▼壱番世界にて あなた達ロストナンバーは今回、壱番世界にてとある依頼をこなしました。 依頼は順調に進行し、大きな被害もなく作戦は終了。帰りのロストレイルがやって来るまで、ちょっとした空き時間ができてしまいました。 そんなとき、とあるコンダクターがあなた達に提案したのです。「じゃあせっかくだし、別荘に案内するよ。ゆっくりしていってね」 ――というわけで、仕事をいつもより手早く終えて、予想以上に時間を余らせてしまったあなた達ロストナンバーは、少しの間この壱番世界に滞在することとなりました。 でもとにかくあなたは疲れていて、どこかに出かける気力もありません。別荘の主でもあるコンダクターは、用事があって外出しているようでした。他の仲間達も同じようにどこかへ足を伸ばしているらしく、あなたには話し相手すらいません。 だだっ広いリビングで、ぼんやりとTVを観るだけのあなた。ソファーの上でだらしなく身体を横たわらせ、ぼーっとしていて。 ぴっ…… ぴっ…… ぴっ…… これといった面白そうな番組も見当たらず、頻繁にチャンネルを変えていました。 でもそのうち「これは!」と思えるような番組を見つけることができたので、あなたはがばっと体を起こし、食い入るようにそれを観ていたのです。 ぴっ ですが突然、チャンネルが変わってしまいます。 出かけていた仲間達が、いつの間にか帰ってきていたのです。傍にあったリモコンを手に取り、チャンネルを一方的に変えてしまったようでした。 あなたは無言で抗議の視線を差し向けます。でも仲間達は気がつきません。むしろ仲間内でも「映画が観たい」「いつもチェックしてるアニメが」「相撲が始まる」「見逃していたドラマの再放送が」「いいからニュース見せて」などなど、言い争いが発生している模様。 その隙を見計らって、あなたは引ったくるようにリモコンを取り戻しました。 ぴっ あなたは無言でチャンネルを変えます。 すかさず仲間の一人が、リモコンを乱暴に横取りしました。 ぴっ またもや無言でチャンネルが変えられてしまいます。 あなたはリモコンを取り戻そうとしますが、相手はリモコンを抱きかかえて奪われないようにしています。なんて大人げない。 他の仲間達からもブーイングが多発。背中をげしげし蹴られています。自業自得ですね。 あなたはついに立ち上がり、TV本体にあるボタンを押してチャンネルを変えてしまうのでした。あなたも大人げない。 ぴっ! ぴっ! ぴっ! ぴっ! リモコンと本体とでチャンネルを変え合う、不毛な争いが続きます。 でも、あなた達は真剣でした。譲れないものがあったのです、諦められなかったのです。簡単に負けを認めてしまうわけには、いきませんでした。 べきっ ――あっ。本体のリモコンボタン、壊れちゃった。 ならば仕方がありません。戦争です。 あなた達は剣呑な空気を漂わせつつ、チャンネルの争奪戦を繰り広げる道を選びました。 そしていつしかトラベルギアを持ち出したり特殊能力まで開放させたりして、争いは混沌を極めていくのです。 都心からやや離れた場所にある、ちょっとした別荘を舞台にして。後に『大惨事ロストナンバーチャンネル争奪大戦』と名付けられることになる、くだらなーい戦いの火蓋が切って落とされるのでした。 ――これは、とあるロストナンバー達の、ちょっとした戯れのきろく。====※このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。====
▼壱番世界、お昼前、別荘にて 今、リビングでは四人のロストナンバーが集っていた。 「わあ、これが噂の〝てれび〟ですか……!」 ソア・ヒタネはきらきらと目を輝かせながら、薄型のTVを様々な方向から見つめたり、おっかなびっくりに触ったり撫でたりしている。 「凄いです、薄い板の中で絵が動いてますよ! えっ、この人達が箱に入ってるわけじゃないんですよね?」 「ベタな反応キター。いやいやソアちゃん、あんたは美味しいキャラだわ」 ハイユ・ティップラルは親しみを込めた軽い調子でそう言いながら、ソアの初々しい反応を眺めている。 「一体、どういう仕組みなんでしょうこれ……」 「ちゅちゅっ。うんとね、中に小さいネズミが入ってて、くるくると中身を動かしてくれているのよ」 キリッと真面目そうな表情で嘘を並べているのは、パティ・ポップだ。でも世間知らずでのんびり屋でもあるソアは、それを嘘だと疑うこともない。