そこは夢浮橋。今上帝の住まう殿舎の謁見の間にて、夢幻の宮は一段低い位置から壇上の御簾の向こうに頭を下げていた。「過日はわたくしの遣わしましたロストナンバーの働きましたご無礼、このようにお詫び申し上げます」「いや、陰陽師一人の命で面白いものを見せてもらった。あんなことをしてくる骨がある者がいるとはな」 それは先日、今上帝を信用させるために、依頼と言う名の試験を受けた時のことを言っている。 左大臣邸、右大臣邸、中務卿宮邸に入り込み、今上帝に反旗を翻すような者はいないか調べると共に、御札を五枚張ってくるというものだ。 その時に中務卿宮邸で、とあるロストナンバーが札越しに、監視をしていた陰陽師を殺したと共に自らの力を示したのだった。「ですが、ロストナンバーには能力の個体差がありますゆえ……皆が皆、あのように凄まじい力を持っているわけでも、攻撃的なわけでもございませぬ」「だが、私の一番見たかったものは見れた。能力に個体差があることは把握しておる。女五の宮、お前とて『ロストナンバー』なのだろう?」 含みをもたせたように今上帝が御簾の向こうで笑う。夢幻の宮は頭を下げたまま、唇を噛み締めた。昔からこの兄のことはあまり得意ではなかった。「よって、お前を含めたロストナンバーを信用しようと思う」 今上帝から述べたこの言葉、喜ぶべきものではあるのに夢幻の宮はあまり心から喜べなかった。利がなければ今上帝もロストナンバーという得体のしれぬ異世界の存在を受け入れはしないだろう。なにか、ロストナンバーにさせたいことがあるのだ。利害関係を考えるのは当たり前のことに思える。だが、夢幻の宮は今上帝が自分の兄だからこそ、なんだか心配が拭えないのであった。「わたくしたちを受け入れてくださり、ありがとうございます。……ところで結局のところ、右大臣、左大臣、中務卿宮の中に帝様に叛意を持つものはいたのですか?」「ん? ああ……今のところはそれらしい情報は入ってきていないな。というか……気が付いているのだろう?」「……。やはりあの札は、監視のための『目』であったのですね?」 あの札が『目』であることは、陰陽師を殺害したロストナンバーの行動で確定していた。もう一つ、薄々夢幻の宮が感じていたのは。「あの時点で明確に、謀反を企んでいるものがいるなどという情報はお耳に入っていませんでしたね?」「くっくっくっ……あの時点では、な」 やはり謀反云々は嘘であり、『目』はロストナンバー達の行動を監視していたというわけだ。あの時点では監視されても仕方がなかったとはいえ、改めて聞くと少し、気分が悪いと思ってしまう。「細かいことは気にするな。お前達は私の信を勝ち得たのだから」 そうなのだ。これでこの世界で活動する上での問題の一部は解決したのだ。「この世界での拠点が必要であろう? 御所内というわけにはいかぬが、三条に国名義の土地と屋敷がある。そこを好きに使うが良い。足りないものがあれば言え。届けさせる」「三条のお屋敷……『花橘(はなたちばな)殿』でございますね」「何か不満か?」「いえ、滅相もない。あんなに良い立地のお屋敷を、よろしいのですか?」「お前達が誠意を見せたのだから、こちらも返すべきだろう?」 なんと言ったら良いのかわからなくなりつつも、夢幻の宮はこの場はその好意を受け取っておくことにして。 これでロストナンバーたちが夢浮橋を訪れる時に利用できる拠点ができた。表向きは女五の宮である『夢幻の宮』という姫宮が兄から賜った屋敷という体裁になるようだ。『花橘殿の』もしくは『夢幻の宮様の所の』者、または縁の者ですといえば通ることになる。これは、この世界で過ごすに辺り、後ろ盾が出来たことを意味する。夢幻の宮は名を貸しているだけで常駐するわけではなく、実質的な後ろ盾は今上帝となる。 だがそれも利害関係と細い信頼関係から出来たものであるということを忘れないことが大切だろう。 *-*-*「ところで……」 話が一段落着いた所で、夢幻の宮は口を開く。訪れた時から御所内が騒がしいことに気がついていた。御所内だけでなく、市中もなんだか落ち着かない様子であった。「何かあったのでございますか?」「昨夜、ちょっとした事件がな」「ちょっとした……でございますか」 かくん、小さく首を傾げる妹を、今上帝は御簾越しに見つめたまま、面白そうに口を開いた。「報告が上がっているだけで、9箇所。昨夜怨霊や物の怪が現れた場所の数だ」「!? どれも昨夜でございますか?」「ああ。妙弦寺、朱雀門、六条河原、右大臣邸、左大臣邸、中務卿宮邸。それに朝堂院と藤壺、紫宸殿」「え……内裏と後宮まででございますか!?」 妙弦寺と六条河原は都から少しはなれたところに、朱雀門は暁京へと入る門の中でもメインとなるものだ。 碁盤の目のように縦横に道が通っている暁京では、右大臣邸、左大臣邸、中務卿宮邸は都の中、大内裏に近い場所にある。 朝堂院というのは大内裏の中にあり、内裏の南西、中務省や陰陽寮のそばにある大きな建物だ。本来は執務の中心であったが、現在は国家的な儀式に使われている建物である。 藤壺は後宮にある殿舎のひとつであり、飛香舎(ひぎょうしゃ)の事だ。