クリエイター櫻井文規(wogu2578)
管理番号1156-20952 オファー日2012-12-13(木) 23:55

オファーPC ヌマブチ(cwem1401)ツーリスト 男 32歳 軍人

<ノベル>

 戦地に在れば、すぐ傍らにまで忍び寄って来ていたものに、それと知らぬままに喰われてしまう事も珍しくはない。
 怖れるべきは死ではない。戦争というものにおいて最重視されるべきは駒の死などではない。駒の代わりなどいくらでもある。
 凱歌をあげる。ただその一点のみを目指すより他に、重視されるべきものなどあろうはずもないのだ。
 けれども駒も各々に自意識も命も持ち得る一個の人間だ。その背で護るものの中には郷里に置いてきた伴侶や家族、恋人というものをも含むという者も、少なくはないだろう。
 ある面においては同志とも言える立場にある彼らが、その日を長らえ、けれども明日には命を散らす宿命にあるのかもしれない彼らが、酒盃を交わし互いの心を宥め合いその場において、互いのそれを確認しあうのもまた珍しくもない事だ。
 名も知らぬ兵卒のひとりと席を合わせた折、その男から問われたそれもまた、あたかも当然の流れであるかのように。
 ――貴君は所帯を有するのかね
 否と返せば、酒盃で顔を染めながら、男はさらなる問いを述べる。
 ――ならば言い交わした女は
 否と返す。男は肩を揺すって重く笑った。
 ――郷里に名残りは持たぬのか
 応とも否とも返さず、酒盃に残るものをあおる。質の悪い安物だった。だがそれゆえに、惜しむ必要もなく、水のように消費する事も出来る。
 男は笑う。名残りの糸を引く存在を持たぬ兵卒ほど、駒として好いものはない。死して骸を風雨にさらし、鳥や虫や塵芥に喰われて土中に沈む。骸を抱え泣き崩れる相手もない。すべてから忘れられ、消えていくばかりのそれを、最良の駒と称さずに何と喩えようか。
 笑い、酒盃に安酒を注ぎながら、男は沼淵の手にある酒盃が空になっているのも検め、酒瓶を差し出し、次なる問いを口にした。
 ――ならば、どんな女を好む?
 仮に互いに生きて還れたならば、その折には貴君に女のひとりも紹介しよう。
 それは、男の願望もこめられていたのだろう。郷里に残して来た者のいる男は、願望や夢や、そんな儚い言葉を口にする事で、そのゆえにも必ず還らねばならぬと、自身に強く言い聞かせているのだろう。
 けれど、沼淵は知っている。男のような者を幾人も目にし、耳にしてきたからこそ。
 自分は必ず郷里に戻るのだ、と。願いを口にした者にこそ、戦地を巡る死神は好んで寄りついてくるのだ。
 男がひとりで酒を飲みに来ている理由も、退屈そうに沼淵に絡んで来た事の理由も、なるほど確かに理解する事が出来た。
 男はおそらく度々こうして郷里への帰還を願うのだろう。ゆえに死神を寄せつけるのでは、と、他の者たちから厭われているのだろう。
 けれど男は、沼淵の心などお構いなしに、沼淵が述べるであろう応えを促すように酒盃を傾けた。
 ――慰安のための女ならば、この酒場にもいるのだがな
 笑いながらそう言を続けた男の目線を一瞥した後に、沼淵はしばし口をつぐみ深い思案に耽る。
 そうして、やがて口を開き――沼淵は紅色の双眸を細ませた。

 ◇

 淑やかで芯の強い女が好きだ。
 むろん、ある程度は家庭的な方が良い。所帯を持つならば、妻となる相手が食事や掃除といった家事の類は出来るに越した事はないのだから。
 単純な好みを付加するならば、願わくば己よりも歳上であればさらに好い。
 けれども家事に関するものや年齢の上下など、ついでに付加される程度の条件にすぎない。
 どんな女が好みかと問われれば、最たる条件はその二点だと応えるだろう。
 そうして、その二点を備えた女の像を想像するとき、大概決まってひとりの女が、美しい声楽の音と共に脳裏に浮かぶ。
 
