オープニング


 狐は必死に駆けた。
 自分の命を刈り取るべく、何かが追って来る気配を十分に感じながら、走り続けた。
 通り雨を避けようと迷い込んだ洞窟。それこそが正しく狐の不運であった。
 ひゅっ――
 突然、高く暗然とした天井から黒い塊が降って来たかと思うと、狐はバランスを崩して転倒した。冷たい岩壁に嫌という程、背中を強打する。
 ほんの僅かに生じた隙をも突かれれば、体制を立て直す間も、まして断末魔を上げる間もあろうはずがない。ここぞとばかりに四方八方から気味の悪い小さな影が狐へと群がった。
 力を持たぬ哀れな獲物は、血飛沫を飛び散らせ、一瞬にして絶命していたのである。
 『奴等』は洞穴の守護者などという自意識過剰な使命を全うするために、ではなく、単に本能の赴くまま、肉を喰らい、鮮血を啜り上げる。
 そうして食事を終えると、再び闇へ姿を消した。

「集まってくれて、どうも有り難う」
 北海道遠征が終了したのも束の間、何でも『導きの書』に新たな導が示されたのだと言うエミリエ・ミイの呼び掛けにより集ったロストナンバー達。その面々を満足そうに見回すと、では早速とばかりに彼女は慣れた様子で手中の書物を開いた。
「皆にはヴォロスに向かって、竜刻を回収して来て欲しいんだ」
 現地の者ですら寄り付かぬ緑深き山麓、そこにひっそりと口を開ける洞窟こそが、今回の舞台であると彼女は告げる。
「洞窟の中はちょっぴり深いんだけど、小動物が通れる程度の幾つかの横穴を除けば一本道だから、迷う心配はないよ」
 但し、当然のことながら洞窟の中は真っ暗で、人工的な光源等は皆無である。
「何より曲者なのは、そこに住み着いている蝙蝠や鼠達なんだ」
 『導きの書』をはぐりながら、世界司書の少女は小さく眉を寄せる。
 敵は暗闇で瞳を光らせつつ、問答無用で襲ってくるようだ。鋭利な爪や牙で引っ掻く、噛み付くといった腕に覚えのある者であれば、然程苦戦することはないであろう攻撃に対しても、
「兎に角、すばしこいから油断しちゃ駄目だよ。不意打ちにも注意して」
 と、慎重に釘をさす。
「それと肝心の竜刻はね、洞窟の一番奥にあるみたい」
 少し開けた場所に小さな泉が湧き出ており、底を覗き込めば仄かに輝く光を認められることだろう。後はそれを掬い上げれば良い。
 尤も、湧き水の影響により、目的地に近付くに連れ、足元が滑り易くなるだろうから、相応の対策を講じる必要はあるのだが。
「どんなに小さな竜刻でも、放って置けないもんね」
 微々たる魔力なれど、時としてそれは不測の事態を巻き起こすもの。
 軽い音と共に『導きの書』を閉じると、今度はゆっくりと全員の瞳を覗き込む。
「皆の冒険談、楽しみにしているよ。気を付けて行ってらっしゃい!」
 ぺこんと頭を下げ、エミリエは人懐っこい笑顔を向けたのであった。

管理番号 b11
担当ライター あさみ六華
ライターコメント  初めまして。もしくはお久し振りです。あさみ六華(―・りっか)と申します。
 自然美溢れる描写や、何よりも熱く深い想いを好む傾向にありますが、過去を振り返ればシリアス+バトル物が多かったように思います。
 ご縁がありましたら、宜しくお願い致します。

 さて、今回の舞台は、緑豊かなヴォロスの山麓に位置する洞窟。
 途中、襲い来る敵を倒しながら、竜刻を目指しましょう。

 補足として。
 洞窟内の道幅は、4メートル程度。複数で思い切り立ち回るに足る広さではありません。OPに記された条件も加味して、様々な工夫を凝らしてみて下さいませ。
 その他、PC様の想いや台詞等ありましたら、お書き添えいただければと思います。

 それでは、ご参加お待ちしております。

参加者一覧
真朱(crrz7671)
ディーナ・ティモネン(cnuc9362)
レヴィ・エルウッド(cdcn8657)
ルオン・フィーリム(cbuh3530)
マルーシャ(cmyt9071)