感心した様子で頷きながら、まじまじとTVを観察して。 「わー、そうなんですか。中のネズミさんに感謝しなくてはいけませんね」 「でも、このテレビなる機械を動かすため、一日に何匹もの小動物達が餌食になっていて、その怨念で夜な夜なすすり泣いたりするんだってさ……」 昼間だけど懐中電灯を手にし、下から顔を照らしてホラーっぽさを演出しているのは、長套を羽織った竜人のユーウォンだ。彼もまたパティにならい、すました調子でソアに嘘を吹き込んでいる。 「うえぇっ、そうなんですか……ちょ、ちょっと怖いですね」 「あんたら容赦ないね。ソアちゃんが、ええい妖怪の類かー、なんて言っていきなり刀で両断しちゃったらどうするの、シナリオが終わっちゃうよ」 ハイユが涼しげな調子で謎めいたことを口にしたので、ユーウォンは怪訝そうに瞼を細めて。 「しなりお? ハイユは何言ってるのさ」 「あーこっちの話よ気にしないで」 ハイユは冗談めかして軽く手をひらひら振って答え、それ以上は口にしなかった。 そんな会話には気にも留めず、ソアはたどたどしい手つきでリモコンを操作しつつ、色々な番組を観賞している。 「んで、悪いんだけどソアちゃん、そろそろチャンネル譲ってもらいたいんだよね」 ハイユはソファーから腰を上げると、脚の低いテーブルに行儀悪く片足をダンと乗せ、見得を切るように堂々と言い放つ。 「人間関係ドロドロの昼ドラ『七角関係』が始まっちゃうわけなのよ。前回は一途なカナエがキョーイチの三股を知ったところで終わったし、もう続きが気になって気になって。カナエ可愛いし、男ならあんな彼女ほしいもんだよね」 「へー。ハイユ、男だったんだー」 「ちょっとそこのトカゲくん、何納得してんの。どうみても綺麗なメイドのおねーさんでしょうが」 ユーウォンが納得した様子で顎先を縦に動かしているので、さすがのハイユも抗議の視線を向けた。しかしパティもユーウォンの言葉にしみじみと頷き。 「ちゅー、メイドさんなのは認めるけれど、綺麗というよりは男らしいというか、がさつって感じよね。うんうん」 一方、ソアはお料理番組を見て「あのお料理、おいしそう……」と物欲しそうにしていた。 「はい、そこのネズミ娘も納得しない。あーでも、一人に決めきれないキョーイチの気持ちもすげぇ分かるのよ。ほら、あたしって一途と万人へのラブを併せ持つアンヴィヴァレントなレゾンデートルだから」 「ちょっと何を言ってるか分からないんだけど」 聞いたことのない単語をたっぷりに使った言い回しに、パティは困惑顔だ。 一方、ソアは通販番組を見て「こんなにおまけでたくさん付いちゃうんですねー」と感慨深そうにしていた。 「ちょっと待って。おれだって見たい番組があるんだよ!」 そうしていると、ユーウォンがハイユを押しやるように横から体当たりをし、こう主張する。 「『世界びっくり箱!』っていう、レポーターのニンゲンが壱番世界各地の面白い習慣とか動物とかを紹介するんだけどさ。スタジオのニンゲンが、どうでもいいことにびっくりして、ものすごい話をさらっと流すんだよね。あのさっぱり分かんない判断基準がものすごく面白いんだ!」 一方、ソアはサスペンス番組を見て「あれ? 死体のひと、今、瞼が動いていたような……」と画面を凝視していた。 「ちょっとちょっと! そんなこと言うのなら、あたしも観たい番組があるんですからね」 パティは、ユーウォンを邪険そうに押しやり、身振り手振りを加えながら強調して言った。 「『小っちゃなラッティーの冒険』は外せないわ。可愛いネズミ達がところ狭しと活躍する冒険譚なの」 「それ、呪いとか呪うとか言うイタチが敵で出てきたりしない?」 わくわくした様子で口にするパティに、ハイユが謎めいた発言をひとつ。パティはきょとんとした顔を向ける。 「ちゅ? そんなことはないけど、なーに興味があるの? だったら一緒に観ましょうよ! ついでにそのすぐ後にやってる、考古学者の男性の血湧き肉躍る興奮と緊張の冒険アクション『アンディ・ジョーンズ』もオススメよ」 星が弾けるようなウィンクをしてアピールするパティだが、それを聞いたユーウォンは冷めた調子でぼそっと一言。 「さりげに二枠めまで主張しちゃってるのは欲張りじゃないかなー」 一方、ソアは時代劇を見て「あ。今、後ろに空き缶が落ちていましたね」と呟いていた。 