オープニング


「んーと、ね。今日集まってもらったのは――」
 あどけない少女そのものの口調で言い、エミリエ・ミイは『導きの書』をめくる。
「ヴォロスって知ってる? そ、“竜刻の大地”。そこに行って竜刻を発掘してきてほしいの。あ、発掘って言ってもそんなに大がかりな作業にはならない筈だよ。木の根っこに埋まってるの。普通の道具で根元を掘り返せば大丈夫だと思う。それと現地の人たちの集落からはだいぶ離れてるし、そっち方面のトラブルは心配しないでね」
 ロストレイルが停車する駅から遠く離れた未開の地、現地の住人すら足を踏み入れぬ深き森。その最奥に小さな遺跡が佇んでいるという。
「その遺跡の中庭に生えてる木の根元に小さな竜刻が埋まってるみたいなの。竜刻に宿ってる魔力もそんなに強くはないみたいなんだけど……ただね、あのね」
 大粒の瞳いっぱいに好奇心を浮かべ、エミリエは無邪気に首をかしげた。
「その木にはね、すっごく綺麗なお花が咲いてるんだって。桜――壱番世界の日本っていう国の名物なんだけど――に似たお花なんだって」
 壱番世界の桜は通常は春に咲くものだ。だが、根元に眠る竜刻の力なのか、遺跡の木は遥か昔から花を咲かせ続けているのだとか。
「森には昔、獣人が治める国があったの。王族である獣人が獣たちを統率してたんだって。遺跡はその名残だって言われてる。今は獣人たちはいないけど、獣は残ってるみたいだから一応気を付けてね。ただの野生動物だし、そんなに心配ないとは思うけど」
 エミリエは手元の書を閉じ、幼い顔ににっこりと笑みを咲かせた。
「ついでにお花を見物して来てもいいと思うよ。帰って来たら素敵なお話聞かせてね!」


 幾年経たのか、もはや数える者もない。昼間でも日の差さぬ深い森に抱かれるようにしてその遺跡は佇んでいる。
 ひんやりとした石造りの遺跡だ。緻密に組み上げられた石は主を喪って尚堅牢さを誇っている。しかしその入口は無防備に開かれ、今は門番すら見当たらぬ。
 門をくぐり、森より暗い回廊を進めば、やがて吹き抜けの中庭が出迎える。
 遺跡の中央に位置するそれはかつては儀式の場であったようだ。竜刻の力による神事めいた性質のものだったのかも知れないが、語る者のない今となってはすべてが憶測にすぎない。
 土の上に幾何学的に配置された石片。その中央に凛と佇む華奢な木。その枝いっぱいに咲き誇る、淡い色の、しかし切ないまでに美しい花。
 それにしても、ああ、どういうわけなのだろう。昼間でも暗い筈の森にあって、この中庭の上だけに惜しげもなく太陽の光が注がれているではないか。
 その光景は神聖で、神秘的ですらあった。森全体がこの中庭を、あるいはこの花を祝福しているかのようであった。
 此処にいかなる国が在ったのか、いかにして国が亡びたのか、今はもう知る者はない。
 残っているのは朽ちることすらできぬ遺跡と散ることすらできぬ花、そして獣人よりも遥かに愚鈍な獣たち。
 だが、獣人より受け継がれし遺志なのか、獣たちは空っぽの遺跡を守らんとでもするかのように森の中を徘徊している。
 遺跡の中央に佇む木はあまりに細く、けれどもひどく頑なだ。乾いた土壌は決して肥沃には見えないのに、防人がいる以上はこの場に留まらねばならぬと信じているかのように花が咲き誇り続けている。
 亡び、打ち捨てられた遺跡。顧みる者のない中庭。そんな場所に、どうしてこんなにも美しい花が咲いているのだろう。
 ――壱番世界では、桜の下には死体が埋まっていると言われている。
 ならば、この木の根元に眠るのは竜刻のみであるのか。
(またこんな所で油を売っていたのか)
(良いではありませんか、父上。母上がお好きだった花を愛でる時間くらい下さっても)
(そんな軟弱な事を言っているようでは先が思いやられる。そなたにかしずく獣たちを見よ。そなたはいずれ彼らを率い、守らねばならぬのだぞ)
(分かっております。……分かっているのです。ですが、今はもう少しだけ)
 そんな声がどこからともなく聞こえた気がした。しかし恐らく空耳だ。花が口を聞くわけもない。
 空耳でないとするなら、それは遺跡が抱く悠久の欠片。喪われた国の残滓。
 旅人が竜刻を掘り出さんとする時、そこに眠る物語をも紐解くことになるだろう。
(母上。母上。どうして花はすぐに散ってしまうのですか……)
 静謐な陽だまりの中、薄紅の花弁が風もないのにかすかに震えた。

