――ヴォロス、アルヴァク地方 夏至も過ぎて、気温がぐんぐん昇っていく日々 一息つけるのは、慧竜祭の行われる雲の月が七の日。 この日は慧竜叢雲が終末の戦場からヴォロスに帰還し羽を休める日とされている。 例年では、慧竜の休まうアルヴァク北陵から中央平原を越え、アルヴァク地方全体に柔らかな雲が広がり、夏の日差しを遮り、人々はほっと一息をつく。 砂漠都市アルスラでは雲の露を竜刻機関がかき集め、過酷な乾期を乗り越える蓄えともなる。 ここ、神竜都市アルケミシュは大勢の参拝客で溢れていた。 今年の慧竜祭は特別。 立て続けに起こった天変地異、教皇の崩御、そして、北の頂が竜となって飛び立ったことは人々の記憶に新しい。アルケミシュの城下でも動乱で焼け出された大勢の難民が明日も無い生活を送っている。 それからというもの、アルヴァク地方では雨雲はおろか、わずか一片の雲も蒼穹に無く。目に刺さる日差しが人々と大地と作物を灼いていた。――雲龍は堕落した人を見捨てていずこかへ飛び立ったのだ――雲龍はついに外世界の魔に破れたのだ。ヴォロスは滅亡するのだ 人々は大いに戸惑い、神官達に詰め寄った。しかし、その神官達も教皇を失ったことにより確かなことは言えないでいた。 こうして、民衆もドラクレットもトロールもあるいは遠くから巡礼に来た者も浮き足だったまま慧竜祭のその日を迎えた。 朝から慧竜祭にあるまじきかんかん照り。 人々は絶望した。 しかし、燃えさかる太陽が天頂に近づいたとき、不意に空が翳った。 天の一角にもくもくとうろこ雲が生じたと思うとたちまちに天蓋を覆った。霊感の強い者は、翼を広げる竜を見たという。そして、北陵……竜が飛び立った上空には雲に隠れるように、ヴォロスの誰もが見たことがない真っ白い天体が浮かんでいた。 アルケミシュの神殿から一人のドラクレットの小僧が走り出してきて預かった神竜の言葉を告げる「万年の節目に、慧竜は新たな命を得て帰還した」 そして、口の軽い見習い小僧から、先日の闘いに参加した強者達から、小竹なる異邦人の名が洩れると民衆はそれを尊いものとして崇めだした。 祭りは始まった。 出店が立ち並び、巡礼者が集う。 竜刻使い達が雲手繰りの技を競い、雲がおもしろおかしい形を作って空を流れた。 慧竜の霊廟が一般公開され、人々はささやかな願いをそこに記していく。 † 慧竜の帰還に浮き立つアルケミシュから北の山脈に進むと、荒涼とした盆地があらわれる。 岩と礫が散乱し、地はまだ熱を持っており素足では歩けない。 ここはかつて凶人ラインヴァルトが居を構えていた洞窟があった場所だ。小竹は周囲の山脈ごと竜となって飛んで行った。教皇もここで没している。 枢機卿を含む神官の一団がここに訪れている。調査と慰霊を兼ねてのものだ。 従者が空の異変に気付いて見上げた。「何かが飛んできます」「竜、いや巨人です!」 竜刻巨人を脳裏に浮かべ、一行は騒然となったが、地上に降りたったのは、鋼鉄で出来た巨人と、それよりもさらに大きい鋼鉄で出来た亀であった。 神官達があっけにとられていると、亀の甲羅が一部持ち上がって、人影がひょこっと顔を出した。ぴょこっとした耳が立った。犬系の獣人のようだ。 そして獣人はほがらかに呼びかけてきた。「やぁ、こんにちは! ぼくたち今日からこの世界でお世話になります。よろしくお願いしますね!」 巨人の肩から、今度は人間大のゴーレムが飛び降りてきた。アルスラに勝るとも劣らない技術力だ。 そして、巨人の胸のすきまから、猫が――ごく普通の猫が這い出てくるとゴーレムに抱きかかえられた。驚くべきことにその猫が口を開いた。「初めましてランガナーヤキと言います。しがない武器商人をやっておりまして、これも何かの縁です。こちらの兵器をお買い求めいただけませんでしょうか? お代金は、この盆地の自治権とかで……失礼しました。デモンストレーションが必要でしたね」 続いて、何機もの巨人と亀が降ってくる。中には盆地から飛び出してアルケミシュの方角に向かうものもいた。「こらー! ダメだって! ロストナンバー達に言われたでしょ、この盆地から出たらダメだって」「ええー!?」 † そして遙か上空、雲海にまぎれて竜星は浮かんでる。 犬猫達は、ここから逆さにヴォロスの広大な大地を見上げていた。 そこでは、竜星をヴォロスに順応させるための作業と騒動のさなか真理数を失ってしまった犬猫を、0世界に連れて行くための準備も進められていた。