<オープニング>
「編集長、カオスです」
取材に訪れた七瀬灯里は、遠い目になった。
銀幕市平和記念公園で行われる初めてのイベント――『銀コミ夏の陣・改』。
そこは異様な興奮に包まれていた。
照りつける太陽、人の熱気、ついでに萌える魂で、現場は蒸し風呂だ。スターがなんとかしているという説明は、幻聴だったのだろう。
大体の人が俗世での姿を捨て、本性フルスロットルで暴走している。
萌えとか属性とかカプとかシチュとか、日本語に聞こえる異次元の言語が飛び交っている。
基礎知識は勉強してきたが、この世界は底なし沼より奥が深いようだった。
――七瀬、お前もそろそろ一人前だろう。大仕事を任されてみないか。
いつになく優しい編集長の声がよみがえる。
厳ついオヤジの盾崎と、年頃の女性である灯里。
普通なら盾崎の方がリスクは低いが、ここは銀コミだ。オヤジが狩るものではなく萌えるものとして見られてしまう、恐るべき亜空間だ。
そう考えると仕方ない気もするが、どこか騙された気になる。
「よろしくお願いします!」
本部で『報道』の腕章を受け取り、スタッフを撮影する。
物販テーブルには、イベント限定の紙袋やうちわ、ジャーナルとの共同企画であるトレーディングカード(全五十種類)などが並んでいる。
その列に混じって、サニーデイのバッキーがちょこんと座っていた。原寸大ぬいぐるみかと思ったが、つつくと鳴く。
「本物なんですか。可愛い売り子ですね」
灯里はほやんと笑みを浮かべた。だが、スタッフの間に困惑のざわめきが広がる。
「このコの親御さん、名乗り出て!」
スタッフの一人、ヒオウは声を張り上げた。
返事がない。ただの迷子のようだ。誰も知らないうちに置き去りにされていたらしい。
当のサニーデイ氏(仮)は、呑気に体を揺らしている。緋桜が呟いた。
「捨てバッキーというわけではないでしょうけれど……困ったわね」
「飼い主を探しましょうよ。きっと心配しているはずです」
灯里が提案すると、赤いウェーブヘアのスタッフが歩み出る。
「言い出しっぺの法則を知っているのが、灯里さんかしら?」
「はい?」
「希望があったら実行するのが、言った人の義務なの」
「……わかりやすく言ってもらえますか?」
「バッキーの飼い主を捜すのが、灯里さんの義務なの」
「わかりました」
意味を理解した灯里に、優しい眼差しが集まる。
「頑張って。超頑張って。心は応援してる」
「取材と人捜しの両立は不可能ではない」
「不思議な奇跡がクロスして、飼い主と巡り会うわよ」
連携プレーにより、決定事項にされる。
「協力しますね。本部に飼い主が現れたら、連絡してください」
灯里はにこやかに頷いた。押しつけられた格好だが、心細い(であろう)バッキーを助ける仕事なら喜んで引き受ける。
パステルブルーの渦巻きを指でなぞり、リュックサックに乗せる。ちょっとだけ、ファンになった気分だ。
カメラを片手に、灯里は会場を歩き回る。一度きりの『今』の空気を、記録しておくために。
各スペースでの出来事を記事にしよう。目立っている人や有名人に、インタビューしてみるのもいいかもしれない。
もちろん、サニーデイ氏(仮)の飼い主捜しも忘れずに。
|