オープニング

「誠に申し訳ありません」
 経理担当は深々と頭を下げる。事務室の外れにある医務室だ。
「先日のお疲れでしょう。私が輪を回し過ぎました」
 白髭園長は本日、出勤するや否や、目眩を起こしてて倒れた。救急車を呼ぶのは嫌だと強く拒否したため、今は事務室の一画にある医務室で横になっている。
「いや、あれは楽しかった」
 白髭園長は小さく溜め息をつきながら首を振る。
「見たかね、コーヒーカップがあれほどエキサイティングなものだとは思わなかったぞ」
 両手を振って目を輝かせた。
「緑色の目の外国のお嬢さんらしい人と、変わったぬいぐるみと一緒に乗った女の子、元気でしたね」
 経理担当が頷く。
「あのぬいぐるみ、どこの製品でしょう? 気のせいかも知れませんが、シャボン玉を吹いていたようにも思いますが」
「君も見たのか」
 園長は大きく頷く。
「それに、あの、どう見ても魚っぽい着ぐるみの子ども」
「ああそうだ、側を通りかかると、本当につやつやすべすべの、きれいな青の着ぐるみだったな。どこにもチャックがなかったようだ」
「それから、食堂と各種売店の店員達を恐慌に陥れた、あの」
「「大食いライオン!」」
 声を合わせた二人は笑い転げる。いつの間にか、園長は起き上がり、顔を紅潮させて話し続ける。
「君はどう思うかね、彼らを」
「もちろん、きっと、あちらの世界の人達だろうと」
 経理担当はにんまりと笑った。
「楽しかったな」
「楽しいですね」
 満面の笑顔で頷く経理担当に、白髭園長はふと生真面目な顔になった。
「? どうされましたか?」
「君のそんな笑顔は、今まで見たことがなかったな」
 すまなかった。
 ベッドに半身起こしたまま、頭を下げられて、経理担当は驚く。
「そんな」
「苦しい財政の中、よく付き合ってくれた。ことばもない」
「頭を上げて下さい、園長」
「迷惑ついでに、どうだろう」
 ひょいと顔を上げた園長が、眉を上げておどけた顔になる。
「この遊園地の園長にならないかね」
「は?」
「君の、遊園地にかける熱意、造詣、そして何よりも君は、遊園地を愛しておる。園長の資格は十分にあると思うが」
「冗談はなしですよ、第一ここは」
「…存続するかも知れんのだ」
「……え?」
「存続を考えてもいい、但し、次の園長が見つかるなら、と言われた」
「………し、かし」
 経理担当は困惑した顔で、医務室の窓から遊園地を振り返った。


 この遊園地には、観覧車、ジェットコースター、回転木馬、お化け屋敷、ミラーメイズ、コーヒーカップ、バイキング、ゴーカート、射的場、チェーンタワー……他に食堂、売店、花壇に囲まれた噴水がある。トイレも4カ所、休憩のためのベンチは20カ所、チケット売り場も各ブースの他に2カ所、入ってすぐのイベント会場ではキャラクター・ショーや手品、アクロバットなども見せていた。交通手段も駅から5分、バス停留所から3分と悪くない。
 だが、ここはもう閉園が決まってしまった。
 現在は、これまで当地で営業してきたお礼を込めて、残り時間を存分に楽しんでもらおうと、一日に一つ、アトラクションを無料にしている……。


