インヤンガイに落ちた世界計の欠片を脳に所持した状態で保護されたキサ・アデルは力のコントロールが出来ると司書から判断されて再帰属が決定した。 ロストレイルが地下にある駅に到着し、地上にあがると太陽の眩しい日差しが出迎える。「キサは、インヤンガイに帰りたい」 駅から一歩出てキサは目を眇める。「キサは、待ってる人がいる」 一歩、また進んでキサは呟く。「……けど私は」 キサは護衛であるロストナンバーたちの和やかな笑顔や呼びかけに突如足を止め、逆方向に走り出した。 誰も彼女を止めることは出来なかった。 どこをどう走ったのかは覚えていない。建物の密集した路地のなかで息を乱したキサは立ち尽くし、胸の上に光る小さな鍵のついたアクセサリーを握りしめた。「私は、まだ消えたくない。みんなといたい。私は……私は、私は……私は、……!」 ――見つけ、タ 不気味な囁きがキサを飲み込んだ。 彼女を探して、ようやく追いついたロストナンバーが見たのは昏い路地に佇む少女だった。その瞳は妖しく輝き、口元ににっと笑みを浮かぶ。「すばらシい、これほどノ力とは! ワタシの所有する記録、すべてヲ使っテ、今度こそ! 星を手に入れヨウ、イヴ! 今度こそ、星にだって手が届ク! 死者だって蘇ル、この落ちてきた星の知識と力を使っテ!」 めきぃと音をたてて少女の内側から出現したのは薄い紫色の化け物――チャイ=ブレ? と誰かが囁くが、こんなところにそんな化け物がいるはずがない。 だが、少女は完全に蚕じみた化け物に飲み込まれ、その姿は見えなくなっていた。 化け物は嘲笑う。それに合わせて空気は響き、割れ、何かが、 ――さぁ、死者の門を開キましょウ?★☆★ 緊急事態としてロストナンバーを集めた世界司書は深刻な顔で語った。「理由は不明だが再帰属するはずだったキサはインヤンガイにつくなり、逃亡した。その結果、インヤンガイのネット上で記憶を食べると言われるチャイ=ブレに似た化け物に捕まり、利用されている」 インヤンガイでたびたび起こった神隠し事件に関わっているチャイ=ブレに似た化け物は記憶を食らう。それは過去世界樹旅団がインヤンガイに放ったワームのデータを元に強欲な一部のインヤンガイの者たちが術と霊力によって作った劣化コピーだと推測されている。 その飼い主であるイヴという少女は大切な人を失って、死者を蘇らせようとした。霊力をエネルギーとするインヤンガイのサイバーシステムには悪霊が入り込むことからヒントを得て、魂のソフトウェア化を企んだのだ。しかし、それは失敗した。 飼い主であるイヴを亡くした化け物はたった一匹で暴走をはじめた。 己の持つ記憶を正しく使うことのできる世界計の欠片を所有するキサを襲った。 キサの所有する欠片は力を与え、吸収し、生み出すこと。「化け物はキサの欠片から知識と力を得て、自分の所有する死者のデータ……インヤンガイに死者を復活させた。これはすぐに鎮圧する必要がある」☆★☆ それは目には見えないが、確かに存在していた。 なんで俺が、なんであたしが。 インヤンガイで起きる様々な事件は当事者たちだけの問題ではなかった。 運悪く巻込まれて死んでしまった者たちは大勢いる。 自分たちである理由なんてなかった。 理由があれば、殺されてもいいなどとは決して思わない。 だけど、何の意味もなく殺されるなんて。 無念、口惜しさ、苛立ち、そして、憎悪と憤怒。 それらは死してなお、いや死んでしまったからこそ汚泥のように深く澱んでいた。 ――理由がないなら、殺されるのは自分でもなくて良いじゃないか。 そうだ、俺のすぐ横にいたあいつでいいじゃないか。 そうよ、私の後ろに並んでいた女でいいじゃないの。 そうだ、そうよ、そうだ、そうだ、そうよ、そうよ、そうだ、そうだ、そうだ、そうだ、そうだ そうだ、そうよ、そうだ、そうよ、そうよ、そうだ、そうだ、そうよ、そうだ、そうだ、そうだ そうそうだだ、そそうよ、うだ、そうそうそうよ、よ、だ、そうそうよ、よ、そそうそそうだだ そそそうだうよ、そうだうだ、そそうそうだよ、うそうよ、そうだだ、そそうよだ、うだうそだ そそそううウかかか。