その花は、根元から枝先に至るまで、全てが灰色に染められていた。 曇天の空に溶け込むような色彩でありながら、その禍々しい佇まいは見る者の眼を惹きつけて離さない。 荒れた岩肌の如き樹皮。 降り注ぐ火山灰のような花弁。 永遠と言うよりは、停滞を象徴するような灰の桜を前に、二人の男が所在なげに立ち尽くしていた。「決して枯れない桜――って聞いたから、つい綺麗なものを想像しちゃったんだけど」 岩肌に突如現れた裂け目のように、大樹の根元に大きく空いた虚を覗き込む、赤い髪の青年。光を必要としない、人ならぬモノの瞳孔を以ってしても、深淵は底を窺わせなかった。「……ちょっと、気味が悪いね」 人好きのする銀の瞳に翳りを落とし青年が呟けば、傍らに立つ小柄な軍人がその紅眼を閃かせ、ちらりと虚を一瞥する。「如何にも『墓穴』と言った様相ではありますな」 情の伴わぬ、体裁だけを取り繕ったような感想に、青年は軽く肩を竦めるだけでそれ以上話を続ける事はなかった。 ふと手元のトラベラーズ・ノートに伝言が遺されている事に気付き、ニコ・ライニオは臙脂色の手帖を開いて中を確かめる。「楽園ちゃんは『贄』として、ほのかちゃんはその付添として虚に入ることができるみたい」「――そうでありますか」 その名を口にした瞬間、僅かにヌマブチが軍帽の下で表情を変えたように、ニコの目には見えた。 ◇「朱昏の東、《皇国》の更に東南の果てに、『日向』という街があって」 いつもの如く、面子が揃ったのを確かめると、前置きも何もなく虎猫は依頼の話を始めた。「楽園さんは覚えているかな」「ええ」 以前、南の《理想郷》を目指した航海に同行した依頼の際、出発点として利用した街の名だ。東野楽園は悪戯な猫の瞳を細め、同意を示す。「今回行ってもらうのは、そこからほど近い場所にある小さな村だ」 その村では地方ゆえ都ほどの文明はなく、霧島と言う名の士族が近隣一帯で力を持っているのだ、と言う。「その一族、ちょっとした曰くを持っていてね」 二つの大家に生まれた或る男女が、将来を約束した間柄になった。 しかし、男は女ではなく、女の妹を見初めてしまう。 特段醜くも、優れているわけでもない、平凡な容姿の姉に比べ、春の花のように淡く、華やかな容姿の娘だったと言う。誰もが一目見ただけで心を奪われる、一瞬の美を体現したかのような。 心惑わされた男は、一方的に女との婚姻を反故にし、妹との縁談を結んでしまう。 女は悲嘆に暮れ、二人を恨んだ。 そして、言祝ぎの代わりと呪いの言葉を贈り、行方知れずとなったと言う。「始まりは、彼らの娘だった」 妻の血を受け継いだとわかる、美しい少女だった。 天真爛漫な笑顔は周囲を虜にして已まず、無垢で悪戯な素振りさえも愛された。 少女は成長を期待され、また、その容色が衰える事を懼れられもした。「だが、十五になったばかりの事だ」 ――少女は、花のような美を損なわぬまま、命を落とした。 暖かな春の昼下がり、村の広場に咲く桜の木の下で、眠るように凍死していたと言う。「それから、男の一族に生まれた子供たちは皆、ことごとく二十を迎える前に命を落としたらしい。死因は様々だけれど、皆、必ず」 彼らは皆、女の死から今まで一度も花の絶えた試しのない、奇妙な桜の前で骸を曝していた。 ――いつしかそれは、男に棄てられた女の呪いと噂されるようになった。「……聞き覚えのある、話ね」 幽玄とした様子でほのかが首を傾げ、記憶を手繰るように琥珀の視線を彷徨わせる。長きの安寧よりも一瞬の美を選び、限りある命を与えられた、欲深き人間の祖と呼べる男の物語。「壱番世界に、似たような神話が残されていると聞いたよ」 虎猫もまた小さく頷いてその相似を認め、話を続けた。「もちろん、それじゃ血は直ぐに途絶えてしまう。困り果てた一族は、一計を講じたんだけど」 一族の子と同じ年に生まれた子を近隣の村から買い取り、養子として迎え、成長した後広場の桜の根元に空いた巨大な『虚』に棄てる。 棄てられた子供たちがどうなったかは定かではないが――その儀式を経れば、血筋の子は二十を越す事が出来るようになるのだと言う。「つまりは、体の良い身代わり――生贄だね」 とは言えそれは、その場凌ぎの解決策だ。 次代に生まれた子はまた、新しい身代わりを立てなければ若くして命を落とす。