくる触手をそれぞれに切り払い、切り落とし、叩き潰して行った。
「……こんな場面でなければ」
長剣を巧みに揮って細い触手を切り払いながら、リーリウムがぼそりと呟く。
「触手萌え〜とはしゃいで喜んでいられるのだけど、ね」
「私も同感だわ……触手は浪漫よね。ましてや、相対する人たちが美形ともなれば、もう」
隣で剣を揮っていたイーリスが、真顔で同意する。
「……なんか碌でもないこと言ってる人たちがいるよ……」
チェーン型のゴールデングローブをはめ、自身と天狼剣を繋ぐことで天狼剣の性質を安定させた瑠意が、触手を見事な剣捌きで切り払いつつ呆れ顔でこぼす。
「あら、独り言を聞かれてしまったわね、うふふ」
「いや今の明らかに会話だっ……」
「ブラックウッドさんのところの綾野さんなら、わたしたちの美学、判ってくださると思うのだけれど」
「え、それどう言……いや、いいや、今は戦いに専念しよう」
こんな場面でも我が道を行く森の娘たちに何ともいえない表情をしたあと、瑠意が天狼剣を手に飛び出す。
びゅるる、ずびゅ、ぐびょっ。
腐った肉を打つような気味の悪い音とともに触手が伸縮し増殖して、前衛の十人に襲い掛かる。
まるで触手の雨みてぇだ、と理月は思い、顔をしかめた。
だが……誰も、怯んではいない。
「この街で出会った大切な人たち、この街に住んでいる誰ひとりだって、喪わせるもんか!」
叫び、瑠意が剣を振り下ろす。
「オレは、難しいことはわかんねぇけど……」
トトの巨大な剣が、ごう、と空気を斬り裂いた。
「でも、生き物は、最後の瞬間まで、足掻くしかねぇんだから」
刃は、触手をぶつぶつと断ち、その奥にいる、ジズの身体にぶづん、と食い込んだ。
ギシィイイイイイイァアアアアアアァァアアァ!
苦痛なのか、怒りなのか、単なる咆哮に過ぎないのか。
詳しいことなどどうでもいいが、本体に攻撃を喰らったジズが吼える。
――ジズが両腕の翼をはためかせた、そう思った瞬間、ジズを中心に光が膨れ上がり、
ぶしゅっ!
空気の入った紙袋を叩き潰したのと同じような音とともに、光が弾け飛ぶ。
弾け飛んだ光は、不可触でありながら、針のような鋭さで前衛の十人に突き刺さり、打ち据え、吹き飛ばした。
「――……っ!?」
他の面子がそうだったように、理月もまた、声もなく吹き飛んで硬い大地に叩きつけられ、地面から生えた剣のような鋭い岩に身体のあちこちを傷つけられて息を詰めた。
「う……」
すぐ傍で低い呻き声がいくつか上がり、よろめきながら何とか立ち上がって見遣ると、吹き飛び、叩きつけられた衝撃で貫かれたのだろう、瑠意と白亜、そして剛政が、鋭い石の剣に肩や腕や腹や太腿を貫通されて、地面に磔になっていた。
「皆!」
ゴールデングローブの影響を如実に受けるネガティヴゾーン内では、治癒力回復力も落ちる。
あのまま放っておいたら、衰弱して死んでしまう可能性もある。
(嫌だ、もう誰もいなくならないでくれ!)