だダレれででモもオオオいイイじャナいかカカア! 誰にも届かないはずだった怨念が産声を上げた。 いつもと変わらない日だった。 男は屋台で買った串焼きを食べながら、道を歩いていた。その串焼きは味はそこそこで量があるということで評判もよかった。 男は食べ終わった串焼きをゴミ箱に捨てようと手を動かし、すれ違った女の首に串を突き刺した。 女は声も出せず、何が起きたのか理解しないままゆっくりと地面に倒れた。「きゃああああ!」 それを見た別の女が悲鳴を上げる。「何してんだ、お前!」 近くで電気工事をしていた職人はその男を捕まえようと走り出し、手に持ったスパナを母親と手を繋いで歩いていた子供の頭へ全力で振り下ろした。 嫌な音をたてて頭をへこませた子供が手を繋いだまま死ぬ。何が起きたのか一瞬遅れて理解した母親が口を開いて悲鳴を上げる。「え、あれ?」 職人は自分が何をしたのか理解できずに茫然と両手を眺める。 死んだ子供が頭にめり込んだスパナを自由な方の手で引き抜くと、跳び上がりスパナを横殴りに振った。 母親の顔は直角に曲がって悲鳴が止まった。「う、うわぁぁがっ」 それを見た職人の上げた悲鳴は不意に途切れた。その体には人の腕ほどの大きさの針が数本突き刺さっていた。「ぼ、ぼぼ、暴霊だ!」 誰かが指差した場所をみれば、ビルの壁に四つん這いの姿勢で貼り付いた巨大な暴霊がいた。 頭と思わしき部分が、人間ではあり得ない角度で曲がっており、口元は喜悦に歪んでいる。「シネシシシねね、しんで! しね! しんじまえしね!」 暴霊が耳障りな声で叫ぶと、その体が波立ち無数の顔が一斉に浮かんだ。 ひひひははははひゃふひゃひゃひゃへへっへへひはひゃへへっへはははひひひはは はひゃはひゃはははひゃはひゃはひゃひゃはひゃはひゃはひゃはひゃはひゃはひへ 聞いた者の心を汚すような恨みと憎しみに満ちたどす黒い哂い声が周囲に響き渡る。 そして、街区中から笑い声と悲鳴が湧き上がった。=================================================================!お願い!イベントシナリオ群『星屑の祈り』は同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。=================================================================
暴霊の出現した街区に居た住人たちは、我先に逃げ出した。理不尽な暴力の残酷さが身に沁みている住人たちの逃げ足は速く、逃げ遅れた者を助ける者はいない。 その流れに逆らって走るロストナンバーたちに悲鳴が聞こえた。 顔を上げれば、倒れた女に馬乗りになった女が両手で持った鋏を振り上げている。 一番先を走っていた川原撫子が間に合わないと思った時、馬乗りになった女の動きが唐突に止まった。 倒れた女が何も起きないことを訝しみ目を開くが、馬乗りになった女の腕は振り上げたままである。 人の流れから飛び出した撫子が、トラベルギアのホースから水を噴射する。勢いのある水流が女を押し飛ばす。 「お怪我はありませんかぁ?」 駆け寄った撫子は倒れた女性を助け起こす。その横を走り抜けたマグロが、未だに身じろぎ一つしない濡れた女を手際良く縛り上げる。 「うわぁ!」 マグロが縛り終えた瞬間、その女は激しく暴れ出して、その場を転げ回った。 下手に手出し出来ずにいるマグロの横から、音もなくたおやかな手が伸びた。そして、暴れる女に何かを振りまく。 縛られた女が大きく痙攣すると、その体から黒い煙のようなものが立ち上る。すると、ぴたりと女の動きが収まった。 「な、何したの?」 内心の驚きを隠しながら、いつの間にか横に佇むほのかにマグロは尋ねた。 「清めの塩よ。暴霊に通じるかは解らなかったけれど」 大人しくなった女の縄を解こうとほのかはしゃがみ込んだ。 