開店前のクリスタル・パレスに、いくつかの人影が動く。温かな木漏れ日が差し込む窓辺では大きな赤い猫、灯緒が適度な力加減のブラッシングにごろごろと喉を鳴らし体を伸ばしている。サッサッと手際よくブラシを扱う無名の司書も鼻歌交じりでにっこにこの笑顔だ。彼女の膝の上では赤い熊の縫いぐるみと白いフェレット、アドが並んで置かれ、ぷすーという寝息が聞こえる。 ふわりと食欲をそそる香りが鼻をくすぐり、無名の司書が視線をそちらに向けると、四人の美男子が談笑しながら朝食の準備をしていた。背中に羽をもつ青髪のイケメンと武人の様な凛とした佇まいのイケメンが新年に相応しい朝食を、儚げな雰囲気を纏う銀髪のイケメンとがっしりとした体躯に褐色の肌が健康的な男らしさを思わせるイケメンが朝食に相応しいお茶の葉を選び、淹れる。 見目麗しい、揃いもそろって180越えの美男子~美壮年に給仕され、ふわもこ司書を存分にもふる無名の司書の顔は幸せいっぱいだ。「あ~~。新年から良いことばっかりだわ~」「さぁ、朝食にしますよ。アドも起きてください」 無名の司書の膝の上から声が聞こえ、ヴァン・A・ルルーがもふもふの手でアドを揺さぶり起こしていた。 運動会からクリスマス、そして年越し特別便2012というベントが続きこれから怒涛の書類整理もある。お疲れ様と今後も頑張ろうという労いも込めて、営業終了後のクリスタル・パレスを借りて司書の新年会を昨夜、行った。集まれる司書だけとはいえこうやって集まる事があまり無かったせいか大いに盛り上がり、今日の仕事が特にない司書は夜遅くまで話に花が咲き、気がつけば泊り込んでしまったのが、今ここに残っている司書達だ。 家主であるラファエルに無名の司書を始めとする世界司書達、贖ノ森 火城、モリーオ・ノルド、灯緒、ヴァン・A・ルルー、アドがそれぞれテーブルに着席すると楽しい朝食パーティが始まるが、少しして無名の司書は腕を組み考え込んでしまう。「どうかしたのかい? 難しい顔をして」 穏やかな声色でモリーオが囁きかけると、皆の視線が無名の司書へと向けられた。「いえね、こんな幸せ、お裾分けしないとバチがあたるわよね。うんうんって思いまして、ねぇてんちょー、今日って通常営業?」「そうですよ、いつもどおりシオン達が来たら店を元通りに……あぁ、まだ時間はありますから、朝食はゆっくりで結構ですよ」 ラファエルがそういうと、無名の司書はまたうーん、と考えながら店内を見渡す。昨夜の新年会でテーブルや椅子が何箇所かにまとめられ、広いスペースができている。「新年会の続きでもしたいのですか?」「もっと人を呼んで大人数でか? 食材足りるだろうか」「壱番世界にサトガエリをしてるんじゃないのか? ハツモウデをするんだろ?」 ルルーの言葉に火城と灯緒が続けて言うと、無名の司書がぱん、と手を叩く。「それそれ! 初詣! 里帰り! 新年会はもうやったから、そういったのしましょうよー! ほら、なんか歌にもいろいろあるじゃないですか、凧揚げとかこま回しとか」『あー、羽つき、双六、福笑い、書き初め、ひ……』 すぱーんとルルーが看板を叩くと、アドの看板はくるくると回転した。「そうそうそんなの! ねーねー店長! どうせならテーブル戻す前にイベントやろうよー」「今から準備して、ですか?」「いいんじゃないかな。楽しそうだよ」「流石に羽つきや凧揚げなら外でやることになるな」「副笑いならつくれそうだ」「世界図書館にも何かあるでしょうし、なんとかなるんじゃないですか?」『なんだったら持ち寄りでもいいんじゃねぇの』 気がつけば、司書達も巻き込んだクリスタル・パレス新年初イベントとなっていた。* * *「では、私は双六でもしましょうか」 それぞれが遊戯会の準備を進め、そしてとんでもない咆吼と破壊音が響き渡る中、ルルーは自身の司書室からやや大きめの折りたたみ式ゲームボードを持ち込んできた。