遺志と墓標
オープニング
「なあ、ヴォロスへ行ってみたいとは思わんか?」
シド・ビスタークはその場にいたロストナンバー達へ、そう呼び掛けた。
世界図書館と提携している異世界の一つに、『ヴォロス』がある。古代の竜族の遺骸『竜刻』を礎に築かれた、自然豊かで、広大な世界だ。人の手が届かない未開の地も多くあるその世界へ、世界図書館は主に『竜刻』の謎を解明する為ロストナンバーを送り込む。
今回のシドの誘いも、まさにそれだった。
「ああ、そんなに警戒しなくていい。特に危険はないはずだから」
あまりに軽々しい呼び掛けを訝しく思い、険しい顔を見せるロストナンバー達へ、シドはからりと笑って片手を振る。旅に慣れていない彼らへ、ささやかな冒険を用意したのだ、と。
「俺の『導きの書』が、ヴォロスのとある古城の姿を映し出したんだ」
ぱらぱらと手にした『導きの書』を捲る。しかし、その分厚い書のページは今は、ただの白い面を晒しているだけだった。
ドワーフたちが小さな村落をつくる森の、更に奥深く。人間の出入りなど滅多に無いその場所に、件の古城はひっそりと佇んでいるのだと言う。
「その古城は人が使っていたとは思えないほどに大きくてな、どうも古代の竜族が使っていたんではないかと言われてる」
だから、『竜刻』が残っている可能性も大いにあるだろう。
『導きの書』を片手で器用に閉じ、シドは口端を歪めて不敵に笑んでみせた。そして、再び誘いの言葉を、唇に乗せる。
「行って、探してきてはくれないか?」
うららかな陽気に微睡む彼の耳を、小さな振動が打った。ほんの幽かなそれを、けれど聞き逃す事など無い。彼は眼を薄く開き、その気配を探る。
また『ニンゲン』が、懲りもせずにやってきたようだ。
彼が護るものは、あの小さく弱い命には、とても強い力を及ぼすらしい。同胞達で殺し合う為に、或いはただ己の眼を楽しませる為だけに、ニンゲン達は彼にとって大事なものを奪おうとする。彼にはそれが、どうしても赦せなかった。
ニンゲンの発する振動に呼応するかのように、彼の護るものが、静かだが美しい光を放った。まるで呼吸でもしているかの様な、深い青の輝きを、彼は美しいと思う。
――護る。
彼を動かしているのは、ただひとつの意志。あの方の存在を、朽ちて尚遺り続けたあの方の欠片を、護りたい。長い長い時を経て尚、美しく輝き続ける、あの方を。
鋭いあぎとを備えた頭部を、ゆらりと擡げる。光の射す方へ、彼はのそりのそりと踏み出した。
あの方によく似たこの姿形、けれどあの方には到底敵わぬ卑小なこの身。己はあの方のような翼を持たず、大地をただ這うだけの愚鈍な存在だ。
剥がれた石床の下から顔を覗かせる、細かな草花が、地面の近くにある彼の腹と短い四足を擦って行く、その感触さえも彼には馴染み深い。長く太い尾を、一度ゆっくりと振った。鱗に覆われた肌が射し込む光を受けて黒く輝く。それを眺めながら、彼はただ、思う。
ほんとうは、あの方が滅んだ瞬間に、共に朽ちてしまえればよかったのだ。あの方に殉ずる事も出来なかった己は、ただの裏切り者でしかない。
だから、せめてもの償いとして、彼は此処に留まり続ける。永劫にも似た長い時を、あの方の遺骸を護り続ける為だけに在ろうと、そう決めたのだ。此処はあの方の領域で、あの方の墓だ。何人たりとも、荒らさせるわけにはいかない。
護る。
満ちる陽光の下で、彼は力の限り咆哮を上げた。
雄々しく猛々しいそれは、大地を揺るがし、古城を揺るがして、ロストナンバー達へと届けられる。
『墓荒らし』への、墓守としての宣戦布告の様に。
管理番号 | b09 |
---|---|
担当ライター | 玉響 |
ライターコメント |
