オープニング


 口付けをしたいと、意識に残る女はそう言っていた。
 目の前に広がる景色は一面、鋼鉄の灰。窓から広がる世界は、空より賑やかなインヤンガイの色。
「私を愛してる? ……ええ、えぇ!」
 声色に狂気を、唇には愛を乗せて、その人物は眼下にくずおれる男の瞼にキスをした。
 皺のよった、もう若くはない男へのそれは、死への餞のようであり、今だ覚える殺意のようであり。音を立てて離れた後向けられる視線は確かに、激しく燃える炎のを宿し激しく燃える。
「ええ! 私も、私もよ!?」
 奇怪な声を上げ鳴り響く足音は激しく床を蹴り、最期のキスを贈った影は部屋から続く廊下を疾走していった。
 唇の跡が残る、男の亡骸。室内に、人間の気配はもう、無い。


 インヤンガイとは、巨大な蟻の巣である。
 荒廃した廃墟ともつかぬビル群には頼りない明かりが揺れ、人はその中へ出たり入ったりを繰り返す。見たままのみを表現するなら、蟻の巣を連想させるだろう。一匹の生命は他の生命を踏みつけるかの如く、生き、強いものが弱いものを踏み台にして歩く。
 違う所を上げるとするならば、インヤンガイには蟻のような規則性も無ければ、統べる者の統治が行き届かぬ点だろう。
 無数に立ち並ぶビルは陰鬱な光を放ち、耳に入る音は協調性が無い。政府の手が届かぬ地区は手入れの届かぬ庭のように、好きに伸び、好きに殺している。自然ではない、機械と霊力の通った世界である。
 列車を降り、インヤンガイの風に触れれば、むせ返るような錆の香りが鼻をくすぐった。


「被害者はどいつもこいつもこの地区じゃちょいと知れたツラだ。 共通点は全員が男、金持ち、瞼にキスマークがついてるって感じだな」
 ロストナンバー達を出迎え、開口一番。そう口にしたのは探偵のミァン・リーだった。彼はボロボロのスーツとコートという出で立ちに煙草をふかす、壱番世界の住民ならば一度は連想するであろう「探偵」の格好であったが、いささかその服は汚れてい、こげ茶色の生地は灰色が所々滲んでいる。貧乏探偵の銘柄も少々、情け無い程のぼろっぷりだがそれすらも纏まって見え、いかにもないぶし銀であった。
 インヤンガイの探偵という者は、初めて出会った瞬間に依頼請負人だと分かるのだろうか。迷わずに歩みを進める、その姿を追えば振り返り際のミァンと視線が合う。
「あー、あんたらで間違いねぇ、よな?」
 前言撤回。いぶし銀ではない、ただのおっさんだ。依頼内容を先走る探偵など、情報漏洩で廃業してしまえばいい。インヤンガイへ来るのはさして難しくなかったが、来た途端にこれではやる気が削がれ、ミァンが探偵であるとは思いたくないと拒否反応すら覚える。
「間違いねぇみたいだな」
 しかし、請け負った依頼はこなさなければならず。このまま0世界へ帰還する事は気分としても、納得がいかない。
 反論も肯定もせずに黙っていれば、ミァンは安心したように胸を撫で下ろして話を続ける。矢張り、彼はあてずっぽうで情報を語ったらしい。
「さっきも言ったように、被害者にゃちゃんと共通点がある。 殺し方はまあなんだ、銃殺から刺殺、絞殺とバラエティーに富んじゃいるが、瞼のキスマークで犯人一致って事だな」
 煙草を肺に入れて一息、ミァンは続ける。
「ま、普通ここまで分かってりゃ、犯人が分かってもいいようなもんだが、言ったとおり金持ちが共通点に入ってやがる」
 金持ちとは厄介だとも、彼は言った。自らの財力で培った防犯システムとSPが見張り、貧しい者達が一連の殺人に怯えても気にも留めない。それが、今回の事件を依頼した理由でもあると。
「ちっと面倒だが、金持ちのテリトリーに入る必要があるのさ。 セキュリティは結構いいもん使ってる筈だが、そこはあんたらに頼っていいんだよな」
 頑張ってくれよと背中を叩かれた。
 ミァンこそ、探偵ならばなんとかしろと口に出せば「金持ちのテリトリーは俺の管轄外でね」と返される。一体全体、インヤンガイの探偵とはどういう基準で決まっているのか。甚だ疑問である。
「早めに片付けられりゃ、ちっとくれぇ街案内してやるよ」
 そう言って指を指す、闇夜に一際輝くビルは怪しげな色を持った装飾で「女」と記されており、娼婦かと問えばミァンの口元から銀歯が覗いた。