現在は冷我国から輿入れした姫君、藤壺の女御(飛香舎の女御)が住まう場所だ。 紫宸殿は内裏において儀式が行われる正殿である。「お怪我は……」「宿直中の者が数人と女房が数人怪我をしたが、私や藤壺は無事だ。他も、要人が怪我をしたという話は聞かぬ。香術師や陰陽師の話によれば、このたびの怨霊・物の怪はさほど力の強くないものだったらしい」「死者は今のところ報告されていないのですね? それならば……」 夢幻の宮はほっと力を抜いて。 しかし奇妙である。ほぼ同じ時間帯に9箇所、それも守りの結界のはられている都の中や、更に結界の強い内裏の中までとなると……偶然とは思いづらい。「偶然ではないだろうな……一応調査をさせてはいるが」「……わたくし共にも調査の依頼をなさる、ということですね?」「聡い女は嫌いではない」 くっくっくっ、と笑う帝は夢幻の宮の言葉を肯定していた。 この事件が偶然起こったものではないとしたら、今後また同じような事件が起こる可能性も、これからエスカレートする可能性もある。 そうならないためにも、なにか糸口を掴みたいものだ。
<ユーウォンの調査報告> 「なるほど、ここが……」 朱雀門。朱塗りの大きな門を見上げているのは、清潔な洗いざらした麻の水干に身を包んでいるユーウォンだ。角と髭をつけて壱番世界に伝わる東洋龍風にすればかっこ良さも倍増だ。 (どこが怪しいかって聞かれたら……どこも怪しいよねぇ。陽動で数が多いわけじゃ無いね、多すぎて怪しまれてるし。内裏が狙いなら、洛外にまで手を回すのは無駄だと思うし) 「おい、そこの!」 門をじっと見上げて考え事をしていたのが目についたのだろう。門衛の一人が声を掛けてきた。ユーウォンは慌ててそちらへ視線を向ける。 「はっ、はいっ!」 「どこぞの使いか?」 「はい。我が主は陰陽師、帯刀賢陽(たてわきけんよう)にございます! 先日の怪異の調査に参りました」 口調も出来るだけ御行儀よく、陰陽師の使いのように振る舞う。陰陽師の名前は夢幻の宮から聞いておいた。帯刀賢陽はもう高齢だろうが有名な陰陽師だという。 「なるほど賢陽殿の所の使いか。賢陽殿が調査に乗り出してくださったのなら安心だな」 その名前は都に響きわたっているのだろう。ちょっと口に出しただけで門衛はユーウォンのことを、賢陽の手のものだと認識してくれたらしい。頑張れよ、と声を残して持ち場へと戻っていく。ユーウォンは安心して、門のあたりをキョロキョロと物珍しそうに眺めながら思考を練る。 (この世界って、隣り合わせに別の世界が重なってたりするのかな? そこへの出入り口を開けることが出来れば、結界なんか関係なしで好きな所を行ったり来たり出来るような、裏道みたいな異界が……) 門と元々異界と繋がりやすいという。だとすれば異界に基地を作ってこっちへの「門」を常設するにもいい場所なのではないか、ユーウォンはそう考えた。 当時当直だった門衛に聞いてみれば、物の怪は突然現れて街の方へと進もうとしたという。結界を超えてきた、門衛たちはそう思い、慌てて物の怪を止めようとしたという。門衛の一人が急いで詰所に戻り、万が一の時のためにと詰所に預けられていた札を持ちだして果敢にも物の怪へ貼りつけた所、物の怪は煙のように消えたのだとか。 「術者の力が込められていただろうけど術者じゃない人が使った御札で消えちゃうってことは、やっぱり弱い物の怪だったんだよねぇ。何のために出てきたんだろう」 つ、と門の天井を見上げる。 サッ。 「?」 なんだろう、視界の端を影が走った。もしかして、そんな予感が頭をよぎる。 「君、ここに棲んでいる物の怪かい?」 門衛や門を利用する人達に気づかれないよう小さな声で呼びかける。すると――ひょこりと門の天井から顔を出したのはイタチのような姿をした物の怪であった。 『なんだい、陰陽師の使いが。わたしゃ何にも悪いことはしてないよ』 「それはわかってるよ。ちょっと聞きたいんだ。この間ここに悪い物の怪が現れただろ?」 『ああ、わたしがのんびりと過ごす時間を邪魔したやつだね。見たよ』 イタチはひょろっと姿を表して、梁の上に座った。ユーウォンを見下ろすように首を向けて。 「どうやって来たのかわかる? なにか特別なことをしたりしていなかった?」 『どうやってって……わたしだって一部始終見ていたわけじやないからね、わからないよ。でも気配は突然現れた、そんな感じだったね。特別何かしていたわけでもないようだったけど……ああそうだ』 「どうしたの?」 『あいつが現れたあたりでこれを拾ったんだよ』 そう言ってイタチが梁の上から落としたものを、ユーウォンは両手を広げて受け取った。小さな、石のような感触があったがゆっくりと掌を開いてみればそこにあったのはただの石ではなかった。色は真白く、奇妙にうねった形をしていて、一箇所穴が開いている。 「これ何の石かな?」 『何でできているかまではわからないよ』 「そうじゃなくて、これ、何?」 ユーウォンがイタチを見上げて尋ねると、イタチは陰陽師の使いのくせにそんなことも知らないのかい、と呆れたようにして口を開いた。 