「これは以前ロストナンバーの方が作ってくださったものなんですが……」 テーブルに広げられたそれには、豪邸らしき絵が繊細に描かれている。 部屋の配置はもとより、各部屋の名称や、そこにある調度品や装飾品の類いまでが分かる平面図のようだ。 そこに、ゴールまでの紆余曲折を現すマス目がぐねぐねと縦横無尽に張り巡らされている。「豪邸で起きた殺人事件を調査する《体験型探偵双六》なんですよ。事件の設定によって、自動的にマスの目や部屋の配置が変わるのもまた非常に興味深い仕様ですね」 言いながら、ルルーはゲーム盤上に浮かび上がった《あらすじ》を読み上げる。「今回の《事件》のはじまりは……新年会のパーティが行われた屋敷で、現当主の一人娘リジーが毒を含んで息絶えているのを発見されたところからです。場所は彼女の寝室。さらに、彼女の傍らには、一輪の薔薇とともに『哀しみが死を連鎖させる』という不吉な予言が残されていたのです」 年が明け、一族と懇意にしている者だけで行われた新年を祝う恒例のパーティ。 当たり前に始まり、なごやかに締めくくられるはずのそこで、事件は起きた。 屋敷は昨夜から吹雪によって外界から閉ざされており、外部からの出入りは困難と予測される。 つまりは、クローズドサークルでの殺人事件。 事件の登場人物は、娘の他に、当主夫婦、当主の年老いた母親、当主の弟夫婦とその息子、そして執事、メイド、料理人といったラインナップらしい。「皆さんは、探偵になっていただきます。この豪邸の関係者ではありますが、誰のどんな知り合いとして設定いただけも結構ですよ」 たとえば家庭教師、たとえば庭師、たとえば取引先の…といった例が次々と挙げられていく。「あとは、順番でダイスを振ってもらいます。出た目によって欲しい証言や証拠が得られるでしょうし、現場検証の許可ももらえます。死体に遭遇することがあるかもしれませんし、場合によっては犯人に返り討ちにされて、一転《被害者へ》となってしまうかもしれませんが」 そうして、ルルーは、ゲーム盤に付属するルビー色に輝くダイスを、人数分そっと取り上げた。「それでは、はじめましょうか」 ――ダイスが転がり。 新年会を終えたばかりのクリスタル・パレスの店内が、見慣れない屋敷のリビングルームへと一変した。
◆人物紹介を兼ねて 本来ならば穏やかな朝食の時間であったはずだ。 しかしいま、この屋敷は悲劇の幕開けに深く淀んでしまっている。 「新年早々殺人事件とは、中々おもしろい趣向じゃないか」 ムジカ・アンジェロは新年会で披露するために持参したバイオリン・ケースを絹手袋を嵌めた指先で撫で、密やかに口の端を持ち上げた。 その呟きは誰の耳にも届いていない。 その証拠に、旧友である弟夫婦の息子――リジーの従兄に当たるジョージィは、沈痛な面持ちで音楽家へ謝罪の言葉を紡ぐ。 「ムジカ、せっかく君を招いたというのに、こんなことになってしまって本当にごめんよ」 その言葉に、穏やかで紳士的な応えを返す。 「いや。おれでできることがあるなら協力は惜しまないつもりだ」 「ああ……そう言ってもらえると助かるよ……君はスクール時代からいろいろな事件を解決してきてるんだ。きっと、きっと真相を突き止めてくれるね?」 「ムジカ様……もしよろしければ自分をアナタの調査助手に使っていただけませんか?」 そう申し出てきたのは、それまで主人の脇に控えていた執事見習い、黒葛一夜だった。共同戦線を張ろう、という意思がさりげなく提示される。 「ああ、いいな。普段組んでいる相手が不在で調子が狂っていた所なんだ。こちらから頼みたいくらいだ」 快く了承を返せば、見習いの青年は嬉しそうに微笑んだ。 その傍では、メイドのサシャ・エルガシャが、ソファに身を沈めた当主の妻に向けて、そっと声を掛けている。 「あの、奥様。