子が生まれる度に近隣の村から生贄を探し、一族は呪われた血を繋いできた。「……だが、そんな事ばかり繰り返していたから、近隣の村々からは若い男女が消えてしまった」「まあ、殺されると判っていて子の存在を触れ回る親は居ないでしょうな」 司書が選んだ言葉の微妙なニュアンスを察して、ヌマブチが言葉を添える。真正面に佇む己よりも巨大な猫を前に、軍帽の下の紅眼があらぬ方向を見つめている事には誰も言及はしない。ただ、見目の割に温厚な虎猫が時折不思議そうに首を傾げるのみだった。「それで、僕らは何をすればいいのかな。呪いを解く方法を探るとか?」「それなんだけど」 沈みがちになる空気を振り払うように、努めて明るい声を上げたニコに眼を向けて、世界司書はわずかに首を傾げた。「問題の虚の中に、強大なエネルギー反応が感知された」「エネルギー?」「朱の波長とも似ているような、似ていないような。何とも捉えどころのない反応なんだけれど――まあ、先ず放っておけば暴発する類のものだ」 いつからそれがあったのかは定かではないが、國が――軍の研究部がそれを察知したのはつい最近の事だと言う。暴発すれば周囲一帯を消し去るほどの不安定な力を貯め込んで、ソレは虚の中で眠り続けている。「……つまり、虚に飛び込んで、その元凶を取り除いてくればいいってこと?」「そうなるね」 虎猫は小さく頷いて、集った四人の眼を、順に見つめた。「虚に入る方法は此方で用意してある。少し危険な任務になるけど、引き受けてくれるかな」 おそらく、それで忌わしき一族の呪いにも何かしらの決着が付くだろう、と。 ◇ 垂らした黒い髪に、冴え冴えとした金の瞳。 虚ろな、或いは病的な、白い肌と華奢な佇まい。 村の百姓が大切に隠し続けてきた姉妹は、その存在が明らかになると共に、霧島家へと半ば攫うようにして買い受けられた。 息女と同じ十四になる妹は、伝説に語られる女を思い起こさせる、美しい見目をしていた。「子を設けていたならば、何故今まで隠していた」「……もうしわけありません」 姉はその長い黒髪を垂れ、畳に額を押しつけるほどに身を低くして許しを乞う。霧島家の当主は蔑みの眼を娘たちへと向けた後で、熱を喪ったように視線を逸らした。「まあよい。もう少しで但馬様に情けを頂戴する所だったが、その必要もなくなった」 口許に浮かぶ、歪んだ笑み。「儀は夜にでも執り行う。逃げ出す事は叶わぬとは思うが、せいぜい大人しくしていろ」 上機嫌のまま、男は居間から姿を消した。 顔を上げた姉は妹を振り返り、その白い面を虚ろに傾げる。「……こんな感じで、良かったのかしら……」「上出来よ」 肩までの短い髪を靡かせて、妹は悪戯な猫のように眼を細めた。年に似合わぬ老獪な表情を浮かべると、妹――楽園はほのかを促し、居間から廊下へと出た。「せっかく忍び込む事が出来たのだもの。調べるなら今の内よ」 しかし、意気揚々と踏み出した足はすぐに立ち止まる事となった。 中庭を挟んだ向かいの部屋が、目に入る。 障子が僅かに開いて、その向こう側から背の低い影が彼女たちを見つめていた。「あれは」「子供……?」 その瞳の抱く、翳りとも炎ともつかぬ淀みに、二人は言葉を喪った。 ――憎悪に似た、激しくも褪めきった色。 思わず顔を見合わせる。 その一瞬の間に、障子の隙から覗く眼は消え失せていた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ほのか(cetr4711)東野 楽園(cwbw1545)ヌマブチ(cwem1401)ニコ・ライニオ(cxzh6304)=========
「――気になるわね」 障子の奥の目線が消えてすぐ、東野楽園は廊下へと足を踏み出した。先程一瞬だけ彼らの前に姿を見せた娘の事が気にかかる。 「それなら、私が霊体になって……見に行く事もできる……けれど」 訥々と申し出るほのかの言葉を断って、楽園は悪戯な猫の笑みを浮かべた。 「それじゃ駄目なの。あの娘には言いたい事があるのよ。……大丈夫、巧くやればばれはしないわ」 軽やかに鈴を転がすような声音でそう云い、中庭へと躍り出た妹を視線のみで追いかけて、姉は静かに吐息を零した。彼女には彼女のやりたい事があるのだという。ならば無理に止めはせず、己も己の知りたい事を知るべきなのだろう。 (ひとまず……お名前が、知りたいわ) 伝承に記された、呪いの源となった女の名。 