オープニング


 ここはブルーインブルー、海上都市ジャンクヘブン。
 眩しい日の出、爽やかに吹き抜ける朝の風、潮の匂い。船乗り達は美しい朝を喜び、今日という日がこの朝のように晴れやかであることを願う。
 今朝も船出の準備で賑わい、男達が楽しげに働き始めていたが、少しだけ違う雰囲気に包まれている場所があった。

「無理だよぉ、おやっさん!」
「無理じゃねえ! てめぇ今年でいくつだと思ってやがる!」
「じゅ、じゅう……はち……」

 商船ギルドのとある一室から聞こえてきたのは、壮年の男の怒号と、気弱そうな少年の萎んだ声だった。

「とにかく! こいつはもう決まったことだ。出発は十日後、すっぽかしたらどうなるか……分かってんだろうな」
「うう……はい……」

***

「というわけで、ブルーインブルーに行って欲しいのよねー」

 導きの書をぱたりと閉じて旅人達に笑いかけたのは、眼鏡をかけた長身の女性だった。年の頃は二十代後半といったところだろうか、色白の肌に栗色の髪をふわふわと揺らし、にこやかに話しかける様子は、同じ世界司書のリベル・セヴァンと違い、どことなくゆるい雰囲気が漂っている。

「あぁ、ごめんねえ初めましてよね。あたしは、世界司書としてみなさんのお手伝いをしている、ルティ・シディというの。どうぞよろしくね」

 ルティは軽くお辞儀をし、導きの書に挟んだチケットを取り出した。

「皆さんが着いた次の日に、ジャンクヘブンからアヴァロッタっていう海上都市に向かって船が出るの。その船の護衛と雑用係をお願いしてもいいかしらー?」

 いいかしら、と尋ねつつも、ルティは既に人数分のチケットを用意している。やわらかい笑顔の中に何かしら有無を言わさぬ雰囲気を感じ取った旅人達は、とりあえず頷いて話の続きを促した。

「この船の船長さんはアーネストくんっていう17歳の男の子よ。これが初めての船長仕事なんだけど、すっごく臆病なんですって。船乗りとしての腕はいいほうなのに、とにかく怖がりだし自分に自信がないしで、今までずっと雑用しかやりたがらなかったらしいの」

 これでは交易もままらないと判断したアーネストの親方が、商船ギルドに護衛を依頼したのだそうだ。

「当日の航路周辺だけど、天気は晴れ、波も穏やか。記念すべき船出にはぴったりの日だと思うの。けど……まあ、ね。あたしがお願いするくらいだから……出るのよ、ちょっと困ったものが」

 もう一度導きの書を開き、ルティは浮かび上がった文章に指を滑らせる。

「航路を半分くらい行ったあたりで、人食い鮫が一匹、アーネストくんの船を襲ってくるわ。けどかなり小型の鮫だからそんなに手はかからないはずよー。ぶっちゃけ一人でも退治出来ちゃうと思うわ。けど注意してね、船がすっごく古いから、船底を攻撃されたら危ない目に合うかも」

 アーネストが所属している商会では、独り立ちの儀式として『商会で最も古い船』を最初の航海に使うのだという。古い船を乗りこなすことで、船への愛情と海への畏敬をあらためるのが儀式の目的なのだそうだ。

「ここからはあたしの個人的なお願いなんだけど……そういう船を傷つけちゃうのってちょっとねえ、って感じ。だから頑張ってほしいなあって思うわ。それと…… 出来ればでいいから、アーネストくんも鮫退治に参加させてほしいの。そりゃね、護衛の仕事だし、ちゃちゃっとやっつけちゃえばそれでおしまいだけど。けどそれじゃアーネストくん、いつまでたっても臆病者のままでしょ?」

 言葉でも行動でも、何かを示してアーネストが変われる切欠を与えて欲しいとルティは訴えた。勿論その辺りは皆に任せると付け加え、ルティは導きの書をまた閉じる。

「とにかく、そこまで危険なものじゃないから気軽に考えてねえ。鮫退治が終われば遊んでても平気だし……あっ、ちゃんと雑用のお仕事もよろしくねえ」

管理番号 b20
担当ライター 瀬島
ライターコメント 初めまして、お久しぶりです、こんにちは、瀬島です。無理やり挨拶を纏めました。
というわけで前作、銀幕★輪舞曲から引き続き参加させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします!

