オープニング


 北海道での戦いから帰還した旅人達を待っていたのは、世界司書の一人、オリガ・アヴァローナであった。
 銀髪に白い肌、蒼く怜悧な瞳は、あの日の凍てつく空気と雪の白さを思い出させる。一口に「クール美人」と言っても、北海道遠征の陣頭指揮者であるリベル・セヴァンとはまた異なる雰囲気を漂わせている。例えるなら「雪の女王」あるいは「霧氷の精霊」といったところか。
 手元の『導きの書』のページをめくりながら、オリガは口を開いた。
「今日あなた方に来てもらったのは、インヤンガイのある街区で起こっている、未成年者連続殺人事件のことよ」
 インヤンガイ、と聞いて、旅人達は思わず身構える。うらぶれた路地の各所で犯罪者達が暗躍し、『暴霊』と呼ばれる不可思議な存在が跳梁跋扈する。法の正義が通用しない、悪意に満ちた世界。
「最近リュウシンという街区で、子供ばかりを狙った、連続殺人事件が起きているの。被害者はいずれも同街区に在住する15歳未満の少年少女で、年齢と居住地以外の共通点は無し。殺害方法はいずれも、錐状に尖った鋭利なもので被害者の頭部を貫通するという手口で、それ以外の遺体の損壊は、性的暴行の痕跡も含めて認められていない。目撃者もなく、捜査は難航しているわ。
 知っての通り、インヤンガイでは警察などの公的な治安機構は実質機能していないから、みんなには現地の探偵と協力してほしいのだけれど……」
 そう言うと、オリガは『導きの書』に挟まれていた一枚の写真を見せた。そこに写っていたのは、ブラックスーツの上にトレンチコートを羽織った、屈強な男であった。周囲の風景との対比から見て、身長は恐らく2メートルはあるだろう。
「彼が今回の現地協力者となる探偵『シン・フェイホン』。42歳。5年前に妻を亡くし、現在10歳の娘と二人暮し。元警察官で、特にその巨体を生かした格闘技のセンスに長け、探偵としての腕は確かよ。ただ一つだけ懸念材料があるとすれば……あくまでこれは私の考えだけど、今のシンは愛する娘がいつか凶悪な殺人鬼の犠牲になりはしないかと不安に駆られ焦っている。そんな風に思えるの……」
 オリガは表情を曇らせる。ロストメモリーとして生まれ変わるため一切の過去を捨てた彼女の素性は、旅人達には分からない。しかしその憂いに満ちた瞳から、彼等は彼女が、年端も行かぬ子供達が無残に殺されるという今回の事件に少なからず心を痛めていること、今のシンの状況を深く案じていることを見て取った。そして彼女が、氷のように冷たい印象とは裏腹に、限りなく優しい心の持ち主であるということも。
「シンは此度の事件解決に躍起になっている。でも今の彼が、精神的に不安定な状態にあることもまた事実よ。事件解決を焦るあまり無茶をするかもしれないし、万が一娘を失えば自暴自棄にならないとも限らない。そこでみんなには、彼に協力する共に、精神的にも支えてあげて欲しいの。繰り返すけど、インヤンガイは危険な所よ。くれぐれも悪意に飲み込まれないように、心を強く持つように……気をつけてね」


「よう、お前等が、例の『旅人』ってやつか」
 廃墟化した地下鉄の駅で出迎えた巨漢は、一目見てオリガの言う『シン・フェイホン』と分かった。その背後には、長い黒髪をツインテールに結いあげた、10歳前後の少女が寄り添っている。彼女がオリガの言っていた「シンの一人娘」に違いない。
「はじめまして。シン・ランファです。よろしくね、旅人さん」
 ランファと名乗った少女は、一歩前に出ると、可愛らしくお辞儀をして微笑んだ。
「まあ、立ち話も何だ。ひとまず俺の事務所に来いや」

 リュウシン街区の薄汚れた大通りを抜け、迷路のように入り組んだ路地を抜けて、ようやくたどり着いた雑居ビルの一室に、シン親子の自宅兼探偵事務所はあった。
「お父さんはこれからお仕事だから、お前は奥に行って遊んでなさい」
「はーい」
 屈託の無い笑顔で、ランファはシンの言いつけどおり事務所の更に奥へと引っ込んでいった。恐らくそこが、親子の居住スペースなのだろう。
 ランファを見送った後、シンは旅人達の方に振り返り、
「……可愛いだろう? 死んだ妻のレイミにそっくりでさ、ま、俺に似なくて本当に良かったってわけだ。こんなところに生まれついたってのに、ひねくれることもなく素直な子に育ってくれて、全く俺には過ぎた娘だよ……おおっと、事件の話だったな」
 そう言ってシンは、旅人達にソファに座るよう勧めた。

