オープニング

「大丈夫ですゼロさん。なんて言ったってぼくは原初の園丁なのですから」
 それは十分に不穏当な名乗りであった。
「もう取り消せないよ……たとえ土下座してもね」
「本当ですよ。ぼくは力を手に入れたんです!」
 反射的に撫子が格闘漫画の真似をしてボケてみても、柴犬のさつきは満面の笑顔を保ったままだった。


  †


 0世界に戻った一行は、ときおり集まって意見を交換した。
 今日もトラベラーズカフェの一角に集まっている。そのテーブルは、盛り上がっている割には静かだった。
 1人がスケッチブックをバンバン叩いて何かを主張し、もう片方が懸命に宥めている。
 その奇妙な光景は、十分に周囲の耳目を集めていた。
『だって!川原さんは心配じゃないんですか!?』
「心配ですけどぉ、ネルソンさんはあれ以上無体なことはしないんじゃないかなぁって思いましてぇ」
『そっちじゃなくて、原初の園丁です!ポチ夫さんたちが世界樹の支配に組み込まれて、無理矢理略奪とかさせられちゃったらどうするんですかっ!』
「そうは言ってもぉ……サクラちゃんこの前まで入院してたしぃ、私はフランちゃんが1人になる方が心配だったしぃ……はわわっ!?お、落ち着きましょぉ、ね、落ち着きましょぉサクラちゃん!?」
「そんなこと言ってる間にポチ夫さんたちが連れて行かれちゃったらどうするんですか!? それなら私、他の方にお願いしますから!」
 テーブルにジュース代を叩きつけたサクラは、撫子があわあわしながら慌てて会計するのを見捨ててターミナルの広場目指して歩き出した。
 歩きながらスケッチブックにガリガリ字を書く。
『雑種同盟が勝利を収めた竜星では、ヴォロスに再帰属できそうな猫さんは竜星を降りるつもりのようです。そうならなかった犬族さんたちは、異世界への移動を真面目に考え始めたみたいです。
 でも、問題はそれだけじゃなくなったので……どなたか一緒に竜星へ行ってくれませんか?』
 さすがに原初の園丁とおおっぴらに書くのは躊躇われて、そこだけはぼかした。
 スケッチブックを掲げて一生懸命頭を下げる。
「こんにちは、サクラさんはもう異世界へ行っても大丈夫なのです?」
 最初に話しかけてくれたのはゼロだった。
 こくこく頷くサクラに、のんびり話す。
「ゼロもあの後の竜星やさつきさんは気になるのですー。なので一緒に連れて行って欲しいのですー」
 思わずゼロをハグしようとしたサクラの肩を、誰かがつつく。振り返ればマスカダインがひらひらと手を振っていた。
「はーいはーい、ボクもヴォロスとか竜星情勢とか慧龍様出てこいやー! 話があんのねー! 新たな世界の夜明けらしい瞬間も気になるの山々なのね、ボクも一緒に行きたいのねー!」
「……やあ、サクラちゃん。身体の方はもう大丈夫?」
 ニコニコ笑うマスカダインを見て、スケッチを抱き締めて大きく頷いているサクラにまた声がかかった。
 慌ててふりむけば、そこに立っていたのは今までよく一緒に竜星に行っていたニコだった。
「あんまり無理はしないでね? ところで竜星のその後は僕も気になってたんだ。一緒に行ってもいいかな?」
 これだけ集まってくれたらきっと大丈夫だ。そう思って半泣きになりそうなサクラの背中にまた声がかかった。
「ひ、ひどいですぅ、サクラちゃん何で置いてっちゃうんですかぁ!?」
 無駄に息を切らした撫子が居た。
「怒っておうちに帰っちゃったのかと思って、見に行っちゃったじゃないですかぁ……行きますぅ、私だって竜星の事はすっごく気になってるんですぅ☆ここまできて置いてきぼりしないでくださいぃ☆」
 微妙にうるり、としながらサクラはまたガリガリスケッチブックに字を書いて、頭を下げながらバッと4人の前に差出した。
『ありがとうございます、一緒に竜星に行きましょう!自分の神さまを探しに行きたいポチ夫さんたちが、略奪者の手先にならなくてすむように、竜星が今どんな状況なのか調べに行きましょう!』
 そして、4人がターミナルに向かう。
 と、出発を待つロストレイルの前に、一匹の灰色狼が伏せていた。
 ロボ・シートンだ。
「オレもあいつらがどうなるのかは見届けたい」


  †


 空中都市玄武は、ローター音をシュラクの空に響かせる。
 雑種同盟の作戦により、竜星に不可逆変化が生じた。
 ヴォロスの真理数が浮かんだ猫たちは続々とヴォロスの地上に運ばれていった。
 初期に入植していたアルケミシュ、アルスラはすぐに許容量を超えた。もとより食料と水に乏しい地域である。あまり多くの移民を受け入れることは出来ない。
 次に、スレイマンに入植が始まった。外洋港を有するスレイマンからは更に遠くの地方へと猫が散っていく。猫と擬神も雑多なスレイマンではさほどは目立たない。
 これまでは図書館がヴォロスの生態を乱さないようにスレイマンへの接近は禁じていたのだが、真理数の浮かんだ者なら大丈夫であろうと解禁された。
 竜星と比べ、ヴォロスはあまりに広大である。
 そして、今日の玄武の目的地はシュラク公国だった。

 シュラク公国は、戦国時代の入り口にさしかかっていた。
 各部族を束ねていたオルドル王は後継者無く死に、彼の後ろ盾であった世界樹旅団の企みも潰えた。
 各部族は覇を競うために、地方の勢力図が日々書き換わろうとしている。
 このような状況にあっては、高度な技術を有する犬猫は歓迎された。
 部族長達は、アルスラ出征で味わった、竜星の兵器の数々を思い知っている。