シナリオの傾向は正直言って雑食ですが、
ほのぼの、せつない、後味の悪くないものが好みです。
ガチの戦闘アクションや血みどろホラーは敬遠しがちです。

プレイングはキャラ口調で書いていただけると、雰囲気がつかみやすいので嬉しいです。
また、プレイングで指定された台詞以外のことも喋らせることが多いです、ご了承ください。


***

というわけで船旅に行きましょう。
臆病者の新米船長を、色んな意味で助けてあげてください。
船の雑用もお仕事に含まれますので、戦闘が苦手な方もお気軽にお越しくださいませ。

・人食い鮫
体長1mほどの小型鮫です。
船体にぶつかる、水面からジャンプして人を食い千切るなどが報告されている種類ですが、いかんせん小型なので、退治するのは簡単です。

・アーネストくん
筋金入りの臆病者です。
かなり頼りなく見えますが、安心出来る環境であればちゃんと仕事をします。しかしそれでは船長失格ですので、鮫退治の時にでも彼のチキンハートに喝を入れてあげてください。

・雑用
甲板や船室の掃除、見張り、荷物の揚げ降ろし、食事の用意など。
他にも思いつくものがあればご自由にプレイングに記入してください。


なお、嵐の危険はありませんので、鮫さえ退治してしまえばのんびりと船旅を楽しむことが出来ます。
魚釣りを楽しんだり、夜は満天の星空を眺めたり、船酔いに苦しんだり、ご自由にお過ごしください。
それでは、よい旅を!

参加者一覧
バルブロ(ceac1010)
シャーロット・メイスフィールド(cxxx4384)
エフェメラ=デジデリア・“タルサレオス”・テレイオーシス
テオドール・アンスラン(ctud2734)
ツェツィーリエ・ドロウズ(cfyc9463)

ノベル



 空は晴朗、波は穏やか。今朝のジャンクへヴンはまさに船乗りたちが理想とする朝を迎えていた。ジャンクへヴンの下に敷設されたロストレイルの駅に降り立ち、陽の当たる場所へと案内されたロストナンバーたちは眩しさに思わず目を細める。
「海……これが海か」
「うむ、いい陽気だ」
 海の美しさ、雄大さは本で読んで知っているつもりだったが、これほどまでとは思いもしなかった。シャーロット・メイスフィールドは期待に胸を躍らせ、エフェメラ=デジデリア・“タルサレオス”・テレイオーシスは吉兆とも取れる太陽の光を浴びて大きく伸びをした。腕の動きに合わせ、滝のように流れるエフェメラの金髪が美しく輝く。行こう、大海原へ。