皆様、初めまして。 新たにロストレイルよりWRとして乗車させていただく、玉響(たまゆら)と申します。 文章傾向としては不条理やアクションなどを好いておりますが、大体はOPを見ていただいた通り、静かで淡々、あるいは殺伐としたものになります。 皆様のお目に留まりましたら幸いです。 さて、此方のノベルでは、竜刻の大地・ヴォロスを探索していただきます。 舞台は、古代の竜族が使用していた、朽ち果てた古城。人間はおろか現地のドワーフも滅多に立ち入らない場所です。 人では無く竜族の居住地なので、扉や部屋その他のサイズも並外れ。 建物は石造ですが、天井や壁は崩れ、木々や小動物が棲み付いてしまっています。 世界司書が言うには、その古城の何処かに竜刻が在ると言う事なので、皆様の最終目的はその発見となります。 ちなみに、見つけた竜刻は世界図書館へ持ち帰る予定です。 しかし、それを阻む何者かの存在も窺えますので、皆様充分に対策をなさってください。 基本的に、何者かとの対話は不可能、とお考えいただければ。 それでは、よろしくお願いいたします。 |
参加者一覧 | 神ノ薗 紀一郎(cyed8214) | 飛天 鴉刃(cyfa4789) | シーラカンス(cwba4859) | マティルデ・リッター(cnen8235) | 卯月(cbbx9217) |
---|
ノベル
この城は、彼の愛するものに満ちている。
地面に近い場所を這う彼の目に映るのは、溢れる緑と、駆け回る小さな命と、穏やかな陽射しばかりだ。
この城の主が健在であった頃から変わらぬ太陽の輝きを、彼は愛しく思う。全てが風化しゆく中で、それだけは褪せる事無く彼を照らし続けるのだから。
ゆるやかに一度瞬きをして、彼は頭を巡らせた。崩れた壁の合間に覗く空から、乾いた緑の匂いがする廊下の奥へと。
何かが、彼の前を過ぎった。遅れて聞こえるのは、せわしない羽撃き。
この地に息づく生き物とは明らかに違う色をして、それは彼を一瞥して去っていく。
丸い。そして、青い何かだ。
恐らくは鳥だろうと想われるそれは、蜂鳥の様に不安定な飛び方で、彼の前から姿を消した。
彼はゆるりと首を傾げて、大地を踏み締める。天を仰ぎ、再びの咆哮を轟かせた。
「おや」
背後から聞こえた短い声に、神ノ薗紀一郎は歩みを止めて振り返る。カサリ、と足下の小枝が音を立てて砕けた。
「いけんしたか、卯月」
彼のすぐ後ろを歩いていた小柄な少年、卯月は神妙な面持ちで、虚空を睨み付けている。やがて紀一郎へと向き直り、少年は真っ直ぐな眼差しで答えた。
「……何か、この先に居るみたいだね」
「ミネルヴァの眼、ですか」
彼らに合わせて歩みを止め、隣から覗き込むようにして問いかけた男に、卯月は頷く。彼のセクタン・ベルドメは今、オウルフォームに成って古城の偵察を行ってくれている。――卯月はドングリフォームをこよなく愛しているのだが、今回は探索に有用な能力を持つオウルを選んだのだ。
シーラカンスは猫背を正す事無く、周囲を見回す。苔むした壁、崩れた天井、積もる瓦礫。乾いた空気と暖かな陽射しの下、火の気とは縁の遠そうな場所にも関わらず、彼は防火服を着込んでいる。
「一瞬しか視えなかったんだけど、大きくて黒い、ドラゴンみたいだった」
卯月は考えながら慎重に語る。
「ですが、この世界、には……竜は、もう」
しかし、シーラカンスが弱々しく首を振るのにも、また頷いて肯定の意を示した。
竜刻の大地『ヴォロス』。古の時代に繁栄し、強大な力を持ったと伝えられる支配者、竜族。しかし彼らが栄えた時代は疾うに過ぎ去り、現在に残存する竜は一体も居ないと言われている。
「そのドラゴン、翼は在ったの?」
三人から離れて崩れた壁と向き合っていた女が、青く長い髪を靡かせて振り返る。
「ううん、地面を這ってたよ」
「そう」
マティルデ・リッターの開いた掌に、瞬きの間にノートが現れた。世界図書館で得た古城の情報の下に、卯月が視たものを簡潔に書き出していく。