「まだ残ってる人はどれくらいいるか解りますかぁ?」 「ご、ごめんなさい。ほ、他の人のことを気にする余裕なんてなかったの」 撫子に助けられた女は歯を鳴らしている。 「それでは元凶が何処にいるかはご存じですかな?」 最後まで周囲を警戒していたヌマブチが、腰を下して女と目を合せた。 「わ、解らないわ。おかしな笑い声が聞こえたと思ったら、急に回りの人がおかしくなって、そ、それから」 女は口元を押さえて嗚咽を漏らす。その背中を宥めるように撫子は撫で始めた。 「そちらの女性は、話が聞けそうでありますか?」 「彼女は何も知りません。先程、憑依した時には何も覚えていない様子でしたわ」 ほのかは静かに首を振った。 「それでは、其は元凶を探しに行くのであります」 「え、皆を助けないの?」 立ち上がったヌマブチに、マグロは驚いたように声を掛けた。 「速やかに元凶を排除し、被害の拡大を防ぐことが肝要であります」 「で、でも、今みたいに殺されそうな人だっているんだよ?」 「その対応はそちらにお願いしたい。二手に分かれた方が速やかに事態に対処できるのであります」 ヌマブチは帽子の鍔に触れながら、納得できない顔のマグロに言葉を続ける。 「マグロ殿の気持ちは解ります。適材適所でありますよ」 「お待ちください」 背後からの声に、ヌマブチは内心の驚きを抑えながら振り返った。 「何でありますかな?」 「清めの塩です。暴霊にも効果がありましたゆえ」 ほのかが塩をヌマブチへと振り掛けた。 「それでは、こちらにもお願いできますかな?」 「畏まりました」 ヌマブチが取り出したギアの銃剣にもほのかは塩を振り撒いた。 「ヌマブチさん、無理は禁物ですよぉ☆」 「肝に、いや、心に銘じよう」 ヌマブチは独り街区の中へと進んでいった。 「考え方は色々あるんですぅ☆」 「うん、分かってるよ。でもね」 不満気なマグロを撫子が明るく取り成す。 「話し合うならば後程。あちらより恐怖を感じます」 ほのかが静かに道の先を指差した。 「そうだよね、まずは助けられる人を助けよう!」 マグロは顔を叩いて気合いを入れ直した。 (気持ちは解る、か。某が口にするとこれほど空々しい言葉もないな) ヌマブチは皮肉気に口を歪める。事前に確認した目的地を目指し、周囲を警戒しながら進む。 曲がった道の先に、数人の人影を見つける。反射的に銃剣を構えて、相手を見極める。 折れ曲がった首、引裂かれた腹部からはみ出た腸、千切れかけた腕と全員が痛ましい姿であった。 (生きていたとしても、もはや助かりはしないな) 冷静に判断したヌマブチの行動は素早かった。繰り出される大振りな攻撃を掻い潜り、一番近くにいる住人に接近する。 そして、その喉元へ躊躇なくギアを突き刺す。住人の体から黒い煙のようなものが立ち上ると、糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。 (確かに、効果がある) 次々と無惨な姿を晒す住人を仕留めて、ヌマブチは先を急いだ。 そして、街区を進むうちにあることに気が付いた。 (生き残りがいない場所は、暴霊には用無しか) 暴霊を探すつもりだったが、かえって遠ざかってしまっているようであった。 (いや、むしろ邪魔が入らないならば好都合。自分には浄化等という上品な術は無い) 目的地に辿り着くと、立ち入り禁止用の金網に掛けられた錠前をギアで撃ち抜いた。 時を同じくして、撫子、マグロ、ほのかも街区を進んでいた。 ほのかが生き残っている住民の恐怖を頼りに行き先を選ぶ。 操られた住人を見つければ、撫子がギアから水を噴射して牽制。次に、マグロが濡れるの構わず取り抑える。最後に、ほのかが清めの塩で浄化。 そして、助けた住人や正気に戻った住人を逃がし、死体は隅に退けて3名で黙祷を捧げていた。 「次は何処に行けばいいんですかぁ?」 死体に手を合せていた撫子が顔を上げる。 「解らないわ」 「どうして?」 マグロは不思議そうに聞いた。 「……ここらは暴霊の悪意や殺意に満ちているの。