ドリア・エインの肖像
オープニング
「事件の解決をお願いしたいのです」
世界司書リベル・セヴァンの言葉は非常に端的なモノだった。
怜悧な彼女は滅多な事では表情を崩さないし、言葉に他意を挟む事もしない。
「場所はインヤンガイ。凄惨な連続殺人が起きています」
魔窟インヤンガイ――伏魔の如き蟲毒の坩堝。
「……」
「何か?」
「いや――」
もう少し何か言ってくれ――言っても詮無いから諦めた。
辺りに灯りは無い。
その時刻、真夜中に相応しく観客席には殆ど人気は無い。僅か一名ばかりの例外を別にして、ヒトの息遣いさえ聞こえない圧倒的な静寂に包まれていた。
「さて……」
緞帳の下りた目の前の舞台を男は無言で眺めていた。手首の時計に目をやる。
くたびれたコートの中年男には似合わない洒落た時計だ。十年前、別れた恋人がくれたもの。
夜光塗料に浮かぶ針が午前二時の少し前を指している。
「……さて」
男はもう一度同じ口調で呟いた。
もし彼の考えが正解なのだとしたらば、開幕は――すぐの筈だった。そしてその演目も大きく想像を外す場所には無いだろう。そう確信している。
これは確認だ、と。男は逸る気持ちを押し殺した。少なくとも今回はもう遅い。僅かにその時を早めたとしても……意味は無い。それより『彼の予定がどうなのか』を見極める必要があるのは明白だ。
僅かな逡巡で事足りた。自分を言い聞かせるように積み上げた論理に男は一応納得した。
倫理と使命感、或いは好奇心と嫌悪感。因果な商売を続けていれば綱引きが起きるのは決して珍しい事ではない。
「自分も騙せない嘘に意味は無い――そう言ったのは誰だっけ……」
学生時代何かの本で読んだ事を朧に彼は思い出した。
人間の記憶力は薄情なモノだ。そりゃあそうだと納得した覚えはあっても著者の名前までは出てこない。
ジリリリリリリリリ……!
詮無い考えを止めさせたのはけたたましいベルの音だった。
果たして、彼が予測した通りに。短針が午前二時を指したと同時に静寂が切り裂かれた。
重く日常と非日常を隔てていた緞帳がゆっくりと上がっていく。
「……っ……」
途端に強烈に漏れ出た光に男は小さく呻き目を細めた。
旧い劇場の舞台の上に一人の女が浮いていた。
ある種、幻想的とさえ言えるセンセーショナルな光景。
宙吊りになった女は美しかった。
美しく着飾り、化粧を済ませ、その癖引き攣った顔でその時間を止めていた。
「……………成る程」
女は遠目に人型を保っていたが、『前提を知る』男はすぐに真実を看破していた。
女の全身には何本ものワイヤーが絡み付いている。手足を有り得ない方向に曲げて宙に佇む彼女は丁度マリオネットのよう。バラバラ、つまりバラバラなのだ。
「ドリア・エインの肖像……か」
男――探偵は深い溜息を吐き、胸ポケットから安タバコを取り出した。
劇場内は火気厳禁。分かってはいても、彼は止める気は無かったし、止める者も居なかった。
インヤンガイはごった煮のスープのようである。
本来ならば社会の成熟に合わせて備えるべき筈の『大切なモノ』を置き忘れたまま。
歪に発展したこの街は、誰かにとっては非常に都合が良く住み易く、別の誰かにとっては掃き溜めのような場所という、理不尽な二面性を持つ……そんな場所であった。
「まぁ、そういう訳だ」
そんなインヤンガイの貧民地区の古いビルの一室でロストナンバー達は一人の男と差し向かいに立っていた。背もたれに負担を掛けないようにかガタの来た椅子に浅く腰掛け、紫煙を燻らせた彼は相手の反応を見ぬままに更に言葉を重ねた。
「助けてくれるっていうアンタ等には、次の殺人を止めるか――犯人を何とか抑えて貰いたい」
ロストナンバーがちらりと視線を投げた手元にはよれた一枚の名刺があった。
――ウォン探偵事務所代表ロッツ・ウォン――
本名か偽名かは分からない。
男の人となりやらはさて置いて、今回の『探偵』が彼なのは間違いは無いようだったが。
ロストナンバーがロッツに聞かされた話は胸が悪くなるものばかりだった。
彼が語ったのはこの所界隈を騒がせているという連続殺人事件。
