オープニング


 世界の摂理からこぼれおちるロストナンバー。
 かれらを世界図書館は救い出し、ターミナルへと受け入れる。
 今日も、新しくロストナンバーとなったものたちが、世界図書館の旅人としての暮らしを始めようとしていた。
 図書館は、まずかれらにパスホルダーを与え、そして知っておくべき事柄の一通りを教え込む。すぐにはすべてを受け入れられないものもいるが……、だいたいのものはほどなく新しい生活に慣れていく。
 ターミナルはそんな旅人たちの拠点となる場所。
 さまざまな異世界のものたちが暮らす奇妙な街だ。
 
~ユニーク司書あらわる~
「あ、いたいた。やっほー。エミリエはエミリエ・ミィっていうんだよ」
 レクチャーを終えたロストナンバー達の前にピュピューという効果音でも付きそうな速度で少女が近づいてくる。
「説明も終わったけど、この0世界にもなれてないよね? エミリエがね、ターミナルのオススメスポットベスト3を紹介しようと思うんだよ」
 分厚い辞書のようなものを持った背丈の小さい少女は大きな瞳をキラキラと光らせながら説明を続けた。
 文字通り右も左もわからない状態で、このようにアドバイスをもらえるのは嬉しい。
「じゃあ、まずは‥‥家庭料理を出してくれるレストラン『マンマ・ビアンコ』だよ」

 店名:『マンマ・ビアンコ』
 店主:ブランシュ・ネージュ(ロストナンバー・女・外見年齢20代前半)
 詳細:白雪のような色白の肌をした人間タイプの美人が切り盛りする小さなレストラン。
    ターミナルから出てすぐの繁華街に立っていて、ネージュを模した肖像のような看板が目印。
    ロストナンバーであり、記憶がないのだが食べたいとリクエストされた料理を再現できる腕前を持つ。
    メニューは日々増えていて、世界ごとのメニュー表が必要でないかともいわれている。
    
「ここの店主さんはものすごい美人なんだけど、褒めるとものすごい量のサービスをするからあんまり褒めないほうがいいんだよ」
 補足をつけながらエミリエは次のメモを取り出した。
「次のお店は女性にも大人気、シェイプアップやスパーリングもできるジム『阿修我羅』だよ」

 店名:『阿修我羅(あしゅがら)』
 店主:ベアー・TD(ロストナンバー・男・年齢30歳)
 詳細:熊を擬人化したような大男が営業するジム。
    ターミナルらしく、いろいろな世界の運動器具を取り揃えている。
    中央には広いマットが引いてあり希望者はレスリングも可能。
    いいファイトをしているとベアーが乱入してくることも?
    
「ベアおじさんはいい人なんだけど、可愛い子はむぎゅって抱きしめられるから気をつけるん‥‥だよ」
 思い返したのかゲッソリした表情でエミリエは呟く。
「じゃあ、最後のお店を紹介するんだよ。コンダクターさんが勤めているお洋服屋さんの『アリス・ドール』」

 店名:『アリス・ドール』
 店員:ハッター・ブランドン(コンダクター・男・年齢24歳)
 詳細:二枚目な美男子が店員をしていて最近評判の服屋。
    ハッターはバイヤーでもあり、ロストナンバーとしてさまざまな世界を渡り買い付けもしている。
    人を見るとファッションチェックとあわせをしたくなる癖があり。
    そして、実は男性が好みだったりする。
    
「着せ替え人形にされることもあるけど、いろんなサイズの服もあるし買わなくってもすっごく楽しいところなんだよ」
 にぱっと笑顔でエミリエは説明を終えた。
 メモをポケットにしまうと指折りやることを考え直した後、慌てて話をはじめる。
「そうなんだよ。観光なんだから、危険なことも無いし特に問題の無い場所だから安心して回ると良いんだよ」
「これで全部だね。他にもいろいろと紹介したいけど、今日はこの三つなんだよ。じゃあ、楽しんでくるんだよ~。あ、帰ってきたらお話きかせてほしいんだよ」
 一仕事やり終えたといった表情でエミリエは手を大きく振りながらロストメモリーたちを見送るのだった。

管理番号 b48
担当ライター 橘真斗
ライターコメント  はじめまして、もしくはお久しぶりです。
 銀幕より継続参加しています橘真斗です。
 今回は0世界のほうを皆さんにご紹介しようと思います。
 さまざまな人間がごった返す世界で、はじめの一歩を踏み出しませんか?