自分の運命に気づかず消失の危機にあるものも少なくない。 竜星の復興にはさらなる困難が待ち受けている。 周囲には呼吸できる大気と、霧に運ばれてくる湿気。彼らが待ち望んでいたものを前にはしゃぐなという方が難しいだろう。だが、それは事象のほんの一面にすぎない。 彼らは埋まってしまった都市を掘り起し、エネルギープラントを修復する必要がある。 雲の中ではソーラパネルも動かなければ、農業プラントに導管していた光も足りない。雲を分析したところ、水の中にヘリウム3は検出できなかった。新しいエネルギー源の確保が急務である。 そして何より、水分によって機械がさびるのを防止する必要があった。 ヴォロスの大地からヘリウム3を探すか、あるいは代替えエネルギーとして竜刻を求めるか、悩ましい。 これらの要因のために、竜星の住民はヴォロスの大地には降りないと言う方針は転換を迫られてしまった。ヴォロス地上の物資が必要なのである。結果、慧竜の飛んで行った跡にできた盆地が入植地を兼ねた交易所……いわゆる出島として認められることになった。ここならばヴォロスに対する影響は最小限に抑えられるという判断である。 しかし、所詮は犬猫のことである。事の重大さはあまり理解されていないようであった。 これだけの困難を乗り越えてきたのだ。どうにかなるさと言わんばかりである。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
神竜都市アルケミシュの空に雲が広がっていき、夏の強烈な日差しを和らげている。 それとともに空気に湿り気が出てきてのどを落ち着かせてくれた。 人々が天幕から出てきて、うろこ雲に見え隠れする竜星を不思議そうに仰ぎ見た。 祭りは始まった。 神殿の前に広場には、縁起物を売る出店から、果物を売る屋台まで所狭しと並んでいる。 もちろん、大勢のロストナンバーもまぎれていた。 例えば、ティリクティアは包み紙いっぱいにハチミツ菓子をのせていた。羊乳と卵を固めたプリン状のベースに、よく日に当てて乾燥させたハチミツのこま切れが贅沢に練り込んであった。 「不思議な味、なにかハーブも入っているのね」 「どれどれ」 臼木桂花がひょいと手を出してつまむ。固めのプリンのすきまからじんわりとハチミツの甘さがしみ出てくる。 「こういうのはきつーい蒸留酒があうんだよね」 桂花は立ち飲みの一角をめざとく見つけると、ティリクティアをおいて喜び勇んで去っていた。 残されたティリクティアはたまたま通りがかった川原撫子とハチミツ菓子を分かち合うことにした。撫子の方は羊の串焼きを持っている。ドラクレットの里から運ばれてきたと言う触れ込みの岩塩がすり込まれていて、汗をかいたあとの体によく効く。 撫子がティリクティアに歩き食いの作法を教え込んでいると、ジャックが文字通り空から降り立った。 「なんだァ、テメェらだけかヨ。あいつらは一緒じゃねェのかヨ」 「いくらお友達でもぉ、カップルの邪魔すると馬に蹴られて滅殺されちゃうのでぇ……距離感大事かなぁと」 ぶすっと口を尖らせて撫子が答える。どこかで聞いたような言葉に微苦笑が浮かぶ。 「まぁいいぜェ、ちっと付き合いなァ。あいつのことだからテメェにも関係あんだろうヨ」 「ごめんねぇ、ティリクティアちゃん。私、ちょっと行ってくるね。とても大切な用事なの」 ティリクティアの小さな手に串を押しつけると、撫子はジャックと共に消え去っていった。 † 神殿の方も巡礼者でごった返している。竜刻石で風が作り出されていなければ、こもった熱で病人が出そうである。 様々な神竜の偶像が建ち並び、めいめいは欲しい御利益を賜らんと群がっていた。 奥にあるは神竜の礼拝堂。ここは霊的に天空につながっており直接神竜に拝謁できると言われている。 ロストナンバーたちが集まるはそちらである。 彼らが崇める神竜、すなわち慧竜はとりもなおさず、彼らの友人であった小竹卓也でもあるからだ。 イルファーンは、小竹と共に戦い、彼を見送った一人だ。粛々と鎮魂の祈祷を捧げた。 「小竹卓也……本当の英雄になってしまったね。勇者の魂に平安あれ」 静謐の余韻が終わるとイルファーンは他の参拝客に場を譲った。そして、神竜を訪れる者に苦を背負っている者があれば、精霊の施しを与えた。 「お主ら、参っていこうかの」 巨大な蛇竜アコルは神殿を見下ろすそうに飛翔していた。