その中から死への恐怖を辿ってここに着たのよ」 ほのかは目を閉じて声なき声に耳を傾ける。 「恐らくここで大勢が殺されたのね。未だに色濃く恐怖が残っていて、他の恐怖を上手く辿れないの」 ほのかは淡々と言葉を紡ぐ。 「それじゃあ、どうしますぅ?」 「歩いて探しましょう」 歩き出そうとしたほのかの足は、直に止まった。 「……その必要はなさそうね。悪意の塊が近づいているわ」 「それってもしかして?」 「此度の元凶と考えられるわ」 「この辺の皆さんは全員避難してますぅ☆ ちゃっちゃと暴霊さんを倒しちゃいましょぉ☆」 撫子が持ち込んでいた釘バットを構え直す。 「どこから来ます?」 「あちらよ」 ほのかが指し示す道の先にはまだ何もいないが、マグロはギアである銃銛を取り出して構える。 撫子とマグロは息を潜めたまま道の先を見詰ている。 「来たわ」 光が色を失った気がした。周囲の明るさには何も変わりはないはずなのに。 3名の耳に這いずる音に混じって何かが聞こえる。 「ねしネしねしねし死死死ねしねしねシシねしねね」 四つん這いで動く暴霊の胴体に、浮かび上がる無数の顔が怨嗟を垂れ流している。 3名に気付いたのか暴霊が足を止める。 「ひひひははははひゃふひゃひゃひゃ!」 奇声を上げる無数の顔が、口から一斉に鋭い針を撃ち出した。 それらを撫子がギアから噴射した水流で叩き落す。 「ここで会ったが百年目ですぅ☆」 迸る水流で暴霊を牽制しながら、撫子は走り出した。 「あ、待って!」 「マグロさん?」 撫子を止めようと声を上げたマグロに、ほのかは僅かに首を傾げた。 「あの暴霊は殺されちゃった人たちなんでしょ? 苦しんで死んじゃった人たちをまた苦しめるようなことしたくないよ」 「では、どのようにしたいの?」 「きちんと弔ってあげたい。ほのかさん、お塩で浄化できるんだよね?」 ほのかは静かに首を横に振った。 「わたしは正式に学んだわけではないのよ。それに、効果があるか解らなかったので、多くは持ち込んでいないわ」 「そ、それじゃあ、無理なの?」 ほのかは僅かに眉を寄せて頷いた。 「舐めんなですぅ☆ 暴霊が怖くてインヤンガイで仕事出来るかですぅ☆」 暴霊の放つ針は水流でいなして、怖気づくことなく踏み込んで釘バッドを振う。 暴霊の体の表面は飛び散るも、ゴムタイヤを叩くような感触が撫子の手に伝わる。 思ってたより硬い、バッドのグリップが軋む程に握り直す。 「それなら連打連打ですぅ☆」 枝を振り回すように撫子は釘バットで暴霊を乱打する。その体に振りかかる暴霊の残滓は清めの塩によって消えている。 暴霊が後ろへ跳びながら撫子へ針を放つ。噴射した水流で針を押し流し、残ったものは釘バットで叩き落す。 「殺されたのはお気の毒だと思いますけどぉ☆ だからって生きてる人を殺すのはダメなんですぅ☆」 マグロはギアを握り締めて立ち竦んでいる。撫子を助けたいが、暴霊を傷つけるようなこともしたくない。 強く握り締めるマグロの手の上にほのかの手が重ねられた。 「下がって」 「ほのかさん?」 「撫子さんの言う通りだと思うわ」 ほのかはマグロを見ずに前を向いたままだった。 「……だけど暴霊の気持ちも分かるの。日々、いくさは勿論、海賊や野武士の蛮行に怯えていた下々の身として」 街区に満ちる激しい憎悪は、今もほのかの心に響いている。 「でも、世界はそんなものだとも思うの。猫は特定の鼠が憎いから殺すのではなくそこに鼠がいるから殺すの。或いは人が道中虫を踏み潰しても、そこに故意は無い様に」 ほのかの声は凪いだ海のように静かに澄んでいる。 「……その巡り合わせに、死してなお諦め切れないのが人の性、業と言うものかしら。総ての生き物が、無分別な殺傷に悲憤を訴えるなら。わたしは絶えずその気に中てられ、食べる事もできずに潰れてしまうかもしれない」 腹を満たす食卓に並んだ生き物たちは、生きるに最低限の量ではないだろう。それらは己が不運を嘆くことはない。目の前の彼らだけが特別ではないのだ。 