オープニング

 ――麺麭の焼ける匂いと紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。
 ――朦朧とした意識は、どこまでも沈む羽毛の海から這い出ることを拒否した
「むにゃむにゃ……、壱号、後5分、後5分寝ますぅ……」
 寝ぼけ眼に探る撫子の手に目的のものが触れることはない。
(今日のぉ……お仕事どこでしたっけ……。……お布団やわらかいですぅ、あれぇ? 私どこで寝ているんでしたっけぇ?)

 急速に覚醒する意識、撫子はガバっと毛布を弾き飛ばすと寝台から跳ね上がった。
(ええっとぉ、マスカローゼさんと話しててぇ、……壁から変なものが出てぇ……痛いって思ってから思い出せません☆)
 頬にトントンと指を当てながら思い起こす撫子。ふと、貫かれた腹部を触るとその表情が驚愕に歪んだ。
(あわわわわわ、制服に穴が開いていますぅ……天引きされちゃいますぅ……)
 
「おはよう、川原撫子さん」
 動転する撫子に話しかけたのはマスカローゼ。仮面をつけたままエプロンを羽織る姿はとてもシュール。
「随分眠っておられましたので空腹でしょう? 軽食ですがどうぞ」
(なんでマスカローゼさんが、私のご飯作っているのでしょぉ)
 当然の疑問。だが、目の前に拡げられた焼きたての麺麭、スクランブルエッグ、スライスチーズ、布カバーに包まれた紅茶のケトルの発する威力は撫子の胃袋を直撃し、疑問を忘却の彼方に連れ去った。


‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡ ‡


 テーブルに並んだ食べ物は大部分が撃沈された。
 お腹がくちくなった撫子のなかで、空腹が忘れさせた疑問が首をもたげた。
「ご馳走様でした☆……えっとぉ、マスカローゼさんはぁ、なんでご飯を作ってくれたんですぅ」
「お粗末さまでした。お腹空いてたら、話しづらいと思いましたから」
 マスカローゼは返事ともに険のない微笑を浮かべた。
「え! お話ししてくれるんですかぁ!? 嬉しいですぅ☆」
 思わずテーブルに乗り出し、マスカローゼの手を握り締めぶんぶんと振り喜びを表す撫子。
「あなたは世界図書館の他の人とは違う……本当に分かり合いたいから話しかけてきてくれたと思ったから」
 手を振り回される少女の表情からは鬼気が抜け、年齢そしてもともとの立場相応の朴訥としたものが浮かんでいた。



 ――特異点発生、主制御鍵の不安定化確認、強制同調算定


ご案内

川原撫子さん(cuee7619)は、シナリオ『【竜星の堕ちる刻】竜幻回廊』の行動にてマスカローゼの信用を勝ち取り、会話する機会を得ました。
マスカローゼとの会話内容に制限はありません。

マスカローゼと極めて親しくなった場合、マスカローゼは共に叢雲の世界に帰属することを求めるかもしれません。また、マスカローゼは叢雲に著しく被害を与える言動は取りたがらないでしょう(※聞くことは可能です)。

以上を踏まえて、話したいことや行動などをプレイングに書いていただければと思います。

!注意!
こちらは下記のみなさんが遭遇したパーソナルイベントです。

●パーソナルイベントとは?
シナリオやイベント掲示板内で、「特定の条件にかなった場合」、そのキャラクターおよび周辺に発生することがある特別な状況です。パーソナルイベント下での行動が、新たな展開のきっかけになるかもしれません。もちろん、誰にも知られることなく、ひっそりと日常や他の冒険に埋もれてゆくことも……。
※このパーソナルイベントの参加者
川原撫子(cuee7619)
※このパーソナルイベントの発生条件
シナリオ『【竜星の堕ちる刻】竜幻回廊』で、「マスカローゼが話を聞いてみてもいいと考えた方がいた」場合

このイベントはフリーシナリオとして行います。このOPは上記参加者の方にのみ、おしらせしています。

なお、期限までにプレイングがなかった場合、「状況の把握に努め、あたりさわりのない対話を行った」ものとします。

→フリーシナリオとは?
フリーシナリオはイベント時などに募集される特別なシナリオです。無料で参加できますが、登場できるかどうかはプレイングの内容次第です。

■参加方法
プレイング受け付けは終了しました。

参加者
川原 撫子(cuee7619) コンダクター 女 21歳 大学4年生(苦学生)

