イラスト/渡辺純子(imxb9171)
久しぶりに体が空いた。 リエ・フーはのんびりとした足取りでターミナルを歩く。「ふ、ん」 見上げた空は青い。街並は穏やかで明るい。最近でこそ旅団やファミリーのあれこれでがたついてはいるが、それでもここは平穏だ。「ふん」 今度は少し強く息を吐く。 細めた瞳の奥に苛立ちが見えてしまうだろうか。柔らかでほのあたたかな暮らしに飽き飽きしてると友人達に気づかれてしまうか。 世界の狭間をくぐり抜け、依頼をたて続けに受けて出かけるロストレイルに乗ると、自分の胸底がほっとする。しなやかに危険を擦り抜ける、その興奮がリエの暮らしに欠かせないのは、生まれ育ちから来ているのかもしれない。「……新しい依頼が来てねえかな」 司書達を一通り当たってみるか。 駅前広場でくるりと向きを変えたとたん、視界を横切っていくアストゥルーゾに気づく。「あいつは…」 確か太太の『エメラルド・キャッスル』に忍び込んだ時、ノー・ボディとやりあってた本体不明の化かし屋とか名乗っていた奴じゃないか。 今の姿は色とりどりの布をばさばさと体に纏った、十代の少女のように見える。とはいえ、閃く布の隙間から見える体は、何だか獣人のようなふかふかした毛並みだったり、煌めく鱗だったり、どうにも普通じゃない。ターミナルにいるからこそ、極端に注視もされないだろうが、他のどの世界に行っても目立つのは目立つだろう……異世界の片鱗を集めているような姿だから。 だがいつもより、なぜか布の動きがもたついている気がする。気配が暗い。「おい」 声をかけたのは気まぐれだ。 ぴょい、と顔を上げた相手が満面の笑顔になっていきなり駆け寄ってきた。「え、お、おい?」 名前は呼んでない。来いとも言っていない。誘ったわけでもない、ただちょっと、その沈んでいるような気がしただけ、ほんとに声をかけただけだよな? あんまりにも無防備にまっすぐに駆け寄ってくるばかりか、意外に素早く、ついでにあっという間に数ミリ単位の近さまで顔を近づけられて、さすがに体を引いた瞬間、首に小さな衝撃が走った。「…っ」 とっさに体を交わして手を出した。相手の纏った布を掴んだ、と思ったが、布はぱらりと解けて指先から消えた。「てめえっ」「へええ、これ綺麗だねえっ」 アストゥルーゾが嬉しそうに差し上げたのは、母親の形見の勾玉。「傻瓜っ」 吐き捨てたのは相手というより自分に対してだ。依頼で同行したからと気が緩んだなどとは言い訳だ。甘くなっている防御に舌打ちする。「返せ」 正面から手を突き出し、相手の隙を狙ったが、戻ってきたことばは余りにも予想外だ。「返して欲しかったら今日一日僕に付き合って♪」「は?」「デートデートv」 お前デートの意味わかってんのか、それを奪った時点で成り立たねえんじゃねえのか、そう突っ込みたいところだが、アストゥルーゾは勾玉を手から滑らせてするりと布のどこかへ隠してしまった。「ちっ」 傻瓜。 もう一度繰り返しながら、アストゥルーゾのあれこれを思い出す。 あの布は攻撃もできた。変形し、思わぬところからも飛んでくる。いっそひっぺがしちまえばいいのか、それとも、ひっぺがすと、そこには何にもない空間だけがあるってことなのか。或いは、あの布そのものがアストゥルーゾだってことさえあり得る。「わかった、降参だ」 リエは両手を上げてにやりと笑った。「今日一日付き合う、それでいいのか?」「うん、デートが終わったら即返すね♪」 それも本当かどうかはわからない。隙を見て奪い返す手も考えておく必要がある。「で、こっからどうする?」 上機嫌のアストゥルーゾに尋ねつつ、デートとはほど遠い、けれど浮き立つ高揚感にリエも笑み返した。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>アストゥルーゾリエ・フー=========
