オープニング


「竜刻の発掘をお願いしたいのです」
 リベル・セヴァンの物言いは、いつものように淡々と静かだ。
 リベルは、静謐で理知的な眼差しをロストナンバーたちに向け、言葉を継ぐ。
「それほど大きなものではないようなのですが、ヴォロスの、人跡未踏とでも称すべき地に、その存在を確認することが出来ました。皆さんには、それを回収していただきたく思います」
 竜刻とは、壮大なる自然に満ちあふれ、誰もが生存競争にしのぎを削る異世界ヴォロスに存在する『力』の塊で、太古の昔に世界を支配した竜族の残滓とでも言うべき、その強大な力が凝(こご)って出来た代物だ。
 かのヴォロスでは、竜刻を数多く持つものこそが強者であるとも言われ、それを巡っての争いもあとを絶たないというから、結局のところヴォロスは、竜族が滅んで数多の時間を経たのちも、未だに彼らの支配から逃れられてはいないのかも知れない。
 しかしそれは、竜の力とはそれほど強大なものなのだ、という証明にもなり得るだろう。
 そして同時に、その力に興味を持っている世界図書館が、竜刻の発見によって回収依頼を出すことは、決して珍しい流れではなかった。
「ロストレイルの発着駅から少々遠いのが申し訳ないのですが、お願い出来ますか?」
 リベルが言うには、件(くだん)の竜刻は、大海の如き深い森と、空まで届くと錯覚しそうな、険しく高い奇峰を越えた先にあるという。山の頂の傍らにそびえる、年経た大樹に抱かれるように、それほど大きくはない、清い泉があって、竜刻はそこに眠っているのだそうだ。
 向かうだけで骨の折れそうな行程だが、様々な能力を持ったロストナンバーたちならば、決して不可能ではないだろう。
「そこは、古い古い時代に、エルフの偉大な賢王が神託を求めたと言われている地です。泉は、竜刻の影響でしょうか、何か不思議なものを――そう、例えば人の心や、ぼんやりとした未来の光景などを、時折垣間見せてくれるのだそうです」
 竜刻の宿る不思議な泉を、竜刻を掘り起こすことで失わせず、そのまま留め置いた古代の賢王の思惑は誰にも判らない。
 しかし、そのお陰で、小さな竜刻は未だ誰の手にも渡ることなく、静かに見い出される日を待っている。
「森にも山にも、ヴォロスの住民たちの集落は存在しないようですので、そういう意味でのトラブルが起きることはないでしょう。ただ、森や山には、獰猛な野生の獣や、ヒトに慣れぬ魔獣や幻獣がいることが予想されますから、十二分に準備をし、注意をしてください」
 決して、安全な、快適な旅ではない。
 リベルはそれを言葉の内外に滲ませながら淡々と説明を続け、それから、と更に言を継ぐと、
「竜刻の回収についてですが、恐らく、泉内部の何かと同化、もしくは何かに埋まっているのではないかと思われますので、現場に到着次第泉の中を捜索していただけますか。回収自体は、手作業でもまったく問題ないはずです」
 そう言ってから、話を締め括った。
「それでは、どうぞよろしくお願いします。くれぐれも、お気をつけて」

 すさまじいまでに壮大な竜刻の大地での冒険。
 竜の残した力の欠片を求めて、ロストナンバーたちの旅が始まる。

管理番号 b10
担当ライター 黒洲カラ
ライターコメント 皆さん今日は、初めまして。黒洲(くろす)カラと申します。
実は銀幕市からの継続ですが、ロストレイルでは心機一転、名前を変えて活動させていただいています。

血湧き肉踊る戦闘シーンや、打って変わった賑やかな日常、食卓の風景、人と人の絆、心の在りようなどを描くのが大好きです。このようなキィワードをお好みの方は、どうぞよろしくしてやってくださいませ。