たくさんたくさんなくしてここへ来て、なくしたものに代わることは出来ずとも、勝るとも劣らぬたくさんのものを得た。
そのたくさんのものを、もう、なくしたくはない。
ルイスとトト、昇太郎、森の娘たちがジズとなおも戦闘を繰り広げているのを横目に見つつ、理月は駆け寄ってきた麗火とともに三人の救出に従事する。
「馬鹿、理月……俺のことはいいから、ジズを……!」
「どっちにしたって、あんたたちがここにくっついたまんまじゃ危なくて戦えねぇっつーの!」
弱々しく咳き込み、痛みにか顔をしかめた瑠意が、理月を戦いに戻そうとするが、理月はそれを、滅茶苦茶な論法で説き伏せて、三人を慎重に石の剣から解放した。
石の剣を引き抜くと、あちこちから夥しい量の血があふれ、三人は低く呻いたが、その表情から戦意は失われていない。
「立てるか、剛政」
「ああ、ちょっと強烈だったが、まぁ、なんとかな……」
しかし、傷が深いことも事実で、本当は、三人とも『楽園』に避難させたかったのだが、断固として拒否されてしまい、簡単な止血を行ったあと、少し離れた位置に避難させるに留めるしかなかった。接近戦には不向きな麗火が三人の傍に残ってくれたので、まだ気持ちの上では楽だったが。
――その間にも、ジズとの戦いは続いている。
見事な連携を見せたリーリウムとイーリスが左右からジズの懐に踏み込んで触手を切り払い、本体への道を開くと、香介の投擲したナイフがジズの身体にめり込む。トトの揮った大剣が、ジズの背中で蠕動する蟷螂の翅を切り落とし、ルイスの【炎獄】がジズの下半身、虎の胴体の部分にずぶずぶと埋められ、気合いとともに引き抜かれる。昇太郎は剣と刀を巧みに操り、襲い掛かる触手をいなしながら、青黒い体液をごぼごぼと噴き上げる虎の胴体部分に刀を突き入れて、ルイスと同じ手順で傷口を広げていた。
もちろん、皆、傷だらけの血塗れだ。
しかし、やはり誰も、戦意を萎えさせてはいない。
「そういえば、ブラックウッドさんは……」
びゅるびゅると伸縮し襲い掛かる触手を切り払いながら、姿の見えない、魔性の美壮年の姿を探して視線を巡らせると、彼は、自ら傷つけたと思しき指の血を、不思議な動作でジズの周囲に落として回っているところだった。
踏み砕かれた石や岩の残骸で凸凹とした、白く乾いた地面に、深紅の液体が、不思議な文様を描いている。
ジズは、そのことには気づいていない。
もちろん、何かに気づく、という反応があの絶望の塊に存在するのかどうかは、理月には判らないが。
何かを仕掛ける気だ、と判ったから、理月は、ジズの気を逸らすべく、自分もまた戦いに身を投じた。
びゅる、ごびゅ、ずるるっ。
気味の悪い音がして、触手が蠕動する。
あっと思った時には、目にも留まらぬ速さで動いた極太の触手に打ち据えられて、理月を含めた七人全員が、またしても地面を張っていた。
「くそ……なんちゅう速さや……!」
派手に転倒させられ、砂礫を噛んだのか顔をしかめて口元を拭い、昇太郎が呻く。
理月もまた、盛大に頭を打って眩暈を起こし、立ち上がれずにいた。
「ちくしょ……負ける、わけには……!」
尖った砂礫に腕や顔を傷つけられながらもがくが、やはり、立てない。
――その理月に狙いを定め、鋭い剣のように変化した触手が一直線に突っ込んでくる。
「理月、危ねぇ……っ」
一番近くにいたルイスが、何とか彼を助けようと手を伸ばしてくれたが、それも一歩及ばず、理月が息を飲んだ――その時だった。
「……こういう場面で登場するのも、また乙なものだね」
飄々とした楽しげな言葉とともに、目の前に黒い風がさっと吹き込んだ。
めきょ、びしゃ。
生々しい肉の音。
「あ……」
一部始終を見ていたにも関わらず、理月には一瞬、それが何のことなのか判らなかった。脳味噌が思考を停止していた、と表現するべきなのかもしれない。
しかし、一拍をおいて、事態を理解するや否や、理月は悲鳴のように叫んでいた。