管理番号 b13
担当ライター 宮本ぽち
ライターコメント 初めまして、あるいはお久しぶりです。宮本ぽちでございます。
地味でシリアスな長文を得意とする特徴のない書き手ですが、お目に留まれば幸いです。

さて、今回はヴォロスへのご案内です。
冒険そのものよりも、竜刻の上に咲く花や遺跡が抱く物語を絡めた静かな雰囲気をお楽しみいただければと考えております。
竜刻の力で花が咲き続けているのなら、発掘時に何か不思議な現象が起きるかも知れませんね。

ヴォロスには行ってみたいけど体力や戦闘力に自信がない…というPC様、いかがでしょうか。
尚、宮本のノベルは普段は長文になりがちですが、今回は字数制限の関係上短文になります。
ご了承くださいませ。

参加者一覧
エミリア・シェスカ(cpew6522)
ジル・アルカデルト(cxda4936)
後島 志麻(cuve4820)
千葉 誠(curx6249)
キース・サバイン(cvav6757)

ノベル


 ロストレイルが滑り込んだのは乳白色の世界――深い霧に抱かれるようにして建設された<駅>である。霧のヴェールの向こうには渓谷とそこに横たわる遺跡群がうっすらと透けていて、旅人達の間から感嘆の声が漏れた。
「初めて他の世界に来ました……何とも壮大ですね!」
 普通の高校生である千葉誠は壱番世界とはかけ離れた空気に興奮気味だ。
「あ、私、千葉誠と申します。セクタンは板垣。趣味でも学校の授業でも歴史がとても好きなので、遺跡が発掘できると聞いて矢も楯も堪らず参加させて頂きました。どうぞよろしくお願いします」
 礼儀正しく頭を下げる誠の肩の上でオウルフォームのセクタンが首を回している。
「凄い。まるでファンタジーの世界だ」
「ちょ、一人で行ったらあかんて」
 霧に包まれた渓谷への興味を隠そうともしない後島志麻をジル・アルカデルトが慌てて止めた。アフロヘアーに長身というアーティスティックな風貌のジルだが、纏う雰囲気はまるで大阪のおばちゃんだ。言われてみれば髪型もおばちゃんパーマに見えなくもない。
「そろそろ行こうかぁ。どんなのか全然予想つかないけど、竜刻探さないとねぇ」
 キース・サバインがおっとりと皆を促した。獅子型の獣人であるキースに一斉に皆の目が向けられる。件の遺跡を統べていたのは獣人だった。
「戦いはできるだけ避けたいしねぇ……俺も一応獣人だし、森の獣たちが言うことを聞いてくれればいいんだけどなぁ」
 キースは威風堂々とした体躯には似合わぬ穏やかな苦笑を浮かべた。
 一行の中で、エミリア・シェスカは口を閉ざしたまま物思いに耽っている。
(竜刻という物にも興味はあるけれど……遺跡に咲く花、か。とにかく、それが見てみたいな)
 彼の心は霧の向こう、遥か彼方の森へと飛んだ。