いくら壱番世界の神話に酷似しているとはいえ、そのまま女神の名を呼ぶ訳にもいかない。名は人を制し形作る呪。ソレを知る事は、彼女の恨みや呪い、魂の残滓に迫る事にも成り得るのだろう。 静かに、糸の切れた人形のように畳の上に身を横たえ、瞼を閉じる。 魂魄を身体からそっと、魚の身を削ぐように引き剥がす。霊体のまま虚空に漂う感覚は地に足を付けているよりもほのかにとって馴染み深い。閉じたままの障子を擦り抜けて、ほのかはそのまま、先程立ち去った当主の姿を探す。 暫く彷徨っている内に廊下を渡る後姿を見つけ、その裡(うちがわ)に入り込んだ。 魂魄だけであった頃には確かに持っていたほのかの主観が、当主のものに成り変わる。足早に廊下を歩き抜ける彼の意志はそのままにし、ただ彼の裡に留まって、ほのかは当主の記憶の糸を手繰り始めた。 初めに突き当たったのは、灰の桜に空いた虚に落ちて行く少年の光景。彼自身が経験した生贄の儀式の記憶だろう、彼にとって何よりも印象に残っているからこそ、こうしてすぐに目に付いたのだ。 そこから現在へと、時系列を追うように記憶を昇って行く。 儀式を経験した少年は、或る時から書庫に入り浸るようになり始めた。 彼自身、己の一族の背負う呪いの原因を解き明かそうと躍起になって調べた事があるようだった。屋敷の書庫を漁り、昼夜文献を探る若き日の姿は、実際に顔を合わせた時よりも勤勉なように見受けられた。 子であった頃は抱いていた苦悩も、自らが大人になり、子に同じ呪いを背負わせる事となった時、忘れ去ってしまうものなのだろうか。 ◆ 中庭を渡り切り、向かいの部屋の障子を開く。 箪笥の傍に蹲っていた先の娘は、突如現れた楽園の姿を見、驚いたように身を翻した。 逃がすものか、と黄金の瞳を捕食者のように細めて、立ち上がろうとして足を縺れさせるその肩に手を掛ける。 「!」 「ねえ貴女、ここの家の子?」 努めて優しく声を掛ければ、恐る恐ると言った体で娘は彼女を振り返った。 誰もが見惚れるような、しかし底冷えのする笑みを湛え、楽園は娘を逃さぬよう視線だけで絡め取る。 「なんであんな眼差しで私達を見ていたの?」 「……あんな……って」 楽園の威圧感に気押されながらも言葉を返す娘には、己の心に自覚がないようだった。怯え、震え、しかし訝しげな眼差しで、楽園の黄金を見つめ返す。 その黒い瞳を淀ませる、感情の意味を知っている。 「――儀式が気に食わないのね」 狙い定めたように、言葉を放つ。 娘は大きく目を瞠り、掴んだままの肩が強張るのが判った。 瞳が孕む翳りは、贄となる楽園への申し訳なさでもなく、儀式への恐怖でもなく、ただ父親に唯々諾々と随うだけの己への憤りが強く顕れている。鏡像のような楽園を通して、己自身に跳ね返す憎悪の色だ。 唇を噛み締めて俯く。娘の肩は微かに震えていた。 「なら、見に来ればいいわ」 「! でも、おとうさまが」 「御父上が怖いの? それならずっとそうやって隠れて震えていればいい」 態と嘲りの籠る声音で吐き捨てれば、弾かれたように娘は顔を上げた。 「そうね。それが臆病な貴女にはお似合いだわ」 怒りに成りきれぬ激情を孕んだ瞳を見据え、それとだけ言うと、楽園は身を翻す。肩口で切り揃えられた漆黒の髪が、円を描いて靡いた。 「それじゃ、私はこれで。御機嫌よう、意気地無しの御息女様」 ◆ 陽の照らす白昼においても、どこか虚しい空気を湛えた村の中を、臙脂色の軍装を着込んだ男が行き来する。肩口で結ばれた空の左袖が風に揺れ、その空虚さは外からの来客を見守る村の人間の目には奇異に映った。 軍装の襟元で、逆五芒の徽章が金色に輝いている。 懇意にしている真都守護軍、その第六小隊の制服を借りて、ヌマブチは桜と朱との関連性を調査する為にやってきた軍の人間と偽り村での行動を赦されていた。 当代の霧島家には男の嫡子は居らず、今年十四になる娘が一人いるだけだという。贄として彼の少女を選ぶには丁度いい年齢だった。 ――親が子の生存を望むのは世の道理という物。 人の情に欠けたヌマブチにもソレは理解できる。 (だが、子にしてみれば生まれた時から犠牲を負わされるなど迷惑極まりなかろう) 先代の呪いゆえに己の命を落とすか、他人の命を奪って己のものにするか。 子が選ぶ余地もなく、儀式は行われてきた。 ――或いは、他者を犠牲にしてでも己を生かそうとする親の情に感動でもするのか。 (さて、その心中は如何程) 嘲るように目を眇め、ヌマブチは思考を切り上げて此方へと向かってくる相手へと頭を下げた。 「態々手間をお掛けして申し訳ない」 「いえ。しかし何故、突然こんな時期に」 霧島家に長年仕えている男は、当惑したように云う。彷徨う視線が頻繁にヌマブチの軍装の徽章へ向かっているのを見るに、この衣裳を用意したのも無駄ではなかったようだ。 「“こんな時期”だからこそであります。理由は貴殿も御存知の筈でしょう」 「……そう、ですね」 警戒の姿勢は崩さぬまま、使用人はヌマブチの言葉に相槌を打つ。 「虚への立ち入りは、やはり許可できぬと?」 「旦那さまの御言葉です。こればかりは軍の御方でも認める訳にはいかぬ、と」 「そうでありますか。残念だ」 口ではそう云いながら、軍帽に隠した紅の瞳は静かに思索を巡らせている。許可が降りぬのなら勝手に入ればいいだけの事。 「――そう言えば、但馬氏は壮健で居られますか」 己がこれまでに関わった朱昏での事件を辿っても、霧島と言う名に心当たりはなかった。 代わりにふと過去の資料で目にした名を口にすれば、男は軽く頷いた後、僅かに眉根を寄せる。 「それが……ここ最近、様子がおかしいとの噂です」 「様子が?」 「はあ。突然若返ったようだとか、急激に老け込んだだとか、気が触れたように笑ってばかりいるだとか、幼子のように泣き喚いてばかりだとか……要領を得ん話ばかりで」 「それは……確かに、奇妙ですな」 考え込む素振りを見せるヌマブチに頷いて、男は言葉を重ねた。 「旦那さまはお嬢様の呪いについて、但馬さまに相談を持ちかけていたようですが……今やその必要もなくなりまして。幸いでした」 「幸い、でありますか」 有力者からの慈悲を乞うよりも、赤の他人の命を犠牲にする道を選ぶらしい。 大した矜持だ、と。 嘲弄の意を深く被り直した軍帽の奥に隠して、ヌマブチは使用人に背を向けた。 ◆ ほのかが当主の裡に入り込み、手繰り寄せた記憶は、やがて一冊の書物を紐解く場面まで辿り着いた。記憶の主が調べを始めてから、どれくらいの年月が経ったのかは分からないが、視界に映り込む手は随分と若さを喪い始めていた。 古びた帳面の隅に書かれた、小さな文字を、まるで大切な人の名にするように何度も撫ぜる。 「“月水”」 (……つくみ) 辿り着いたその名を、意識の中で反芻する。 (そう仰るのね……磐長姫) ◆ 降りしきる桜の灰が、ニコ・ライニオの赤い髪をくすませて行く。 「ね、そこのお嬢さん」 田舎の村には相応しくない、洒脱で色鮮やかな青年に呼び止められ、女は軽く目を瞬かせた。色の褪せた質素な着物と手入れもろくに施されていないような黒い髪。しかしそれらもニコの目には彼女の美点として捉えられていた。今を精一杯生きる、人間としての美しいあり方だ。 「僕、ちょっとした調べ物をしてるんだけど」 「調べ物……先の軍人さんのお仲間ですか?」 「まあね」 頷いて、へらりと軽率な笑みを浮かべれば、向こうも然程の警戒心を抱く事なくニコに対して笑み返した。 背にした灰の桜を指し示して、軽く肩を竦める。 「あの桜、不思議な色してるね。何か伝説でもあったりする?」 問われた女は戸惑ったように眉を顰め、暫しの逡巡の後、口を開いた。 「伝説、なんて可愛いものではないわ。あれは――禍そのものなの」 「わざわい……? 詳しく聞かせてほしいな」 ニコの纏う柔らかな雰囲気に絆されて、娘は禍を口にする惧れを抱きながらも、言葉を続ける。 「霧島様の御家に伝わる呪いの話は知っている?」 「うん」 「――あの桜は、呪いを掛けた娘の成れの果て。彼女はあの桜の虚の傍で、消息を絶った……そうよ」 僅かに言葉を濁して、娘は虚を一瞥する。 その違和感には、ニコもまた気が付いていた。 云い伝えの奇妙な矛盾。呪いを掛けた女は行方知れずになった筈なのに、女の『死』から枯れなくなった桜の伝承。 「つまり……彼女は、この桜の虚に飛び込んだんだね?」 「そうも言われているし、この辺りで姿を消しただけ、とも言われてます」 どちらにせよ、女の失踪と呪いの源にこの桜が関わっている事は確実なようだった。 「そっか。……じゃあ、あの桜の名前は?」 