ノベル

 ――叢雲・竜刻の間
 1つの巨大竜刻と64の竜刻が配された間。
 その部屋が醸しだしていた荘厳な雰囲気を賑々しい娘の声がぶち壊しにしていた。
 
 撫子はのべつまくなしに話し続けた。昔の自分のこと、両親のこと、山歩きのこと、アルバイトであった面白い話、大学での失敗談、コンダクターとなってからのできごと。
 初めは撫子の話に、相槌を返すだけであったマスカローゼも少し堅苦しい語り口であったがぽつりぽつりと自らの話をする。
 見えの変わらぬディラックの空は、刻の流れを忘れさせ懇懇と言葉だけを積み上げる。


‡ ‡

 ――如何程刻は流れたか、卓上のケトルは幾度か中身をすげ替えられた。

 (お腹すいてきましたぁ、そうですぅ!☆)
 自前の腹時計が食事時を伝えると共に浮かんだ名案を撫子は、実行に移す。およそ躊躇いはない。
「次は私がご飯作っても良いですかぁ? マスカローゼちゃんのお口にあうと良いんですけ どぉ」
 マスカローゼは、撫子の提案よりも続く言葉に驚き、目をしばたたかせ「……ちゃん?」と思わずオウム返しに聞いた。
「はい、だって私達もうたくさんお話したお友達ですぅ。お友達は『ちゃん』をつけて呼び合うんですぅ☆」
「……そうですね。撫子さ……ちゃん」
 撫子の応じる少女は自らの言葉で頬に朱が滲ませ、はにかんだ笑みが浮かべた。撫子はその可愛らしい反応に満足げに頷き笑みを返す……と同時にちょっと嫉妬した。
(うう普通にカワイイです……羨ましい)
「それじゃぁ、ご飯作ってきますぅ。……えっとぉ、キッチンはどこでしょうかぁ?」


‡ ‡


「何か手伝うことはありませんか?」
「大丈夫ですぅ、マスカローゼちゃんは座って待っていてくださぁぃ☆」
 手持ち無沙汰に耐え切れず、キッチンに侵入を試みるマスカローゼを追い払うやり取りは食事の完成までに十を数えた。

 卓上の鍋には炊き込まれた白米が収められ、食欲をそそる芳しい湯気を上げた。
 手前に置かれた主菜は一度炒めた具材を煮付けるいわゆる炒り鶏、その脇には白菜とかぶ、ブロッコリーが入った味噌汁が添えられた。
 我ながら出色の出来とエプロン姿の撫子はない胸を張って満足気である。
「さぁマスカローゼちゃん、召し上がってくださぁぃ☆」

 頂きますと軽く会釈をし、三手で箸を手に取るマスカローゼ。
 箸先で白米を取り口元に運んだ。 
「ねぇねぇ、美味しいですかぁ?」
 背筋を伸ばし箸を使う姿は、堂に入ったもので異世界の住人としては少し違和感があるがそんなことは気にせずに感想をせがむ撫子。
「はい、美味しいです。……それに、食事を作って頂くのも久しぶりで嬉しいです」
 マスカローゼの色よい返事に、ニコニコと笑みを浮かべる撫子。
「それ、昆布だしが隠し味なんですぅ☆こっちの鶏肉さんも美味しいんです、はいあーんですぅ☆」
 マイ箸で炒り鶏から鶏肉を取り上げ、マスカローゼの口元に捧げるように運ぶ。
 少女は、流石に気恥ずかしいのか顔を赤らめるが……おずおずと口を小さく開き口腔に鶏肉を迎え入れた。



「それにしても、こんなに食材がそろってるなんて思いませんでしたぁ。みりんや鰹節まであるなんてびっくりですぅ☆」
「ドクタークランチは和食をお好みでしたので一通り揃えております。最近は、高血圧気味でちょっとカッカしているご様子でしたので、塩分は控え目に作っておりました」
 撫子は何か言おうと一瞬逡巡……しかし彼女の本質はやってからなんとかする。思った言葉をストレートに出した。
「マスカローゼちゃんはドクタークランチが好きなんでしょぉかぁ?」
 きょとんとした表情を浮かべマスカローゼの箸が手元で止まった。
 箸やすめに両の手を添えて箸を置き、答えるマスカローゼの口元には微苦笑が浮かんでいた。
「異性としてと言う事ですか? そのような気持ちはありませけど……そう見えますか?」
「そうなんですかぁ? いっつも一緒でしたし、あとお食事の好みとかも知っていますぅ……」
「ドクタークランチには命を救って頂いた上、村娘風情であった私を教育して頂いた恩もありますので、知人としては好意を持っています。ちょっと気難しくて独善的ですから付き合い辛いところもありましたけど」
(だから……叢雲に殺される前にお帰り頂いたのですし)
 ……流石にこの言葉は言下に飲み込んだ。
「マスカローゼちゃんを助けてくれた事は感謝してますぅ。でも人に機械を入れて言う事聞かせたり、ローゼちゃんに辛そうな顔させるドクタークランチを……私は好きになれないですぅ」
 撫子の言葉にむっとしたのかマスカローゼの口元が引き締まり語気が強くなる。
「……それは一面的な見かたです。ナラゴニアにも力のない人達が大勢います。指導層の一人であるドクタークランチは、恭順者が二心を頂いている可能性を看過することはできません。それでは平和を維持できないからです。撫子ちゃんには、酷いことのように見えてもナラゴニアでは必要なことだったんです! それにそもそもあなた達……」
 続く言葉は彼女にいう言葉ではない、好意をもって接してくれる撫子に八つ当たりするのはひど過ぎる……異常だ……。
 
