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<ノベル>
第壱章 〜戦端〜
すべては遅きに失したかのように思われた。
神獣の森を焼く炎はすでに四方八方に飛び火しており、水をかける速さの倍々のスピードで広がっていく。前を見ても後ろを見ても、右を向いても左を向いても、まばゆい炎とドス黒い煙しか視界に入らない有様だ。
それでもなんとか温泉郷の従業員たちが命をつないでいられたのは、皮肉なことに憎きディスペアーのおかげであった。
ジズの生み出した衝撃波によって温泉郷の建造物は大半が全壊しており、そこは今や広い空き地となっていた。燃える物がなくては、火も広がりようがない。さらには元温泉宿であるので、お湯だけは無尽蔵に湧いて出る。彼らはそこに集まり、堪え忍んでいる状態だったのだ。
いや、正確には集まっているのではなく、閉じこめられていると言ったほうが正しかったかもしれない。それこそ、彼らに逃げ道はないのだから。
「けっしてあきらめるでないぞえ」
梓御前(あずさごぜん)が先頭に立って皆を励ます。彼女自身も妖力を行使して、地中よりお湯を吹き上がらせ周囲に撒いていた。文字通り焼け石に水の状態だったが、それでも何もしないよりはマシだ。
従業員たちは、彼らの主人が着物のあちこちを焼けこげさせてまで消火活動を行う姿に背中を押され、ようやく炎への恐怖を押し込めているようだった。
そこに、歩兵の一団が到着した。総大将より救護活動を命じられた九神軍(くしんぐん)九番隊であった。
「歩兵は斧でもってまだ火のついていない木々を切り倒せ! なるべく広くこの空き地を確保するのだ!」
九番隊を率いる楽樹杷准(らぎ はじゅん)が手早く指示を出す。
「水系法術を使える者は、力のつづく限り、炎に向けて法術を放て」
自らも法術によって火勢を弱めつつ、九番隊副将の嶺裏夜鞍(れいり やくら)が命じる。
「かたじけない」
梓御前がそう告げると、杷准は「まったく迷惑極まりない話だ」と憤然と言い返したものの、夜鞍の困り果てた視線に気づき、ぐっと口をつぐんだあと「まぁ、困ったときはお互い様と言うしな」と取り繕った。
「森の中に取り残されている獣たちがおる。できうれば、その者たちも――」
そこまで言って、梓御前が突如として膝を折った。苦しそうなうめき声が口元から漏れる。
「どうなさいました?」
夜鞍が駆け寄ろうとすると、「近づくでない!」と梓御前が絶叫した。その迫力に、夜鞍の足は自然と止まってしまった。
「――ぐ……なにか、胸のうちで、黒き、ものが暴れ、てお、る……」
「むぅ、これはいったい……」
杷准もどうしていいかわからず、おろおろしている。
見渡してみれば、従業員たちの中にも、同じように具合を悪くした者たちが現れているようだった。
「これでは、消火活動どころではないぞ」
炎に当てられたものとはまた別の、冷たい汗を額に感じつつ、杷准が歯ぎしりする。
「見てください、将軍。苦しんでいるのは、この森の者たちだけです。我が軍の者はいたって健勝。もしやこれは……」
夜鞍の言葉を継ぐように、若々しい声が流れた。
「この漆黒の世界が原因だろう」
いつの間にそこにいたのか、銀髪の若者が立っていた。魔術師然としたローブを身にまとい、二匹の蛇が絡みつく装飾の施された杖を手にしている。
杷准も夜鞍もその顔には見覚えがあり、ほぼ同時に彼の名を口にした。
「ベルナール客将(きゃくしょう)!」
希代の魔術師ベルナール。彼こそは、先の高天原会戦において、サンレイ破壊の法術陣作成のため、九神軍に加勢した銀幕市民のひとりだった。
「ジズという名のディスペアーが作りだしたこの空間。まさしく小型のネガティブゾーンといったところだ。だとすれば、この中で私たちムービースターが活動するには――」
ベルナールは右腕を顔の横にかかげた。金色の腕輪が光を反射している。
「ゴールデングローブが必要、ということになるだろう」
「では、このままでは従業員たちは?!」
「ムービーキラーと化してしまうだろうな」
杷准と夜鞍は蒼白となった。なにせここに来るために九神軍が配給を受けることのできたゴールデングローブは、今あるだけで全部なのだ。獣たちに配るための余分なグローブなど存在しない。
「心配するな」
ベルナールが不敵に笑む。そして、なにやら呪文らしきものを口ずさむ。
彼が杖の先を地面に向けた。すると、なにもなかった空間に、うっすらと立方体らしきものが姿を現しはじめたではないか。
おお、と感嘆の声を上げる杷准の前で、ベルナールの空間転移魔法が完成する。
「ゴールデングローブを身につけていても、これくらいの術なら容易い」
魔法によって空間を越えて出現したのは、『銀幕市役所対策課』とマジックで大きく書かれたいくつかの段ボール箱だった。中身は、言わずもがな、首飾り型のゴールデングローブだ。
「さぁ、これを皆に」
杷准は大きくうなずくと、兵士たちに新たな命を下す。
「獣たちにこの首飾りをつけさせるのだ!」
そのうちにベルナールが梓御前に首飾りを手渡した。
「……ぐ、す、すまぬ」
キラー化の衝動に苦しみつつも、さすが神獣の森のまとめ役である。自らの手でゴールデングローブを首にかけた。
これで事態は多少なりとも好転するかと思われたが、甘くはなかった。
「将軍! 動物たちが暴れ回り、首飾りをつけさせること、容易ではありません!」
ネガティブゾーンの影響に耐えきれず、走り回る者もいれば、兵士に襲いかかる者もいた。さすがに火に飛び込むような自殺行為をはかる者はいなかったが、それでも火に向かって突き飛ばされる兵士はいる。
「二人ひと組となって取り押さえよ!」
そう指示するのは簡単であったが、実行するのは難しい。あちこちで悲鳴が上がった。
苦境を救ったのは、二人目の登場人物だった。
甲高い音色が全員の鼓膜をふるわせる。これまた聞いたことのある楽曲に、杷准と夜鞍が名を呼んだ。
「古森軍師!」
若者は涼やかな格好で横笛を唇に当てていた。古森凛(こもり りん)の笛の音には、沈静の効果がある。これを耳にした獣たちは、多少なりとも苦痛から逃れ、心を落ち着けることができるだろう。
笛を吹きつつ、目だけで杷准らに挨拶をする。彼もまたベルナール同様に、高天原会戦にて九神軍を助けた客将のひとりだ。総大将である神裂空瀬(かむさき うつせ)とともに、鬼王(きおう)軍を一網打尽にする策を弄した軍師だった。
「将軍! 動物たちの動きが収まりました!」
兵士たちから、喜びとともに報告がある。
「喜ぶのはまだ早いぞ! これから消火活動に入らなければならぬのだ。早く済ませてしまえ」
杷准の叱咤激励に賛同する者たちがいた。
「ツィーにも、そのゴールデングローブをください」
ぬっと差し出された腕は、どう見ても成人男性のそれより長い。ぎくりとして振り返ると、緑の瞳の青年がにっこり微笑んだ。
「ツィー・ランと申します。ゴールデングローブを付ける手伝いをしたいので」
不思議な雰囲気の若者だ。熱と煙に囲まれながら、そこかしこでキラー化しつつある獣たちがのたうち回る中、彼だけが清澄な空気を発しているかのようだった。
杷准はためらいつつも首飾りをいくつか渡した。ツィーは風のごとくに走り出し、従業員たちにゴールデングローブを配っていった。
「だいぶ……奇妙な者たちもおるのだな」
銀幕市へ来たことが二、三回しかない杷准の目には、ツィーの姿は奇異に映ったらしい。
「彼はとても頼もしい味方よ」
杷准は再びぎくりとした。部下の夜鞍に話しかけたつもりが、まったく違う女性から返事があったからだ。