「この古城はかつての竜族が使用してたものらしいわね。……卯月くんが見たそれは、竜族そのものではないと思う」
竜が翼を奪われ、その四つ足を地面に伏せば、それは彼らのよく知る、別の生き物となる。
「多分、リザードじゃないかしら」
「りざあど?」
「大きな蜥蜴だよ。……うん、確かに蜥蜴かも。鴉刃さんくらいあったから、ドラゴンと思っちゃったのかな」
首を傾げた紀一郎に、視覚の記憶を辿りながら卯月が言う。
「ほいなら、鴉刃じゃあなかんか?」
「いえ、鴉刃さんなら、立ってるか……浮いている、のでは」
「そげなもんか」
竜と言う生物にあまり縁の無い紀一郎は、とりあえず人の姿ほどの蜥蜴を思い浮かべながら、納得する事にした。軽く唇を緩めたマティルデが、ノートのページを捲る音が響く。
「その鴉刃さんにも、この事を伝えておくわ。場所とかも判る?」
「あ、うん。ちょっと待って」
羽根ペンを繰り、文字を紙面に乗せる。文字は書いた傍から溶けて消え失せ、古城の何処かに居る漆黒の龍人へと、届けられるはずだ。
乾いた緑の匂いと静謐な空気を、猛々しい咆哮が切り裂いていく。
空に伸びた髭がビリビリと震え、飛天鴉刃は飛行速度を落とした。
咆哮だけでは確かな事は解らないが、その響きに何処か自分達龍人に似たものを感じ、半ば崩れた天井を振り仰ぐ。知能を持たぬ生き物なのだろう、言葉は解する事は出来なかったが――その叫びに込められた意志は、痛みを伴う程に感じ取る事が出来た。
「……なるほど、この古城は竜の墓、そして私達墓荒らしに宣戦布告する墓守、か」
聞く者が居ない事を知っていながら、その口から言葉が零れる。口の端をゆるりと持ち上げて、不敵な笑みを形作った。
「しかしこちらも引き下がる訳には行かぬのでな……。盗ませてもらう」
長い髪と尾を優雅にくねらせて、低空を滑る様にして長い廊下を渡る。
竜族には必要が無かったのか、古城に扉と言う概念は存在しなかった。壁にぽかりと空いた巨大な穴から、広い部屋へと滑り込む。
室内にはテーブルも椅子も、家具のひとつもなく、ただ崩れた天井と罅の入った壁が広がっているだけだった。床に入った亀裂の隙間から、名も知らぬ植物が真っ直ぐ天へとその背を伸ばし、小さな花を咲かせている。
空虚だが何処か満たされた、穏やかな空気が鴉刃を包む。
「随分と、造りがでかいな。想定するに竜の大きさは……」
鴉刃が手を広げた所で到底届かぬ部屋の入口を振り返り、ノートを取り出して目測を書き込んだ。
一枚紙を繰れば、ペンの触れていない場所からするすると文字が滲み出してくる。――此処とは違う場所を探索している四人からの連絡だ。しなやかで美しいその筆致は、女性であるマティルデのものだろうか。
卯月のセクタンが漆黒の大蜥蜴を発見した、留意せよ――簡潔な言葉で、ノートの文字がそう伝える。大体の位置も添えて表示され、鴉刃は自らのマッピングした地図と照らし合わせた。目測が正しいならば、大分近しい場所に在る。
大蜥蜴――遥か古代の竜の、隷属だろうか。主を喪って尚、この古城、この墓を護るのか。
いずれにせよ、此処で遭遇するのは不味い。長い肢体をくねらせて、道を引き返そうと向きを変える。
その視界に、黒い輝きが覗いた。
「……!」
あちこちが崩れて青い空を覗かせる、石造りの天井。飛行する鴉刃よりも高いその位置に、それは逆しまに張りついていた。
鋭い牙を備えたあぎとからしゅるしゅると舌を出し入れし、深い青の瞳でじっと鴉刃を見詰める。艶やかな光を放つ黒い鱗は、鴉刃の持つものによく似ていた。
かち合ってしまった視線を外さぬよう気を付け、鴉刃はそろそろと後退を始めた。漆黒の大蜥蜴は威嚇する様子もなく、ただただ彼女の動向を窺っている。
同族だと、思われているのだろうか。――それとも、主君と見間違えているのか?