遺体の状況は全身の血を抜かれていたり、吸血鬼のように胸に杭を打たれていたり。磔になって居たり、長く閉じ込められて餓死していたり、今まさに直近の事件としてウォンに聞いた通りにバラバラにされて吊り上げられていたり――と。実に統一感も何も無い。
「いや、待ってくれ。連続殺人であるという根拠は何だ?」
その疑問は当然沸いて出たモノだった。インヤンガイでは殺人鬼が跋扈する事は少なくない。それなのにロッツの口振りは全て同一犯であると確信しているかのようなそれだった。
「そう、その台詞を待ってたんだ」
少し勿体をつける気なのか、それともロストナンバーを試したのか。
そう問うとロッツは何処と無く嬉しそうに口の端を歪めた。
「アンタ達、本は読む方か?」
やぶからぼうの問いである。「まぁ、それなりに」と答えると彼は矢継ぎ早に言葉を続けた。
「ああ、仮に読んでいても……こんなもんは知らないだろが」
ロストナンバーの手元に彼は机の上の雑誌を放り投げた。安い印刷の薄い雑誌である。
「……これは?」
「その雑誌にはな。『ドリア・エインの肖像』が連載されている。ちなみに先月号だ」
「何だそれ」
「三流ミステリー……いや、スプラッタか? どっちみち大した代物じゃない。
唯、毎回殺人鬼がセンセーショナルに女を殺すだけのそんな小説。まぁ、一部じゃカルトなファンも居るみたいだがね」
ハトが鳴くような声で笑ったウォンにロストナンバーは苦笑いした。
この男、何処か露悪的と言うか何と言うか。冷笑癖を隠していない。
「……それで?」
――ドリア・エインの肖像 著者 エイドリアン・A――
ページを捲りながら聞き返したロストナンバーは問いかけた後に絶句した。
「いや、分かった」
……絶句してその質問を撤回した。
ロストナンバーが開いたページには見開きの挿絵が載っていた。
舞台は劇場、バラバラにされた上で宙吊りにされた女のオブジェ。つい先程聞いたその通りだった。
「その前の連載も……?」
「ああ。犯人は『ドリア・エインの肖像』をなぞっているのさ。
熱狂的ファンなのかそれとも『別の誰かさん』なのかは知らないがね」
肩を竦める。
「今月号は……?」
「発売は明日だ。つまり次の殺しも、もうすぐ起きる可能性が極めて高い」
話を概ね掴んだロストナンバーは一つ小さく頷いた。
「それを阻止か。……アンタは?」
「俺は頭脳労働専門でね」
「その為のアンタ達だろう?」と探偵の男は虫のいい事を言う。
犯人は露骨な殺人快楽者。
窓の外から見えるインヤンガイの空は鬱屈と灰色で。
気のせいかまるでこの街そのものが吐き出した瘴気のようにも見えていた――
管理番号 | b42 |
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担当ライター | YAMIDEITEI |
ライターコメント |
ハジメマシテ。殺伐大好きYAMIDEITEIと申します。 素の文章は硬くてくどくて酔っ払いですが割と何でも書けます。 ある程度幅は持っていると思います。 今回の事件はウォンと共に連続殺人事件を解決する事です。 ウォンは頭は切れますが危険な仕事は嫌うタイプです。へたれです。 当然、ロストナンバー達の活躍がキーになりますのでその心算で頑張って下さい。 以上、宜しければ御参加下さいませませ。 |
参加者一覧 | 煙水晶(ctse5529) | フリーダン・アークライト(ccvw1734) | 古鐘 ルリ(cwrb4659) | トール・イルアン・グライベル(chem5014) | テオ・カルカーデ(czmn2343) | 一條 華丸(crnz2482) | NAD(cuyz3704) | レイ・オーランド(cxap3421) |
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ノベル
異なる価値観と自我が完全に一致する事等有り得ない。
ヒトが二人以上集まればそこには必ずズレが発生し、格差が生み出される。
表立った対立を、そうでなくとも欺瞞と矛盾を。