さて、シナリオに関してですが、今回は竜刻の大地ヴォロスにて、竜刻回収冒険旅行へと向かうロストレイルをご案内させていただきたく思います。

深い森を超え、峻厳なる奇峰を超えて、清らかな泉に眠る竜刻を回収してください。途中、地形による障害や、獣たちの襲撃など、様々な困難が予想されますので、どうぞお気をつけ下さいませ。

そして、竜刻の眠るこの泉、行動によっては、参加者さんの過去や未来など、漠然とした映像が映し出されることがあるようです。見てみたい光景がおありでしたら、キィワードとして示していただければ、状況に応じて反映させていただきます(ただし、必ずではありません)。

それでは、皆さんのおいでをお待ちしております。

参加者一覧
理星(cmwz5682)
ポポキ(ctee8580)
ツィツィア(cxwc6218)
ウーヴェ・ギルマン(cfst4502)
ミレーヌ・シャロン(cyef2819)

ノベル


 1.悠久の青

 見渡す限り、視界の隅々までが、瑞々しい生命力に満ちた世界だった。
 胸の奥に迫る、鮮やかすぎる青をたたえた空と、多様な生命を内包して輝く森と、己が偉容を誇るかのようにそびえ立つ白い山々が、一分の狂いもなく調和した、神々しくすらある光景だった。
「うっわー、すっげー!!」
 歓声を上げたのは理星(りしょう)だ。
「何もかもが輝いて見える。世界中に、いのちのエネルギーがたくさんたくさんあるのが判る……!」
 感嘆に白銀の目を輝かせる理星の、背に負った、広げると五メートルにもなる翼が、彼の内心を表すかのように大きく揺れている。
「オイラの故郷は寒いところだったから……こんな大量の水気を含んだ緑は初めてにゃ。むせ返るような、って、きっとこういうことを言うのにゃ」
 理星の隣で空を見上げ、鼻と髭をひくひくと動かして大気の匂いを嗅ぐのは、猫獣人ポポキ。
「森が、まるで緑の雫を滴らせているようなのにゃ。胸の奥がすーっとする感じにゃ」
 お弁当を詰め込んできたと言う大きなリュックサックに、半ば覆い被さられるようになっているが、小柄とは言え誇り高きクムリポ族の戦士である彼にとって、この程度の荷物は大した重荷ではないのだ。
「きっと自分の世界では思いもしなかったような触媒があるのでしょうね。……楽しみです」
 ツィツィアは、長い髪を風に遊ばせながら、目を細めて遠くを眺めやり、この世界の何を燃やせば、どんな色の炎があらわれるのか、と知的好奇心に思わず微笑んだし、
「いやぁ、しかしすごいねぇー。僕の故郷じゃあり得なかった光景だよ。世界って、ホント、色んなところがあるんだなあ」
 ウーヴェ・ギルマンはへらへらと笑いつつ、笑っているはずなのに生気のない、片方だけの目で周囲を見渡していた。
「泉に竜刻がある、ってことは、水に潜らなきゃいけないかも、ってことだよねー」
