ノベル

 ロストレイル13号が旅立って、どのくらい経っただろう。

「流転機関に名前を付けませんか?」
 ジューンがそんな提案をしたのは、出発して、皆が落ち着いてすぐのことだった。
「この子はいつか自分の意志を持ちます。その時すべてての世界や人に優しくなれるように。その方法を探せる子になるように」
 ジューンはそう語った。
 流転機関に、実際、人格が宿るのかどうかは定かでないが、あの出発時の騒乱のなかで、世界樹のパワーに引かれる流転機関に対し、旅に出ることを強く促す気持ちを伝え続けたロストナンバーたちがいた。今こうして流転機関が作動していることが、流転機関の意志の萌芽だとしたら、それに名を与えるのは良案に思えた。
 結果、「アーサー」と名づけられた流転機関は、いわば23人目の搭乗者として、この旅に最後まで同行することになる。

 出発前後の騒動が過ぎてみれば、車内は至って平穏だった。
 特に、「因果律の外の路線」に飛び出して、ターミナルとも連絡がとれなくなってからは、きわめて静かな時間が流れた。
 二十八号は車内での時間を、本を読んだり、考え事をして過ごした。
 本を読み尽くしてしまって、窓の外を眺めるが、そこには虚無が続くばかり。ときおりなにかがきらめくように見えるのは、どこか遠い世界の片鱗なのだろうか。
 この虚無のなかに、無数の世界群が存在すると思うと不思議だ。

 幸せの魔女はずっと眠り続けていた。
 恐るべきことに、彼女は乗り込んで座席につくやいなやまどろみはじめ、出発時のあの混乱の中でさえ眠っていて騒ぎに気づかなかったというのだから相当な大物と言えた。
「みんな安心していいわよ」
 ときどき、ぼんやりと目覚めたときに彼女は言った。
「私はこうして『快適に睡眠を貪る幸せ』を追い求めている……つまり――わたしがこうして……眠っていられる限り…………この旅は………………安全……………………」
 寝た。


「暇なのにゃー」
 幸せの魔女のご利益なのか、平穏な旅が続くと、退屈さえ生まれる。
 フォッカーはひとつあくびをすると、無聊を慰めんと、日誌を開く――。
「×月×日 本日の航路も順調……というか、あいも変わらずディラックの空で……」
「誰かあれを見てください」
「誰かあれを……にゃっ?」
 フォッカーの注意を引いたのは、二十八号の声だった。
 リザードマンの哲人が窓の外を指す。
「なにかあります」
「敵か」
 幾人かのロストナンバーが色めきたつ。ディラックの空では「落とし子」に遭遇する危険がある。
「どうでしょう。動いていない……けど、過ぎ去ってもいかない。世界群の灯りより近くにあります。それに……」
「にゃっ!!」
 ぴん、とフォッカーのヒゲが立った。
「あれは列車にゃ! ……館長にゃよ!」

 果たしてそれは、ターミナルを追放され、「パーマネントトラベラー」として漂流していた前館長エドマンドの乗るロストレイル0号機であった。13号はエドマンド・エルトダウンを救出することに成功したのだ。

「そうか。そんなことが……」
 フォッカーたちは、彼が追放されて以降の出来事を語って聞かせた。
「館長は――なにか見つけられたの」
 しだりが問うた。
 エドマンドの瞳が、しだりを見つめ返す。
 たとえば「壱番世界をチャイ=ブレの標的から外す方法」。たとえば「チャイ=ブレが世界群を標的にしない方法」。たとえば「あるいは、チャイ=ブレの捕食対象が世界群に向かないように仕向ける方法」。そうした解決策をもって、壱番世界や、その他の世界群の人々の命を守りたいと、しだいは思う。
「イグシストは不滅の存在だ。かれらは世界群から独立して存在しているが、一方で、世界群に依存しているとも言える。私もまだ明確な解法を手に入れていないが、このメカニズムが鍵かもしれない。世界群のなりたちは、『ワールズエンドステーション』にて解明できる可能性が高い。私はこの旅の向こうにこそ、その答があると考えているよ」
「館長、今までどんな旅をしてきたのにゃ。今度は館長の話を聞かせてほしいのにゃ!」
「そうだな。たくさんの世界を通り過ぎてきた。どこから、話そう……」
 彼の冒険談は尽きることがないほどだった。