ノベル


●冒険の幕開け
 注がれる銀の陽光を掌で遮りながら天を仰げば、冬の空は柔らかな青に染まり、凍てつく銀世界を尚一層際立たせる。
 白雪で覆われた雄大な山々は、まるで緻密に仕上げられた芸術作品のようだ。眼前に広がる光景など現実味を帯びていない風に映るのに、舞い上がった息の白さが妙にリアルで、自分達は間違いなく異世界に降り立ったのだと認識させられた。
 0世界では感じえぬ時の流れ――四季というものが、ここでははっきりと五感に刻まれる。ヴォロスとは詰まり、そういう世界なのである。
 巨木の梢から滑り落ちる雪の音を背に聞きながら、件の洞窟に踏み込んだ竜人のルオン・フィーリムが大きな瞳を瞬かせる。
「ロストナンバーになって初めての冒険だから、心底ちょっと緊張しちゃうなー」
 台詞とは裏腹に口調は頗る明るく、額の角に雷の魔力を纏わせ光源を生み出した。
「貴重な体験になりそうですね」
 彼女の言に相槌を打ち、穏やかな笑みを湛える真朱(まそお)。人目を惹く程に麗しき佇まいのその人物は、ペンダントランプの灯火に光の術を上掛けして輝きを増幅させると、竜刻までの道のりを皆で力を合わせることが出来たなら、それはとても素敵だろうと素直な心情を吐露する。
 2人の遣り取りを横目に、レヴィ・エルウッドも魔法で拵えた光の球を自らの頭上に飛ばす。暗闇でも目の利く彼にとって、暗中の明かりは視界確保のためではなく、味方への目印としての意味合いが強い。洞窟内の冷気に眠りを誘われつつ、活動に支障が出ないようにと気を引き締めた。
「んー。サングラス外すの、久し振りかも」
 これまでの道中、一度も取り外すことのなかったサングラスを頭上にくいっと持ち上げると、ディーナ・ティモネンの上品な紫色の瞳が露になった。闇夜であろうと昼間同様に周囲を見分ける暗視能力はレヴィとは異なり、常にサングラスを必要とする程強力なものなのだが、ここでは力を解放出来ることが嬉しいようだ。滑り止め対策にと装備して来た軽登山靴の靴紐をしっかり結び、気合もやる気も十分といった所か。
「竜刻とやらを持ち帰れば良いようだが……」
 ディーナの背後より、淡々とした声音が響く。
「その魔力は敵の凶暴性と関係しておるのだろうか?」
 小首を傾げるはオレンジのダッフルコートを羽織った鼠獣人のマルーシャ。小動物らしいキュートな仕草に、銀の美髪がさらさらと揺れた。
 そもそも竜刻とは、古に滅びし竜の存在の残滓。確かにこの世界に在ったという魂の名残りである。今回目指す竜刻の大きさこそ小さなものであるが、既に土地や生物へ何らかの異変を引き起こしていたとしても、決して可笑しくないのだ。ならば、一刻も早い回収が望まれるだろう。
 戦わねばならぬ相手とはいえ、洞窟の住人達もまた、被害者なのかもしれない。