参加者一覧
夢宮 幽(cutn6342)
エレシュキガル(cfmt4773)
二宮 次郎(crdh9295)
アズリィ・シャフィーク(cybh4397)
ニコル・サトクリフ(cdrt1644)

ノベル


~存在証明~
「ん‥‥ここどこ? わたし誰だろう?」
 眠い目を空けると見知らぬ街があった。
 目の前の良くわからない女の子があなたは『ツーリスト』のようですねといっていろいろ手続きをしてくれる。
 けれど、何がなんだかわからない。
 そのまま流されるように『世界図書館』というところまでつれてこられた。
 右も左も変わった人が多くて不安がよぎる。
「ねぇ、はじめてだよね? よろしく!!」
 おろおろと立ち尽くしていると羽の生えた女の子が元気に挨拶をし、握手してきた。
「あ、うん‥‥よろしく?」
「わたしはアズリィ・シャフィーク。アズリィって呼んでね? きみの名前は何かな?」
「わたしの‥‥名前‥‥」
 ごそごそと着ている服を探ると胸ポケットに入っている学生証を見つける。
「えっと‥‥綺羅星学園3年生の夢宮幽‥‥です」
 そこまで話したとき、幽ははっと目覚めた。
 モヤモヤしていた頭がすっきりし、学生証に書かれた校則や校歌が正確に刻みこまれ、暗唱できる自身さえ沸いてくる。
「そっか、幽ちゃんなんだね? エミリエちゃんに紹介してもらったお店に一緒に行こうか」
「あ、お店? ええっと、仕事でしたっけ?」
「そうだよ、じゃあ一緒にいこう!」
 同じ背丈で年頃も同じアズリィに引っ張られるようにして幽は0番世界のブラリ旅に参加するのだった。

~日ごろの悩みを解決するため~
「壱番世界の日本国に於ける一般的なカレーという食物を食してみたいのだが」
 エレキシュガルはエミリエに紹介された店、『マンマ・ビアンコ』のテーブルに着くと開口一番注文をする。
 軍用バイオロイドである彼女にとって規則正しい生活以外の行動は珍しく、知り合いである二宮次郎と共に出かけるというのもイレギュラー以外の何物でもなかった。
「ああ、日本のカレーは世界一だぜ? ここで食べれるかどうかはわからないがな?」
 隣にいる二宮は砂糖大目で頼んでいる。
「畏まりました」
 注文を受けた白い肌の女性は注文をメモにとった。
 儚げな印象の強い淡い水色の髪のこの女性は『マンマ・ビアンコ』の店主であり、店を切り盛りするブランシュ・ネージュである。
「良い店ですね。店主も噂通り、いや噂以上に美しい。良かったら今度、壱番世界を案内しましょう。僕の町もなかなか良いところなんですよ」
 お姫様といっても過言ではないネージュの姿に二宮の鼻の下が伸びる。
 むろん、二宮だけでなく彼女の姿を見るために来る男性客がいるとの噂だ。
「もぅ‥‥恥ずかしいです」
 白い肌に朱色を浮かべたネージュは二人の注文を受け取るとパタパタとかけてキッチンへと戻る。
「貴様の口はそういう言葉だけは流暢に出てくる。関心を通りこして呆れるな」
「美人とお近づきになって何が悪いのさ」
「ところで、カレーの食し方の流儀だが『混ぜる』とはどういうことだ?」
「混ぜるんだよ。かけて出てくることもあるけどな」
「まったくもって理解できない。流動物と固形物が混ざっているというだけで私の常識を超えている」
 『カレー』というものが無い世界出身のツーリストでもあるエレキシュガルにとって未知との遭遇だった。
「お待たせ‥‥しましたっ」
 注文されたカレーとコーヒー?が出される。
「おー、これこれこの‥‥こーひー?」
 二宮がコーヒーを受け取るが、それはドロッとした”何か”だった。
 砂糖の量が半端なく注がれたためもはや液体ではなく半個体である。
「壱番世界のコーヒーはそういうものなのか? これは一つ学習できた。記録しておくとしよう」
 唖然とする二宮を他所にエレキシュガルは自分のカレーを見た。
 ジャガイモ、ニンジン、牛肉、たまねぎなどで構成されたごく一般的なカレーである。
 ご飯の上に既にかけられていて湯気と共にスパイシーな香りが漂っていた。
「固形物と流動物の見事な調和だ。これは美しい‥‥混ぜて食べるなど私には出来ない」
「いや、遠慮なく混ぜればいいし。まぁ、どっちから食べるか任せる‥‥俺はこいつと今からサシで戦わなきゃならないんだ」
 目の前のドロっとしたコーヒーを二宮は口にする。
 甘い‥‥ただただ、甘い。
 コーヒーは砂糖を入れたほうが好みな二宮だが、この量は半端なかった。
 