 エドマンドを加えた一行は、0号の客車を牽引しながら、旅を続けた。
 これは、もとは長期旅行を想定していないゆえに乗り心地の面では悪い《北極星号》にとっても福音だった。0号車の客車を生活空間に使うことで、旅が段違いに快適になったのだから。

  * * *

 因果律の外の路線で流れる時間はターミナルのそれとは異なる。往復にしてターミナルではおよそ一年――だが体感時間はもっと長いようにも短いようにも思えた。
 その間、13号はさまざまな世界に立ち寄りながらあまたの冒険を繰り広げることとなった。

 立ち寄った世界の出来事は、運行日誌に書き残されている。


【精霊の森・ガランガラン】

「来る」
 気づいたのは碧だ。
 ワンテンポ遅れて、警報――。
 たまたま幸せの魔女が起きていた時間だ。平穏は、ディラックの落とし子との遭遇で破られる。
 碧が駆け出す。幾人かが続く。
 旅のなかで何度か、そんな場面があった。虚空に伸ばされる結晶の線路のうえで、ワームとロストナンバーたちの激しい戦いが繰り広げられた。
 有事となれば真っ先に飛び出す碧に、最初ははらはらした気持ちを抱いていたものも、すぐに彼女の存在を頼もしく思うようになった。
「撃破完了。機体の損傷は」
 ワームの残骸が消滅してゆくのを横目に、碧は窓から中へ呼びかける。
「まずいですね、駆動機関にすこし影響が――」
 言い終わらないうちに、ロストレイルは失速していた。
 この旅でいちどだけの、不時着へ、世界群の引力に乗って堕ちていった。

 ロストレイルが墜落したのは、深い深い密林の中だった。
 修理をしながら、しばし滞在することになり、手の空いているものは周辺を探索する。わかったことは、どうやたこの世界には人間はおらず、地上はすべて動植物の楽園だということだった。そして……

「お騒がせしちゃって、ゴメンナサイね? 害する意志はないの」
 夜。
 密林が夜風に騒ぐなか、ロストレイルを取り囲む異様な気配に気づいて、皆が警戒する。そんななか、赤燐は「大丈夫」と言い残し、ひとり、車外へ。
「ただ、修理が終わるまで、ちょっと休ませて貰えないかしら?」
 赤燐が聞いたのも、彼女が真に伝えたのも、言葉ではない。
 だが、人間がいないこの世界にも、「意志」が存在し、「感情」が覆っていることがわかった。
 満天の星空。空気に混ざる土と樹木の匂い。どこかから聞こえるせせらぎの音。木の葉のざわめき。動物の声。虫の声。
 それらのなかに、たしかにかれらの存在はあった。
 おそらく、太古より、この世界に息づいてきたものたち。精霊とでも呼べばよいだろうか。
 姿もなく、声もない精霊たちは、一行を受け入れてくれたようだ。
 かれらに見守られながら過ごした一夜は、いいようもなく神秘的なものだった。


【挽歌の都市・レクイエム】

「こんにちわ! ご機嫌いかが?」
 ボストンバックからメアリベルが飛び出してきたとき、マフィアたちは驚きのあまり目を見開き、ぽかんと口を開けることしかできなかった。
「札束じゃなくて残念でした♪」
「貴様ら、だましたな!」
 倉庫街に、銃撃戦の音が響く。

 モグリ酒場に ジャズが流れ、マフィアたちが暗躍する。壱番世界の1920年代アメリカを思わせる世界の、真の脅威はマフィアではなく死者の霊「リグレット」たちだった。一行は行きがかりでレクイエム市警察と協力することになり、リグレットたちの引き起こす心霊犯罪に立ち向かった。
 リグレットと化したボスに操られるマフィアが企てたのはとある資産家令嬢の誘拐だ。
 用意された数奇な運命は、令嬢アンナマリーが、メアリベルと瓜二つの容姿であったこと。
 彼女は令嬢と入れ替わってさんざんマフィアたちを振り回したすえ、札束のかわりにボストンバックに潜んで運ばれ、銃撃戦を演出する。
 市警察とマフィアが撃ち合うなか、ロストナンバーたちは敵の背後にいるリグレットを倒す。
 メアリベルは歌いながら戦場を駆け回り、蜂の巣になったが、そんなもの彼女にとってはケチャップで服を汚した程度のことだ。