 *

「インヤンガイの事件協力をお願いします」
 リベル・セヴァンは彼女なりの正義があるらしい。相変わらず淡々とした口調で紡がれる内容は、殺人であるにも関わらず表情一つ曇らない。旅人に一定の情報と、今回協力する事になる探偵の名前、容姿を伝えたならば一つ、頭を下げて終了である。
「成功を祈っております」
 思い出す、0世界の風景と、真っ直ぐな彼女の挨拶が、今では恨めしかった。

管理番号 b41
担当ライター
ライターコメント 始めまして。地味担当ライターの唄と申します。
普段は地味でくどい文体で耽美からハードボイルドまで、好きに書かせていただいております。

今回の依頼ですが、インヤンガイにて起こった殺人事件を探偵ミァンと共に解決してください。
情報はOP内に御座いますが、探偵ミァンは少々頼りないかもしれません。
現地の情報網や道案内として協力してもらった方がいいかもしれません。
首尾良く依頼が終われば、ミァンが現地を案内してくれそうですが、別の意味で信用できない探偵である事を明記しておく事にします。

それでは、お気をつけていってらっしゃいませ。

参加者一覧
ジュリアン・H・コラルヴェント(cutn5843)
枝幸 シゲル(cvzc7873)
ベルダ(cuap3248)
メルヴィン・グローヴナー(ceph2284)

ノベル


「情愛が絡む女性の殺人で、銃と絞殺が揃って登場するのは珍しいな」
 探偵ミァン・リーへ、最初の問いかけをかけた人物はジュリアン・H・コラルヴェントだった。
 集まった四人は皆それぞれ、年齢性別出身全てが違う。ジュリアンはインヤンガイに似つかわしくない、少々整いすぎた容姿を闇に溶け込ませながら探偵からの情報を耳に入れたかと思えば、話にならないとばかりに肩を竦める。
「だよね。 僕はそんなにこういう事件慣れしているわけじゃないけど。 情報不足な気がする」
 続いて口を挟むのは枝幸シゲルだ。
 彼もジュリアンと同じように、インヤンガイの暗く伏せった空気には似つかわしくない、一滴の清涼水の如き印象をたたえた少年であり、今回のメンバーでは最年少である。

 深い闇に包まれたインヤンガイ。ここに集まった四人はそれぞれに欲望と、目的を持っている。それは、殺人事件の謎解きだけではない。0世界でリベルから聞き及んだ、上層階級への興味、犯人が女性であろう推測から来る興味。
「ならば、ミァン。 少々チップを増やすという手は使えぬかね?」
「というと、なんだ?」
 メルヴィン・グローヴナーは最年長者であり、最もこの世界で渡り歩くに相応しい人物だ。アジア系をも思わせる黒髪に、決して他人から見下されない、威風堂々とした風貌。気品。インヤンガイの上層階級の者全てが気品を備えているかは分からなかったが、だからこそ十分な空気を持って使われる言葉はミァンの太い眉を上げさせるに十分であった。
「瞼に口付けの跡という情報。 それだけは君の「管轄外」という場所に入り込んだものだと思うがね?」
「もっともだ」
 報酬を支払う代わりに、まだミァンの持つ情報を聞きたいと、メルヴィンは提案しているのだ。下層の人間で知りえる情報の中に、遺体の状態までもが入っている。これは明らかに探偵の隠し事だと、訝しげな表情のジュリアンが笑う。
「まいったな。 いやいや、隠そうってわけじゃあないぜ?」
 この間抜けな探偵の事だ、大方情報提供を忘れたのだろう。少しでも前向きに捕らえれば。
「そうだな、依頼解決に来た私らから上手く情報料せしめれば美味い話だろうからねぇ」
 ベルダだ。彼女が口を挟むや否や、ミァンは慌てた様子で口元に煙草を持っていく。
「本当だったのかい」
 呆れて言葉も出ないと、シゲルが落胆すれば、ベルダはそういうものなのだと彼の肩を叩いた。少年扱いされている、美しいとはいえ妙齢の女性から受ける感覚に、図星を突かれた少年は薄い唇を膨らませるのだ。