背中に、チャンとレク・ラヴィーン、エアレイ・シヌクルを載せている。 アコルが小竹の霊的な精神の残り香を辿っていくと、神殿のあるアルケミシュから徐々に離れていった。そして、やがて北の山脈に辿り着いた。 ここにあった洞窟から、小竹は竜となって飛び立った。 慧竜は巨大であって、その光景はヴォロスの民からは小山が飛び去っていったように見えただろう。 今では、小さな盆地が残されている。 そこでは蛇のチャルネジェロネ・ヴェルデネーロが寝ているそばであった。 エアレイの目には、盆地で繰り広げられる騒ぎが見えてきた。レクもアコルの体から身を乗り出して見下ろした。涼やかな風を切って飛んでいる。 盆地に世界を失った犬猫達がやってきたのだ。 先の戦いで、叢雲を取り戻した慧竜は、犬猫達を伴ってヴォロスに帰還した。そして、慧竜は在りし日のように天空に居を定めた。 犬猫達の竜星も雲間に漂っている。 これは、ヴォロスへの影響を最小限としたい図書館にとっても好都合であった。 しかし、資源に乏しいことが発覚すると早速犬猫達は禁を破って地上に降りてきた。 今は、この小さな盆地に活動範囲が限られているが今後どのようになるかはわからない。 空から鉄巨人と鉄巨亀が続々と降ってくる。あわてふためくアルケミシュの神官団を尻目に、アコル達も地上に降りた。 「ワシはこうなると思ってたわ。奴らは無害じゃ、放っておけ」 ここは、かつての狂人ラインヴァルト果てた地点、そして、小竹が竜の運命を受け入れ、教皇が身を捧げた場所。 エアレイがすっとアコルの背から飛び降りた。もとより自身も飛行できる。 「卓也、そなたは我をもふりたいと言ったな。その時に我は、後日……と返したが……」 もはや果たすことができない……。せめてもの慰めにと、エアレイは人型を解いて聖獣の姿を顕した。 他に似た姿の無い美しい獣だった。純白の毛が風にたなびき、そそり立つ角を際立たせた。 確かに小竹が見れば興奮のあまり粗相をしでかしえない御姿だ。 それを横目にアコルが独り言つ。 「何か、他の世界とかに言い残した、やり残したことはないかえ? 思うだけで良い。ワシは霊……精神をつかさどる神の一柱じゃ、感じとれる」 なにか小竹の魂に訴えかけるものがあるとすればいいだろう。レクは「旅立つ友の安全を祈る為の踊り」を踊る事にした。小竹との思い出、例えばクリスマスに洞窟探検をした。あの時は小竹にかばってもらった。それから、コロッセオで訓練したこともあった。 「……元気でやれよな、小竹。離れてても、オイラ達……友達だからな」 空を見上げれば、うろこ雲達が一瞬、竜のかぎ爪の形を浮かび上がらせた。 「これはこれは眼福じゃ、小竹も果報者よのう」 舞が終わった頃にはうまそうなにおいが漂ってきた。 「市場でイイ肉仕入れてきたね!これで焼肉パーティーするよろし」 本格的な鉄板と網は焼き肉奉行チャンがわざわざ壱番世界から持ってきたものだ。 「小竹よい奴だったね。チャン話したことないけど、せめて煙と匂いをお裾分けよ。たんと喰らうがいいね」 いつの間にか、この小さな盆地は犬猫たちと彼らを運んできた機械で埋め尽くされていた。めいめいがヴォロスで売れると見込んだ商材を披露、あるいは逆に金の臭いをかぎつけてやってきたアルヴァクの商人と取引できるものは無いかと目をぎらぎらとさせていた。 だが所詮は犬猫たちである。漂ってくる焼き肉の臭いにはあらがえない。 肉に犬猫達(と一部のロストナンバー)が群がっているところで、アルケミシュからの神官団は狂人ラインヴァルトの慰霊の準備を進めていた。教皇はアルケミシュで列聖される予定であり、その前段階として悪霊を払うのを兼ねている。 盆におおぶりの竜刻がのせられ、水が満たされ、聖句が詠まれる。 自身も神官であるアクラブ・サリクはその様子を眺めていた。 「……この辺りで例のラインヴァルトと戦ったのだったな」 山はなくなり、戦いの跡は見当たらない。 「元は神官ということでこうやって慰霊までしてもらえているのだ。ましな方だろう。狂人と言われたがそれ以前の人格がモノを言うのだろう」 アクラブはラインヴァルトを殺した事は後悔はしていない。しかし力で他者をねじ伏せた者には果たすべき礼はある。 竜刻の八方に香油を配置し、息を吹きかける。すると香油に火が灯った。彼の世界の流儀で祈りを捧げる。 