虹の妖精郷というチェンバーのことを聞いたことがある者は多いだろう。 亡くなったリチャード翁とその妻ダイアナが住んでいたチェンバーであり、篤志家であるリチャードの希望で孤児院も兼ねていた。 館長公邸の裏手の庭、妖精の庭という名から想像するものとは程遠いジメジメした庭の奥にそのチェンバーへと繋がる扉があった。 だが、誰でもがこの扉をくぐれるわけではなかった。夫妻の許可した限られた者達しか通れない、おもちゃの兵隊の守る入り口。この中で子供達は平和に暮らしていると思われていた。 だが……現実には子供達は大した教育もされずに甘やかされるままに育っており、リチャードの意向に逆らった者、ダイアナにとって邪魔な者はリチャードをも知らぬ所でダイアナによって石にされていた。 妖精郷に潜入した者の中には石にされた子供達を助けだした者達もいて、そのおかげで妖精郷からは石像になった子供たちをも含めてすべての子供たちが助けだされていた。 *-*-* 助けだされた子供たちは、知った。 もはや甘いお菓子とおもちゃだけの暮らしには戻れないことを。 優しいリチャード様とダイアナ様は居なくなってしまったことを。 妖精郷にも暫くの間戻れなくなった。いつ戻れるのかもわからない。 あの場所は、まごうことなく子供たちの『家』だ。 幼くしてロストナンバーとして目覚めてしまった子供、悲しい境遇にあった子供を暖かく包む『家』だったのだ。 いくらその教育方法が間違っていたとしても、カムフラージュを兼ねていたとしても、それでも子供たちにとっては――。 妖精郷から救出した子供たちは、図書館の所蔵する建物のひとつをとりあえずの住処とすることになった。手のあいている司書たちや信頼の置けるロストメモリー達の手を借りて、なんとか子供たちの世話をしていたのである。事態が落ち着いたら、正式な処遇を考えよう、アリッサはそう思っていた。 子供たちの中には環境が変わったことに馴染めず、塞ぎがちになったりおもらしを繰り返したり、癇癪を起こしたりする子たちもいた。子供に慣れていない司書達の中には、上手く接することが出来ないと悩む者達もいた。それでも、その時は子供たちを護ってやれるのはあの場所しかなかったのだ。 *-*-* 世界司書の紫上緋穂は世界図書館の大きめの部屋に人を集めていた。彼女の隣には、彼女の足にしがみつくようにしている背中に蝶の翅を持った少年、エーリヒがいた。「みんな、妖精郷に石化した子供たちがいたのは覚えてる?」 その声に集まったロストナンバー達の数人が声を上げた。どうなったのか気になっていた、と。「結論から言えば、彼らの石化は解けたよ。……ダイアナさんの死がきっかけで、魔術が解けたんだと思う」 知らせが遅くなったのは、彼らに石化していた間のこと、リチャードやダイアナの事を話し、空白の時間を受けいれさせて混乱を取り除くのに時間がかかったかららしい。「妖精郷にいた、石化されていなかった子供たちも、図書館で保護しているよ。それでね、そろそろ頃合いかと思うんだ」 子供たちを一度、妖精郷の『家』に帰し、希望者のみリチャードとダイアナのお墓参りができるように手配したのだという。「みんなの中にも、お墓参りをしたいと思っている人はいるでしょう? 子供たちは、引越しみたいな形になるかな……やっぱり、孤児院として一番設備が整っていて安全なのは、妖精郷なんだよ。遺産として妖精郷を継承したヴァネッサさんの意向で、中は綺麗に整えられてる。でも、さすがにダイアナさんの魔法で動いていたおもちゃたちはいないから、ある程度の世話は今までどおり司書や他のロストメモリーが交代で行わなくちゃならないんだけどね」 今までと違って出入りもそこまで厳しくは制限されない。だから子供たちも外の世界を学ぶためにターミナルへ出ることもあるだろう。石にされていた子供たちの中には、リチャードのずさんな教育方針に真っ向から対立した者もいる。そういった者達はある程度年齢が高いものが多いことから、率先してリーダーシップを取ってくれるだろうと思われる。「だから、みんなに子供たちのお引越しを手伝ってほしいんだ。