 広大な平原を越え、深い湿地を渡り、一行は薄暗い森へと足を踏み入れる。
 エミリアの杖の先に光が灯る。懐中電灯代わりにしかならないが、獣は光を警戒するだろう。先頭を固めるのは戦いに長けたジルとキースだ。キースが獣の気配を探りながら安全な道筋を選んでいるため、探索は驚くほど静かに進んだ。
「珍しい植物の宝庫ですね」
 一方、志麻は隊列から外れないようにしつつも熱心に周囲を見回していた。のんびりとした雰囲気の彼だが、今日だけは少しそわそわしている。どうやら絶好の散策だと思っているらしく、静かな風情を崩さぬながらも心から楽しんでいるようだった。
「ふむ……これは何と言う花でしょう。壱番世界のスイートピーに似ていますが」
「あ、綺麗」
 エミリアも志麻と一緒になってしゃがみ込んだ。スイートピーよりも小ぶりで花弁の数が多く、色が薄い。透き通るような白い色の上に淡く紅が透ける色合いは子供の頬を想起させた。
「薬の調合に使えないかなあ」
「ん? 確か、掟では生物の持ち出しや持ち込みは禁止だった筈ですよ」
「そっか、そうだったね。でも一応」
 エミリアは志麻の言葉に肯きつつも花を摘んで鞄にしまい込んだ。
「ちょっといいかなぁ」
 キースが二人のやり取りをやんわりと遮った。
「脅かすわけじゃないけど、俺たちより前に出ないでねぇ」
「そやでー。おにーさんにカッコつけさせてぇな」
 ジルのおどけた言葉が終わるか終わらぬかのうちにぴんと空気が張り詰める。誠はセクタンを抱き締めて小さく息を呑んだ。
 暗がりの中で何対もの光が瞬いている。
「勝手に森に入って申し訳ないと思ってるよぉ。できるだけ避けながら進んで来たつもりだったけど……君達を傷付けに来たわけじゃないんだぁ」
 穏やかな口調はそのままに、しかし獣人の威厳をもってキースは宣言した。
「立ち去ってくれないかぁ? ――戦いたくないんだぁ」
 いらえはない。代わりに、数頭の狼が地を蹴って躍り出た。
「みんな、離れててねぇ」
 のんびりした声音とは裏腹の素早さでキースが槍を引き抜いた。三節に分かれた持ち手の先で穂先が唸り、鋭い風切り音を奏でる。その脇でジルの長身が沈み込んだ。かと思ったら、次の瞬間には腕を軸に下から放たれた蹴りが狼の横っ腹に打ち込まれていた。
「勘忍な! 致命傷だけは避けるよってに!」
 同じ体勢から次々と足が放たれる。腕と頭で激しくスピンするジルの姿はブレイクダンサーそのものだ。一方キースは大槍で精確に獣の急所を狙い、一撃で昏倒させていく。
 エミリアは背に誠をかばい、杖をかざして進み出た。杖で殴ることしかできないが、何もしないでいるわけにはいかない。しかしそこへ壁のようなキースの背中が立ちはだかる。
「下がっててねぇ。俺達だけで大丈夫だから」
 ちらと振り返るキースにエミリアは小さく肯いた。キースの人懐っこそうな丸い目は獲物を狙う肉食動物のそれへと変貌していた。
「柄じゃないんですが……」
 志麻がトランクから出して来たのは物騒な得物――トカレフだ。しかしこの状態で撃てばキースやジルにも当たりかねない。
「他には何か……あ、これがいいかな」
 更にトランクを探り、取り出した香に火をつけた。うっすらと流れ出す香りと煙に残った狼が後ずさる。その隙にジルの蹴りが炸裂した。
「ん……何だぁ、このにおい」
 獣を全て退けた後、キースが軽く咳込んだ。
「あ、すみません。貴方の体には毒でしたかね。獣避けの香なので……」
 志麻が慌てて香を踏み消す。しかしキースは気にした様子もなく、いつものように「大丈夫だよぉ」と大らかに笑ってみせた。