再度振り返ると、およそ戦場には似つかわしくない女性が、およそ戦場には似つかわしくない格好で、およそ戦場には似つかわしくない気軽さを持って立っていた。
「私にも、わけてくれる?」
彼女もさっきの青年と同じように、ゴールデングローブの配布を手伝うというのだ。
「む、むぅ……」
杷准は、彼女のミニスカートが正視に耐えないらしく、おぼつかない手つきで首飾りを渡した。
「ありがとう、将軍さん。私は香玖耶(かぐや)、香玖耶・アリシエートよ。よろしくね」
ウィンクひとつを残して、香玖耶は颯爽と立ち去った。その後ろ姿を見つめる杷准の、鼻の下は異様に長い。
「将軍、人手はいくつあっても足りないのですよ」
夜鞍が彼の間抜け面を見とがめて、少々きつい口調で注意をうながした。
杷准は下がっていた目尻をあわてて引き上げると、厳かな表情を取り繕って、全軍に檄を発した。
「首飾りの配給が終わり次第、本格的な消火活動に入る!」
そして、そそくさと自らも首飾りを手にして、動物たちの元へ行くのだった。
「はてさて、こやつらをどう退治したものかの」
九神軍七番隊将軍の飛懐千淕(ひかい ちりく)は飛び回る小型ディスペアーを斬り伏せながら、器用に考える仕草をしてみせた。
ジズより放たれた小型ディスペアー群は、個々の戦闘力は低いものの、とにかく数が多い。斬っても斬ってもキリがない状態だ。
「なんとかこやつらを一網打尽にできぬものか」
すると、すぐそばで小刀をふるっていた法術兵のひとりが、千淕にひとつの戦術を提案した。結界型の法術を使ってこの目玉どもを一ヵ所に閉じこめてはどうか、といった内容の案で、それはこの数を前にして有効な手段に思われた。
「あとは、どうやって囲うか、じゃな」
結界型の法術は、どのような形をつくるにしろ、ひとつの頂点をひとりの術士が受け持たねばならない。可能な限り広大な空間を囲うなら、円形に近ければ近いほどよかろう。それには最大多数の法術士が、この結界法術に参加する必要があった。
千淕の決断は早かった。
「全法術兵に伝えるのじゃ。いまこの位置を中心にして、可能な限り円形に散らばるようにと。合図とともに結界法術で目玉どもを捕えるぞ。捕えたあとは、徐々に円を縮めて、一気に決着をつける!」
法術兵は総じて三十名。その全員が命令に従い散らばっていく。
「ひとりの術兵に、ひとりの歩兵がつくのじゃ」
法術を行使している間、術兵は無防備になってしまう。ディスペアーの攻撃から、彼らを守るための護衛だ。
七番隊の歩兵は四十名。この時点で、残りは将軍を含めて十一名となった。
「はてさて、十一名でやつらを結界の円内に追い込まねばならぬか。難儀なことよ」
ちっとも難儀とは思っていない口調だ。
「その役目、あっしにも手伝わせてくだせぇ」
左目に特徴的な眼帯をつけた男が、着物の裾にたすきを掛けつつ、そう申し出た。腰には大小の刀を差している。鎧などは帯びていないが、その分身軽に動けそうだった。
「おぬしは――」
言いかけたところに、ディスペアーの一団が飛来する。
ケーケーと奇妙な鳴き声を出す大目玉に、男は恐れげもなく突進した。
おおと感嘆の声があがる。
男が走り去ったあとに、目玉どもの死体が転がる。ただ走り抜けただけにしか見えないのに、男は驚愕すべき剣速で抜刀しているのだった。
「旋風の清左(つむじかぜのせいざ)と申しやす。以後お見知りおきを」
すべてのディスペアーを成敗したあとに、男は名乗った。
「うむ。わしは九神軍七番隊の千淕じゃ。よろしく頼む」
互いに礼を尽くして挨拶を交わす。
そこに場違いな拍手が流れた。
「お見事、お見事」
黒いレザージャケットと頭髪が、闇の世界に呑み込まれ、ぱっと見にはどこの誰かもわからない。唇に揺らめいているのが紫煙だと、かろうじてわかる程度だ。くわえ煙草の黒い男は、不敵に微笑みながら「話しは聞いたぜ。俺は狩納京平(かのう きょうへい)。助っ人に来た者だ。よろしくな」とふたりに握手を求めた。
千淕も清左もそれに応じる。
「さて、これで晴れてわしらも十三名となったわけだが……はてさて、何百という目玉どもをどうやって追い込むかの」
十一が十三になったところで現状は変わらないと言いたげな口ぶりだった。
それを受けて、清左が口を開く。
「ひとつあっしに考えがあるんですがね」
清左は自らの立てた策を千淕たちに話すのだった。
第弐章 〜結界〜
このとき、神獣の森を上空から俯瞰できる者がいたとしたら、現況をこのようにとらえることができただろう。
まず、森の中心にぽっかりと空白がある。そこはまさに、かつて岳夜谷温泉郷があった場所であり、いまやジズによってほぼ更地にされてしまった場所である。温泉郷のほとんどの従業員たちはここに避難しており、九番隊の面々と協力して消火活動を行っている。
そして、もともとこの火災は温泉郷の倒壊から端を発したものであるため、この空白地を中心にして火が四方へ燃え広がりつつある。その範囲は、まだ神獣の森の半分にも及んでいないが、放っておけば杵間山全体に飛び火してしまいそうな勢いだ。
この状況を作りだした張本人であるジズは、火勢からかなり離れた位置、森のはずれに鎮座したまま動いていなかった。ジズから放たれた小型ディスペアー群は、ジズと岳夜谷温泉郷跡地との間を縦横無尽に飛び回っており、七番隊が結界を仕掛けようとしているのもまたこの地だった。
もし、神獣の森を上空から俯瞰できる者がいたとしたら、もうひとつの出来事に気づけたかもしれない。それはとてもちっぽけで、よくよく目を凝らさなければ見つけることはできない。しかし、大きな動きを作り出しつつある出来事だった。
ディスペアーたちに知能はあるのか。この場合それが問題であった。
それなりの知能は持っていて欲しいものの、それが高いものであっては困る。要するに、餌に食いついたままなんの疑問も持ってくれないのがベストということだ。
清左はその健脚を活かして、森の中を駆けめぐった。攻撃はしていない。逃げ回るだけだ。
もちろんこれは策略である。
この神獣の森で最も強い力を有する梓御前。彼女が一番狙われやすいと、清左は考えたのだ。ならばと、彼は九番隊のいる空白地へと急ぎ、おそれおおくも梓御前の着物を借り受け、頭から羽織ることにより、自らを御前の姿に装った。
囮になって、結界内へとディスペアーを誘い込もうというのだ。
果たして、ディスペアーにそれだけの知恵があったのか、それともただ本能に従っているだけなのか、そのあたりは判然としなかったが、兎にも角にも清左を追いかける目玉は多かった。
「こつぁ、なかなかに骨が折れる」
複数のディスペアーがあらゆる方向から襲いかかってくるのだ。逃げるだけでもそうとうきつい。さらには、目的地まで誘導しようというのだから、その苦労は並でない。
清左は着物を借り受ける際、梓御前にこう語った。
「御前様は、この森の主としての責を果たそうとしていらっしゃる。それは立派なことだと思いやす。しかし、御前様がもしお倒れになられたら、この森の獣たち皆が悲しむことになりやす。生意気を申し上げやすが、生き残るものまた、森長としての責じゃあないですかね」
梓御前の矜持を打ち破ったのは、清左の真摯な心根だった。
だからこそ、彼は失敗するわけにはいかない。それが彼の責務だ。
清左は旋風となってひたすらに走る。
「将軍、どうします?」
問いかける兵士の表情は険しい。千淕もまた唸るだけで即答できない。
清左はよくやってくれている。梓御前の格好をして囮を務めるという彼の策は成功と見てよいだろう。だが、大成功ではなかった。