「ブラックウッドさん!?」
目の前には、ブラックウッドがいた。
彼は、触手の一撃を、身体を使って止めていた。
腰の辺りにめり込んだ、剣のように鋭い触手が、彼の上半身と下半身を、半ば以上、断ち切ってしまっているのが見えた。――そう思った瞬間、触手が再度蠢き、ブラックウッドの身体は、腰から断たれて地面へと落ちる。
「ブラックウッドさんッ!」
叫び、跳ね起き、彼の上半身を抱え上げる。
「も、なんで……!」
「……やれやれ」
「え、何、」
「いいところを見せようとして、むしろ格好の悪いところを見せてしまったねぇ。これは参った」
「そんなこと言ってる場合じゃ……!」
死者ゆえに上半身と下半身に分かたれたくらいではびくともしないブラックウッドは、気が抜けるほど普通に、飄々と笑っている。断面がびくびくと蠕動するのが見えたが、再生するには少々範囲が広過ぎ、下半身は転がったままだった。
「……仕方ない、あと少しだ、このまま仕掛けるとしよう」
理月の腕に抱えられたままブラックウッドが言うと、彼の下半身が飛び起きた。上半身という錘がないからか、普段のブラックウッドの数倍素早い、目視するのも苦労するほどの速度だった。
「な……えぇえ!?」
思わず目を剥き、素っ頓狂な声を上げる理月を尻目に、ブラックウッドの脚は素晴らしい身のこなしでジズに肉薄すると、軽やかに跳躍して見事としか言えないローキックを極めた。
断面から、ぴっ、と血が飛び、白い地面に文様を描く。
「いやぁ、さすがはグランパ……スケールが違うねっ!」
感心半分呆れ半分と言った面持ちで、戦線復帰したルイスが【炎獄】を揮い、
「……あれかな、蜥蜴のしっぽみてぇなもんかな」
トトは感心したようにジズに攻撃を続けるブラックウッドの下半身を見つめながら、自分もまた大きな剣を揮って触手の駆逐に務めた。
ぴぴっ。
また、黒ずんだ紅い血が飛び、地面に滴る。
「これで……」
がつっ。
鷲の翼に振り払われて、下半身が血を撒き散らしながら吹き飛んだ。
そして、粉々に砕け散り、消える。
理月は悲鳴を飲み込んだが、ブラックウッドは飄々と笑っただけだった。
「……完成だ」
むしろ満足げなその言葉とともに、ジズの周囲に描かれた陣が、ぼうっと光を放つ。
「ネガティヴゾーン下でどれほどの効果があるかどうかは判らないけれど……これが、私のベストだ。――……受け取ってくれたまえ」
ヴヴヴ。
陣が、ほのかな光を放ちながら鳴動する。
ジズが動きを止め、ぎくしゃくと不可解な動きをした。
――そして、次の瞬間、ジズを中心にまぶしい光と芳しい風が渦巻き、ジズのみならず、理月たちをも包み込み、飲み込む。
眩しさに思わず目を眇めた理月だったが、薔薇の芳香がすると同時に身体が軽くなったことに気づいたし、薔薇色の光がリボンのように宙を舞い、ジズに四方八方から絡みつくのを見ることも出来た。
「さあ……最終局面だ」
ブラックウッドの言葉に頷き、理月はまるでこれは自分のものだとでも言うようにブラックウッドの上半身を抱いたまま、片手で『白竜王』を握り直す。
4.オクリモノ
「なるほど……ネガティヴゾーン内でも、このくらい効果があるってことは、相当威力のデカい陣を組んだ、ってことかな。さすがはグランパだぜ」
傷の痛みが、疲労が和らぎ、ぐっと身体が軽くなったことに、ルイスは口笛を吹いた。
老練なる吸血鬼氏の描いた魔法陣は、ジズの動きをわずかなりと鈍化させ触手の攻撃力・瞬発力をダウンさせると同時に、ジズと戦うすべての人々の傷や疲労を癒し、わずかばかり身体能力をアップさせてくれた。
先ほどまで失血で青い顔をしていた瑠意や白亜、剛政も復活し戦線に復帰しているし、そのほかの面子も血が止まり痛みが和らいだお陰もあって動きにキレが戻って来ている。
「本当は、ジズの触手の動きをすべて封じて、なおかつジズ本体にもダメージを与える予定だったのだけれどもね」