『それは勾玉だよ』 「勾玉……」 じっと、掌の上の白い勾玉を見つめる。しかしユーウォンにはそれが何でできているのか、どんな意味があるのかわからなかった。 「ねえ、これ……もらったら駄目かな? 仲間に見てもらったら何かわかるかもしれないんだ」 『そうだねぇ……その髭と交換ならいいよ』 「髭? お安いご用だよ」 ぶちっ。 ユーウォンが躊躇いなく髭をむしりとったものだから、イタチは目をまあるくして。元々付け髭だったことをイタチは知らないのだ。 (付け髭を欲しがるなんて。珍しいのかな? それともイタチさんもかっこよくなりたいのかな?) 「はい」 差し出せば、イタチは柱を途中まで降りてきてその髭を咥えた。ユーウォンは商談成立、と笑顔を浮かべた。 「ありがとうねー!」 『うむ。また何かあったら来るといいよ』 小さく手を振って、ユーウォンは駆け出す。勾玉を落とさぬように大事に手に握りしめて。 術が得意な仲間や、この世界の住人だった夢幻の宮に見せれば、何かわかるかもしれない。手の中の小さな物体が、何らかの手がかりになるようにと祈って。 *-*-* <豹藤 空牙の調査報告> (各所に物の怪が出てくるとは、何かの兆しの可能性がないとは言えないでござる) 空牙的には9箇所全てを回ってみたかったのだが、彼が選んだのは妙弦寺だった。 都に程近いその寺は本日も訪問客が耐えぬのだろう、車止めにいくつかの牛車が停まっているのが見えた。空牙は忍者として、他者に見つからないように気配を殺しながら、まずは寺の外を確認する。 「何か、怪しい場所とか、外側も見てみたほうがいいでござるな……」 寺としてはそこそこ大きな建物だ。貴族や女房がよく訪れるとのことだから、資金繰りには苦労していないのだろう。改装を行ったのか、建物の所々に新しい箇所がある。 耳を澄ませば読経が聞こえてきた。坊主の姿が見えないと思ったら、読経の時間だったようだ。侵入するならば、今が好機のように思える。 空牙はしなやかに身を躍らせて、庭に面した廊下から寺の中へと忍び込んだ。全身に神経を張り巡らせて、怪しげな気配がないかを探る。 寺ということで曰く有りげなものが持ち込まれたりするのだろう、気配の中には微弱ながら人間以外のものも混じっていた。とはいえ直ぐに脅威になるほど悪い気が多いというような感じではなかったので、読経の行わている本堂からは離れることにした。 肉球のおかげで音を立てずに廊下を進める。空牙はそのまま逗留客や休憩客たちに与えられる部屋をの近くを見て回った。全身に神経を張り巡らせるようにして、何かあったらすぐに感知できるようにしておく。 さすがに不自然な気配もしないのに、きちっと閉められた襖を開けてまで中を探すのはためらわれた。と、きちっと襖が閉められていない部屋を発見、足早に近づいてみる。すると、中から人のものではない気配がするではないか。 (……何かいるでござるな……でも、この気配) どこかで感じたことがあるようなないような。既視感を抱く気配がする。知っている? だが確証はない。油断はできない。 空牙はそっと襖に沿うようにして、隙間から部屋の中を覗きこんだ。すると、小さくはあるが寝息のようなものが聞こえる。 (寝ているでござるか?) 日の差し込まない薄暗い部屋の中に頭を突っ込んで見回す。読経に参加している客のものだろうか、荷物が部屋の隅に積まれている。その荷物の上に、それはいた。 「……」 どおりで気配に覚えがあるはずだ。 そこに寝ていたのは、オウルフォームのセクタンだった。 (そういえばジュリエッタ殿もここに来ているのでござったな……) あのセクタンは彼女が連れてきたものだろう、廊下を僧侶達の部屋の方へと向かいながら空牙はその姿を思い出していた。ちなみに下手に起こすのも、と思いセクタンはそのままにしておいた。 (ここらは僧侶の部屋か……) 小坊主達の寝起きする大部屋から、ある程度上の僧侶達の寝起きする個室。それらを回っても特に怪しい気配はなかった。空牙は物の怪が出たという場所に移動をした。そこは僧侶達の部屋から近い庭だった。 何か痕跡が残されていないかと庭を注意深く見ながら、空牙は思い出す。 (そう言えば、九つの場所を地図上で確認しても、魔法陣にはならなかったでござるな……) だが、九つの場所に何か意味があるもしれない、その思いは捨てられない。 自分だったらどうする? 九つのうち幾つかはフェイクを混ぜるかもしれないが、全て意味のない場所には仕掛けぬだろう。だが、その意味を見出すにはまだ情報が少なすぎる。 (何か少しでも手がかりが見つかればいいのでござるが……) ここで手がかりを見つけておけば、このあと調査に来るだろうロストナンバーたちのためにもなる。目を皿のようにして庭を探す空牙の視界に何か、光るものが映った。 「!」 築地のそばに雑草が茂っており、その中にある何かが光を放ったのだ。空牙は急いで駆け寄り、慎重に茂みを覗きこむ。前足で静かに雑草をかき分けていくと……。 「これは……勾玉でござるか?」 そう、先ほど光を反射させていたのは真っ白な勾玉。なぜこんな所に落ちているのだろう。とりあえず悪い気配はしないか確認の後、そっと口でくわえあげてみる。 (誰かの落し物……にしては落ちていた場所が場所でござるし) とりあえずこれを持って帰ろう、空牙は決めて築地を飛び越えた。 花橘殿へと向かって走りだすと、読経の音が遠くなっていく。 (そろそろ、何かが起きるって感じでござるな……) なんだか嫌な予感が空牙を襲っていた。 *-*-* <ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノの調査報告> 肩口あたりで切りそろえた黒髪の鬘を手渡されながら、ジュリエッタは夢幻の宮に言葉を向けた。 「手紙の主殿にはあれから何度か会うことができたのじゃ。彼の成長が楽しみでのう」 「それはそれは、ようございましたね」 以前【夢現鏡】でしたためた手紙の相手に会うことが出来たと報告すれば、夢幻の宮も嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。そういえば、ジュリエッタは思い出したかのように続けた。 「宮殿も風の噂で伴侶殿ができたと聞いたのでな、おめでとうなのじゃ!」 「あ、それは、その……」 「帰属の問題等色々あるとは思うがの、きっと二人の愛がどんな困難も打ち砕いてくれようぞ!」 真っ赤になった夢幻の宮に畳み掛けるようにジュリエッタは鼓舞の言葉を向ける。すると彼女は袖を口元に当ててはにかむようにして微笑む。小さく「ありがとうございます」と言って、ジュリエッタに黒墨の着物を羽織らせてくれた。 ジュリエッタが扮したのは、尼君。黒墨染めではあるが上等な生地を使っていることは見るものが見れば明らかだった。生地の質は着る者の身分を表す。ジュリエッタは好機な身分であることを演出し、更にそれに説得力を持たせるために共を二人ほど所望した。共には雑色がひとりと、年かさの女房がひとり、つくことになった。 ジュリエッタは空牙と同じく妙弦寺を訪れた。装うのは、高貴な身分の父親の落とし胤で、様々な事情があり若くして出家をした尼君。この手の話は珍しくないため、寺の者達も深くは問いただそうとしない。 より尊い功徳を授かりたいと申し出れば、住職は若い身であるのに感心だとジュリエッタを褒め、側において話を聞かせた。 「住職殿、先日物の怪騒ぎがあったと聞いておるのじゃが……」 「ご安心めされよ、尼君。確かに物の怪は出たが、いち早くそれに気がついた栄照(えいしょう)が調伏したのじゃ」 心配そうにジュリエッタが問えば、住職は笑顔を浮かべてジュリエッタを安心させようとした。ジュリエッタは新しく出てきた名前を頭にメモしながら、尋ねる。 「栄照殿……とは先程の読経時におった僧侶達の中には……」 「残念ながら今日は使いに出しておるでの」 「栄照殿は香術か陰陽術を学んでおられるのかのう」 この世界で物の怪や怨霊に対するスペシャリストといえば、香術師や陰陽師だと聞いた。 「いやいや、そっち方面には通じておらぬと思うがのう……栄照は幼い頃にこの寺に預けられてから、この寺で学び、育ってきたのじゃ。我々僧侶はどちらかと言えば物の怪や怨霊が近寄らないよう守ることに長けてはいるが、力の弱い相手であれば滅することも可能なのじゃ。多くの人数で卿を唱えれば、更に効果は増す」 尼君もいずれ学ぶじゃろう、住職は好々爺じみた笑顔でジュリエッタを見ながら、口を開く。 「我が寺の中でも栄照は幼い頃から功徳を積んできたため、身に秘めている霊力も高い。先が楽しみじゃ」 「そんなに素晴らしいお坊様なのじゃか……一度お会いして話を聞いてみたかったのじゃが……」 住職の言葉からは、まるでいとし子の自慢のような色が感じられた。実質孫のようなものなのだろう。 「時間がかかるなら泊まってきてもいいといったからのう……もしかしたら夜、戻ってくるかもしれぬが」 この日、寺に泊まることにしたジュリエッタは共の者達に頼んでいた、一般参拝客からの情報収集の結果を聞いていた。 事件が起こったのは深夜のため、日帰りで参拝する者の中には事件の事を知っている者はいなかった。唯一、長期逗留しているという参拝客から話を聞けたが、騒ぎに目を覚ました時にはもう全てが済んだ後だったということだった。 「これだけ各地で同時に物の怪騒動が起こったということはそれを指揮しておる人間がおるはずじゃ」 ジュリエッタは自分の考えを供の者に話し、オウルフォームセクタンのマルゲリータにも声をかける。 「相談するにはこういう大勢人のおるところが却って目立たぬというもの。親玉までには辿り付けずとも何か手がかりは得られるかもしれぬ。マルゲリータ、頼んだぞ」 マルゲリータを飛ばし、自身も探索に出るジュリエッタ。供の者には不在をごまかしてくれるように頼む。 寺の朝は早い。つまり夜就寝するのも早い。日が落ちて真っ暗になった寺の中は不気味だった。マルゲリータは暗闇でも平気だが、ジュリエッタは暗闇に目が慣れるのを待ってそうっと廊下を歩んでいく。 昼間読経が行われていた本堂あたりまで来ても、特に何も見つからなかった。マルゲリータの方も、特に何も見つかっていないようだ。