「こいつが、今までに俺が集めた情報だ」
 テーブルの前に資料が並べられる。それらは概ね、出発前にオリガから聞いた内容と一致していた。
 ただ、シンが見せた写真の中には、いくつかオリガの情報にはないものがあった。
「まずこいつが、実際の殺害現場の写真。死体には塩が撒かれ、白い花が残されている。そして……」
 もう一枚の写真には、白い蓮の花をモチーフにした、奇妙なペンダントトップが写っていた。
「つい先週起こったばかりの事件で現場に残されていた『犯人の遺留品』ってやつだ。残念ながら現物は警察に持っていかれてしまったが……こいつは最近、リュウシン街区で積極的に布教活動をしている新興宗教『白蓮清教』のシンボルマークだ」
 白蓮清教……初めて聞く言葉に首をかしげる旅人達に答えるように、シンは続ける。
「先の見えない今のご時世、このあたりじゃあ、とにかく何でもいいから助けて欲しいと言って神頼みにハマる奴も、また突然『我、真理に目覚めたり!!』とか何とか言い出して、自ら教祖様になっちまう奴も多い。中には相当怪しげな……例えばほとんど売春窟や麻薬パーティーと大差ねえところや、異教徒を滅ぼすという名目で他所の教団に抗争を仕掛けるテロ組織まがいのところ、果ては夜毎に生贄を捧げる邪教などと噂されているところなんかも少なくないが、そういうイカレた奴等に比べれば、ここの連中はまともなもんだ。いや、むしろ善良と言ってもいい。主な活動は、貧困層への炊き出しや地域の清掃、施設への慰問といった慈善活動。そしてその資金源となる街頭募金や工芸品の販売、といったところだ。主な教義は『喜びも悲しみも分かち合い、恵まれない人にも進んで手を差し伸べ、共に手を取り合いましょう。さすれば必ずや皆が分かり合える理想の世界が実現します』とか何とかいうらしい。ま、俺からすればあまりにもぬるい甘ちゃん思想で、とてもついていけねえがね」
 シンの言葉が本当ならば、善意に満ちた宗教団体と陰惨な殺人事件とは、とても結びつかない。両者は本当に無関係なのか、それとも……。
 旅人たちが考えあぐねている中、突然シンはそれまでの気さくな雰囲気を一変させ、真顔で向き直った。
「…… ランファは、俺のたった一つの希望なんだ。妻が逝っちまってから5年、この薄汚ねえ世界の中で、あいつだけが俺の心の支えだった。もしあいつにもしものことがあったら、俺はどうなってしまうか……いや、そんなこと考えたくねえ。どうか彼女を守ってやってくれ……いや、彼女だけじゃねえ。あのサイコ野郎を叩き潰さない限り、この悲劇は決して終わらねえ。そのためなら俺は、この命も賭けるつもりだ。
 ……お願いだ。どうか、力を貸して欲しい」


 時間は少し遡る。
 旅人達が駅でシンとの邂逅を果たし、彼の事務所へと向かっていた頃……

 リュウシン街区の一角にある児童公園――公園とは名ばかりの、錆び付いた滑り台とブランコが放置されただけの荒れ果てた広場では、ここを住処とする浮浪者を対象とした、ボランティアによる炊き出しが行われていた。
 炊き出しを取り仕切っているのは、新興宗教「白蓮清教」の信者達だ。
 腹をすかせた浮浪者たちに暖かいスープを振舞いながら、彼等は優しく語りかける。
「大丈夫ですよ、私たちは常にあなた方と共にあります。これ以上、不幸に泣く子供達を作らないために、一切の悩みの無い世界を作るために、共に手を取り合いましょう」
 今日までずっと心身共に痛めつけられてきた浮浪者たちは、信者たちの柔らかな言葉に少なからず慰められ、感涙を浮かばせる。たとえそれが、自分達の活動への支持を集め、より多くの『同志』を募ると言う目的をも、胸の内に含ませていたとしても。