「いやぁ、上出来っしょ! グランパに感謝っ!」
ルイスは投げキッスとコケティッシュなウィンクを理月に抱えられたブラックウッドに向けて放ち――タイミング悪く、もしくはわざとなのか、ブラックウッドが横を向いてしまったので、その二種を実際に受けて目を白黒させたのは理月だったが――、
「ってことで理月、ブラックウッドさんのことは任せたぜ! 大事な人ひとり守りきるくらい、造作もねぇよな!」
理月が生真面目に頷くのへもう一度ウィンクしてみせ、ジズと向き合う。
ジズはうねうねと蠢きながら、ルイスを、そしてじりじりと距離を詰める人々を、値踏みでもするかのように、蛇の塊でしかない顔で見つめている。ように、思える。
そこからあふれ出す絶望が、ルイスには判る。
乾き切った絶望ならば、彼にもある。
けれど――……それだけではなかった、この銀幕市での日々は。
「オレにとって銀幕市はまさに楽園だった。まぁ、ここはとんだ『楽園』だったけどな。最後くらいなりたい自分になってもいいよな……?」
すう、と息を吸う。
真っ直ぐにジズを、そしてジズと戦う人々を見つめ、口を開く。
「私は変わりたい、真直ぐに生きてみたい!」
誓願めいた言葉が凜と紡がれると、『私』などという呼称に驚いたらしく、こんな場面なのに――無論、ジズの動きが鈍化し、ずいぶんやりやすくなった、というのもあるのだが――、普段のルイスを知る人々が大袈裟に動きを止めたり仰け反ったりした。
失礼な、と、いつものおちゃらけたルイスが心の中で口を尖らせるものの、『今のルイス』は他にもやるべきことがある、と苦笑して、言葉を続ける。
「私に与えられた善意を、胸を張って返したい!! 今だけ、私は敬愛する兄のように素直になります。この街で出会ったすべての人々に感謝を、この街で懸命に生きるすべての命に祝福を、私を慈しんでくれたすべての出会いと時間に惜しみない感謝を捧げます」
祈りが滔々と響いていく。
声に打ち据えられるかのように、触手がびくびくと震えた。
綺麗なルイスキモいなどと顔を引き攣らせていた瑠意や香介ですら、その言葉を静かに聞いている。
「だからこそ、私は私のすべてで、この街に生きる人々を護ります。大切な兄のためではなく、私がそうしたいから。過去も未来も要りません。私はただ、この街の明日へ繋がる『今』が欲しい。この街を、命を、心を守りたい」
胸元からロザリオを引っ張り出す。
母の形見の美しいロザリオ。
半吸血鬼としてのルイスの性質を固定・抑制し、吸血衝動を抑えてくれる、ルイスが人として生きるための必須アイテムだ。
「ゴールデングローブは枷ではありません。私の渇きを抑えてくれる、私を人でいさせてくれる人々の善意の結晶です。だから、私は今なら自分に向き合える。自分の狂気を克服できるはず。この街に生きる人々が、たくさんの気持ちが、その強さをくれたから!」
言って、首から下がるロザリオの鎖を引き千切る。
シャラ、と鳴くそれを無造作にポケットに突っ込む。
――ふつふつと力が湧き上がってくる。
この、ネガティヴゾーンにおいてもなお、掻き消されることのない力が。
しかし、ロザリオを解除し、『完全なる半吸血鬼』としての性質を解放しても、狂おしい吸血衝動がルイスを襲うことはなかった。
「やっぱり……」
ゴールデングローブは、特にネガティヴゾーン内においてムービースターたちの能力を封じ込めてしまう。
「ゴールデングローブは、スターを抑え付ける枷なんかじゃない。スターを守る善意の象徴なんだ……!」
けれど、同時にそれは、ルイスの根本にわだかまるどうしようもない運命、ルイスに根付く身食いの衝動を、今、こうして受け止め、ルイスをクリアに保ってくれている。
「ゴールデングローブのお陰で、オレは、なりたいオレになれました。……そのことを、深く深く、感謝します」
頭(こうべ)を垂れて祈り、謝し、それからルイスは【炎獄】を握り締める。