 被害者についての追加情報は以下の通り。
 殺害された男は全員、妻帯者であるという事。
 殺害方法の全てに共通する事柄はただ一つ。凶器があるものについてはその場に防犯や、なんらかの趣味で被害者が持っていた物である事。つまり、絞殺に至っては凶器になりえる物が現場にあらかじめ置かれていなかったという事。
 二つの情報を聞いたジュリアンとベルダはここで一旦、納得がいったような、含んだ表情を浮かべた。
 被害者には確かに、共通の娼館、サロンへ通うという日課もあったのだから、これは疑いようがない。

「これは、行ってみるしかないよね」
「おいおい、兄ちゃん姉さんおっさんは良いとして、ガキの行く場所じゃねえぜ、娼館ってのは」
 情報がいくらあろうと、実際に犯人の顔を拝み、かつ捕らえねば何も始まらない。メンバー中一番のやる気を放つシゲルは、けれどミァンの一言で彼を睨み付けた。
 皆一言多いのだ、成人に満たないという理由は些細なように見えて、シゲルをこの中で足を引っ張らぬよう、奮い立たせる理由となっている。
「いいじゃないか。 と言いたいところだけど、サロンならいいんじゃないかい? そこなら私も上手く滑り込めそうだしね」
「同感だ。 僕もそっちなら多少行動制限をかけられなくて済む」
 娼館とは、つまり娼婦と一対一で顔をつき合わせる可能性が高いという事だ。それはそれで、深い話は出来そうではあるが、無駄なオプションもついてくる。
 まだ上げるならば、被害者側である上層階級の者達との接触も断たれてしまうという事なのだ。
 ベルダはサロン行きをメンバーの誰の了承も無く決める。が、この場の全員の意見は一致しているようで、ジュリアンが一人先に行くと去った後、メルヴィンも陰謀と野望の二つを兼ね備えた灰色の瞳を輝かせ「イエス」の一言を口にするのであった。



 金持ちのサロンに若い男は珍しい。富も名誉も手に入れる者となれば、親の七光りでない限りそれ相応の歳を重ねてしまうものなのだ。
「貴方、連れはおりまして?」
「いいや、若輩者の僕が女性を連れるなど早い。 そうだろう?」
 ジュリアンはそういう意味で、サロン中の女の視線を独り占めにしていた。何者をも寄せ付けない、冷たく重い吐息を零しながら、けれど女性へ投げかける視線には何処か切なさを思わせる。彼得意の演技力は女に効果てきめんである。
「あら、サロンデビューに連れが居ないなんて! ふふ、なんなら私がお相手いたしましょうか?」
 サロンへの切符、もとい資金はメルヴィンの金を通してミァンが話を通している。ただし、メンバー全員がぞろぞろと同じ時間帯に来るわけにも行かず、各々が個人での捜査を主にした。そんな中で、ジュリアン演じる、若く、もの憂い気な青年実業家は大好評だ。
「君のお相手が悲しむだろう?」
 上手く切り返せば女の頬は薔薇色に染まる。この場に来て、もう何人と見たか分からない。高級娼婦か、はたまたジュリアンの「目的の人物」か。決して、華やかとは言いがたい、どこか自己啓示欲を感じさせるドレスに身を包んだ女は。
「ふふ、いいのよ。 主人はこの間亡くなりましたもの。 私は今、あの人の代わりにここに居るようなもの」
「というと?」
「しっ。 教えて差し上げるから二人きりになりましょう」
 唇に、香水の香りが強い女の指が当たる。同時に、彼女が被害者の妻であると思考を回して、ジュリアンはその肩を抱き寄せ、人だかりから姿を消すのであった。