海獣ハンターであるマグロにはその意味が通じた。 「ほのかさん」 「……でも、目の前で苦しむ誰かを助けたいと思うのも解る。それはとても尊いものだわ」 ほのかはマグロへと顔を向けると幽かに微笑んだ。 「あなたはあなたの信じる道を進みなさい」 そう言い残して、ほのかは暴霊へと足を進めた。おもむろに両手を打ち鳴らし暴霊の気を引く。 「ある意味あなたたちは、……とても、人間らしいわ」 奇声を上げる暴霊が己の体に浮かぶ無数の顔から針を撃ち出した。襲い来る無数の針がほのかに突き刺さる。 その衝撃で体がよろめいた時、ほのかに刺さったはずの針が消えていた。 代わりにほのかの差し出す手に乗せられたギアのカタシロから砕ける音がする。 ほのかは暴霊を見据えたまま呟いた。 「……おやすみなさい」 カタシロが放った悲鳴が暴霊を襲うが、その動きには変化がなかった。 「効いてないみたいですぅ!」 通じれば良い程度の考えだったとはいえ、こうなるとほのかには攻撃手段がほぼなくなってしまう。 どうするか思案するほのかの耳に、優しい歌声が届いた。それを聞く者の心を浄化するような穏やかで暖かな歌であった。 興味を引かれたように暴霊の動きが止まり、マグロへと顔を向ける。 嫌らしく歪んだ暴霊の口元から、無数の針が見える。が、マグロは歌に集中している。 マグロに撃ち出された針は、間に入ったほのかを貫いて止まった。 「ほのかさん!」 ほのかのギアの悲鳴で気が付いたマグロの歌が途切れた。 「大丈夫よ。それより今の歌は?」 カタシロがぱきりと音をたてる。 「僕の世界の歌だよ。怖い夢をみないようにっていう子守唄なんだ」 「……あなたの歌なら彼らを成仏させられるかもしれないわ」 「ほんとに!?」 思わず喜んだマグロだが、続くほのかの言葉に落胆した。 「でも、今のままでは無理ね。彼らが他者の声を聞き入れようとしていないもの」 ほのかが思案していると、ヌマブチからトラベラーズノートに連絡が入った。 『暴霊の居所が分かるのならば教えて頂きたい』 ノートに指定された場所へと向かえば、周囲を警戒しているヌマブチがすぐに見つかった。 「ヌマブチさん! 大丈夫だったの?」 「問題ないのであります。元凶を探しに行った某が遭遇しないとは皮肉なことでありましたがな」 「きっと日頃の行いが良いおかげですよぉ☆」 「某にそれを言いますか?」 苦笑するヌマブチは、撫子がほのかを背負っていることに気が付いた。 「ほのか殿はどうされたのだ?」 「幽体離脱して暴霊を引き寄せてくれてるんですぅ☆」 「それは大丈夫なのでありますか?」 「僕も心配だったんだけど、ほのかさんが大丈夫だから信じてって」 ヌマブチの疑問はマグロも同じだったようである。 「それでは目標は今どのあたりを移動中なのでありますか?」 「それが解る人がこの状態なんですぅ☆」 撫子がヌマブチに背負ったほのかを見せる。 「ふむ、信じて待つしかないようでありますな」 ヌマブチが帽子に手をやって呟いた時。 「……その必要はありませんわ」 いきなりほのかの目が開いた。 「暴霊はじきに来ます」 思わず出そうになった声をヌマブチはどうにか飲み込んだ。 「ふふ、童心に返ったよう。……鬼ごっこなんて久しぶり」 撫子の背から降りて、ほのかが薄らと微笑むと、えも言われぬ凄みが漂う。 「そ、それで、僕たちはどうすればいいの?」 「どうにかしてあそこへ暴霊を飛び込ませる」 マグロが明るく尋ねると、ヌマブチはある場所を示した。 「あれは何?」 金網に囲われた場所には、幾つもの部品から組み立てられた複雑な機械が置かれている。 「変電所だ。今、あれは限界まで稼働している」 「了解ですぅ☆ でも、この辺りが停電になっちゃいませんかぁ?」 「被害の拡大を防ぐことが最優先であります」 撫子はヌマブチの思惑をすぐに理解できたようであるが、マグロにはさっぱり解らなかった。 「……言い忘れていたわ。暴霊は育っているの、今もなお」 ぽつりと落した言葉が広がる中、ほのかはゆっくりと指を差した。 