そして顔を上げた瞬間、ルイスは走り出した。
下半身の再生が済まず身動き出来ないブラックウッドと、彼を守るためにその場に留まった理月、そして後方で身体能力と防御力を上げる魔術を紡ぐ麗火の三人以外が、ほぼ同時にジズ目がけて走り出していた。
「さあ……最後のダンスだ、派手に踊ろうぜ……!」
いつもの調子を取り戻したルイスの隣に香介と瑠意が並ぶ。
「何か悪いもんでも食ったのかと思って、一発二発……いや、十発くらい殴るべきか悩んだんだけどな」
「食ってないし殴らないでっ!?」
あまりにもあまりな香介の言葉に、いつものおちゃらけたルイスが思う存分ツッコミを入れる。
そこへ更に何か悪口雑言が降ってくるのかと思っていたルイスは、香介がこぼした、
「――……あんたの覚悟は、何となく、判る」
雨だれのようにぽつりとした言葉に、ボケるのもふざけるのも忘れてきょとんとしていた。
「お前のそういうとこ、結構好きだぜ、俺」
瑠意が力いっぱいルイスの背中を叩いて行き、
「ちょっ……も、るいーんったらムービースターなんだからもう少し手加減して!? ルイスのか弱い背骨が真っ二つになるわよ!?」
「誰がムービースターかッ! そんな軟弱な背骨は千々に砕けてカルシウムにでもなっちまえ!」
ルイスは笑い出したいようなくすぐったい感覚を胸の奥で持て余しながら、いつも通りの反応を見せる瑠意と香介とともに、うねうねと蠢く触手に全身を覆われたジズへと肉薄する。
ギ、ギイィイイイイィアアアアアァァアアアアアァ……!!
ジズが怪物めいた――いや、事実怪物ではあるのだが――叫びを上げ、最後の悪足掻きとばかりに、若干動きの鈍った触手を次々に繰り出す。
「わたしたちは感謝しているわ……この街がくれたたくさんのものに。故郷では決して得ることのできなかった、自由な日々に」
「そうよ、だから……あなたたちがこの街や人々を傷つけるのならば、私たちに手加減をする理由も必要も、ないんだわ」
リーリウムとイーリスの剣閃が、触手の群れを切り払い、後続への道を開く。
「とっととてめぇらの世界に帰れよ、ここには、てめぇらの居場所なんざ、ねぇんだ」
剛政の拳が太い触手を弾き飛ばし、ジズの腹部と思しき位置にめり込むと、
「……少なくとも、オレの求めるものの中に、てめぇは入ってねぇな」
香介の放った小さなナイフが十数本、ジズの上半身のあちこちに突き刺さり、どろりとした不気味な色の体液を滲み出させる。
「終わりが来るって判ってるからこそ、俺は、この街を――……そして、あの人を、大切にしたい。だから、絶望なんか、要らないんだ。お前たちの相手をしてる時間なんて、ない」
瑠意が放ったスチルショットが、ジズの動きをホンの一瞬止めると同時に、
「たとえ絶望が、人の根幹に座するものだとしても、私はこの奇跡を信じる」
白亜の揮った銀雷が、ジズの腕、ハゲタカの翼を片方切り落とし、ジズにバランスを崩させる。
「オレ、この街、好きだぜ。生きることを楽しんでる、愉快なやつらばっかりだもんな。……そういう気持ちだけじゃ、その絶望っての、振り払えねぇのかなぁ?」
トトの大剣が、犀の後脚を跳ね飛ばし、バランスを崩していたジズの上体を更にぐらりと傾がせると、
「例え人間の絶望があんたたちを創ったんだとしても、オレは、人間が好きだし、この街が好きだよ」
ルイスは【炎獄】を揮って、ジズの背の、蟷螂めいた翅をばっさりと切り落とし、返す刃で蛇の塊でしかない首を跳ね飛ばし、
「……俺は、生きとってよかった、と思うとる。そう思ぉとるやつらがぎょうさんおるんも、今は判っとる。じゃけぇ、絶望なんかに、この街をくれてやるわけにゃあ、行かん」
昇太郎が静かな独白とともに刀を薙ぎ、ぐらぐらと揺れていたジズの上半身と下半身とを、見事な太刀さばきでもって断ち切った。
ぎ、ぎげ、けくっ。
何かが咽喉に詰まったかのような、奇妙な音。
ジズが、そしてその触手が、すべて、動きを止めていた。