「ギルドから護衛依頼を受けたテオドールだ、よろしくな船長さん」
テオドール・アンスランがつとめて気さくに自己紹介をしたのち、打ち解けようと差し出した手を、船長……アーネストは何度か躊躇してから握った。
「……アーネスト・ブルックっす。その……すんません、こんな仕事」
簡単な航海、ボロボロの帆船、そして自分という頼りない依頼主。三拍子揃っているのを自覚しているのだろう、アーネストは申し訳無さそうな顔で皆に頭を下げた。
「……あの船も、ある意味ボロボロだったな」
「あ……船乗りさんっすか」
 海賊として船に乗っていた経験のあるバルブロが、自分が昔乗っていた船を思い出してぽつりと呟くと、同じ船乗りがいることに安心したのか、アーネストは少しだけ笑顔を見せた。
「そう縮こまるな、船長殿! 美しい海が待っているというのに、辛気臭いではないか」
 そう言ってアーネストの肩をばんと叩き、エフェメラは意気揚々と他の船員に混じって荷物を船に運び入れている。甲冑さえつけていなければか弱い魔法使いのように見える彼女が、身の丈ほどの荷物を次々と抱えていくのを見て、他の屈強な船員も驚いている。
「そうですよ。初仕事は、楽しくいきましょう」
 ツィツィーリエ・ドロウズがにこやかに声をかける。初めての仕事なのは自分も同じだからだろうか、どことなく自分に言い聞かせているようにも見えた。確かに、この天気ならばそうそう危険なことは起こらないように思える。アーネストは小さく頷いて船出の準備を始めた。

「じゃあ、準備の出来た人から乗って欲しいっす。今日は、えっと、よろしくお願いします」
 アーネストがロストナンバー達に、そして他の船員に深く頭を下げる。皆特に気にすることもなく、めいめい自分の荷物を確かめて船に乗り込むが、バルブロだけはアーネストの様子に違和感を覚えて、最後に乗り込もうとしているアーネストを捕まえた。
「……。お前が、船長じゃないのか」
「え……。一応、そうっすけど」
「そうか。……礼儀正しいのは、いいことだ」
 船員は船長に「ついていく」もので、船長は船員を「導く」もの。元々海賊だったバルブロは、その概念が骨の髄までしみこんでいる。だから、仮初とはいえ船長としてついていかねばならない立場のアーネストに頭を下げられると、バルブロは何だか胸の真ん中あたりがむずむずするらしい。
「(……今言うことじゃあない)」
 これはアーネストの心構えの問題だ。その問題がどうしても根の深いものなら、この航海できっと明らかになるだろう。そう直感したバルブロは、それ以上の言及を避けて船に乗り込んだ。慌ててアーネストも後を負う。……バルブロが言わんとしたことは、本当はアーネスト自身気づいているのかもしれない。それも、この航海で明らかになるのだろうか。
旅はまだ、始まってすらいないけれど。


「すごいな! これが水平線か」
 朝の穏やかな風を受けてするすると走り出した帆船の甲板にて、初めての海を目の前にしたシャーロットはひとりはしゃいでいた。あくまでブルーインブルーの人間という形で仕事に来ているのだから、少し自重すべきなのは彼女自身分かっていたのだが、海を見るのも船に乗るのも初めてでははしゃぐなと言う方が無理というものだ。
「嬢ちゃん、水平線がそんなに珍しいか」
「! ……あ、いや、その。わ、私の居る島は霧の日が多くて、水平線は殆ど見えないんだ!」
 当然だが同乗した船員に白い目で見られる。咄嗟に出てきた百科事典の一節を口にして事無きを得たが、それ以降はつとめてはしゃがぬようにしようと誓うシャーロットであった。
「ロストナンバーとなってからは初の仕事ですね」
 ツィツィーリエは興味深そうに船内のあちこちを見て回り、自分が出来そうな仕事を探してモップと雑巾を手に取った。力仕事は得意ではないけれど、掃除や炊事なら役に立てる。元々が古い船ではあったが、目の届かない場所の埃や錆を丁寧に落としていくと、たちまち甲板は見違えるほど綺麗になってゆく。
「大事に使われるほうが、きっと船も嬉しいですよね」
 使われる立場だったことが多いツィツィーリエは、自分と船を重ねて微笑んだ。その気持ちをうまくアーネストに伝えられればいいと思うし、力になりたいとも思う。アーネストが必要とするのなら、この船はきっと報いてくれる、そう信じたい。まるで自分と、自分が欲する「自分を振るう腕」のようだと、ツィツィーリエはまた少し笑った。