そのどちらであったとしても、鴉刃にとって幸運な事に変わりはない。部屋の入口を潜り、長い廊下まで出た所で――彼女は一気に振り返って速度を上げた。
「あなたはこの世界について、どう思う?」
マティルデがそう問い掛けたのは、背を丸めて彼女の前を歩くシーラカンスだった。防火ツナギを着込んだ背がビクリと面白いように跳ね、恐る恐ると言った風に彼女を振り返る。
「ど、どう……とは?」
マティルデは安心させる様に笑ってみせ、己から話し始めた。
「私の世界には、魔法はあったけれど……竜や魔物の様なものは居なかったの。だから、こう言った世界に興味があって」
『覚醒』したばかりのマティルデは、未だに右も左も判らない状態にある。それでもじっとしているのは性分に合わず、何か行動を起こして少しでも先に進みたい、とこの依頼に志願したのだ。
世界が変われば、その仕組みも大きく変わるだろう。彼女にとっての常識――魔法が通用しない事も、大いに有り得る。危険はない、とシドは言っていたが、未知の世界に足を踏み入れて、気を抜く事は出来ない。竜刻を手に入れ、ロストレイルへと帰還するまでは。
自分の考えを簡単に語って、マティルデは言葉を変えて問い直した。
「あなたは、竜刻の力についてどう思う?」
「あ、自分は……」
シーラカンスは一度言葉を切って、口籠る。癖の強い髪を弄り、視線をあちこちに彷徨わせ、挙動不審なその様子は、語るべき言葉を探している様にも見えた。マティルデは頷き、その続きを待つ。
やがて、俯いている彼の口から、ゆっくりと言葉が零れ始める。
「……自分の世界には、魔術的な事象は一切存在しませんでしたが、伝承の中のドラゴン、と言う存在はいずれも、強大な力を持つものでありました」
アンドロイドである彼が造られたのは、機械工学の発展した、クーデターや暴動の絶えない世界だった。その様な世界にも伝説や神話と言ったものは当然の様に存在し、強大な幻獣の言い伝えは残されている。
「そのような存在が残したものなら、今尚力を宿していることも……その、理解の範疇内、です」
竜の遺骸によって築かれた世界。彼の居た世界とは全く違う摂理で在りながら、その成り立ちに納得を覚える。
「……そう」
マティルデはひとつ頷いて、シーラカンスの世界について、思いを巡らせた。
「おおッ、皆も早う来てみぃ」
不意に紀一郎の呑気な声が響き、ひょいひょいと瓦礫を飛び越えていく着流しの後ろ姿が見える。小柄な卯月がそれについていけず、苦労して瓦礫を登る様子も見えて、マティルデは苦笑を零した。
「神ノ薗さん、ちょ、ちょっと待って! この道はコンダクターにはちょっと厳しい……!」
「なんじゃぁ、疲れたがか、卯月? 見てみぃ、リスがおるがよ」
歩きの旅に慣れているらしく、背も高い紀一郎にはこの古城を歩き回るのは苦では無い様だ。瓦礫の上からひょこりと顔を覗かせる、後ろ足の発達した栗鼠に似た小動物に手を伸ばし、その掌に乗せていた。
「あ、ホントだ。可愛い」