「ていうか、ふたりとも何かと思えばただのバラエティ番組とアニメじゃないの」 ハイユは肩をすくめて、大げさに溜息をつき。 「どっちも、内容なら本とかネットで手に入りそうなモンでしょ? だったらそれで確認すればいいじゃない。七角関係の続きやドロドロ模様の様子は、実際テレビで観ないと臨場感が分かんないんだから、ここはうちに譲るべきだと思うわね」 「いや、ちょっと待ってよ。ただでさえ、テレビってのはおれみたいなツーリストには滅多に見らんないんだ。しかも今日は総集編スペシャルなんだよ、ここは譲ってもらわなきゃ!」 「いや、あたしもれっきとしたツーリストなんだけど」 ハイユは神妙な面持ちで己を指差し。 一方、ソアは超能力番組を見て「スプーンを曲げるくらいでしたら私にもできますけど、どうして皆さんあんなに驚いているのでしょうか……」と首を傾げていた。 「ちゅ。ところであたし達が言い争っている間、蚊帳の外だったソアさんはリモコンを手に、ずっとテレビを堪能しているわけなんだけど……」 何か言いたげなジトリとした視線をソアの背中に向けながら、パティは言った。 言われてはじめて気がついたハイユとユーウォンは、ソアに視線を移す。 ソアはちょこんとテレビの前で正座をしたまま、興味深そうに番組を視聴している。 「あ……ここ、わたしの居た故郷にそっくり。違う場所だってわかってるけど、なんだか懐かしい気持ちになります。故郷のみんな、元気にしてるかな……」 「ソアは何見てるのさ……うあ、なんだか眠そうな番組ー」 ユーウォンがつまらなそうにあくびをする。 「あ、えっと……日本各地の温泉を巡る『いい湯だな、また旅気分』という旅番組……みたいです」 番組説明のボタンを押し、表示された窓の情報を拙く読み上げるソア。そこでパティが、彼女の手から素早くリモコンを取り上げる。 「でも、ダメよダメよ! いくらテレビ初体験とは言え、チャンネル優先権があるわけではないんだからっ」 「……え、あ、あの……見ていちゃだめですか?」 「うっ、そのうるうるした純朴そうな瞳……! 無垢なソアさんの目があたしの良心を苛めているわっ、ちゅちゅちゅ~」 パティは眩しそうにソアから顔を逸らし、苦しみ始める。ソアの背中から、ぺかーっと穏やかな後光が差しているように錯覚した。 「おーっとソアちゃん、ここで反撃に出たー。大人しいようでいて決して周りに流されるタイプではないようです。まぁ牛だもんね」 ハイユは、どこからか持ってきた放送テーブルに着いて、軽々しい雰囲気で実況をはじめる。 「しかし一方、その言いようからして、自分が番組を観ていて当たり前という風格すら漂ってきます。てゆーかソアちゃん、今チャンネル権が争奪戦になってること気づいてないんじゃね? すごいマイペースだー。まぁ牛だもんね」 「やだー! ソアの番組なんて、ただごはんと温泉と歩く場所の説明してるだけじゃん。静か過ぎてつまんないよー、このままじゃ居眠りしちゃう!」 リモコンよこせと言わんばかりに、竜鱗で覆われた細い腕を突き出すユーウォン。ソアは奪われぬよう、リモコンを抱いて丸くなる。 「い、いやですっ。わたし絶対これを観るんですー! 懐かしい故郷を思い出す気分に浸るんですーっ」 「おー。のんびり屋のソアちゃんが、珍しくも自己主張の連続だー。きっとお年頃なんだろうね。ところでソアちゃん、いつになったらモーとかウシシって鳴いてくれるの?」 どこからか持ってきた缶ビールを傾けながら、無造作に実況を続けるハイユ。その隣の席にパティもちょこんと同席し。 「ソア選手、リモコンは渡さないの一点張りですね! さー、これにユーウォン選手はどう出るかっ」 「あれ、缶ビール二つも持ってきたっけ……まぁいいや呑んじゃおうっと」 ふたりの実況を背中で聞くユーウォン。ソアの頑固な態度に目許を歪ませていたが、やがてふんぞり返るように胸を張り。 「ふんだっ、別にいいさ。リモコン取られちゃったら――テレビの前で妨害してやる!」 ユーウォンは縮めていた首を立たせると同時に、背中で折りたたんでいた翼を遠慮なく展開させる。翼を広げてテレビの前に陣取れば物理的に視界が遮断され、画面は見えなくなってしまって。 「み、見えません」 「へへーんだ」 ソアが身体を左に傾げば、ユーウォンもそれに合わせて身体を傾けて。 「ど、どいてくださいっ」 「やっだねー」 逆に右へと傾げば、ユーウォンもそれに合わせて身体を傾けて。