 はずだったのに。
「楽な人生ではない」
 白髭園長は静かに続けた。
「夢と現実、魔法と売り上げの間を、ぐるぐる回り続ける仕事だ」
 コーヒーカップのように、な。
 白髭園長が取り出して眺めているのは、遊園地で遊ぶ人々やアトラクションを撮った写真だ。いつの間にか事務室に届けられていた。溢れているのは、笑顔、笑顔、そして、笑顔。
「私は」
 少し、考えさせて下さい。
 遊園地を眺めたまま、振り返らない背中に、白髭園長は頷いた。
「さて、では次は、『バイキング』を無料開放しよう」
「『バイキング』ですか」
 くるり、と経理担当は勢いよく振り向いた。
「ナガシマリゾートには、160人乗りの二艘がすれ違う『ジャンボバイキング』がありますよね! 身長120㎝制限はありますが、あの高さと落下感は凄いですよ。としまえんにも120人乗りのがありますが、こっちは『フライングパイレーツ』です。けれども、うちのは…!」
 はっと我に返ったように俯く。
「うちのは?」
「……うちのは、船の構造を…やや急角度にしているんで……30人乗りですが左右に上がった時の傾斜角度が通常よりも大きく、楽しめる……小さいけれども、本当に特性をよく考えられて作られています………ほんとうに、どのアトラクションも、よく、よく考えられている」
 呟くように、苦しげな声で続けた俯いたままの頭を、白髭園長は嬉しそうに見やる。
「その通りだ」
「………園長が続けられればいいんです」
「……条件は交代だよ」
 白髭園長は静かにベッドを滑り降りる。経理担当の側を通り過ぎ、窓に寄って外を眺める。
「そうだ、衣装はもう頼んでおいたからな」
「は?」
 ぎょっとして振り向く経理担当に笑いかける。
「兜も揃えてある。チュニックにマント、ベルトに小さな模造剣。雨が降らなければいいのだが」
「ヴァイキングのコスプレですか!」
「二人分は確保してある」
 ぽかんと口を開いた経理担当に、白髭園長はウィンクした。


「皆さん、いろいろとお疲れ様です」
 鳴海はぺこりと頭を下げた。
「世界の命運について悩まれている方、帰属を考えておられる方、いろいろおられると思います。館長からも皆さんのお疲れを少しでも減らせるようなことを考えて欲しいと言われてまして……」
 先日から時々お願いしている依頼ですが、と微笑む。
「壱番世界の、閉園間近の遊園地です。閉園までの時間を楽しんで頂こうと、一日に1つ、アトラクションを無料にしています。今回は『バイキング』だそうです。お知り合い同士、あるいはお一人ででも如何でしょうか」
 今回は朝一番の便で到着します。
「当日、望む方はヴァイキングのコスプレ衣装を貸してもらえるそうです。それと」
 鳴海は不思議な表情で微笑んだ。
「ひょっとすると、この遊園地はなくならずに済むかも知れないという噂があります。この先もずっと楽しんで頂けるかも知れないですね」
 それは、異世界からの干渉というには、あまりにもささやかなものだけど。
「では、楽しんで来て下さい」
 鳴海はチケットを差し出した。

品目シナリオ 管理番号3064
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントちょっと間があきましたが、再びまったりお遊び系シナリオをご用意いたしました。
閉園間近の遊園地へお誘いいたします。
ご覧頂いた通り、ゆるーいシリーズもの、第7回です。

実はこのシナリオ、いささかプレイングに縛りがございます。

メインとして上げられているアトラクション、『観覧車、ジェットコースター、回転木馬、お化け屋敷、ミラーメイズ、コーヒーカップ、バイキング、ゴーカート、射的場、チェーンタワー』のうち、今回は『バイキング』のみ、お楽しみ頂くことになります。
『バイキング』以外のものをご利用頂いてもノベルには反映されません。
それ以外のもの『食堂、売店、花壇、噴水、トイレ、ベンチ、チケット売り場、イベント会場』は自由にお使い頂いても構いません。

皆様におかれましては、『バイキング』をどのように楽しまれますでしょうか。
小ぶりな船は大きく揺れて、さながら巨大なブランコに乗っているような眺めです。白髭園長と経理担当もどこかに乗り込んでいるでしょう。
また遊園地の在り方に、変化が起こり始めました。どうなるのかは、まだ未定です。しかし、この変化が皆様が訪れて下さったことによるものであるのは、間違いなさそうです。

プレイング時間がいつもより短めになっております。
御注意下さいませ。

参加者
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官
黒燐(cywe8728)ツーリスト 男 10歳 北都守護の天人(五行長の一人、黒燐)
氏家 ミチル(cdte4998)ツーリスト 女 18歳 楽団員