 学生時も今も変わらず歌唱力というものとは縁遠い位置にいた。有り体に言えば音痴というやつだ。
 けれど学生という身である以上、得手不得手に関わらず、修めなければならない学は山と積まれている。
 沼淵が不得手としていたもののひとつに音楽があったが、中でも声楽に関しては絶望的なほどだった。音階を踏む事はおろか、それ以上に救いようのないのは、もはや無駄とも言えるほどの域に達した声量だ。
 声量の大きいのは声楽――こと、人をまじえてのそれにあっては、雑味と呼ぶに相応しい。他者の声を阻み、伴奏の音を阻み、それどころか他者の音階をすら狂わせる。
 ゆえに、沼淵は一日の修学を終えた後、声楽の顧問である女教師の教えのもと、毎日のように補修を受けていた。
 本来であれば面倒くさがり、帰ってしまう者もいる。けれど声楽の顧問は比較的に若い女だった。むろん、若いとは言え、学生からすれば歳上にあたる。それでも、華奢ながら粛然とした色香の漂う美しさを備えた女だった。
 気に食わぬ生徒がいればすぐさま暴力を揮うような他教師たちとは異なり、決して声も荒げず、常に穏やかな――薙いだ海原のような清漣さを持ち、けれども反面、決して半端や妥協を許さぬ凛とした女だった。
 淑女を絵に描いたような女だった。
 ゆえに、――沼淵は日課のごとくと化していた放課後の補修を受けるのを、密かな楽しみとしていたのだ。けれど心の底から初心であった沼淵は、補修に関する対話はおろか、挨拶ひとつ交わす事にさえ難儀していた。
 ろくに親しくなる事もままならないままに時間ばかりが過ぎていく。
 あれだけ毎日のように補修を受けておきながら、結局のところ声楽に関する才能のひとつも開花させる事が出来ず終いであったのは、己の初心に起因するものであったと、沼淵は今でも思う。

 翌年、女教師は中央勤めの将校との婚姻の約定を交わした。
 遠目に検めたその将校は、女を射抜くに値するほどの美丈夫で、その男のものとなった女はますます美しく、輝くばかりとなっていった。
 己のような男では、女教師をああまで美しくしてやる事は出来なかったであろう。
 留まる事を知らず開花していく女教師の美しさを前に、沼淵はやはり密かな傷心を得た。
 ――否
 元より手の届かぬ高嶺の花であったのだ。それが更なる高みへ――天上に踊り咲く花へと化しただけ。そう思い至ると、恋と呼ぶにも淡すぎる憧憬は、割り合い早期に諦念へと至った。

 その後、沼淵は声楽を選択とする必要のない学科へと進む。
 魔法兵となるのを志願し、そのために必要となる膨大な量の勉学を修めるための机上についた。
 眠る時間すらも厭う日々。
 いつしか、声楽の顧問の事など頭の内より消失されていた。

 さらに翌年。
 あれほど強烈に積んだ就学の結果も空振りに終わり――すなわち魔法兵の志願は不合格となり、深く意気消沈していた日々をどうにか抜けて、己の事以外にも目を向けるだけの余裕を取り戻すに至った、ある時の事。
 沼淵は女教師に関する噂を耳にしたのだ。
 彼女の夫は前線調査へと赴き、そして不慮の事故で死んだという。
 
 すでに諦観していた憧憬のゆえではなく。 
 それはただの好奇からの行動であったのかもしれない。
 久しぶりに目にした女教師には、天上の花たる輝かしさなど影もなくなっていた。
 痛々しいほどに痩せ細り、肌や髪も荒れていた。
 見る影もなく憔悴し、さらには心を病ませ、胡乱な存在と化していた。

 かつては淡い心を抱いた女。その女の哀れな姿に心を痛め、同情を寄せるべきなのか。
 あるいは、女の不幸を喜ぶべきであるのか。むろん後者が下衆な行為であるのも理解出来ている。けれども。
 
 胡乱な存在と化し、虚ろに遠くばかりを見つめる女教師のなれの姿に、沼淵の心が抱いた言葉は、下衆じみたものでも憐憫でも、どちらでもなかった。

 ◇

 ――興味がなくなったのか
 酒盃を空けながら男は言う。その顔が浮かべているであろう表情がいかなるものであるのか、沼淵には見えない。
 酒が波を打つ。その波の一点のみを見つめながら、沼淵は密やかに口角を吊り上げた。
 
 無様
 女教師を見た時に抱いた言葉は、ただその二文字に尽きるものだった。
 憐憫でもなく、下衆なものでもなく。沼淵の内に沸いたのはただ、落胆だった。
 そうしてその瞬間に、己が抱いた初恋の熱は完全に潰えたのだろう。女への憧憬は醒め、一片の興味すらも残さずに喪失してしまったのだ。

 酒を干し、口角を持ち上げながら、沼淵はゆるゆるとした独り言を落とすように、男からの問いかけに応じる。

 淑やかで、芯の強い女がいい。
 そうだな、――例えるならば、夫を喪っても己を強く持ち続けられるような。
 そんな強い女が。

 

クリエイターコメントこのたびはプラノベのオファー、まことにありがとうございました。
お時間いただいてしまい、大変に申し訳ございません。大変にお待たせいたしました。少しでもお楽しみいただけましたらさいわいです。

タイトルは言葉が持つ意味そのものではなく、もう少し違う意図を持たせてみました。
公開日時2013-05-10(金) 22:20

 

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