 一方、船室ではアーネストが船員に囲まれておろおろしており、その様子をテオドールとエフェメラ、バルブロが見守っていた。
「船長、空模様も安定してるしこのまま最短航路で構わんかな」
「え、あ、ええと……」
 何かアドバイスをしてやりたいが、テオドールもエフェメラも船や海のことに関しては素人だ。海図を指して何か言いたげなアーネストに視線を送り発言を促すが、アーネストは何かにびくびくするように口をつぐみ、ちらちらとバルブロの方を見ている。どうやら同じ船乗りだと知って、助け舟を求めているようだ。
「……俺は、この海はよく知らない」
「! ……そ、そう、っすよね……」
 バルブロの一言はアーネストに何かを受け入れさせたようだ。すうっと息を吸って、海図を指で辿りながら、つたないながらも言葉を紡ぎ出す。
「あの、さっき、クロカモメの群れが12時の方向に居たんすけど……。警戒音を出して、4時の方向に逃げたっす。多分このまま進んだら、サメかシャチか……その、危ないんで、こっちのゴーラル島側に迂回、しましょう」
「それでいいんだな、船長」
 壮年の航海士が羅針盤と海図を何度か見比べて、最後にアーネストの瞳をじっと見た。アーネストはその視線を外さず、小さく頷く。
「……はい」
「了解した。取り舵一杯! 本船はこれよりゴーラル島へ向かって迂回を行う!」
『アイアイサー!』
 航海士が壁の伝声管に向かって声を張り上げると、甲板で待機していた船員たちが舵を取り帆を調整し、船体は右に向かって進路を変えた。船は、アーネストの決断によってその運命を変え始める。

「すごいじゃないか、鳥の声が分かるのか?」
「いや……当たり前のことっす」
 修正した進路を海図に書き込んでいるアーネストの隣に座り、テオドールが声を掛けた。アーネストは褒められたのが照れ臭いのか、顔を上げず素っ気無く返す。
「誰にでも出来ることじゃないんだろう? もっと胸を張ればいい」
「でも……正確じゃないっす」
 アーネストの手元を興味深げに覗き込みながら、テオドールは本心からの言葉を伝えた。手馴れた様子で海図に書き込みを続ける様子とは裏腹の、自信の無さそうな口振りをたしなめるように、テオドールは更に言葉を続ける。
「俺はただの傭兵だから、海や船のことはハッキリ言えば素人だ。だから俺は……あんたに期待してるんだよ、船長さん」
「期待……?」


「俺たちはアーネストに期待してるんですよ」
 船が進路を変えるのと同時に甲板に出たエフェメラは、他の船員に混じって周囲の警戒にあたっていた。出航前の荷運びといい、女とは思えない仕事振りに船員達も一目置いたのか、彼らの一人が手の空いたときにぽつりと、そんなことを呟いた。
「あいつは決して腕は悪くない、むしろいい方なんだ」
「そうだろう。貴殿らを見ていればわかるとも」
 船員たちとアーネストの距離感を見ていたエフェメラが力強く頷くと、船員たちも嬉しそうに目を細める。
「確かに性格はちっとばかし臆病だがよ、それは海では大事なことなんだ」
「うむ」
 一度出ればいつ何が起こってもおかしくない、命の危険は常に隣にある。それは海も戦場も同じだ。勇気と無謀は違う、故郷で軍を率いていたエフェメラにはそれがよく分かる。
「貴殿らは本当に、あの少年を心配しているのだな」
「当然さ」


「当然さ、あんたが船長なんだから」
「……そんな器じゃないっす」
 アーネストはテオドールがかけた言葉の意味を反芻し、そのうえで首を横に振った。
「これからはそんな器にならなきゃいけない、違うかい」
「……」
 アーネストは答えなかった。小さな横波を受けて、船が少しだけ揺れている。
「自信があろうとなかろうと、一度乗ったら目的地に着くまで降りられない。それなら腹を括った方が楽ってもんさ」
「そうかもしれないっすね」
 素っ気無く返ってきた言葉に、感情は込められていないように聞こえた。船はまだ揺れている。
「何度だって言うさ、船長さん」