「――“散比売(チルヒメ)”」 畏怖と、崇拝を籠めて呼ばれる名。 その名称は、咲いているのではなく散っているのだと、村の人間もそう認識している事を示している。 見上げれば、呼吸さえも奪うような鈍重な色彩の花雪に、溺れてしまいそうだ。 花に、生と死があるとするならば。 この桜は永遠に生き続ける花ではない。 ――永遠に、死に続ける花なのだ。 ◆ 日が西の山へ沈み、天が朱く燃える。 散る灰の花もが朱の色に染まり、まるで大河を挟んだ隣国の景色を思い起こさせた。屋根が、野辺が、広場から見える全てが、朱に浸されていく。 贄となる姉妹は引き立てられるように、若衆に四方を囲まれた上で広場の桜の前へと連れ出された。妹は怯えて姉の胸に縋り、姉はただ諦念にも似た眼差しを桜の虚へと向ける。 漆黒の口を開ける虚の目の前まで追い立てられた時、ふと、姉が消え入りそうな声で呟いた。 「……悲鳴が上がるかもしれないけれど……気にしないで」 「悲鳴?」 首を捩って己を抱き竦める“姉”を見上げれば、幽玄な、生気のない微笑を湛えたまま彼女は琥珀の瞳をただ虚へと向けるだけだった。 この奥に、果たしてどれほどの高さがあるのかは分からない。 落ちた先が平らな地面になっているのかも、深い深い漆黒を曝すだけのあぎとからは想像もつかなかった。 「その場合、ただ私に身を任せてね……返しが及ぶといけないから」 しかしほのかはただ、腕の中の少女を護る決意だけを胸に、静かに奈落への入り口と対峙する。 楽園ももうそれ以上は何も問わず、ただ姉に抱かれながら恐怖に震える“妹”の貌に戻った。 二人、虚を見下ろす。 呼吸を合わせ、飛び込む機会を窺うように。 「――おとうさま、もうやめて!」 張り詰めた静寂を切り裂くように、高く震える、しかし芯の通った声が響く。 「津久美」 「もうやめて、儀式なんて要らないわ」 驚いて振り返る当主の腰に抱き付いて、一人娘は同じ言葉を繰り返す。 「何を言う、お前のために」 「私のためを思うなら、今すぐ已めて!」 悲鳴にも近い懇願を無視する事も出来ず、父親は娘を落ち着かせようと、身体ごと意識を桜から逸らせた。その隙を見、楽園が密かに声を上げる。 「行きましょう」 「……いいのかしら……」 急かすようにほのかを見上げると、彼女は茫洋とした面に当惑の表情を幽かに浮かべ、ちらと背後を一瞥した。此方の事など構わず、云い争う父と娘の姿が在る。 「大丈夫、予定通りよ。――さあ、早く」 言葉と共に、抱き締めるほのかの腕を引いて、諸共虚へと飛び込んだ。 此方へ気が付いた娘の、凍り付いた表情が目に入る。 視線が交錯する一瞬、贄となった少女は黄金の眼を猫のように細めて嗤って見せた。 ◆ その屋敷は、人の気配を喪ってしまえば廃屋と変わりがないほどに沈鬱な表情を見せる。沈み行く陽に照らされて、迫り来る闇に融け込むように深い紫に染まる回廊を、薄青の塊が不格好に飛び渡っていた。 小さな嘴には大きすぎる木材を咥え、その先に燈る火を鱗粉のように散らせながら何処かへと懸命に翼を羽ばたかせる。 その小さな肢を、襖の奥から伸びてきた手が無遠慮に掴む。 青い羽根が散る。慌てて逃げ去ろうとする梟を宥め、咥えていた松明が落ちそうになるのを支える影の脇で、ヌマブチは静かに嘆息した。手早く布を被せて梟――セクタンの視界を覆い、袋状にした口から飛び出した足を掴み乱雑にぶら下げる。 「屋敷に火を付けるつもりだったようですな」 「騒動を起こす一環だったのかな」 そのまま足早に屋敷の出口へ向かうヌマブチを追い掛けて、のんびりとした声を上げるニコにヌマブチは小さく頷きを返した。 「楽園殿らしくもない」 「あの子の事、よく知ってるんだね」 微笑ましい、とでも言いたげな柔らかな眼差しに、どう応えたものか暫し逡巡した末、結局ヌマブチは視線を逸らすに留めた。 玄関を出た二人は、虚へ飛び込んだ“姉妹”を目の当たりにし、卒倒した当主の娘を屋敷へと運び込む一行と擦れ違う。儀式の場であった桜の周りは今人の眼が薄くなっているだろう。 「……それで、この後はどうする?」 屋敷の門を潜り、桜の咲く広場へと足早に歩いて行きながら、意思確認めかして問いかけた。 「無論」 返る答えもまた、予定調和だ。 「ロストナンバーと言えど、女性二名に前線を任せるは不安が残る。