ぐらり。
断ち切られた上半身が、ゆっくりと地面へ落ちていく。
それと同時に、墓標を思わせる剣の岩場が消えていき、不気味なマーブル模様の灰空が青さを取り戻していき、ゴールデングローブが唸るのをやめる。
ジズの骸は、かけらひとつ残らず、ぐずぐずと崩れ、宙に溶けて消えた。
「やった……のか……?」
「……みてーだな」
言って、瑠意と香介が掲げた手を打ち鳴らす。
「……誰も、欠けなかった。なら……これは、大勝利と言うべきなのだろう」
銀雷を腰に戻し、白亜が小さく息を吐く。
「皆、お疲れさん!」
理月が満面の笑みで皆に駆け寄る。
「おう、お疲れー。理月もお疲れ!」
「うん、トトもお疲れ、ホントよかったよな……!」
「だよな! でもオレ、オレたちが負けるなんて、カケラも思ってなかったからさ!」
豪快に笑ったトトがやはり豪快に理月を抱擁し、動物好きの彼に別の意味で彼岸を見せている背後では、すっかり再生の終わったブラックウッドが、慈愛めいた眼差しで漆黒の傭兵を見つめている。
「しかし皆……何でそんなに体力有り余ってんだ。俺は今、猛烈にあんたたちとの隔たりを感じてるぞ」
超前衛型の面子に呆れ顔を向けるのは麗火だ。
「俺なんか、もう色々な意味でヘトヘトなのに。……いやまぁ、結果よければすべてよしっていうか、やることはやったし、やらなくていいことはやらなくてよかったから満足は満足なんだけど」
疲労を滲ませつつも満足げなのは、彼もまた、彼なりに自分の責務を果たし、覚悟を貫き通せたからだろう。
「……ふう」
それらを見遣ったあと、ルイスは息を吐いて【炎獄】を腰に戻した。
そして、めいめいに健闘を讃えあう人々をぐるりと見渡し、
「本当に……皆、ありがとう」
少年のような、屈託のない、開けっ広げな笑みを浮かべたのだった。
終.光一条凜と射し
小ネガティヴゾーンから復帰したカフェ『楽園』は、白壁や植物にあふれた入り口、テラス部分がほとんど崩れ落ち、屋根も半分ばかりなくなってしまっていた。総じて言うなら、半壊、といったところだろうか。
しかし、
「あらあら……しばらくは、青空カフェになってしまうわね」
「そうね、雨の日は休業だわ」
あまり深刻でもない口調で森の娘ふたりが言うように、それほど大したことではないのだろう。周囲の建物には倒壊し瓦礫の山になったものもあったから、まだマシと言うべきなのだ。
そう、何より、死者は出ていないのだから。
「ブラックウッドさん、本当に大丈夫なのかよ? 俺に無茶ばっかりって言うけど、あんたの方が何倍も無茶だと思うんだけどな……」
「おや……そうかね。――……確かに、少し疲れたね」
「え、あ、マジで? じゃあ、ちゃんと回復させねぇと。まだ何かありそうだしさ」
「ああ、その通りだ。では理月君」
「え、何、」
「手っ取り早く、ということで、これから『寝所』へ誘っても、いいかな」
「えっ!? いや、それは、あの……!?」
『寝所』に一体何があるのか、しどろもどろになって後ずさる理月を、ふふふと妖しく笑ったブラックウッドが壁際に追い詰めていると、
「ありがとう、皆さん。中の人たちも無事よ……本当にありがとう。お茶を用意するから、戦いの疲れをお癒しになって」
『楽園』が半壊したことに関してはやはりあまり気にしてはいない様子の女王が中から顔を覗かせ、一同を手招きする。
「とりあえず……終わったみてぇだけど」
剛政が女王や森の娘たちに向かって言うのを、昇太郎は聞くともなく聞いていた。
「ここから先が正念場だ。あんたらも、人の心から生まれたモノのお陰でひでえ目に遭ったわけだけどよ。これからも、街のみんなのために力を貸してやってくれ、な?」
「……当然よ、ターシャさん」
即答というのも馬鹿馬鹿しいほどの、女王の即答。
「だから、ターシャじゃ……」
今更疲労が込み上げた、とでも言うようにぐったりと項垂れる剛政に笑ったあと、女王が昇太郎を見た。