 出航してから7時間あまり経っただろうか。真昼の海は太陽の光を反射して一層眩しく輝き、見張り台で双眼鏡を構えるシャーロットは目をこする。
「そういえば、航路の半分ほどで鮫が出るのだったか……」
 ターミナルで聞いた話を思い出し、見張り台を降りてアーネストをつかまえる。
「アヴァロッタまではあと何時間ほどかかるだろうか?」
「あー……。何もなければ、17、8時間ってとこっす」
 ほぼまる一日かけての航海らしい。それならば鮫と遭遇するのは夕方頃だろう。アーネストに礼を言ってその場を離れ、シャーロットは同舟したロストナンバーたちにその事を告げた。
「ふむ、夕方か。視界が明瞭なうちであれば助かるのだが」
「段取りを確認しましょう。ばらばらに行動しては危ないかもしれませんし」
 ツィツィーリエの言葉に皆頷き、お互いの能力や船内での配置などを確認しあう。おおよその方向がまとまったあたりで、バルブロがぽつりと呟いた。
「……アーネストはどうする」
 どうする。その一言には様々な意味が込められている。ツィツィーリエが少し不安そうに皆を見渡すと、テオドールが笑って答えた。
「どうするも何も、あいつの船だろう?」
「その通りだ。我々は長を立ててやらねばなるまい」
 エフェメラも同調するように頷き、他の皆も同じ思いのこもった視線を交わした。


 太陽は徐々に傾いている。これまでの航海は順調すぎるほど順調で、その静けさが何か大事を予感させるといった風でもない。そもそもが一日程度の短い航海だからだろうか、船員たちものんびりと構えている。しかし、これから何が起こるかを知っているロストナンバーたちは緊張した面持ちでそれぞれのトラベルギアを手に取っている。
「……そろそろだろうか」
 懐中時計を見たシャーロットが呟く。その言葉に皆の表情が一層引き締まった。それほど危険ではないと言われたものの、やはり緊張するようだ。
「何か来たぞ!!!」
 テオドールが海面を睨んで得物を構えた。視線の先では船の舵に似た「何か」がまっすぐ船に向かっている。それが鮫の背びれであることを、ロストナンバーたちも船員たちもすぐに把握した。
「鮫が出たぞー! 武器を取れ!」
 鮫は様子を伺うように船の周りをぐるりと一周し、最終的に正面から甲板に近づいてきた。後方で船体を守るように防御魔法の印を結んだバルブロが、周囲を見渡して声を上げる。
「アーネストはどうした!?」
「きっとまだ船室だ! 俺が連れてくる!」
 一対の短剣を両手に構えたテオドールが踵を返して船室へと飛び込む。船室から「二人」が出てくるまで、船を守ることはしてもとどめを刺すことはすまい、全員の瞳がそう語っていた。


「……そんなところに隠れたって無駄だぜ」
「……!」
 誰も居ないかと思われた船室の一角、酒樽が積み上げられたスペースにアーネストは居た。まるで見つけてほしかったように、上着の裾がちらりとはみ出ている。

__何度だって言うさ

 その言葉を繰り返すように、テオドールははみ出した上着の裾をぎゅっと握り、優しく笑ってみせた。
「分かってるんだろ、ちゃんと得物まで持ってるじゃないか」
「でも、でも……っ」


