問い。 なぜ手錠を嵌めてるの?「困ったわ」 肩までのストレートの黒髪、金の瞳、黒いセーターとスカート、ショールとレギンス、ボアつき黒のショートブーツ、そして手首に手錠、ただし片手だけ。 村崎神無は今盛大に悩んでいる。 いつもは両手首に手錠をかけ、その手錠の鍵を首からかけ、0世界でひっそりと目立たぬように大人しく過ごしているのだが、今はそうしてもおられない。 手錠の鍵がなくなったのだ。 とにかく住んでいる部屋はしっかり探した。通った場所はもちろん探した。通りそうな可能性のあるところもきちんと探した。あえて全く通りがからないようなところも一応探した。 おかげで、いろいろ見知らぬ場所を訪れることができて、それはそれで収穫だったかもしれない、が、目当てのものはどこにもなかった。「どうしよう」 左手を上げて、プランとおもちゃのように頼りなく揺れる手錠を眺める。 両手に嵌まっていないととても不安だ。自分が何かとんでもないことをしてしまいそうな気がして落ち着かない。 以前の依頼で壊れてしまった後、インヤンガイでようやく見つけたものはやっぱり少し大きめだった。服の脱ぎ着に不自由するからと、一旦外したあの時に、鍵も一緒に置いていたはずだったのに。それともショールを外した時に引っ掛かってしまったのか。「…もう少し探してみ…あ」 めったにそんなことはないのに、きょろきょろしつつ角を曲がったところで誰かにぶつかった。翻った手、煌めきながら円弧を描いた手錠が、とっさに神無を支えてくれたしなやかな腕にぶつかり、魔物のように口を開けて、相手のもう一方の手首をくわえこむ。 ガチャン。「えっ…!」 空いていた手錠はやや大きすぎるのが災いして、相手の手首にぴったりと合ってしまったようだ。うろたえて見上げると、相手は黒髪に眼鏡のスーツの男性、突然の異常事態に慌てた風もなく、戸惑った顔で手錠が嵌まった手首を眺めている。落ち着いていて、理知的で、頼りになりそうな大人のひと……だが、手錠からゆっくりとこちらへ移してきた視線に何か底知れない雰囲気を感じる。「ふふ」 ふふ? 今微かに笑わなかったか、この人は。 細められた瞳に魂を持っていかれた気がして唾を呑む。竦む。怖い。この人に繋がれていることが怖くて……なのに、なぜだろう、嫌な気分じゃない。 神無の視線に気づいたのだろう、相手がこちらへ視線を向けた。「えーと?」 穏やかで柔らかな声が優しく尋ねる。「これから私はどうしたらいいのかな?」 問い。 なぜ人を殺すの? 色白細身、ダークスーツに眼鏡、紫の瞳は端整な顔によく映える。どうした成り行きか、たった今、見知らぬ可愛い少女に手錠をかけられた、ただし片手だけ。 那智・B・インゲルハイムは今盛大に楽しんでいる。「ふふ」 那智には一つの嗜好がある。それを公にはしていないが、あまり世間に歓迎される類のものではないことは熟知している。それに関わるのを大変好むが、依頼で認められない限り、ヴァイオリン型のトラベルギアが音色とともに活躍することはない、そのあたりがいささか残念だ。だがもちろん、それに別方向から関わることもできる、殺人事件を追う探偵として。 今はそのあたりで宥めている自分の本性を、突然かけられた手錠が暴き立てたような気がして、笑みが漏れた。 角でぶつかった少女を抱きとめた左腕、そこに右手をかけて、少女は驚いたように金の瞳を見張っている。薄く開いた唇は愛らしい、静かな面立ちは地味めだが、かなりの美人だ。なのに、昼日中から手錠をつけて歩き回るとは? そういう趣味だろうか。苛めてほしくて、その餓えを満たそうとして、相手を探し回っているのだろうか。 そういう輩なら放置しておきたい。