 ――嚥下に喉がなる。堰が決壊し溢れ出る感情の波を言葉と共に押し込めた。
 少女は必死で笑顔の仮面を被ろうとする。しかし、真摯に見つめる撫子の眼は少女の続く言葉を待っているように見えた。
 真っ直ぐな視線がちくちくとこころをさす、少女の仮面は顔を覆うことなく簡単に崩れさる。せめて、歪んだ表情を見せたくないと顔をそむけると吐き捨てるように言った。
「……世界図書館だって私を騙した。私を弄んで命を奪ったでしょ。……そういう人達なんでしょ……それに、それだけでも許せないのに、あの男の声で、顔で私を謀ろうとした
 滲み出るのは滅裂となった心が押さえ込んでいた言葉。
「それなのに…………一瞬でも信じてしまった、その言葉が正しいと思いたくなった、ドクタークランチが私に嘘を言ってるんじゃないかって。フランのことは切り捨てたはずでしょ……どうしてよ」
 俯き加減の頬に涙がつたう。押し殺した嗚咽が響く――。



「疑う事を知り、それでもなお信じられるのは素晴らしいですぅ……それがドクターでも」
 いつの間にか少女の隣に腰掛け、撫子は優しくその背を撫で囁く。
「私もぉその報告書は読みましたぁ……、マスカローゼちゃんのこともフランさんのことも聞きましたぁ。みんなみんな一生懸命でした、ちゃんと伝わらなかったかもしれませんけどぉ……必死にマスカローゼちゃんを助けようとしてたんですよぉ」
 普段はただのぶりっ子を装う舌っ足らずな言葉であった、今は一言一言に情を込め噛んで含めるように諭す言葉。
「……嘘よ、嘘! 嘘!! 嘘!!! 嘘!!!! 嘘ォ!!!!!」
 マスカローゼは全てを否定しイヤイヤするように首を振る。
「マスカローゼちゃん……、マスカローゼちゃん自身が本当にしたい事を教えて下さいぃ」
 撫子の言葉がマスカローゼの空洞となった胸に風となって去来した。


 あの日、竜刻を失った時一緒に失ったのは命などではない、人として生きるための繋がり。
 それを埋めてくれたのは機械などでは決してない、それは傲慢な主であり……共に戦った世界樹旅団の仲間でありナラゴニアの人達であった。
 そして世界図書館への憎しみから、自分の手で取りこぼしたのだ。叢雲のコアとなった時幾らでも忠言できた……それも無視した。

 封が解けるように零れ出る自問、彼らの言葉は本当に自分を貶めるものだったか? あの時もあの時も? あの男の言葉は? 本当に私に届けようとした言葉じゃない!!
 
 マスカローゼの全身が瘧を起こしたように震える、顔は血の気を失い蒼白、眼球が映すのディラックの空で見続けた虚無。
 ワームに喰われ孤独に苛まされた痛みがこころを崩壊させる。
「……いや、一人はいや。一人にしないで……」
 壊れた自動人形のように言葉を紡ぐ少女を撫子は強く抱きしめる。
「貴女の手を掴みたい人は、友達になりたい人は一杯居ますぅ! 貴女も手を伸ばして下さいぃ! 私と貴女が今話せるのは、貴女が私の手を掴んでくれたからじゃないですかぁ! 貴女の友達はあの世界にだって居る筈です、これから生まれてくるかもしれないですぅ……だから……お願いだから、私が絶対に一人ぼっちになんてさせないから、生命が溢れている世界を滅ぼすなんて言わないでぇ。」
 感極まり叫ぶ撫子の腕の中でマスカローゼはただ声を上げて泣きじゃくった。