ましてや予言通りの危険地帯、態々狙われている彼女等をそ送り放置等愚の骨頂」 淡々と、文字を読み上げるような、心情の伴わない言葉。 ただ合理的に判断したまでだと、それ以上の意味を彼自身が排しているかのようだ。 「――よもや貴殿には、違う意見が?」 岩肌の桜の前へと辿り着いて、漸く返答を求めて振り返ったヌマブチへ、ニコは微かな笑みと共に頷いた。 「ん? いや、大体同意だよ。――じゃ、行こうか」 できればこうしてエスコートするのは女の子が良かったんだけど、と冗談めかして笑いながら。 漆黒の虚を背に、深紅の翼を備えた竜の化身が、ゆっくりと手を差し伸べる。 虚へと飛び込んだ直後、暗闇の中で咆哮が轟いた。 間近で響いた音に耳を塞ぐヌマブチの身体を、何者かが掬い上げる。 光も射さぬ闇の中、何が起きたのかも判らぬまま彼は、空を穿つ羽撃きの音にただ身を任せていた。 『背中に乗せるのは女の子だけ――って、云いたい所だけど』 咆哮によく似た、しかし穏やかな声が響く。 「ニコ殿?」 『正解』 振り仰いだヌマブチの紅眼に、見覚えのある銀の光が映り込む。 鱗めいて光る、巨大な双眸。赤い髪の青年の持つものと同じ。 『中は随分と深いみたい。このまま降りるよ、捕まってて』 「承知した」 云うが早いか、ニコが変じた巨竜はぐっと首を下げ、下方へとぐんぐんスピードを上げて滑空する。ヌマブチは借り物である軍帽を落とさぬようしっかりと口で咥え、振り落とされないよう片腕だけで懸命にその太い首元に縋り付いた。 『――二人は大丈夫かな』 「何の手立てもなく飛び降りるほど無策ではなかろう」 もとより巨竜の声は大きく響き、ヌマブチの耳にも難なく届く。それに対し、持ち前の大声で応じたヌマブチを――甲高い悲鳴が襲った。 「!?」 金属音よりも不快で、直接鼓膜を穿つ程の鋭さを持った、高い張りのある女の叫び声。まるで断末魔のような。 『――急ぐよ!』 「応!」 そして、大きな翼で空を掴み、竜は巨躯を畳んで急降下を始めた。 ◆ かつり、と、軍靴の底が硬質な地面を叩いて高く鳴る。 辿り着いた奈落の底は、仄かな光を纏っていた。光源が判らないのが不気味だが、視界を確保できるのはありがたい。 ヌマブチを降ろした後で、赤竜も元の青年の姿に戻り、焦燥の色を滲ませて周囲を見回している。 「――居た、あっち!」 暗闇に強い竜の眼が、微かな人影を捉えた。 駆け寄れば、其処には倒れ伏すほのかと、彼女に寄り添う楽園の姿がある。 「ほのかちゃん、楽園ちゃん、大丈夫?」 「……ええ」 駆けつけた二人を見、楽園は僅かに目を眇めると、目覚めないほのかへ視線を戻した。 「さっきの悲鳴は?」 「彼女のトラベルギアよ」 そう云うと楽園は、黄金の瞳をついと滑らせて、瞼を閉じるほのかの傍に落ちている白い紙を示した。呪術に用いるカタシロの姿をしたそれは、ほのかが負う傷を肩代わりし、“悲鳴”として跳ね返す類のものだという。 「あまりの聲に私も驚いたけれど、怪我はないわ。彼女が庇ってくれたから……一時的に気を喪っているだけね、すぐ目が覚める」 「そう、か。無事で何より」 僅かな安堵を滲ませたヌマブチの言葉にも、碌な反応を返さず、楽園は視線を滑らせた。 「……あれを見て」 楽園の白い指が示した先には、広場のものとよく似た、巨大な灰色の桜が咲いていた。 灰吹雪の花が降る。 岩肌の幹を曝して立ち尽くす、艶めかしいまでの桜の輪郭。 ――否。 其れは、人だ。 近付いてよく見ずとも、彼らには理解できた。 咲き乱れる花と、広がる枝は女の髪。 岩肌の幹は、乾き切って爛れ落ちたまま固まってしまった、女の肌。 根に変わった肢はそのまま漆黒の虚へと溶け込んで行き、行く末はどこへとも知れない。 ――そして、桜の虚のあった場所には、青と赤の、陰陽の珠が埋め込まれていた。 「……何故」 茫然と、ヌマブチが声を上げる。 「……やはり、世界計に関わるもの……なのね」 気を喪っていた筈のほのかが、ふと身を起こして弱弱しい声でそう呟いた。霊威に聡い彼女もまた、その存在を薄々と感じていたようだった。 それはかつて真都の事件で目にした神宝の一。 朱の大妖と天神の末裔が持ち去ったモノの筈だった。 「しかし、何故、こんな所に」 その答えを誰からも得られぬまま、不意に幹の人間が俯かせていた顔を上げる。 ――細い面の女。表情も、顔立ちも、年齢も、何も読みとれない。