  †


 そして、ヴォロスの天高く竜星。
 田中大神宮。
 犬たちの中枢。
 ここでは、新しく成人を迎える犬たちが儀式を待っていた。未成年の犬たちはそれぞれ愛嬌ある表情に不安と期待を偲ばせていた。
 かれらはこれから成人になるのだ。
 脳に補助チップを埋め込むことによって、犬同士の集合知ネットワークが使用できるようになる。
 これなくしては、犬はせいぜい……ヴォロス風に言えば、トロール程度の知能しか持ち得ない。犬の素朴な情動に、論理演算能力と千年の知識を追加して宇宙で生存可能な一人前の犬になる。
 補助チップは犬たちのヴォロス帰属への最大の障害。このようの先端技術と精神を同化させた者をヴォロスの諸法則は拒絶する。
 今日の儀式にはポチ夫達神官の他に、雑種同盟の面々も揃っている。大人達は緊張した面持ちだ。
 なぜならば、今回はチップを使わないからだ。
 雑種同盟が開発した術式。
 竜刻石を用いた知力強化魔方陣を犬の脳にきざむことになる。これは同盟の『知力結界』の応用である。
 むしろ、田中市攻略に使われた結界こそが、竜刻を用いる知性化技術の副産物である。
 魔方陣には、犬の歴史は含まれない。今回の新成人達は自分で学習して知識をため込む必要があるし、魔法が不確定であるように誤った論理計算をしてしまう可能性もある。
 ハンデだ。
 しかし、彼らにはヴォロスに帰属する犬の第一号となることが期待されていた。
 ありふれた猫の体しか持たない竜星の猫に、人間に近い体を持つ犬たちが手を合わせればヴォロスへの順応はより自然に運ぶであろう。


 儀式を見守る犬たちのポチ夫と雑種同盟のネルソン。
「今日は、ボーズはいないのですか?」
「はい。人形と言うことも図書館にバレてしまいましたし」
「これがうまく行けば。私の肩の荷も少しは軽くなるのですが」
「お心は変わらずですか」
「そうですね。私はどうしてか宇宙を懐かしく思います。まだロストレイルから見るディラックの空の方がなじみます」
「つらい旅になりますよ」
「覚悟の上です。そして、覚悟の無いものは出来るだけここで下車して欲しい」
 儀式が終わった新成犬たちが目を覚まし、お互いを見合わせる。ポチ夫とネルソンの情動を伝え合うナノマシンは、新しい彼らには届かない。
 だが、巫女達が声をかけるとはっきりとよどみなく受け答えをした。
「成功のようですね」
「知能テストの結果次第ですが、これで半導体工場をアルケミシュに建設するような暴挙はしないで済みます」
「して、ネルソンさん。あなたこそ本当に残るのですか」
「ええ、当然です」
「あなたはヴォロス人とはなれないというのに」
 擬神を偽装していたネルソン、機械の体に、チップの入った脳。サイボーグと言うよりは、もはやほとんどロボットである。
 完全なロボットであれば帰属などを悩むこともなかったのだが、わずかな脳に束縛された魂が拒まれている。
 天井越しに大地を見上げた。
「ヴォロスは美しい世界ですから」


  †


 そして、ここはシュラク公国の西にある大森林。
 かつて世界樹の苗が植え付けられていたところ。
 円形の広場は今は灰と石と土塊ばかりの更地となっている。
 広場を囲っていた城壁は崩落し、隙間から遠くの森の緑が侵入しつつあった。
 足を踏み入れると、木々に遮られなくなった陽光が燦々と降りそそぐ。地は乾いていた。
 その中心地に、
 豪華絢爛のじゅうたんが敷かれいる。
 100人規模の宴会が出来そうなくらいの大きさがある。
 そのまた中央、
 薄紫のチュニック、ショールをかけた女が優雅に座っていた。
 傍らの、背の低い卓子に肘をかけている。
 その女形だの女ではないことは、同じくあでやかな衣を纏った骸骨が控えていることでわかる。
 エルシダ。
 旅団の一員。ロストナンバー。永生者の魔術師であり、精神操作と幻術と死霊術にたけている。
 先日の図書館の強襲を生き延びていた。
「待っていましたよ。わたしの園丁様」
 アヴァターラからそっと柴犬が飛び降り、しゃんと錫杖を打ち鳴らす。
「おまたせ。エルシダ。竜星の準備はすすんでいるよ」
「ええ、今度は樹を連れていきましょう。みなさまもよろこばれるはずですわ」
 クスクス笑う魔術師の腹の内に気付かずか、さつきは天真爛漫に応対する。
「うん。みんなで宇宙《そら》に帰ろう」


  †


 そして、ロストレル号はヴォロスに到着した。


ご案内

!注意!
こちらは下記のみなさんが遭遇したパーソナルイベントです。フリーシナリオとして行われます。

●パーソナルイベントとは?
シナリオやイベント掲示板内で、「特定の条件にかなった場合」、そのキャラクターおよび周辺に発生することがある特別な状況です。パーソナルイベント下での行動が、新たな展開のきっかけになるかもしれません。もちろん、誰にも知られることなく、ひっそりと日常や他の冒険に埋もれてゆくことも……。
※このパーソナルイベントの参加者
吉備 サクラ(cnxm1610)
川原 撫子(cuee7619)
シーアールシー ゼロ(czzf6499)
マスカダイン・F・ 羽空 (cntd1431)
ニコ・ライニオ(cxzh6304)
ロボ・シートン(cysa5363)
※このパーソナルイベントの発生条件
企画シナリオのオファーと、過去シナリオにおける行動などによる

このイベントはフリーシナリオとして行います。このOPは上記参加者の方にのみ、おしらせしています。
このイベントのノベルは高幡信WRが担当します。

なお、期限までにプレイングがなかった場合、通常シナリオにおける白紙プレイングと同等に扱います。

~WRより~

 唐突に最終回です。
 この蛇足シリーズにここまでおつきあいいただきありがとうございます。
 本当は蒼李WRのシナリオが一本入るかなと思ったのですが、なんだかとても忙しそうなのですっ飛ばします。
 ロストレの終了まであんまり時間もありませんしね。
 お詫びをかねてパソイベとさせていただきました。
 プレイング文字数は一応600字を目安とさせていただきますが、多少はみ出ても気にしないことにしておきます。なお、通常のシステムを利用していませんので今回は「非公開設定」欄を細かく参照できませんので、いつも「非公開設定」欄を使っている人はプレイング本文に含めてください。
 最初のシリーズはイベントに向かってまっすぐスケジューリングして全体プロットを立てましたが、こちらはどう転がってもいつ終わってもいいような気持ちでやらせていただきました。まったり物語れて楽しかったです。