「ねえ、ジュリアンさんどこか行っちゃったよ」
「構わんさ。 僕は僕の興味事さえ済めば良いのだからね」
 シゲルとメルヴィンは娼婦と実業家である。
 正確に言えば、容姿を活かし女物の着物で着飾ったシゲルが架空の実業家メルヴィン・グラファイトに付き添っている。が正解だ。
 単独で行動する事がいけないわけではなかったが、メルヴィンの年齢で女連れでない者は上層階級でも一際邪な心を持った者に笑いのタネにされかねない。
 これはチップの恩恵を受けたミァンの助言であったが、なかなか的を射ているようで、サロンデビューの実業家が今宵、二人も存在する事に社交場からの会話は引く手は数多。しかし、ジュリアンの演技とメルヴィンの流暢な社交能力に誰一人として彼らを侮辱する者は現れなかった。
 メルヴィンはミァンとベルダの協力で得た被害者の写真とサロンの女性を脳内で組み合わせながら、同時にこの地区で幅を利かせる金持ち達の相手をしなければならない。
「だめだよ、この人とっていっちゃ」
 捜査の邪魔になると気を利かせ、メルヴィンに絡むのはシゲルの役目だ。もっとも、この紳士は十分に他の者の相手も出来たが、少年の健気な健闘ぶりを無碍にする程無粋でもなかった。
(目星の人は居たかな?)
 シゲルの女装も相当なもので、着物という特殊な服装にサロン中の男が熱視線を送っている。本来ならば迷惑なものだが、ここは皆の為と娼婦らしくメルヴィンに寄り添い、互いにしか聞こえぬ合図で聞けば。
「ふむ。 これは大きな収穫がありそうだね」
「ほんと!?」
 一瞬、気が抜け、大声を出してしまったシゲルへ、男女問わずこの空間から鋭い杭が放たれる。
「おおっと、すまないね。 個人的に話したい人物を発見できたようだ。 君は少し遊んでおいで」
 秘め事のようなサロンの空気を濁した事を一礼し、歳の離れた自分達が共に居るという環境から脱する。メルヴィンらしい行動ではあったが、これではシゲルが一人になってしまう。
「ちょっ、あ。 ちょっと待ってよ」
「待ちなさい、可愛らしい方。 私も丁度連れ添いに暇をやってきた所なんだ」
「え、えぇ……? そうなの」
 離れてしまえばもう大声では叫べない。自分は足をひっぱりに来たわけではないのだから。
 遠くに消える、メルヴィンが考える「話したい人物」を見つける暇もなく、シゲルは紳士を追いかける手を別の腕に捕らわれるのであった。
(ったく、なんで皆こんなに協調性が無いんだよ……ベルダさんだって、単独だしなあ)
 まったくもって、その通りである。

 金持ちのサロンと言えばカジノはどの世界でも定番であろう。
 インヤンガイ全てに通用するかは分からないが、ベルダの知っている世界でカジノといえば金持ちの絶好のたまり場であった。
「おや、あんたは一人かい?」
 乗り込んだこのサロンとてベルダの常識に例外の無い、酒の場よりは小さい作りではあったものの、ディーラーとしての人材を雇う場は存在した。単独で行動するのはメルヴィン達と違う切り口で情報を収集できるという点もあったが、ベルダ個人の楽しみでもある。
「ええ、先程旦那様からお暇を頂いて」
「そうかい、じゃあ十分に遊んでいけるってわけだね?」
 カジノテーブルを挟んで客に並ぶ者は意外に少ない。同伴が多いこのサロンは、主に男女の密会の場であるのだ。
「いいえ。 きっと私はすぐにお暇しなければいけないはずです」
 眼前の女は歳若い娼婦であった。黒髪に、大粒のダイヤを思わせる瞳、壱番世界で言われる中華ドレスを着こなすラインからは幼さすら感じる、気品と危うさを備えた女性。
「そいつを聞くのは無粋ってもんかい?」
「さあ、どうでしょう?」
 女の笑みは真紅の牡丹が落ちるかのようだ。
 男女の社交場だからこそ、来る者は皆、ベルダの興味を引く会話を残していく。ぽつり、ぽつりと寄る人間達の会話を聞き取るだけでもこの地区の、上層階級がどういった動きで成り立っているのか、ただのディーラーにも十分理解できる。
 知らぬは下層階級の庶民だけなのだ。
「なら一つだけ私と賭けをしようじゃないか」
 上層階級の人間の殺人は、この地区の同じ階層の人間全てが知っている事実だ。耳に届く男、女、客達がもたらす情報は淀んだインヤンガイの一部を色濃く見せていて。
「何かしら?」
 微笑には見えぬ微笑を浮かべる、女の顔はいかにも白々しい。白々しくて、なんとも熱に浮かされた。