 彼が背負っているリュックサックには、水の入った水筒と携帯食料、サバイバルナイフやロープ、マッチ、方位磁石、おやつ用の色とりどりのキャンディ、そして下着やズボンの替え、タオルまでが入っている。
 元軍人らしい周到さと言うべきだろう。
「地図って、手に入ったんだっけ?」
 と言うウーヴェに応じたのは、
「こちらに、ムッシュ・ギルマン。……しかし、あまり意味はないかもしれませんよ」
 乳白色の、やわらかなウェーブを描く髪を緩く結わえた、一行の中では唯一の女性、ミレーヌ・シャロンだった。
 ミレーヌの言葉に、ウーヴェが首をかしげる。
「どういうこと?」
 ミレーヌは苦笑して、現地の協力者が用意してくれたという地図を皆の前に広げてみせた。
 その地図を覗き込み、一同、苦笑して頷く。
 何故ならその地図は、『駅』から延々と続く広大な森林と、殊更高さを強調した山脈、そしてその山の頂にある泉の絵が描かれただけの、地図というより子どものスケッチのような代物だったのだ――と言っても、地図の何たるかの判らない理星だけは、図面を興味津々で凝視していたが――。
「なるほどにゃ。人跡未踏って、そういうことなのにゃ」
「眼前のこの光景を見れば、納得も行くというもの」
 ポポキとツィツィアが肩を竦め、
「要するに、このまま真っ直ぐ進んであの山を超えなさい、ということでしょうね。なかなかに道のりは遠そうですが……」
「そうだねえ、大変そうだ。ミレーヌ君の準備は万端かなー?」
「ご安心を。学者と言うのは、こう見えて足腰を鍛えてあるものなのですよ。何せ、あちこち歩きまわるのが仕事のようなものですからね」
 ミレーヌはどこか悪戯っぽい笑顔で男たちを交互に見遣ると、それじゃまあ行こうかー? と、緊張感のない声で言うウーヴェに頷いてみせた。
 風景の美しさに心躍るのも事実だが、彼らの任務は竜刻の回収だ。
 ひとまず、歩き出さないことには始まらない。
「何があるのかな……楽しみだな!」
 理星が無邪気に笑い、初めの一歩を踏み出すと、その隣では、緊張感なく歩き出しつつ鞄を漁ったウーヴェが、色とりどりのキャンディを取り出し、
「うん、僕も早く竜刻が見てみたい。あ、理星君、飴ちゃん要る? おやつに持ってきたんだけど」
「えっ……う、うん、要る。ほしい。……もらっていいの?」
「うん。飴ちゃん食べると元気出るでしょ? しばらく頑張らなきゃいけないからねー」
「あ、うん、ありがとう。ウーヴェさん……いいヒトだ……!」
 いきなり理星を餌付けしていた。
「さて、では行きましょうか。……色々と、珍しいものを採集したいところですね。ポポキ、ミレーヌ、どうぞよろしく」
「こちらこそなのにゃ! お弁当を持って来たから皆で食べるのにゃ」
「こちらこそよろしくお願いします、ツィツィアさん」
 瞳孔が縦に切れた猫のような青眼で周囲を見遣りつつ、ツィツィアはポポキとミレーヌと和やかに挨拶を交わしてから、めいめいのペースで歩き出す。