 さて、内容の方ですが、竜星に行っても良いですし、アルヴァクの方に降りていってもいいです。
 いつも通り、勝手に適当にまとめさせていただきます。

 そして、ど忘れ勘違いしているとまずい重要事項です。
・シュラクの世界樹は『ギベオン』でフランに管理されているはずです。
・シュラクの旅団で生き残っている名前付きNPCはエルシダのみです。
・今のところ犬でヴォロスに再帰属できたものは確認されていません。
 (特に描写してはいませんが0世界に再帰属した者はいます)
・犬の脳補助チップはヴォロスの技術力では製造できません。
・一度再帰属したら二度とロストナンバーになれません。
・雑種同盟が保有している竜刻石では犬を全員帰属させるのにまったく足りていません。なんらかの対策が必要です。


† 個別に少々
・サクラさん
毎度ありがとうございます。煩悩の赴くままに行動していただいて問題ないと思います。
・撫子さん
ありがとうございます。
撫子さんも特に迷うところは少ないかと思います。
結構、企画のOP漫才は楽しみにしていたりしました。
・ゼロさん
わりと前シリーズからがっちり参加ありがとうございます。
重要局面を多く作用してきていますので今回も期待しています。
・マスカダイン・F・ 羽空 (cntd1431)
トラベラーズカフェでニアミスし続けているのを見させていただきました。
最後の最後の参加で、わかりづらいところもあるかと思いますので、
ご相談されるなり過去ノベルを参照されるなり努力が要求されるかも知れません。
期待しています。
・ニコさん
ニコさんにもヴォロス編になってからは結構重要な転換に関わって
いただけているかと思います。
この調子でよろしくお願いします。
・ロボさん
貴重なケモナー枠ありがとうございます。
竜星シリーズは狙いがはずれてドラケモPC様にはあまり参加していただけていないのですが
シートンファミリーには良くしていただいたと思います。
それでは、最後ですので狼の本能によろしくお願いします。


 ではでは、

■参加方法
プレイング受付は終了しました。

ノベル

 ヴォロスに涯はあるのだろうか、とは、とあるロストナンバーの探検家がいだいた疑問であった。
 広大な世界は多様で可能性に満ちていた。それでも、竜星の民にとってはあまりにも異質であった。

 久々にヴォロスに降り立ったマスカダインは、陽のまぶしさに目を細めた。
 アルヴァクを覆う意思に語りかけるならば、アルスラで適当だろうか。
 砂漠の奥にある都市は、巨大な竜刻石の上に建設されており、ロストナンバーの働きにより供物を断ってから、渇いていた。
「このヴォロスの神に魂を捧げて命と故郷の土地を守った青年の愛を伝える!」
 誰もがかのドラケモナーのことを忘れ去っているよう。マスカダインはそれが無性に我慢できなかった。それは、一度は記憶を失った彼の抱えている闇の発露である。
 道化師はその仮面が外れかかって久しい。
 アルスラには同盟の入植が進んでいた。多足戦車が装いも新たに、灌漑設備を整備している。帰属した猫たちと、未だに帰属できていない犬たちと、ごくわずかの帰属できた犬がここでは不思議と協力していた。
 道化師の前を歩くゼロが足を止める。
「わんちゃんたちがみんな帰属させるのは大変なのです」
 土埃が宙に舞う。
 マスカダインは犬猫の安寧に腐心する少女についてきた形だ。
「仲間内でつるんでいては厳しいかもねぇ」
 脳にチップを埋め込んだ犬たち、彼らと比べれば道化師の方が遙かにヴォロスに近しい。彼は既にヴォロスの引力にひかれているのだから。
 二人は城であり神殿である岩山へ向かっていた。
 人身御供から水を作り出していた奥津城はその中だ。街では、水は涸れ、代わりに犬猫たちの機械が働いている。
 砂漠の強烈な日差しも、岩山の影に入れば遮られ、過ごしやすい。
 岩山の東西には、午前の広場と午後の広場が形成されつつあった。正午は昼寝時である。
 この岩山の下には、強大な竜刻が存在していることがわかっている。
 それはかの慧竜の抜け殻でもあり、ヴォロスに残された彼女の魂のたゆたうところであった。戦乱が奇妙に誘発される風土。
 ヴォロスは守るはずの竜が、ヴォロスの民に仇なしている。
「ゼロが話しかけてみるのです」
 そう言うと、少女はむくむくと大きくなっていき、たちまちマスカダインの背丈を追い抜き、やがてどの建物よりも大きくなった。
「はじめましてなのです。ゼロはゼロなのですー」
 熱砂の返礼で迎えられた。
 巨大ゼロは、腰に手を当てて小さく首を傾けた。
 市場を行き交う人たちは、一瞬、動きを止めるがすぐに元の作業に戻る。ロストナンバーが珍現象を起こすのに街の住民も慣れてきているようであった。
「返事が無いのです。神殿を持ち上げられるくらい大きくなるのです」
 アルスラの巨大竜刻の意識に出てきてもらう為、世界を刺激するほどまで巨大化するのだという。
 ぐんと竜星に手が届くほどの大きさに延びる。