「あの暴霊に殺された者たちが引き寄せられているようね」 忙しくなく四つ足を動かして迫る暴霊は、獲物を見つけたのを喜ぶように奇声を上げている。 「さ、さっきより体が大きくなってない?」 「それなら、さっきよりもっとボコボコにしちゃえばいいんですぅ☆」 撫子は勇ましく釘バッドを暴霊に突き付ける。 「と、とにかく暴霊をあの機械にぶつければいいんだよね?」 「その通りであります」 「解ったよ!」 マグロがパスケースから取り出したギアを見た時、ヌマブチは一つ閃いた。 「その武器を貸して貰えますかな?」 マグロはギアをぎゅっと握り締めた。 「これは僕の大切な誇りだよ。ヌマブチさんはそれを汚したりしないよね?」 「某はあの暴霊を排除します。それはマグロ殿の誇りを汚すことになりますかな?」 「うん。僕はあの暴霊を傷つけたくない」 帽子に触れて、ヌマブチは息を吐いた。 「それならば今戦う仲間のため、その武器を借りたい。死んだ者を思いやれるなら、生きて戦う者も思いやれるのではありませんか?」 ヌマブチの言葉に、マグロの目が揺れた。 「死者を悼むのは大いに結構。しかし、それは生きているからこそできるのであります。マグロ殿が死者を弔うための生き抜く手伝いを某にさせてもらえますかな?」 「そんな言い方ズルい! 僕、断れないじゃないか」 「では、答えは?」 「往生際が悪過ぎですぅ☆」 駆け寄る撫子の前で、暴霊の体に変化が起きた。胴体部分が泡立つと何かが踊り出たのだ。 「わ、私ですかぁ?」 それは撫子を見本にした真っ黒なマネキン人形のようであった。 迂闊に飛び込むようなことはせずに撫子が様子を窺っていると、黒撫子が片腕を持ち上げた。 次の瞬間、その腕が膨むとキングコングのように筋肉隆々となった。 「どういう意味だぁぁ!」 ブチ切れた撫子が我を忘れて黒撫子へと飛び掛かる。黒撫子の打ち下すストレートを撫子の釘バットが迎え撃つ。 盛大な音をたてて釘バットが飛び散る。同時に、黒撫子の腕も砕け散った。 「んもう!」 バットを投げ捨ると、直にギアの小樽を降ろしてホースを固定する。 その間にも、黒撫子が再び暴霊から飛び出して来る。 「うおりゃぁ!」 力任せに投げ付けた小樽を、黒撫子が筋骨逞しい腕で弾く。 「二回はさすがの私も怒るわよ!」 力任せにホースを引き戻しながら、撫子は円を描くように振り始める。ぴんと張り詰めたホースに引かれて小樽が加速する。 「りぃやぁあ!」 そのまま唸りを上げる小樽を黒撫子に叩きつける。盾にした腕ごと吹っ飛んだ黒撫子は暴霊にぶつかって止まった。 ギアをパスケースに戻しながら撫子が走る。 黒撫子が吸い込まれて消えるのと同時に、そこから無数の顔が浮かび上がり、開いた口からは針が見える。 パスケースからギアを背負うように出現させて、撫子はホースを下に向ける。 針が撃ち出された瞬間、跳び上がりながら水を全開で噴射する。 針を跳び越え、弧を描いたまま暴霊へ飛びかかる。浮かんだ顔の一つの口を狙って腕ごとホースを突っ込む。 「満タン入りまーすぅ☆」 暴霊の体が水風船のように膨れ上がる。 「乙女の怒りはこんなもんじゃすまないんですぅ!」 撫子の怒りに応えてギアが光輝いた瞬間、暴霊の胴体が破裂した。 至近距離で巻き込まれた撫子も吹っ飛ばされて地面に転がった。 「いったぁ。でも、やりましたぁ☆」 「……いえ、まだね」 「わぁ、びっくりぃ☆」 驚きつつ飛び起きた撫子にほのかが清めの塩を振ると、撫子に体に飛び散った暴霊が消えていく。 2人の前にいる暴霊の体が波打つと、みるみる穴が塞がり始める。 「彼らが憑代としているもの。それを破壊しないと」 「どこにあるんですかぁ?」 「探しているのだけど、憎悪が濃く深く渦巻いて見通せないの」 「そこは頑張って欲しいですぅ☆」 その時、塞がりつつある暴霊の傷痕に鎖が投げ込まれ、その体の中へと沈み込んだ。 「投げろ!」 ヌマブチの号令が響くと、マグロが銃銛を変電所へと投擲する。 