 2.漆黒の捕食者

 森に入ってから一時間もしないうちに、物騒な気配が周囲をうろつき始めた。
 鬱蒼とした茂み、年経た大樹の陰に隠れるように、肉食と思しき獣の影が視界にもちらちらと映り始める。
「……囲まれたのにゃ」
「そのようです。闖入者はこちらなのですから殺したくはないのですが……」
 小さく呟き、ポポキがトラベルギアであり戦士の証でもあるペレのククリを引き抜くと、ツィツィアは頷いて、身近な位置にあった木の葉を指先で数枚摘み取り、油断なく周囲を見渡した。
「壱番世界にはいなさそうな感じの気配だね?」
 すでに生き甲斐だという鞭を腰から取り外し、この時ばかりは妙に活き活きと――片方だけの目を時折掠めるのは、歯向かう者を痛めつける嗜虐的な光だ――ウーヴェが言い、
「足音はこちらを怯えさせるためにわざと立てていますね。パニックによるこちらの自滅を待っているようです、知能の高い動物です。足跡、影の大きさ、頭の位置などから、羆の一回り大きいサイズの、集団で狩りをする肉食動物だと思われます」
 ミレーヌが、研究者らしい冷静さで、的確に自分が収集したデータとそこからの推測を披露する頃には、低く獰猛な唸り声が聞こえ始めている。
「数は……全部で七頭、かな」
 独白する理星の手の平から、刀身だけで120cm、全長で150cmほどの、凶悪なまでに鋭くありながら驚くほど優美な太刀が姿を現し、彼の手の中に収まる。
「綺麗な剣なのにゃ!」
 ポポキが理星の太刀に見惚れる暇もなく、不意に、視界が開けた。
 深々とわだかまる茂み、姿を隠せそうな木々、そんなものが途切れ、天然の、ちょっとした広場へ踏み込んだことが判る。
 同時に、大地を震わせるような、幾つもの咆哮。
 そして、姿を現す、漆黒の捕食者たち。
 ――つまり、彼らは、追い込まれたのだ。
 少なくとも、獣たちは、そのつもりだっただろう。
「虎と狼の間みたいな感じだねー。あんまり可愛くないなあ」
「そこで可愛さを求めるウーヴェが判らないのにゃ!」
 全長2.5m強、強靭な四肢と凶悪な顎を持つ、ウーヴェの言う通り、虎の剛力と狼の素早さを組み合わせたような獣だった。
 それが、銘々に咆哮する。
 四肢に力が入ったのが、筋肉の緊張から判る。
「おいたしちゃ駄目だよー?」
 普通の人間ならば、数の上でも勝る彼らに抗えず、なすすべもなく胃袋に収まっているところだっただろうが、このロストナンバーたちは『普通』とは若干の開きがあった。
 大きな口から涎を撒き散らしながら飛び掛ってきた獣の爪を軽やかに避け、ウーヴェが揮った鞭が、恐るべき的確さで打ち据える。
 使用者の身体能力が若干上昇する他、電撃まで纏うというトラベルギアに一撃されて、獣は軽々と吹っ飛び、地面に叩きつけられる。ギャン、という悲鳴は、野良犬を彷彿とさせた。
「うわー、すっげー痛そう」
 言いつつ羽をはためかせて空へ飛び上がった理星が、獣の一頭目がけて急降下し、勢いよく体当たりを食らわせた。
 見かけによらず怪力の理星が、恐ろしい速さで空から突っ込んで来たのだ、獣は身構えることも出来ないまま吹き飛ばされ、大木に叩きつけられて、きゅんきゅんと鳴きながら逃げていく。
「お見事」
 わずかな感嘆とともに言ったツィツィアの両手の平で、朱金色の炎が踊る。
「なるほど、この葉はこんな炎を生むのですね……興味深い」
 呟きと同時に解き放たれた鮮やかな炎が、くるくると渦巻きながら枝分かれし、矢のかたちに変化して獣たちに襲いかかる。
 知能が高いとは言え、炎への耐性はないらしく、獣たちが悲鳴めいた咆哮を上げた。
「にゃるほど……やっぱり火は苦手なのにゃ!」
 ポポキが、真っ赤に灼(や)けたペレのククリを一振りし、炎をまとったカマイタチを発生させる。
 幾筋もの熱波が毛皮の端を掠めて行くと、獣たちは泣き喚くような声を立て、毛皮のあちこちを焦がされながら、尻尾を丸めて逃げていった。
 戦いの開始から獣たちの逃亡まで、わずかに数分。
 すぐに、静寂が戻ってくる。
「大自然の中では一瞬の油断が命取りににゃるって教わったけど、無益な殺生を好むわけではないのにゃ」
 ポポキがククリを戻し、
「さあ、さくさく進むのにゃ。先はまだまだ長いにゃ」
 そう言って一行を促す。
 勿論、否やの出るはずもなく、道行は続く。