夏や秋の悪夢も相俟って、思わず後ずさる昇太郎である。
「昇華さんも、ありがとう」
「違、だか……俺は、そがん名前じゃ、な……っ」
「……あなたがこの街で見い出した救いと、わたくしたちに向けてくれた善意とに、最大限の敬意を表するわ」
破壊力抜群過ぎる名前を呼ばれ、赤面してぶんぶんと首を横に振る昇太郎に、女王の、穏やかな笑みが向けられる。
「……いや、その、それは……別に」
昇太郎は苦笑し、首を横に振る。
この街に実体化して、昇太郎は変わった。
彼の思考は格段にクリアになり、視野は広く、自己への肯定感は強くなった。
許されぬ罪を負った昇太郎を、たくさんの人々が許し、そして受け入れてくれた。
彼の愛した女が、生きて欲しいと願ってくれた。
「俺は……この街に、感謝しとるけぇ」
ジズや第三のネガティヴゾーンが物語る、銀幕市に迫りつつある終焉をひしひしと感じている。
いつまでこの世界で、たくさんの大切な人々とともに生きていられるのか、すべてを超越し透徹した、穏やかな心根でいられるのか、昇太郎のみならず、神であっても判らないだろう。
「色んなもんが大事じゃけぇ、戦うだけじゃ」
それでも、終焉を迎えつつある魔法の街で、精いっぱい生きていきたいのだ。
生命とはいずれすべてが終わるもの、終焉に異を唱えるつもりはないが、せめて最後の最後まで、運命の掌の中で、翻弄され傷つきながらも、懸命に踊り続けたい。
「無様でも、別にええんじゃ」
この街で得たものは掛け替えがなく、簡単に手放せるようなものではないのだ、それを護るためなら、幾らでも、喜んで戦おうと思う。
「いいえ……素敵なことね」
女王が穏やかに微笑む。
昇太郎もまた、無垢に、無防備に微笑んでいた。
――雲間から、白い光が差し込んでいる。
まるで希望のようだ、と、昇太郎は思った。
皆の尽力あって、この近辺のジズは斃された。
しかし、まだ、すべては終わっていない。
ジズだけでなく、あの、天にて輝く第三のネガティヴゾーンのことも、銀幕市の根幹に関わる諸々のことも。
けれど、それでも、今このとき、この場所の平和は……そして営みは守られ、『明日』を、続きを許された。
その貴さが判らない彼らでは、無論、なかった。
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クリエイターコメント | お待たせいたしました。 イベントシナリオ『【終末の日】楽園崩壊』をお届けいたします。
ご参加、どうもありがとうございました! 皆さんの熱く真摯なプレイングに泣かされながら執筆させていただきました。皆さんが『楽園』や女王たちに向けてくださった誠意と善意、友愛に感謝いたします。
今回は、あまり厳密な判定はせず、PCさんたちぞれぞれの『らしい』行動や多数入り乱れての乱戦に力を入れました。 しかしながら、1.プレイングに書かれた行動が具体的であるか否か 2.ジズへの対処をどれだけ綿密に行っているか の二種類においてのみ、若干厳しい選別がなされています。
その結果、ノベルへの登場率に偏りが出てしまっていることにお詫びしつつ、それもまたゲームの醍醐味とご寛恕いただければ幸いです。
ともあれ、皆さんのご尽力のお陰もあって、『楽園』と『楽園』に避難していた人々は、無事、『続き』を許されました。
どうもありがとうございました!
記録者のシナリオはまだあと一本残っておりますが、ひとまず、今日までお付き合いくださったたくさんの方々に多大な愛と感謝を。
もうしばらく続く銀幕市での日々を、記録者として、銀幕市民のひとりとして、最後まで見届けようと思いますので、今少し、お付き合いのほどをお願い致します。 |
公開日時 | 2009-04-22(水) 21:50 |
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