 ――我に伍さんとするか。面白い趣向よ

 リィイインと鐸が響き、竜の粒子が宙を舞い、緋色の髪と流れ、少女の形をとった。
 非現実的な、薄く青いワンピースは向こうが透けて見え、それが、遙か大山としてゼロと相対した。
「はじめましてなのです。ゼロはゼロなのですー」
 ――我の箱庭を気に入ったか
「はいっ」
 竜の化身は、その縦に切れた瞳孔から圧倒的な存在感がほとばしっていた。
 まばたきの後に、二人は当たり前の大きさに戻り、市場の喧噪が戻ってきた。
 二人のワンピースを首を痛くなるほど見上げていたマスカダインがほっと居住まいを正した。中は見えなかったと、思う。
 竜の顕現を誇るかのように、市場を貫く水路を清浄な水が流れ出した。
 それを満足げに一瞥し、竜瞳の少女は渠をかためる石壁にすっと腰掛ける。そこが彼女の玉座だと言わんばかりに。
 ゼロとマスカダインは立ったまま話すことになった。
「はじめましてなのです。ゼロはゼロなのですー」
『知っている』
 そして、ゼロは犬猫が生きて生きやすいように、ヴォロスの世界法則の変更をすること依頼した。
「脳補助チップの犬でも帰属可能にしてほしいのです」
 せめてアルヴァクの中だけでもと付け加える。
 竜は首を振った。
「岩山の竜刻をゼロが巨大化させるのです」
 対価が必要ならと。
『外の世界よりヴァロスの諸法則を守護するのが我が役割。そなたの望みは我が有り様に反する』
 熱風が市場に戻ってきた。
 陽が動き、広場に太陽が戻ったのだ。熱風がほおを灼く。
 ふと竜の少女の姿はかき消えていた。
「なんだよ」
 マスカダインは不満を漏らした。
「結局、荒らすだけ荒らして、なにもしないのかよ。ヴォロスのために駆けた彼が聞いたらどう思うんだよ」
 そして、マスカダインは運命を傍観し愚弄する道化の役割を忘れ、愛を語った。
 このヴォロスの神に魂を捧げて命と故郷の土地を守った青年の愛を……。
「こうして犬猫のヴォロス同和への道が開けたのも小竹卓也くんのお陰でしょ? 慧竜さんよ。小竹卓也の魂はあなたの中に混ざっているんだよな。彼の人格を独立した意志として顕現させられないかい。あなた中に少しでも犬猫のことを想う心があるならできるだろ!」


  †


 ゼロとマスカダインがそのような提案をしたのも、犬を帰属させるには竜刻が必要で、その絶対数が足りていないからだ。
 ニコ・ライニオとロボ・シートンは、図書館で対策を練っていた。
「なぁロボ。ゼロちゃんとマスカダインが参加したあれ。デイドリムで発見された『暴走しそうな竜刻の力をヴォロスに返す術式』があるじゃない」
「なんだそれは」
「封印タグを使わないで、竜刻の暴走を押さえる儀式が発見されたんだ。で、えっとね。その儀式をするとヴォロスとの繋がりが強まるんだ。実際、あの儀式でね、楽園ちゃんが帰属できたんだよ」
 捕捉するなら、儀式で真理数が浮かんだのはネモと楽園の二人である。
 ニコは書架から【竜刻はスピカに願う】と書かれた報告書を持ってきた。
「それは興味深い」
 ロボは耳の後ろを掻いた。読む気は無さそうだ。
「竜刻? そういや、0世界の面々は大量に竜刻を集めていたな。あれはもう必要ないのか」
 儀式によって、封印タグを貼りヴォロスから隔離する必要が無くなるのならば、図書館の竜刻収拾は大義名分を失う。
「それはないよ。儀式をするとロストナンバーが帰属してしまう可能性があるからね。必ず成功するとも限らないし」
「そうだな。その儀式も、犬猫たちの儀式も暴走の懸念はあるが、それ以外に方法がないならどうしようもないが……」
「問題はね。暴走の予言が出た竜刻を探してまわる必要があることなんだけど。その分だけ、犬猫たちもヴォロスの各地に少人数ずつ散って良いんじゃないかなと」
 ニコの話しを聞いて、ロボらしい思い切った構想が浮かんだ。
 色々と考える暇はない。
 やるならやれ!!
 失敗を恐れるな!!
「そのウェズン博士の儀式とやらで帰属するとして、今にも暴走しそうな竜刻が必要なんだろ。いちいち探すのはかったるいってこったろ」
「そうなんだようね」
「なに辛気くさいツラしてやがる。暴走しそうな竜刻ならたっぷりあるだろ。図書館に」
 ロボは誇らしげに遠吠えをし、ニコは相談する相手を誤ったことを知った。
 図書館にため込んでいる竜刻から封印タグをはがせば、じきに暴走が誘発されるだろう。
「乗りかかった船だ。全て見てやるぜ」
 ここは世界図書館の談話室。
 辺りには他に人がいない。
 ニコはそっと人差し指を口にあて、それからイタズラっぽくほほえんだ。
「えっと図書館だし、紙はたくさんあるし、ここはこれかな。やっぱり」
 ニコはたっぷり息を竜腑に吸い込むと、ドラゴンブレスを吐いた。
 そして、叫ぶ。
「火事だーーー!!」


  †


 ニコとロボが一山の竜刻を図書館からくすねていた頃。
 川原撫子は世界樹に対する攻撃の準備をしていた。竜星、フォンブラウン市、今では雑種同盟の拠点でネルソンと計画を練っていた。
 エルシダが世界樹旅団残党として、サツキを騙し犬族を略奪の手先として世界樹旅団を復活させようとしているのだろう。撫子はそう説いた。
「私は、少し違うように考えています」
 対するネルソンは懐疑的であった。
「ランガナーヤキ、ええあのふてぶてしい猫です。彼女がエルシダに竜星のアヴァターラを売却しようとしていたことを我々は掴んでいます」
 旅団が、武器商人と接触するというのは不自然だ。ヴォロスの民相手ならいざ知らず、エルシダには自前の死兵があるし、かのドクタークランチはもとより、旅団には竜星より進んだテクノロジーもあったはずだ。
 あるいはそれらを失う程疲弊しているか。
「彼女が破れかぶれならもっと悪いわ! 世界樹を得て異世界人や犬族に大量の死をもたらし、その死体すら自分の僕として連れ歩く……そこまではっきりと未来が見えているのに、手こまねいていられますぅ!?」
 そして、ギベオンにある世界樹とフランが襲われることは考えたくも無かった。
 旅団のエルシダは魔術師で、死霊使いだ。死者から情報を引き出すことも造作ないだろう。ロストナンバーの誰かが倒れれば破滅だ。
 むしろ、タイミング的に既にギベオンのことを知っている可能性もある。
 撫子は怒りのあまり、ネルソンの首根っこを掴んで上下させた。サイボーグが軽々と持ち上がる。
「友人や、仲間と思った人を護るためなら、私は神とも世界とも戦いますぅ! ネルソンさんは違うんですぅ!?」
 そして、竜刻剣と竜刻使用アヴァターラを貸してほしいと頼ん=脅した。
 ネルソンにはとても竜刻は犬の帰属に必要だから貴重だと、言い出せなかった。