 そこから少し離れたところで、一人の青年がその様子を静かに見つめていた。
 白く長い髪を一つに束ね、これまた白く彫りの深い顔立ちに眼鏡をかけた、長身痩躯の青年。その風貌もあいまって、眼鏡の奥の切れ長の瞳は、少し神経質そうに見えなくも無い。
 そしてその右腕は、肘から下が包帯でぐるぐる巻きに覆われており、まるで白い棒杭のように見えた。
(全く……度し難い偽善者だ。どれほど祈りを捧げても、どれほど手を取り合っても、現実は何も変わっていないというのに……)
 青年の心の呟きは、この場にいる誰にも聞こえず、唇の奥で噛み締めた冷笑は、誰の目にも見えることは無い。
 そんな彼の心の内を知らぬように、一人の若い女性信者が、心配そうに声をかけてきた。
「グェンさん、お怪我の方はその後いかがですか?」
「え、まあ……完治までにはまだ時間がかかりそうでして……」
「大変でしょう。私たちのことなら心配要りませんから、ご自宅へ帰って治療に専念なされた方が……」
「いえ、お気遣いなく。私とて偉大なる神の信徒。この穢れに満ちた現実を見届け、救済への道を模索せねばなりません。自分だけが自宅でのんびりなんて出来ませんよ」
「そうですか……。では、あまりご無理はなされませんよう……」
 会釈して立ち去る女性信者を見送った後、グェンと呼ばれた青年はふと公園の外を見やる。このあたりでは見かけない奇妙な一団を伴って歩く、一人の大男。そしてその男に寄り添い笑う、幼い少女。

(……救ってさしあげますよ。我等が神の説く『不幸に泣く子供たちのいない世界』を実現するために……)

 少女を見つめるグェンの瞳に、仄暗い闇が宿っていることを、この場にいる誰も気付かなかった。

管理番号 b38
担当ライター 石動 佳苗
ライターコメント  はじめまして。今作から参加させていただきます新人ライターの石動佳苗(いするぎ・かなえ)です。
 シナリオ傾向は今回のようなダークな色合いのものか、王道の冒険活劇がメインになるかと思います。
 ギャグ系やほのぼの系はちょっと苦手かもです。
 どうか、よろしくお願いいたします。

 さて、これから冒険に旅立つ皆様は、既に「異世界博物誌」にて、これからロストレイルで旅する様々な世界の概要を目にされたかと思います。
 どの世界もそれぞれに魅力的なのですが、特にこの「インヤンガイ」の設定を見たとき、私は、他とはまた一味違った、この世界独特の切なさ・痛みのようなもの噛み締めておりました。
 他の異世界がいかにも「冒険」に似つかわしい、広い世界の更に彼方へと向かう「開放感」に溢れているのに対し、このインヤンガイだけが、常に陰鬱な「閉塞感」に覆われています。
 暴力と貧困、狂気と悪意と怪異に満ち溢れた、絶望の世界。
 そんな夢も希望も失われた世界で、旅人達や探偵たちはもちろん、無名の群集たちも含めて、彼等は何のために戦い、生きるのか。
 今回のシナリオ作成にあたり、改めてインヤンガイの設定を読みながら、そんなことに想いをはせておりました。

 初めての冒険となるこのシナリオで、プレイヤーの皆様の心に「何か」を残せたなら、そしてこの世界を気に入っていただけたなら、それに勝る幸運はありません。
 それでは、リュウシン地区でお待ちしております。

参加者一覧
瓢 シャトト(cctm3473)
ロウ ユエ(cfmp6626)
オーギュスト・狼(cwnf8428)
那智・B・インゲルハイム(cyeu2251)
ジル・クイーン(cezp5447)
ファレル・アップルジャック(ceym2213)

ノベル



 探偵シン・フェイホンの事務所には、此度の依頼を受けたロストナンバーたちが集っていた。
「白蓮清教……やはりあんたらもそう思うか?」
 資料を片手に呟くシンに、ファレル・アップルジャックは答えた。
「ええ。証拠と言えるものは今のところあの聖印しかありませんが、何かが妙に引っかかります。先入観で決め付けるのも危険だとは分かっているんですが。それを言うなら教団の『平和的なイメージ』も先入観ではないか、という話になってきますし」
「平和的な教義は、必ずしも彼等の無実を証明しない。別に宗教じゃなくたって、愛と平和の名の下に戦争やテロを行う集団は、どの時代や世界にもいるものだからね」
 続く那智・B・インゲルハイムの言葉は、口調こそ穏やかではあったが、その端に「何を今更」という冷笑めいたものを感じさせる。
「確かに手向けられた花や塩は、宗教儀礼の清めの儀式を髣髴とさせるし、遺体を極力傷つけないような殺害方法も、被害者の子供に対する愛情あるいは慈悲、ってやつかもしれない……相当歪んではいるだろうがな」
 アルビノの青年、ロウ ユエもまた、教団への疑惑を必ずしも否定しなかった。
「問題はこれが組織ぐるみかそうでないか、ってことですね。犯行自体は単独犯の可能性が高いものの、それが教団幹部の意向によるものか否かで、犯人像や動機は大きく変わってきます。あと気になるのはこの傷跡。子供とはいえ、人ひとり分の頭蓋を錘状に貫通するほどのものといえば……パイルバンカー? それとも……」
 遺体の写真を眺めていたジル・クイーンは、推論を巡らせつつも先入観は禁物、と自制する。何しろここはインヤンガイだ。『霊力』により呪術と科学が一体となり、常識を超えたオーバーテクノロジーが現実のものとなっている。
 そんなことを話し合っていると突然、奥の部屋からキャハハと甲高い子供の笑い声が聞こえた。
「ねえ、ねずみさーん、もっと遊んでよ!」
「うわっとっと、ランファったらくすぐったいよ! それにおいらの名前はシャトトだよ。シャ・ト・ト!」
 年齢が近く小動物的な風貌もあってか、ランファは特にシャトトに懐いているようだ。お気に入りのぬいぐるみのようにシャトトをもふもふする姿は、実に微笑ましく見える。
「全く、何をやってるんだか……」
「そんなこといったって、おいらだって立派なロストナ……うわははははは!!」
 このインヤンガイの如く荒廃した故郷の世界で、必死に生き延びてきたシャトトも、可愛い少女のハグ攻撃にはかなわない。突っ込むロウも、故郷で見ていた子供を思い出し、思わず口元を綻ばせる。
「そういえば、オーギュストさんはいないの?」
「ああ、あいつなら先に行った。教団関係者に聞き込みをするつもりらしい」