全体の半数近くのディスペアーが偽の梓御前に食いついたが、残りの半分は自由気ままに動き回っている。艶やかな着物であるとはいえ、たったひとりではある。視界に入らないディスペアーもいるだろうし、興味を示さないディスペアーもいるようだった。
もう少し時間をかければ、もっと敵を集めることができるかもしれない。しかし、清左にも限界というものがある。
ここで結界を発動すれば半数を退治できることになるが、それはとりもなおさず、残り半分を退治する手段を新たに考え出さなければならないということだ。そのような時間が自分たちに残されているとは思えない。遠くジズの姿を見透かして、千淕は思うのだった。
そのとき、悩む千淕たちの眼前で、戦局が劇的に動き出した。
「将軍! 残りの目玉たちが……」
なんと灯りに群がる羽虫のように残りのディスペアー群が結界のほぼ中心に向かって集まりはじめたのだ。これにはさしもの老将軍もぽかんと口を開けるしかない。
「いったいこれは……」
「やつらは絶望の申し子。破壊衝動で行動しているのでしょう」
「お、おお! おぬしは!」
千淕が破顔する先に、魔術師のベルナールがいた。
「ゴールデングローブの運搬作業のため遅れてしまい、申し訳ない。千淕殿の隊に参加するのは高天原以来になるな。ご壮健のようでなにより」
彼の手にした杖が仄かに光を放っているのを認めて千淕が言う。
「これは、おぬしの仕業か?」
「ディスペアーにとっては、破壊することこそ存在する意義。そこを逆に利用させてもらった。やつらは今、破壊対象である『逃げまどう人々』の幻を見ている」
ベルナールは魔法によって幻覚を作りだしたのだ。多くの無傷の人々が結界の中心に逃げていく様子を映し出したものだ。ディスペアーたちの本能がそれを見逃すはずがない。絶望を与えようと後を追う。
「ゴールデングローブの効果で、私の魔法も長くはもたない。さぁ、早く結界を閉じて」
千淕は力強くうなずくと、結界発動の合図となる笛を吹いた。
暗黒の森に、確固たる光が輝き轟く。
三十名の法術兵による三十角形の結界が、およそすべての目玉たちを閉じこめた。あとはこの結界をだんだんと縮めていくだけである。
ところが敵もそれほど愚かではなかったらしい。自分たちが囚われたことに気づくと、原因と思われる術兵たちに、結界の内側からと外側からと、同時に攻撃を仕掛けだした。
清左は舌打ちをすると、梓御前の着物を脱ぎ捨てた。もはや囮でいる必要はない。
「てめぇら、邪魔すんじゃねぇ! そこをどきやがれっ!」
刀を閃かせ、右へ左へと巨大な眼球を叩き斬る。
しばらく走ると、敵に襲われている法術兵が見えた。護衛の歩兵がひとり側についているものの、守りきるには力不足のようだった。
「こんの目玉の化け物どもが! あっしが相手してやらぁ!」
意図的に大声を出し、ディスペアーたちの注意を自分に向ける。そいつらが一斉に襲いかかってきたものの、清左はいっこうに怯まない。
「この程度の数にびびってちゃあ、赤月一家の名折れってもんだ!!」
斬る。
斬る。
斬って斬って斬りまくる。
清左は任侠映画特有の乱戦には慣れていた。ただし、今の彼は囮作戦で休む間もなく全力疾走したあとだ。そろそろ膝が笑いはじめていた。
こいつぁ、ちっとやばい気が――
そう考えたときにはもう片膝をついていた。
巨大眼球に刻まれた巨大な口が、鋭い歯列をのぞかせながら迫る。
ぞぶり。左の肩口の肉をもっていかれた。
もう一度来る。必死に刀を持ち上げた。
ざん。斬撃の音がする。
清左ではない。彼は刀をふるっていない。
ふるったのは京平だった。
「苦戦中かい?」
にやりと笑う。
「助太刀するぜ」
「ありがてぇ」
清左も血まみれの頬を持ち上げてにやりと笑った。
「次郎丸! 太郎丸!」
主人の呼び声に応えて、影の中から二体の式神が現れる。一本角と二本角の鬼だ。それぞれが腕輪型のゴールデングローブを身につけていた。
「次郎丸は術兵の護衛にまわれ。太郎丸は安全な場所で呪力増幅の祝詞だ」
二体の鬼は「御意!」「仰せのままに」とそれぞれに諾意を示し、命ぜられた任務に向かう。
一本角の太郎丸は邪魔されぬ場所を求めて行く。道すがら大刀でディスペアーを斬り捨てることも忘れない。
二本角の次郎丸は、まさしく鬼神の如き勢いで法術と日本刀を存分にふるう。目指す先には最初の護衛対象がいる。
「この程度はかすり傷ってもんだ。ちょいと待っておくんなせぇよ」
手際よく血止めをする清左に、「ま、ゆっくりやっていいぜ。ここは俺に任せて、な」と告げつつ、京平は愛刀『村正』をかまえた。ゴールデングローブの制限を受けているとはいえ、退魔刀である『村正』がディスペアーたちに有効であるのは先ほど証明された。あとは――斬るだけである。
「いくぜ」
誰にとはなく戦闘開始を宣言した。
「燃え尽きるのが先か、うち破るのが先か……これぞ終末という光景だな。しかし、このままではうち破ることは難しい、か」
ベルナールは目玉モンスターを相手取りながら、思わずつぶやいた。
法術兵たちが力を振り絞り、少しずつ結界の大きさを縮めている。実際、結界内にいる彼には、圧力が高まっていくのが感じられていた。
つい先ほどまでは。
「結界の力が弱まっているが……このまま終わることなど断じて認めぬ」
ベルナールは近くにいた兵士に「これから結界の補助に入る。歩兵はすぐに結界の外へ脱出するようにと、千淕将軍に伝えてくれ」と一声かけると、そのまま目立たぬよう木の陰に隠れた。
もちろん何百というディスペアーを相手にして、隠れ場などは存在しない。すぐに見つかってしまうだろう。そこでベルナールは得意の幻術を使うことにした。
手早く呪文を唱え、自分の姿をただの『燃えている木』に見せかける。ディスペアーが破壊衝動によって動くのは立証済みであり、すでに破壊されている『燃えている木』には興味を示さないだろうと考えてのことだ。
安全を確保したベルナールはさっそく結界を補強すべく言葉をつむいだ。
一方、京平もまた結界の弱体化に気づいていた。
「太郎丸の祝詞だけじゃ無理か」
歩兵や京平たちが徐々に数を減らしているとはいえ、これだけの敵をいっせいに圧し潰してしまおうというのだから、そもそも三十人程度の力では無理なのだろう。
「清左」
背中をあずけた相棒に声をかける。
「なんでぇ?」
返事はすぐに真後ろからかえってきた。
「あんた、まだ今なら走れるだろ? 結界内から抜けて治療を受けな」
「はぁ? なに言ってんでぇ! あっしも最後まで戦うぜ!」
「そうじゃねぇよ。これから一気にケリをつけようって話だ。この結界を強化して縮小するスピードを速める。中にいたら、目ン玉どもといっしょにすり潰されちまうぜ」
清左はしばらく京平の目を見つめたあとに、「わかった。死ぬんじゃねぇぜ」と残して走り去った。
京平はディスペアーの攻撃をかわしながら刀を納めた。このときのために、事前に準備していたことがある。今こそそれを使うときだ。
懐から一枚の呪符を取り出す。仄白く光っているのは、すでに共鳴をはじめているからだ。事前に三十名の法術兵すべてに手渡しておいた同じ呪符も、共鳴現象を起こしていることだろう。
「三十一の符」
古来、五七五七七のリズムでうたわれる歌を短歌、もしくは三十一文字(みそひともじ)と言う。三十一とは言葉(ことのは)に、霊(たま)を乗せる数字だ。
「急ぎ律令の如く行え――」
厳かに唱えた。
そのころ、ベルナールの結界魔法も展開しつつある。
智は力となる――それは魔術師の信念であり、智とは知恵であり知識だ。彼はその知恵と知識を総動員して、結界を強化する術を実行していた。
まずは神獣の森の属性を探る。神獣の森は、文字通り神獣たちの住処であり、場所自体が霊力を有している。いわゆるパワースポットだ。その属性が知れれば、森の力を利用することができるはずだった。