「あんたが捕まるか、やつらから逃げるのが早いか……をさ」
 なんと、愛に浮かされた女であろう。
 ベルダが自分の知りうる情報と、一致する人物を指差せば幼い女はその表情を蒼白にした後、カジノテーブルを立つ。
「逃げられてしまったようだね?」
「おや、メルヴィン。 あんただってさっきからただ眺めてるだけだったじゃないか」
 からかってやるつもりが逃げられた、幼い少女のようであると娼婦を形容するベルダは次の客としてやってきたメルヴィンへと目配りをする。
「僕はこの事件は解くべき謎としかとらえていないからね。 彼女を追う仕事は他にするべき者が居るだろう」
「冷たい実業家だねぇ」
 肩を竦め、それでもベルダはカードを配る。幼い女の消えていく背を見送って、メルヴィンと共に舞うカードはサロンに一時のショーを開催するのであった。



「それじゃあ、全部分かっている。 って言うのかい?」
 サロンはただ広い部屋ばかりではない。所詮男女の社交場で、そういう込み入った事情のある者同士の個室も完備されている。
 光の灯らない室内、シゲルは柔らかなソファの上、自分を連れてきた男と対峙していた。
「いいですか愛らしい方、金持ちっていうのはね、ただの娯楽だけでは生きていけないのですよ」

 上層階級のみが狙われる殺人。怯える下層階級。そこには決定的に違うものがあった。
「はっ、愛人を使ったゲームなんて、悪趣味にも程があるね」
 「知っている」か「知らない」か。真相はこれである。
「お前達は最初から、初心で可愛らしい女の子を選んだ。 勿論娼婦のね、皆生きるのに必死だから最初は「しぶしぶ」だっただろうけど、優しくしてくれれば態度だって変わるから……」
 この地区の者達は、一様に同じ娼館の同じ娼婦を囲っていた。美しく、幼く、儚い。誰が女の心を一心に奪うかという、これは金持ちの賭けなのだ。
「その通り、流石可愛らしいお嬢さんだ。 私が見初めただけはある、このままあの「娼婦」がこなければ僕が貴女を頂くとしよう」
 連れ添いである「犯人」いや、娼婦に見せつけながら、別の者と逢引をする。「犯人」が嫉妬に狂えばこの男はサロン中に居るこの賭けをしている者に勝ちを告げられる。
「いやだね! 僕の命をお前のなんかと一緒になんてされたくない!」
 犯人が被害者の妻と共に命を奪ったケースは聞いていない。けれど、ソファに押し付けられ、男の体重を感じる今、もし賭けの対象となった女が来ればどうだろう。
「それに……ッ」
 渾身の力で押し返しても、着物という衣類はシゲルの身体に絡みついて上手く動けはしない。
「僕は……――」
 本当は、子ども扱いされるのも、女と間違えられるのも、嫌悪の感情しか沸かないのだ。このまま良いようにさせない、他のメンバーの足をこんな所でひっぱるのはごめんこうむる。

「趣味が悪いな、そいつは男だ」
 聞いて。ジュリアン。と、シゲルの口から、彼の名前が漏れそうになった。
 光の無い室内でも、扉を開け放ち、その前に立てば嫌でもその姿は視界に入る。白と黄金の異質な美貌。氷の如き冷めた表情。側には、男の言う娼婦と酷似した女を連れて。
「これでも、この男に情をうつすのか」
 言う。彼女が賭けに使用されたカードであり、娼婦であった。ジュリアンの言葉に、幼く整った表情は醜いまでに瞳を開き、男とシゲルを見やる。
「貴方も、旦那様に口付けを迫りますの?」
「そんなわけ、ないよ!」
 あくまで囮のようなもので、男への興味は一切無い。けれど、シゲルの声は彼女の耳へと届かずに、空を舞う。
「私の存在を無視して、旦那様の、ああ……旦那様」
 この部屋に凶器は無い。少なくとも、銃やナイフなどといった物は一切無い。だから、女が備え付けの花瓶に近寄った時、全ての真相と、サロンの賭けの勝敗は決まった。