アクラブを遠巻きにしていた男女の人影が、儀式が終わるのを確認すると離れていった。虎部の顔には開放感が浮かんでいた。よほど退屈だったのだろう。 「これが小竹ん爆誕の地か」 駐座したアヴァターラに旗印『にくきうまんぢう』を持たせた売店でめざとく饅頭をみつけると傍らの少女――フランに渡した。虎部は物見遊山気分を満喫中であった。 お祭り気分で調子に乗っているのか、少し駆けては振り返り、フランに話しかけるのは少し危なっかしい。 幾度か繰り返すうちに背中に衝撃……背後の人にぶつかった。 「ヨォ、虎部。楽しんでるとこ悪いけどヨ、ちょっと面かせヨ」 謝ろうと振り返る虎部の肩をがっしりと掴むジャックの手。 「えっジャックさん何? えっえっ」 チンピラに絡まれた学生のように挙動不審な虎部。撫子が笑うと、つられてか、フランも音を立てて笑う。 つられてジャックの相貌に笑みが浮かぶ、虎部は少しバツ悪そうだ。 「ドラグレットの里だ、念動で飛びゃすぐだからヨ……行こうゼ? マスカローゼが待ってんだヨ」 フランが虎部の袖を小さく引いた。 † ――北嶺、奥深い深淵の谷の底 ドラグレットの里 待ち構えている者に対する心構えができていないか、どうしてもフランの歩みが遅くなる。 虎部の服の裾を掴むフランに撫子が話を振る。 「マスカローゼちゃん……じゃなくてぇ、あなたはフランさん、なんですよねぇ?」 「どちらも私です、全部……覚えています。できれば撫子ちゃんには他人行儀に呼んで欲しくないです」 『駄目でしょうか』と首をかしげる少女。 「そんなことないですぅ、宜しくお願いしますぅ☆」 (叢雲との繋がりはとっくに切れてた筈だ……信じてェンだヨ、俺ァ) 一行の先頭を進むジャックには、内心焦燥があった。 叢雲の力を失った仮面の少女は存在を失った。 叢雲との接続を失っているとはいえ、同じ存在であるマスカローゼが無事である保証はない。 小さな吾妻屋に彼女はたたずんでいた。 それゆえ少女の姿を認めた瞬間、ジャックは緊張が緩み衝動のまま間近に転移し、抱き寄せてしまう。 少女の手が反射的に押し返すが、自らを包む腕が誰のものであるか理解するとともに力を抜き、身を預ける。 「迎えに来たゼ、マスカローゼ……約束通り皆でナァ」 力強く抱きしめる男の向こうにマスカローゼの視界が覗く。 そこには見知らぬ女性と愛憎やまなかった男……そして男に寄り添う自分自身の似姿――フラン。 一瞥で十分だった。あの男はフランを救ったのだろう、叢雲と自身から……そして仮面のマスカローゼ、ましてやフランの分体でしかない自身には入り込む置所がないと直観した。 「叢雲との戦いで君がどれだけ寂しくて裏切られた気分だったかは理解した。俺の中途半端な優しさが君を苦しめたのかもしれない。でも今なら君達を幸せに出来る自信がある。フランと1つになってもいいし、双子のように生きてもいい。君の幸せを探しに0世界に行こう!」 あの男が言葉とともに手を差し伸べる、いつも通り根拠のないが自信だけには満ちた言葉――いや最期には実行した彼にそれは失礼か。 フランの中に戻るのは魅力的な提案ではあった。本体に帰ってしまえば何も思う必要はない、そもそも分かれている現状が不自然だ。 しかし、判断を妨げるものがある。たった一つ本体フランにはない感情。 仮面の少女は、ジャックを見上げた。 「俺にとってお前は娘みたいなモンだ。お前が虎部なり誰なりと2人で歩くようになるまで勝手に守ってやる……安心しろ」 言葉とともにジャックの手がマスカローゼの髪を荒っぽく撫ぜた。 (娘ですか…………少なくとも私との縁は認めてくれると取りましょう) フランの表情が不満気なのがわかる、中途半端な優しさは人を傷つける。 「フランちゃんにとっても、もう1人のマスカローゼちゃんにとっても辛くない結果なら良いですぅ☆ 友達には幸せになって欲しいのでぇ☆」 おそらくフランの友人であろう女性の言葉……彼女には悪いがこの選択は多分最善ではない。マスカローゼは存在を続けるべきではないのだ。 「分かりました私も0世界に行きます……ただ、一つだけお願いがあります」 数日後――0世界の墓所に仮面で面体を覆った女性が確認されることになる。 女性は普段は時が止まったようにただただ佇み続けているが、褐色の部族戦士があらわれた時のみ仮面から覗く唇に笑みを浮かべた。 † 鎮魂の香りは風にのって昇り、やがては雲へと辿り着く。 