「これ、か?!」
精霊と対話し、また地脈を探ることによって、属性が判明する。温泉地ということもあり水系統の一種ではないかと見当をつけていたが、当たりのようであった。
ここからが正念場だ。呪文の詠唱によって、神獣の森に語りかける。
ところが、なかなか協力を得られない。森の意志がこちらの求めに応じてくれないのだ。
ベルナールは思わず舌打ちした。
なるほど、神獣の森からすれば自身を大敵である炎によって焼かれている最中だ。治癒にまわす力こそあれ、人間に貸し出す力などないということらしい。
さらに説得を試みようとしたとき、突如として森の態度が軟化した。遠く見透かせば、仲間たちの活躍により火事が収まりつつある。それにより神獣の森は自分たちを味方だと認めてくれたのだった。
ありがたい――そう思いつつ、一段とそらんじる呪文に力をこめる。
森の霊力が結界に集まっていくのが感じられる。
「あらゆる生命の源、大いなる母よ。汝がおおらかな御手にて、昏き絶望に――」
京平が叫んだ。
「――結界符!!」
ベルナールが叫んだ。
「――輝ける朝露の恵を!!」
法術兵三十名分の法力。
式神・太郎丸の増幅の祝詞。
退魔師・狩納京平の陰陽術。
魔術師・ベルナールの魔法。
三十一文字の言霊。
神獣の森の霊力。
すべてがひとつになり、結界の光が強まった。
千淕とその部下たちは目撃した。三十角形の空間が急速に収束していくのを。内側に閉じこめられたディスペアーたちが、高まる圧力で次々と潰されていくのを。
それと同時に不安になる。結界の中で術を行使していた京平とベルナール。まだ彼らが戻ってきていないのだ。
清左は片方しかない眼を皿のように丸くして、人影を探した。
くいっと唇の端が上がる。
「嘘はつかねぇ男みてぇだな」
彼に死なないと約束した相棒が、結界を抜けて戻ってくるのが見えたからだ。京平の隣には、肩を抱えられたベルナールもいた。
清左が無言で、京平の肩を叩く。京平も無言で不敵な笑みを浮かべた。
「さぁ、次はあいつの番だな」
京平と清左とベルナールの決意の先には、ジズが威風堂々と待ちかまえていた。
第参章 〜鎮火〜
元岳夜谷温泉郷である焼け野原では、すべての獣たちにゴールデングローブが行き渡り、本格的に消火活動が行われようとしていた。
「効率を重視して動け! 連係をとるのだ!」
杷准の指示によって、歩兵たちは壊れた桶などを使い、バケツリレーの要領で温泉の湯を火災にかけていく。
当然ながら従業員である獣たちもまた、梓御前のもとに一致団結し、火を消し止めようとしていた。
「なにもかもが足りませんね」
夜鞍が珍しく不満をあらわにする。それほどにすべてが不足しているのだ。
まず人員が足りない。手桶などの水をくみ出す道具も足りない。そのふたつがそろい、水が足りないという状況が起こる。かけてもかけても、火勢のほうが強く、消しきれないのだ。
それどころか、火のほうが強すぎて、消火しようとした従業員の着物が燃えてしまう状況すらある。
ひとつ救いがあるとすれば、七番隊が小型ディスペアーを結界に封じることに成功したようで、恐ろしい巨大目玉の邪魔が入らないことだった。
「このままでは、目玉に殺されなくとも火に殺されてしまうぞ」
杷准が額の汗をぬぐいながら毒づくと、散水の手を休めた凛がやってきた。
「杷准将軍、私が皆を火から護ります」
「しかし、どうするのだ?」
杷准も凛の能力は知っている。高天原会戦の際に使用した思考中継や、さっきも使った神曲の効能など、どれも戦を有利に進めることができる優れた能力だ。だが、相手が炎ではどれも通じまい。
「毒をもって毒を制します」
言うが早いか、凛は首から提げた勾玉を手に取った。なにやら精神を集中すると、勾玉から紫色の炎がわき上がる。
「これは?」
「勾玉によって作り出された偽りの炎です。これを実際の炎にぶつければ、相殺されて消えるはずです」
実際に燃えさかる一本の大木に紫炎をぶつけてみせると、ほどなく鎮火し、黒い消し炭となった元大木だけが残った。
「これを全員の身にまとわせます。動物たちは嫌がるかもしれませんが……背に腹は代えられません」
凛の表情からは苦渋が見て取れた。こういった場合における、みずからの無力さを痛感しているのだろう。
「すまぬが、よろしく頼む」
「わかりました」
これもまた一時しのぎにしかならない。じゅうぶんにわかっていながらも、そう口にすることははばかられた。
「足りない。決定的な何かが……」
凛は懸命に考えを巡らせるのだった。
ツィーは森の民である。
彼にとって大自然とは故郷そのものであり、生命と同様に尊ぶべきものだ。それが今、大いなる絶望によって焼き払われようとしている。たとえ神獣の森が、彼の生まれ育った森でもなんでもなく、縁もゆかりもないものであったとしても、その光景は胸を引き裂くに足るものだった。
「大丈夫。ツィーがすぐに助けてやるから」
彼の耳には森の悲鳴が聞こえていた。
神獣の森は霊力を持った土地だ。その霊力をもってしても、火には勝てない。なぜなら森の属性は、木や水と決まっているからだ。木や水は、火には勝てない。
「治したくても治せないんだ」
徐々に焼き尽くされていく我が身を、なんとか自浄しようとするのだが、できないのだと森が言う。もしかしたらネガティブゾーンの影響もあるのかもしれない。
「どこが一番痛いんだ?」
ツィーの問いに、森は答えない。混乱しきっていて、答える余裕がないのだった。
「大丈夫だから落ち着いて」
燃えゆく木々の合間で神獣の森に話しかけるツィーのもとに、深刻な顔をした女性が現れた。香玖耶だ。
彼女はなにかを探しているようで、しきりに地面に手を当てている。
「どこかに一番適当な場所があるはずなんだけど……ツィー?」
そこでツィーの存在に気づく。
「あなた、こんなところで何してるの?」
咎める口調ではなかった。この惨状下で、彼がなにもせずにただ立ち尽くしてるだけとは思えないからだ。きっと意味のあることをしているはずで、その内容を訊ねたのだった。
「香玖耶。森と話していたんだ」
「森と?」
「とても痛くて、とても混乱している」
香玖耶は顎に手を当て思案顔になった。
ツィーのことを疑っているわけではない。森の民である以上、森と意志を通じさせることができたとしてもおかしくないだろう。彼女が考えていたのはもっと別のことだった。
「ねぇ、ツィー。森に地下水脈の中心部がどこにあるのか訊ねてもらえないかしら?」
香玖耶が探しているのは温泉水の力が集中している点だった。それゆえ、地面を探っていたのだ。
「地下水脈の中心点さえわかれば、精霊魔法を使って、地下水を噴出できるわ。そうすれば、火事なんて一気に消してしまえる」
「わかった。聞いてみる」
ツィーはもう一度神獣の森の意志に語りかけた。少しは落ち着いたらしく、今度は返答がある。
しばらく話し合ったあと、ツィーは首を横に振った。
「駄目だ。どうやら他の誰かも森に協力を求めているらしい。人間の頼みを聞いている余裕はないって言ってる」
「わかったわ。だったらこう言ってちょうだい。地下水脈について教えてくれたら、私たちが必ず火を全部消してあげるって。もしそれが成功したら、その他の誰かにも協力してやってほしいって」
おそらく他の誰かとは助っ人に来た銀幕市民だろうと考えての発言だ。
ツィーはうなずいて、さらに神獣の森を説得にかかった。香玖耶はまんじりと時を過ごすしかない。こうしている間にも延焼していると思うと、非常に歯がゆかった。
ぱあっとツィーの表情が明るくなった。
「香玖耶! 地下水脈の場所がわかったよ」