と言っても荷物はそんなにないから、小さい子を連れて行ったり、現地でみんなの衣食住を整えている間に子供たちと遊んだりとか、そのくらいかな?」 緋穂はそっと、足元に寄っているエーリヒの頭を撫でた。今は緋穂と暮らしている彼は、同じ意見を持っていたグレンという少年のことが気になっているようである。「みんなの住処の準備ができたらさ、希望者でお墓参りをしようね。私も、一緒に行くよ」 彼女はどこか痛そうに、微笑んだ。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
新しいことを始める時というのは少しばかり不安で、けれどもわくわくする心が湧き出てくるものだ。 子供達は妖精郷に帰れる事を喜ぶ子供と、少し複雑そうな子供に分かれていた。それでも後者は今までの妖精郷とは違うということを理解しているからか、そこまで嫌悪感を持っている様子はなかった。 子供達の世話をしていたロストメモリーや手のあいている司書達がまとめた荷物を外へと運び出す。 「引っ越しバイトで鳴らした腕前を披露する時が来ましたぁ☆ 梱包から配送までバッチリお任せ下さいぃ☆」 「任せるでやんす! ただ今増えに増えたり八百体、引っ越しの人足なら掃いて捨てる程お手伝い出来るでやーんす!」 ここが見せ場とばかりにリヤカーを引いてきた川原 撫子と、300体で参加の旧校舎のアイドル・ススムくんが声を上げる。さっさっと荷物を積み込み、または持ち上げていくさまは見ているこっちも気持ちがいい。 荷物自体はそれほど多くはなかった。持っていた荷物の殆どを妖精郷に置いてきてしまっている子供達にとっては、妖精郷の外での生活は一時しのぎのもの。生活必需品は不足なく与えれていたが、さすがに妖精郷で与えられていたほどのおもちゃや嗜好品を与えるわけにはいかなかった。代わりに教えられたのは、人と触れ合うこと。一緒に遊ぶこと。 撫子が目に止めたのは12歳くらいの少女と、2.3歳くらいの少女。どうやら妖精郷までエルシという小さい子を連れて行くようだが、そのエルシは大きなくまのぬいぐるみを両手で抱えていて、前も満足に見えない状態だ。引率の少女でなくても妖精郷まで歩いていけるか心配になる。 「はーい☆ それじゃあエルシちゃんはおねーさんのリヤカーに乗りませんかー?」 撫子はくまのぬいぐるみごとエルシを抱き上げ、リヤカーに乗せた荷物と荷物の間にすっぽりとはまるように座らせる。危なくないように。そしてリヤカーを引いて走れば……。 「きゃー! はやいのー!!」 きゃっきゃっと嬉しそうに声を上げるエルシ。ちょっとリヤカーを傾けてみたりして、そんな羽目を外す遊び心もエルシは喜んでいるようだ。引率の少女はエルシが落ちないか心配しているようであるが、どこか羨ましそうにも見える。いつの間にかリヤカーを遠巻きに見ている子供達もいた。 「妖精郷に荷物を運んだら、みなさんも乗ってみますー?」 撫子が明るく声をかけると、子供達から歓声が上がった。 「はてさて……妖精はどこに行っちゃったのかなぁ」 きょろきょろと何かを探している様子のロアン。猫型獣人の姿を今はかたどっている彼は、手近な子供を見つけて目を輝かせる。 「あっ。妖精、つかまえた。ふふふ、かわいい」 「きゃっ!? ……う、ぐ……」 子供は暖かくて心地いい。ついついぎゅーっと抱きしめてしまって。 「猫さん猫さん、リゼルちゃん苦しそうだよぅ」 側にいた別の女の子に言われてようやく、力加減を間違えていたことに気がついた。ごめんごめんと笑って、涙目になって咳き込んでいるリゼルの頭を撫でた。 「小さな妖精さん、きみたちも帰るのかな。『ロアン』も手伝おうか、荷物、いっぱいみたいだから」 「「わぁっ……」」 分裂して実体化したロアンを見た子供達は、魔法みたい、と声を上げて喜んで。喜んでもらえると、ロアンもなんだか嬉しい。 ススムくん達はものすごい勢いで荷物を運び出していった。疲れ知らず、補給いらずの彼らだからこそ出来る技だ。あっという間に仮住まいの荷物が減っていく。 