「あのメアリが鞄から飛び出した時のマフィアのミスタたちの驚き顔! おめめが飛び出して傑作よ!」
 さんざん事態を楽しんで、メアリベルは満足そうにそう語った。
 世界を発ったあと、車内でアンナマリーと入れ替わったフリをして(つまり間違えて令嬢のほうを乗せてしまったように装って)みなを慌てさせるというイタズラさえ、彼女は仕掛けた。


【黄昏商店街・ツクモ町】

 そこは一見、壱番世界の昭和の日本。でも本当は、不思議なパワーに目覚めた住人が素っ頓狂な事件や騒動を引き起こし、それでも日常は営まれてゆく奇妙な世界だった。
 短い滞在の間にも、商工会のおじさんたちと仲良くなって、商店街のイベントに協力することになった一行。
 ここで意外な才能を発揮したのが医龍・KSC/AW-05S(ctdh1944)だった。
「こんな事もあろうかと用意していたので御座います」
 と医龍が取り出したフリル満載の衣裳に、いったいどんな事態を想定していたのかとつっこめるものはいなかった。
 かくして商店街のお祭りに、ヒーローショーのステージが開かれた。
 医龍は「魔法少女いんてり☆いりゅー」としてキラキラした感じで好評を博したが、そうこうしているうちに、商店街にイベントをぶちこわそうとする怪人軍団が襲来したのである。
 商店街では慣れているようで、適当にあしらうなか、医龍、いや「魔法少女いんてり☆いりゅー」も、キラキラした感じで迎え撃ち、これもまたショーの一部として華を添えた。
「悪を患う皆様に、更生という名の医療を! 『きらめく魔法の医術めでぃかる☆びぃ~ぃむ』!」
 ステッキから放たれるキラキラした感じのエフェクトに、怪人たちは浄化されてゆくのであった。

 イベントは盛り上がり、大団円を迎えた。
 なぜか怪人も加わって盆踊りに興じた一夜は、今でも良い思い出だ。


【被造の箱庭・アバンチュリエ】

 自然ゆたかな中世程度の文明をもつ世界。人類は、脅威となる無数の魔物から魔法で身を守りながら生活していた。人々を守る役目を担う魔法使いたちと交流してわかったことは、魔物の数と種類の多さである。多種多様な魔物がさまざまな環境に生息する。それがこの世界の生態系であった。
 このことにひときわ興味を示したのが水鏡 晶介である。
「とにかく見た事のない魔物達が沢山いたからね~。研究意欲が湧き立てられて!」
 そのときのことを、晶介は後にそう語った。
 旅人たちは滞在の間、現地の魔法使いに協力して魔物と戦ったのであるが、晶介にとってそれは膨大な研究材料を得たことになった。手に入った魔物の角、牙、皮膜、羽、体毛、肉、血液、骨、内臓……あらゆるものを彼は克明かつ精密に調べ、短い滞在期間に、現地の研究者さえ到達していなかった研究成果をあげた。
 そこまではよかったが、入手した素材をかたっぱしから煎じて調合し、自ら飲もうとするに至って、周囲に必死で止められるまでになった。アバンチュリエでは、魔物とは災厄そのものであり、それを口に入れるのは禁忌だったのだ。
 事実――、制止を振り切って、いくつか飲んでしまった晶介は、この世界を発つ日にはロストレイルの医務車両で意識不明の状態にあったという。


【ウータゴ・エキッサ】

「いっくよ~、ワン、ツー、スリー、フォー!」
 歓声が、会場を包み込む。
 それさえ超えて仁科あかりのシャウトが響き、まばゆいスポットライトが彼女を照らし出した。

 『ウータゴ・エキッサ』は一見、壱番世界と変わらぬ世界であり、神秘的な存在はなにもない。ロストナンバーの関与がないぶん、壱番世界以上に平凡にして平穏な世界だった。
 そんな世界で、たったひとつだけ、壱番世界とは違う物理法則。それが「歌力」であった。
 この世界においても、ごく最近確立したという「歌学」は、壱番世界同様エネルギー問題を抱えるこの世界を変えていこうとしていた。おそらくこの先何年も立てば壱番世界とは様相の異なる世界へと進化してゆくだろう。《北極星号》がこの世界に降り立ったのは、そんな岐路に立つタイミングであったのだ。
 そのことは、凡庸に見えたこの世界での、予想を超える大冒険に旅人を導く。
 エネルギー問題を革命的に解決するかもしれない「歌力発電」の成否を占う巨大なイベント。ツクモ町での成功に気をよくしてか、協力に前向きなロストナンバーたちは、アーティストたちを襲う喉の不調とその背後にうずまく世界的な陰謀に気づく。
 そこから始まった壮大にして数奇、豪快にして凄惨、珍妙にして無類なあれやこれやをすべて語り尽くすには報告書の紙幅があまりに足りぬ。ともあれ旅人の奔走のすえ、イベントは無事、幕を開けることになる。