そんな攻防がしばらく続く。 「わーん、どうしてそんな意地悪するんですかあーっ」 「だったらその手に持ってるリモコンを渡すんだ! そうじゃないといつまでも妨害してやるぞっ。それにほら、こいつも追加だっ」 「ちゅ? ユーウォン選手に不審な動きが見られます。どこからともなく、肩掛けの鞄を出現させました」 「あたし達にはおなじみ、トラベルギアだー。鞄から秘密道具でも取り出す気かもしんないね――あれ? なんで菓子袋二つあるんだろ」 パティは熱心に実況をしているが、ハイユはどこからか持ってきたおつまみのスナック菓子を頬張りながら、緩い調子でやっている。 「この中には、異世界から持ってきた極寒の大気と酷暑の大気が詰め込まれてるんだ。これを交互に吹き付けて、寒いと暑いの二重苦で追い詰めてやるぞっ」 「でもそれって使用者本人も暑かったり寒かったりするから、自爆攻撃じゃね?」 ハイユのツッコミに、ユーウォンはちちちと自信たっぷりに指を振り。 「残念でしたーっ。おれは暑さも寒さも平気なのさっ、そらくらえー!」 ユーウォンは翼をはためかせ、がばっと開いた鞄の深淵から漂う異質な大気を、周囲へと撒き散らす。バナナも凍るような冷気が渦を巻いたかと思えば、蒸し風呂のような湿り気と暑さがまとわりつく不快な大気を拡散させる。 「はわわわわっ」 「ほらほらソア、さっさとリモコンよこしなよ!」 「も、モーだめ……」 「お、ソアちゃんがやっとモーって鳴いた」 急激な温度の変化にソアは目を回し始め、くてんと倒れ伏せてしまう。一方、放送席につくパティも気持ち悪そうに机に突っ伏して。 「うぅっ、あたしまで熱気と冷気にくじけそう……気持ち悪いわあ……」 「で、ユーウォンはそうやって風を起こして、どさくさに紛れてメイドのおねーさんやソアちゃんのスカートめくろうとしてるわけだね。まあソアちゃんはスカートじゃないけどさ」 「別にニンゲンの裸を見ても何とも思わないんだけど……」 ハイユの軽口に、ユーウォンは呆れた様子で返す。それを聞いて黙っていられなくなったハイユは、放送マイクを投げ捨てて勢い良く席を立つ。 「なんと、おねーさんのナイスバディに興味がないと申すか! 自称お色気担当としてはそっちのほうがプライド傷つくわね、成敗しちゃるっ」 「ドラゴンか、せめて竜人くらいだったら話は別なんだけどね」 「悪いね、ドラゴン亜人のお色気メイドとか、そこまで要素詰め込む気はないんだわ」 緩く言い放ちながらも、その手に出現させた刃物型トラベルギアを閃かせる挙動は、獰猛な猛禽類の一撃も似て鋭い。しかしユーウォンは翼を翻してふわりと浮かび、空中に飛んで回避した。 「へっへへー、ここまで来れるもんなら来てみろやーいっ」 「あらよっと」 ハイユが手をかざすと、風魔法が炸裂した。浮遊するユーウォンの四方八方から、見えない風の魔力が襲い掛かる。 風につかまれ、はたかれ、潰され、もみくちゃになったユーウォンが落下する。パティが、どこからか持ってきたゴングをカンカンと鳴らした。 「ユーウォン選手、ダウンしましたー!」 「残念、今のメイドさんはそれくらい対応できないと生きていけないんだわ」 ハイユは刃物型ギアを手の中で器用に回転させつつ、倒れ伏せたユーウォンの背中を踏みにじって言い捨てる。 「さて、じゃあ遠慮なくメイドのおねーさんがリモコンを……」 ハイユが床に転がったリモコンに手を伸ばした。 すると、カリカリカリっという何かを削り取るような軽い音が聞こえてきて、ハイユを中心とした周囲の床に円のラインが描かれていく。ラインがあっという間に円を描き終えた瞬間、ハイユの立っていた床の底が抜け落ちて、ハイユは地下の暗がりへと落下した。 その拍子に手放されたリモコンをキャッチしたのは、円の奥の陰から飛び出した数匹の小さな影――パティの操る、ネズミの使い魔だった。彼らはパティの足元へ、かついだリモコンをえっさほいさと届けてくれる。何だか一匹多かった気がするけど気にしない。 「ちゅちゅちゅっ。でもさすがに、あたしがこっそり罠を仕掛けていることは読めなかったみたいねっ」 意地悪く歪む口から前歯を出して、にししと哂うパティ。 「ハイユ選手、脱落です。勝者はパティ・ポップ! いぇーいっ」 「おらーてめぇらー」 しかし勝利の余韻もつかの間、恨めしそうな声音をもらしながら、穴の奥からハイユがずるずると這い出てくる。 