やっとの事で瓦礫の山を昇り終えた卯月も、栗鼠を見つけて頬を緩める。チャイ=ブレから与えられた相棒を溺愛するほどには可愛いものに弱い彼は、つぶらな瞳をじっと見詰め返した。
「こん山の向こういも、道があうごとだな。行ってみうか?」
栗鼠を手放して、紀一郎は飄々とした様子のまま自分達が来た方角の逆を指さす。釣られて卯月が覗き込めば、そこには確かにだだ広い部屋のような空間が広がっていた。どうやら彼らが今登った場所は、壁が崩れ落ちて出来た穴ではなく、初めから部屋と部屋を繋ぐ入り口であったらしい。
「いや、二人を待った方がいいんじゃないか、な――!」
慎重な卯月の言葉は、途中で遮られた。
紀一郎が瓦礫を蹴り、一気に地面へと飛び降りていく。先程までののらくらした浪人とは思えぬ、鋭い所作。猫が獲物へ飛びかかる瞬間、肉食獣としての顔を覗かせる、あの様によく似ていた。
ただならぬその様子に驚き、彼の向かった方角へ目を向け、卯月は事態を察した。
「――リザードだ!」
卯月が発した鋭い警告と、紀一郎が己の得物を引き抜く高い音が、重なる。
鋼の刃を翻して、紀一郎は彼の背丈ほどもありそうな大蜥蜴と対峙した。黒い鱗の獣が威嚇に牙を剥き、石床をがりがりと鋭い爪で引っかく音が獰猛に響く。
どちらが先に仕掛けるか、一瞬を争う駆け引きに、息を詰めた。
「退いてください!」
それを引き裂いたのは、背後から掛かる声だった。
言葉の意味を解する余裕もなく、ただ指示に応じて左に飛び退く。先程まで彼の居た場所を掠めて、巨大な何かが蜥蜴へと投げられるのが、見えた。
二抱えも在りそうな、瓦礫。石埃が立ちこめる中でそれを視認して、紀一郎は振り返る。未だ瓦礫の山の上に居る卯月の傍に、二つ目の瓦礫を抱えあげたシーラカンスが立っていた。
彼はそれを抱えたままひょいと飛び降りる。着地した地面が派手に割れたが、バランスを崩す事もなく、瓦礫を再び蜥蜴へと投げつけた。
再び上がる石埃の中で、黒い影が蠢くのが、紀一郎の眼に映る。
「おはんの相手はおいだが、余所見すうな!」
横から飛び込んで、得物を振り抜く。確かな手応えがして、刀を振るう手にぱっと血飛沫が飛んだ。遅れて聞こえる、醜い絶叫。
蜥蜴が素早い動作で背後に飛び退き、天を仰いで息を大きく吸い込んだ。膨らんだ喉が、赤橙に煌めく。柔らかそうなそこへ一撃をくれてやる為に紀一郎が足を踏み出せば、シーラカンスの手に制された。
「マティルデさん、援護を!」
呼ばれたマティルデは頷き、素早く呪を唱える。シーラカンスと紀一郎をそれぞれ包むように風が翻り、蜥蜴へと向かう追い風が吹き荒れた。
しかし、蜥蜴はそれに怯む事もせず、墓荒らし達を鋭く睥睨して、その大口を開く。
喉の奥から吐き出されるのは、真紅の業炎。
マティルデの風と真っ向からぶつかり、大きく火の粉が散った。風に包まれたシーラカンスが、真正面から炎へと飛び込んでいく。
「シーラカンス!」
荒れ狂う炎と焼け付く熱で、まともに視界も利かない。名を呼ぶ声を振り切るように駆けて、彼は大口を開ける蜥蜴の舌を鷲掴む。
唐突に焔が止んで、火の残滓が躍った。