 3.神の峰

「この石はなんでしょうね……不思議な光沢があります。これも採集して行きましょうか」
「ああ、綺麗な真珠光沢ですね。色合いだけなら雲母のようにも見えますが、単斜晶系ではないようです。結晶の連なり方からして、どうやらこの山は、大半がこの鉱物によって構成されているようですね」
「詳しいんですね、ミレーヌ。貴方は鉱物の学問を?」
「いえ、私は歴史学者です。しかし、それ以外に対する知的好奇心を満たすこともまた、私の命題のひとつですので」
「なるほど。幾つもの知識が重なり合ってこそ意味を持つものを学問と言うのかもしれませんね」
「ああ、それは真理だと思います、ツィツィアさん」
 言葉だけを聞けば、和やかな研究風景だが、
「この状況で学術的な会話が出来てしまうふたりがすごいのにゃー!」
 彼らは現在、とんでもない絶壁の端っこに刻まれた道を、わずかな突起に頼りながら山頂へと進んでいるところだった。
 炎を熾すための触媒を求めるツィツィアと、知的探究心に満ちたミレーヌは、その状況でありながら絶壁の欠片を採取し、それについて議論を交わしている。
 雪こそないものの、風は強いし空気は冷たい。
 50cmに満たない道幅に、突発的な強風は心臓破りの恐ろしさだ。
「おおお、落ちる、落ちるのにゃー! さすがにこの高さから落ちたら猫宙返りも無意味なのにゃー!」
「あっはっは、ポポキ君はなかなか巧いこと言うねー」
「オイラは別に巧いこと言いたいわけじゃにゃいのにゃー!?」
 素晴らしいバランス感覚で絶壁にへばりつきつつ緊張感の欠片もなく笑うウーヴェと、突っ込まざるを得ないポポキ。
「えーと、あの、落ちたら俺が拾い上げるから、多分大丈夫だと思うんだけど……」
 羽を持つ理星はというと、ポポキとウーヴェの荷物を担いで四人の近くを飛びながら、いつでも全員をフォローできるよう身構えている。
「美しい山です。神の山と呼ぶに相応しい。この峻厳さが、竜刻と、予言の泉を護り続けてきたのですね」
「ええ。……未来を見るとは、どういう心地がするものなのでしょうか?」
「ミレーヌ、貴方には、垣間見てみたい未来が? ……いえ、過ぎた問いでした、忘れてください」
「お気になさらず。人からすれば、恐らく、どこにでもあるような願いです。私にとっては、とても大きな、切実な願いですが」
「そうですか……しかし、個人にとっての願いとは、恐らくそういうものなのでしょう」
 ここがどこであるのかを忘れてしまうような、静かで理知的な、ツィツィアとミレーヌの会話。
 ふたりが、互いの抱える何かについて思い至ったであろうことは想像に難くないが、急速に互いの懐に踏み込むようなこともないのは、それぞれの性格のゆえだろう。
 しかし、その前方では、
「ここを登りきったらお弁当、ここを登りきったらお弁当……なのにゃ! これも立派な戦士になるためなのにゃ、頑張るのにゃオイラ!」
「お弁当……いいなあ」
「心配しなくても理星の分もあるのにゃ。黒パンとスモークサーモンとチーズのサンドイッチなのにゃ。それとジンもちょっとだけあるにゃ。腹が減っては戦は出来ないのにゃ!」
「えっホントに? やった、ありがとうポポキ。大丈夫、もしポポキが落っこちても俺が助けるから!」
「ありがとうなのにゃ……でも出来ればまず落っこちたくないのにゃ!」
「まあまあそうびくびくせずに。大丈夫だってポポキ君、落ちたってほんの一瞬のことで苦しむような暇もないよ、この高さなら」
「そういうこと言われるといきなり心が折れそうなのにゃー!」
「あっはっは、ポポキ君は繊細だなあー」
「ウーヴェは多分繊細って言葉の使い方を間違ってるにゃー!!」
 後方とはまったく温度差の違うやり取りが繰り広げられている。
「あっ、皆、あと少しで抜けられるぜ、頑張れー!」
 ポポキの心臓がオーバーヒート方面に振り切れる前に、前方を確認していた理星のそんな声が響いたのは、彼にとってとても幸運なことだっただろう。