ニコル・メイブ様と共にお嬢様のお部屋を拝見してもよろしいでしょうか?」 娘を失ったショックからまともに動くこともままならない彼女は、ただゆっくりと力なく頷いた。 「うちの夫がいたら、と思うと残念でならないんだよね」 「ああ、ニコル……あいつが仕事で来られなかったことが悔やまれるよ。警部という存在が、事件を抑止したに違いないのだから」 ゆるゆると哀しげに当主は首を振った。 「夫の分も、私が頑張るつもり」 「ではニコル様、こちらへ」 「他のメイドとも話ができたら嬉しいんだけど、可能?」 「かしこまりました。ワタシからも声を掛けてみます。ルルー先生はどうされますか?」 サシャの気遣いに、掛り付け医はわずかに微笑んだ。 「私はそうですね、少々気になることがあるので別行動とさせていただきます」 そうして、誰もが事件解決へと動き出す。 警察を呼ぼうにも電話線は切れており、この吹雪では例え呼んだとしても警察の車が到着するにはかなりの時間を要するだろう。 閉ざされた館で、果たして連鎖する悲劇を止めることはできるのだろうか? 各々の手の中で、再び赤いダイスが振られた。 ◆現場の調査 「ここがリジーの部屋……そして、現場なのね」 花が好きなのか、可愛らしい壁紙に、淡い色のレースカーテン、机やチェストに至るまで薔薇の衣装が凝らされている。 サイドテーブルには、磨りガラスの水差しと空のグラスが置かれていた。 ただし、この部屋の扉は、今朝の騒動のおりに父親と叔父と使用人達によって壊されている。 そのため永遠の眠りについた少女の身体は今、現場保存よりも娘の安寧を求めた主の意向によって、別の寝室へと移されていた。 「でも薔薇はこのままにしてくれている、と」 直接触れないようハンカチを介して、ニコルが枕元に置かれたままの《薔薇》を取り上げた。 「薔薇の色は……赤くそまっているけれど、もとは純白ですね。血じゃないみたい……ペンキ?」 まるでアリスのワンシーンを思い出させる。どこか可愛らしい演出だ。 「赤黒い色を想定していたけど、半分正解、半分間違いってとこね。なんか、ずいぶんと繊細で物語チックね」 「薔薇はどこから持ち込まれたのか……答えはたぶん、温室だと思うんですけど」 言いながら、サシャは品種を心に留め、自身は別の確認作業に移る。 窓や扉の施錠状態、並びに隠し扉などの有無を検証することはミステリにおいては重要なポイントだ。 一夜もソレを望んでいたが、彼とは出目によって行動が別れている。情報はできればディスカッションで、無理でもトラベラーズノートで共有するしかないだろうか。 「そっちはどう、サシャ?」 「確かにお嬢様の部屋は、暫定《密室》だと言うことが確認できました」 メイドとして敬語を意識しながら、サシャは自身に構築されつつある推理にそって答えていく。 「……犯人が忍び込んでお嬢様に毒を含ませたと考えるのは、難しい気がします」 「なるほどね。死亡推定時刻のアリバイなんかは今回に限っては無意味かな? むしろ、気になるのは、いつ、どこで、どんなふうに毒を含んだかってことだけど。毒の種類は未特定かな」 「別の可能性を考えてもいるんですよ。いろいろ家族関係なども聞いて回りましょうか」 「それなら、ついでに贈答品の有無なんかも知りたいの。この部屋、ぱっと見の違和感はないんだよね」 「ではメイド仲間に聞いてみましょう。使用人はあらゆる郵便物を把握しているはず」 「それじゃ、その前に」 二人は少女のクローゼットや机の引き出しをひとつひとつ確認していく。 探すべきモノは別にある。 彼女の人柄、彼女の考え方、彼女の日常、彼女の行動、彼女の想い、彼女が抱える《リジー》としての内側を見出すためのモノ―― ヒトの秘密をのぞき見るのには抵抗があるけれど、でも、そこに《動機》が隠されているかもしれない代物。 「……ありました」 リジーの日記は他のどこでもない、枕の下に隠されていた。 