 あかりの歌がステージに流れる。その「歌力」が光となって人々を包む。
 現地のアーティストの歌も、また。
 あかりのほかのロストナンバーも一心にイベントを盛り上げた。
 そしてそれは、この世界の運命の幕開けでもあったのだ。


【スターウェイク】

 それは人類が宇宙進出を果たした世界。
 《北極星号》が立ち寄った惑星アルガニアは、高度なテクノロジーをもちながら、中世ヨーロッパに似た風俗を持った社会であった。
「アルガニア……。はて、どこかで聞いたことがあるような」
 ヌマブチは、ふとそんな気になったが、最初は気のせいかと思っていた。
 だが、ひょんなことから惑星アルガニア内の諸王国の政争にかかわることになったかれらは、とある王国の姫君と会話するなか、聞き捨てならぬことを耳にしたのである。
「今、なんと申された!」
 ヌマブチは、まだあどけなさを残す王女に詰め寄る。
「な、なんなの? なんのこと?」
「今の話であります。内乱で、貴女をかばい、命を落とした騎士と」
「正確には生死不明よ。遺体は見つからなかった。……あれがそう簡単に死ぬとも思えないからどこかで生きていると思っているわ。姿を見せないのはおおかた、放置プレイかなにかと勘違いして――」
「その騎士は、身の丈はこのくらいで、筋骨隆々とした」
「そうね」
「甲冑の兜だけを決して外そうとせず」
「ええ」
「そのくせ裸を見られるに羞恥なく、というか、むしろ見られたがりで」
「本当に」
「鞭打てば震えて悦ぶような」
「そのとおりよ。まるで見てきたように――」
 そこまで言って、はっと彼女は息を呑む。
「まさか……まさか、貴方は」
「そのものの名は」
「「ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロード!」」

 よもやワールズエンドステーションに到達するより前に、その途上で誰かの故郷が見つかろうとは。
 世界を発つ日、ヌマブチは、王女よりかの騎士を連れ戻すようにとの厳命を受け、静かに頭を垂れた。
「やれやれ」
 姫君の喜びようを思い出すと、ヌマブチの仏頂面もゆるむ。
「さて、彼奴のほうはどんな顔をするのやら。おっと先に兜を脱がしてから聞かせてやらねばな」
 これで帰らなければならない理由が出来た事に、彼は気付いた。


 ここには、かれらが体験した大冒険のほんの一部しか記すことができない。
 たとえば『無頼の荒野・ガンレルム』。
 荒野を開拓して生きる人々の住む世界で、ふとした偶然から何人かの仲間が「賞金首」になってしまった。ガンレルムの治安は賞金稼ぎのガンマンたちによって守られている。凄腕のガンマンたちの追っ手をかわしながら逃避行を続ける仲間を助けるために、ロストレイルは大陸横断鉄道の線路を、蒸気機関車に偽装して走り抜けた。
 たとえば『輪廻回廊・シュミテン』。
 蓮が花開く海と五色の雲がたなびく空。壮麗な楼閣の築かれた浮遊大陸からなる美しい世界。だがそこは、天・人・龍・修羅・緊那羅・乾闥婆・夜叉・迦楼羅という8種の種族が相争う永遠の闘争の舞台だった。魂の輪廻があるがゆえに生命が軽いこの世界での冒険は、この旅で一、二を争う危険な場面がたくさんあった。
 たとえば……