ノベル

「また来たのですー。こんにちはなのです」
 朝風に銀色の髪をなびかせながら、シーアールシー ゼロは軽く跳ね飛ぶように遊園地に入っていく。行き違う人、通り過ぎる人が、その美少女ぶりに一瞬目を見開き、だがすぐに何事もなかったように瞬きしつつ歩いていく中、ゼロは構わず遊園地の中を入り口正面の『バイキング』に向かって進んで行く。
「きゃあああっっ」「わああっっ」
 陸に上がった海賊船のような船が、ぶうん、ぶうん、と風を切って唸りを上げながら、左右に大きく揺れる。そのたびに悲鳴とも歓声ともつかぬものが観客から上がっている。
「いらっしゃいませ! 本日は『バイキング』が無料となっております!」
 チケット売り場で、片目を眼帯で隠した男がヘルメットのような兜と短めのマントを翻らせて両手を振り上げている。分厚い目のチュニックと同じような素材のズボン、腰に巻いたベルトには小さな剣、誇らしげに掲げた盾には、船の一本マストに張られた帆と同じく、真っ黒な竜のような絵柄がある。
 以前、ゼロがここのミラーメイズにやってきた時は、自分の故郷はどうなったのか、またどうやって自分が覚醒したのかという細かな経緯を思い出すことができた。
 どこかへ出向いたり辿り着いたするために乗るのではなく、その感覚を楽しむための乗り物に乗るのは初めてで、気持ちが弾み、足下が無意識に踊る。
 並んでいる行列、しばらく待ち時間があるようなので、ゼロは売店で白くてふわふわのわたあめを買った。月と星が飛んだピンクの袋に入ったそれを、真っ赤なスティックに巻き付けられたまま取り出して、はむっ、と噛みつく。甘い飴がとろりぺしゃりと唇の間で蕩けて形を失うのを、ぺろぺろ舐めながら、ゆっくり列に入っていくと、
「こんにちは、お嬢さん。親御さんは?」
 眼帯のバイキング服の男がにこやかに話しかけてきた。
「バイキングさんこんにちはなのです。ゼロはゼロなのですー」
「えーと、ぜろ、ちゃん? 変わった名前だね」
 男はにこにこと相好を崩す。
「幾つぐらいかな。きっとどこからか、親御さんが見てるんだよね」
 きょろきょろと周囲を見回している相手をじっと眺め、ゼロは思いついたことを口にする。
「船長さんと副長さんなのです?」
「え、ああ」
 ゆっくり大きく揺れていた船が、帆をばたばたと風に鳴らしながら止まっていく。ゼロが指差したのは、その中央で、剣を振り上げ、大笑いをしている白髭のバイキング姿の男だ。
「そうだね、彼はここの、いやこの船の船長だ。俺は副長、だけど」
 一瞬口ごもった相手はにやりと笑ってゼロを覗き込む。
「実は船長の座を狙ってるのさ。この航海が終わったら、あの船を乗っ取ってやるつもりだ」
 如何にも悪そうな声で言い切り、うひひと笑った相手は、それでも優しい目で船の上で両手を突き上げる男を見やる。
「ところで、お嬢さん、どこへ行くつもりなのかな。俺達の船は荒れ狂う大海へ出かけちまうぞ」
「ゼロは知りたいことがあるので、その為にずっと遠くまで行くつもりなのです」
 相手のおしゃべりの間にわたあめを食べ切ってしまい、丁寧に包みを丸めたゼロからゴミを受け取った相手が訝しそうな顔になる。
「遠くまで?」
「ここは不思議で素敵で訪れた人に安寧を与えてくれる場所なのですー」
 訪れた人に安寧を与えてくれる、それはターミナルもまた、だろう。
 だがしかし、ゼロは、もっと先へ進もうと思っている。
 全ての世界を楽園にという望みの達成のため、まあ、当面の目標は世界群の法則と構造を一気に理解することができる可能性の高い『ワールズエンドステーション』への到達を目指し、どれだけ時がかかっても到達し、そこで知れることを知り尽くすつもりだ。
「ふうん、よくわからないけど……なら、俺達と一緒だな」
 動き始めた列に、男は明るく言い放って手を振る。
「旅を楽しんでくれよ、お嬢さん!」
「はいなのです!」
 ゼロが通り過ぎた後を見送った経理担当は、
「不思議で素敵で訪れた人に安寧を与えてくれる場所、か」
 園長に伝えておかなくっちゃ、と呟きながら、次の客に向かう。