こっからどうする、そう尋ねたリエ・フーに、アストゥルーゾは目の前で姿を変えてみせた。 「デートの前に〜、姿釣り合わせといたほうがいいかな」 呟きながら変身したのは、黒のショートボブヘアのアジア系の少女、黒目がちの漆黒の瞳を瞬いてリエを見上げてくる、身長差5センチというあたりが、小憎らしい。見下ろしたリエににっこり笑う牡丹の唇、ざっくりしたリエの格好を軽く弾くフレアのミニスカートは紅色、白いタンクトップに羽織った短めの黒ジャケット、見えそうで見えない谷間あたりにいつの間にかリエの勾玉を下げているのが、ますますしたたかだ。 「よし完了、んじゃいこ? リーエちゃん♪」 ふんふん、と軽く鼻歌まじりで腕を絡めてくると、風になびいたボブから柔らかな香りがした。これはこれで悪くない、そう目を細めたリエを相手はハイテンションで裏切る。 「こっから? うーんそりゃまず、デートの定番! 服屋に行って、リエちゃん用にふわふわのおしゃれなワンピでも……」 「おいおい」 それじゃあ、女二人がいちゃつきながら歩くって、とんでもない光景になっちまうじゃねえか、と突っ込む前に、 「え? そっちの趣味はない? いや〜ん、めちゃくちゃ似合うのにぃ!」 やんやんやん、と赤い唇を尖らせながら身を揉んでみせるから、つい苦笑が零れた。 「何考えてんだ? ったく」 「むー」 だってえ、と拗ねる横顔は無邪気そのものだ。リエの腕にぶら下がろうとするような重みと温みも意外に悪くない。駆け引き上等、手練手管はうんざりするほど身についているが。 (妙な成り行きになっちまったな。まあいい、腐れ縁だと思って腹括るさ) そんな気持ちになってしまったのは、リエにしても意外だった。 「で、どこ行くよ? デートなら形だけでもそれらしくしたほうがいいだろ」 おや、びっくり目だ。零れ落ちそうな瞳がまさかと言いたげで、ついことばを継いだ。 「折角だ、俺の一押しの店紹介してやる」 とっておきの誘いなのに手応えが弱い。てっきりはしゃいで乗ってくるかと思ったのに、薄ピンクの頬から訝しげな色が消えない。 何だかリエも少し意地になった。 美貌と手管で評判だった母親から受けた薫陶、これ以上楽しんだ時間はないと吐かせていくらの娼妓、小娘一人を退屈させるわけにはいくまい。 「ここだ」 ターミナルの一角、細い路地を入り組んで入った先、木枠を組んだような門扉を擦り抜ければ、奥には和やかな談笑が満ちる庭園がある。 「本格的な飲茶と点心が売りなんだぜ。いかにも穴場って感じだろ?」 物珍しげに周囲を見回すアストゥルーゾをエスコートしながら、リエはことばを重ねた。 「通なら違いがわかるはずだ」 そこここに庭先へ軽く張り出した舞台のような薄暗いテラスがある。それぞれのテラスは植木と木枠のパーテーションで囲まれており、庭園へ向かって開いている小部屋のような趣きだ。揺らめく明かり、銀色の灯皿を載せた陶器の机、薄い座布団を引いた陶器の椅子に二人が座ると、すぐに茶器が運ばれてきた。 「これでも娼館の生まれだからな、茶を淹れる作法はお袋にたっぷり仕込まれた」 話しながら、リエは滑らかな手つきでこっくりとした茶色の茶器を扱う。 花鳥風月をあしらった盆に載せられた茶壺と小さな茶杯。壱番世界で言うところの急須とコップのようなものか。その両方を湯で温め、湯を捨てて茶葉を入れる。 ひらりと舞ったリエのしなやかな手が高いところから湯を茶壺に注ぎ、またすぐに中の湯を捨てる。まずは茶葉を開かせるためだ。