その肌は彼の桜の幹の如くに罅割れて、乾き切っている。瞳は隆起した肌の奥に隠れ、恐らくは視界すら開いていないだろう。耳は削ぎ落とされ、耳穴に当たる部分からも桜の枝が伸びている。 その、枯れ爛れた唇から、風に似た息が零れた。 それが言葉を発していたのだと、彼らは遅れて理解する。 「何を云っているんだろう……?」 ニコが耳を傾けようとするが、それは捉える事も出来ず、風の音に儚く消えてしまう。歌を口ずさむかのように茫洋と、繰り返される呼気。その響きを崩さぬように、静かにほのかが桜へと歩み寄った。 「――そう……夢、と思っていたけれど……違うのね」 そっと、枯れ木の女に白く幽かな手を差し伸べる。 長く茂る枝の一つに触れ、それはぼろりと灰になって崩れ落ちた。 「私は……貴女の記憶を、視ていたのね」 気を喪っていた間に、忍び込んできた何者かの主観。その主が目の前の女だと、ほのかは漸く確信をした。 「あなたは……初めは確かに、夫と成る筈だった御方の事を……恨んでいた」 琥珀の瞳を瞼の裏に閉ざしたまま、桜の化生と成り下がった女の精神に憑き、汲み上げたモノを滔々と言葉に変える。心を、記憶を、時間を、――死を。永い永い時をこの暗闇の中で過ごし続けた、桜の女の真実を紐解くように。 「身を投げるつもりで……此の虚に飛び込んだ。けれど、死ぬ事は出来なかったのね……」 口にする度、走馬灯が過ぎる。 まるで己が体験した事のように、痛みは蘇る。断片的な女の記憶を伝って。 女が桜と一体化し、存えた原因は、根元に埋まった赤青の宝珠だろう。初めこそそれを幸いと受け止め、男の家に禍を振り撒いたが――次第に、変化が始まる。 「あなたはやがて、終わりがない事に気が付いた……生きてすらいないのに、繰り返され続ける死に……」 それでも、贄は捧げられ続ける。 闇に囚われ、灰の根に絡み付かれて、生きてすらいない女の養分に変わる。そして、終わりは遠ざかるばかり。 己が意思すらも最早薄弱な、彼の女に、今だ心があるとするならば。 「……あなたの、御心を聴きたいわ――月水(つくみ)さま……」 それを知りたいと希う。名を口にする。 灰よりも尚脆く、既に闇の中へ塵となって融けてしまった、女の魂の残滓を掬い上げるように。 隆起した岩肌の奥に隠れた女の瞳に、確かに光が燈ったように、ほのかの眼には見えた。 そして――。 『 ころし て 』 たった一言、風の音に紛れて消えそうなほどに弱弱しい言葉が、紡がれた。 崩れ落ちた筈の灰の花が、時を遡るように宙を舞う。灰が落ちた場所に帰って、欠けていた木の枝を再生させる。 女の唇から、言葉にも成らない悲鳴が零れ落ちた。 風を切り裂いて、闇に融けて行く聲。 『 おわらせて、わたしを 』 其処に在るのは、生きた人間でも、死んだ桜でもない。 枯れ木となって尚、花を咲かせ続け、花弁を落とし続ける、外道の花。 散り続ける桜。 死に続ける華。 その呪いの源となった女もまた、永遠の死を繰り返しているのだ――。 「憐れね」 醒めた目で呟いて、楽園は呆れたように息を零す。 「生前の恨みさえも喪って、それでも死にきれないなんて。無様で惨めな女」 最早彼の女には、何もない。 何も遺っていないのに、死を迎える事すら出来ない。 「貴女が呪われた桜の本性だというのなら……貴女を燃やせば、すべてが終わるのね」 黒猫のように微笑む娘の掌から、唐突に、焔が燃え上がった。 「楽園ちゃん!」 驚く仲間を空いた片手で制し、楽園は落ち着いた素振りで焔を――隠し持っていた燐寸に燈る火を、桜の化生へと差し出す。罅割れた肌の奥で、女はじっと、その光に魅入られているようにも視えた。 黄金の瞳が、燈火に揺らいで翳りを作る。 「焔は浄化の徴よ。呪いの連鎖も断ち切られるでしょうけれど、貴女自身も終わる事ができる」 恭しく女の足許に跪いて、楽園が焔を捧げると、すぐにソレは乾いた肌に沁み込んでいった。灰色の幹の芯が、熱を以って輝く。 小さく、炭が爆ぜる音がした。 内側から侵蝕を始めた火種が勢いよく女の身体を破り、外側へと飛び出して業と音立てた。根と成った足を、枝葉に変わる腕を、髪を、全てを包んで燃え上がる。 「……これ、で……解き放たれるのね」 浄化の焔は深い闇の中でも融け込むことなく、煌々と周囲を照らし出していた。 