「俺は恥ずかしがり屋のあんた達もハオにプレゼントを渡せる機会を作ったつもりだったんだけど…貰った以上は、あんた達の『召喚券』、使うぜ?」
 坂上 健は戸惑った顔で後ろからついてくるフェイとロンを肩越しに見やる。
「あ、そうだったのか」
 そりゃ悪かったな、とフェイが苦笑いした。
「召喚されて不満はないが、ここで私達に何をしろと?」
 ロンが訝しげに笑顔溢れる周囲を見回す。
「ファージも怪物も化物もいないようだが」
「壱番世界では立ってる者は親でも使えって言うんだよ。況や優秀なあんた達をや、ってね? あ、あんた達も仮装必須な?」
「あそこで衣服を貸してくれるようだな」
 フェイが『バイキング』近くのイベント広場横に、急遽しつらえられたらしい仮設の更衣室に気づいて頷く。
「で、なんだ、バイキングの格好して暴れ回ってみせろとか? 遊園地盛り上げに一役買えとか?」
「あんた達の得意なものだよ。もうちょっとしたら、クリスマスだろ?」
 健はバイキング・コスプレの展示を眺めながらにいっと笑って付け加える。
「あんたら二人に頼みたいのは、クリスマス・プレゼントだ。それも、自分以外の参加者+遊園地全職員へ、だ」
 方法や内容は任す。簡単で超絶難しい依頼だろ?
「人を楽しませるのはあの人達の仕事だ。それでもサプライズはあって良いと思うんだ…クリスマスだしな。ドラゴンズウィングはただの迷路の対価じゃなかった…違うか?」
「おいおい」「ふむ」
 今からそれを準備しろってか、と驚いてみせるフェイと対照的に、ロンは軽く肩を竦めただけだ。
「君は何をする予定なんだ?」
「じゃーん」
 健はどこからかインスタントカメラとデジカメを取り出す。
「他のメンバーや皆の写真を撮って、後でプレゼントするよ。もちろん、ハオや鳴海にもな」
 今回は来れなかったらしいけど、この遊園地の行く末は気にしてるみたいだし。
「仕方ねえなあ……ってか、まあそういうこともあろうかと思ってだな」
 フェイが薄笑いをしつつ、手荷物の中から小さなケースを取り出した。
「じゃあ、俺はこれを配って回るとしよう」
「何だ、それ」
 フェイが取り出したのは名刺程度のカードがぎっしり入った小箱だ。覗き込む健ににやにや笑って、
「まあ一枚取り出してみろって」
「真っ白のカードじゃな……うぉっ」
 健が取り上げた瞬間に、そのカードは目の醒めるような青に変わる。中央に文字が浮かび上がった。
『愛すべきお節介男。ありがとう!』
 それを読み取って数分後、幻のようにカードが崩れて消える。
「何で書いてあった?」
 フェイが首を傾げる。
「俺には読めねえけど、出身地のことばが浮かび上がるはずなんだ。インヤンガイで作られた『疑似タブレット』って奴で、カードを摘んだのも色が変わるのもことばが浮かび上がるのも、現実じゃなくて生体にイメージを喚起させただけだ。一回しか渡しちゃいけねえと言われてねえから、帰るまでずっと配り回ってるぜ」
 バイキングの格好してれば、宣伝にもなるよな?
「私は、これを」
 ロンが示したのは、掌サイズの小さな球体だ。真珠色に輝くそれを、健がそっと手にして数秒、ぱんっ、と音をたてて弾け飛ぶ。
「うあっ……え…?」
 その瞬間、健の耳元にひどく懐かしい旋律が響いた。ずっと昔、子どもの頃、夕飯だと呼ばれても、最後まで粘って見ていたTV番組の主題歌のような。学校帰りに仲間と声を合わせて歌っていた曲のような。そしてまた、慣れ親しんだ場所をついに離れる時に、どこかで響いていた音楽のような。
「ブルーインブルーの古い遺跡で発見された未知の道具だそうです。素材が何か、どういうからくりかは、まだ解明途中で、生体が直接触れると弾けてしまうのですが。こうやって」
 ロンが出したのは来た時から下げていた鞄、それを開くとほんの小さな虹色の粒がぎっしりと入っている。
「この手袋で取り出せば、元の形に戻ります」
 ロンが黒い革手袋で一粒取り出すと、見る見る真珠色の球体になる。それをくるりくるりと指先でこねれば、ゆっくりと元の小さな粒に戻っていく。
「おい、怪しいぞ、ロン」
 なんか危ないものを扱ってるセールスマンっぽいあたりが、余計に怪しい!
「もちろん、無理強いなんてしませんよ」
 健の突っ込みに、ロンは淡々と鞄を持ち上げる。
「後一つ、その格好でその鞄が、すごく怪しいっ!」
 ごっつりしたチュニックとズボン、翻るマントに腰ベルトの短剣、ついでに顔全面を覆うような兜。とにかく兜だけはと、健は慌てて別のものと取り替えた。
「子どもが泣くから! な!」
 では、と二人がそれぞれに遊園地に散るのを見送って、健はがしりと海賊船長のコスプレを掴む。
「たまには俺も三下以外したいんだよ!」
 言い放っていそいそと着替え出す。