力の強き者は弱き者を哀れんでみても本質的には理解し得ず、持たざる者は持つ者を羨んだとて、その逆も又然り。当然、そんな穏やかなケースばかりでは無い。
優れた者はそうでない者を侮蔑し、嘲笑し。『下』に置かれた誰かはその傲慢なる者を妬み、嫉み、最後には憎む――とかくヒトの世とは業の深いモノで、故にヒトはヒト足り得るとも言えるのだが。
「どうだ、この街は」
探偵ロッツ・ウォンは振り返らずに言葉を投げた。
彼の後には年恰好も背格好もバラバラな『八人』の集団が続いていた。だが、そこに確かに存在するのは『七人』までである。
「ああ……まったく最高過ぎて言う事無いね」
背の高さは百七十センチ程、年の頃は何処か年齢不詳の気もあるが大体二十歳位だろうか。
呆れたように唇を皮肉に歪めたのは、黒字に金糸のチャイナドレスのような衣装を纏いくすんだ灰色の髪をアップに纏めた女が溜息にも似た調子で息を吐き出した。
ツーリストである彼女が降り立ったこの街(インヤンガイ)は独特の瘴気に満ちていた。無秩序に増改築を繰り返した建物は風景に捻れと歪みを感じさせるそれ。野放図な建築計画に引きずられたように唯でさえ狭い路地はスペースを圧迫されより強い閉塞感を彼女に与えていた。
「傾倒すんのはいいが、他人巻き込んだ自慰行為すんなっつーんだよ」
紫煙をくゆらせ呟いた彼女の名は煙水晶。ハスキーな声色で中性的な美貌を皮肉に歪めていた。
先述の通りヒトの世が多くの不和の胤、破滅の胤を孕む事は今更言うに及ばないが――何もここまで露悪する事は無い。そう感じずには居られない街なのである。そう、彼女が――世界司書より使命を受けたロストナンバー達が――これから解決するべき事件が『日常』に感じられてしまう、その位には。
「……初めての旅行ですが気を引き締めて行かないとダメみたいですね」
煙水晶に応えるかのように吐き出されたフリーダン・アークライトの言葉は多少の緊張感を持っていた。彼の抱く雰囲気は由緒正しき貴族然としていて余りこんな街には似合わない。
「ドリア・エインの肖像……ですか」
トール・イルアン・グライベルは何気なく呟いた。ヒトの悪意の見えやすいこの街で今回起きた事件は連続殺人である。それも月刊連載されているその悪趣味な小説の殺し方、そのままをなぞるというセンセーショナルな事件だった。
「女の自立を妨げる、そんな殺人犯が嫌いですね」
煙水晶の評価も、フリーダンの言葉も納得の出来る完全無比なる惨劇である。古鐘ルリの言葉は二人よりももっとハッキリと強い非難の色を持っていた。間断なくがやがやと鼓膜を揺らすインヤンガイの喧騒にも負けず彼女の静かな言葉は冷え冷えとやけに通る。
「個人的には嫌いじゃありませんけどねぇ」
そんなルリに言葉を返したのはテオ・カルカーデだった。
髪に隠れた長耳が僅かに動いた。だがこの何処か獣を感じさせる男の貼り付けたような柔和な笑顔は微塵も揺らいで居ない。聞くに堪えない事件にこれから接するというのに『癖の無い余裕』を湛えたまま。何事でも無いかのように楽しんでいる風情である。
「いやね、ロッツさんに小説を借りて読んだんですけどねぇ。面白い小説でしたよ、中々」
露悪的でセンセーショナルな物語は彼を少なからず楽しませた。彼は本が好きだった。『元居た世界に創作物語が無かったから』取り分け創作小説は好む。ジャンルや書き手を選ぶ事も無く。
「……それは悪趣味ですね」
ルリは少しムッとした風だったがテオは意に介した様子は無い。『自分に正直』な彼の場合、言葉が露悪的になる事も皮肉になる事もままある事である。
「犯人は誰ですか? 知ってたら教えてくださいねぇ。手間が省けますから」
直球を投げるテオに振り返らずロッツはひょいと肩竦める。
何となく分かっているとも、そうでないとも取れる微妙な素振りである。
「なんつーか、インヤンガイらしい事件だな」
一條華丸が絶妙のタイミングで口を挟んだ。
(エキゾチックっつーか胡散臭ぇっつーか…でもこの雑多な雰囲気は嫌いじゃねぇけどな)
言葉の後半はここでは敢えて口に出さず、
「まぁ熱狂的なファンの仕業かって可能性も高いが……ぶっちゃけ作者が怪しくね?」
そんな風に切り出した。