 オーギュスト・狼は薄汚れたコートを纏い、「白蓮清教」の炊き出しの列に並んでいた。
 信者に変装して潜入するのは困難だが、彼らから施しを受けるホームレスなら、さほど疑われることもないだろう。実際、信者達は救済と布教を兼ねて、積極的に話しかけてくる。待っていれば向こうから近づいてくるはずだ。
「ミンミさん。あちらの皆さんにこれを配ってきてあげて下さい」
「はーい」
 ミンミと呼ばれた若い女性が、盆に載せられたスープ皿を一つ一つ配って回る。どこか夢見がちで浮世離れした感じがしないでもないが、その表情は柔和でなかなかの美人だとオーギュストは思う。
 最後の一皿を受け取ったオーギュストは、一言礼を述べた後、ミンミに尋ねた。
「そういえば、このあたりで子供ばかりを狙った殺人事件が多発していると聞きましたが……」
「ええ、全く痛ましい限りです。先週はルイ君も……」
「ルイ君?」
「リュウシン支部長のホァンさんのご子息です。うちの活動にもご両親と一緒によく来ていて、殺される前日に正式な教団員として聖印を授かったばかりでした。あんなに良い子だったのに……」
 先週といえば、シンが言っていた最新の事件だ。現場に残された聖印は、てっきり犯人の遺留品と思っていたが、こうなると被害者であるルイ少年のものという可能性も出てくる。しかし、警察に持っていかれた今となっては、それを確かめる術は無い。
 同時に、同じ教団の子供まで犠牲になっている点や心底悲しむミンミの様子から見て、少なくとも組織ぐるみの犯行という線は消えた。仮に犯人が教団員として、親の背信疑惑に対する見せしめ、或いは息子本人の口封じが目的なら、それより以前に他の子供を殺した理由はどうなる? むしろ、一信徒による暴走であれば、あるいは……。
 そんなことを考えていると、炊き出しの一団に混じって、白い人影が目に留まった。
 顔立ちはまだ若いというのに腰まで届く白髪をした痩身の男。包帯でぐるぐる巻きにされた棒杭のような右腕は、遠目に見ても目立つことこの上ない。
「あの人、あんな酷い怪我で……大変ですね」
「ああ、グェンさんですね。信仰も実践活動も、私のような凡人がとても及ばないぐらい素晴しい方ですのよ」
「そんなにすごい方なんですか?」
「ええ……グェン・イーリィ。この教団の発足当時からのメンバーと聞いています。非常に聡明な方で、過去に何度も幹部への昇進が嘱望されていましたが、本人は現場主義を理由にそれを固辞して、あくまで一信者として熱心に活動されていました。ただ……」
「ただ?」
「二ヶ月ほど前に、このあたりを荒らしまわっていた少年強盗団から小さな子供を庇って怪我をされたんです。それはもう、右腕の骨が粉々に砕けるほど酷いもので……。結局その子供は亡くなり、強盗団は警察に逮捕されましたが、それ以来グェンさんも少しふさぎこむことが多くなって……加害者の子供たちにも我が神の御声が届けば、きっとあのような悲劇は起こりませんでしたのに……」
 ミンミの最後の一言に、オーギュストはどこかずれたものを感じないではなかったが、そこはあえて突っ込まないことにした。
 それよりも重要なのは、グェンが大怪我をした事件から程なく、最初の犯行が行われた点だ。
 教団が理想に掲げる慈愛も正義も裏切られ、子供を救えなかったショックで精神を病んだグェンが、子供たちが大人になるにつれ――あの強盗団のように――世俗にまみれ歪んでしまう前に、純粋なまま神の御許に導こうと考えたとしたら……。
「……あ、はーい。今行きまーす。それでは、あなたにも幸あらんことを……御機嫌よう」
 ミンミが立ち去った後、オーギュストは懐からこっそりトラベラーズノートを取り出し開く。先刻ミンミから聞いた情報、特にグェンに関するものをエアメールで送り、連絡を待つ。