荷物運びを手伝っていたナウラは、一人ぽつんと佇んでいる少年を見つけた。馴染めていないのか何が気にくわないのか、仏頂面で引越し準備を進めている皆を見守っている。彼の放つオーラが怖いのか、小さい子達は彼に近寄ろうとしていなかった。 「グレン」 「あんたは確か……石になった俺達を見つけてくれたっていう……」 ナウラの声に振り返ったグレンは司書達から教えてもらっていたのだろう、警戒を解いたように肩をなでおろして。そんな彼にナウラは首を振って近づいた。 「貴方達を見つけられた切っ掛けは彼」 ナウラが指すのは緋穂の足元にちょこんとくっついているエーリヒ。たまに自分の存在をアピールするかのように翅をパタパタと揺らしている。 「あいつが……?」 「大人しいけど、君と同じように当時の妖精郷を変だと思えた子。仲良くなれると思うよ」 二人が友達になれたらとナウラは思う。けれども無理強いする気はなくて。それだけ言うと今度はエーリヒのいる方へと向かう。背中にグレンの視線を感じる。少しは気にしてくれているようだ。 「エーリヒ」 「ナウラさん!」 声を掛けられたエーリヒは振り返って嬉しそうに笑顔を浮かべた。また会えたのが嬉しい、そう身体一杯で表現しているのがわかる。 「グレンと話したか?」 「……ううん」 「怖く見えるところもあるかもしれないが、真っ直ぐな子だと思う」 「……」 ナウラの言葉にエーリヒはそっと身体ごと傾けてグレンのいる方角を見る。が、目が合ったのかびくっと身体を振るわせてナウラの身体に隠れてしまった。 「今すぐでなくても良い、話したい事があったらいってご覧よ」 いつか二人が助け合えたらいいと思う。ナウラはエーリヒの頭を優しく撫でた。 淑やかに、そっとエーリヒに歩み寄ったのは小さなレディ、ゼシカ・ホーエンハイムだ。 「こんにちは 妖精さん。元気にしてた? ずっと心配してたのよ」 「ゼシカちゃん!」 ふたつに結った金糸を揺らしながら近づく彼女は、エーリヒの一番最初の友達だ。自然、彼の表情も明るくなる。 「ぼくも会いたかったよ! ほら、こんなに元気になったよ!」 とてとてとゼシカに近寄り、翅を動かしてみせるエーリヒ。初めて出会った時はぼろぼろだったそれが綺麗に治っているのを見て、ゼシカは「よかった」と笑む。 「妖精さんはこれからどうするの? 司書さんと暮らすの?」 忙しく動きまわる大人たちの隙間を縫うようにして石段にたどり着いた二人。エーリヒが敷いたハンカチの上にゼシカは座り、エーリヒはその隣に腰を掛ける。どうやら女の子をエスコートする方法とやらを実践してみたらしい。 「うん、多分そうなると思う。もし学校みたいなのが妖精郷に出来たら、時々そっちにも行くかもしれない。ゼシカちゃんは?」 「ゼシね 今は魔法使いさんのおうちに住んでるの。パパは死んじゃったけど……お互い好き合ってれば 血が繋がらなくても家族になれるのよ」 「ぼくと緋穂おねえちゃんも家族になれるかな?」 ゼシカの言葉を受けて、エーリヒはぽつんと呟いた。それを聞いたゼシカは首を傾げざるを得ない。だって。 「妖精さんと司書さんは、もう家族でしょう?」 「……!」 それがさも当然であるかのような言葉。エーリヒの心が震える。 「うん、そうだね!」 笑んだエーリヒを見て、ゼシカも同じように笑みを浮かべた。 そのグレンって、妖精さんのお兄ちゃんみたいな人だったんでしょ。怖いかもしれないけど、言いたい事があるならちゃんと伝えたほうがいいわ。がんばって――ゼシカの言葉を胸にエーリヒが緋穂の元へ戻ると、ジューンと吉備 サクラが緋穂の元を訪れていた。 「お久しぶりですエーリヒさん。お元気でしたか」 「ジューンおねえちゃん! 元気だったよ!」 ジューンの脚にひしと抱きつくエーリヒの頭上では、緋穂とサクラがちょっとむずかしい話をしていた。 「緋穂さんとエーリヒが何で今行くのか、とても不思議でした。落ち着く前の子供達に不安を全てぶつけられるかもしれないのにと思いました。でも他の子供達といつか和解するためには、今会いに行かなきゃいけないんだとも思いました」 「うん。