「ゆーえんち!……遊園地って何ー?」
 黒燐は『バイキング』の順番を待っている間、くるくると周囲を見回しながら尋ねている。
「それはね、いろんな不思議なことや楽しいことを経験するところだよ」
 さっきまで船に乗っていた白髭の男が、マントをはためかせて降りてきて、黒燐に屈み込むように教えてくれる。
「ふむふむ、陸の上を揺れる舟なんだね。で、『う゛ぁいきんぐ』って何?『海賊』って何ー?」
「うむ、それはだね」
 気のせいだろうか、顔の真ん中にひらひらと揺れる布がついているような気がするのだけど、ぽむぽむと待つのを我慢し切れないように跳ねる足下や、和服の着物めいた袖をぱたぱた合わせてはしゃいでいる姿は、どう見ても可愛らしい子どもで。そうしてみると、何となく顔の前に布があって奇妙だとかいう思いも、どんどんどこかへ消え去って。
 白髭園長は、目の前の子どもの問いに次々応えていく。
「川の賊…『水賊』なら知ってるよー」
「そうなのか、どこから来たのかな、君は。親御さん達はどこにいらっしゃるのかな」
 着替えてくるなら衣装もあるよ、と促すと、すぐに走っていって着替えてきた。
 やや円錐気味になった鱗模様の兜、黒と青の蛇が絡んだ模様のついた緑のチュニック、赤茶色のマントに、腰に小さな模造剣。
「準備万端! うん、僕の大きさのもあってよかったー」
「良かったなあ、君。すごくよく似合うぞ」
 頷いて、頭を撫でたくなるのを我慢しながら、白髭園長は僅かに案じる。この身長なら乗れないかもしれない。いや、大丈夫は大丈夫か、120㎝制限はあるが、他の所のものよりも大きなものではないし、自分が付き添えば安全だろう。水賊、ということばは聞き慣れないから、どこか違う国の子どもなのだろうか。
「じゃあ、行こうかね、我が船にようこそ」
「わあいっ」
 はしゃいだ声を上げて歩き出す小さな姿に、両手に一人ずつ、小さな手を握って引き連れて、次はあそこ、次はここ、そうやって引きずり回されていた記憶はないけれど、それでもそんなことがあったような気がする、そんな昔が、今ここで作り上げられていくような気がする。
「……これは……恵み、かな…」
 失ってしまった光景、与えられなかった喜びが、今幻のように叶っていく、時間も空間も飛び越えて。
 それはひょっとすると、恩寵、と呼ばれるものだろうか、一つの覚悟を決めた魂に対しての。
「わー、本当にすごーい! すごいすごい!」
 黒燐ははしゃぐ。
 思ったよりも大きな船だ。とはいえ、全くこのような船を知らぬわけではないけれど、陸の上にこれほどの船をしつらえるのは苦労だろう。しかも、この船はゆっくり大きく揺れていく。まるで巨大な波の谷間に入っていくように、前と後ろが持ち上げられて、仰け反る体、つんのめる体、隣で心配そうに押さえてくれる温かな手もまた快い。
「陸の上を揺れるお船もすごいなぁ!」
「楽しいかい」
「楽しいよ、とっても! 黄燐に自慢しちゃおっと!」
 きゃああ、と周囲で上がり出す悲鳴も何のその、黒燐は揺れに体を委ねながら、ゆっくりと目を細める。
 布が風にはためいて、新鮮な空気が顔の前で渦を巻く。睫毛が陽射しに嬲られて、鼻先に冬の冷気が染み通る。
「うっ、わあああっっ!」
 黒燐の歓声に重なるように、
「ひ、ひぁああぁぁあ」
 斜め前から勇ましげな服装をした健の掠れた声が響く。
「な、舐めてたーっ!」
 揺れはどんどん大きくなる。まるで自分の腹を覗き込むような角度に傾き、すぐに掬われて足先を引っ張られ、頭を地面に叩きつけられるほどにひっくり返る感覚、体を押さえたバーがなければ、軽く振り回されて落ちそうだ。
「わああいいいっっ!」
 込み上げる笑いを押さえ切れない、ただ揺られているだけなのに、全身溢れるほど元気になってくるのはなぜなのか。
 これが遊園地。これが『バイキング』?
 お土産を買おう、と突然思った。おいしいお菓子のお土産ならなおいい。
 今日のこの楽しさを持ち帰りたい。
「うふふ、お土産ーっ!!」
 喜びは黒燐の唇を突いて青空に弾ける。