本堂の中に何かありはしないか……足を踏み入れたその時、廊下の向こうからトストストスという軽い足音と、蝋燭の炎が揺らめくのが見えた。ジュリエッタは思わず本堂の中に隠れる。 足音はだんだんと近づいてきて、本堂の周囲を廊下にそって歩いているようだった。まもなくジュリエッタの隠れているあたりを通るだろう。緊張が募る。 カタ……。 「!」 身を寄せるようにしていた戸が小さく音を立てた。ジュリエッタは身を固くする。 「誰か居るのですか?」 直ぐ側で声がした。若い男の声だ。こんな時間に出歩いている人が他にもいるなんて、ジュリエッタはトラベルギアに手を当てて逡巡する。 「どなたでしょうか」 (っ……やむをえまい) トラベルギアの小太刀を取り出し、上へ向ける。庭に雷を落として気をそらせるつもりだった。が。 がしっ。 「!?」 その腕を掴まれて、蝋燭の灯りで照らし出される。眩しくて、思わず目を細めた。 「なんだ、尼君でしたか。ご逗留中なのですね。驚かせたのでしたら申し訳ありません」 その声は優しく、腕を掴まれた力も緩められた。 「わたしは栄照というここの僧です。ご安心ください。尼君がこのようなものを持ってはなりませぬ。お仕舞いください」 「栄照殿……」 ジュリエッタは息をつき、そっと小脇差をしまう。そして瞳を開けると、そこには美貌の僧侶が立っていた。 「お部屋に案内いたします。刃物の事は黙っておりますゆえ、ご安心を」 「……ありがとうなのじゃ」 部屋まで案内される間、ジュリエッタはそっと栄照のことを観察していた。気のつく良い男だと感じた。 *-*-* <華月の調査報告> (時期等を考え異国の姫君があやしいとは思うけれど、事はそう単純なのかしら?) 左大臣邸へと向かいながら、華月は思考を巡らせていた。争いは人々の感情に負を呼ぶものだから、戦とこの変異は無関係ではないと考えている。 華月が左大臣邸へと向かったのは、ただ単に怪しいと思ったからではなかった。面識のある左大臣家嫡子、藤原鷹頼は頭中将であり、貴族の事情にも詳しい上に左大臣邸も襲われた場所の一つであるからだ。 「あの、鷹頼さん……この間は、ありがとう……」 「律儀なんだな。だがまさかそれを言うためだけに訪れたわけではあるまい?」 前回華月が少しばかり鷹頼に打ち解けられたように、鷹頼の方も華月への信頼度が増したのだろう、今回は始めから彼は穏やかな調子で華月と言葉を交わす。 「お、お見通しなら……話が早いわ」 華月の方も鷹頼を信頼しているのか、ビクビクしつつも多少、話しやすくなっているようだ。 「この間、左大臣邸にも怨霊や物の怪が出たと聞いたの。まずはそれがどのようなモノか、何が起こったのか知りたいの」 「陰陽寮には報告が上がっているはずだが……聞いていないのか?」 「あ、その、それは……担当が、違くて……」 そういえば華月は陰陽師ということになっていた。陰陽寮に属する陰陽師ならばこの間の騒ぎについて各所から上がった報告を知っているはずだ。 「……まあ、お前が何者でも俺は気にしないが。俺がお前を信用したのは、お前が陰陽師だからではないからな」 「っ……」 左大臣のモノを見る目は確かだと華月は感じていた。だとしたら息子の鷹頼は? 意味深な言葉になんだかいつも異性と対する時以上に鼓動が早くなってしまう。それに気づいているのかいないのか、上目遣いでちらっと鷹頼を見た華月に、彼は穏やかな笑みをみせた。 「あの夜は下働きの者が寝ぼけて炊屋に近い庭へ出たらしい。そこで怨霊を見つけて悲鳴を上げた。運良く俺が帰宅したところだったんでな、怨霊を惹きつけるのを引き受けた」 「えっ……怪我は……」 「少し傷を負ったが大丈夫だ。駆けつけたお抱えの香術師によって、怨霊は退治された。結界は万全のはずなのに怨霊が入り込んでくるなんておかしい、と香術師は言っていたな」 「原因は、まだ……?」 「ああ、解っていない」 ちらり、鷹頼が動くと左腕の辺りに手当の痕が見えた。華月は彼の傷を気しつつも、次の質問を口にする。 「あの、今上帝に嫁がれた姉君の様子や、宮中や貴族の様子で気になっていることがあったら教えて欲しいの」 「姉上の様子? ああ……新しい姫が次々入内してきているからか? それについては気にしても仕方がないと思っているようだぞ。姉上は今上帝が東宮位に立たれて暫くして、添い臥しをしたんだ。その頃から東宮妃になることは決まっていたし、帝となれば後宮に妃が増えることも承知のうえで嫁がれたからな」 なるほど、この世界の高貴な女性は、夫の心は他の女性に移るものだと思っているふしがある。夫が複数の女性の元へ通うのを前提で、どうやって夫を引き止めておくかを考えるようだ。 「そうなの……」 自分だったらどう思うだろう、考えようとしたけれど異性に恐怖心があるのにそんなこと考えられなくて。でも、ちょっとだけ頭の隅を鷹頼の顔がよぎって、華月は頭をぶんぶんと振った。 「どうした?」 「な、なんでもないわ……」 「そうか。貴族や宮中のことで気になっていること、か。今のところは特にないな。宮中とはいっても後宮までは分からないが」 「じゃあ、怨霊が増えたことをどう思っているのか聞かせて。