「凄いなあ」
 遺跡を前に真っ先に素直な感想を漏らしたのはやはり志麻だった。
「石造りですか。定番ですね。石は腐らないから……しかし、苔すら生えていないとは」
 虚ろに口を開ける門の先には暗い回廊が伸びている。エミリアは杖の先に光を灯し、ジルはオウルフォームのセクタンを放して探索の補助となした。
「多分大丈夫だよぉ」
 ジルの隣でキースが穏やかに微笑んだ。「この中に獣の気配はないからねぇ……」
「件の中庭は儀式に使われていたそうですしね。この遺跡は獣人のみが住まう特別な場所なのかも知れません。ふむふむ」
 あちこちを眺めながら志麻はしきりに肯いている。好奇心に満ちた双眸は少年のようで、この場にいる誰もが彼を三十代とは思わないだろう。分厚い眼鏡の下から同じように周囲を観察していた誠は「あ」と声を上げた。
「あれ、何かのエンブレムですよね。王族の家紋でしょうか」
 誠が指したのは壁の上部に据え付けられた燭台だった。鈍い金の台座の上に蔓で彩られた紋章が彫り込まれている。
「本当だ。よく見つけましたねえ」
「得意なんです、調べたり見つけたりするの。王家の紋があるってことは、やっぱり王族のみが立ち入る場所なのかも知れませんね」
 一緒になって燭台を見上げる志麻の隣で誠ははにかんだように笑った。この遺跡を作り上げた獣人達の歴史を教えてくれる者はない。くすんだ紋章を見上げながら、誠の想像は自由な翼を得て羽ばたいて行く。
(どんな人達だったのかな。どんな国だったのかな)
 姿や文明は違えども、獣人達は美しい花を愛でる心を持っていた。そう考えると何とも言えない親近感が湧く。
「おーい。置いてくでー」
「あ、すみません」
 ジルの声で誠は慌てて一行に追いついた。
 探索は順調に進んだ。ジルのセクタンは危険を伝えることはなく、キースの野生の感も獣の存在を察知しない。一行は時折雑談さえ交わしながら回廊を歩んだ。
 遺跡は何者も拒まず、何ひとつ語らない。ただ旅人たちの前に無言の躯体を晒すだけだ。
「着いたよぉ」
 やがて先頭のキースがそう告げ、一行は自然に足を止めた。


 エミリアは杖の光を消した。誰かが作り出した明かりはこの場所には必要ないと直感した。
「――綺麗……だ」
 やや吊り上がった目許を緩め、エミリアは茫然と呟いた。しかし足は凍りついたように動かない。怖いわけではない。ただ、神秘的なまでの美しさに気後れした。
 神が居そうだと、そんなふうにさえ思ってしまう。近付いて踏み荒らしてしまうのが申し訳ないとすら感じた。
 乾いた土。華奢な木。スポットライトのように差し込む陽光。そして、静謐な光を一身に浴びて咲き誇る花。
(なんて言うのかな。なんかこう、こーう……)
 胸を占める感慨に言葉が追いつかず、エミリアは困ったように頬を掌で擦ることしかできなかった。
 壱番世界の桜には人を惹きつける力があるという。だとすれば、魅入られてしまいそうな、心がざわめくようなこの感覚は竜刻のみのせいであるのか。
「本当に桜みたいだ。懐かしいなあ……」
 志麻はにっこりと微笑んだ。
「そうだ、発掘の前にどうですか? 腹が減っては何とやらと言いますし。料理はできないので既製品ですが……」
 志麻がトランクから取り出したのは様々な食べ物だった。人数分のサンドイッチに惣菜、飲み物などが次々と現れる。誠は目をぱちくりさせた。志麻のトランクにはトカレフと香も入っていた筈なのに、一体どこからこれだけの品物が出て来るのだろう。
「そのトランク、どれくらい物が入るんですか?」
「本気になれば戦艦サイズの物だって取り出せますよ」
「え、本当に?」
「さあ。秘密です」
 更に目を丸くする誠に志麻は謎めいた微笑を返す。
「ふっふっふ。考えることは一緒やねえ」
 ジルが不敵に笑って荷物を開いた。中にちらと覗いたタオルハンカチはなぜか豹柄だったが、不思議と違和感がない。
「おにーさんなぁ、張り切って人数分のおむすび作ってきたんよ。よかったら皆で食べへん? お袋の味やよ!」
「お母さんが作ってくれたのかぁ?」
「いやいや、作ったのは俺て言うたやんか」
「それじゃ“お袋の味”じゃないよねぇ……」
「ええやんええやん。ほら、飴ちゃんとみかんもあるし! デザートも完璧や!」
 苦笑するキースの背中を威勢良く叩き、ジルは塩と味付け海苔で作ったおにぎりを並べて行く。キースはコーヒー入りの水筒を取り出した。発掘を終えた後に振る舞うつもりでいたが、ここで休憩を兼ねるのも良いだろう。
「わ、すごい。お花見みたいですね。私もお弁当は持って来たんですけど……手作りなのでお口に合うかどうか」
「おっ、ナイス。女の子の手作りはテッパンやで」
 おずおずと弁当を取り出す誠の前でジルが大笑する。
「花の下まで行きましょうか。一緒にどうです?」
「あ……うん」
 志麻が声をかけると、ぼんやりと花を見つめていたエミリアはようやく我に返ったようだった。
 さわりと、風もないのに花が揺れた気がした。