そして、雲間には竜星が漂っていた。 この小さな天体にはかつてない戦闘の損傷が色濃く残されている。 そして、住民の犬猫達は新しい環境に順応しようとたくましく生きていた。 これまでは稀少だった水と空気は使い放題。その代わりに電力が足りなくなっていた。食料プラントの人口太陽以外のエネルギー使用は厳しく制限され、地下都市居住区画のエアコンは停止した。 彼らは地上に出てきて家を建てる必要があった。 「ひどい有様」だとぼやきたくもなる。相沢優は竜星に降りたって工事中の地上都市を眺めた。 優には力仕事を手伝えるし、ロボタンと一緒であれば機械操作もできる。犬猫に混ざっていい汗がかけそうである。 復興は困難だが、楽しい作業でもあった。 生体ユニットであるところのローナは増殖できるのでコピーを動員して作業を手伝わせていた。彼女が0世界から連れていた魔女っ娘たちの手もある。 魔法少女たちはなにか吹っ切れたかのように作業にいそしんでいた。 彼女が観測したところによるとやはり、今まで砂に混ざっていたヘリウム3がヴォロスの大地めがけ雨で流されてしまっていたようだ。そして、農業を営むには日照が少ない。作物の選定には工夫が求められた。 そんななか伸縮自在少女ゼロは重機として活躍していた。 瓦礫をどかし、整地する。 「振り返ればゼロは竜星に禍となることが多かったのですー」 と、誰にも聞かれないよう一人つぶやいた。今回はあまり余計なことをしないように心得ているつもりだ。 アヴァターラでは持ち上げられないだけの建材を一気に動かすと犬猫達の間から歓声が上がった。 一方のコタロ・ムラタナは手伝おうと意気込んでは見たものの、自らに適した場所を見つけることができずにいた。 筋力はあるものの、機械を誤作動させる彼の体質はどうにもこのシーンと相性が悪い。さりとて、自ら犬猫に声をかけて適所を聞き出すこともできずに立ち尽くすばかりであった。 そうしていると彼は、坂上健に声をかけられた。 「ああ、あんた確かハーデと何度かつるんでいたよな。ちょっとあいつ探しているんだけど。つきあってくれない?」 † 竜星から、何機ものアヴァターラと多足戦車がヴォロスの地上へと降下していった。交易は竜星での生活を大いに好転させるだろう。すでに一部の好奇心旺盛な犬猫たちはヴォロスの竜刻についての調査を開始している。 そう言う意味でも、アルケミシュにほど近い選地は出島として都合がよかった。貿易港からはほどほどに距離があり、ヴォロスへの影響もアルケミシュの神秘で漉せば最小限に留められる。 しかし、犬猫達にそこまでの深慮があるのかと言われれば疑わしい。 例えば、闇商人のランガナーヤキが竜星の製品を売り込んでした。 「こちらのアヴァターラ……ゴーレムですね。はどなたでも乗り込んで扱える巨人です」 甲高いモーター音を響かせてアヴァターラが小屋ほどもある岩を持ち上げる。 「このように力もあります。建築や開墾に大変便利です。もちろん、戦争にもお使いいただけます。今なら、一機に付き100樽の牛乳と交換いたします」 どうやら、このふてぶてしい猫は竜星での建築ラッシュにヒントを得て、アヴァターラを兵器ではなく、作業用重機として売り込むことにしたようだ。 その様子をジューンが心配そうに見守っていた。彼女は、ランガナーヤキ機関がいち早く活動を開始すると見越して、この出島に来たのだ。そして、いよいよ我慢できなくなったのか、声をかけた。 「武器は物珍しいでしょう。けれども話す猫や直立する犬ほど好事家の心を掴む物もないでしょう。貴方達を誘拐し、それを基に武器を奪おうという輩も出てくるかもしれません」 「その時は、おまえ達がどうにかしてくれるのではないのか?」 ロストナンバーは客ではないと言わんばかりの態度である。 「私たちは万能ではありません。それに便利に使われ続けるわけにもいきません。世界を超えた以上、貴方達も世界との関わりを見直す必要があるのではないでしょうか」 ランガナーヤキは耳をかいて、あくびをした。近くにはエレニア・アンデルセンとそのパペットを披露しているのが見える。 「我々の姿は愛らしいからな。ふむ、思い当たることがある。かの小竹もそういうところがあったな。吉備サクラにつきまとわれて大変な目に遭った奴がいると言う話しも聞いている。気をつけることにしよう」 「皆が幸せに暮らせる世界を望むだけです」 ジューンの視線の向こうではエレニアのパペットが愛想を振りまいている。 