「風が気持ちいいのですー」
 ゼロはふわあっ、ふわあっと今にも空気に溶け入りそうな感覚を楽しんでいる。
 前後に大きく揺れる経験は少ない、強いて考えれば、話に聞くゆりかごの巨大版みたいなものか。
「ひ、ひぁああぁぁあ」
 さっきから繰り返し、斜め左正面に座っている健が、今にも泣きそうな顔で悲鳴を上げているが、何、自分の位置を定めようとするから揺さぶられて恐怖に変わるのだ。
「う、わぁあああああ」
 乗っている客達も顔を引き攣らせている者、はしゃぎすぎてぶち切れそうな者、まだまだ余裕で周囲のアトラクションを見回し次のターゲットを絞る者、蒼白な顔で今にも吐きそうな者と様々だが、ふと思い出したのは『因果律の外の路線』。
 『ワールズエンドステーション』への道は開いた。ロストレイル13号が、それほど待つまでもなく発車するのだろう。ターミナルを起点とする暮らしよりも、もっと遠く、もっと遥かな、旅から旅を繋いでいく日々が待ち受けている。
 もっと、もっと、もっと、もっと。
 大きく揺れる船に、ゼロはもっともっとと声をかける。
 もっともっともっともっと。
 遠くへ遠くへ、未だ見たことのない世界へ。
「『因果律の外の路線』もこんなに揺れるのです?」
 小さな声は果てのない世界への憧れに満ちる。