「お色気担当メイドを差し置いて何やってんじゃこらー」 「ひっ」 意識を取り戻し始めたソアとユーウォンが、ハイユから漂う見えない妖気に恐れ慄く。あと何だか臭気も漂っている気がした。 「ハ、ハイユさんの様子がおかしいです……!」 「なんか酒臭い……目を据わってるし」 「あなた達、落とし穴の下には何があったの?」 パティは自分の使い魔に訊ねた。 「え? 置いてあった酒樽を使って池を作って、そこに落として酔わせて無力化しようとしました?」 「うりらっはー」 ハイユの感情に影響されてか、刃物型ギアの刀身が凶器染みたフォルムに変化している。ハイユはゆらゆらと不気味に身体を揺らめかせながら、魔力の光がともった手を刀身にかざす。 「刃物に炎を纏わせたみたいね。ハイユ選手、魔法か何かを使ったようです!」 「のんきに解説してる場合じゃないよ、パティ。どうすんのアレ!」 「てめーら全員火あぶりの刑じゃー! ビフテキひとつと、ネズミとトカゲの丸焼きにしちゃるっ」 ハイユは狂乱している。凶器型ギアを振り回し、見境無く周囲の家具や調度品を破壊していく。 「こうなったら、さっきの熱気寒気攻撃で……!」 ユーウォンは鞄を開き、淀んだ大気を開放させる。けれどハイユが放つ魔法で霧散させられ、効果を示さない。 「効くかー! うがー、酒もってこーい」 「うひゃ、もうリモコンどころじゃなーい!」 「あわわ、ケンカが始まっちゃいました……! 皆さん喧嘩はだめですよぉ……」 おろおろとするソアの一言を聞いて、パティとユーウォンが滑るようにコケる。 「いや、遅いよ遅すぎるよソア! 牛歩もいいとこじゃん!」 「おおっと、ここでソア選手、ようやく争奪戦の状況に気がつきましたー! ちなみにもう、ケンカが始まってから結構な時間が経過しています。ちゅー」 「ハイユさん、番組のことで頭がいっぱいで、我を忘れてしまっているんですね……」 「話聞いてないし!」 「争いの元凶は……あのりもこん……! なら、りもこんはわたしが奪い取ります!」 「ちゅー、争いを止めるために争いに加わるって、本末転倒じゃないかしら……でも、ハイユさんは止めないと後が大変そう――ねっ!」 パティはハイユの手元にダガーを投擲するも、あっけなく弾かれてしまう。 「むむっ……じゃあ手数で勝負よ!」 パティがさっと手首を翻すと、指の間には無数の短剣が挟まれていた。それを次々と投擲する。連続して、絶え間なく、ひたすらに。 「うーりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃッ!」 「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ッ!」 一進一退の攻防が続く。銀色に煌く短剣が、電光石火の如く振るわれる刃物捌きによって、次々と切り払われていく。短剣とギアの刃がぶつかるたび、鋭い火花が咲いて散る。 「ちゅーちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅッ!」 「酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒ッ!」 「はー、やっと一息つけるよ」 横になっていたアナウンス席をよいせと立て直し、腰を落ち着けて一服するユーウォン。竜鱗をまとう骨ばった指と長い爪先を器用に動かし、のんきにみかんの皮を剥き始めた。 「あれ、みかん二つも持ってきたっけ……まあいいや」 隣にはちゃっかりソアも座っているが、なにやら顔は俯きがちだ。 ソアは両手で握っている縦長の黒い物体――リモコンを、思いつめた様子で見下ろしている。 「こんなものがあるから、争いが終わらないんでしょうか……」 「何か戦争アニメの主人公みたいなこと言ってるね」 ユーウォンはもぐもぐとみかんを咀嚼しながら、メイドとネズミ娘の戦闘模様を眺めた。 ハイユは凶器型ギアを閃かせながら、かざした掌から魔法で炎の弾を射出させている。パティは僅かなスキをつき、自らの動きを加速させる魔法を使って、ハイユの巧みな斬撃と魔法攻撃をかいくぐっている。ふたりは戦いながら言い争いもしているようだ。 「えっと、実況実況……ハイユ選手、戦いに熱中するあまり酒の酔いも晴れてきたようだー。