 4.白銀なる聖泉、黄金なる望遠

 山頂に辿り着いた瞬間、身を打つ強風が消え、空気の冷たさが消えた。
 鼻腔を、やわらかく温んだ芳しい香りが擽り、全身を、春を思わせる穏やかな大気が包む。
 それが、前方に広がる、不思議な白銀の水をたたえた泉の力によるものだということを、五人全員が理解していた。
 巨木を傍らに従えた泉は、風に揺らめくヴェールのように、表面をやわらかく波打たせながら、静かに佇んでいる。
「綺麗な泉だねー。この中に竜刻があるってことかな? ん、そんなに深くないみたいだ、水に潜る必要はなさそうだねぇ」
 周囲の様子を伺い、危険な気配が存在しないことを確認し、ウーヴェが言うと、お弁当の入った大きな鞄を泉の傍に置き、ポポキも泉を覗き込んだ。
「にゃ、これなら耳に水が入ることもなさそうにゃ。水温も気持ちいい温度にゃし、ざぶざぶ中に入って探せばいいにゃ」
「ん、じゃあ、俺、あっちの方を見てこよう」
「では、自分はあちらを。そうそう、水を少し、採集して行きましょうかね」
「それなら、私は向こうの方を探してみます。……こんなに穏やかな風景なのに、不思議と、心に漣が立ちますね。この感覚は、なんなのでしょう」
 と、銘々に捜索ポイントを決め、泉の心地よさ、空気の芳しさを楽しみながら、竜刻を探し始める。

 ――それは、すぐに始まった。

「……?」
 泉を空から覗き込んでいた理星は、ゆらりと揺らめく白銀の水面に、誰か、自分ではない人物が映っていることに気づいて首を傾げた。
 泉に映っているのは、背の高い、やさしげな青年だった。
「俺……あんたのこと、知ってる気がする……」
 黒髪に、透き通った灰色の、その人の、優しい眼差しを覚えている。
 故郷には、そんな風に見つめてくれるヒトは、いなかった。
 混血が不吉とされる世界で、鬼と天使の血を持って生まれて来た理星に、居場所などなかったから。
 だから、あれは、理星の錯覚か、勘違いか、もしくは夢に違いない。
 けれど、独りが寂しくて泣いていた時、魂に寄り添っていてくれたような、そんな不思議で懐かしい感覚を、青年からは感じる。
「あんたは誰? ……いつか会えるのかな、どこかで?」
 無垢で朴訥な問いに答えるものは、誰もいない。

 ポポキは、岸辺付近の底を覗き込みながら、故郷に思いを馳せていた。
 誰とも知らぬ人物に、唐突に真理に目覚めさせられ、異世界へと放逐された時の衝撃を、今でも覚えている。
 魔物が増え、危険が増した懐かしい故郷を思い、
「今、皆はどうしているのかにゃ」
 皆、と言いつつ、脳裏に浮かぶのは、次の日婚礼を上げるはずだった、婚約者の姿だ。
 とてもとても逢いたい、そう思った瞬間、水面が揺らめいた。
「……!」
 名前を呼ぼうとしたが、言葉がかたちにならない。
 水面の向こうに、彼女の姿が映っている。
 溜め息をついて、窓の外を見つめている彼女は、愁いを帯びた表情以外、何の代わりもなく、健やかそうだった。
 彼女が握り締めているのは婚礼の衣装。テーブルの上には、ポポキが着るはずだった正装が、きちんと畳んで置かれている。
「……絶対に、戻るにゃ」
 胸を締め付ける、愛しい思いに、ポポキは誓いを強くする。
 だから、待っていてほしい、と。

 ツィツィアは、泉の縁を注意しながら一周しつつ、葉の生い茂る大樹を観察していた。
「大きな樹ですね……これを燃やしたら、どんな色の炎になるのでしょうか?」
 少々物騒なことを呟き、竜刻は見つからなかったので頭を巡らせて泉に視線を戻す。
「未来、か……」
 それはどういうものだろう、と思いながら、泉を覗き込む。
 と、水面が揺らめき、
「……?」
 ツィツィアが首を傾げる間に、鮮やかで神秘的な『色』を、彼の視界一面に映し出した。
「これは……」
 それを、何色と表現すればいいのか、彼には判らなかった。
 あまりにも美しく神々しい『色』だった。
「あれを見つけろと……そういうことなのでしょうか?」
 答えを寄越すものはなかったが、それが真理のように感じられ、彼は静かに微笑んだ。