 さらさら、さわさわと花が鳴る。
「ノリだっけ、この黒いの。何度食べても独特だねぇ」
「キースさんの世界には海苔はなかったんですか?」
「森に覆われた世界だから、海の食べ物はあまりねぇ」
「へえっ。ここにあった獣人の国みたいですね」
「そうだなぁ」
 異世界の話に目を輝かせる誠の前でキースは穏やかに微笑する。
「キースちゃん、そのマントかっこええなぁ」
「ありがとう。これは成人の証なんだぁ」
「おっ、ほなもう二十歳なん? 俺とタメやんね」
「ううん、十七歳だよぉ」
「ほー。やっぱその辺は風習の違いやなぁ。なあなあ、エミリアちゃんはいくつ?」
「エミリアちゃんって……。二十一だよ」
「うっ、年上か。でもまー俺のほうが年上に見えるしな!」
 陽気なジルの前でエミリアはくしゃりと笑った。そんなエミリアを日向のように微笑む志麻が見つめている。
「貴方の出身世界はどんな所なんですか?」
「んーと……こう、島がたくさんあってねえ。それで……」
 美しい花の下で和やかな昼餐が続く。ツーリストが自らの出身世界のことを話せばコンダクターが感嘆する。コンダクターがもたらす壱番世界の風習はツーリストを驚かせた。
 頭上の花は何も言わない。陽だまりの中で旅人たちを見守るだけだ。さらさら、さわさわと囁きながら。
 キースは気持ち良さそうに伸びをして薄紅の花を仰いだ。
「うーん。たまにはこうやってのんびりするのも良いんだぁ」
「一年中咲いてるなんて、竜刻って本当に不思議な力があるんですね」
 はらりと、誠の鼻先に花が舞い降りる。淡い花弁は刃物で削いだ蝋のように薄く、しかし蝋などよりもよほど脆い。
「埋まっとるのは仏さんやなくて竜刻か……花が咲く以外にも不思議なことが起こったりするんかな?」
 というジルの呟きに呼応したのだろうか。小さな花がふるりと震えた気がした。
(母上はこの花がお好きなのですね)
(ええ……。すぐに散ってしまうのが残念ですけれど)
 どこからか声が聞こえてきた気がして一同は顔を見合わせた。
(だったら、ずっと咲いててくださいってお願いしましょうよ。この場所で儀式をすると願いが叶うのでしょう?)
(いけません、そんなお願いは。ゆくゆくはあなたがこの国を治めるのですよ。国と獣たちのためになる願い事をせねば)
 さらさら、さわさわと花が囁く。
(母上。母上……)
(いつまで泣いている。死んだ者は戻らぬ)
 遺跡に閉ざされた物語を語るかのように、
(父上、父上えぇ!)
(騒ぐな……敵に勘付かれる。後は頼んだぞ……我が……息子……)
 止まっていた時計の針を進めるかのように。
(本当に願いが叶うなら――ここが亡びても、どうかこの花だけは……)
 さらさらさらさら、さわさわさわさわ……。
「皆も聞こえた? おにーさんの耳がおかしくなったんとちゃうよな?」
 ジルの問いに一同がめいめいに肯く。
「……ここでは色んな事があったんだねぇ」
 目を閉じて聞き入っていたキースはゆっくりと立ち上がった。
「ここで何があったか知っているから、君はこの地を守っていたのかぁ?」
 いらえがないのは分かっている。それでもキースは木の肌に手を当てて尋ねずにはいられなかった。
 小さな花は無論何も語りはしない。