口調がもとに戻りつつあるよー」 「あーもう、時間に間に合わなかったら意味がないからさっさと片付けたいのに……しつこい女は嫌われるよ、ネズミのお嬢ちゃん!」 「ちゅちゅっ、ネズミを甘く見ないでよねっ。あたしにも譲れないものがあるのよ! それにそんなあなただって一向に口が減らないじゃない。おしゃべり過ぎる女はいつまでたってもモテないわよ、独り身メイドさん!」 「ちくしょう、気にしてることを言うんじゃないっての。あーもう酒飲まないとやってられないわ!」 ハイユはパティとの戦いの最中、酒瓶の入った棚にサッと手を伸ばし、それをぐびぐびとラッパ飲みし始めた。するとハイユの猛攻は勢いを増し、より鋭く強烈になった刃物の連撃がパティを追い詰めていく。 「つ、強いじゃないの……!」 「ヒャッハー、ネズミは消毒だぁ」 「さぁパティ選手、壁際に追い込まれていくー。もう後がありませんー」 「もうっ、外野は気楽でいいわよね! でもあたしにはとっておきの作戦があるんだから――っ」 パティは身を宙に躍らせて、ハイユの背後を取った。すぐさま振り向いてくるハイユに対し、懐から取り出したあるものを両手で広げ、見せ付ける。それは鮮やかな赤の布だった。 「壱番世界のお友達から教わった作戦……その名も、暴れん坊にはマタドール戦法よ! この赤い布を見れば、暴れん坊の相手は正気を失ってこちらの思うがまま!」 「相手はもう、正気っていうか狂気の沙汰だけどねー」 「おうおう、言ってくれるじゃないのトカゲさん。おねーさんは上手にこんがりまる焼きにしてあげようか」 「おれの鱗が、そんなお遊びみたいな炎で焼けるわけないじゃん」 「じゃあ試してみようぜ! ヒャッハー、トカゲも消毒だぁ」 ハイユの矛先が、実況席で休んでいるユーウォンに向けられた。歪な刃物型ギアを肩に担ぎながら、豪快な一閃でユーウォンの席を叩き割る。ユーウォンは咄嗟に退いて回避した。 一方、パティはきょとんとしている。 「ちゅちゅ? うーん、効いていなかったみたいだけど……ま、まあ攻撃対象では無くなったみたいだからOKってことにしておこうかしら」 パティは苦笑しながら、両手に広げた赤い布を見下ろしていた。 ……そうして、誰もがソアのことを見ていなかったため、その前兆に気づける者はいなかった。 「ぶ も お お お お お お お !」 衝撃波を伴うような咆哮が炸裂し、ハイユとユーウォン、パティの三人を軽々と吹き飛ばした。 「ぶはっ、何、何もう!」 吹き飛ばされた家具や調度品でもみくちゃになりながら、ユーウォンが床から顔を上げる。 部屋に置かれていた様々なものが壁際に飛ばされている中、ひらけた場所の中央に、四足歩行の何かがいた。 荒々しい呼吸で身体を上下に動かしている、一頭の牛だ。牛は、ソアが着用していたものと全く同じ服を身に着けている。 「え、あれって……ソ、ソアさんなのかしら?」 転がったソファーの陰から、恐々と様子を伺うパティ。 ハイユは、倒れ掛かったテーブルを無造作に蹴飛ばしながら立ち上がって。 「ひゃー酔いもすっかり冷めちまったい。で、ソアちゃん大丈夫? あれか、牛だから赤いもの見て興奮しちゃったクチ?」 ハイユは牛化したソアへ無遠慮に近づいていく。ユーウォンが思わず不安そうに手を伸ばしかけ。 「え? ちょ、ちょっと今、近づいたらヤバい雰囲気じゃない?」 「大丈夫だって。どれどれ、おねーさんが獣のソアちゃんをあの手この手でほだしてあげ――」 わきわきと指を蠢かせるハイユに、正面から突進してきた猛牛ソアの頭部がクリーンヒットする。 ユーウォンとパティの視界には一瞬、服と皮膚と肉を透かしてハイユの骨格が見えた気がした。猛牛ソアの突撃がハイユの骨を砕くさまを、まじまじと見てしまった気がした。 ハイユはボロ雑巾のように吹き飛ばされ、着地姿勢を取ることなく床を転がった。 「ちょ、ちょっとハイユさん!」 パティがちちちと床を這い、白目を剥いてぴくぴくと痙攣しているハイユに近づき、身体を揺さぶる。 返事が無い。ただのロストナンバーのようだ。 「こ、これは大変! あなた達、ソアさんを止めるのよ!」 パティが指笛を吹くと、何処からとも無く大量のネズミが駆けつけた。その数なんと101匹――気のせいだ、100匹。パティの合図とともに、猛牛ソアへと群がっていく。 「ぶもおおおおお!」 けれど一瞬で蹂躙された。 「やーん、あたしの可愛い使い魔達がー!」 「これもう、チャンネルとかどうでも良くなってるよね。