「くそっ、船体を狙ってやがる!」
「大丈夫だ、何とかする」
 皆が鮫に集中出来るよう、防御魔法に集中するバルブロの表情は落ち着いていた。鮫は恐らく船体をバラバラにしてから、溺れた者に一人ずつ食らいつくつもりなのだろう、無闇に飛び上がってこようとはしなかった。ただしそれもバルブロの魔法によって阻まれているため、段々と根競べの様相を呈してくる。苛立ってきた鮫が飛び出すのは時間の問題のようだ。
「アーネストくんはまだ出てこないのか……?」
 懐中時計の文字盤を見つめたまま、船室を気にするシャーロットは焦りを隠せない。自分のトラベルギアではよほどうまくやらないと船体を傷つけてしまいそうでなかなか手を出せずにいる。文字盤を見つめ集中したかったのだが、それも乱され始めていた。
「ええい、煮え切らぬ!」
「えっ、待ってください! エフェメラ!」
 船室は沈黙を守ったまま、動きはみえない。ダメージは受けないものの、揺れ続ける船に船員達の間にも動揺が広がっているのが見てとれる。この膠着状態に業を煮やしたエフェメラが船室に向かった。


「アーネスト!!!」
 勢いよく船室の扉を開けて、エフェメラがずかずかとアーネストに歩み寄る。自前の弓矢を抱えながらうずくまるアーネストの姿は矛盾だらけで、でもそれはここを出て行かなければ解決など出来ない。そのことをエフェメラも、テオドールも、そしてアーネストもよく分かっている。
「さあ、立て。貴殿が指揮を執らずしてどう船を護れというのだ!」
「い、いやだ……。俺には、無理だ……!」
「アーネスト、無理じゃない。大丈夫だ」
 テオドールがあくまで冷静に、優しく諭す。それでもアーネストは動けないでいる。どうすればいいのだろう、どうすれば届くのだろう。テオドールの表情に翳りが見え始めた瞬間、エフェメラの叱咤が飛んだ。
「護るべきものがありながら、嘆かわしい!」
「……!」
 歯をぎりりと食いしばるアーネストの表情は、悔しさに溢れていた。知っているけれど、伝わっているけれど、それでも身体が動かないことが悔しいのだ。
「よく見ろ、貴殿がそこで縮こまっている間に何が起こっているのかを」
 エフェメラが無理やりアーネストの腕を取って立たせ、船室の窓から甲板の様子を見せ付ける。


「キリがねえ! 船長はまだか!?」
「きっと、もう少しで……!」
 鮫は痺れを切らして水面から飛び出し、甲板の外側に居る船員やロストナンバーたちを食い千切らんと襲い掛かってくる。目立たぬよう、片腕だけを剣に変えて応戦するツィツィーリエはちらちらと船室を気にしている。鮫の動きが予想以上に素早い所為もあるが、とどめを刺すタイミングはいつまで経ってもやって来ない。ロストナンバーたちの間にも不安が広がり始めた、その時。
「あ゛……ッ……!!」
「大丈夫か!?」
 再び水面から飛び上がった鮫が船員の一人に食らいついた。幸い腕を掠めただけで済んだが、一同の危機感は厭が応にも高まる。
 この光景を、アーネストは、ただ。見ていただけだった。


「くそっ……ちくしょう……!」
「己のしていることが分かったか」
 事態はどんどん悪くなる、といえば大袈裟かもしれない。あんな小型の鮫ならば、ロストナンバーたちがトラベルギアを最大限活用すれば造作も無いのだから。それでも危機感を煽り、ピンチに陥ったように見せているのは、皆アーネストを本当に心配しているからに他ならない。
「覚悟を決めろ、これからも海の男でいたいなら」
「……」
 弱々しかった瞳の光が、強い意志を持つ。
「行けるか?」
「……はい」
 テオドールの問いかけに大きく頷き、アーネストは一度だけ深く息を吸った。左手に弓を持ち、右手で船室の扉を開け、呼吸は号令に変わる。
「どけ、皆!!」


「どけ、皆!!」
「……アーネスト君か!?」
 後ろから響いた、力強いその声。耳を疑いながらも文字盤から目を離さず、シャーロットの声も引き上げられるように跳ねた。
「はい! 次に上がってきたら仕留めるっす!」
「よく言った! 誰か合図を頼む!」
「まかせてください!」
 弓を引き絞り、アーネストがじっと息を殺す。その気配を感じながらシャーロットは文字盤に向かって集中し、ツィツィーリエが水面を睨んだ。
「……来ます!」
「重たい一撃をプレゼントするぞ!」
「食らえええええ!」