ベルベットの手触りをもったダイアリーに鍵は掛かっていない。そっとページを繰れば、繊細な文字がポエム調で少女の胸のうちを綴っていた。 可愛らしい少女の、切なく淡い恋の歌。 だが、そのすべてを読み解く前に、 「……だれ!?」 ニコルの鋭い叫びが、背後の扉に向かって突き刺さる。 反射的に彼女は廊下に飛び出、そのままドレスの裾を翻して駆けだしていた。 「ど、どうしたんですか、ニコル様?」 険しい表情の彼女のあとを慌てて追いかけながら、サシャが懸命に問う。 「私達の様子を覗いてるヤツがいたの! 殺意以外の何物でもない視線だった」 廊下を曲がる人影を捉えて、二人は一層速度を上げる。 しかし―― 「……誰もいない?」 曲がり角の先には、誰の姿もない。 忽然と姿を消したのは何故なのか。 二人は顔を見合わせ、頷きあい、そうして、隠された扉の向こう側、使用人が使う裏階段へと身を滑らせた。 階段は狭く暗い螺旋を描きながら、地下へと降りていく。 サシャはかつて仕えた伯爵家と比べながら、どこか懐かしさを覚え、微かに唇がほころんだ。 けれど、細く狭い階段の行き着いた先――重い扉をニコルが開いた瞬間、その表情は凍り付く。 遅い朝食の準備がなされていたはずの厨房で、料理長が首を吊っていた。 ◆温室にて証言を得る 「薔薇の殺人とは、実に洒落ているな……ソレにこの光景。切り取られた異質さがいい」 一夜と共に温室に赴いたムジカは、外の吹雪とは無関係に咲き誇る薔薇たちに感嘆の眼差しを送った。 丹精込めて育てられているのだろうガラスの中で咲く花は、白からピンク、あるいは白から黄色、橙、と来て、燃えるような深紅へ続く鮮やかなグラデーションを描いている。 「この中に、令嬢の枕元に置かれたのと同じ薔薇があるはずだな」 「できれば直接部屋も見たかったんですが」 ダイスは一夜をリジーの部屋に招かなかったが、代わりにサシャをこの温室に連れてこなかった。 「たとえば花言葉……白ならば、“私はあなたに相応しい死を”という宣告を、赤ならば変わらない愛情を伝えている、という解釈が成り立つと思いますが」 「ああ、演出をかなり意識しているだろうし、そうなると小道具にも力を入れる。無意味なモノなど何もないと考えたいところだ」 軽く肩を竦め、ムジカは改めて思考する。 物語は始まったばかり、情報も限られた状態だが、それでも『推理』はできる。 たとえば毒について――リジーの含んだ毒が、料理に混ぜられていた可能性はゼロではないだろう。 その場合、ディナーの席で彼女の隣に座ったモノ、あるいは料理人、あるいは給仕係に疑いの目が向く。 「……ムジカさん、サシャさんからです。お嬢様の部屋は《密室》だったそうですよ。それと、薔薇は白い品種をペンキか何かで赤く塗ったモノだとか」 「へえ、ますます手が込んでいるな。犯人は、ずいぶんとロマンチストじゃないか」 そんな真似ができそうな人間は、登場人物の中に一体何人いるだろうか。 そう思いながら視線を巡らせれば、従兄であるジョージィの姿が目に止まった。 あちらも気づいたらしい。迷路のような細道を辿り、薔薇のアーチの元で合流を果たす。 「ムジカ、君もここに来ていたんだね」 「ああ……リジーの枕元にあったという薔薇がどこから来たのか知りたくて。持ち込まれたんだとしたら、ここだろうとは思っているんだが」 「それで一夜と?」 「はい。お嬢様のためにも、一刻も早く犯人を捕まえたいんです。そのためならどんなことでもするつもりでいます」 「……どんなことでも、か」 表情を引き締めて応える一夜に、ジョージィの表情は曇った。 「なあ、本当にリジーは身内の誰かに殺されたのかい? どこからか気の狂った男が入り込んできて、そこら中に毒をばらまいている可能性だってあるだろ」 「気の狂った男なら、もっと派手な事件を起こす。