「あ、ツバメ! ねえ知ってる? ツバメが低く飛ぶのは雨が近い証拠なんだって」
 窓の外を眺めていたランファが、そうシャトトに語りかける。しかし、無邪気に見えたその笑顔の陰に少し寂しげな表情が浮かんでいるのを、彼は見逃さなかった。
「いいなあ。ツバメは自由に空を飛べて……私なんか、お外は危ないから出ちゃ駄目って、お父さんから止められてるんだもん」
「外で思いっきり遊びたいか? おいらも分かるぜ。その気持ち」
「私……あのツバメさんが見てみたいな。お友達とも遊びたい。ねえねずみさん……シャトトお兄ちゃん。一緒にお外に連れて行ってくれる?」
「お安い御用さ! 何かあってもおいらがしっかり守ってやるかんな!」
 シャトトの安請け合いを、当然その場にいた大人たちは聞き逃さなかった。ロウと那智、オーギュストの三人は、調査の為と言って外出中。今事務所に残っている十八歳以上の年長者は、父親のシンとジル、そしてファレルの三人だ。
「ちょっと、あなた何を言っているか分かってるの? どこに殺人鬼が潜んでいるのかも分からないのよ!? あまりにも危険だわ!」
「おいらだって立派な戦士だ! 戦えるんだ! ランファは絶対守って見せる!!」
 ジルが引き止めるが、シャトトも引き下がらない。ランファの願いをかなえたいという気持ちも勿論だが、子ども扱いされたことに対する意地もあるのだろう。
「……仕方ないわね。念のため、うちのドイルもつけておきましょう。何かあったら必ずトラベラーズノートで連絡するのよ? いいわね?」
 そう言ってジルは、オウルフォームに変身させた自身のセクタン・ドイルをランファの肩に止まらせる。向こうで何か言いたげに身を乗り出すシンを、ファレルが二言三言囁いて引き止めた。
「ありがとう! じゃあ着替えてくるから待っててね? お兄ちゃん」
 そう無邪気に微笑んで、ランファは自室へと入っていった。


 一方こちらは、炊き出しキャンプに潜入中のオーギュスト。
 先のメールを送ってからしばらくして、ロウからの返信が届いた。
「例の連続殺人事件が始まる直前に、リュウシン街区で開業していたサイバネ医師が殺害される事件があった。表向きは事故で四肢を失った患者を対象に、義手義足の移植を請け負う普通の整形外科医だが、裏では金さえ積めば武器改造した違法パーツを移植するなんてこともやっていたらしい。そして、当時入院していた患者の一人が、君が見たというグェンの特徴と一致する……ビンゴだな」
 顔を上げた瞬間、オーギュストの目に映ったのは、教団員と挨拶を交わし視界の向こうに消えようとするグェンの姿だった。
(まずい……!)
 もし奴が新たな標的を見つけたら……慌てて立ち上がり後を追うも、迷路のように入り組んだこの街では、あっという間に迷ってしまう。グェンの姿を探すどころか、周囲の看板や表札を目印に、何とか現在地を把握するのが精一杯だ。
 せめて現状だけでも知らせようと、トラベラーズノートを開いたその時、今度はジルからのメールが届いた。
「ドイルが見たんです。ランファちゃんとシャトト君に怪しい人影が近づいてるって。那智さんとファレルさんは連絡がつきません。急いで下さい。私とロウさんが今向かっているから、現地で合流しましょう。場所は……」


 誰もいない児童公園で、二人の子供が遊んでいた。
 一人は黒髪の少女。もう一人は鼠の頭をした見慣れぬ少年。否、直立する子鼠そのもの。
 その異貌は、恐らく何処かの異国からの来訪者だろうが、そんなことはこの魔都では些細なことだ。
 何しろ私のこの右腕も、既に人の形をしていないのだから。