  †


 そして、吉備サクラはさつきを説得しようとしていた。
 自称園丁のことはロボも撫子も気にかけていた。
 ロボに言わせれば「不安定要素」である。群れからはぐれた狼は時に大きく混乱する。
 シュラク公国の西にある大森林。
 太陽の光は樹々に遮られ、暗い。
 空気は静かで、コケに湿気を与えていた。
 ロストナンバーにとって、世界樹の園丁とはあまりに剣呑な響きである。
 この深い森のどこかに世界樹があるという。
 サクラ一人でどうにかできる問題でも無さそうで、さつきの説得に使えるのではとポチ夫を伴っている。
 さつきは、ヴォロス風のトーガを纏って、彼女には大きすぎる錫杖を掲げていた。
 柴犬をそそのかしたと想われるエルシダは見当たらない。
「ねぇ、サツキちゃん。世界樹をどう思うの?」
「心配してくれているのですか? 大丈夫ですよ。ぼくは原初の園丁で、世界樹はぼくを大切に思ってくれているはず。エルシダもね」
「たしかにね。でも、あなた一人では竜星のみんなを助けることは出来ないと思うよ」
 サクラはいつになく真剣な顔をした。
「私達は世界樹旅団と戦ったから、彼らの求める物を知っています。世界樹を信仰するなら、世界樹の手先として異世界を侵略し、その滅びを世界樹に捧げなくてはならない。犬族は戦いで死に続け使い潰されて減っていき、その死すら世界樹の糧となる。辛く長い旅に信仰が必要だとしても、それは絶対世界樹じゃない! あれは生命を啜るワームです! 世界樹は他の世界を食べて成長するのですよ。あなたたちの朱い月も旅団によって滅んだことを忘れてしまったの?」
「ぼくはエルシダから聞いたよ。チャイ=ブレも世界を食べるんでしょ。壱番世界を呑み込もうとするイグジストで、ファミリーは契約でチャイ=ブレを手なずけたって。ぼくも同じ事をやるんだ。0世界の代わりに、ちょっとずつ色々な世界の断片を世界樹にあげながら、竜星は旅をするんだよ」
「猫はヴォロスに残るみたいだけど、犬たちと後、誰が行くの? まさか……」
「うん、エルシダもだけど旅団の人たちは連れて行きたいな」
 さつきの無垢な瞳に、サクラはたじろがされる。
 理屈としては通っているようにも思える。しかし、イグジストをもう一つ解き放つのはあまりに危険な賭であり、しかもエルシダは信用できない。
 図書館のロストナンバーは神では無いと、犬たちに言い続けたのが裏目に出たような気がした。犬たちはすがる相手無しには生きていけないのだ。ロボの言っていたことが思い知らされる。
 ゼロからは、世界樹をギベオンに投棄する最終手段を提案されている。
「いい、サツキちゃん。いざとなったら私達は全力で世界樹を攻撃するわ。いや、もう攻撃準備は始まっているの。その時にあなたを区別することは出来ないわ」
「大丈夫? そんな外からの『介入』をしたらヴォロスがどっかーんしちゃうよ」
 総攻撃をするなら、竜星と世界樹がヴォロスを離れた瞬間になるだろう。しかし、それでは世界樹の苗がヴォロスに残される可能性を排除できない。
 説得は手詰まりの様相を帯びてきた。
 河岸を変えるために、ポチ夫に話しを振る。
「ポチ夫さんは、世界樹への信仰についてどう思います?」
「我々の信じていた……神はただの人間です。超常の存在ではありません。神は我々のそばによりそって、道に光をともしてくれるものだと思われます」
 ……それは『飼い主』って言うのでは。そうツッコミたくなったが、実際その通りなのであろう。
「あのね。サツキちゃん。もうすぐワールドエンドステーションを目指す探検隊が出発します。ワールドエンドステーションに到達できていれば自分の願う場所に一瞬で送り届けてくれる場所だとも言われているのよ。一緒にワールドエンドステーションを目指しませんか? 貴方達に竜星を任せた、貴方達だけの神さまに会うために」


  †


 エギゾーストが梢を揺らす。
 一機の飛翔体がさつきたちの上の空を横切った。
 撫子のアヴァターラだ。
 ロストナンバーの座標は捕捉している。そこからシュラクの森を西へ。
 竜刻を内蔵したレーダー、高々度竜波を探知する。
 その時、コックピットの撫子にぞわっとした悪寒が走った。デウス、ドクタークランチ何度も強敵と戦ってきた。
 向こうもこちらを察知したようだ。
 ならば、覚悟を決めるしか無い。心地よい緊張が悪寒をはねのける。
「世界樹ね。先手必勝よ。ハラキリファイヤーーー!!!」
「おいおい!」
 後部座席から戸惑いの声が上がるが、意に介さない。
 ロケットモーターに点火され、主翼下のミサイルが発射された。どうせ人型に変形するときに投棄しなければならないのだ。使えるうちに使うしか無い。
 爆風はさつきたちのいる森も揺らす。
 鳥たちが一斉に飛び立ち、抗議した。
「来るぞ!」
 空中でアヴァターラが人型に変形する。
 迎え撃つ世界樹。
 森を貫き、音速で蔦がレールガンのように延びてきた。それを、竜刻剣が抜き打ちで断ち切る。
 不快な樹液が森を汚した。
「あっ、ありがとっ」
「狩の基本は獲物を十分に引きつけることだ。逸りすぎだ撫子」
 後部座席から、アヴァターラに防御姿勢を取らせたのは、ロボだ。
 ロボは、図書館から奪ってきた竜刻をネルソンに叩きつけて、アヴァターラをせしめてきたのだ。