ナイフを振り回す方がずっと“らしい”。令嬢に毒を含ませ、薔薇を置き、メッセージまで残していくような真似などしないさ」 「……君の言葉は時々ひどく残酷だな」 気落ちする彼に苦笑を返し、ムジカは何気なく質問を滑り込ませる。 「あんたから見てリジーはどんな子だった? 残念ながら、おれはほとんど彼女と接する機会がなかったんだが」 従兄は薔薇園の中に想い出でも見出しているのか、陰る表情で力なく告げた。 「リジーは……うん、とても、夢見がちな子だったよ。空想が好きで、お伽噺が好きで、読んだ物語に感化されて、小さな頃から《ごっこ遊び》が好きだった」 「へえ、ごっこ遊び、か」 「17歳になっても、夢見がちなことに変わりはなかったかな。ふわふわとしていて、危なっかしかったけど、いい子だった。それがなんでこんなことに……」 しん…っと重く痛々しい沈黙が落ちた。 だが、三人の間にできた無言の時間は、まったく別のカタチで打ち砕かれる。 「大変です、料理長が……!」 呼びに来たフットマンの言葉と共に、ムジカは瞬時に従兄の表情をチェックする。 彼は驚きを隠そうともせずに、『どういうことだ!』と短く叫んだ。 ◆凶器の発見 厨房には今や、サシャ、ニコル、ムジカ、一夜の他に、執事や他の使用人達が集まり、天上から伸びたロープで首を括った料理長の姿を見つめていた。 ジョージィは母親達の様子を見に行くといい、温室で別れている。 「ざっと見たところ、抵抗した痕跡はないようだが?」 ムジカの見立てに、ニコルも頷く。 「着衣の乱れもなければ、周囲に争った形跡もないの。だからね、状況的に見れば自殺と言いたいところなんだけど……ヴァンはどこ? 彼に見てもらいたいのに」 正確な情報を得るためには、正確な情報の提供者が必要だ。なのに、別行動を取ると言ったまま、彼はこの騒ぎにも姿を現さない。 「ルルーを探しに行ってみるか?」 「ええ、そうね」 手の中で転がしたダイスの指し示すままに、ムジカとニコルは揃って厨房をあとにした。 残された者たちの間で、とりあえず料理長を下ろしてやろうという提案が上がり、一夜がそれに応える。 ロープの結び目はそのままにした状態で切ることが大切だと、一夜は探偵から学んでいる。その教えをしっかりと守り、備品であるナイフでロープを断ち切った。 ぐらりと揺らぎながらも何とか支えきった料理長の服から、何かが転がり落ちてくる。 「これ」 サシャが拾い上げたのは、掌にすっぽりと隠れる程度の、小さな茶色の瓶。中には半分以下に減った液体が揺れていた。 「……貸してもらえますか?」 彼女から手渡され、一夜はその蓋を開ける。軽く手で煽って香りを確認するが、刺激臭のようなモノはない。 これだけでは毒かどうか判別はできないが、こうして出てきた以上、ただの水ということもないだろう。 「彼がお嬢様の食事に毒を?」 にわかに色めきだつ使用人仲間へ、サシャは慌てて首を振った。 「そんな単純なお話じゃないよ」 思わず普段の口調に戻ったサシャは、自分の構築していた推理をもう一段引き上げる。 「だって、動機はなあに? それに、どうやってリジー様のお部屋に薔薇を置くの? 料理長がお嬢様のお部屋にいけば目立って仕方がないわ。鍵はどうするの? マスターキーなんて持っているはずもないわ」 使用人には使用人の分があり、領域がある。 それを犯せば不自然などと言うものではないだろう。 「あのね、ワタシ、リジー様の日記を拝見したの……リジー様には想いを寄せる方がいて、でもその恋は許されないモノだから、すごくすごく悩んでいらしたわ」 サシャは、身分違いの恋に苦しんだ令嬢が狂言自殺を図り、そうして想い人と添い遂げようとした小説を読んだことがあった。 アレは悲劇で終わってしまったけれど、リジーは成功するはずだった。 少なくとも彼女は、そう信じていた。