「賭けは……――」

 高らかなる勝利の宣言。一人の娼婦を「妬かせた」ただ、それだけの賭けに全てを投げ出す狂気のゲーム。
 男の腕がシゲルへ伸ばした手を高らかに上げ、娼婦へ伸ばす。このまま、放っておけば、次の瞬間男は花瓶の餌食となり、この床に倒れ、最後の口付けを受ける事になるだろう。
「駄目だっ!」
 暗がりの中、シゲルの声が木霊する。
 扉の外からは柱時計の音色が、高らかに響いた。



 女は強く、したたかではあるが愛情には飢える生き物である。
 娼婦というものは地域ごとに異なるが、貧しい女の唯一の城である事が多い。
 上層階級はそうした貧しい人間の上に立つごく一部の者の事だ。
「場所ぐるみの賭けとは、やるねえ」
 ベルダはカードをきっている。メルヴィンに、他の観客達に。対戦相手の老紳士はきられたカードを見ずに、ディーラーの前へと一枚差し出す。
「君に聞いた口紅の色で犯人の見当はついたからね。 あの女性では幼すぎる。 隠し事も……ましてや、殺人もだ」
 サロン中に人間が居ようともこの「賭け」について、血相を変える人物は誰一人として居ない。全くもって厚化粧なものだ。
「命まで賭けに投げ出すなんて。 金持ちってのは分からないもんだね」
 ベルダは、口元で緩く笑みを作りながら、老紳士へ「あんたにもそういう趣味があるのか」と問うた。大勢の観客、ゲームというよりはカード一枚一枚の鮮やかな動きを楽しむ者が多い。
「さあ、どうだろうね」
 メルヴィンは肩を竦めて笑った。この社交界で注目を集めたメルヴィン・グラファイトは、その表情に寄る皺という貫禄を持ちながらも、少年のように微笑んでカードを捲った。

 ジョーカー。壱番世界のゲームで言えば、ババとも呼ばれる。
 事件は皆の思う通りに進んだが、果たして被害者はサロンのメンバーであったのか。何人目かも知らぬ殺人が起きる瞬間に、女の静止に入ったジュリアンはシゲルと共に探偵ミァンへ、犯人の身柄を受け渡し、事の真相を見やっていた。
「殺される直前、セキュリティは機能していなかった。 いや、させていなかったそうだ。 何せこれは賭けだったからな」
 ミァンに捜査要求をしていた下層階級の人間にも説明が必要だろう。報告を聞き、ミァンはそれ程驚いた様子は見せず、淡々としたやり取りが続いた。こういう、陰惨な中にあって冷静になる、そんな所はジュリアンの居た世界にも似ている。
「なんか、ちょっとやりきれない所があるよね」
 着物姿のシゲルと顔を合わせた時の方が、ミァンは動転し喜んだであろう。ジュリアンと二人、双方違う心持で終わった事件に少年は不満の声を漏らす。
「まぁ、そんなもんさね。 あんたみたいな坊ちゃんにはまだはや……」
 ミァンのよれた腰に、シゲルの蹴りが炸裂する。
「僕は、女でも、子供でも、ないっ!」
 前のめりに倒れる探偵へ、ジュリアンは手助けをせずにただ見守った。そのまま、顔を上げたただのおっさんが、出会った時のように銀歯を覗かせ、何かをのたまっても二人は聞く耳を持たない。

 犯人は娼婦、下層階級生まれのユイ・フォウ。インヤンガイの蟻の巣で、名前すら持たぬ働き蟻。
「そういや、ミァンに渡した金、やっぱりセクタンかい?」
「ふむ、それには答えよう。 ネクサスは実に有能だよ」
 どんな結果になったとしても、明日は必ずやってくる。ミァンに渡したメルヴィンの「チップ」のように。


END

クリエイターコメント 皆様始めまして。この度はβシナリオへのご参加、有難う御座いました。
字数制限と私の腕の無さもあり、プレイングを削りつつとなってしまいましたが、皆様のご尽力のお陰で事件は解決と漕ぎ着けました。重ねて、お礼申し上げます。
皆様それぞれに一つ、ないし二つは見せ場を作れるよう、執筆させて頂きました。
この第一歩の冒険から、更に味のある旅をされる事を祈っております。
それでは、この旅が少しでも皆様の思い出になりますよう、願いまして。

唄 拝

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螺旋特急ロストレイル

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