気になっていることがあればそれも……」 そうだな、と鷹頼は顎に手を添えて考えこむ。暫くして後、口を開いた。 「端的に言えば、人の手が関与していると思う。今回の件といい、なにか陰謀めいたものを感じるな。もしかしたら怨霊や物の怪を操っている者がいるのかもしれない……と考えるのは少し乱暴か」 「……ううん、でもあり得ないとはいえないと思うわ」 苦笑した鷹頼に首を振って返すと、そうか、と鷹頼は優しい表情を見せた。 左大臣邸は質素だが、質の良い物で揃えられている。左大臣のモノを見る目は確かだ、その考えから華月は左大臣との面会を希望した。鷹頼に同席して欲しいと頼んで。 「あの、その……私、華月と、いいます……都に物の怪が増えている現状を調査していて……」 「鷹頼から聞いているよ。陰陽師だそうだね」 「あ、それは……その……」 「で、何を聞きたいのかな?」 左大臣は最初の頃の鷹頼よりも柔らかい物腰だ。それでも華月は初対面の異性である左大臣の前でおどおどしてしまう。中々言葉が出てこない。けれども左大臣も鷹頼も急かしたりせず、ゆっくりと待っていてとれたので勇気を振り絞る。 「貴方……見る目を持っている方だと思い、ます……そんな貴方から見て、戦の後から気にかかっていることがあったら、教えて、ください……」 おどおどしつつもしっかりと告げた華月。左大臣は顎に手を当てて考えこむ。そんな仕草が親子でそっくりだ。 「そうだね。冷我国の姫君を娶ってから、帝の様子が少し変わられたかな……。いや、戦の最中から片鱗は見えていたような気がするが」 「父上!」 「大丈夫だよ、鷹頼。彼女は信頼出来るのだろう?」 諫めるような声を発した鷹頼に、左大臣は首を傾げてみせる。鷹頼もそう言われては返す言葉がないようだ。 「滅多なことでこんなことは口に出せないからね。帝に弓引いているわけではないことを覚えておいてほしいな。まあ、気のせいかもしれないが」 「あ……はい。あの、その、変わったとは……具体的にはどんな……」 「時折、ふ、と酷く残虐的なお顔をするようになったよ」 声を潜めて告げられた左大臣の言葉に、華月は「残虐的……」と口の中で繰り返した。 「ありがとう……質問に答えてくれただけでなく、お父上に会わせてくれて」 「いや」 左大臣の部屋を辞して屋敷の出口に向かう途中。華月は懐から一枚の札を取り出した。 「これ、何かあった時に使って欲しいの」 「これは?」 「結界の力を封じ込めた札なの……貴方は、きっと信用できるから。この札も、正しく使ってくれると信じているわ」 差し出した札に鷹頼が手を伸ばす。そ、と指先が触れて飛び上がりそうになったけれど、華月はなんとかこらえた。 「ありがとう。期待に応えられるように気をつけよう」 そう告げて向けられたその瞳は、信頼に足るものだった。 *-*-* <花篝の調査報告> (夢幻の宮様の世界に興味があったので、こうして訪れることが出来て嬉しく思います) 花篝は牛車の中からそっと外を覗いては、うっすらと笑みを浮かべていた。自分の世界ではないのだが、雰囲気が似ているために少し懐かしいような気持ちになる。 そんな気持ちを抱きつつ、花篝は仮説を立ててみることにした。 都に入ってくるには結界を通り抜けられるだけの力が必要なのに、今回発生した怨霊や物の怪はあまり力がなかった。 怨霊や物の怪の発生が頻発すれば、帝の御代が危ぶまれること。 (ということは、帝の退位を望む者が何らかの方法で人為的に怨霊を発生させたのでは……) 考えがまとまった所でガタン、と牛車が揺れて止まった。目的の右大臣邸へと着いたようだ。 「好奇心旺盛なお姫様ですね」 「お褒めいただきありがとうございます」 右大臣家に方違えとして訪れた花篝は、お抱え陰陽師の頼永に面会を乞うた。そして怨霊や物の怪を発生させる道具の存在が確認されているのか、探すのに式神に手伝ってもらえないか尋ねたら返ってきたのが先の言葉。呆れたような声色にやんわりと答えた花篝。 「まあ、お答えいたしますと、例えば私が式神を呼ぶこの札ですが、札を媒介にして、というのはあるかもしれませんが……召喚後に燃える設定にしておけば後には残りません」 「そうですね。つまり、探していらっしゃらないということでしょうか?」 頼永は高い矜持を持っているように見えた。花篝の率直な言葉に、返答が詰まる。それは図星だからだろう。 「では、わたくしはひとりで探します。お呼び立てして申し訳ありませんでした」 ぺこりと頭を下げて立ち上がろうとする花篝。それを引き止めたのは焦ったような頼永の声だ。 「何にも出ないと思いますがね! 姫君ひとりでそんなことをさせたら私が右大臣に怒られます。仕方がない、協力して上げなさい」 後半は札に向けられた言葉。数枚の札から十歳前後のくらいのサイズの式神が出現した。 (……もしかして、何も出ないと高をくくっていたのにわたくしが何かを見つけてしまっては立場がないから焦られているのでしょうか) きっとその通りだから、花篝は口には出さずに思うだけにしておいた。 ――協力してくだされば、夢幻の宮様、ひいては今上帝の覚えもめでたくなるでしょう。 