~被害者その2~
「ぐはっ、俺‥‥もうだめだ‥‥」
 ニコル・サトクリフはハンバーガーセットの20個目のお代わりを目の前にテーブルに沈む。
 ひもじいストリートチルドレン出身だったこともあり、エミリエの話で褒めるとサービスしてくれると会ったために褒めたのだが‥‥失敗だった。
「もう、ハンバーガーもポテトもコーラーも‥‥食い空きた‥‥」
 真っ白に燃え尽きたニコルはそのまま気を失う。
「注文にまだ悩んでいるの?」
「何を頼もうかちょっとわからなくて‥‥えーと、なんでしたっけ?」
 アズリィはフルーツ満載のパフェを食べながら注文を決めかねている幽を心配した。
「注文‥‥決まりましたか? イメージだけでも、大丈夫‥‥です」
「ええと、こうー‥‥黄色くて、ふわふわしてて、中が赤くてお腹が膨れる食べ物で‥‥んっと、楕円型?』」
「黄色くて、ふわふわして楕円形の中が赤くてお腹が膨れる食べ物‥‥畏まりました」
「あ、わたしは他のデザートが欲しいの♪」
 メモを取ったネージュはしばらくすると、パンケーキとオムライスを持ってくる。
「あ、これです。これ! すごいですね‥‥びっくりしました」
 オムライスをスプーンで一口食べた幽はイメージ通りの品の到着に驚いた。
 暖かく、とろとろでふわふわなオムライスに幽は満足げに頷く。
「おいしそうだね~今度私も食べてみたいな~」
「名前はわからないですけど、きっと同じ注文すれば来ると思いますよ」
 いつしか二人は打ち解け、仲良い友達になっていた。
 
~デザートも命がけ~
「三十路のいうことがようやくわかった。体内で混ぜるのとは違うのだな‥‥栄養価も高いので燃料として丁度いい」
 カレーをいろいろな掬い方で食べ終えたエレキシュガルは頬を緩ませながら水を飲む。
「三十路いうなよ。俺もエレシュの頬の緩んだ顔がみれたから満足だぜ」
 二宮はドロっとしたコーヒーを飲み(?)終え、セクタンであるサブローと遊んでいた。
「そうだ‥‥折角だからプリンなるものを食したい。追加オーダーいいか?」
 他のテーブルの注文を受け取っていたネージュを呼びとめ、エレキシュガルが注文をする。
「俺も‥‥というか、面倒だから2人分まとめてで頼む。ああ、カラメルソースは万遍なくかけてくれ。綺麗な店長さん」
「貴様は懲りないな」
「男ってのは無茶だと思ってもやらなきゃならないことがあるんだよ‥‥」
 エレキシュガルの冷めた突っ込みにたいして二宮はクールに答えた。
 挑戦する対象が料理のサービスでなければかっこいいかもしれない。
 そんなことを話しているとネージュがか細い腕でバケツを持ってきた。
「掃除‥‥には早いがまさか‥‥」
「ご注文のプリン‥‥サービスしておきましたっ」
 バケツを二宮に押し付けるようにして預けるとネージュは照れ隠しするかのようにキッチンへと下がる。
「なんだ、壱番世界の‥‥」
「その先は言わなくてもわかる‥‥これは普通じゃないからな?」
 意外とずっしりと来るバケツプリンを抱えた二宮はテーブルの上に置いた。
 中を覗けばカラメルソースが染み込んでいるプリンが存在している。
 ご丁寧にスプーンではなくお玉が2本入っていた。
「これは混ざっているのか?」
「混ざっているな‥‥普通に混ぜるのはまた今度食べるとしよう。残してもいいぞ? タッパもってきたからな」
「栄養摂取は貴重だ。糖分は幸福の証でもある‥‥ひとかけらも残さずいくぞ」
 お玉を握りエレキシュガルはバケツプリンに挑む。
「二人で一つなら‥‥いけるな」
 二宮もエレキシュガルに続きバケツプリンを食べ始めるのだった。
 