柔らかな香りが立ちのぼる茶壺に再び湯を注ぎ、蓋をした茶壺の上から湯を回しかけた。今度はじっくり味を深める。数分むらし、中身を茶海に絞りきり、そこから茶杯に注ぎ分ける。 「さあ召し上がれ」 さっきまでのテンションはどこへやら、おずおずと茶杯を手にとり、唇に近づけたアストゥルーゾが一口含んで幸せそうに顔をほころばせた。 ターミナルで見かけた気配の暗さが一気に霧散していくようで、リエも何かほっとする。 「胡麻団子や杏仁豆腐、甘味もお奨めだ」 メニューを顎で示してやる。 とりあえず、胡麻団子は頼んでやるかと注文をしかけると、急いでメニューを開いたアストゥルーゾがなお顔を明るませ、ぶち切れた。 「ご飯は奢り! キャー男前!」 おい、いつ誰が奢るって言ったよ、そう呆れるリエをよそに、 「 だいじょぶだいじょぶ! いつもより控えめに行くから……えーと、じゃあ手始めにこれとこれとこれを3人ま………あれ? まだ多い?」 「……ああ、奢ってやるよ」 肩を竦めて頷く。 一気にしゃべってきょとんとして見せる相手の顔は演技の匂いがした。緩みかけた自分の本音を覆い隠す騒ぎの本質、痛い部分はわかっちゃいるが、そこには触れる気もない触れてほしくもない、そういう距離感もまた、リエは扱い慣れている。 「ところで……あんた、何にでも化けられるって本当かい?」 依頼で見かけた能力を話のネタにする。 「アリッサやリベル、ヴァネッサなんかにも化けられんのか?」 「ん。もちろんだよ!」 振った話にアストゥルーゾはきゃいきゃいと乗った。 「おもしれえ、いっちょ俺に化けてみてくれ」 「リエに? じゃあこんな感じで」 どろん、とどこかで効果音が響いた気がした。 白い煙こそ上がらなかったが、黒髪ボブの艶やかな少女がジャケットの腕を翻し、同時にわさりと布が動いたような気がした次の瞬間、リエは皮肉な微笑を浮かべる自分と鼻付き合わせて爆笑する。 「ははっ、驚いた、双子みてえに瓜二つだ!」 「そうかい? 俺とあんた、そんなに似てんのかい?」 肩を少し上げる仕草、全く俺にそっくりだ、そう思いつつも、話題は計算づく、リエと自分を見比べるアストゥルーゾが視線を逸らせたとたん、 「……っと、隙あり!」 アストゥルーゾの虚を突いてジャケットの内側に見え隠れしていたナレッジキューブをスった。 「イヤーンエッチィ、お楽しみはもちょっと後でね♪」 リエの顔のままで、アストゥルーゾはとっさに胸を抱え込み、けれども胸元にはまだ確かに勾玉があるのを確認して、今度は本気で不思議そうな顔になった。 「あれ?」 てっきり勾玉を狙われたと思ったのだろう、アストゥルーゾはくすくす笑うリエの指先のナレッジキューブに目を見開く。 「ひっどおい! それ、俺のだもんっ!」 「その格好で『ひっどおい』とか『だもん』はやめろ、見てられねえ」 自分がまるで女の子のように唇を尖らせて拗ねる顔に苦笑いしながら、リエは続ける。 「交換条件だ。返してほしかったら勾玉渡しな」 「むー」 そんなことしたらデート終わっちゃうじゃんかリエのばか女の子の気持ちなんか全然これぽっちもわかってないんだから唐変木。 アストゥルーゾ は全身でぶつぶつ抗議する。 またわさりと布が視界で崩れたような印象があって、元の黒髪ショートボブに戻ったアストゥルーゾに、そもそもあんた女でさえねえじゃねえかという文句はさておき、何だか涙目になっているような気配に、茶を注ぎ足して話しかけた。 「なああんた、ここでの暮らしはどうだい」 「ここでの暮らし?」 「気に入ってるかい。ターミナルにゃ色んな奴がいる。人も人じゃねえ奴も……」 「リエは?」 ぷくんと唇を尖らせて問う相手に、茶杯を干した。 