救助用アンドロイドであるシーラカンスの体は不燃性であり、驚くほどに頑丈だ。髪も、服も、手も、何処も焼け焦げていない。急所である舌を掴まれたまま、蜥蜴は身悶えていた。
我に返った卯月が、手に持った何かを投げつける。弧を描いて飛んだ丸い何かは、蜥蜴のすぐ傍に着弾し、一度閃いて爆発した。
煙の中へ畳みかけるように紀一郎が突っ込み、刀を振り下ろす。何かが切り裂かれる、小気味良い感触がした。
再び風を起こしたマティルデにより、周囲に立ちこめる煙は素早く振り払われる。
――開けた視界に、蜥蜴の姿はなかった。
シーラカンスの手にはもぎ取った舌が、地面に突き立った紀一郎の刀には、黒い鱗の尾が、それぞれ残されている。そして、卯月が爆破した場所には、ぽかりと大きな穴が開いていた。
紀一郎は刀を引き抜いて、やや乱雑に鞘へと収める。
「おはん、怪我ばしちょらんか?」
振り返り、すぐ近くに居たシーラカンスに大股の一歩で詰め寄った。大蜥蜴の吐く炎を正面から受け止めたのだ、幾ら無事と言われても機械やロボットに疎い紀一郎には俄かに信じ難い。
焦げ跡の一つもないシーラカンスは首を振り、慌てたように手を身体の前で振る。
「あ、いえ……自分は、その、頑丈なだけが、取り柄ですから」
そもそも着ている服も防火ツナギである。火に対する耐性に自信があった上、マティルデの風による援護もあったからこそ、躊躇いなく炎の中へ飛び込む事が出来たのだ。だから心配する事はない、と、救命用アンドロイドはたどたどしい言葉で着流し姿の剣客に説明をした。
「……そう言えば、」
爆発によって開いた穴を検分していたマティルデが不意に振り返り、卯月へと問い掛ける。
「卯月くん、今投げたのは……」
「のど飴だよ。食べるかい?」
何事もなかったように言って、のど飴を口へと放り込む卯月に、マティルデは小さく首を横に振る。
「……遠慮しておくわ」
全身の激痛に苛まれながら、彼は力を振り絞って這い進んでいた。
ゆっくりと、尾が再生していくのが見える。光を浴び、静かに静かに身体の先が創り直されていくのが判る。
だが、それだけだろうとも、想う。この身体はもう、幾許も持たない。
血を流し続ける身体を引き摺り、彼は地面を這った。玉座にて眠るあの方の傍まで、鱗の剥がれた足を無理に動かしていく。
あの方の描き出す、青く深い輝きが、彼の目を焼く。
視界に移る最期の光さえもあの方で良かった、と、彼は満足げに眼を細めた。
四人は呼び戻した鴉刃と合流し、卯月ののど飴によって開いた大穴から先に進んだ。その先には蜥蜴のものと思しき血痕が点々と続いていて、旅人達は推測するまでもなく、それが竜刻の元へと延びているのだと確信している。
古城の最深部へと一歩近付いていく度に、その壁や天井の崩落の度合いもまた高くなっていく。或る壁には生々しく巨大な爪痕が、また或る床には深い足跡が刻まれていた。太古の昔――竜族が生きていたその時代に、この場所で竜同士の争いが在ったのだろうか。それとも、竜王が乱心を起こして古城の全てを破壊し尽くしたのか?