相手の隠された欲望にこちらが手間暇かけて大人しく従ってやるほど、那智はお人好しではない。 だが、この少女には。「えーと?」 意識的に穏やかで柔らかな声で優しく尋ねる。「これから私はどうしたらいいのかな?」 応えなど聞くまでもない。 苛めたい。 ひょっとして、ヴァイオリンを濡らす血に染まる世界は、この気持ちの果てにあるのだろうか。 急いで出向いた鍵屋は、珍妙な二人連れに驚かなかった。ターミナルではいろんな意味で何でもありだ。だが、鍵屋は積み上げた小箱を示して謝った。「ごめんよ、お嬢ちゃん」 ほらさ、ターミナル復興騒ぎでさ、なくした鍵だの新しい鍵だの古い鍵の修理だのがこんなに溜まっちまってるんだ。「とりあえず型は取るけどさ」 手錠を眺めて鍵屋は粘土のようなものを押し込み、続いて何かの機械で手錠を挟んで、映し出された画面に首を傾げた。「これ、特注品だな。しばらく時間がかかるよ、今すぐには無理だ」「そう。困るけど仕方ないね」「ご、ごめんなさい……! 私が手錠なんてしてたせいで、こんなことに……」 どうしよう、と困り顔の神無に、那智は優しげに笑い返す。「大丈夫だよ、今日は急いでいない」 静かにそっと付け加えた。「充分時間があるんだ」 二人を繋ぐ手錠に視線を落とし、もう一度神無の瞳を覗き込む。「充分、ね」 ウィンクされた後、くん、と手を引っ張られて神無は瞬きする。 今、この人、手じゃなくて、手錠で私を…。「名前を教えてほしいな」 私は那智・B・インゲルハイム。名乗られた瞬間、再びくん、と手錠を引かれ、神無は手首に走った痛みに顔をしかめた。乱暴なやり方のはずだ、いくら神無のことを怒っているにせよ。「私は…村崎神無」 相手に歩み寄って、手錠の痛みが緩むとほっとした。が、それを狙ったかのように、那智が再び手首を引いて、手錠で神無を引き寄せて痛みが走る。「いた…っ」 思わず訴えてどきりとする。痛みを誰かに訴えるなんて、いつからしていなかっただろう。「ああ、ごめんね」 ふい、と那智が体を寄せてた。手錠が緩む。痛みが消える。 不安になる。「とりあえず、どこかで休もうか」 歩き出す那智にすぐに付いていかなかった。手錠が引かれ、手首が擦れる。訝しげに振り返った那智が、何かを悟ったように目を細めて笑い。「おいで」 ぐっ、と強く手錠を引いた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>村崎 神無(cwfx8355)那智・B・インゲルハイム(cyeu2251)=========
「あの…これから、どうしましょうか」 歩きながら、神無はおそるおそる那智を見上げる。 「そうだな……村崎…いや、神無くんはどうしたい?」 「あの、私は」 思わず二人を繋いでいる手錠を見下ろした。神無の右手、那智の左手を結ぶ金属の塊はぎらぎらと妙に生々しく猛々しい光を放つ。自分が嵌めているときはそんな風に感じなかったのに、と慌てて左手でショールを解いた。繋ぐ手錠の上にかけておこうとしたのだが、 「逆に目立つんじゃないかな」 「えっ」 意図を見抜いたように呟かれてどきりとする。 「普通に振舞っていれば、それほど気に止まらないだろう。もちろん、想像を逞しくする輩は居るだろうけどね」 「想像…?」 「たとえば神無くんが探偵で、私は犯罪者…人殺しなのかも知れない、とか」 那智は薄く笑う。 「そんな」 神無は思わず眉を寄せた。そうだ、それもあり得る。ならば、やはりできるだけ人気のない場所に行きたい、行くべきだろう。こんな姿で歩き続けて、巻き込まれただけのこの人に変な噂が立ってしまったら申し訳ない。 「冗談だよ」 那智は楽しそうにくすくす笑った。