 キィン……と鏑矢のような鋭い音が鳴り、音が終わるのと同じタイミングで、鮫の身体が爆ぜた。鮫は何度か水面をのた打ち回り、すぐに抵抗をやめた。後に残ったのは、血で赤く染まった海面を覆うような夕焼けの美しさと、皆の少し荒い息遣いだった。

「……荒療治だなあ、あんた」
「特効薬とは言わぬか?」
 テオドールが呆れたように笑い、エフェメラは肩を竦めた。
「確かにな」


 すっかり陽は落ち、船室では夕食の支度が始まっている。鮫に腕をやられた船員も軽症で済んでおり、船にも被害は無い。その事実に皆安心し、残り半分の航海を楽しもうという期待でいっぱいだ。
「折角の海だ、新鮮な魚介を使わぬことには始まらぬな」
「この魚、食べられるだろうか?」
 シャーロットとテオドールが自分で釣った魚を運べば、それをエフェメラが料理する。船の上では質素なものしか食べない船員たちはこれをひどく喜んだ。
「ほお、姉ちゃんは腕っ節だけじゃねえときたか」
「その褒め言葉はありがたく受け取ろう! さあ、熱いうちに食べねば勿体無いぞ」
『いただきまーす!』


 時間は何時の間にか深夜0時を回っていたようだ。月は中天にかかり、星はいっそう輝きを増している。
「……いい眺めだ」
 手が届くかもしれない、そんな気持ちで見張り台の上から手を伸ばし、テオドールは子供っぽく笑った。星に手が届かなくても、伸ばし続けることにはきっと意味がある。
マストの下ではバルブロがギターで故郷の歌を歌っている。誰も知らない海の歌だったが、うろ覚えで節回しを合わせて歌えばそれだけで気分は高まる。満腹になったシャーロットが甲板にころんと横になると、満天の星空が覆い被さるように視界を埋め尽くした。
「……なあ、アーネストくん」
「何すか?」
「船というのは風があればひとりでに動くものだ。君への風向きはどうやら良さそうだな」
「……いや、そうは思わないっす」
 横に座ったアーネストが、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「確かに、風向きは大事っす。けど、進路は自分で決めるっす」
「……。そうか、そうだったな」
 風は穏やかで、どこまでも見通せる月の下、船は人の心を、意志を乗せて進む。


「本当に、ありがとうございました」
 ジャンクヘブンで見せたように、アーネストが深く頭を下げる。ここは目的地、アヴァロッタの港だ。
「これからもがんばってくださいね……。あ、帰りの船も一緒ですよね」
「そうっすね」
 ツィツィーリエが笑うと、アーネストも照れ臭そうに笑う。その表情は船出の前のように頼りなくはない。
「あんたなら帰り道も、これからも、きっと大丈夫さ」
「はい!」
 テオドールが自分を否定しないでいてくれたこと、それがアーネストには嬉しかったようだ。目を細め、アーネストの方から手を差し出す。テオドールは躊躇なくそれに応え、二人はがっちりと握手を交わした。
 ここはブルーインブルー。母なる海に畏敬を抱き、希望を胸に船を出す、海の男がまた一人生まれた。

クリエイターコメント お待たせいたしました、【新米船長とオンボロ帆船を救え】ノベルお届けいたします。
この度はご参加ありがとうございました、大変楽しく執筆させていただきました。
文字数との格闘でギリギリまで苦しみまして、反映出来なかったプレイングが多々あるのが本当に悔しいです……!
また、世界観に則り採用を見送ったプレイングもあります、ご了承くださいませ。

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螺旋特急ロストレイル

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