ツィーはついに約束を取りつけることに成功したのだ。
「すぐにそこへ連れて行って」
ツィーの先導で、香玖耶は地下水脈の中心へと向かった。
鎮火するための決定的ななにか。
凛もまた香玖耶と同じく地下水脈の存在にたどり着いていた。香玖耶ほど具体的な利用法は思いつかなくとも、豊富な水資源という点でどうにか使えないかと思考していたのだ。
そこに香玖耶とツィーから思考中継を使った連絡が届いた。森の意志から聞き出した情報をもとに、香玖耶が地下水脈の中心部から精霊魔法で水を引き出すというのだ。
凛はすぐさま思考中継によって、九番隊の全歩兵と温泉郷の従業員に避難命令を出した。温泉郷の地下水脈といえば、それだけで相当の力を持っているはずだ。なにせここは霊力の宿る森なのだ。下手をすれば、荒ぶる水流に押し流されてしまう危険性がある。
そうして凛自身は香玖耶たちのもとに急ぐ。
彼が着いたときにはすでに、香玖耶は呪文の詠唱をはじめていた。
ツィーが、しっと人差し指を唇に当てる。香玖耶の邪魔をしないようにということだろう。凛もまた固唾を呑んで香玖耶を見守ることにした。
香玖耶は精霊魔法の使い手――エルーカだ。地下水脈の操作点が判明した以上、地下水の噴出が不可能ということは絶対にない。となれば、時間がかかっているのは、もっと別の理由があるのだろう。
ほどなく地面に亀裂が走った。
恐ろしいほどの勢いで地下水が吹き上がる。
「おお!」
ツィーが指をぱちんと鳴らす。
「驚くのはまだ早いわよ」
香玖耶の言葉の意味は、すぐにわかった。吹き出す水の中から、一匹の龍が姿を現したのだ。こちらは香玖耶と契約を交わしている精霊なのだろう。地下水の操作だけでなく、この水龍を召喚していたため時間がかかっていたのだ。
「水龍」
緊張した香玖耶の呼びかけに、龍はゆっくりと首肯した。
水龍は香玖耶の師が彼女に託した精霊の中でも最高級の力を持つ精霊だった。香玖耶の師を誰よりも愛しており、愛するがゆえに喰らい、我が物とした存在でもある。
「珍しいわね。わたくしを呼び出すなんて」
それはとても従者が主人に使う口ぶりではない。実際この水龍は力が強すぎるため、香玖耶の手に余るものだった。
「助けて欲しいの」
「――嫌だと言ったら?」
水龍は冷めた眼差しで香玖耶を貫く。それだけで香玖耶の喉は渇き、張り付き、言葉を発することができなくなった。
ゆるやかな楽曲が奏された。凛が神に捧げる神曲を吹いたのだ。少しでも荒ぶる精霊の御霊を鎮めるために。香玖耶の心を鼓舞するために。
ツィーもまた穏やかな笑みで彼女を見守っていた。
香玖耶はふぅと息を吐くと、水龍をきっと見すえた。
「私は銀幕市が大好きなの。でも、いまこの街は絶望の手によって破壊されようとしているわ。私はどうしてもこの街を――ここに住む人たちを護りたい。だから――だから、あなたの力を貸してちょうだい」
「わたくしには――」
水龍はついとそっぽを向いた。
「――関係のない話だわ」
「水龍!」
香玖耶が唇を噛みしめる。
「――と言いたいところだけれど、そうもいかないようね。力を貸しましょう」
「ありがとう!」
満面の笑みで香玖耶が言った。
「地下水を操って、この火を消せばいいのよね?」
香玖耶は一も二もなくうなずいた。
「やっぱりあの方の弟子ね。瞳の光がとても似てきたわ」
そう言い残して、水龍は天に駆け昇る。
途端に、地下から湧き出た水たちが、意志を持つモノのようにうねうねとうねり、一斉に炎に向かって襲いかかった。その勢いは、ジズの広めた絶望の火を圧倒的に上回り、神獣の森全体を浄化のエネルギーでもって、きれいに掃除していくかのようだった。
「成功しましたね」
凛が笑顔で言う。
「ありがとう。みんなのおかげよ」
香玖耶もまた笑み返し、しかし、すぐに表情を引き締めた。
ツィーはすでに次なる森の敵を威嚇するように指さしていた。
「次はあいつだな」
ツィーと凛と香玖耶の決意の先に、ジズが威風堂々と待ちかまえていた。
第死章 〜決戦〜
結界法術で小型ディスペアー群を全滅させた七番隊より、ベルナール、狩納京平、旋風の清左。
精霊魔法で森の火災を収めた九番隊より、古森凛、ツィー・ラン、香玖耶・アリシエート。
六名の銀幕市民は、最大最強の敵であるジズに立ち向かう途中、自然と合流していた。
彼らには、比較的余力のある歩兵および術兵が四十名程度従っている。飛懐千淕、楽樹杷准、嶺裏夜鞍といった将軍らは、岳夜谷温泉郷の従業員や梓御前の護衛のため残った。
「結界戦術、お見事でした」
駆け抜けつつ、凛がベルナールに賛辞を送る。
「いや、私だけの力ではない。京平殿の周到な準備があってこそ」
手柄をふられた京平は、苦笑しつつ無言でぱたぱたと手を振った。褒められるなんて柄ではないということだろう。
その横では、ツィーが清左の怪我の具合を案じている。
「大丈夫か?」
「これくらいの傷、どうってことねぇさ。それに、刀を握る右腕が無事なら、戦うのになんの支障もねぇ」
法術兵に応急処置はしてもらったものの、痛みが消えたわけではない。それでも苦痛を顔に出すような男ではなかった。
香玖耶が後方を指さしながら「みんな、思いっきり戦っていいわよ」と言う。
ふり返ると、従業員たちが避難している場所の上空に水龍が滞空していた。彼女がなにかしらの術を使ったのだろう。避難場所を護るように、水鏡の盾が広がる。彼らとジズが戦うことによって、流れ矢のたぐいで被害が出ないようにという処置だ。
「水龍の盾はちょっとやそっとじゃ壊れないわ」
こちらに飛来する水龍に、京平がくわえ煙草のまま器用に口笛を吹く。
「こいつぁ、頼もしい味方だな」
「あなたの式神さんもね」
京平に付き従っている太郎丸と次郎丸のことだ。陰陽師と式神、エルーカと精霊は似たような関係なのかもしれない。
「後顧の憂いは断てたとして、前門の状況はどうなっているのだ?」
ベルナールの質問に、凛が「わかりません」と首をふった。
「空瀬将軍の率いる三十名の本隊は、すでにジズと交戦中のはずです。はずなのですが……」
「連絡が取れないのか?」
「ええ。なんらかの邪魔が入っているようで思考中継が通じないのです」
「ジズの仕業と考えるべきだろうな」
「ええ。皆、無事だといいのですが……」
そうこうしているうちに、ジズの膝元へと到着した。ジズとの戦闘によってよってできたのであろう。そこは、木々が倒れ、ちょっとした空き地のようになっていた。
「空瀬将軍!!」
凛の呼びかけは悲鳴に似ていた。
銀幕市の上空に出現した第3のネガティブゾーン『うつろな天の世界』。そこより飛来した発光体が変化したのが、このジズだった。
全高は約三十メートル――簡単に言えば、十階建ての建物程度の高さだ。見た目は円柱形をした醜い肉塊であり、全身に何百という眼を有している。小型のディスペアーはこの眼から生み出されていたが、結界法術で倒して以来現れないところからすると、もう打ち止めなのかもしれなかった。
「空瀬将軍!!」
凛の呼びかけに、空瀬がふり返る。
と同時に叫び返した。
「一ヶ所にとどまるでない! 全員散開せよ!!」
九神兵たちは骨の髄まで叩き込まれた主従関係により、他の銀幕市民はあまりに切迫した空瀬の声音により、それぞれなんの異議も差し挟まずに散りぢりになった。
「来るぞ!!」
今度は副将の弦深矢(げん しんや)だ。
それにしても、二人以外に兵の姿がないのはなぜだろうか。誰もが嫌な予感を抱いてしまう。
予感を現実に変えるかのように、ジズが吠えた。
GUMOMOMOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!