 それにしても、何と無垢で純粋なことか。
 この穢れに満ちた地で、一切の不安も悪意も無く無邪気に遊ぶ姿の、何と美しきことか。

 さあおいで。その魂、無垢なるままに、神の御許へ送ってあげよう。
 この世界で穢れに染まり、悪鬼に変わり果てる前に……。


「……誰もいないね」
 ランファの言うとおり、辺りに子供の姿はなかった。
 子供を狙う殺人事件が頻発している昨今、愛しい我が子を好き好んで、血に飢えた獣の狩場に差し出す親はいない。比較的裕福な子供であれば、安全な部屋の中で玩具かゲームでも与えておけば、しばらくは気を紛わせられれる。
 一方外で徒党を組む子供はといえば、貧困の中でストリートキッズとなった子らも少なくない。中には小さなギャングと言って差し支えない集団さえあるという。そこまで荒んでいなくても、他の世界に比べ余所者に対して排他的になる傾向が強いのは、致し方ないところであろう。
 それでも親の監視の目をかいくぐって外へ出た子、仲間と喧嘩して思わず抜け出した子など「たまたま一人になってしまった子」が、哀れにも犠牲になったわけだが……それを事前に、かつ意図的に見つけ出し集めるのは困難だ。
 ランファ自身、あの日一行の出迎えに同行したのは、頼もしい父親が傍にいるという安心感があってのことだ。
「ごめんな、ランファ。おいらのせいで……」
「ううん、お兄ちゃんのせいじゃないよ! 外へ出たいって言ったのは私のわがままだもん」
 ベンチに寝転がったホームレスが、時折だるそうに寝返りを打つ。安酒に酔いつぶれているらしく、襲ってきそうな気配は無い。近づかなければ害はなさそうだが、あまり居心地の良いものではない。
「みんなが心配するといけねえ……帰ろうか」
「……うん」
 二人は連れ立って家路を急ぐ。公園を出、路地へと差し掛かったその時、
「……何だ?」
 路地の酢えた空気の中、突然混じる金属の臭いに、シャトトの鼻が反応した。
「……誰だてめー、隠れてないで出て来い!!」
 小さな体に目一杯の気合を込めてシャトトが叫ぶと、暗がりに浮かび上がるように、髪も肌も真っ白な一人の男が現れた。
「……おやおや、別に隠れるつもりはなかったんですが……ここは危険です。さあ、私が『送って』さしあげましょう……」
 慇懃に微笑みながら一歩一歩ランファに近づく男の口の端が、ニヤリと歪む。シャトトは直感した。この男はヤバイ。彼こそが一連の事件の犯人だ。そして今この時、目の前のランファを狙っている!
「ランファ、逃げろ!」
 シャトトが叫んだその時、長い紐……否、棒状のものが彼の頬を掠めた。騎士槍(ランス)よりは細く、レイピアよりは長い、棒状の金属……凶器。その間、僅か一秒にも満たず。そしてその先にはランファが……間に合わない!
 シャトトの心に絶望が走ったその時、

「……間一髪、ですね」

 目の前にいたのはランファではなかった。シャトトと同じ旅の仲間、ファレル・アップルジャック。
 空気中の分子を固めて作った盾が、グェンの右腕から伸びる『凶器』を止めていた。
 事態が飲み込めず呆然とするシャトト。グェンもチッ、と吐き捨てるように呻き、目の前のファレルを睨み付ける。
「どうなってんだよ……そうだ、ランファはどこだ!?」
「出発前、彼女が自室に戻った時に、本人の了承を得てすりかわってもらったんです。周辺の光の分子を屈折させ、私の姿をランファそっくりに見えるよう錯覚させる……。本物のランファは、今頃事務所で御父上が守ってくれていますよ」
「ひでぇや兄ちゃん。おいらまですっかり騙されちまったよ」
「すみません。敵を欺くにはまず味方から、とも言いますから」
 シャトトは一瞬だけぷぅっと頬を膨らませた後、それ以上はファレルを責めなかった。ランファを守りたいのは彼も同じ、決して悪気はないと分かっていたから。
「……ファレルさん? 無事でよかった……」
 ジルからの連絡を受けた仲間たちも駆けつける。
「こいつがグェンだな?」
「ああ、間違いない。確かにあのキャンプで見た。それにしても……包帯の下にあんなものを隠していたのか」
 グェンの右腕は、肘から先が細く長い槍と化していた。否、通常の槍より遥かに細い。錐をそのまま細く長く伸ばしたようだ。それでいて切っ先は鋭く硬質で、何物をも貫けぬものはないと思わせるほどのものであった。
 何人もの子供達の血を吸ってきたというのに、細身の槍は銀色に磨きぬかれ、不気味に輝いていた。
「必ずここで決着をつける!」
 それぞれに武器やトラベルギアを掲げ、臨戦態勢に入る。
 戦いが始まった。これ以上の悲劇を食い止めるために。