●闇に潜むは
「暗視がある。得物が小さい。取り敢えず滑り止め対策もして来た。肉弾戦しか出来ない。……ほら、一番手なら私がピッタリ!」
 確固たる自信の持ち主というより、寧ろ微妙に自嘲的な主張と共に進み出るディーナであったが、光を直視出来ないという弱点を考慮するならば、彼女が先行でなければならなかった。
「私は後方でも良いでしょうか?」
 長身の自分が前に出ては邪魔になりかねないと控えめに付け加える真朱へ、密かに先頭付近の位置取りを考えていたレヴィが首を横にを振った。
「殿(しんがり)なら、僕が務めますよ」
 背後からの奇襲は最前列での戦闘と同等か、場合に寄ってはそれ以上に高度な感覚と技術が要求される。
 無論、初対面とはいえ真朱の能力を侮っているわけではない。ただ、このように繊細にして可憐な容姿の者が傷付く位ならば、己が率先して盾になるべきではあるまいか。
 真摯な眼差し程、純粋な想いは滲み易い。レヴィの心情を余すことなく汲み取った真朱が、花開くように笑う。
「ふふ……私は一応、男なのですよ」
「ええっ!? す、すみません。僕、てっきり……」
 女性だと勘違いしていました、という言葉を飲み込みつつ、やっちゃった感全開で巻き毛を揺らし慌てふためく様子は、普段理性的なレヴィ少年の健全な姿であろう。あまつさえ白い頬を薄らとピンク色に染めてみるも歳相応。
「何にせよ、身を案じて下さったその想いは尊いものに違いないのですから」
 真朱が笑みを益々深めて、気に病むことはないのだと、やんわり紡ぐ。
 結局、ディーナ、ルオン、マルーシャの近距離攻撃系の前衛組みにレヴィが続き、最後尾を真朱が務める。
 纏わり付くのは、湿り気を存分に孕んだ空気ばかりではなかった。先程より、得体の知れぬ鋭利な殺気、しかも複数のそれが一同を絶え間なく取り巻いている気がしてならない。口にこそ出さないが、息苦しさを感じているのは皆同様であった。
 天井や無数の横穴に光源を翳し、光の行き届かない部分にはディーナとレヴィがくまなく視線を巡らせている。見落とすことなきようにと、歩行速度は十分に抑えられていた。
 けれども、
「進んだ途端、こうバサバサーッて来るのかと思ったけど……何にも起こらないね」
 やや拍子抜けの感が否めないルオンは、幼子が拗ねるように口を尖らせてみせる。
 気配はある。しかし、現段階でこれといった異変もない。
「油断は禁物であろう。形を潜めて、こちらの隙を窺っているのやも知れぬ」
 微かな物音をも聞き漏らすまいと、マルーシャの丸い耳がひくひく動く。
 鉾を杖代わりに注意深く進むレヴィは先とは打って変わり、波風なき水面が如く平静を保っていた。地下都市出身の彼は、洞窟特有の闇や閉塞感、その他諸々の雰囲気には慣れたもので、集中力を欠く要因などあろうはずもない。
 沈黙のままに、ただ感覚を研ぎ澄ますは真朱。携えた光が岩壁に人数分の濃い影を生み落としているその様が、執拗に追い縋る生物のようにも見えるのだった。奇妙な心持ちとなるのは場所柄か、それとも竜刻の魔力か。
 と、その刹那、影が大きく揺らめく――。
「危ない!!」
 彼の鋭い一声が皆の耳朶を打った。