「……モニカ」
 泉に映し出されたのは、故郷にある妻の墓だった。
 家に侵入してきた凶悪な強盗によって喪われた、最愛の妻モニカと、彼女が孕んでいた新しい――新しく誕生するはずだった命の墓だ。
 彼女を強く思い出す、もしかしたら魂で触れ合えているのかもしれないと錯覚する場所だ。
「いつか……還る日が、来るのかな」
 静かに、ひっそりと佇む妻の墓標に、愛しい人と再会出来たような喜びと、しかしもう二度と逢えないのだと言う哀しみとが同時に押し寄せて、ウーヴェはひとり、押し黙る。

「私の、望むものは……見えるのでしょうか」
 ミレーヌは、ステッキの持ち手を撫でながら泉を見つめていた。
 水面に浮かんでは消えるのは、彼女よりも先に世界と書の関係を調べていた師の姿だ。
 誰よりも敬愛する人の、懐かしい姿だ。
「師よ……」
 世界の闇に関わる謎を巡って、師も、彼女も、長い間研究を続けていた。
 同じ研究の結果、ミレーヌが世界の外へと放逐されたのだとしたら、師もまた、同じように、世界を巡っているのかもしれない、と、思う。
 それはつまり、ミレーヌが旅を続けていれば、いつか再会できるかもしれない、ということだ。
「私は、もう一度、あなたに会うことが出来ますか」
 ミレーヌが、強い祈りを込めてそう呟いた時、また水面がゆらりと揺らめいて、
「……!」
 見たこともない風景の中を行く、昔と寸分違わぬ師の姿を、ほんの一瞬、映し出した――……ような、気がした。
 映像はすぐに消えてしまったが、もしかしたらそれはミレーヌの願望が招いた錯覚なのかもしれなかったが、彼女にとっては、充分だった。



 気づけば、皆、いつの間にか、裸足で、泉の真ん中に立っていた。
 円になった五人の足元で、大きな白い石のくぼみに半ば埋まるようにして、磨き抜かれた水晶の柱のような、純粋な氷の結晶のような、蜻蛉の翅を幾重にも重ねたような、不思議な風合いを持った塊が、ホタルを思わせるやわらかい光を放っている。
 手を伸ばし、触れると、脳裏を懐かしい記憶が駆け抜けていく。
「これが……竜刻……?」
 その塊を水の中から掬い上げたのは、ウーヴェだった。
「これが……ヴォロス」
 ツィツィアは大樹を見上げて目を細め、
「これが、世界を旅する、ということなのかにゃ……」
 ポポキが独白し、
「じゃあ……これが、ロストナンバーのあり方?」
 理星は空を遠く振り仰ぐ。
 そして、
「ならば、これが……私たちの運命、ということ……」
 ミレーヌの静かな呟きは、まさに神託のような風合いを宿して、響いた。

 そう、まるで、これからの彼らを導くように。
 ――これから続いてゆく、連綿たる旅路を予言するかのように。

クリエイターコメント 改めまして、今日は。
βシナリオへのご参加、ありがとうございました。

雄大なる竜刻の大地ヴォロスにおける初めの冒険を、PCさんたちの『らしさ』を大切にしつつ書かせていただいたつもりですが、いかがでしたでしょうか。PCさんたち同士の新しい関わり、それぞれが抱いている様々な思いなど、これからの旅路を思わせる何かを描けていれば、幸いです。

ともあれ、大変楽しく、時に微笑ましく、時に頼もしく、皆さんの小旅行を書かせていただきました。どうもありがとうございました。
また、次の機会に、お会いできれば幸いです。

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螺旋特急ロストレイル

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