~ハグル熊現る~
「次はここか‥‥さっきは酷い目にあったからまっとうに過ごしたいぜ」
 自業自得という言葉が聞こえるきもするが、そんなものはスルーしてニコルは『阿修羅我』を訪れる。
 体力に自信ありそうな男達や、ダイエットに励む女達がジムで汗を流していた。
 その中で一際目立つのは3mくらいの大きな熊である。
「世界図書館で紹介されてきたけど、主は誰だ?」
「やぁ、僕がここの主のベアー・TDだよぉ」
 凶暴な見た目とは裏腹に間延びした口調の熊がのっしのっしとニコルに近づいてきた。
「え? 聞いた話となんかイメージが‥‥」
「ちっちゃくて、可愛いんだよぉ」
 ニコルがエミリエから聞いていた話と目の前にいる存在のギャップに戸惑っているとベアーが遠慮なくハグをしてくる。
 
 ベアーのハグ→ベアーハッグ≒ザ・サバ折り
 
「うわやめろ! どこ触ってんだ! 変態!! スケベ!! 痴漢!!」
 ふかふかの体からは想像できない強い力で締められてニコルは叫ぶ。
 もっとも、見た目は男の子のようなニコルが実は女の子というのも一つの理由だったりするのだが‥‥。
「え、えっと‥‥が、がんばれ~きっとニコル君なら何とかできるよ~」
 たいしたフォローにもならない応援をアズリィがしていると、ベアーの円らな瞳と出会った。
「こっちのも可愛いんだよぉ~」
 ドタドタと足音を立てながらニコルを解放したベアーがアズリィに迫る。
「わわっ、こっち来ちゃダメ~!」
 思わず羽を羽ばたかせてアズリィは文字通り飛び上がって逃げ出した。
「いてて‥‥酷い目にあったぜ」
 気を失うかと思えるほどの抱擁から解放されたニコルはジムの中を見回す。
 ニコルと同い年くらいの子がサンドバックを殴ってトレーニングをしていた。
「よう、おまえ何やってんだよ」
「俺はここでボクシングを習ってるんだ‥‥どんな世界でも生き残れるくらい強くなりたくて」
 少年の瞳は純粋で、すさんだ世界で生きて来たニコルには眩しい。
「精々がんばるんだな。俺はそういうめんどくせぇことは嫌いだからよ」
 少年の肩を軽く叩いてニコルは阿修羅我から外へと出て行く。
 輝かしい目的を持った少年をニコルは見ていられなかった‥‥。
 

~ファッション・パッション~
「あ、すごいー。ホントに色んな服があるんだねぇ。見たことも無い服もあるし色々着てみたいかも」
 エミリエに紹介された最後の店、『アリス・ドール』を訪れたアズリィは洋服がずらりと並んだ店内をぐるりと見回して目を輝かせる。
 竜人用や天使用など翼や尻尾の抜ける穴がある服からドレス、着物や壱番世界のカジュアルウェアまでありとあらゆる服がそこかしこにあった。
「これはこれはお嬢様。何かお探しですか?」
 執事服をきっちりと着こなし、一部の揺らぎも隙もない美成年のハッター・ブランドンが手を折りアズリィに礼をする。
 彼の方にはオウルフォームのセクタンがちょこんとしている。
 コンダクターであることは一目瞭然だった。
「あ‥‥見てただけです。幽ちゃんは何か探している?」
「えっと‥‥あっ、あれ‥‥」
 フラフラと歩いて見ていた幽が一つの服へと近づいた。
 エプロンドレスと呼ばれる服であるおぼろげな記憶にある少女が来ているものと水色に近い色までそっくりだった。
「これ! この服凄い可愛いです!! その、あんまりお金は無いですけど、譲って貰えませんかっ!?」
「これはこれはお目が高いお嬢様。そうですね、こちらは初めてのご来店ということもありますのでただで差し上げましょう」
 ハッターは幽の食いつきぶりがとてもよかったのかにこやかな顔で答える。
「ただし、一つ条件があります」
「じょ、条件ですか‥‥」
「お買い上げと共に着替えてもらい、そのままお帰りください。道行く人に服のことを聞かれましたら『アリス・ドール』で買いましたと是非、宣伝を」
 恭しく礼をしながらハッターは笑顔で幽へ条件を伝えた。
「はい、必ず‥‥ありがとうございます」
 服を受け取った幽は早速試着室へと駆け出す。
「幽ちゃんにああいう服は似あいそう。店員さん趣味がいいね?」
「いえいえ、それほどでも‥‥お嬢様も何かご入用でしたら何なりとお申し付けください」
「じゃあ、これと‥‥これ、こっちもいいかな~只だよね?」
 幽のご機嫌な姿をみたアズリィは自分も何か着たくなり幾つもの衣装を手に取りハッターを見上げて小首をかしげる。
「出来れば一着のみのサービスでお願いしますよ、お嬢様」
 にこやかな笑みを浮かべながらハッターはアズリィを試着室へ案内するのだった。
 