『猫さん犬さんヴァロスにようこそー。ぼくとエレニアの方が君達よりこの世界に詳しい……つもりだから何かあったら聞いてね!』 他愛もない腹話術だが、物珍しいと犬猫が群がってきた。 『まずはようこそ!』 と、エレニアのパペットが、アルヴァクに伝わる一つの歌を歌い始めた。 他では、カンタレラも歌を披露していた。 彼女は壱番世界で覚えてきたマザーグースを犬猫に教えようとしていた。 そして、十分に犬猫が集まってきたら、今度は大人数で楽しめる祭りの踊りに切り替えた。 マイムマイムから始めて徐々に、複雑なものに進んでいく。 想像していたよりは犬の飲み込みは早いようが、猫のほうは少々脱落気味だ。集団行動に適しているのは犬なのだろう。 そして、ケルト舞踊の一幕を踊りきったことろで犬の輪の中から、クージョン・アルパークが洗練されたスタイルで進み出てきて、カンタレラを抱きかかえた。カンタレラは驚きに硬直しているままだ。 「やあ、久しぶり」 犬猫が見守る中で、熱い接吻が交わされた。 普段は余裕を持った美人に見えるカンタレラが顔を真っ赤にしてクージョンに甘えたパンチを見舞い、状況を理解した犬猫たちがやんやとはやし立てた。 「竜星からヴォロスを見下ろしたときの君の横顔があまりに美しくてね。天啓が舞い降りたんだ。そして、私は風に導かれたのさ」 カンタレラがクージョンを押し倒すと、おもしろがって犬猫たちも上に乗っかってきて、ちょっとした小山ができた。 押し合いへし合いしていると、二人は胴上げのように犬猫たちの頭上に押し出されて、もこもこの海を泳ぐことになった。 そうこうしているうちに、神竜都市アルケミシュにも犬猫の騒動が伝わったか、この小さな盆地にも群衆――とめざとい商人達がちらほらと押し寄せてきていた。 チャルネジェロネはまだ寝ている † ――そのころ竜星 吉備サクラは相沢優にぼやいた。 「雲の中を歩くって憧れてたんですけど……体験したらそんなに素敵じゃなかったです。湿っぽいというか暗っぽいというか……もっと明るい薄い水の中を想像してました」 さもありなん、実体としては高山で霧に捲かれるのと大差ない。じわじわと服に水滴が溜まっていき体温を奪う。下着が肌に張り付いて不快でもある。 であるからこそ計画的な休息も必要だ。 疲れた犬猫は地下都市に引き返して、身を寄せ合っていた。暖かくはなったが大変な湿度である。サクラと優はそんな彼らに混ざっていた。 優はパスホルダーにしまいこんでいた大量の弁当を取り出し、犬猫達に差し入れとして出す。タマネギなど犬猫に有害な食物はちゃんと抜いてあるがんばりようである。 「見ているかい卓也。犬猫達はきっと幸せになれるさ」 そして、食べ終わって眠くなった犬猫にはブラッシングとマッサージをサービス。ついでに自分ももふもふを味わっていた。 一方の、サクラは飯も食わずに思うさま猫をブラッシングしていた。 「この前ひたすら猫さんたちをブラッシングして目覚めちゃいました……おネコさま最高です!」 「ほどほどにしろよ。この子たちは疲れているんだからな」 優は犬を枕にして、腹の上に猫を載せて寝る姿勢。 「それにしても防水対策はなにか考えないとね」 「防水対策、ですか? 確かにこのままじゃ擬神だって動かなくなるかもしれませんよね。幻覚や裁縫じゃ……お役に立てないですよね……」 水害が深刻と言えば、温泉が湧き出たシュンドルボン市では早くも隔壁がさびて動かなくなるという被害が出ていた。これというのもあふれ出た温泉水が生活区画にまで流れ込んできたからである。 ニコ・ライニオは当然のように温泉に来ていた。 「前来た時は素敵な温泉もあったのになぁ。どうせ復興するなら、温泉もどうかな?」 そう言う趣旨で、彼は水路の整備を手伝っていた。例によってナンパ目的なのかはっきりしない。彼は犬猫の女の子と作業ができて楽しそうだし、彼女たちも(知らずに)ニコの竜の加護をうけていた。 程なくして、温泉水の余剰は都市の外に排水できるようになった。 「コーヒー牛乳なのですー」 ゼロは持ち込んだコーヒー牛乳を巨大化させ、温泉復旧記念に振る舞っていた。 「扇風機に向かい『ワレワレハウチュウジンダ』が作法なのですー」 おもしろがって犬猫たちとニコも加わる。 