幾ら推測を巡らせた所で、答えが出る訳でもない。彼らはその時代を知らず、この世界を知らぬのだから。
歴史はいつだって、その事実、その痕跡だけを人の前に晒すものだ。
「見ろ!」
鴉刃が端的な言葉で、仲間を促す。五人は頭上を振り仰ぎ、――それぞれに、感嘆の声を上げた。
青い。
蒼穹よりも深く、より鮮やかに青い、光の粒子が幾つも彼らを取り囲んで躍っている。陽の光を浴びて煌めく青は美しく、色彩こそ違えど冬の空に雪が舞う光景を思い起こさせた。
紀一郎が手を伸ばして、粒子に触れようと試みる。しかし光の粉は彼が触れた途端にあえなく弾け、乾いた空気に融け込む様にして消えた。
「……あいつは、こよ護っていたんだなぁ」
知らぬ内に、独り言が零れる。この光と同じ色の瞳をした蜥蜴は、ただこの城を静かなまま保ちたいだけであったのだろう。
「なんだか、ちっと申し訳ん気分になってしもたがよ」
ひらひらと舞う青を見上げたまま、紀一郎は哀しそうに笑って眉を下げた。
鴉刃はその言葉に耳を傾けながらも、小さく首を振って足を進めた。この依頼を受けた時から、あの咆哮を耳にした時から、彼女は墓荒らしで在る事を決めたのだ。今更悼む事など、彼女には出来ない。――素直に哀しむ事の出来る紀一郎が、少しだけ羨ましかった。
「……ああ」
これまでよりも更に広く、更に高い穴――部屋と廊下とを繋ぐ入口を通り抜けて、シーラカンスは小さく声を漏らした。
一段一段が人の膝まで届きそうな程に大きく、緩やかな石畳の階段が、真っ直ぐ伸びている。その先を見上げる様に視線を添わせれば、それは巨大な、岩で造られた玉座であった。
かつて其処に君臨した筈の竜王が、一体どれほどの威厳を伴っていたのか。その片鱗を窺わせる巨大な玉座に、ただ息を呑む。人智を超えた場所に存在していた、竜族による文明の名残。
「此処に、竜刻が……?」
しかし、今其処に鎮座しているのは、一匹の黒い蜥蜴だった。
先程紀一郎が斬り落とした筈の尾は既に再生されていて、長い身体を丸める様にして玉座の端に横たわっている。深い青の瞳は緩く細められて、瞬きのひとつもしない。
腹の辺りで輝く青い光を包み込む様にして、それはただ、永劫の眠りについている。全身に深い傷を負いながらも、その表情は穏やかで、満ち足りたものだった。
しかし、卯月は何処か冷めた様な眼差しで、それを見上げた。
「……君にとって、これがよっぽど大切だったのか。よっぽど死が怖くなったのか。……どちらだったんだろうね」
――人が生きる理由など、そのどちらかしかないと、卯月は考えている。
その呟きに、応える者は居ない。物言わぬ骸に変わり果てた蜥蜴は、ただ穏やかな表情で眼を細めているだけだ。
マティルデが毅然と背筋を伸ばし、横たわる蜥蜴へと、一歩ずつ階段を登る。それは何処か、戴冠の儀式の様にも見えた。
再生を遂げた尾を丸め、ともすれば微睡んでいる様にすら見える骸の、その中央。静かに手を伸ばして、青く深く輝くそれを拾い上げた。
事前の説明が無ければ、彼女はそれをただの宝石だと思っただろう。瑠璃石によく似た色をして、しかしその内側は強大な力の火を燈して揺らいでいる。
片手に収まる程のこの小さな欠片こそが、ヴォロスと言う広大な世界を築き上げた、竜刻そのもの。
巨大な竜王の遺骸は、長い時を経る間にその殆どが風化し、古城の自然に――或いは傍に仕え続けた黒蜥蜴に融け込んでしまったのだろう。先程彼らを包んだ青い光の粒子は、黒蜥蜴の二つの瞳は、この石と同じ輝きをしていた。
朽ちて、融けて、世界に還る、強大な力。
その残滓こそが、彼らが探し求めていたものだ。
未知の世界の、その節理の片鱗に触れた様な気がして――そしてそれこそがロストナンバーの宿命だと、マティルデは唐突に悟る。彼女を取り囲んでいた様々な不安の霧が、一気に晴れた様な気分だ。
竜刻と似た色の髪を翻して、彼女は仲間達へと笑いかける。
「帰りましょう、ターミナルへ」
クリエイターコメント |
五名様、この度は御参加ありがとうございました! 遥か古に朽ちた竜の墓標、其処に遺されたものを巡る冒険を記録させて頂きました。 古城に融け込んだ竜刻は、蜥蜴の穏やかな眠りを永劫に護り続けるでしょう。皆様の真摯な御心、ありがとうございました。 筆の向くまま自由に捏造してしまいましたので、口調、設定、心情等、イメージと違う点がありましたら御伝えください。出来る限りで対処させて頂きます。 皆様と同じく、記録者にとってはこちら(と、もう一本)が初めてのシナリオとなります。 手探りながらも、とても楽しく書かせて頂きました。ありがとうございました。 御縁が在りましたら、また何処かの階層で御逢いしましょう。 |
---|