 焼き払われた樹々の中に、一本だけ、なにごとも無かったようにたたずむ巨木があった。
 一行はこの樹に見覚えがある。
 0世界の空にそびえ続ける世界樹だ。
「通常兵器はもう効かなくなっているね」
 悪寒が左右にはしる。
 空が朱く染まる。
 カースデフレクター《呪怨偏向器》投射。
 そして、竜刻の力を宿した剣が振るわれる。
 しかし、斬撃は樹皮に阻まれた。
 はじき返されたアヴァターラは、ようやくにして地に墜ちた。破壊によって荒らされた地面に足を取られ、たたらを踏む。
「奥義じゃないとダメなのね! ならば私にはこれがぁっ!」
 アヴァターラは剣を捨てると、おもむろにファイティングポーズを取った。
 撫子が制御装置のレバーを引きちぎる。

 ――竜刻転換炉オーバーロード、カウントダウン

 アヴァターラは胸を掴み、コックピット周辺の竜刻を引きちぎった。そして、拳に握りこむ。

 ――3,2,1

「おりゃぁあ!!!」
 このような使い方は想定されていないのは明白。
 だが、しかし、竜刻の魔力がそうさせたのか、鋼鉄の拳が世界樹に炸裂した。
 それと同時に、アヴァターラから蒸気が吹き出、機能停止する。
 断末魔を上げる世界樹、苦し紛れに蔦を操り、棒立ちになったアヴァターラに迫った。
 撫子とロボのいるコックピットは自ら破壊したことにより外気にむき出しだ。

 蔦の変則的な軌道。

 そこに割り込んだのは第二の巨人――もといゼロだった。
 大陸をまたいでてきたのだ。
 荒れ狂う枝は彼女に襲いかかるが、まくらを叩いたかのように腰砕けとなった。
「マッスーさんもかけつけてきたよ」
 道化師は、巨大ゼロの髪にしがみついている。
 その隙に、アヴァターラから六本の杭が放出され世界樹を囲むと、魔法陣がしかれた。
 蔦がよじれ逃げようとする。
 そして、撫子を追いかけてきたドラゴンが舞い降りた。
 ダメ押しにニコがブレスを吐く。まとわりつく炎と共に世界樹は炎上し、ぱちぱちと薪のように爆ぜる。
 邪悪な樹は沈黙した。

 一息ついたところに、サクラも二匹の犬と共に追いついてきた。
「なんだか、手応えが無かったね」
「確かに世界樹を感じたのだが……」
 だが、真にイグジストであったのなら、ゼロを傷つけることもまた可能なはず。
 と、燃えさかる樹は雷鳴を受けたかのように二つに裂け、その根元が顕わになった。
 はたしてそこにあったのは球根のような丸い形をした石であった。
「竜刻なのです。アルスラにあったものと同じ規模なのです」
「竜刻がどうして世界樹を姿を……」
「それには説明が必要なようね」
 一同が振り向くと、爆風になぎ払われた森の向こうから無数の兵が見えた。
 いや、死兵だ。
「エルシダーっ!」
 さつきが無邪気に手を振る。
「世界樹の苗は確かにこの地にあったわ。これはその名残よ」
 と、沈黙していたはずの竜刻が鳴動した。この光景にロストナンバー達は慣れている。
「あら、暴走かしら。何とかしないと大変よ」
 魔女が妖艶にほほむ。
 ニコが図書館から持ち出してきた封印タグを貼るも、効果が無い。
 封印タグの手に負える規模の巨石では無いのだ。
「どういうことだ」
 ……世界樹としての振る舞い。
「世界樹は存在しなかったのです。これは苗に影響された竜刻なのです」
 ゼロが正鵠を射った。この竜刻からは慧竜の気配がする。そして、世界樹のも。
 ギベオンに回収された世界樹の苗は、この竜刻から力を吸収していたのだ。故に、アルヴァクの均衡が崩れた。図書館流に言うなら、これは竜刻ファージのできそこないだ。
「みなさん。お逃げになられた方がよろしいのでは?」
 死兵の前に魔女が出る。
 ゾンビをけしかけるより、面白いものが見られるとでも言いたげであった。
「まだ方法があるのです」
 ゼロとマスカダインは経験済みだ。竜刻の暴走を止める第二の方法、ウェズン博士の儀式である。
「みんなマッスーさんの言うことを聞くんだよ」
 ゼロとマスカダインが竜刻を見上げ、対角に立つ。ニコ指示し、撫子が、アヴァターラで魔法陣を描く。
 サクラも、ロボも、さつきも、ポチ夫も加わる。
 そして静かに祈りが始まった。力の奔流が行き場を得て地に沁みていく。ざらりとした世界樹の感覚がロストナンバー達を酩酊させるが、耐え、忍ぶ。
 予想外の展開にエルシダははなじらんだが、儀式を邪魔すること無く、むしろ、死兵から離れ歩み寄った。