そう仄めかすと、右大臣の態度が変わった。長男の信恒、次男の信義を呼び寄せて三人で花篝と相対する。 「ありがとうございます」 まずは礼を述べると、右大臣は頭を上げてくだされ、と焦ったようだった。 「我々に答えられることならなんでもお答えしますので」 「それは助かります。これは全員にお聞きしているのですが、最近不審人物の目撃や珍しい来客がありませんでしたか?」 「不審人物……珍しい来客……」 不審人物も珍しい来客も、当人達が不審だと、そして珍しいと思っていなければ中々出てこないものだ。 「例えば、そんな頻繁にではないがたまに来るお客様など……」 花篝は三人の記憶を呼び覚まそうと、少しつついてみる。すると信恒がぽん、と手を打った。 「父上、凪姫が寝付いた時のお坊様達は」 「ああ、特別珍しいことではないが、我が家では祈祷を妙弦寺の僧侶達に頼んでいまして。娘が熱に浮かされていたものですから、最近祈祷を頼みましたな」 「祈祷を……」 妙弦寺も怨霊・物の怪が出た場所である。何か関係があるのだろうか。 「姫君はお元気になられたのですか?」 (凪姫はたしか、入内を控えているはず……) 「はい、祈祷のおかげか、今は体調を取り戻しております。数日高熱で苦しんでいたのが嘘のようです」 凪姫の発熱が入内を邪魔するものだとしたら、また話は別になる。とりあえずこの話はおいておくとして。 「それでは、仮に、仮にですが今上帝が退位した場合、次に即位するのはどなたでしょうか。その方に結婚相手はいらっしゃいますか?」 「それは東宮様でしょう。今上帝には未だ男皇子がいらっしゃいませんので、今上帝の末の弟君が東宮の位についておられます」 「まだご結婚はなさっていない」 信恒の返答に信義が付け加えるようにして答えて。聞けば東宮は十五歳であるとか。添い臥しを務めた姫が事故で他界してしまったため、未だ妻を迎えていないという。 「そうですか……。あとお聞きしたいのは、先帝の御代で重用されていたけれども今上帝の即位によって待遇が悪くなった方はいらっしゃいますか?」 「……あえて言うなら内大臣じゃないか?」 口を開いたのは信義。だが右大臣は「あれはなぁ」と微妙な反応だ。 「詳しく聞かせていただけますか?」 「待遇が悪くなったというのとは違うかもしれませんが……」 問えば答えたのは信恒。 「先帝の御代、今上帝がまだ東宮でいらっしゃった頃、内大臣の姫君は東宮の後宮への入内が内定されていたそうです。が、戦があり、ごたごたしているうちに御代が変わり……今上帝の御代になった途端、今上帝は内大臣の姫の入内をなんだかんだと先送りにしているとか」 「内大臣も気の毒だが、姫も相当気の毒ではあるな」 なるほど。他には特に露骨に冷遇されているような者はいないようである。 借り受けた部屋へ戻ろうとすると、待ち受けていたのは頼永の式神の一体。何かを大事そうに握っている。 「どうしたのですか?」 花篝が近寄って尋ねると「ミツケタ、ミツケタ」と手を差し出して開いた。 そこに乗っていたのは白い勾玉。 「勾玉……?」 指先でつ、とつまみ上げて、花篝はそれを日にかざした。なにか引っ掻いたような細い傷がついているが、ただの勾玉にしか見えなかった。 *-*-* <シーアールシー ゼロの調査報告> ゼロは上等な絹で仕立てられた白い着物を着せてもらい、藤壺へと向かう廊下を女房に案内されていた。名目上は今上帝の遣わした、話し相手の女童ということになっている。 (第一に考えられるのは、冷我国による呪いによる報復なのです。そうでなければ、今上帝の政敵が冷我国の仕業と思わせて冷我国の姫君に冤罪を被せるのです) この二つを合わせて今上帝の権威の失墜を狙っているかもしれない、ゼロはそう考えていた。 「こちらへ。藤壺の女御様がお待ちです」 通された部屋。几帳で仕切られたスペース。一段高い場所に座っていたのは、小さな少女だった。年の頃は13、14位に見える。小柄なところも童顔なところも相まって幼く見える少女だ。肌はやや日に焼けており、室内で育つこの世界の姫君よりは浅黒くみえる。髪は伸ばしている最中なのだろうか、座ればぎりぎり床に付く程度の長さだ。 「はじめましてなのです。ゼロはゼロなのですー」 ゼロが元気に自己紹介をすると、藤壺の女御=冷我国の姫君はびくっと身体を震わせて、顔の下半分を隠すように持っていた扇を取り落とした。 「あっ……」 姫君が手を伸ばす。女房達も慌てて手を伸ばす。それより先に扇を拾い上げたのはゼロだった。 「はい、なのです」 屈託のない笑みを浮かべて差し出せば、少し戸惑った後に姫君は扇を受け取り、小さく笑った。 「ありがと、ございます……」 声も小さかったが、近くにいれば聞き取ることが出来た。ゼロはそのまま姫君の側に座る。女房がたしなめようとしたのを姫君が制した。 「お茶と、お菓子……お願いします」 「……かしこまりました」 姫君の決めたことなら仕方がないとでも言うように女房はため息を付き、別の女房にお茶の支度の指示をする。その間にゼロは姫君に質問をぶつけた。 「ここでの暮らしぶりを知りたいのですー。