エーリヒは敏感な子だからあまり妖精郷の子とはまだ触れ合う勇気が出ないっていうか、なにか感じるところがあるみたいだけれど。でも今を逃したら、溝は深くなるだけだと思うんだ」 緋穂にも考えがあっての今回のことなのだ。サクラもそれはわかっている。 「だから。緋穂さんやエーリヒが必要以上に傷つかないように一緒に行きます。だって私達は、反抗した子供を石にする妖精郷のあり方を見過ごす訳にはいかなかったんです」 「ありがとう、サクラさん」 繋がれた手が暖かくて、余計な緊張を解してくれるようだった。ふう、と深く息をついた緋穂に、ジューンも声をかける。 「ええ、私も緋穂様やエーリヒさんとご一緒したいです」 ジューンは用心深く考えていた。一部の子供達はエーリヒが全てを壊したように思い彼を弾劾するかもしれない。それを防ぎたいと。だから脚にすがるエーリヒを抱き上げ、小声で告げる。表情は優しいままで。 「貴方が呼んでくれなければ私たちは間に合わなかった。貴方が皆を助けたんです、エーリヒさん。貴方が皆を助けたのだと、いつか必ず他の方も分かって下さいます」 「……うん」 安心したように、エーリヒはきゅっとジューンに抱きつく。ジューンもそれに応えるように、ぽんぽんと優しく背中を叩いたのだった。 「緋穂殿!」 「ジュリエッタさん! たくさんの絵本、ありがとう!」 緋穂のもとにかけつけたジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは、妖精郷の子供達に向けて壱番世界各国の絵本をたくさん自前で手配してくれていた。 「なぁに、子供達が夢を持った想像力豊かな子供に育ってくれる手伝いが出来れば、わたくしは満足なのじゃ」 想像力が育てば自然、他人に対する接し方も変わるだろう。心の大きな成長の一つになる。その糧となる絵本は、ススムくんによって大切に運ばれていく。綺麗な風景の絵が描かれているもの、装丁が凝っているもの、かわいい動物が描かれているもの……そのどれもが子供達の想像力をかきたててくれるだろう。 「エーリヒさん、緋穂さんこんにちはなのですー」 「わわっ!?」 いつの間にか側にいた白い少女に声を掛けられて、飛び上がりそうになった緋穂。声の主を振り返ってみれば、シーアールシー ゼロではないか。 「ゼロはリチャードさんとダイアナさんのお墓参りをするつもりなのです。よろしければご一緒しませんか? なのですー」 「ゼロさんかぁ、びっくりした~。うん、そうだね。あらかた荷物は運びだされたみたいだし、私達も行こうか」 「はいなのですー」 ゼロもジュリエッタも、ジューンもサクラも、ゆっくりと歩き出した。歩きながら交わされる話題は他愛もないものが選ばれて。それは諸世界で事件が起きている時だからこそ、まったりのんびりした話題が選ばれたように思えた。 *-*-* 子供達の生活区域部分は新たに整備された箇所が多い。そんな妖精郷に、たくさんの声が響いていた。前の妖精郷に慣れてしまっていた子供達は変化に少しばかり不安を感じたようだったが、それでも新しいものに惹かれるようで。前の妖精郷に馴染めなかった子たちは、妖精郷が新たな姿を見せることによって馴染みやすくなったことだろう。 子供達と手伝いに訪れたロストナンバー達の声を遠くに聞きながら、一部のロストナンバー達はリチャードとダイアナの眠る墓所を訪れていた。 並んで埋葬されたふたりの墓標だけ見れば、妻が夫を殺したようには見えない。仲良く並んだ墓標は、仲良く添い遂げた夫婦のように見えた。 「……ここの在り方は許せなかったが、貴方達が死ぬことを望んではいなかった」 そよぐ風に髪をなびかせてふたりの墓標を見つめるセダン・イームズ。彼女は以前妖精郷を訪れた際に、ここのあり方に異を唱えた一人だった。 「……歩み寄ってほしかった、共に戦ってほしかった、生きてほしかった……それがもう望めぬなら、貴方達が見捨てた世界をせめてもっと幸せにしてみせる……」 他者と歩み寄らず、他者と協力せず、そして……死んでしまったふたり。