 そんな冒険の数々。
 その全貌をターミナルの仲間たちが知るのは、13号が帰還してから後のことになったのだった。

  * * *

「……アーサー?」
 最初に気づいたのは、当然のごとくジューンであった。
 彼女は流転機関を、この旅のあいだ彼女が守り、養うべき存在としていた。
 そのかすかな兆候を、ジューンのセンサーが見逃すはずもなかった。
「これはおそらく世界計の共鳴だろう」
 流転機関が発するかすかな音を聞いて、エドマンドが推測を述べた。
 流転機関は、ロストレイル13号の計器のひとつであるミニ世界計と接続されている。
 世界計は広大無辺なディラックの空で自身の位置を計ることができた。12台のロストレイルが、ターミナルの世界計の管制を受けて運行するのはそのためであり、だから世界計が破損している間、ロストレイルは動かせなかった。
 ターミナルと通信ができないこの「因果律の外の路線」に《北極星号》が来られたのは、流転機関の推進力に加えて、このミニ世界計の存在があればこそなのだった。
「ジューンくん、この音をモニターして……医龍くんは、それを駆動系に接続できるかい」
「いったいどうするのにゃ?」
「この共鳴が大きくなる方向へ走らせる。そこに、目指すべきものがあるはずだ」
 エドマンドは言った。

 それから、どのくらい走っただろう。
 前方にその姿があらわれたとき、一行は驚嘆を禁じえなかった。

 ディラックの空に忽然と浮かぶ、途方もなく巨大な「世界計」。すべての世界計のオリジナルであるそれこそ、世界のはじまりにして果てである場所であった。
 ほかならぬ「ワールズエンド・ステーション」への到着である。

「……凄いな。これが、全部世界計なのか」
 窓から見える、近づけば近づくほどその巨大さを感じるそれに、鰍が感嘆を漏らす。
 やがて《北極星号》が着陸したのは、その世界計の部品の一部。だがそれだけで、ターミナルの街さえ大きいのだ。
「世界よりでっかい世界計の世界!」
 ユーウォンは好奇心を抑え切れない。
 だがそれは皆同じだ。
 一行は列車を降り、とりあえず世界計の中心部分へと歩いて行った。足の下の、滑らかな部品の表面には塵一つ落ちていない。
「誰かくる」
 複雑な部品が組み合わさった、中枢部分に近づいたとき、向こうからなにかがやってきた。
「人?」
「いや……」
 そのとき、一行が見たものの姿についてはまったく証言が食い違っている。
 あるものは美しい女性だといい、またべつのものはロボットだったと言った。男性に見えたものも、動物に見えたものも、不定形のなにかに見えたものもいた。
『ようこそ。始まりの地へ。旅人がここを訪れるのは7946356周期ぶりのことです』
 その不思議な声音は意識に直接、響いてきた。
『###は、ワールドクロックに仕えしもの。滞りなく、その作動を促すものです。世界の秩序――「ワールドオーダー」とも呼ばれています』
 かれらは、一人称でも二人称でも三人称でもない、単数でも複数でもない人称で自身を指し、そのように述べた。

 かれら――『ワールドオーダー』たちは、世界計の部品を少しずつ組み替えているという。
 その作業を、もう何百億年も続けているようだった。
 組み替えるたびに、世界計の小さな複製が生まれる。
 それはディラックの空に放たれ――いつかどこかで、新たな世界の礎となる。

「へーっ、面白い! 世界計をいじると新しい世界が出来るんだ。俺もやっちゃだめ?」
 ユーウォンが神をも畏れぬようなことを言ったが、意外にも「是」という意志が返された。
 ワールドオーダーが指示すると、不思議なコントローラーのようなものがユーウォンの周りに出現する。
「いいのか?」
『拒否する根拠は###にはありません。###は一切の『評価』をしませんので」
 そんなやりとりのあいだ、ユーウォンが思いつくままに機械をいじる。
 やがて、楽器が鳴ったような、電子音のような、動物の声のような、不思議な音がして、はるか上空のディラックの空を、なにかがゆっくりと移動していった。
『新たな複製が生み出されたのです。あなたによって』
「ホント!? あれも世界になるの!?」
『136947周期のうちに問題が発生しなければ、83%の確率で初期の世界繭を形成するでしょう』
 ユーウォンがはからずもその誕生を促したのは、いったいどんな世界になるのだろうか。
「俺の居た世界もこうやって生まれてたのか!」
 オルグ・ラルヴァローグがうたれたように言った。
 テオ・カルカーデはずっと写真を撮っている。
「すごいですよ。世界群の根源だなんて」
「ああ」
 エドマンドさえ、あまりのことに言葉に詰まる。