殺人事件は小説のシーンをなぞっている。可能性としては概ね煙水晶が口にした『傾倒』と今、華丸が言った『自己主張』のどちらかに絞られるだろう。
「だって、なぁ」
著者の名前は『エイドリアン・A』。
華丸がその名を目にした時、最初に関連を連想したのは仕方ない事だろう。そしてその連想に到ったのはテオもトールも同じである。当然、著者を疑わしいと考えているのはほぼ全員の共通認識だ。
……小説の名はトールの言った通り『ドリア・エインの肖像』。エイドリアンが何を考えてこんなタイトルを付けたかは現時点では定かではないが、無責任に想像するならば余り健全な精神を持っている人物とは考え難い。小説の内容、付けたその題から考えても。
「足でいくしかねぇよなぁ、今回は」
慣れ親しんだ電脳世界とは少し勝手が違う。レイ・オーランドは軽く頬を掻いて言った。
調査は始まったばかり、取り敢えずは辺りの案内も含めてロッツと共に『ドリア・エインの肖像』を買い求めに出てはみたものの、本番はこれからである。
ロストナンバー達はそれぞれ思惑と推理を持ってこの後の行動出るのである。
ロッツはその辺りをどう考えているのかロストナンバー達の会話に口を出す事はしなかった。
「まぁ、精々インヤンガイを楽しんでくれ」
やり取りの何が面白かったのかハトが鳴くような笑い声を発している。
「ほら、もうそこだから」
彼の視線の先には売店があった。目つきの悪い鉤鼻の男がジロリと見ない顔のロストナンバー達を睨みつけている。
(――行動目的、確認。良質の食事を獲得する事。
経過に対する選択。アプローチ、パターンB。
ロッツ・ウォンを可能な限り誘導し、事件現場へ。
最適解、より多く、多くの死傷者発生の上――事件解決)
唯一人――一人と言っていいのかどうかは知れないが――そこに居ても認識されぬ最後の一人、仄暗くインヤンガイなる魔窟の空気を楽しむ精神生命体NADのみを除いて。
ドリア・エインの肖像――その最新話は水槽の中で溺死する女の話だった。
「良きマンネリズムなんてもんはこの小説にはねぇ」
バックナンバーも含めた本編を読み漁り、過去の事件の現場と照らし合わせた煙水晶は事件の発生する範囲――つまり犯人の行動半径を何となく理解していた。
「……と、なると」
「ああ」
「水槽、ですね」
煙水晶の言葉にロッツ、トールが頷いた。
「次の事件は確実に止めないとですから……」
何処か聞き取り難い低い声で『彼女』は言った。声色は必死に低く抑えようと努力はしているが、余り意味は無い。普通に聞けば少女そのものなのだが――それはさて置いて。
円を描くように点在する事件現場のパターンから類推すれば『次』の場所も想像には難くない。想定される範囲から『大きな水槽』が存在する場所を探せば良いのだから話は単純だ。
「聞き込みは他の皆に任せるとして……」
「こっちは何とか次のアタリ、だぁな」
吸いすぎた煙草を灰皿に押し付け煙水晶は小さく苦笑いした。
事件現場にそう都合よく美しい水槽等早々あるまい。
「さて……」
運び込むには大規模過ぎて苦労するのも間違いない。それまでの事件のパターンから小説が『見立て』程度に留まる事を知っていた彼女の指は、そう長い時間地図と睨めっこをする事もなく、やがて地図のある地点を指し示した。
「……ここかな」
「同感だ」
ロッツはそう言って笑った。
煙水晶の指差したのは水道局。大きな貯水池なりタンクなりが幾つもあるだろう。
「頭の良い女は嫌いじゃねぇよ」
「そりゃどーも」
煙水晶はひょいと肩を竦めた。
「勿論、可愛らしいお嬢ちゃんもな」
「……」
トールはそんな軽口にいよいよ憮然とした。
小さな角を二本生やしたこの煙水晶、それから一見すれば可憐な少女にしか見えないトール。偶然に揃った二人のその本質を知れば飄々としたこの探偵もさぞかし面白い顔をするだろう。
「失礼、気になるナゾは、はっきりしたい性格なので……。
では、犯行があった時間帯。あなたは他の方と打ち合わせをされていた――それで間違いは無いのですね?」
「そうそう。何度も言ってるだろ、俺の担当はセンセだけじゃねーって」