子供達を集めるだけ集めて、御伽の世界を作るだけ作って放棄したように見える。 「それが僕の贖罪だ、そちらから見ているといい、世界はあなたがたが思っている以上に、美しく救いのあるものだったと、思い知りながら……」 けれどもそれは、こちら側にも言えること。彼らが閉じこもっているから、接触を拒否しているからといってしかたがないと諦めなければ、もしかしたら……なにか変わったかもしれない。万が一でも、彼らの心を動かせたかもしれない。 もはや、それは叶わない。だからこそ、セダンは世界の美しさを見せつけてやろう、そう思うのだった。 誰かが来た。セダンはそっとその場を後にする。そこに現れたのは一一 一だった。 「海外の墓参りの様式って判んないなあ……」 ぼやきながら訪れた一は、ダイアナの墓標の前で立ち止まり、じっと見つめる。 ディラックに焦がれ暴走したダイアナの姿は鉄仮面の囚人を求めた己と酷似していた。焦がれ焦がれ焦がれ、どこから生じるのかすら分からないその気持にふたをすることが出来ず、ただただ求めてしまう。だからこそ一は、ダイアナを否定する事は出来ない。もしかしたら彼女はあり得たかもしれない己の未来かもしれないのだから。 ――貴方も、こっちへいらっしゃいな。 墓標に重なって見えるのは、老婦人の姿。優しい表情で一を誘う。 (けれど、もう同じにはならない) 一は頭を振り、老婦人の幻影を振り払った。そして――胸を張って宣言できるほどまだ自信は持てないけれど、自分に言い聞かせるように呟く。 「私は、一人じゃありませんから」 ――そう、一人じゃないの。残念ね。 そんな声が聞こえた気がした。 「ダイアナ、貴方は幸せのままに死ねたのかしら?」 ティリクティアは呟く。 「もっとはやく私達に会っていればと貴方は言ったけれど、貴方は寂しかったのかしら」 以前ダイアナのフェアリーサークルに囚われたことのあるティリクティアは、それ以降ダイアナを威嚇警戒していた。けれども今となっては――。問いの答えも、知ることは叶わない。 そっと、持参した黄色い花を墓前に捧げ、瞳を閉じて祈りを捧げる。風がそっと、肌を撫でていった。 「ここなのです」 新たに墓参りに訪れた者達がいるようだ。ティリクティアはそっと墓前から後退り、その者達に場所を譲る。そして。 「――」 紡ぐのは鎮魂の唄。死者の魂の安息を願う唄。透き通った歌声が響き渡り、場の空気をふさわしいものへと変えていく。 「安らかにお眠りくださいなのですー」 ゼロは、ふたりの墓前に祈りとともに敬意を捧げる。まどろむ者のゼロにとっては、永眠する者は皆、等しく尊いのだ。更に二人の最後にそれなりに因縁のある者としては、手を合わせずにはいられなくて。 その隣では、ダイアナの墓にローズマリーを含めた花束を供えるジュリエッタの姿があった。 「現実ももちろん大事じゃが、子供達には良き夢を持ってもらいたい。ローズマリーの花言葉は『追憶』そして『私を思って』」 ダイアナにとどめの一撃を与えた者として、ジュリエッタには他の者にはない思いがあるのだろう。痛みを堪えるような、そんな表情で彼女は墓標に語りかける。 「止めを刺したわたくしが言うのもなんじゃが決して忘れずに生きる。それが償いじゃと。……どうか夫殿と安らかに眠ってくれなのじゃ」 ふたりの背後では共にやってきたサクラやジューン、緋穂やエーリヒも祈りを捧げていた。 「……あなただってひとりじゃなかったんですよ」 その姿を見た一の言葉は、風にのって妖精郷の空へと消えていった。 *-*-* 一方、エメラルド・キャッスルのヴァネッサの元を訪れた男がふたりいた。ジャック・ハートと坂上 健だ。アポイントなしでも門前払いされなかっただけありがたいものだ。その要因がふたりのツーリストにあることを、ジャックと健は知らない。 「麗しのヴァネッサ、アンタが今後妖精境のボスだ、だからアンタはあのガキ共を見守る権利と義務がある筈だ……一緒に行ってやってくれないか。今回も、これからも」 「妖精郷はアンタの場所だ、ヴァネッサ。