「この世界計はいつなぜどのようにできたのです?」
 シーアールシー ゼロはいつもとかわらぬ様子で、皆の疑問を代表するように問うた。
『それは不明です』
「誰が作ったかわからないのです?」
『誰もつくりはしないでしょう。すべてのものはここから創造されたのですから』
 誰が創ったでもなく、最初から存在したとでもいうのだろうか。
「世界計が力を齎すように、この大きな部品も何かに力を与えているのでしょうか?」
 テオが聞いた。
『世界を創造しています』
「世界計――これの複製ということになるのか? 俺たちの知る世界計はその欠片を体内に入れると凄まじい力を得られた。だが得られない場合もあった。なぜだ」
 とヴェンニフ 隆樹。
『力にむらがあり、力のない箇所を取り込んだか、偶然でしょう』

「なあ……」
 質問責めが落ち着いたところで、オルグが、おずおずと訊ねた。
「ここから生まれた世界を……探し出すことはできるのか」
 それこそ、一同がもっとも知りたい疑問。
 一瞬、場がしんとした気がした。
 オルグが、はっと息を呑む。ワールドオーダーの姿が……その姿が、彼の――
(親父)
『可能です』
「!」
 それをどう表現すればよかったろう。
 ワールズエンドステーション。そこにたどりつけば、すべての世界群への道が開けると予言されてはいたけれど。
「は、はは……そうか……」
 オルグの口から、思わず、笑いが漏れた。
 そうか。見つけられるのか。俺の世界――親父や仲間がいる世界を!
 0世界で過ごした13年の記憶が、嵐のように甦り、言いようのない感情が彼を包んだ。
「ど、どうやって……どうすればわかるの!」
 ティリクティアだった。
 食ってかかるように、ワールドオーダーに迫る。
『検索条件をお願いします』
「えっ? ええと……」
 ティリクティアは、いろいろと自分の世界について語った。
 空中に明滅する、文字とも記号ともつかぬ光。
『その条件に合致する世界は37万9890個あります』
「そんなに!? で、でも……」
 その中に、たしかにあるのだ。
 もっと絞り込んでいけば、いつか、きっと!
(アリッサ、みんな。ついに見つけたわ。手がかりを……これで皆、故郷へ帰れるわ!)
 わきあがる喜びに、涙がこぼれそうになるのを、ティリクティアはぐっとこらえる。

(……あれ、何か変だな……なーんか懐かしい感じ…………あ、これだ……)
 アストゥルーゾは、熱いものが自分の頬を伝っているのに気づく。
 涙。
 ティリクティアの様子にもらい泣きしたというわけではない。
 だが、自分でも知らないうちに、揺さぶられていた。
(涙なんて、演技でしか流したことなかったのにな……)
 やっと進めるんだ……またあの人に会える。

 ワールドオーダーによる世界の検索とは、送り出された世界計が、現在、どの階層にある世界となったかを特定するものだそうだ。ただ、何百億年ぶんの記録の中から、条件に合う世界を探し出すことができなくてはならない。続いてエドマンドが、ヴォロスを探すために「かつてドラゴンに支配されていた世界」というキーワードを与えたが、それだけではおよそ76万8000の世界がヒットした。
「住人の名前で世界を探すことはできるか?」
 鰍が発案した。
「そうですよ。それならひとつの世界を特定できるはず。たとえば『私が存在した世界』だって」
 と、テオ。
 ま、私は故郷に戻る心算はありませんけどと笑って付け加えたが。
『……それはできません。###は固有名詞を理解しません。あなたという存在を、別の存在と隔てる要素を正確に記述していただければ可能です』
「そうですか。うーん、それじゃあ、『こういう人がいる世界』にしますね。彼女はまず……」
 テオは友人を念頭において、その特徴や言動の数々をあげていった。
 すると、いくぶん絞り込まれた検索結果数になる。
 この世界検索は、なかなか気長にやる必要がありそうだった。しかし、大いなる一歩であった。
 アストゥルーゾとティリクティアが、故郷をあらわす言葉を思いつく限り並べはじめる。