申し訳なさそうな態度や、最初に手錠を引っ張った時の反応で、苛められたいわけではないらしいが、生真面目そうな表情にはついつい悪戯心が刺激される。 「それより、お腹が空いたな。食事をしようか」 「えっ」 「ほら、あそこのカフェ。おいしそうなメニューがある」 わざわざ、通りに面した場所にパラソルを広げ、テーブルを並べている店を指差し、慌てる神無に微笑みかける。 「一緒にお願いできるかな」 お願いできるも何も、繋がっている状態だから当然なのだが、少し困り顔を作って相手を覗き込む。 「私は右利きでね」 このままじゃきちんとした店では食べられない、と続けると、神無がためらった挙げ句、肩を落とした。 「わかりました…ご一緒します」 「ありがとう」 なんて素直なんだろう、と那智は微笑む。 「サンドイッチメニューがないなんて、珍しいよね……あ、次はサラダがいいな」 「あ、はい」 那智の指示通り、神無は急いでフォークに赤かぶスライスとレタス、玉ねぎ薄切りを刺して、相手の口許に運ぶ。やっぱり申し訳ないから、左手で食べてみるよと申し出た那智だったが、ばらばらとテーブルや床に零すばかり、見かねて神無は手伝いを申し出た。通り過ぎる人々がまず那智の美貌に目を止め、続いてテーブルに置かれたショールに手を突っ込んだままの二人を認め、最後にあーんと口を開く那智に食べさせる神無を何とも言えない顔で眺める。 恥ずかしい。 神無は紅潮してくる顔を必死に周囲の視線から背けながら、次に示されたスパゲティを巻き付ける。それでもさっきよりはまだましなのだ。テーブルに置くと目立つと下に降ろそうとした手を、だるいからと那智の太腿の上に置かれそうになったり、神無くんも食べなきゃね、と手錠を嵌めた手で那智が彼女に食べさせようとしたり。 いえもう、ほんとに悪いのは私ですから、それにお腹も空いてませんからと言い張って、何とかオレンジジュースだけで粘っていたが、それがなくなったと見ると、事も有ろうに那智は手錠の片手を高々と上げて注文しようとし、一緒に片手を差し上げる形、しかも中空に浮いた二人の手首が手錠が繋がっているというとんでもないパフォーマンスをやらかした後はもう、とにかく何とか時間が過ぎて、鍵が早くできてくれますようにと祈るばかりだ。 むしろ、那智がこれだけの不自由さやみっともなさを堪えてくれていて有難い。 ひょっとして、何てことをしてくれるんだと痛めつけられたかも知れないし、それは本当に神無の責任だし、いやむしろ、神無にとってはそれこそが本来自分がされるべき仕打ちのはずだから、甘んじて受けようと思ってはいるが。 「……」 新たに運ばれたソーダをそっと吸い上げながら、那智を盗み見る。 何て艶やかな紫色の瞳だろう。宝石のように煌めいているが、この宝石は生きている。熱を持ち、魂を喰らわれるような動き方をする。神無の視線に気づいたのか、ふわりと泳いだ瞳が止まる。息が止まるような凝視。溺れたら抜け出せなくなりそう。こんなものを直視してはいけない、そう心の中で騒ぐ声がする。 そう、こんなものを間近で見つめ続けていたら、必死に手錠で制御しているものが解き放たれる……その先には。 「コーヒー」 「あ、はいっ」 慌ててしまって、持ち上げたカップを那智の唇に近づけていても気づかなかった、そんなことは、利き手でなくてもできる、と。 「ん…」 こくんと動く喉、濡れる唇、手錠で繋がれて、神無の手で飲み物を与えられて大人しく受け取る綺麗な人。 父親以外の男性と二人で歩くのは初めて、さっきまでガチガチに緊張していて、躓いたり転びかけたりしたのが、妙な感覚に緩んでくる。 上着を脱ぎたいな手伝って、とか、汗が流れてきたからハンカチで拭いて、とか、好き勝手に神無を振り回しているこの人を、なぜだろう、神無が引き据えているような感覚になる………。 