 パーンと乾いた音が響く。

 やったのはマスカダインだった。いつになく、真剣な表情でおもちゃの銃を構えている。このギアは、人を殺すことの出来る武器でもあるのだ。
 魔女は儀式が始まると不思議と無防備となっていた。あたかも儀式をロストナンバー達に行わせることそのものが目的であったかのように。故に、ジョーカーは働くことが出来たのだ。
 エルシダが倒れると、死兵も力を失った。
 溢れそうになった竜刻の力がヴォロスの大地に吸い込まれていく。
 ロストナンバー達はここでヴォロスに帰属するわけにはいかない。図書館から来た六人も、犬の二人もそれぞれの帰るべきところを思い浮かべて耐えた。
 そして、儀式は終わった。
「あら、この人。どういうことなんですぅ!?」
 と、今一番に帰属に、カンペゼーションに帰るところがある撫子が、倒れ伏すエルシダに気付いた。
 魔女の頭上に数字が浮かんでいることを。
「ねぇ、ちょっと。これだけのことやらかしてやりたかったのって帰属? そんな喜劇は道化師は認めないよ」
 返答の代わりに、旅団の生き残りの頭上にあった数字は静かに消え、彼女も物言わぬ死体となった。


  †


 エルシダは滅び、世界樹に汚染されていた竜刻だけが残った。
 暴走は収まったが、それは本質的に不安定。
「どうするのよ。これ、こんなものヴォロスにおいておけないわ!」
 撫子が乱暴に蹴飛ばし、足を抱えてうずくまった。さしもの怪力の持ち主にしても岩には勝てないようであった。
 憎々しげに、巨石を見上げると、かのアルヴァクの支配者がそこにあった。
 森は竜気に覆われ、ニコですら気圧される。
 竜の粒子がゆっくりと衣のように渦を巻いていた。
 そして、可愛らしくも見えるかんばせが足下のロストナンバー達に向く。
 道化師が舌戦の口火を切る。
「あのさぁ、さっきは急にいなくなったけど。聞いていたんだよね。この戦いも見ていたんでしょ。問答無用に巨人けしかけたり船墜としたり力振るう点がズレてる時があるのね。ヴォロスの民を無用に傷付けるとかそれって卓也くんの意志じゃないでしょ!」
『虚空での戦いは、狂気をはらむ。我はこの地にて安息をえることにした。それがこの箱庭――アルヴァク』
 アルヴァクの住民はその命でもって、竜を慰め、外敵よりヴォロスを守る糧となる。
 そういう仕組みが大昔に作られた。
 畢竟、そこに人間の甘えの入り込む隙は無い。
 マスカダインを押し退けてサクラも抗議した。
「それじゃ、あなたはやりたくないのに騒動を起こしているとでも言うの!」
『我は、メンタピの師であるぞ』
「そうだ、それ。メンタピに聞こうよ。タピッさんだって愛する慧龍様に会いたいだろ」
『それは叶わぬ。愚弟子の苦悩は、やつが我に師事するための対価であったのだから』
 そして、ちいさく目を伏せた。『かわゆいやつよ』と。
 道化師がごときに竜が報答をする不自然。それは、道化師が竜刻の儀式でもってヴォロスとの結びつきを得たからなしうること。
 しかし、竜はヴォロスを守護するが、ヴォロスの民を守護するわけでは無い。あくまでその本質は荒ぶる神であって、定命の者の理解できるところではなかった。
 ニコは竜として定命の者との違いを理解しつつも、ニコにとってその差異は苦悩の対象であった。そして、わかりやすい翻訳をした。
「愛ね。マスカダイン。この二人はわかりにくいラブコメをしているんだよ。あんま言うと、馬に蹴られるよ」
「あれっ愛の伝道師マッスーさんとしたことが」
 竜刻石の上。竜の横にゼロが腰掛ける。
 やはり、彼女だけに許される立場があるようだ。それはマスカダインと共にヴォロスとの絆を強めたからでもあり、自身の不可侵性ゆえでもある。
「ヴォロス生まれの次世代犬からは生来自然な知性を持つよう帰属の際に遺伝子が改変されると解決なのです」
 竜は、それに応える代わりに空を見上げた。
 雲は晴れ、竜星が孤独に浮かんでいた。
『そなたらにこの竜刻をやろう。世界樹臭くて叶わぬ』


  †


 こうして、竜星は再び虚空を旅人となった。
 世界樹の幻影を見せた竜刻を竜星に安置すると、竜星は天高く上昇を始め、雲を抜け、やがてヴォロスを飛び出した。
 さつきは、竜刻を奉る神社を作り、その力が竜星に行き渡るように腐心。結局、犬たちが欲したのは、心のよりどころである。竜刻はその役割をよく果たし、慧竜に代わって犬たちに祝福を与えた。
 ほどなくして、川原撫子はカンダータに帰属し、吉備サクラはフライジングから帰ってこなかった。
 一方、極北星号がワールドエンドステーションをめざし、そして戻ってきて、慧竜の愚弟が行方をくらますなど0世界は大いに変わることとなった。
 その喧噪はヴォロスにまでは及ばない。
 ヴォロスを受け入れることにした猫犬たちはときおり、夜空を見上げ、どこか遠くのちっぽけな惑星に想いを馳せるのであった。
 武器商人のランガナーヤキは数多くの子供をもうけ、アルスラに地盤を置く商会としてヴォロスに広く知られるようになった。今では、武器よりもトラクターやコンバインと言った農耕用重機で名を知られている。
 コーギー達は、その技術と器用さを生かして、よい船乗りとなった。港スレイマンから遠く世界に散っていった。
 アルヴァク地方の外に出た犬猫たちには新しい拠点が出来ている。
 ゼロが、航路からは取れたところに島を作ったのだ。
 かえすがえすもヴォロスは広大である。
 ゼロが、各国に建国宣言を触れてまわったときの騒動は吟遊詩人の語りぐさである。海から巨人が現れ建国を高らかにうたったかと思えば。眠つけぬ王の寝所に掌大の妖精があらわれ、王の苦悩を増やしたとか。
 そこでは竜星の技術をヴォロスに適応させるための研究が行われている。
 ゼロの祈りが通じたのか、二代三代、時代とともに混血が進むと、やがて儀式を必要としない犬がぽつりぽつりと現れ始めた。
 彼らはヴォロスに受け入れられたのだ。