「『ワレワレハウチュウジンダ ギンガテイコクカラキタノデスー』」 「『ワレワレハウチュウジンダ ヴォロスノヒトビトヨヒレフスガヨイノデスー』」 この後、ゼロがこの世界に持ち込んだコーヒー牛乳の風習がひそかに広がることになる。かつては庶民にはなかなか手が届かなかった牛乳も今では、ヴォロスの地上から買い付けることができるからだ。 ときおり真理数をなくした犬猫が見つかる。発見してはニコは彼らをロストレイルに案内して難民ビザを与えてまわった。 そのうち、何名かは0世界に移り住むことになるのだろう。 のんきな犬猫たちだがその軍事力は壱番世界のそれを遙かに凌ぐほどである。せまる旅団との決戦には欲しい。 外では、脇坂一人が荒涼とした大地を地道に耕していた。ソア・ヒタネも手伝っている。彼女は牛に変身し鋤を引いていた。猫がソアの上にまたがってる。 脇坂は農地に邪魔な石や木などを退け、鍬で耕す。 「上半身だけでやると体を痛めるわよ。足腰に力を入れて」 脇坂は農業計画を尋ね、計画立てに協力していた。犬猫たちは真剣に聞き入っている。ついでにソアも聞き入っていた。 「今は私が教えますけどね。農業の基礎を。貴方方のプラントと違って外は自分たちで条件を決められないのが違うのよ。まず、日照が問題ね。それから水はけの悪い土地でも育つ作物。じゃがいもかしら」 「米は無理そうですね。わたしは草でも十分なのですが、皆さんはせめて穀物の方が良いですよね」 そして脇坂は、いずれヴォロスの住民からの農業指導を受ける事を提案した。広いヴォロスならこの過酷な風土にむいた作物も見つかるであろう。 「慣れない作業で今は辛いでしょうけど、ご先祖様もやっていた筈よ。大丈夫、できるわ。さ、休憩にしましょうね」 ソアはもう一往復と、猫を乗せたまま鋤を引き、犬たちがその後を追いかけてきた。 そして、人間形態に戻ると分厚い雲に覆われた空を眺めて呟く。 「これで、お日様の光がいっぱいあればいいのにな……」 そうして、駄目元とトラベルギアの『晴れ』の花飾りを空に向かって投げてみる。雲にすきまが生じて無数の瞬きが見えた。 「星? もうそんな時間でした?」 「ディラックの空よ。竜星は叢雲の次元にあるの。だから、ヴォロスが晴れたときは竜星はディラックの空が近くなるわ」 ワームは慧竜に阻まれるとは言え、それがこの星の置かれた立場である。 犬の最高指導者であったポチ夫はそのことを理解しようとしていた。 彼は、リーリス・キャロンの訪問を受けてる。 「ポチ夫さんたちがどうするか気になったの。ポチ夫さん達の神ではないけれど、神と見紛う『人』と同じ世界で暮らす事になったんだもの」 犬たちの神殿は新たな方針を未だ打ち出せていない。 「竜星が砕かれ、新たな生き方が必要になったんだもの。みんながこれからどうするか、気になるに決まってるわ。全てを私たち主導でやる気はない、でも出来る範囲で貴方たちの力になりたい…その想いは変わらないわ」 「対等な友……と言うのでしたね。我々はその概念を早急に学ぶ必要がありそうです。あの戦死したテロリスト……ボーズはそんなことを言っていましたが、まさかこんなことで彼の言うとおりになるとは」 「幸せになりましょう、一緒に…うふふふふ」 † ――神竜都市アルケミシュ 寝ているチャルネジェロネに、恋人たちが腰掛けていた。 クージョンとカンタレラは各々が買ってきた「元祖・肉球まんじゅう」と「本家肉球まんじゅう」半分に裂き、互いに交換、合体させ「元祖・本家肉球まんじゅう」にして食べていた。お互いしか見えていない二人は、チャルネジェロネの使い魔のスィルとヤフの威嚇には気付いていない。 「新しい世界には新しい味だよね」 「あなたのキスからも新しい味がしたわ」 アルケミシュの神殿でも祭りは続いている。 一通り巡礼者に祝福を与え終わるとイルファーンは難民達の集っているところに赴いた。マスカローゼに故郷を滅ぼされた者の嘆きを聞き、親身になって慰め人が必要だと考えた。 「哀しみは癒えずとも明日は必ず巡りくる。希望を忘れないで」 そして、マスカローゼの故郷を訪ね焼け跡一面に一つ一つ種を撒いていった。 「魔法で花を咲かせるのは容易い。人の倣いでこの地の復興に携わりたいんだ」 屋台の方ではティリクティアが桂花に絡まれていた。 「だぁからぁ、飲めりゃ何でもいいのよ!お祭りなんでしょう!?飲み比べだってありゃ参加するわよ、私は!?」 