狙い違わず設備へとギアが突き刺さった瞬間、鎖を伝わり1つの街区を支える動力が暴霊を襲った。 総毛立つような悲鳴を上がる暴霊の全身に、同じように絶叫する無数の顔が浮かび上がる。 その全てが黒い涙を流し出した時、内から強引に押し広げられるかのように一つの顔が膨れ上がった。 息を吐く間もなく顔という顔が膨張していき、その中に暴霊が埋もれていく。 変電所の設備から火花が散り、街区の照明が点滅を始める。 「これはちょっとやばい感じですよぉ!?」 溶けかけた巨大なゼリーを幾つも無理やりに積み上げた。近い姿があるとすれば、それだろう。 悶える巨体に引かれて鎖が張り詰める。次の瞬間には、銃銛は一気に引き抜かれて宙を舞った。 「な、何これ、何が起きたの?!」 目の前の状況に、マグロは軽く混乱してしまった。 「電流で焼き殺そうしたが、とんだ結果になったな」 インヤンガイの機械類の動力源は霊力である。そして、暴霊たちもいわば霊力の塊であるのだ。 ――シネ、くルしい、死ね、しニタくなイい、つらい、死ネ、いヤだ、ぃきタい 「これは?」 「ほのかさん、何が起きてるのか解りますかぁ?」 ヌマブチと撫子は事態を把握していそうなほのかへと問い掛けた。 「マグロさん、もう一度歌を」 「え?」 ほのかはマグロへと顔を向けた。 「御二方の疑問は後程に。今なら、彼らにも声は届くはずよ」 ――くルしい、サむぃよォ、死にタくなぃ 嘆く暴霊たちを眺めるヌマブチの心に疑問が浮かぶ。 死してなお生きることに執着する暴霊たちの嘆き。 知識で理解はできるが、心で納得はできない。 無意味だと感じながらも、かねてよりの疑問は一人でに口をついて出ていた。 「何故生きたい」 「ヌマブチさま!」 珍しくほのかが声を張った。驚いた撫子が目を向けると、ヌマブチの体が大きく跳ねた。 途中より垂れ下った左袖が膨らみ、袖口より黒い左手が突き出た。 銃剣を両手で構えたヌマブチはゆっくりと振り向る。その両目が爛と紅く灯った。 「も、もしかして、ヌマブチさん操られちゃってますぅ?」 「マグロさん、あなたは歌を」 「で、でも!」 「あなたは彼らを。ヌマブチさまはわたした」 2発の銃声が響くと、ほのかが胸元を押えてよろめいた。 「……哭きなさい」 ほのかのギアがヌマブチへ叫び声を放つ。まともに浴びたヌマブチの体がぐらりと揺れる。 そこへ、撫子がギアで冷水を浴びせ掛ける。 「目を覚まさせるには冷たい水で冷水風呂だと思いますぅ☆」 「……マグロさん、頼りしてるわ」 断腸の想いでマグロは2人に背を向けると、暴霊と向き合った。 暴霊の挙動を警戒しながら、近くに落ちた銃銛を拾う。 ――しニタくなイいヨォ、イヤダぁァ、どウしてわたシなのォ 悲痛な声がマグロの心を苛む。 「そうだよね。意味もなく殺されるなんて嫌だよね。神様が決めた運命だからって、諦めろって言われても無理だよね」 マグロがギアを握り締めた。 「何処に怒りをぶつければいいか分からないよね。でも、だけどね、だからって他の人を傷付けるのは良くないよ。そんな事したら、君達と同じような悲しい気持ちになる人達が増える事になる」 マグロは自分の想いを言葉にする。 「ううん。君達が傷付けた人だけじゃない。君が死んだことを一緒にいた大切な人や愛する人が悲しんだように、その人の身近な人達も悲しむ事になるんだ」 助けたい、ただ純粋に願うマグロの想いをギアが力へと変える。 「悲しみの連鎖は何処かで断ち切らきゃだめだ。君達に少しでも人を愛する心が残っているなら、もう終わりにしよう? 僕たちは今までずっとそうして来た。あなたたちもそうだったはずだよ?」 目を閉じたマグロは大きく息を吸い込んだ。 ――Was yea ra hymme jam yorra yehah yetere ギアが力強い輝きを放ち、マグロの想いを乗せた歌声が広がる。 高く澄んだ声が聞くものの心に染み渡り、優しく暖かな気持ちを満たす。 (お願い、どうか届いて) ギアの穏やかな光が暴霊を照らし出すと、その巨体がマグロの歌に溶けるように崩れ始めた。 