‡ ‡


「残った炒り鶏は天麩羅にしましょぉ☆おむすびと一緒に食べると最高ですぅ☆」
 静寂に帰った竜刻の間に響いたのは、マスカローゼを元気付けようとする撫子の脳天気な声。
 頷き答えるマスカローゼの顔は泣きじゃくった後で酷いものだったが、浮かべた笑みは憑き物が落ちたように屈託のないものだった。
(うう、ナチュラルに可愛いのは反則ですぅ)
 ちょっと嫉妬の火が燃えた。

「少し気になったのですけど、先程言っていたローゼちゃんって、どなたでしょう?」
 雰囲気をかえるべく殊更他愛もない疑問を尋ねるマスカローゼ。
「え、あの子ことですぅ……どっちもマスカローゼちゃんだと混乱しちゃいますぅ☆」
 撫子の指が竜刻の中の少女を指さす。
「そういうことですか……、竜刻の中にいるのが本当の私です……外で動ける体がないと色々不便なので。あ……でもこころは一緒だからさっきのことは一緒に感じているんです」


 マスカローゼは、そして撫子は一つ大きな勘違いをしている。
 マスカローゼの運命を描いたのは本当に彼女自身か? 
 答えは――――否! 彼女の因果を紡いだのは……撫子の指差した先。
 それは求めていた、自らに最も都合の良い鍵を……こころを壊し、情を失った人形、力の導管を。

 ――強干渉体発生、主制御鍵不適切化現象、防衛機構稼働、干渉体消去
 人には理解できぬ何かが竜刻の間を満たす。それは振動でも精神波でもないただ満たしたとしか表現できない。
 ゾクリとした感覚が撫子の背筋に張り付く、違和感を覚えてみると、己の手が透け、床が見通せる。悲鳴を上げる間もなく意識が消し飛ぶ。



 意識を取り戻した撫子の視界には、苦しげなマスカローゼの顔が一杯に迫っていた。
「いい撫子ちゃん、今すぐこの部屋を出て。外に出たら5秒間だけまって、すぐに右手に走って3個目の扉を開いて。そこから絶対出ちゃ駄目」

 空間が削げ落ちる音がした、マスカローゼの右手がない。出血もせず初めから無かったかのように。
「マスカローゼちゃん、う」
「いいから早く! 絶対振り返らないで」
 只ならぬ語気で撫子の言葉を打ち消すマスカローゼ、言下の意味を捕らえることは撫子にできないはずがない。

「叢雲……撫子ちゃんに手を出すのは絶対許さない……」
 ――主制御鍵外形体停止、再起動制御
 マスカローゼの言葉と叢雲の発する気配がぶつかる。

 撫子は扉を押し開き竜刻の間を飛び出し、マスカローゼの言葉のまま回廊を駆けた。

 ――静かに閉じる扉、仮面が床に堕ちた。


‡ ‡


「もしもーし……どなたかいらっしゃいますかぁ」
 撫子が覗きこんだ部屋は木造の一軒家のようであった。
 撫子には理解の及ばぬことではあるが、ここはマスカローゼいやフランの生家を模した部屋――彼女の聖地。
 ただ一つここには、叢雲の胎内にはなかった安堵があるように感じられた。
 
 部屋は壁面に炊事場が据え付けられた簡素なもの、中央に置かれた机の上には繕われた後のあるジャケットとマフラー、そして……ロボタン・壱号。
「あー壱号心配しましたぁ、どこにいってたんですかぁ」
 撫子は、油が切れた機械のような軋んだ音を立てながら主人に近づく壱号にかけより抱き上げた。

「私がここに避難させました……」
 扉の外から少女の声が聞こえた。
「マスカローゼちゃん、無事だったんですねぇよかったですぅぅ。大丈夫ですかぁ?」
 部屋の扉を開け少女の無事を喜ぶ撫子。
 対するマスカローゼは淡々とした仮面の表情で語りかける。
「撫子さん、時間がないからよく聞いて。もう直ぐに叢雲は世界図書館と交戦します……だから、私を助けて」
 マスカローゼの背後に、常より一回り身長が低い代わりに全身の鎧を筋肉が押し上げている巨人が傅いていた。
「壱号を使えばこの子を操作できます、通常の巨人たちの3倍は力があります……お願いです撫子さん」

 撫子は珍しく返答に窮した――違和感が捉えてはなさない。


‡ ‡


 ――機会を意味する時の神・カイロスは一房の前髪しか持たぬという。過ぎた機会は取り戻すことはできない。
 川原撫子の選択は今此処で行われる。


<事務局より>
撫子さんは叢雲の中枢にいる状態から、イベントに参加することとなります。便宜上、選択肢は【1】を選んで下さい。締切までにプレイングのなかった場合、「自分の生存を最優先として、できるだけのことをした」ものとします。



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螺旋特急ロストレイル

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