「私は未成年よっ」 桂花がさかんに勧めるスキットルからアルコールとハーブに入り交じった強烈な臭いが立ちのぼっていた。鼻に寄せられる度にティリクティアは気分が悪くなる。桂花はそれを、ちびちびと煽っていた。 酔漢の目がきらりと光る。射的だ。 「へぇえ、面白そうな物やってんじゃない。飲んでたって当てるわよ、私は」 銃は、バネで石を飛ばす簡単なものだったが、桂花には十分であった。酒瓶だけを狙ってすべて落とした。 「年季が違うのよ、年季が……」 小竹への挨拶を済ませたレクは、ベルゼたちと祭りを巡っていたが、暴れる桂花に気付いてそっと天幕の陰に隠れた。 「ベルゼ、行ってこいよ。おめー酒飲みたいって言っていただろ。オイラは未成年だから他当たるぜ」 そう言っている間に、ワードが桂花たちに声をかけていた。キリルが慌てる。 「おいおい、みんなはしゃぎすぎだよ」 結局、ティリクティア、桂花、レク、キリル、ベルゼ、ワードの六人は、ベルゼの持ってきたシートに車座になって飲み食いすることになった。 レクは必死で串を口に詰めている。そして、ベルゼは桂花と張り合うように酒を飲み始めた。 うろこ雲が船だったり、らくだだったり多彩な姿に変わっていく、雲手操りの術者たちの芸が始まったのだ。 ティリクティアが近くの術者に求める。 すると、雲が壮麗な竜の形を取った。 ベルゼは大の字にひっくり返ってその竜とその向こうに浮かぶ竜星を見上げた。 「……ったくよー、小竹のヤロー、せっかく俺が大活躍するチャンスだったってのによー、あの変態おいしいトコぜーんぶ持っていきやがってチクショウ」 ちまたではイテュセイが噺を披露している。 「……こうして慧竜は旅の青年に『年に一回、我が欠片を集め我を呼び出しし者の願いを叶えよう』と告げ、ヴォロスの各地に108つの球体となって散らばっていきました。それが竜刻ボールなのです。しかし竜人・獣人には決して触らせぬようにもいいました……」 通りがかるロストナンバーは鼻で笑うが、子供たちにはウケたようである。中には真剣に聞き込んでいる山師風のもいる。 ちょっとしたつかもうぜ竜刻ボールブームを巻き起こっていた。 「神が歴史を作るんじゃない、人間が作るんだ」」 ムシアメは道具故に信心はないが、何とはなしに慧竜の礼拝堂に来ていた。 「インヤンガイでちょいと一緒しただけやけどさ。お別れ、言い損ねたんやもん。だから、ここへ来たんやで」 小竹はん。あんさん、尊敬できるやっちゃ。犬猫、救いよったから。 わいには到底、できそうにないことや。だって、わいは人を傷つける呪術道具やで。 「またここに来て、土産話でもしたろかな」 宴会は続いている…… ベルゼはすっかり泣き上戸モードだ。 「チクショー! めっちゃカッコ良かったぞ小竹ぇーっ!(えぐえぐ)だが許さん、テメーにゃ夏の聖戦の戦利品はひとっつも見せてやんねーからなっ! 」 雲手操りがクライマックスを終え、辺りが静寂に包まれると静かに祈りの時間が始まった。 キリルはその雰囲気に耐えられなくなった。 「本当に卓也は、竜、竜になっちゃったんだね。ぼく、ぼくにとっても、大切な配達仲間だから……寂しい、寂しいな。でも、でも卓也の願い……竜になりたいって願い、知ってるから」 神竜を讃える文言が流れてくる。そして、涙がまなじりに溜まっていった。 「知ってる、から……。みゅぅ~……っ みゃああぁ~~っ!」 しがみつかれたワードはそっと見守ル役を演じている。 二人のカラ元気がどうしても伝わってくるからだ。 「二人とモ、卓也とは仲が良かっタからなァ、好きな人とのお別レ、寂しい気持チ、よく分かるヨ。結局、二人とも泣いちゃっテ、挨拶どころジャなくなっちゃったけド。卓也、二人と仲良クしてくれテ、ありがとウ。お休ミ」 そして、そっと泣きじゃくるキリルを抱きしめた。 エアレイが空を舞っている。 ――何れまた、我はこの世界へ訪れる。そしてそなたに、ターミナルの様子や他の世界の事を伝えよう。故に別れの言葉は必要ない、そうだろう? ――言うならば、そうだな……お休み、卓也…… 雲間の向こう、竜星の彼方。ロストナンバーたちにはディラックの空を雄翔する竜を幻視した。 竜神はいまもこれからもワームの侵攻からヴォロスを守り、大地に息吹を送っている……と、それはまぎれもなく小竹卓也そのものでもあると
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