姫様は今上帝のこと、好きなのです?」 いきなりの直球質問に近くにいた女房がぎょっとなった。姫君も目をまあるくしてしばたいている。 「えと……」 これは答えていいの? 助け舟を求めるようにそんな視線を女房に投げる姫君。 「今上帝に告げ口したりはしないのですー」 「最初は……とても、怖かったの……」 ゼロが指きりげんまんと小指を差し出すと、姫はゼロの指に自分の指を絡めてぽつり、こぼした。 「今は、それほど怖くはない、けど……変わった人だと、思うわ……好きかどうかは、ちょっとわからないけど……」 敵国の者を好きになれと言われてもすぐには難しく、故郷から連れてきた女房がいるなら尚更のこと、心が変わっても好きだなんて言い難いだろう。なるほどなのです、ゼロは頷いて次の質問をぶつける。 「ゼロは冷我国に行ったことがないのです。冷我国ってどんなところなのです?」 「そうね……この国のように華美な暮らしはあまりしていなくて……それでも王侯貴族は色鮮やかな服を着るの……素材はあまり高級なものは使わなくて。あとは……山が多くて緑が豊富なの……父上や兄上達が狩りに出かける時は、私達女も野草詰みに同行するのよ」 やはり恋しいのだろう、故郷の話になると姫君は饒舌になった。側にいる女房が袖口を目元に当てて「おいたわしや姫様」と呟くのが聞こえた。 「そもそもなんで戦争になったのです?」 「詳しくは……私も知らないの……でも、仕掛けたのはうちだわ……」 「冷我国から暁王朝に戦争を仕掛けたのです?」 ゼロの問いに姫君はこくんと頷いた。戦争を仕掛けて返り討ちにあったのだから仕方がない、自分の境遇をそんなふうに考えているようだった。 冷我国からついてきたという女房に聞いてもほとんど同じ答だった。この国について、戦は冷我国が仕掛けたものだから仕方ない部分があるが、姫君を召し上げたのだけは許せないと思っているようだった。聞けば、姫君には将来を誓い合った婚約者がいたのだという。 「何か望みはあるです?」 「姫様をお国へ帰して……」 「無理よ。けれどももし許されるのならば……もう一度、もう一度だけでいいから、ふるさとの景色が見たいわ……」 つう、と姫君の頬を涙が流れた。ゼロはそっと腰を浮かせ、姫君の涙を袖で拭ってあげた。 ゼロは許可を得て、飛香舎の庭に降りていた。 (普段は絶対に誰も見ないけれど、探せば比較的容易に見つかる場所を探すのです) 階の裏や縁の下などに潜り込み、なにかないか探してみる。いかにも呪いのアイテムらしいもの……具体的には分からないが、なんだか怪しいものがないだろうかと小さな身体を土にまみれさせて探す。 「?」 と、地面に手を伸ばしたら柔らかい場所が一箇所だけあった。何か、掘り返した痕のようだ。ゼロは急いで、かつ慎重に土を掘り返してみる。出てきたのは大人の掌を広げたくらいの大きさの、平らな石だった。何か刻まれているようだが暗くて読めそうにない。ゼロは元来た場所へ戻り、縁の下から這い出た。 「何か見つかりましたか? まあ、着物をそんなに汚して……」 声を掛けてきたのは姫君について冷我国から来たという女房だった。泥まみれのゼロをみて、眉を顰めている。ゼロは見つけた石を着物のたもとに入れて、振り返った。 「何も見つからなかったのですー。ゼロはそろそろ失礼するのですー」 「そうですね、かえって着替えたほうがよろしいかと。案内は……」 「大丈夫なのですー」 できるだけ庭で土を落として、ゼロは階を登る。女房に別れを告げて、ささっと廊下を進んだ。目指すは今上帝の御座所。 すれ違う宮人は泥だらけの着物を着たゼロを眉をしかめてみる。だがゼロはそれを気にせずに廊下を歩いて行く。さすがに途中で門衛に止められたが、今上帝に許可を得ていると名前を告げると連絡が行っていたのかしぶしぶと門衛達は通してくれた。 「こんな石が見つかったのですー。ただし」 今上帝と御簾越しに面会を果たしたゼロは、たもとに隠していた石を差し出した。 「事件の実際の原因は別かもしれないのですー。全体像がどんなものかまだ判らないのですー」 「ほう……このことを誰か他には?」 「この世界の他の人には秘密にしてあるのですー」 「良い判断だ」 今上帝はゼロの言葉に満足そうに頷いて、石を見た。そしていとも簡単にその石の謎を解いてしまった。 「これは初級の呪詛に使う石だ」 「呪詛……呪いということです?」 「ああ。飛香舎にいる誰かを狙ってのものだろうね」 呪いの物体が出てきたというのに、今上帝はやけに落ち着いていた。それどころかなんだか楽しそうである。ゼロはなんだかもやもやする気持ちを抱きながらも真っ直ぐに今上帝を見据えた。 「ゼロとしては、全ての人が安寧の中に人生を終え、怨霊になることなく成仏できる世界となってくれたほうが喜ばしいのです」 「そうなる世の中だといいんだがな?」 今上帝の言葉は、諦観を帯びているようにも挑戦的なようにもとれた。 *-*-* 勾玉と呪詛の石、そして交錯する人間関係。 この国では一体何が起ころうとしている――いや、起こっているのだろうか。 【了】
このライターへメールを送る