~変身するオトメ~
「これは‥‥何の冗談だ? お前ら今見たものは全て忘れろ。今すぐ忘れろ。誰にも言うな。当然エミリエにもだ。写真撮影禁止! 流出なんかさせたらぶっ殺す!!」
 明るく笑い声の多いはずのブティックに大きな涙声が響く。
「服についてこだわりがあるわけではないが、似合っていると思うぞ?」
「ああ、可愛いぜ。ニコルは女の子だったんだなぁ」
 声の主はニコルであり、ハッターの趣味(?)でヘアセットからメイクまでばっちり決めたフリルたっぷりの乙女チックドレスを着せられていた。
 エレキシュガルと二宮は姿を変わったニコルの姿に驚きながらも似合いの姿に微笑んでいる。
「や、やりたくてやってる訳ないんだからな!」
 何故かツンデレになるニコル。
「素材がよろしかったので久しぶりに腕を震わせていただきました。いやいや、施した私でさえもこの完成度には驚きを隠せません」
「もうそんなこというなっ! 着替える!」
 ニコルの仕上がりを満足そうにハッターは眺めていたが、その羞恥に耐えられなかったのかニコルはいそいで丁度空いた試着室へ入った。
 胸の辺りにサラシを撒き、整った髪を無理やりボサボサにしてニコルは鏡を見る。
 メイクは落としきれなかったが多少は元に戻った。
「俺も‥‥こんな格好できるんだな‥‥」
 元居たところではできなかった経験にニコルは少なからず喜んでいる。
 だが、長らく続けていた慣習を変えることはできない‥‥それだけ住んでいた街は荒んでいて恐怖がニコルの心を支配していた。
「さて、後でお礼をしてやらなきゃな‥‥」
 少年っぽい格好に戻り、メイクも袖で強引にふき取ったニコルが試着室を出ると一緒に来ていたロストナンバー達は既に店をでていた。
 丁度いいとニコルは思い、マネキンに服の着せ替えを行っているハッターを呼び止める。
「おい、ちょっと」
「皆様は外ですよ‥‥お嬢‥‥いや、お坊ちゃんと言ったほうがよろしいですか?」
「俺はオトコだ‥‥。あー、違う‥‥俺さ‥‥スラムにいた頃は、こんな服、着たくても着れなかった。女だってことがバレることさえ、とても怖かった」
 冗談めかしていたハッターの目がじっとニコルを見つめた。
「勘違いするなよ。別に感謝なんてしてねえぞ。全く、大恥かかせやがって。今日のことは誰にも秘密だから‥‥だからさ、時々こっそりここに来ていいか?」
「お客様のプライバシーを守るのは当然ですので‥‥ええ、お客様に着ていただけるほうがここにある服も喜ぶことでしょう」
 照れているのか視線を逸らしながらニコルはハッターにお願いをする。
 昔はすることさえ出来なかったささやかなお願いだ。
「ありがとうな‥‥あ、今言ったことは誰にも内緒だぞ?」
「ええ、では指きりをいたしましょうか? 壱番世界の日本の風習です」
「しかたねぇな‥‥」
 二人は指切りをし約束を結ぶ。
 
 ターミナルに集う店で出会いが生まれた。
 同じロストナンバー同士、ロストメモリーの店主達‥‥。
 人が集まり出会いが生まれ、かけがえの無い”記憶(メモリー)”が芽吹いていた。
 

クリエイターコメント どうも、参加ありがとうございました、橘真斗です。
久しぶりにのびのびと執筆させていただきました、皆さんの思い出の一ページを書けたこと嬉しく思います。
これから先もいろんな”記憶(メモリー)”が皆さんを待っています。
それらの一つに自分もなれたらと思い励みたいと思います。

それではまた運命の交錯するときまで、ごきげんよう。

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螺旋特急ロストレイル

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