●阻む者達
 横穴から唐突に飛び出した黒い小さな塊が、標的の喉笛を掻き切らんと牙を剥く。が、卒のない滑らかな動きで鉄扇を振り下ろすマルーシャが、僅差の先手勝ち。傭兵という職業柄なのか、思考するよりも先に体が動く、そんな一閃であった。
「狭い場所で立ち回るのには慣れておる。私もそなた同様、鼠だからな」
 足元に叩き付けられたものへ光を向けると、なるほど掌より一回り大きな鼠が四肢を痙攣させて横たわっている。
「真ん中から来るなんて反則だよっ!」
 顔を顰める竜人の娘へ、先頭のディーナから声が掛かる。
「ルオン、安心してちょうだい。こっちからもお出ましよ」
 冗談めいた口振りなれど、乾いた笑いに幾分緊張感を混ぜて。
 前方に視線を投げるも、明かりに照らされ、浮かび上がるものなど何もない。
 否、闇に同化していて分かり難いのだが、よくよく見ればどす黒く凝ったものが天井から落下するように飛来した。正しく蝙蝠の群れだ。
 闇の翼の民であるレヴィにとって、蝙蝠は非常に親しい存在である。そのため、彼らとの戦闘は端から気が進まなかった。勿論、これは仕事と割り切って参加しているのだから、自分の成すべき行いに手を抜くつもりはない。しかし、地理的に全力戦闘が困難であるという理由以外にも、出来れば必要最低限の攻撃に留め、相手を傷付けたくないという想いが強かったのだ。
 振るう力は護るための術。翳した手から見えぬ力が放たれれば、幾匹もの蝙蝠がばさばさと地へ落ちた。麻痺の魔法である。
 だが、相手はこれで引き下がる程に高い知能の持ち主ではない。レヴィの蝙蝠との意思疎通能力も、ここでは無意味に思われた。獲物をなぶり殺す快楽に溺れてしまった魔性が如き本能は、尋常ではなかったのだ。ならば、次の手として考えていた威嚇の炎魔法も、気休め程度の効果しか齎さないだろう。
 一方、暗闇に棲む相手だからこそ、光による目眩ましが有効なのではないかと、視覚を奪う術で応戦する真朱。確かに彼の思惑通り、一瞬は怯むも、敵はすぐさま寄り集まって来る。元々、蝙蝠とは視覚の鈍い分、超音波を駆使して闇を飛び回る生き物。残念ながら、目眩ましでは然程のダメージを与えられないのだ。
 蠢く者達の容赦なき刃が、真朱へ襲い掛かる。術の発動も、トラベルギアも間に合わない。
 やられる!
 ――寸での所で、風を裂き旋回したマルーシャが弾き飛ばした。
 戦闘が長引けば、体力を大幅に削られてしまうだろう。竜刻までの距離が不明な分、このような場でスタミナ切れだけは避けたい所。しかし、
「これじゃ、切りがないわ!」
 柔肌を裂かんと迫り来る暗黒の使者へは片手で頭を庇い、身を低くして駆け抜けるディーナ。そのまま、スライディングで横穴より這い出た鼠の牙攻撃を回避。サバイバルナイフを逆手に持つと、振り向き様に大きく弧を描いた。生々しい手応えと共に一匹の蝙蝠が降って来る。更に一振り、返しの二振りと刀身を閃かせるも、力任せでは敵を屠るまでの深手に至らず。
「くぅ、この! アンタ達食べ物に食べられてたまるかぁっ!!」
「……ディーナってば、アレ食べるんだ……」
 あまりにもショッキングな叫びに、戦闘中であることも忘れ、思わず仰け反るルオン。万が一美味であったとしても、眼前の彼奴らを食するにはかなり抵抗があるのだが。いやそれ以前に、もしや彼女、マルーシャをも食物として捉えているのか……あな恐ろしや。
 因みに蝙蝠愛好家のレヴィの耳に入ったならば、間違いなく由々しき事態へ発展していただろうが、生憎、彼は自分の攻撃に集中していたため害は免れた。
 手負いの獣らは狂ったように益々群がって来、ルオンは思うように攻撃を繰り出せずにいた。ましてリーチの長い槍では、突き攻撃のみに制限したとしても闇雲に手出しすれば、仲間の負傷や洞窟崩落の危険性にも繋がる。
「あーっ、もうっ! 次から次へとこっち来ないでぇっ!」
 と瞬間、空を切る音が耳元で聞こえ、次いで頬に冷たいものが走った。それはすぐに生暖かさへと変わる。違和感よりも先に痛みが生じ、何事と咄嗟に手の甲で拭えば、薄い血色が見て取れた。
「……ひぇぁぁっ!!」
 擦れた悲鳴。乙女の名において、断じて奇声ではない。
 嫁入り前の娘の体、しかも顔に傷を付けるとは、許すまじ! 戦慄くルオンの女子魂に火が付いた。睨み付けるだけで、軽く5匹は仕留められそうな目線を無差別に発射しながら、電撃を絡めた拳で思いっ切り殴り付ける。
「ゴメンねっ。あたし達も引き下がるつもりはないの」
 突き出される攻撃は、予測不能の敵の動きを確実に仕留めた。何て空恐ろしい……いやいや、前途有望な娘さんであることか。
 敵味方入り乱れての混戦が続く。
 小回りの利くマルーシャが恐ろしく冴えた手捌きで蝙蝠を蹴散らして、彼女の腕に噛み付いた鼠へはレヴィが氷漬けの魔法でフォローする。ディーナとルオンは洞窟中に悲鳴を反響させながらも、なかなかに勇ましい姿を披露していた。
 誰もが戦うことで齎される鈍い痛みに抗って、武器を握っているのだ。そしてそれは、ロストナンバーであり続ける限り、続いて行くものなのだろう。逡巡の暇はないのだと、真朱は覚悟する。
「あまり命を奪いたくはないですけれど……」
 深い慈悲を注ぐ対象としては、あまりにも適合性を欠いている。
 溜息を吐くように零すと、決意に唇を固く結んで夜桜柄の番傘を構えた。動きを制限される洞窟内故に所作こそ小ぢんまりとしたものだが、独特の舞にも似た妙技そのものは風雅にして美麗。描かれた光の軌跡が瞬時にして花吹雪へと変貌する。
 桜が万人に愛でられる理由の一つは、散り際の潔さにある。ならば、切なく儚く果てて逝け。
「ごめんなさい」
 花弁は艶やかな囁きを掻き消すかの如く、ごうと舞い踊り、断末魔を上げる間もなく敵の命を絡め取った。触れれば忽ちにして切り裂く死の花が乱れ降る。
 残ったものは、肉裂かれ、血飛沫飛び散らせた闇の使者達の骸であった。