 肉は飲み物です!
 食堂でがっつり腹ごしらえし、大食いライオン人型タイプの再襲来だ、と食堂や売店を恐慌に陥れかけたなどとはつゆ知らず、『アトラクション等がモチーフの料理があれば楽しいな』と提案メモを残し、氏家ミチルは『バイキング』に突進する。
「仮装? もちろんッスよ!」
 ここに姫が居たなら、奥の方にある細身のドレスを着せて姫抱っこでバイキング船で連れ攫うのに、じゅるり、などととんでもない妄想を炸裂させながら、深い青色のチュニックとズボン、灰色のマントと毛皮の腰巻き、金色の短剣と金色の兜でがっちり固めて、ミチルは意気揚々と乗り込んだ。
「動く……動く、動く、動くーっ!」
 ゆっくり揺れ出す船に早速細い悲鳴が上がる。側の男性に抱きつく女性、仲間同士で手を握り合って、だんだんと角度を増し、傾斜を増して行く船に目を閉じて叫ぶ女性陣、かっちりバイキングの格好で両手を振り上げ吠える男性陣、負けまいとミチルも大声で叫びながら万歳する。
「怖いっ! 凄いっ! けど楽しいーっ! 皆ーっ! 頑張るッスよーっっ! この波を越えれば、お宝が待ってるぜえええっっ!」
 わはははっ、と笑い声が返ってきた。船の向こうには健の姿、しっかりバーを握りしめ、こちらにはゼロ、あちらには黒燐と、ロストナンバー達勢揃いだ。
「おう、野郎ども抜かるんじゃねえぞおっっ!」「そうだそうだっ!」
「そうだそうだそうだーっ!」
 乗ってくれた数人のかけ声に嬉しくなって叫び返す。
「きゃああああああ!」「わあああああ!」
「いけええ、海を、俺らの海を!」
 口から零れた叫びはついつい力強い旋律になった。応援歌に近い響きの歌声に、鼓舞されたように別の数人が叫ぶ。
「怯むんじゃねええ!」「がんがん行けえ!」「負けるな俺ーっ!」「あたしだって頑張ってるんだからーっっっっ!」
 いろんな叫びが混じりだし、そうだよね、とミチルも側の女の子に声をかける。
「気分悪い? 大丈夫ッスか?」
 真っ青になってるその子は不安そうにミチルを見上げ、気づいてミチルは応援で介抱しつつ、
「今なら何叫んでも誰も気にしないッスよ、どうッスか!」
「う……あ……っあ、あほ彼氏ーーっっ!」
 吹き出た叫びに一瞬呆気にとられ、ミチルは笑い出す。
 ようし、じゃ、こうだっ!
「色々思うけどー! やっぱ先生が本気で好きーっ!!」「あたしもあほ彼氏好きーっっ! 悔しいーっっ!」
 わはははあああっ、とそこら中で笑い声が弾ける。
「荒海越えて、俺らは行くぜ!」「行くぜ!」「がんがん行くぜ!」「がんがん行くぜ!」「海に落ちれば地獄が待つぜ!」「待つぜ!」「それでも俺らはがんがん行くぜ!」「行くぜ!」
 両手を振り上げた人間が声を合わせて手を叩く。バーにしがみついた人間が声を限りに体中で歌う。
 ゆっさゆっさと揺さぶられつつ、ミチルは顔中に広がる笑みに蕩けそうになる。
 バイキングはまるで不安定な心や運命。でも笑う人々が居る。
 有馬や、色々な世界や人々から教わった事を思い返す。
 滲んだ涙を拭って笑う。
 未来も希望も諦めない。
「諦めて、たまる、かああっっっっ!!」「おおおううううっっ!」
 怒濤のように響く声、飛び散った汗を振り払って、ミチルは大声で歌い続ける。