 ワールズエンドステーションと、ワールドオーダー。
 世界群の根源をまえに、一同は真理をすべて解き明かさんとしていた。

「神とはなんです?」
『各世界群において、特権的な位相にある存在、もしくは信仰の対象となっているもののことでしょう』
「世界計の小さな複製を量産できないだろうか」
『世界計はここで創造されるほか、「夢みるもの」によって各世界群において複製されます』
「世界群はいくつあるのです?」
『現時点において********個存在します』(途方もない数だった)
「すべての世界の階層を上げ一挙に楽園化する手段を知りたいのです」
『手段はいくつか考えられますが、人為的な階層移動は世界の滅びにつながる危険があり、非推奨です』
「イグシストとの契約、世界への帰属なしで存在保持しつつ世界群の外まで旅する手段はないのです?」
『イグシストを利用しない存在保証の技術はいくつかの世界で発見されているはずです。世界群の外を旅する手段はすでにお持ちだからここまで来られたのでは?』
「わたしはきみを理解できるだろうか」
『それを判断する情報がありません』
「いちばん世界群の平均とかけ離れた世界は何処だろう?」
『何の平均であるか、と「かけ離れている」ことの定義があれば検索可能です』
「この場所からひとつの世界を見る事も出来るのか」
『直接的に観測する機能はありません』
「そもそも世界計とは何なのかね」
『世界計は世界計であるというほかありません』
「ではディラックの空とは」
『他の何でもない場所です』
「世界の根源とは此処だけなのだろうか」
『はい』
「きみは他の場所へ行きたいか?」
『###に意志はありません』

 さまざまな質問のやりとり。
 荷見 鷸はそれらすべてに興味深く聞き入り、記憶に刻みつけていた。彼はここまで、旅で知ったことをすべて記録に残している。ここで得た情報は、もっとも価値あるものになりそうだ。
 そして、彼は訊ねた。

「此処に落とし子が来ることもあるのか」
『いいえ』
「来ない。それはなぜ」
『ディラックの落とし子は、世界の核にまで成長することができず、虚無の中で朽ちてしまった世界計の残骸が違うかたちで成長したものです』
「なんと!」
 鷸は驚きの声をあげた。
『それがここへ還れば、再び世界計に回収されることになりますから、自ら戻ってくることはありません。かれらは虚無をただよい、世界群を見つけて入り込み、おのれの世界にしようとするのです』
「まて、それじゃ……落とし子が成長してイグシストになる。やつらは――俺たちの知る2体は、どちらも情報を求め、それを吸収することで結果的に世界を滅ぼす。その性質はすべてのイグシストに共通なんだな?」
『すべてのディラックの落とし子は世界になれなかったものたちです。世界を所有あるいは帰属しようとする性質は同じ。それが一定以上に強大なパワーをもっていると、支配した世界を消費してしまうのでしょう』
 隆樹の言葉にワールドオーダーは答えた。
「穏健な共存法はないのです?」
 ゼロが訊ねる。
『穏健かどうかの判断が###にはできませんので回答不能です。イグシストの性質を変えることは難しいでしょう』
「イグジストを殺す、消滅させる方法は」
 隆樹は、瞳に力を込めて、ワールドオーダーに訊く。傍らで、虎部隆も頷いた。
『イグシストは世界です。世界はつねに滅びの可能性を内在しますが、イグシストにはそれがありません。ゆえに摂理に反する存在なのです。……かれらをここまで連れてくることができれば、世界計に還元することはできますが』
「「それだッ!」」
 隆樹と隆の声が重なった。
 それなら不可能ではない――、そう思えた。しかしチャイ=ブレがいなくなれば、ロストナンバーの存在保証をどうするのか、そもそもどうやってあれをここまで連れてくればよいのか、という問題がある。また、ワールドオーダーの話から考えると、今後もイグシストは生まれ続ける。今現在も、チャイ=ブレと世界樹以外のイグシストは現存するはずなのだ。……だが、出発点には立った、そのような気がした。
「いいね。でも成し遂げるには、相当骨が折れそうだ。けどやれるよな。どうせ永遠の旅人ならやりたい事を全部実現させてやる」
 隆は笑った。
「それをなすだけの力がほしい。どうすればいい。イグシストに対抗できるだけの力を手に入れるには」
 隆樹の問いに、ワールドオーダーは、らしからぬ沈黙を置いて、こう答えた。

『それを判断する情報がありません。ですが、世界群にはさまざまな可能性が散らばっているのです。……旅を続けなさい』

 かれが発した、奇妙に人間らしい、唯一の言葉がそれだった。

  * * *

 かくして――
 ロストレイル13号は帰途へと着いた。

 今後、帰還を望むロストナンバーのために、ワールズエンドステーションと0世界との定期往復便が運行するだろう。
 世界検索が行われ、真理数が特定でき次第、それぞれの世界への路線も開拓される。
 すべてのロストナンバーの世界が発見されるまでにはまだまだ長い時間がかかるはずだ。
 だが、その日へつながる扉は、開かれたのである。


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螺旋特急ロストレイル

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