 鋼鉄の右腕を一閃し、一行との間合いを取りながら、グェンは問う。
「……貴方達、何故私の邪魔をするのです? この世界は悪意に満ちている。生まれたときは無垢で清らかな子供達も、大人になるにつれ、次第に悪意に染まり、欲に塗れ、次第に堕落してゆくのです。己の欲を満たすために、より弱い者を、子供さえも殺し、奪い、貪るだけの獣に!」
「だから穢れた大人になる前に殺そうっていうのか……思い上がるな!」
 狂った殺人鬼の身勝手な詭弁に、普段は穏やかなオーギュストが珍しく激昂する。
「ならば、貴方がたに聞きましょう。命は大切だからと言って、この醜い世界で穢れに染まるまで放置するのが、本当に子供達にとって『救い』なのですか? 貴方がたは、世界に穢され悪鬼となった子供達に、本当に責任が持てるのですか?」
「そんなことない! 子供だって戦えるんだ! 泣いてるだけじゃないんだ! 自分の運命ぐらい、自分で決めてやる!」
「そうだ! 子供達は本当に、自ら殺してくれと望んだのか? 君はただ、自分の思い込みを勝手に子供達に投影して、押し付けているだけだ。そんなものが救いなどであるものか!」
 シャトトの叫びに応えたロウが、念動力でグェンの右腕をねじ上げる。
「なっ……」
 いつしか自分が動けなくなっていることに気付いて愕然となるグェン。ファレルの放った空気分子の刃が、彼の周囲に檻を形成していた。
「貴様の悪行も、これまでだ!!」
 ロウが剣を一閃させる。まだ生身の肩口から切断されたグェンの右腕は、乾いた金属音を立てて地面に転がり落ちた。
「まだ、終わりじゃなくてよ?」
 続いてジルが、左腕と両足の関節と腱を狙う。細く繊細なアンティークナイフは、芸術的なまでに彼の五体のうち首を除いた全ての筋肉を、神経を断ち切ってゆく。肘そして膝から先を血に染めて、ついにグェンは倒れた。
「これから私をどうするのです……憎いですか? 殺しますか?」
「いいや、殺さない。自害もさせない。殺された子供達の恐怖を、身をもって味わってもらう」
「生き恥を晒そうというのですか……? これが……これが本当に人間のやることですか……?」
 四肢を砕かれた自身の哀れな姿に驚愕したグェンが、恨みに満ちた目で呪詛の言葉を吐く。
「貴様等は……悪魔だ……」
「貴殿にだけは言われたくないね」
「それにもしあなたの行為が、本当に神様の御心に叶うものだったなら、敬虔な信者様を見捨ててはおかないでしょう? まあせいぜい祈りなさいな。運がよければ『慈悲深い誰かさん』が助けてくれるかもしれなくてよ?」
 グェンが本当に「安らかな死」こそが「救済」だと信じているとしたら、そんな奴を望みどおりに「救済」などしてやるものか。それほどの怒りを、その場にいた誰もが感じていた。
 それまでの慇懃さをかなぐり捨て罵倒の言葉を浴びせかけるグェンに背を向け、歩き出す。
「それにしても……那智さんは何処に行ったのかしら。結局最後まで合流できなかったし」
「まさか別の殺人鬼に……いや、彼もロストナンバーだし、それは無い……よな?」
 只一人現れなかった仲間の身を案じつつも、一行はシン親子の待つ事務所へと帰っていった。


 五人の旅人達の気配が、周囲から消えて程なく。
 四肢を折られ、まるで昆虫標本のように地面に磔にされたグェンの傍らに、いつの間にか一人の男の影が見えた。
「……皆さん、つくづく甘いですね」
 これで助かる……一瞬感じたグェンの「最後の希望」は、程なく「底なしの絶望」に変わる。
 その男、那智・B・インゲルハイムは、足元のグェンを見下しながら、冷たく――しかしどこか嬉しそうに――語りかけた。
「……メサイア・コンプレックスという言葉を知っているかい? 哀れな他者に慈悲を賜る『救世主(メサイア)』として振舞うことで、現実の脆弱な自己から目をそらそうとする依存的心理……君は、多分にその傾向があるようだ」
「……」
「君は別に、子供達を救いたかったわけじゃない。自分が現実に挫折した『負け犬』だと認めたくなかっただけだ。被害妄想と不満の捌け口としての殺人を正当化するために『救済』という美辞麗句を飾り立て、弱い自分を覆い隠そうと周囲に対して見栄を張る……全く、度し難い偽善者だ」
「……私と同じ臭いがする……貴様は一体何者なんだ……!?」
 既に理性も失い恐怖に声を震わすグェンに答えず、那智は尚も容赦のない言葉を浴びせる。
「……一緒にしてもらっては困る。人は別に『神からの使命』を帯びて生まれてくるわけじゃない。私も君も、命は皆『快楽』から生まれてくるのだから。君が殺人の理由を『救済』に求めたように、私が……理由を求めるのは……」
「……やめろ……やめてくれ……まだ死にたくない……痛い、痛い痛い痛い痛いいたいイタイ…………!!」