何百という眼が、絶え間ない光を放ち出した。まるで狙いなど定めていない。闇雲に全方位に向けて攻撃する姿は、破壊神にはふさわしくもある。
「避けよ!!」
こればかりは命令がなくとも、全員が光を警戒して回避行動にうつっている。
「うわっ!」
「ぎゃっ!」
逃げ遅れた兵士の数人が、もろに光を浴びてしまった。
たとえば、そのひとりは悲鳴を上げながら倒れた。ぴくりとも動かないので、息絶えてしまったようだ。不思議なのは、炎など出ていなかったのに死体が黒こげになっている点だった。
たとえば、その隣にいた兵士は、光が当たった瞬間に銀色に輝く奇妙な姿に変わった。よくよく見れば、凍り付いているのだ。一瞬にして氷の彫像と化してしまったのだった。
たとえば、ある兵士は光に包まれたと思ったら、なんの前触れもなく忽然と姿を消してしまった。骨や肉のひとかけらすら残さずに消滅したのだった。
「これは、ひどい……」
ツィーの独り言に応じるかたちで、深矢が
「ジズの眼から出される光の効果は、六つあるようです! 当たると焼けこげてしまう光、凍ってしまう光、眠ってしまう光、身体が動かなくなる光、毒におかされてしまう光、そして、消滅してしまう光。どれも防ぐ術はありません。とにかく避けてください!」
全員に聞こえるように声を張り上げた。
焼却、冷凍、睡眠、麻痺、毒、消滅の六つの効果を持つ光ということだろう。
「他の兵士はやられてしまった。なんとか打開策を――」
最後まで言い終わらないうちに、空瀬の右腕を光が貫いた。
「ぐあっ!」
援軍の到着に気を取られたのがいけなかったのか、蓄積した疲労のせいかはわからない。彼女が避け損ねたことだけが確かだ。
どうやら空瀬の食らった光は焼却だったらしく、右腕は消し炭のようになって、だらりと動かない。
「水龍! お願い!」
香玖耶が絶叫する。水龍は心得たとばかりに空瀬の前面に水鏡の盾を出現させた。
水鏡は光を反射する。ジズの攻撃との相性は良いようで、凶悪な光線は水龍の盾によってことごとく弾き返された。
「出来る限り水鏡の盾をつくりつづけて!」
言いつつ、自身は精霊の召喚準備にかかる。
誰もが自分の身を守り逃げまどうだけで精いっぱいで、このままでは反撃のきっかけをつくることさえ難しいように思えた。
「どうにかならねぇのかい?」
清左がアテにしているのは、ベルナールと凛だ。
「なんとか策を立てておくんなせぇ。そうしたら、あっしらが命をかけて斬りかかりやすんで」
どうにももどかしい。近接戦闘しかできない者は、対象に近づくことすらできずにやられてしまう。
水龍の盾が間に合わず、またひとり兵士が消滅する。
清左は今にも突貫しそうな自分を抑えるので必死だった。
「香玖耶殿! こちらに水龍の盾をお願いします」
凛がそう頼んだのは、みずからの命惜しさではない。ベルナールと話し合うための場が欲しいのだ。香玖耶もそれはわかっていたので、そちらを優先させた。結果、またもや兵士がひとり凍り付き、香玖耶は血が滲み出るほどに拳をにぎりしめた。
「早くどうにかしてくれよ、お二人さん」
京平は軽口を叩きながらも味方の救済で手一杯だ。
焼却、凍結、消滅の三つの光線はほぼ死亡が確定してしまうが、睡眠、毒、麻痺は当たったとしても即死してしまうわけではない。だからこそ、やっかいだとも言えた。この三つに当たった仲間を助けようとして、もろともに焼却や消滅を食らってしまう兵士が後を絶たないのだ。
正直、よくできた攻撃だと思う。希望をもって行動しようとすればするほど、絶望がその上に覆い被さってくる。きっと空瀬の部下たちもこうして全滅してしまったのだろう。
「だけどな……そうはさせねぇってんだよ!」
京平はジャケットの内ポケットからステンレス製の管を取り出す。ここが森であることと、相手の攻撃に焼却があることを考え、『木』と『火』の管狐を呼び出した。
二匹の天狐は主人の意志を察して、獅子くらいの大きさに変化すると、睡眠、毒、麻痺にやられた兵士たちを口にくわえて戦場から一旦離脱させる仕事をはじめた。
「太郎丸、次郎丸! 毒と麻痺を食らった兵には丹薬を、熱と氷でやられた兵には膏薬を!」
二匹の鬼も天狐を追って救護にあたる。
「さぁて、こうやって護るにも限界ってもんがあるぜ」
続く言葉を呑み込んだ代わりに、京平は水鏡のうしろで対策を話し合う凛とベルナールを一瞥した。
そして、そのふたりはというと、苛立ちとため息しかまだ生み出せていない。
「私は知恵と知識とを崇拝する魔術師だ。しかし、知恵も知識も持たないモノがこれほどやっかいだとは思いもよらなかった」
「まったくです。これでは力技以外に現状を打破する方法がありません」
ジズの戦力を把握してすぐに、ベルナールは千里眼の魔法によりどの眼がどの攻撃に対応しているかをすべてチェックした。それをもとに攻撃の予兆を仲間たちに伝達しようとしたのだが……これがうまくいかない。なにせ相手は何も考えていないのだ。ただただ悪意をまき散らしているだけ。明確な意志がないのでは予兆もへったくれもない。
凛は凛で、幻術および紫炎の蝶を目の前にちらつかせることによって、攻撃を拡散させようとしたが、これも無駄だった。理由は先ほど述べたとおりだ。最初からどこも狙っていないのだから、気をそらそうと思っても意味がないのだ。
このジズが核となる意識を持たないのなら、すべての眼が反射行動で攻撃を発しているのではないかとも考えた。ところが、反射行動でもないらしい。眼前で動く物に攻撃をしかけるとかそういったたぐいの動きではない。そのうえさらに、凛お得意の思考中継まで、ジズの影響か、使えないというのだからお手上げだ。
とにかくひとつだけ決まったことがある。
「ゴールデングローブを奴にとりつけ、力を弱めない限り勝ち目はありません」
凛はベヘモット討伐作戦を思い起こしていた。傷口にゴールデングローブを埋め込まれた巨大ディスペアーは明らかに弱体化したのだ。このジズとて例外ではないだろう。
しかしそれには、誰かがそばまで近づかなければならないのだった。
「私が行きます」
凛の瞳が決死を語る。
ベルナールはきつく唇を引き結び、なにかに堪えながらようやく絞り出した。
「――よろしく、頼む」
それしか方法がないとベルナールもまた認めたのだった。
「ただし、全員の協力がなくては成功しない。まずは作戦の概要を伝えなければ」
「そのような時間がとれるでしょうか?」
「すまない。私はもう……」
ベルナールはゴールデングローブの制限をうけているにもかかわらず、大きな魔法を使いすぎた。魔力がほとんど残っていないのだ。
「あとは、香玖耶殿か、京平殿でしょうか」
その香玖耶は水龍にひきつづき、もう二体ほど精霊を召喚したようだった。鷲頭の獣であるグリフォン、それに銀毛の狼であるフェンリルだ。
「なんとかジズを足止めするようにふたりに頼んで――」
そのとき、京平が驚くべき行動に出た。
ただ待つのは彼の性に合わなかったらしい。戦場を縦横に駆けながら、小型ディスペアーの掃討でも使用した結界符をそこらじゅうに張り巡らせたのだ。
「太郎丸、次郎丸! 結界の補佐だ!」
どうやらジズ自体を巨大な結界で囲ってしまおうということらしい。たしかにそれが成功すればすべての光線をふせぐことが可能だ。
「その発想はなかった」
ベルナールもあわてて残りの魔力を京平の結界の補助にまわす。小規模ながらディスペアー一掃の再現だ。
「凛、結界が保つうちに皆に協力を」
「わかりました」
じきに、まばゆい結界がジズを包んだ。
GUMOMOMOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!