 喧騒の引いた後には、以前変わらぬ冷気が満たされている。遥か遠くで羽音が響いて来るものの、あの重苦しい殺気はもう感じられなかった。
 真朱がルオンの傷を丁寧に癒す傍らで、ディーナが周囲をぐるりと見回す。視界に入る限りでは、既に敵の存在はない。殲滅とはいえないまでも、取り敢えず脅威は去ったのだ。
 安堵の色が、場に広がる。
 そこから少し離れた所では、人目に付かぬよう小さな亡骸を一箇所に集め、ひっそりと黙祷を捧げるレヴィの姿があった。せめて魂だけは在るべき場所へ還れるようにと。

●覚醒の刻
 更に歩みを進める一行の足音は、水音を交えたものとなっている。世界司書の「竜刻は泉の中にある」という言葉を信じれば、目的地が近い証拠だ。
「こんなとこで襲われたくないものだわ」
 レヴィの張った補助用ロープを握り締めながら、水底の滑りに足を取られぬようにと、慎重に進むディーナがふと仰ぐ。いつしか、暗視も光源も届かぬ程度に天井が高い。
 頭上ではレヴィが羽ばたきながら、敵の襲来に目を光らせていた。いざとなれば、彼は牽制役に回らねばならないのだろうが、靴を真冬の冷水に濡らさずとも良い分、正直羨ましい。
「ひゃーっ! もう駄目、動けないっ!!」
 敵に襲われた時よりも数十倍盛大な絶叫が、皆の鼓膜を振るわせる。メンバーの中で唯一具体的な滑り止め対策を施していないルオンがロープにしがみ付き、進むことも退くことも出来ずにいたのだ。
「ルオンよ、所詮最後は根性だ。闘魂だ。そなたの魂を見せ付けるが良い」
「いや、あの、『見せ付けるが良い』とか言われても……」
 根性で人生何とかなったら、世の中の大抵の物事はすんなり行っちゃいますから、と内心突っ込みつつ、半眼でマルーシャに一瞥をくれた。
 当の女傭兵殿といえば、恨みがましい視線をさらっと受け流し、手足の滑り止めになるひだを巧みに利用して、すたすた歩いて行ってしまう。しかも、ロープすら使わずに。
「……いいもん。独りで頑張るもん」
 しかし現実とは無情なもので、本人のやる気に反して、踏み出した途端、大きくバランスを崩してしまう。弾みでロープを握る手を離してしまったものだから、尚、救われない。スカートの裾から覗く白と水色の爽やか系ストライプパンツを派手に露出させながら、前のめりに素っ転ぶ――と思いきや、何と、すれすれで体がふわりと浮き上がったではないか。真朱の風術によるものだ。
「この一帯は苔が非常に繁殖しているようですから、お気を付け下さいね」
「あ、ありがと……」
 捲れ上がったスカートを直すことすら儘ならぬサービスショットで、にこやかな真朱へ短く礼を述べる。
 彼に悪気はない。他意もない。何より顔面強打やずぶ濡れを辛うじて避けられたのだ。パンチラ程度で済んで良かった……はず。