「俺? ………そこそこ気に入っちゃいるが、たまに昔が懐かしくなる」 「昔って?」 「度胸と悪知恵頼みで修羅場を切り抜けてきた愚連の血が騒ぐんだよ。われながら難儀な性分だぜ」 新たな茶、それを注ぐ自分の手つきに、ターミナルでの時間の長さ、もういなくなった人達の影が脳裏を横切った。 ほろり、とことばが零れ落ちる。 「俺はコンダクターだが、ツーリストはやっぱ故郷が恋しくなったりすんのかい。実際どんな気分だろうな、故郷に待っててくれる奴がいるってのは?」 リエを待つ者は、もうどこにも、誰もいない。 「…僕、は」 ふい、とアストゥルーゾは顔を背けた。伸びた首筋に絡む勾玉のネックレスが、薄暗い灯にそこだけ光って艶かしく見え、リエは首を振った。 「俺とした事が、年寄りじみた事言っちまったぜ。忘れてくれ」 ぼちぼち行こうか、と立ち上がり、見上げてくる相手に笑う。 「リエ」 アストゥルーゾがふいに手を掴んできた。 「行こ!」 「は?」 「最後の取って置き、秘密のチェンバー!」 「お、おい!」 ひったてられるように店を出て、連れ込まれたのは地平線まで黒い大地の続く荒野のチェンバーだった。 からんと広い空、どこからともなく吹き付けてくる風、お世辞にも美しいとか寛げるとかいう代物ではない、けど。 「素敵な花園―――予定地!」 隣で仁王立ちしたアストゥルーゾは、紅のスカートを風に翻しながら、まっすぐに彼方を見ている。 「はあ?」 「…ふふん、今はまだ真っ黒殺風景な荒野だけど、いずれこんな環境で育つ花を育て上げる予定なんだよ」 「そりゃ遠大な計画…」 「…まぁ故郷に似たとこがあってね、そこを再現してもらったんだ、ホームシックってやつ、いい年してはっずかしーでしょ?」 どこまでも明るく、どこまでもテンション高く、どこまでもあっけらかんと言い放つ、それでもアストゥルーゾの瞳が見つめるのは遠くの地平よりなお遠く。 「今、いろいろ騒がしいからね。司書さん達も忙しいし。元の世界の情報、何にも届いてこないんだ!」 あははっ、と笑い声が続く。布に包まれた人だが何だかわからないものに戻りながら、わさわさと布が手を伸ばすかわりのように天に向かって揺らめき、そのどこからか、なおも明るい声が響く。 「ま、テンションが偏りすぎちゃうと仕事に支障でちゃうからさ、リエちゃんに手伝ってもらっちゃった、ごめんね、はいこれ、もう取られちゃダメだよ?」 布が近づく、差し出したリエの手に落とされた勾玉、それは元々の現物ではないけれど、元の世界の記憶を映し込んだもの、けれどアストゥルーゾにはそんなものさえなく。 (そうか、だからこいつはターミナルであんな顔して歩いてたのか) 納得しながらリエが勾玉をつけ直していると、唐突にくるん、と布の中から白い顔が振り返った。澄んだ大きな瞳、意外に可愛らしい表情につい目を魅かれていると、アストゥルーゾは歯を剥いて元気に笑う。 「ニヒッ、今度はやな顔なしで一緒にあそぼーね♪」 「っ」 どきりとした。 (ああ、こいつ、気づいてたんだ) リエが腐れ縁だと思ったこと。 僅かに怯んだリエの鼻腔に、深く豊かな気品ある茶の香りが蘇る。 (こいつはあれを喜んだよな?) 少なくともあの一瞬、アストゥルーゾは嬉しそうに笑ったはずだ。 リエが淹れた茶は、アストゥルーゾを喜ばせたはずだ。 お互いに納得ずくのデートごっこ。 それでも。 「今日は楽しかったぜ」 気がつくと、そう笑い返していた。 「たまにゃこんな日があってもいいな」 「えへへっ」 アストゥルーゾは、いずれチェンバーに広がるという花が咲くように笑った。
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