「っ」 くらっ、と渦巻く感覚に息を呑んだ瞬間、那智がゆっくり瞬きして口を開いた。 「ごめんね、面倒かけて」 殊勝な声音に慌てて首を振る。 「聞いていい?」 「はい」 「何故手錠をつけているの?」 神無は唇を噛んだ。再びくらり、と目眩。父を殺してしまったあの時、神無は父の命をこんな風に手中に納めたように感じていただろうか。 「そうは見えないけれど手錠でつながれたい趣味でもあるの?」 「悪いことをしたから…」 「どんな?」 「………」 問いを重ねる那智の顔を見ずに首を振った。 「……」 しばらく待ったけれど、那智を満たす答えは戻ってこなかった。もう一度、と望んで、コーヒーを飲ませてもらう。 こくん、こくん、と呑み込みながら、自分の右手の手錠を意識した。 繋がれている、那智は今。 このまま夜になって眠るとしたらどこでだろう。スーツのままだろうな。皺になっても、大変なのはアイロンをかける助手くんだけだから気にしなくていいよと笑おう。それでも脱げというなら、服を切らなくちゃならない。それが好みならそうするけど、と言ってみたら、この子はどう反応するだろう。 那智の動きは手錠で制限され、いろいろな要求、生理的なものさえもまた、神無の同意がないと満たせない。 それに彼女は気づいているだろうか。 この手錠で支配しているのはどちらなのか。 今は確かに那智が全ての要求の鍵を握っているけれど、支配者は容易く入れ替わる。自分の欲求を通すものが支配者とは限らない……要求を満たすことで支配する場合もある。 「あ…」 湯気で眼鏡が曇った。気づいた神無がすばやく外して、ナプキンで拭ってくれる。 今那智の視界はないも同じ。手錠をかけられ、視界を奪われ、もし彼女がよからぬことを思いつけば、罠に掛かった獣と同じ、トラベルギアを十分に使うこともできずに屠られるかも知れない……なんてね。 「はい、大丈夫ですよ」 神無が眼鏡を戻してくれて、心配そうに覗き込む顔に、続きかけた妄想を追いやった。そうだ、いざとなったら、この子の手首だけでいいなんて考えるのは止めておこう。滅多にない状況、今後もおそらくはあり得ない、那智が手錠をかけられることなど。貴重な体験を十分に楽しんでおこう。 「あ…ちょっとすみません」 神無がトラベラーズノートを取り出し、鍵ができたようです、と伝えてきて、少しがっかりしている自分が居た。 「待たしちゃったね、はい、これが鍵」 今度はなくさないでくれよ、と赤いリボンで結んである鍵を渡されて、神無はいそいそと那智の鍵穴に当てる。かしゃり、と奇妙に軽くて透明な音が響いて、手首の重さは唐突に消えた。 なんだかこう。 「…勿体無いな」 「え?」 那智の呟きは神無にははっきり聞こえなかった。相手の手首に残った赤い痣に胸が痛んで、少し眉を寄せる。 「痛そうですね…」 「いや…外れたね」 「はい…今日は本当にごめんなさい。それから、ありがとうございました……那智さん」 ほっとして顔を上げる。相手のきららかな瞳をもう安心して見られる。那智の手から外した手錠を自分の右手にかける。温まった金属の感触が、少しくすぐったくて、安心して、顔が綻んだ。 その顔を見下ろした那智が、 「……また今度繋がれてみる?」 「え…」 自分はそんなに名残惜しそうな顔をしていたのだろうか。 神無は慌てて俯く。 「いい暇つぶしだったよ、ありがとう。またね」 「あ、はい!」 手錠のない片手を上げる、その那智の姿にちょっと寂しくなる。 「ありがとうございました」 深く頭を下げて、見下ろした自分の両手首にかかった手錠が、食い足りなげにがしゃり、と鳴った。
このライターへメールを送る