フリーダンの言葉に編集者は軽く笑って頷いた。
中年の無精髭の男である。痛ましい事件の事を知らない訳では無いだろうがまるで頓着している様子は無い。その態度は余り好感の持てるモノではなかったが、彼はそれを表には出さない。あくまで礼儀正しく聞き込みを続けていた。
蛇の道は蛇と笑ったロッツの仲介を得て雑誌『フリークス』を発行する『ペイン出版社』に赴いたのはそのフリーダンも含めて、華丸、レイの三人である。
「まぁ大変な事件だよな。結構話題にもなってるしよ」
くっくっと笑う編集者。
「思ってねぇだろ、アンタ」
「分かる?」
レイは何となく彼の言わんとする事を察していた。
流石インヤンガイと言うべきか何と言うべきか、編集者が事件に対して抱いている感情はレイが事前に考えていた通り『宣伝への感謝』の色が強いらしい。
「……かどうかは隠してから聞いてくれ」
レイの言葉に編集者は「まったくだ」と笑った。
枠を広げて考えるならば『フリークス』の売り上げの為に出版社が事件を起こした……という可能性はなくはない、レイはそう考えていたがそれにしては目の前の男はあっけらかんとし過ぎているようにも感じていた。或いはサイコパスの類だという可能性も無い訳ではないかも知れないが『賞金稼ぎの直観』に従うならば、レイには目の前の男が大それた犯罪を犯すタイプには感じられなかった。
……まぁ、詐欺だの窃盗だのの小犯罪は兎も角として、ではあるが。
「で、どんな人なんだよ。エイドリアン先生ってぇのは」
ならば、と次を考えたレイに代弁するように言ったのは華丸だった。
「気難しくて神経質かな。原稿は一秒の遅れもなく取りにいかにゃ怒られる。早くても当然だな。
基本的に人間嫌いでね、俺も担当して結構経つが仕事以外の付き合いはねぇよ」
喋り好きなのか仕事をサボる口実が出来たからかは知れないが編集の男は饒舌だった。
エイドリアンの人柄やこれまでの仕事等、細かく質問する華丸に気楽に答えを返してくる。
「……成る程ねぇ」
とは言え総じて分かった事はエイドリアンが神経質な変人だという事位ではあったが。
「会うのは難しいと思うぞ」
顔を見合わせて頷き合った三人に男は察しよく言葉を投げてきた。
「何せ相当の人間嫌いだ。取り分け仕事中に誰かに会うのをやたらに嫌う」
それは聞き込みが袋小路になったという事である。
「……最近、気になったことはあります?」
フリーダンは最後に余り期待はせずにそう訊いた。
男はその言葉に一瞬だけ思案をした後、冷笑を交えて口を開いた。
「売り上げが上がったかな。『ドリア・エインの肖像』、殺しの描写が生々しいって評判だ。
――と、まぁ。そういう事が訊きたいんだろ?」
日が暮れる頃にロッツ・ウォン探偵事務所にロストナンバー達は再び集まっていた。
「酒場でもかなり噂になっているようでした」
インヤンガイの街並みを歩き回り、人の溜まる場所を中心に情報を集めてきたルリが言った。
「残念ながらそれらしい人には会えませんでしたけど……」
犬にも負けぬ嗅覚を持つ彼女は染み付いた臭いから危険人物を探す事も出来る。しかしここで言う『会えなかった』とは『そういった人物』が居なかったという意味ではない。
「流石はインヤンガイと言うべきなのでしょうね……」
木を隠すには森の中、では無いが。嗅覚の強い動物は余りにも強い臭いの中ではその真価を発揮し難いという事だ。怪しい人物が居なかったではなく、居過ぎたのだ。
何時のモノか、どういった経緯によるモノかは知れないが硝煙や何らかの薬品、血の臭い、死臭のする人間は少なくとも二桁以上は居た。正確には無駄を知ったルリはそこで数えるのを辞めたからもっと沢山居たのは間違いは無いだろう。
「大先生は駄目だったぜ」
レイは肩を竦めて言った。
彼の言う通り出版社で聞き込みを行った三人は、やはりエイドリアンには会う事は出来なかった。
「挿絵作家には会えた。熱狂的なファンは居るみたいだが……この線は絞り切れないな。ただ……」
「ただ?」
問い返したのはトール。
「聞いた話を総合した人物像から考えればやっぱり可能性は高いと思うぜ」