細やかな光を残して、次々と巨体から暴霊たちが飛び立ち浄化されていく。 「凄いですぅ☆」 少しずつ萎みつつある暴霊を横目に撫子は嬉しそうな声を上げた。 そして、ヌマブチにも歌の効果が出始めていた。どうにか意識を取り戻したヌマブチは、仮初の左手を呻きながら右手で押え込んでいる。 少しでも気を抜けば意識が再び左手の暴霊に持っていかれそうである。暴れる暴霊たちの嘆きが脳内を木霊して、頭が割れるような痛みを生み出している。 撫子はいつでも水を噴射できるようにホースを構え、ほのかはただ静かに様子を見守っていた。 「お前達が死んだ事に意味も理由もありはしない」 『嫌だ!死にたくない!』 「それでもお前達は死んだのだ!」 『なんでだ、なんでだぁ!」 「さっさと諦めて大人しく死んでいろ!」 『嫌だ、嫌だぁ! お前も死ねぇ!』 「死者風情が生者に手を出すな!」 頭に響く暴霊の声を、ヌマブチは叱咤する。傍から見れば、ヌマブチが一人で叫んでいるようにしか見えないだろう。 『何でだよぁ、生きてる振りだけの癖にぃ』 ――人を演じる人でなし。 『虚しいと思ってる癖に』 ――己の空虚を自覚。 『命の意味も、生きたいという欲望も解らない癖に』 ――知識として知るが感じる心がない。 『そんなお前が生きて、どうして生きたい俺が死ぬんだよぉ』 ――嘆き悲しむ死人達の方が、余程人間らしい。 「それは」 言い淀むヌマブチの左腕に悼みが走った。まるで代償として失ったはずの左腕が過去からヌマブチを糾弾するかのようであった。 知らずヌマブチの口元が歪む。 「某は簡単に死んではならないようでありますよ」 意志を込めたヌマブチの右手が暴霊を握り潰すと、糸が切れたようにその場にしゃがみ込んだ。 その体へ、近寄ったほのかが清めの塩を振り撒いた。 「気分は大丈夫ですかぁ?」 「服を変えたい気分であります」 ヌマブチはずぶ濡れになっている自分の格好に苦笑した。 「うん、もう平気そうですねぇ☆」 ヌマブチは傍に佇むほのかを見上げた。 「ほのか殿、何が起こったのでありますか?」 「……墨に水を注げば、墨は薄まります。図らずもヌマブチさまがしたことはそういうことなのでしょう」 「薄まった分、他人の話を聞く余裕ができたんですねぇ☆」 撫子の言葉にほのかは黙って頷いた。 「撫子さん、わたしの体をまたお願いするわね」 「いいですよぉ☆ 任せてくださぁい☆」 ほのかは腰を下ろすと、その場に正座した。 「あの暴霊の憑代を辿るわ」 手を合わせて目を閉じたほのかの上半身から力が抜けて前屈みになった。 「川原殿、酒を持ってはいませんかな?」 ふとヌマブチは酒が飲みたくなった。 「持ってきてないですぅ☆ 冷たいお水ならありますよぉ☆」 「いや、冷水はもう結構であります」 肉体を脱ぎ捨てたほのかが幽体となって浮かび上がる。すでに羽織った紅の小袖を脱ぐのと同じくらいには慣れたものである。 幽体となったほのかの視界には、インヤンガイに満ちる霊力も映る。 先程までは無数の渦巻く憎悪と殺意が、暴霊の巨体を黒く埋め尽くして見通せなかった。 しかし、今は祭りの金魚掬いを覗き込むように、巨体の内を感じ取れる。 『ひふみよいむなやここのたり ふるべ ゆらゆらとふるべ』 祝詞を思い浮かべて、ほのかは暴霊の内へと飛び込んだ。時化のように己の周囲を思念が飛び交う。 擦り抜ける暴霊たちの悲嘆がほのかの凪いだ心に映る。それらをただただ静かに見詰めながらほのかは深々と沈み行く。 そして、憑代である銅鏡へと辿り着いたほのかは、躊躇うことなくそれに手を伸ばし胸に抱いた。 己が幽体と銅鏡を重ね合わせて、その経緯を知る。 『お役目は終わりました。……御霊の鎮まらん事を』 憑依したほのかを通じ、優しく暖かい歌声が銅鏡を満たしていく。 ぴしりと亀裂が走ると、銅鏡はゆっくりと歌声に溶け崩れていった。 優しく清らかな歌声はまだ続いている。
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