おれ、外に出て退避してる」 「あ、こら卑怯ものーっ! あたしは飛べないんだから助けなさいよお!」 パティの憤慨を背中で受け流しつつ、ユーウォンは疲れた切った様子でリビングの窓を開け、空へ羽ばたいて逃げようとする。 けれど急加速をして突っ込んできた猛牛ソアが、浮かび上がって間もないユーウォンの背中を無残に打ち据え、地面に叩き落とした。 「こ、これはもう、争奪戦に備えて用意していた罠を駆使して、ソアさんが落ち着くまでやり過ごすしかないわね……!」 懐から転移魔法の札を取り出しつつ、パティはばたばたとその場から逃げていく。 † 「たっ、大変申し訳ありませんでした……!」 皆の前で正座をし、ソアは小さくなりながら必死に頭を下げた。 唯一、無事に逃げおおせたパティは今、ハイユとユーウォンの打ち身の傷に、袋に詰めた氷をあててあげている。 「ちゅううぅ……まさかあんなことになるとは思わなかったわ……あたしのせいね、ごめんなさいソアさん」 「いえ、わたしのほうこそ……赤いものを見たら、頭に血がのぼっちゃったみたいで……うぅ、本当にすみません、なんてことを……」 「それで……おれ達、なんでこんな目に遭ってたんだっけ……」 横たわるユーウォンが、爬虫類のように突き出した鼻と口を蠢かせながら、力なく呟いた。 「確かチャンネル権を巡ってリモコンを奪い合ってたんじゃね? うぅ、もう七角関係、終わっちゃったじゃん……で、肝心のリモコンはどこに行ったの……」 猛牛ソアが暴れ終わるまで床に放置され、何度も轢かれて踏まれて突き上げられまくったハイユは重傷で、腕も足も包帯でぐるぐる巻きにされていた。 「それが……」 ソアがおずおずと両手を差し出す。 ロストナンバーの特殊能力にさらされても傷ひとつつかなかった丈夫なリモコンは、ソアのか細い手の上で粉々になっていた。どうやら暴走時に踏み潰して破壊してしまったらしい。 「ちゅちゅ? おかしいわね、あたしも持ってるわよ?」 パティがあっけらかんとした様子で、懐からリモコンを取り出した。ユーウォンが恨めしそうな視線を向ける。 「何どさくさに紛れて確保してんの……」 「だ、だってー。ねぇ」 誤魔化すように愛想笑いするパティ。するとハイユは、ボタンを緩めた上着から見える豊満な胸の谷間から、無傷のリモコンを取り出した。 「あれ、おかしいな。うちも実はこっそり確保してたんだけど」 「あんたもかよ!」 傷の痛みも忘れて身体を起こし、ユーウォンがすかさずツッコミを入れる。 「ひとつ多いどころか多すぎでしょこれ、どうなってんのさ……」 「まぁもう観たい番組も終わっちゃったんだし、喧嘩両成敗ってことで、何でもいいからTV観ようか、もうおねーさん疲れちゃった」 「それもそうね……ちゅうう」 「あっ、わ、わたし、せめてものお詫びにお茶を淹れてきます! 皆さんはゆっくり、てれびをご覧になってくださいっ」 ソアはぱたぱたと駆け出し、散乱する瓦礫につまづきながら台所へと向かっていく。 三人は倒れていたTVを起こし、なぜか手元に複数あるリモコンをいぶかしみながら、ぽちぽちと操作する。画面に奇妙な表記が浮かび上がった。 「ちゅう? 何よこれ……えっと、LHK(ロストレイル放送協会)……?」 「そもそもこんな番組、壱番世界にあったっけ」 パティとユーウォンは眉をひそめる。 少しのノイズが走った後、画面は猫耳フードを被った女の子をアップで映すようになった。 「おや、メルチェのお嬢ちゃんじゃない」 「かき氷を食べてるわね」 「なんか番組っていうか、ビデオで撮影した日常風景って感じ?」 「ちゅちゅ、でも何だか変な感じね……」 「口許ばかり映してるのは、別の思惑があるんだっておねーさんは思うねぇ」 そういうわけで画面にはなぜか、ツーリストの女の子であるメルチェット・ナップルシュガーが、かき氷やアイスクリームをおいしそうに食べているシーンが流れ始めた。 その場に奇妙な空気が漂う中、ハイユは「よく分かんないけどこれは録画しておけば、その筋の連中からけっこーなナレッジキューブをふんだくれそうね」なんて邪推な考えを思いつき、こっそりと録画の設定をしておく。 そうしている間に、ソアが急須や湯呑み・お茶菓子を乗せたお盆を手に、しずしずと戻ってくる。 四人がお茶をすすり、煎餅をかじり、わらび餅をつまみながらまったりしていると、いつの間にか画面はメルチェの食事シーンから切り変わり、彼女の寝室らしき部屋を映し始めていた。