だから今後も立ち入りする許可を貰いに来た。あそこは司書やロストメモリーばかりで世話する予定なんだろう?」 ヴァネッサの眉間に、皺が刻まれる。彼女はため息を付いたが、話しなさいと顎をしゃくった。一蹴されて終わりかと思った。けれどもヴァネッサは話をすべて聞いた上で「考えておくわ」と告げて、ふたりに退室するように促した。本当に考えておいてくれればいいのだが。 *-*-* 「どこがどう変わったのか教えてよ!」 ユーウォンの問いに、長く妖精郷にいた子供達は「お家が変わった」とか「大きな建物が増えた」とか、次々と違いを見つけて報告してくれる。 「じゃあ探検する? 鬼ごっでもプロレスでも受けて立つよ!」 「えいっ!」 明るく告げたユーウォンの尻尾に男の子が乗っかり、前からはタックルしてくる子もいる。 「よーし!」 受けて立ったユーウォンは力具合を加減しながらプロレスを開始した。子供達は手加減を知らない部分がある。あまりに酷い時にはきちんと注意するのを忘れない。 何かを「教える」つもりはなかった。知識を身につける大変さを知っているから。ユーウォンだって修行中。ましてやニンゲンは未熟なまま生まれるのだから。 けれども良し悪しの筋はきっちりと付ける。いつまでも「子供だから」と許されていてはかわいそうだ。 (子供ってのは、親が思うほど小さくはないもんさ) 「かわいい妖精さん。きみと、きみのたいせつなひとを、たいせつにね」 「ありがとう、猫さん!」 荷物を運んだロアンをに礼を言って、リゼル達は遊びの中へと飛び込んでいった。向かったのはソア・ヒタネのところだ。 「よかったら、一緒にお外で遊びましょう? 今まではどんな所で遊んでいたんですか?」 年少の、手持ち無沙汰になってしまってぼーっと作業を見ているだけの子供に、ソアは優しく声をかけた。子供達は気にかけてもらったことが嬉しいのか、きらきらと目を輝かせてソアの側に集まる。 「妖精郷に来るのは初めてなので、どんな面白い所があるか、わたしに教えてほしいです」 「あっちあっちー」 「こっちだよー、こっちー」 子供達はソアの手を引いて、自分の好きな場所に連れて行こうとする。中にはソアの脚にぎゅっとしがみつく子もいて、モテモテだ。 「それじゃあ、順番に回りましょう!」 脚にしがみついてきた子を抱き上げて、ソアは子供達と歩き出す。 華月は、新しくなった建物の壁に寄りかかってうずくまるようにして泣いている少女を発見した。迷わずに近づく。 「どうしたの?」 「私のお家が変わっちゃってたの」 「そう……」 そっと、頭を撫でて慰めの言葉を探した。穏やかな声で優しい言葉を紡ぐ。 「変化は怖いわ。でも変わる事を受け入れなければ周りに置いていかれてしまう」 「追いつかないといけないの?」 「ええ。これからは、ね。優しい過去は終わり。でもこれからの生活も楽しい事がきっとあるわ」 そう言って華月は持参した笛を取り出した。楽しい旋律を奏でれば、少女の涙も止まり、表情が緩む。 「笛の音がする!」 ソアの連れていた子供達もその笛の音に気がついて。だだだっと惹かれて行った。 「次、ヒーローっぽいかっこいい曲がいい!」 「あ……え、ええ……」 元気いっぱいの男子のリクエストに少しあわあわしながらも、一生懸命奏でる華月。ソアは楽しそうな子供達と一緒にその音に聞き入っていた。 「楽しそう!」 「あ、緋穂さん……あの」 墓参りを終えてやってきた緋穂に、ソアは感じた疑問を率直にぶつけることにした。 「この子達はこれからどうやって過ごすんでしょう……? その、よかったら、野菜を……花でもいいです、何か植物を育ててみるといいと思うんです」 「それいいね、自分でなにか育てるって経験は大事だものね。提案してみようかな」 「そのためにお手伝いできることがあれば、わたしも協力しますから!」 妖精郷が虹の夢の残骸ではなく、子供達自身が作り上げる場所になるのも、そう遠くないかもしれなかった。 【了】
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