 一行が目指した最奥部には、円形の部屋のような空間が広がっていた。その中心に大人の胸まであるかないか程に岩が突起している。宛ら自然が形作った壇といった所か。近付いて見ると、岩の上部は器のように丸く窪んでおり、清水はそこから滾々と湧き出でていた。どことなく儀式的な装置を彷彿させるが、今や真実を確かめる術はない。
 竜刻は宝石とも紛う柔らかな金色(こんじき)の光を室内に鏤めながら、泉の中で微睡んでいるかのよう。誰ともなく感嘆の溜息が漏れる。
「綺麗……」
 再びサングラスを装着したディーナの細い指先が、無意識の内に水面をなぞるも、慌てて手を引っ込めた。泉に何か細工でも施されていたのかと訝しがる真朱へは、そうではないの、とゆるりと首を横に振る。
「私は、ここに来られただけで充分楽しかったから」
 はにかみにも似た微笑を浮かべ、遠慮がちに目を逸らす。先程湧水に触れた手をそっと胸に当てて。
 彼女の瞳の奥に含まれた憂いを垣間見た気がして、レヴィは慌てて俯いた。罪悪感が心にちくりと突き刺さる。
 彼女は竜刻を掬い上げなかったのではない。そうすることが出来なかったのではなかろうか。
 何故?
 分からない。分からないけれど、片手に収まってしまうような、あんなちっぽけな欠片でも生物を狂わせ、国家を存亡の危機に陥れる代物なのだ。例えば唐突に畏怖の念を抱いたとしても、それは酷く自然な心の在り様といえる。
 思惟に奪われた意識を戻せば、今度はディーナに代わってルオンが泉に手を浸していた。ひんやりとした水温は掌の熱を急速に奪って行く。だが、それも苦にならぬ程、彼女の全身は熱いもので満たされていた。
「これが竜刻……。何だか不思議な雰囲気だなぁ」
 長きに渡り眠り続けた古の記憶、その覚醒であった。
 心が吸い込まれてしまいそうな彩りだけは、どうしても直視する自信がなかったけれども、全員が力を合わせた末の結果なのだと思えばこそ、掴む手に力が篭められる。
 と、竜刻を掬った途端、今し方まで湧いていた泉の流れが段々と緩やかになり、遂には止まってしまった。
「これも竜刻の魔力であったか……」
 今はもう水鏡でしかない窪みにマルーシャの表情が揺れる。入手した竜刻を元に戻すべきかと、ルオンがおろおろし始めると、
「これは元々ここにあった物。けれど、あってはならぬ物。我々が洞窟を訪れ、回収するもまた、然るべき定め。全ては偶然の必然が重なり合ったに過ぎません」
 戸惑う心を包み込むように、真朱がゆっくりと諭す。確かな言の葉に勇気付けられながら、竜刻をハンカチで包み仕舞うと、ルオンは長く深い息を吐いた。初めての冒険を終え、張り詰めていたものが切れたのだろう。
 無論、心地好い脱力感を存分に味わう間などあるはずもなく、
「まだ終わってはいないぞ。0世界に戻り、今回の成果を報告するまでが依頼だからな」
 家に帰るまでが遠足だと豪語する引率の先生のような口振りで、マルーシャがわざと気難しそうに眉を寄せる。
 おまけに来た道を引き返さねばならないのだから、
「もっと物凄い敵が出て来ないとも限らぬだろう」
「も、物凄い敵って……?」
「ルオンを丸呑みに出来る位大きなお化け蝙蝠か、はたまたルオンを頭からばりばり齧る程度に闘争心剥き出しの凶暴鼠か……」
「何であたしだけターゲットになるわけ?」
「それはルオン様が種族の壁はおろか、世界の隔たりをも超えて愛される心身の持ち主だからでしょう」
「てへっ。それ程でも……って、ちっとも嬉しくなーい!」
 両手で頭を抱え、唸るルオンの横では、マルーシャと真朱が彼女の溢れんばかりの魅力について議論を繰り広げている。2人共、顔付きは至極真面目なのに目が笑ってるんですけど。
 既知の騒ぎをぼんやり眺めながら、嗚呼そういえば、とディーナは今更のように思い出す。ヴォロスに降り立った時から、早く世界に帰属したいと願っていた。胸ときめく冒険が嫌いなわけではない。ただ、せめて行く道の終着駅は自分が居た世界ではない、全く別の安住の地であって欲しいのだ、と。
 でも、結論を出すには恐らく時期尚早だったのかもしれない。旅はまだ、始まったばかりなのだから。
「さ、早く帰りましょ」
 零れる笑みの鮮やかさと同じ位、きっと未来は明るいはず。

 今はもう無き悠久の流れ。栄枯盛衰ともいうべきその痕跡を見遣り、レヴィは独り目を伏せる。
 主を失った部屋は酷く殺風景であったが、同時に過去の束縛から解放され、ようやっと真の眠りへと落ちて行くことが出来るのだろう。祈りを捧げるならば、これより幾年先も平穏の刻がこの地を守護するように。
 さようなら。そして、おやすみなさい。
 淡い微笑を口元に乗せて、彼は帰路に着くロストナンバー達の後を追った。

 Fin.

クリエイターコメント  この度は当βシナリオへのご参加、誠に有り難うございました。そして、お疲れ様でした。

 どなた様のプレイングからも筆者の意図した以上に深く思慮し、想いを詰め込んでいただいたのだという一生懸命さがひしひしと伝わってまいりました。重ねて御礼申し上げます。
 残念ながら、全てを採用することは出来ませんでしたが、皆様の熱意によって紡ぎ上げられた物語、少しでもご満足いただけましたら幸いです。

 それでは、再びお会いできますことを願って。

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螺旋特急ロストレイル

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