あくまで現時点でレイの考えは推論に過ぎない。しかし状況から考えて『犯人』は自己顕示欲の強い破滅的な犯罪者である。逮捕や断罪のリスクより目的意識を優先させている節がある。もし直観が正しいとするならば或いは話は至極単純に当然の結論を齎しても不思議ではないとも考えられる。
「まぁ、何にせよ。かわいい女の子がこれ以上気の狂った馬鹿に殺されるのはもったいない」
詮無い考えを振り切って彼はそう結論付けた。
集めた情報によりある程度状況を絞り込む事には成功していたが現時点まででは決め手は無い。情報を共有したロストナンバー達は現場を抑えるべきという判断を下していた。
「まぁ、妥当なセンだろ」
椅子に腰掛け、足を机に投げ出したままのロッツが頷いた。
「受身に回らざるを得ないのは面白くないトコだがな。幸いに今回はアンタ等が居る。
それに犠牲者役には上等過ぎる面々も居る事だしな」
彼は煙水晶、ルリ、それから本人にとっては些か不本意なのだが――不精頷いた華丸を見た。
口調は荒いが華丸は線の細い少年である。よくよく見れば仕草の一つ一つには何処と無い品がある。それもその筈、彼は四歳で『常盤座』の初舞台を踏んだ筋金入りの花形である。女形は余り気乗りはしない方なのだが、南無三。周囲の余りに芳しい評判は彼自身の気持ちを大いに裏切る事が多い。
「で、あんたはどうするんだ?」
荒事は嫌いだというロッツに意地悪く――半ば意趣返しの心算で華丸は訊いた。勿論、飄々と無責任な事を言うだろうとは想定していたが、それはそれ。悪態を吐く材料には十分だから。
「……あー、そうだな」
しかし頭を掻いたロッツの歯切れは何時になく悪い。
立板に水を流すようなお喋りが何やら悩み顔をして押し黙っている。
「いや、うん……」
「……?」
「……ああ、いや何でも。一応、現場に行こうと思ってる」
ややあって吐き出された予想外の答えにロストナンバー達は顔を見合わせた。
ロッツの態度は少しだけおかしく、小さく頭を振る様子は自分自身に首を捻っているかのようでもあったからだ。
(……我ながら、らしくはねぇが)
気になって仕方なかった。
好奇心は猫をも殺す。人為的に増幅されたそれは日頃冷静な彼の判断を微妙に乱していた。
(経過は良好。ロッツ・ウォンは現場へ赴くだろう――)
謂わばその存在は事件最大のトリックスター。
NADの目的はロストナンバー達と同じくとも、その望みは全く等しくは無い。
(そして、いい食事が取れるだろう)
「鬼界ヶ島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや。……アンタがその鬼ってやつかい?」
芝居かかった風に見栄を切ったのは華丸だった。
「問われて名乗るもおこがましいが、常盤座の一條華丸たぁ俺の事よ」
「……ああ、そうか」
ライトに照らし出された痩せぎすの男は静かな口調で呟いた。
肌は殆ど土気色で生命力は余り感じられない。
その癖、奇妙な程の意志を宿す瞳がギラギラと澱んだ光を湛えている。或いは碌に眠っていないのか目は充血し、くまが出来ていて――見るからに不健康そのものといった感。
最高の獲物は成る程、誘蛾灯のようにその男を惹きつけていた。
人通りの無い水道局の内部、大きな貯水池の前で取り囲んだのはロストナンバー達。知らぬとしらを切ると思いきや男はあっさりと白旗を上げるように呟いた。
「そういう事か。つまりは、クライマックスという事なのだね」
「で、あんたが大先生であってるかい?」
独白めいた男にトールは尋ねた。
尋常ならざる気配に対して決して油断する事は無い。単純に『面倒臭い』荒事を好む方では無かったが、態度は飄々としていても何時何が起きても対応できるようには装備も姿勢も整えている。
「エイドリアン・アスターシア。エイドリアン・アナグラムと言った方が良いかね?」
男――小説家は冷笑する。その嘲りが何処を向いているかは定かでは無かったが。
「ところで、あのお話は貴方の自画像なんですか?」
場にそぐわぬ笑顔を湛えたまま、テオは問う。
「ドリア・エインの肖像。マエストロ・ドリアは我が投影だった」