と鳴いたジズは、結界を破壊しようという意図もなく、やはり何も考えずに光線をまき散らすのだが、相手にその意志がなくとも、結界はたやすく破られそうであった。それほどに、京平もベルナールも力を消費し過ぎていたのだ。
「時間がないので手短に話します」
凛の提案を聞いたのは、空瀬、深矢、香玖耶、ツィー、清左の五人だ。
「ツィーも行く」
真っ先に同行を申し出たのは森の民だった。
「ツィーもこの森を護りたい。それに、これを全部ひとりで持っていくのは無理だ」
彼らの足下にはベルナールが持ってきたゴールデングローブの段ボール箱が二箱置いてある。獣たちに配って、残ったものということだ。
「凛殿がひとつ、ツィーがひとつだな」
そう言って、さっさと段ボールをひとつ肩に担ぐ。有無を言わさない行動だった。
「いやしかし……」
ツィーを押しとどめようとする凛の機先を制して、今度は清左が刀を抜いた。
「おふたりが箱を持って走るってぇなら、奴のどてっぱらにそいつを突っ込む穴を開ける役目がいりやすね」
そう言う清左は、心の底から笑っていた。なにせようやく皆の無念を晴らすため、がむしゃらに刀を振れるのだ。これほど胸の空くことはない。
「いやしかし……」
なおも言い募る凛に、空瀬が静かに語った。
「私はここで果てようともそれでいいと思っている」
その発言に深矢がぎょっとした。
「将軍?!」
それを目で制して、空瀬はつづける。
「凛殿とてそう思っているのだろう? であれば、ツィー殿とて清左殿とて香玖耶殿とて、想いは皆同じはず。その理由は、言わずともわかるであろうよ」
銀幕市を護るため。
そこに住む人々を護るため。
みずからが一片のフィルムと化そうとも、いとわない。
「私も――」
言いかけた香玖耶を、今度こそ凛が制する。
「香玖耶殿には香玖耶殿にしかできないことをしていただきたい。我々がジズのもとにたどり着けるよう道を切りひらいてほしいのです」
凛の言うことは正しい。それは香玖耶にしかできないことだろう。彼女は皆とともに行けない悔しさを必死におさえ、「わかったわ」と援護を承諾した。
「じゃあ、行きやすかね。京平やベルナールだけに苦しい思いはさせられねぇってことで」
ふたりは今でも懸命にジズをおさえている。ただそれも限界に近づいているのが術士でなくともわかった。結界にひびが入ってきているのだ。
「清左殿」
空瀬が呼ばう。「おう」と応じた清左の手に、妖刀『風喰い』がおさまっていた。
「こ、こいつぁ……」
「こう言ってはなんだが、おぬしのナマクラではあの化け物には傷ひとつ付けられまい」
常のごとく不敵に笑む空瀬に、「たしかに、そうに違いねぇ」と清左も笑った。
「じゃあ、遠慮なく使わせてもらいやすぜ」
妖刀は闇の世界でも不思議な輝きを放っていた。
こうしてジズ討伐作戦が決定された。
香玖耶が水龍とグリフォン、フェンリルの力を使って道を切りひらく。清左が先頭を行き、妖刀をもってジズに傷を与える。つづく凛とツィーがゴールデングローブを傷口に押し込む。
単純だが難しい策だと誰もがわかっていた。わかっていたが、やめると言い出す者などいない。彼らの胸には覚悟がある。
全員が位置につくのと、京平とベルナールの結界が破れるのとは同時だった。光の壁が無惨にも引きちぎられる。ジズは解放感に酔っているかのように鳴いた。
「私たちがゴールデングローブを押し込んだら――」
「わかっている。全軍で総攻撃だ」
凛の笑顔に、空瀬は最敬礼をあらわし胸に拳を当てた。
こうして、神獣の森の命運をかけた特攻策が実行にうつされたのだった。
ジズが再び活動を再開しても、清左も凛もツィーも決して立ち止まらなかった。それどころかよそ見すらしない。一直線にジズ目がけて脚を動かす。
信じているから。
自分たちにジズの攻撃は届かない。
なぜなら香玖耶が護ってくれる。
「涼風! 轟風!」
グリフォンとフェンリルのそれが名前だ。風の精霊である二頭は、敵の攻撃を少しでもゆるめるべく、真空の刃を飛ばしはじめる。ここにきて初めて、ジズが傷を負うことになった。攻撃を受けた部分の眼が潰れて、再生する気配はない。
さらには風の呪法をもちいて、早駆けの三人に風の後押しをかける。彼らは自分たちが追い風を受けて加速するのを感じた。
「これぞまさに旋風の清左ってもんよ!!」
雄叫ぶ清左の後ろで、凛は手首の数珠を放る。これで彼の力を封じるものはなにもない。本当の意味での全力だ。
ツィーもまたふだんの穏やかな表情をかなぐり捨てて、走っていた。
ジズは決死の想いも、なにもかもを知らぬげに、すべての眼から光を撃ち出す。
「やらせないんだから!!」
香玖耶は自分の魔力を水龍につぎ込んだ。水龍の霊力にエルーカとしての香玖耶の魔力も加わり、水鏡の盾が何十枚と、特攻隊の周囲に展開された。
だが、無情にも水鏡は数発の光線を受けただけで崩れ去っていく。水龍も香玖耶もともに力が果てつつある証拠だ。
清左が一歩進むごとに一枚、凛が一歩進むごとに一枚、ツィーが一歩進むごとにまた一枚。
「香玖耶、ごめんなさい。このままでは――」
水龍の言いたいことはわかった。このままでは彼らが道の半分も進まないうちに、盾はすべて破壊されてしまうだろう。
「こんなところで――こんなところで絶望に押し潰されるために、私も、皆も、この街も生まれたわけじゃない。どんなことがあっても前を向いて生きていこうとしている人達を、絶望の一言で消し去れると思わないで!!」
香玖耶はそれこそを命を削るようにして魔力を引き出した。身体の奥底から。
「香玖耶!」
このままでは香玖耶が死んでしまうかもしれない。彼女は愛する人の愛弟子だ。水龍はそれを止めようとしたが、自分を見つめる紫の瞳に抗うことができなかった。絶対的な命令権をもって、香玖耶は水龍を従えている。この瞬間、たしかに香玖耶は師に追いついたのだ。
「香玖耶……」
水鏡の盾がさらに数十枚展開された。これで全行程の三分の二は確保されるだろう。
「あとは……」
香玖耶はそこで立っていられなくなった。空瀬たちが駆けつけてくる足音がどこか遠くに聞こえた。
眼前で散りゆく水鏡が美しく目に映る。
ツィーはもはやジズ以外頭に入れていなかった。胸中にも、森や人々を護ることだけを秘めている。他人のことも気にかけなかったので、香玖耶のことも気づかなかったし、自分のことにも気づかなかった。