 例大祭に賑わうアルケミシュの丘にサイボーグ、ネルソンがたたずんでいた。
「やぁ、ネルソン。ここにいたのかい?」
「久しぶりですね。ニコさん、0世界はいかがですか」
「相変わらずだよ」
 祭りの喧噪が丘にまで響いてくる。今日だけはアヴァターラを始めとする竜星技術が蔵から持ち出されて、巡礼者に披露されていた。夜空はレーザーに彩られてい、犬猫たちはその去来を懐かしんだ。
 ネルソンは図書館に登録したロストナンバーとなっていた。今では、図書館と犬猫たちをつなぐ仕事におわれている。だが、図書館に帰ることは滅多に無い。
 だから、ニコのような者がたまに会いに来るのだ。
 天然の岩で出来たベンチに腰掛ける。
 歳月の重みに震えた。
「愛は呪い、か言い得て妙かも」
「どうしました」
「君が大昔に言った言葉だよ」
 やわらかい沈黙があった。
「そうでありましたね」
「それだけ強い感情で想われている、ってことさ。僕なら愛が例え呪いであっても、それごと愛せたらいいなって思うよ。愛が無いなんて言うのは、きっと見えていない物があるからじゃないかな? 愛っていうのは、目には見えないこともあるからさ」
「あなたが言うと説得力ありますね」
「君がヴォロスを、たとえ帰属できなくても美しいと思うのは、それもひとつの愛なんじゃないのかな」
 花火が空を飾った。
 返事をする代わりに、ネルソンはぶどう酒の瓶を一つ取り出した。
「これは、わたし達が竜星を見送った年の逸品です。ニコさんいかがですか」
「なんだい。なんかロマンチックな流れだね」
「はい、ロマンチックついででおたずねしますが……。ニコさん、あなたの初恋の話しを聞いてもよいでしょうか」
「ええ~。ユリアナちゃんの話じゃダメかな」
「ダメです。初恋の話しでお願いします」
 断る間もなく、かぐわしい液体がグラスに注がれる。空に掲げると、花火を通して鮮やかに記憶が踊った。
「恋バナだって! マッスーさん興味津々よ!」
 と、招かれざる道化師が空いた杯を差し出す。彼もまたこの季節はヴォロスに来ることを習慣にしていた。
「初めの頃から僕もいろいろあってね。……なーんかこー、選んだただ一人の人と永遠に寄り添い続けるのもいいもんかなって思い出しちゃったりして」
 そして、三人は朝がくるまで語り尽くすこととなった。


  †


「結末は全て見させてもらう」
 そう宣言したように、ロボは、虚空を征く竜星によく訪れた。
 竜星は人口の半数以上をヴォロスにおいてきたため、全員がロストナンバーであるがゆえに子育てをする必要も無く、そして、ディラックの空にあるがゆえに、ヴォロスでは使えないような危険なエネルギーも利用できる。
 ヴォロスにいた頃より、やや安定した生活が戻ってきたと言える。
 ロボは、さつきとポチ夫にいくつかの選択肢を示した。
 犬たちが安住できる世界。
「カンペゼーションと呼ばれる世界があった。あれはダメだ。撫子が帰属したが……ワームだらけで滅亡寸前だしな。
 マホロバ。少なくとも、サイバーチップはないから違う。
 シャンヴァラーラ。ここはヴォロスに近い感じだしな。
 モフトピア。論外だ。
 インヤンガイ。こんな地獄な所に行かせてなるか。
 ラエリタム……も危機を脱したが、世界基盤の弱さはかつての朱い月と良い勝負だ。下手な事が出来ない」
 結局、既知世界への入植は諦め、竜星は当初の望みの通り、彼らを送り出した世界を探すことになった。
 そして、極北星号のもたらした情報は、虚空を征く竜星にも届けられることとなった。

 絞り込みは、簡単だった。

 犬と猫を知性化するだけの技術がある世界は16万あった。しかし、その中から犬と猫をディラックの空に送り出した世界となると一気に数が絞られた。
 12。わずかな数。
 住民がディラックの空にこぎ出せた世界はごく希なのだ。
 これに、竜星に残された神話を加えたら、検索結果は0となった。
「神話は神話なのです。全てが正しいとは限らないのです」
 ゼロ世界はワールドエンドステーションのすぐそばだ。当然にゼロもこの探索に参加した。

 議論の末、竜星はこの全ての世界を順にめぐることとした。
 そして、その結果は、犬猫の母星はそのどれでも無いということだった。。
 ワールドオーダーは、その世界は既に滅んでいるのでは無いのかと示唆した。
 長い旅に耐えてきた犬猫たちは大いに落胆した。ポチ夫などは地下神殿の一室にこもり出てこなくなってしまったくらいだ。
 遙か既知路線を離れた辺境を彷徨っていた竜星はワールドエンドステーションに係留され、幾人かはゼロ世界に移り住んだ。


  †


 それから、どれだけの月日が過ぎただろうか。
 深空探査船が満身創痍の姿で戻ってきた。
 緊急通信が入る。
 小さな画面にロボ・シートンとさつきが映り込んだ。
「大変です。大変です。かみさまを見つけました」
 柴犬はあいかわらず取り乱しやすい。
「今度こそ本命だ。こいつらの神さまはな、イグジストに仕えていたぜ。どおりで検索に出ないわけだ」
 たちまちワールドエンドステーションでは、イグジストHALを迎え撃つ準備が整えられた。
 犬たちは奮起し、無数の兵器が工房から繰り出された。
「最後まで、つきあってやるって言った。助けたいんだろ、お前らの神さまをよ」

 戦いの始まりだ。

クリエイターコメント まさかの時のパソイベ公開!!

 と言うわけで大変遅くなりましたが、公開させていただきます。
 ちゃんと〆切を設定していないと、延び延びになって良くないです。
 年末に息子がRSにかかったときに、リスケジュールしたらそのままずるずるご覧の有様です。

 そうなると、極北星号の冒険結果を踏まえたエンディングにしたくなりまして、……結局、最後の最後になってしまいました。
 これはこれで良かったかなと思ったりもしています。

 残り数日、エピローグシナリオに向けて奮起したいと思います。

 それでは!

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螺旋特急ロストレイル

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