 誰からともなく花見を切り上げ、一行は静かに発掘作業に移った。
「一応スコップを持って来ました。園芸用なんですけど……あ、大丈夫みたいですね」
 乾いた土壌はあっさり誠のスコップを受け入れてくれた。腕力に自信のない誠だが、これなら何とかなりそうだ。
「板垣、大儀よ。もし危険が近付いたら教えてね」
 彼女の肩の上ではオウルフォームのセクタンがくるくると首を回している。
(……ごめんなさい)
 エミリアは誰にともなく内心で呟いた。それは木に宿っているかも知れない何かに対する祈りであったのかも知れない。だが、杖で土を掘り返そうとした手が不意に止まった。
 風もないのに花が揺れる。風もないのに花が散る。
 後から後から花が散る。後から後から花が咲く。それは不思議な光景だった。花弁がこれだけ降り積もっているのに、枝に咲く花は一向にその数を減らさないのだ。
(ああ……散って枯れることすらできないんだ)
 どうして。どうしてなのだろう。こんなにも美しい光景なのに、どうして涙が衝き上げるのだろう?
 花弁を浴びながら、エミリアはさりげなく仲間達に背を向けた。悟られぬように手の甲で頬をこする。泣くな泣くなと己で言い聞かせているのに涙が止まらなくて、唇をきつく食いしばった。
「道具を貸しましょうか?」
 トランクからシャベルを取り出した志麻がさりげなく声をかける。エミリアは辛うじて「手で掘るから」と答えて泣き笑いの顔を振り向けた。
「もし、この遺跡を作った獣人達と同じ世界の同じ時代に居合わせたら」
 根を傷付けないように慎重に掘り進めながら誠が言った。その傍らではジルが素手で土を掘っている。
「仲良くなってたかも知れませんよね。この花を綺麗だと思うってことは、私達と同じですもの」
「おっ。ええこと言うやん」
「え、そんな。だけど、そう考えるとこうして一緒に発掘している皆さんとは縁を感じちゃいますね」
「そうだねぇ。君のお弁当も美味しかったし……うん、きっと縁だねぇ」
 キースはゆったりと微笑みながら頑強な爪で地面を掘り返している。
 空耳はもはや聞こえない。花は旅人を見守るだけだ。さらりさわりと揺れながら、その時を静かに待っている。
 ほどなくして木の根と、うっすらとした光が現れた。竜刻が近いのだと皆が直感した。更に注意深く掘り進めて行く。
「あ……」
 声を漏らしたのは誰だっただろう。
 地中から現れたのは、少年の上半身と白馬の下半身を持つ獣人の骸だった。
 真新しい遺体だった。眠っているだけなのではないかとすら初めは思った。しかしそうではないと皆がすぐに悟った。
 ――少年の左胸が、木の根で真っ直ぐに貫かれていたから。