「君……君!」
 『バイキング』を降りたミチルは呼び止められて振り返る。紅潮した頬に満面の笑顔を浮かべてバイキング仮装の男が近づいてきて、がしっとミチルの手を握る。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
 相手はぶんぶんとミチルの腕を振りつつ続ける。
「あれほど楽しんでくれた人はいない。本当に来てくれてありがとう!」
「あ、いや、楽しかったッス、ほんとっ」
 男の後ろに、白髭のバイキング、だがどこかちょっと苦しげに見えるのは気のせいか。つい祖父と重なった。思わず手を差し伸べ、近づく。
「平気ッスか?…手、握って良いスか?」
 そういえば、さっき黒燐の体を押さえていてくれたのはこの人だ。変に『バイキング』に酔ってしまったのだろうか。
「えん…いや、あの、大丈夫ですか」「大丈夫だ…それより、お嬢さん」
 声をかけかけた最初の男を制して、白髭バイキングは笑いかけた。
「楽しんでくれているかね」
「もちろんッス!」
 ミチルは大きく頷く。
「遊園地は元気くれるんスよ。自分も気合入ったッス!」
 ひょっとして、この二人は。そう気づいて、始めの男を振り向く。どん、と胸を叩いて言い放つ。
「後はここにどうしたいか聞いて、走ってみたらどうスか? 失敗しても全力投球だったらきっと無駄じゃない。それに一人じゃないでしょ?」
「あ…」「……だそうだよ、君」
 驚いたような顔で振り向く男、微笑み返す白髭バイキングに、ミチルはちょっと姿勢を正して息を吸い込んだ。
「頑張り続けたらきっと何か起こるッス」
 口を開く。響く声に眼を閉じる。
 大変な事もあるだろうが、遊園地の従業員は素敵だ。
 元気と楽しい一日の礼に、従業員と客とこの遊園地の未来を応援する。
 奇跡が来易いよう全力で。
『また来たいな!』
 その気持ちを隅々に響かせる。


 遊園地のあちらこちらで、色を変えメッセージを送って消えるカードが、懐かしい音色と音律を届けて空間に溶ける真珠色の球体が、無数の星々が瞬くように、煌めいては消え、消えては輝き、不思議を人々に送り続ける。
「俺は遊ばせて貰った分仕事したかった…なんてな」
 健は全てのトイレとベンチ、ゴミ箱をチェックした。
 インスタントカメラで、その他に遊園地内で気になった場所を合わせて写して、感想と一緒に事務室へ投げ込む。
『ここは誰かとその人の「大事な誰か」が大切な楽しい思い出を作りに来る場所だと思います。無料で利用できる場所ほど快適であるべきだと思うし、少しずつ変わっていくからこそ懐旧の念で再び訪れたりもするのだろうと思います。メリークリスマス…ここが今後も長く皆の思い出を生み出し続ける場所であるように』
 ミチルの応援が響き続ける。
 声になって、叫びになって、重なり合う旋律になって。
 祝福を! 
 願いに向かってまっしぐらに走る人々の力になれるこの歌を届ける。
「今日はとても楽しかったのですー。ゼロからも遊園地さんに贈り物をするのですー」
 踊るように遊園地を去っていくゼロは、昨日見た夢の中でもとびきり綺麗な夢の、銀色の欠片を気体のようにして超巨大化させ、遊園地を覆うように広げる。
 外見はふわふわで透き通り、ほとんど目につかず、嵐でも散らず、ずっとそのまま密やかに保たれ続けるその天蓋は、その後長く、この遊園地だけは急な嵐に見舞われないという、目立たない奇跡に関与する。

 
 地に星が満たされる。
 地に願いが満たされる。
 地に祈りが満たされる。
 運命に抗う船は、多くの光に満たされて、ついに辿り着く港を見つける。

 作られた幻は、命を得た。

クリエイターコメントこの度はご参加ありがとうございます。
同時に遅刻いたしまして、誠に申し訳ありません!
平に平にご容赦願います。

さて、皆様のおかげをもちまして、
このシリーズも何とか無事に最終まで辿り着けそうです。
今回の皆様も『バイキング』に未来を重ねられた方、
揺れと興奮を楽しまれた方、
遊園地の在り方を考えて下さった方、
そして新たな力を与えて下さった方と、
様々なアプローチがありました。
大きく揺れる船が目指したものが何だったのか、
それは本当に皆様任せでした。
ただただ楽しんで頂ければいいと思って始めたシリーズでしたが、
毎回皆様の発案の豊富さに圧倒されておりました。
本当にありがとうございました。

では、またのご縁を御待ち致しております。
公開日時2013-12-17(火) 21:10

 

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