 塞がれた絶叫はくぐもった呻きに変わり……やがて辺りは再び静寂に包まれる。
 この街ではあまりにもありふれた光景。人の命が紙屑よりも軽い場所。ここにこうして立っていると、『全能の神』などいるわけがないと、改めて那智は思う。
 だが、人々の尊敬を受けていた時、子供達から未来の『穢れ』を断ち切った時、確かにグェンの魂は『快楽』に満たされていたのではなかったか?
『神への信仰』は、人の精神的欲求を支える雛形のひとつに過ぎない。エロスとアガペーを分かつ区分もまた。
(……私と同じ臭いがする……)
 今も心の底で澱のように淀む、グェンの最期の言葉を反芻しながら、那智は静かにその場を後にした。


「本当に、お前らには世話になったな」
 一行が初めて出会った地下鉄の廃駅。ランファと共に見送りに来たシンは、再び旅立ってゆく一行に感謝の言葉をかけた。
「まあ、肝心な時に道に迷って来れなかった、情けない大人もいるけどねー」
 シャトトのからかいにも、那智は穏やかな笑顔を崩さなかった。人の言葉を素直に信じられるとは何と無邪気なことでしょう。そんな思いもあの日の『真相』も、おくびにも出さぬほどに。
「また何か事件があったら、世話になることもあるかもしれん。その時はよろしくな。それに暇な時にでも、近くまで来たら俺ん家に遊びに来い。美味い酒を飲ませてやる……おっと、子供はまだ我慢な」
 シンは微笑み、一人一人と握手を交わす。その握り締めた手の力強さと、暖かさ。
「シン……こちらこそ世話になった。礼を言う」
「ランファちゃんとお幸せにね」
「ランファ、おいらまた遊びに来るかんな! 約束だぞ!」
「うん! きっとよ。また遊ぼうね、お兄ちゃん!!」
 微笑みながら手を振るランファに見送られ、シャトトは――目尻に浮かぶ涙を気取られぬように――列車へと乗り込んだ。二人と交わした約束が恐らく果たせないであろうことを、彼らは知っている。旅を終え、何処かへと旅立ってゆくロストナンバーのことを、現地の人は高確率で忘れてしまうのだから。

 祈りさえすれば助けてくれる、都合の良い神様なんて、この世界のどこにもいないのかもしれない。
 それでも、世界が孕む狂気と悪意から穢れ無き子らを守るために、人知れず戦う『誰か』がいたという『事実』だけは……きっと少女の胸に残ることだろう。


<了>

クリエイターコメント  大変お待たせいたしました。「主よ、子羊らを哀れみたまえ」ノベル本編をお送りいたします。

 もう一本のヴォロスの方もそうだったんですが、バラエティに富んだプレイングに応えて少しでも見せ場を作ろうと、気合を入れて書かせていただきました。
 特にシャトト君の前向きさは、書いても書いても書き足りずにくじけそうになる私にとって、一服の清涼剤でありました。

 さて、蛇足ではございますが、今後のプレイングの参考になる(かもしれない)余談を。
 今回の「凶悪な殺人鬼との対決」のようなミッションクリア型のシナリオの場合、真相に近づくための推理や調査活動、犯行を阻止するための戦法など、具体的な行動となる「手段」の部分が重要となってきます。
「動機」や「目的」「心情」の部分がないと、PCが「何を考えて」その行動を取るのかが掴めず、意図しない描写になってしまう恐れもあります。かと言って「心情」だけで「手段」が欠けていると、PCを具体的に文章(世界)の中でどう「動かして」ゆけば良いかが分からず、見せ場を作りにくくなってしまいます。
 600字という字数制限内に書けることは非常に限られているとは思いますが、「描写が何だか物足りないなあ」「いまいち出番少ないなあ」と思われた場合は、「動機(心情)」「目的(望む結果)」「手段(実践的な行動)」の三要素をきちんと押さえているか、心情メインのプレイングの場合でも最低限「PCが『実際に体を動かして』何をするか(今回なら『聞き込みをする』とか『ランファを守る』とか『グェンを倒す』とか)」の部分が抜けていないかどうかに留意してみてくださいませ。

 トラベルギアや特殊能力の設定等で全てを拾い切れなかった部分、その他至らない点も多々あったかもしれませんが、いかがでしたでしょうか?
 今回のノベルが、ご参加いただいた皆様に少しでも気に入っていただけたなら幸いです。
 そして、もしご縁がありましたら、そう遠くない未来に待つ新たな旅路にてお会いいたしましょう。

 この度はご参加いただき、本当にありがとうございました。

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螺旋特急ロストレイル

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