 キースははっとして顔を上げた。統べる者のない森の中で、獣達が一斉にひざまずくのが彼には確かに感じられた。
「もしかして……」
 誠の声が震えた。遺体の着衣に織り込まれた紋章は回廊の燭台に彫られていたのと同じ物だ。
 少年の額からは一本の角が真っ直ぐに生えている。倒錯した光景だった。ぞっとするような状況であるのに、目の前の骸はあまりに美しい。少年の頬は頭上の花と同じ色だし、閉じた瞼と唇は今にも微笑み出しそうなのだ。
「仏さんも埋まっとったんやな。これも竜刻の力、か」
 次の瞬間。
 停止映像から早送りへと切り替わったかのようであった。ユニコーンの少年の遺体はあっという間に、音も立てずに朽ち果てた。骨すら砂と化して儚く散った。
「この木は……楔だったんですね。貴方はずっとここに留まらねばならなかった……」
 志麻がぽつりと呟いた。神事に用いられていた竜刻が少年の望みを聞き届けたのか。死した少年を花がこの地に縫い止めたのか。あるいは、王位継承者の責任だと少年自身が望んだのか……。
 全ては憶測だ。語る者のない今となっては何も分かりはしない。
 少年の灰の下には淡く光を発する欠片が残されていた。掌に収まるほどのそれは降り注ぐ花弁と同じ色で、骨の欠片のような形をしていた。一行は尚も木の周囲を掘ったが、固形物はそれしか見つからなかった。
 ちらりちらりと、名残のように花が散る。ふと仰げば、枝に残る花は確実に減りつつあった。
「もう……散るんだね」
 エミリアは眉尻を下げて木の幹に掌を当てた。「やっと解放されるんだねえ」
 鼻の奥がつんと痛み、慌てて唇を引き結ぶ。
 キースはゆっくりと深呼吸して槍を抜いた。
「みんな、離れててねぇ。本当はさっき見せようと思ってたんだけど……」
 故郷の歌を口ずさみ、トラベルギアの槍を煌めかせながらキースが演舞を披露する。力強く、けれど優しく、美しく。一同は息すら呑み、花とともに舞う獣人の姿に見入った。
「もう……大丈夫だからなぁ……」
 雪の如く降る花の中、手向けのように、称えるようにキースは一心に舞い続ける。

 
 ただ緩やかに、穏やかに。光の中で花が舞う。
 淡い花弁は潰えて行く。ある者の頬に口づけを、ある者の耳に囁きを残しながら流れるように落ちて行く。
 花は竜刻の加護を失った。いずれ木も枯れ、遺跡は苔に閉ざされるだろう。それが自然の理だ。
 エミリアは祈りを捧げるように両手を組み合わせて目を閉じた。何に祈っているのか、彼自身にも分からなかったけれど。

 
 やがて旅人達は遺跡を後にした。元通りに埋められた木の根元には人知れず花が供えられていた。スイートピーに似たその花は少年の頬と同じ色をしていた。
「お疲れのようですね」
 帰りのロストレイルの中、うとうととするエミリアの対面に志麻が腰掛けた。
「うん……久々に森の中を歩いたから」
「森で摘んだ花はどうされたんですか?」
「置いて来たよ。持ち帰っちゃ駄目だもん」
「そうですね。ご存じかも知れませんが、壱番世界には花言葉というものがありまして……例えばスイートピーの花言葉は“優しい思い出”と“門出”なんですよ」
 志麻は見透かしたように微笑した。

(了)

クリエイターコメント ご参加&お読みいただき、ありがとうございました。
信じられないほど短文(※宮本基準)のシナリオをお届けいたします。

時折戦闘を挟みつつも和やかに、静かなトーンでお送りいたしました。
お花見の雰囲気も楽しんでいただければと。
「お花見をしながら仲良くなれたら」というのは誠さんの御発案です。素敵なアイディアをありがとうございました。

それでは、また別の冒険で会えることを願って。

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螺旋特急ロストレイル

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