画面内のメルチェが布団のうえに何着ものパジャマを並べ始める。 「なんでああやって並べてんの?」 ユーウォンはまるで理解できないといった様子で呟いた。パティは得意げに指を立てて返答する。 「それはあなた、乙女ですもの。その日の夜に着るパジャマを選ぶのにも、神経を使うのは当たり前! これには複雑な乙女心がつまっているのよ。ちゅちゅちゅ」 「そうなの? よく分かんないや」 「あのパジャマ、セクタン柄で可愛いですね……どこで買ったのでしょう、今度教えてもらおうかな……」 「へへっ。メルチェットさんならどれを着ても可愛いよ」 「……ん? あれ今、なんか心の広いメイドのおねーさんですら引くような気持ち悪いこと、誰か言わなかった?」 「ちゅ? あたしは違うわよ。ハイユさんの心の囁きが漏れたのではなくって?」 「いくらお色気担当で大酒飲みの酔っ払いだからと言って、あたしゃ変態とは違うわよ」 画面にはしばらくメルチェのパジャマ選択シーンが映し出されていたが、ユーウォンがソアの様子がおかしいことに気がつき、声を掛ける。 「ところで、ソアはなんで顔を隠してるの?」 ソアは、頬が朱に染まったむずがゆい表情を手で覆い隠し、メルチェの映像を観ないようにしている。 「こ、こう……まるで女の子のお部屋にこっそり忍び込んでいるような視点が、むしょうにドキドキしてしまって……」 映像の視点に感情移入をしているソアは顔を隠し、けれど指の隙間からばっちりと覗きながら、興奮に耳まで赤くしてそう言った。 「ところでユーウォンさん。あなたはこの中で唯一の男性なわけだけど、かよわい乙女の日常をじっと観ているのは、ちょっと問題あるんじゃないの?」 いじわるく問いかけたパティに対し、ユーウォンは億劫そうにあくびをしつつ。 「人間が動物の暮らしをみても変な気持ちにならないと同じで、おれも別に何とも感じないんだよねー」 そして結局のところ、メルチェがパジャマを満足そうに選んだ時点で、映像はまるでこてっと床に落っこちたかのようなアングルになり、姿見の鏡とそこに反射するぬいぐるみ以外、何も映さなくなる。 次に映像が移り変わったときは、着替えをすませたメルチェが画面いっぱいに映りこんだ。そして観ている側に向かって軽くキスをするような仕草をした後、画面は暗転する。 最後に〝ハイユ・ティップラルに捧ぐ〟という文字が表記されたのを最後に、その珍妙な番組(?)は終了した。 「ふーむ、肝心な所は映さずじまいというわけね。おねーさん残念」 「これ、壱番世界で噂のトーサツってやつじゃないの?」 「屠殺ですか?」 「ソアさん、似てるけど違うわよ……」 と、粉砕された窓ガラス越しの太陽を見て、ソアはお昼が近づいてきたことに気づく。 「そろそろごはんにしましょうか」 「そうだねー、じゃあおれ達は片付けでもしよう」 ユーウォンの言葉を機に、五人――気のせいだ、四人はよろよろと立ち上がる。 「何かリクエストはありますか?」 「おねーさんはね。ビフテキひとつと、ネズミとトカゲの丸焼きがいいな」 「ハイユ、おれに爪で引っ掻かれたい?」 「冗談冗談。てゆーか、食事の支度ならあたしにこそ任せてよ。これでも、れっきとしたメイドなんですからね」 「あれ、そうだったんだ? てっきりそんな格好してるだけの人かと思ってた」 「このメイド服、コスプレかよ!」 「それに、すました顔して食事に毒を盛ったりしそうよね、あなた」 「あと、嫌いな客の茶には鼻くそ入れたりしそうだよねー」 「ほうほう、散々に言ってくれちゃって嬉しいじゃないの。おねーさん、熱烈なご要望に全部お応えしちゃおうかしら」 「あわわわ、ケンカはやめてください……!」 「ところでこのおうち、何だか気配が一人ぶん多い気がするのだけど、あたしだけ……?」 ともあれ、チャンネル争奪戦はやんわりと幕を閉じた。 † 数日後、メルチェット・ナップルシュガーのプライバシーを侵害するような映像が0世界の一部で出回る事件が発生する。世界司書のおしおき担当リベル・セヴァンの手によって、それに関与した何人かのロストナンバーが大変なお叱りを受けたようだ。 そのリストには、ハイユ・ティップラルとメンタピの名前があったという。 <おしまい>
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