彼はすでに幾度か光線を受けている。左太股は焼けこげていたし、右の肩は凍り付いたままだった。脇腹の感覚がないのは麻痺しているからであり、定期的に眠気が襲ってくるのは眠りの光がかすったからもしれなかった。
それでも肩に担いだ希望だけは放さない。なにがあってもこれだけは届けねばならない。
前を走るふたつの背中が消えることがあっても、足を止めるわけにはいかないのだ。
ふと気づくと、美しい光景が終わっていた。水鏡がすべてなくなったのだということまでは気づけない。
そして、いつの間にか、ふたつだったはずの背中がひとつになっている。
足は止めないはずだった。それでも止まったのは、名を呼ばれたからだ。
「ツィー!! これを!!」
振り返ったすぐ後ろで、地面に這いつくばった凛が、必死の形相で段ボール箱をツィーの方に押し出している。凛の足が動いていない。麻痺か、睡眠か、焼却か、凍結か、そのようなことを考える暇もなく、ツィーは中身をいくつかこぼしつつ、段ボールを受け取り、ふたつ重ねて持ち上げた。
凛は笑っていたが、ツィーは泣いていた。
涙を振り切って前を向くと、清左が光に圧し包まれるところだった。
その清左は、ジズの光線を真っ向から受け止めたとき、「ありがてぇ」と思っていた。
ジズに切っ先が届くまであと数歩。この一撃さえどうにかすれば、思う存分に絶望を斬り裂ける。この一撃さえ、乗り切れば。
そして、清左は六分の一の大博打に勝ったのだ。彼が受けた光線の効果は、毒だった。
出血性の毒なのか、胃の底から血塊が飛び出す。全身が熱く、寒い。しかし、死ぬことはない。まだ死ぬことはないのだ。
光線を浴びても刀がふるえる可能性があるのはこの毒しかない。だからこそ、清左は感謝した。
いま死ななけりゃ、それでいい。
清左は残りの数歩を縮めると、万感の想いを込めて斬った。
不気味な紫の血液が噴き出す。
妖刀は軽く、斬れ味も鋭い。毒におかされた彼でも、何度でも振ることができた。
斬って斬って斬りまくる。
このあとに凛とツィーがゴールデングローブで引導を渡してくれるはずだから。
ツィーは清左の奮闘ぶりを目にし、なりふりかまわずふたつの段ボールを構えて突進した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
段ボールごと叩きつけるようにに、ジズの傷口に首飾り型のゴールデングローブを突っ込む。ばらばらと傷口に入りきれなかった首飾りが地面に落ちたものの、大部分は肉塊にめり込んだ。。
「俺はもうこんなのはたくさんだ!!」
ツィーはその長い腕でできる限りたくさんの首飾りを拾い集めた。
ひとつでも多く。
ひとつでも多く。
ひとつでも多く。
もはやそれしか考えられない。
すべてを護るために。
「ああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
首飾りを握りしめたまま、拳を傷口に突きつける。ずぶずぶと肉塊に手先がめりこみ――
GUMOMOMOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!
明らかに今までとは違う響きで、ジズが鳴いた。
いや、泣いた。
効いているのだ、彼らの打ち込んだゴールデングローブが。
ツィーは思わずきょとんとしてしまった。無我夢中だったので、なにが起こったのかわからなかったのだ。
「全部突っ込んでやりましょう」
真横で凛の声がして、はっと我に返る。
彼は力無い様子ではあったが、拾い上げたゴールデングローブをしっかりとジズにねじ込んだ。
「凛殿!!」
「ったく、俺が結界張ってる間にこんなこと決めてるなんてよ。これじゃあ、俺は脇役もいいとこじゃねぇか」
「貴殿の仕事はまだこれからたっぷり残っている」
凛の肩を支えているのは、京平とベルナールだった。
ツィーは紫の血まみれになりがらも、破顔した。それはいつもの優しいツィーだった。
ジズは完全に沈黙した。
時折苦しそうに身を震わせるが、どうやら光線を出せなくなったらしい。そうなれば、もはやこの生き物は絶望でもなんでもない。ただの動けない的だ。
空瀬が雄々しく命を下す。
「全軍、ジズを叩きのめせ!!」
おお!と鬨の声が上がる。
ここぞとばかりに兵士たちが刀や法術で攻撃を加え出した。無抵抗となったジズはこれを甘んじて受けるしかない。
足の麻痺をベルナールに治療してもらった凛は、ジズの眼を紫炎で攻めつつ、手の届く範囲を仕込み刀で斬りつけた。
魔力の尽きたベルナールはもっぱら負傷兵の治療を行っていたが、魔術師の杖でジズの身体をしたたか殴りつけるのも忘れなかった。
疲労困憊の香玖耶は、自分が動けない分、風の精霊に上空からカマイタチを飛ばさせている。高い場所にある眼は完全にこの二頭の領分だ。
ツィーは兵士から借りた槍でジズを突き刺していた。もはやそいつに対する狂おしいほどの憎しみはあらかた消えていたが、それでもディスペアーの存在を赦すことはできない。
京平の呪が響く。「雷招来急々如律令!」と唱えれば雷撃符が、「火炎招来急々如律令!」と唱えれば火炎符が、肉塊を壊していく。符にこめられた呪力はまだまだ余裕があるようだ。
清左は水龍に解毒治療を受けつつ、刀を空瀬に返上した。空瀬は「見事」とだけ残して、兵の指揮に戻った。
ジズが崩れ去るのにそれほど時間はかからなかった。
生命力が尽きたのだろう。くずくずと溶け崩れるディスペアーの姿に、兵士たちと岳夜谷温泉郷の従業員から歓声があがる。
彼らは勝ったのだ。
神獣の森を、ひいては銀幕市を護りきったのだ。
「私たち、護れたのね」
香玖耶が誰にとはなく呟く。頬を一筋の涙が流れた。
ジズが創り出していたと思われる常闇の空間が次第に晴れていく。雲の切れ間から陽の光が差すように、外の風景が徐々に顔を覗かせた。
それを見た銀幕市民たちは、希望に二文字を強く胸に刻み込むのだった。
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クリエイターコメント | お待たせいたしました。 最終決戦の結果はみなさんがいまご覧になったとおりです。 銀幕市にいつまでも希望の灯が絶えぬよう祈りつつ、最後のご挨拶に代えたいと思います。
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公開日時 | 2009-04-23(木) 18:20 |
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