不意に、燃え盛る炎の熱を取り込んで、赤と青の光が不穏に煌めく。 「――楽園殿!」 誰よりも早くその予兆に気がついて、臙脂の軍装を閃かせて男が奔る。 瞬間的な、エネルギーの凝縮。 そして、熱が爆ぜた。 身構える余裕もなかった楽園の視界を、臙脂色が遮る。 そのまま庇うように突き飛ばされ、男と少女とは共に暗闇の地面を転がった。しかし突然の爆発を完全に防ぐ事は叶わず、男の背を熱風が掠め、痛みに幽かな呻き声が零れた。 「……どうして」 茫然と、黄金の瞳が降り切った筈の未練を残して揺れる。 その揺らぎに気付いたか否か、軍人は微かに視線を彷徨わせた後で、常の彼と変わらぬ冷淡な声を落とした。 「君が女性で、子供だからだ」 彼にも納得できないような、表情の曇り。 それ以上の会話を切り上げ、何処か居心地が悪そうにヌマブチは楽園から離れ、未だに不穏な光を燈し続ける宝珠へと近付いた。 「今のが予言の爆発……か?」 「いいえ……もっと、規模の大きいものが来る筈……」 覗き込んだほのかを押し留め、ニコが彼女を庇うように、燃え盛る桜の樹を見上げた。煌めく赤と青の光は、徐々に強くなっている。 普段の軽薄な素振りは形を潜め、本性の威厳を覗かせた横顔が彼らを振り向く。 「みんな、僕が合図をしたら、竜変化するからすぐに飛び乗るんだ」 否を言わせぬ強い物言い。覚悟を秘めた背。 「ニコ殿、何を――」 ニコが掌に持つ、手鏡の面が赤と青の光を反射して煌めいた。それを盾のように己の前に掲げ、青年はその時を静かに待つ。 再び、熱量のある力が渦を巻く。 一瞬の予兆の後、空間が歪む。 先程とは比較にならないほどの光が、四人の視界を襲った。 しかし、それに伴って届く筈の衝撃は、幾ら待っても届く事はなかった。 『今だ、乗って!』 強すぎる光に眩まされ、視界が殆ど戻らぬまま、しかし三人はニコの合図に従って彼の伸ばした翼に掴まり、その背に飛び乗った。 赤い翼が空を掴む。 燃える桜、死を繰り返した女の最期を悼むように一度だけ振り返り、ニコは三人を乗せたまま虚の出口へと向かって一直線に羽撃いた。 女が燃えると共に、地上に聳えていた桜の樹もその姿を灰へと変えたようだ。ぽかりと空いた虚を飛び出して、三人を広場に降ろすとすぐ、竜は天を仰ぐ。 『これを!』 「ニコ殿!?」 赤竜が放り投げた宝珠を寸での所で受け止め、六角から預かった呪符で包む。途端、明滅を繰り返していた赤と青の光が静まって、ヌマブチは僅かに安堵の息を零した。 そうしている合間に、ニコはもう一つの何かを掴んだまま高く、空へと飛び立っていく。 月の光を鈍く弾く、それは鏡。 ニコのトラベルギアだ、と気付いた時には、彼は既に夜空の月ほどに小さく遠ざかっていた。 遥か上空で、光が爆ぜる。 其れは太い白光の帯となって直線を描き、山の向こう、彼らの視界の外側へと消えて行く。恐らくは日向の海がある方角へ。――誰にも被害を与えない場所で放出したのだろう。 光が収まった蒼い空を背に、赤竜が一声、高く咆哮した。 その雄々しい様を、広場に集う村人たちが茫然と見上げている。 上空で繰り広げられた光景に呆気に取られていたが、次第に、波が寄せるように、ざわめき始める。 「……龍王様だ」 「龍王様が、村を護ってくださった!」 誰かの言葉を皮切りに、歓喜の声が其処彼処で上がる。呪いからの解放と、目の当たりにした奇跡に、誰もが己が目を信じられぬようだった。動揺と実感に沸き立つ観衆の中を、三人はそっと抜けて村の外れの森へと向かう。 茂みを掻き分けて、赤い髪がひょこりと顕れた。 「……少し、目立ちすぎちゃったかな」 飄々とした様子で肩を竦め、ばつが悪そうに笑う青年を労うように、三人は彼へと歩み寄る。 「いいえ。ありがとう……助かったわ」 「ほんと?」 危険を伴う強硬手段に疲れた様子を見せていたが、ほのかのその一言でニコは簡単に回復した。へらりと軽薄な笑みを浮かべて、照れたように髪を掻きあげる。 「可愛い女の子に言われると、やっぱり嬉しいね」 「……ターミナルの彼女に伝えておくわね」 「ちょ、それは勘弁」 呆れたような物言いの楽園へ慌てて追い縋るその後ろ姿に、一つの村を救った赤竜の面影は、なかった。 <了>
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