凄絶な笑顔を浮かべたエイドリアンはやおら楽しそうに語り出した。
「ドリア・エインは自らを閉じ込めない。
ドリア・エインに不可能は無く、彼を縛る鎖は存在し得なかった。
凡俗の理解を求めず、同時に理解し得ない。退屈なルールには囚われず、最も純粋に……アーティスティックに自我を生きる……それはまさに自由だ。分かるかね、この自由が」
鈍色の街に澱みが踊る。
静けさの中に熱が篭っていた。狂気を帯びた語り口は早口めいて同時に自己の中で完結している。
「世界への告白だと? それとも、英雄願望か」
「いいや」
テオの言葉にエイドリアン――ドリア・エインは首を振った。
「破滅に勝る物語は存在し得ない。
美しい男は、自由を謳歌した男は最後には羽根を折られなければならなかった――」
強い妄執。狂気。NADにのみは麗しいそれは良質の『食事』である。
「理解出来ねぇな」
煙水晶は手にしたケースから鋼糸を引き出した。
恐らくはより正確に表現するならば『最初からドリア・エインは他者の理解を求めてはいないのだろう』。それは彼に与えられたアイデンティティであり、エイドリアンの言う絶対前提そのものだから。
故に彼女は早々に理解を諦めた。
「どの道、やり合うって事だろ?」
『ドリア・エイン』は笑い出した。楽しそうに。
笑ったまま懐から汚れた大振りのナイフを取り出した。何人もを殺している――独特の腐ったような生臭さがルリの鼻を突く。余り嗅いでいたくない類のその臭いは同時に肌を突き刺す殺気となって、一同全てに完全な肯定を伝えていた。
「ジャック・オー・ロビンには、なれませんでしたね」
油断無く彼を見据えながらフリーダンは淡々と言った。
銀幕世界のスターならば或いはこんな絶体絶命さえ乗り切るだろう。彼がそれを口に出したのは『決してそんな事は許さない』という強い決意のあらわれでもあった。
「無力な人間は死ぬのが貴様の摂理。他人に強いたルールさ」
トールが構える。
「演目は『土蜘蛛』って所、大捕物には似合いで御座い――」
華丸は言ってくるりと白糸を紡いだ。
「――あ? 知らねぇって? 知らざぁ言って聞かせやしょう」
ロストナンバー達の活躍で事件は終息を向かえた。
『ドリア・エインの肖像』が『フリークス』誌上から消えたのはそれから二ヶ月後の事だった。
激しい抵抗の末、エイドリアン・アスターシアは死んだ。
厳密にその経緯を言うならば彼は死んだ。逃れ得ぬと知った時、自ら命を絶ったのだが。
「それにしてもな……」
ロッツは机の上に置かれた先月号のフリークスを見やりやれやれと呟いた。
表紙には大きな見出しでこうある。
――ドリア・エインの肖像、その衝撃の最終回――
事件後訪れた出版社でロッツはエイドリアンが原稿が落ちない限り決して封を開けぬ事を条件に毎月『最終回』を同時に預けていた事を聞いた。
妄執じみた彼の『創作活動』は死したドリア・エインを最後にもう一度だけ動かしたのだ。
最終話の題はエイドリアンの肖像。
一人の小説家が何十年もの間、自身の作り出した『フリークス』に怯え、立ち向かい、憧れ、侵食され、やがて同化し破滅する――自伝のような物語だった。
――嗚呼、これだ。これを求めていた。
生きるならば死ね、死ぬのならば生きろ。
どうせ、此の世に私は居ない。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。
日常を殺せ、檻を蹴破れ。そうさ、俺はフリークス。
痛みを知らない肖像の中のフリークス。不可能は無い、今日も殺す。俺を、殺す――
「……理解、出来ねぇな」
ページをぱらぱらと捲ったロッツはやがて雑誌を放り投げた。
綺麗な放物線を描いて見事ゴミ箱に飛び込んだそれはもう狂気を呟く事も無く永遠に沈黙した。
室内に飛び込んでくる音はインヤンガイの何処か歪な生活音のみ。
窓の外の空は今日も鉛色に曇っていた。
クリエイターコメント |
難産すなぁ。 で、YAMIDEITEIは相手に理解を求めないタイプの病人が大好きです。 |
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