これですべてが良くなるのだと、綴っていたのだから。 「狂言自殺なら密室だった理由も判明する。犯人なんて最初からいなかった……アレは、呪いの言葉でも犯行予告でもなく遺書として機能させるつもりだった……でも……」 「誰かが、ホンモノの毒とすり替えたってことですか?」 一夜の問いに、サシャは頷く。 「問題はソレが誰なのかってことだよ」 ◆再び死体発見 「料理長の服から小瓶が見つかったらしい。十中八九、凶器の『毒』だろう」 「だからといって、即、彼の犯行とは結びつけられない、でしょ? 自殺なのかもアヤシイ」 「料理長はきっととばっちりだろうな。さもなければ、生贄だ」 ニコルとムジカはディスカッションしながら、半地下の厨房からダイニングルームを経て、書斎、寝室、さらには二階へと上がり、広い館内を歩き回る。 「うちの旦那……失礼、夫が言うには、毒を盛るのは女性に多いそうよ。ソレに薔薇と予言を添え、来賓のいる華やかな新年会の夜に事件を起こすだなんて……計画的で、駆け引きに長けた人物と見ていいと思うの」 「計画性と駆け引きか……なるほど」 「まあ、だとすると、犯人は奥方二人のうちのどちらかってことになるけどね」 だから、できれば当主夫婦から目を放したくはないんだと、ニコルは告げた。 「次の犠牲者はそこら辺と考えているわけだ」 「“哀しみが死を連鎖させる”というのなら、連鎖させる人間の心が見えてこないとね。弟一家とも話がしたいわ。なかなかダイスがいうことを聞いてくれないけど」 リジーの人柄、当主夫婦、母親、弟夫婦、彼ら一家の関係性は本当に良好なのか。 彼らの確執は存在していないのか。 見た目どおりの紳士淑女の集まりだとはどうしても思えない。 「……まあ、なんにしても、“そして誰もいなくなった”……なんてことにならないといいが」 「なあに、それ?」 「ああ、これは……」 そこでムジカの言葉が切れる。 メイドの姿が目に入り、ニコルが声を掛ける。 「ねえ、ルルー先生を見なかった?」 「いえ、先生のお姿は見ていませんが」 「ところで、その薔薇は?」 ムジカは抱えている花瓶に目を止め、問いかける。 「ああ、コレは様々なお部屋に飾るんです。これから奥様の部屋に伺うつもりで」 「いつも薔薇を?」 「はい、お嬢様は薔薇がとてもお好きでしたから。哀しいことが起きて、今日はおやめになるかと思ったんですが、既に花が用意されていたので」 「なら、その花瓶はおれが持って行こう」 「そんな、お客様にそのようなことをしていただくわけには」 「いや、話のとっかかりが欲しいんだ。奥方の部屋に男が行くのは気が引けてね」 「あ、はい……そういうことでしたら」 メイドに花瓶を渡され、彼女を別の仕事へ追いやったところで、ムジカは不審げな視線を送るニコルへ微かに笑った。 「美しい花には棘がある。棘に刺されて致命傷にならないとも限らないだろう?」 「つまり、死の贈り物ということかしら?」 「毒が使われている以上、用心に越したことはないって話だ。この薔薇に毒が仕込まれていればアリバイなんていよいよ関係なくなる」 その時、遠くから悲鳴が聞こえてきた。 それも女性のモノではない、ただし聞き覚えのある声だ。 「さて、ここでひとつ問題だ」 薔薇を抱えたムジカは、悲鳴のあがった部屋へと向かいながら、微かな笑みをたたえてニコルへ問いかける。 「クローズドサークルにおいて容疑者の範囲が狭まっていった時、犯人は次にどんな行動を取ると思う?」 ニコルがそれに応えるより先に、二人は部屋から飛び出してきたジョージィと鉢合わせる結果となった。 彼は狼狽した表情でムジカに縋り付く。 「母さんと伯母さんが倒れたんだ……! 急に苦しんで、それで」 彼に引き摺られるようにして二人は、突き当たりの部屋となるロングギャラリーへ足を踏み入れた。 目にしたのは、現実感の薄い光景だった。 たくさんの絵画と彫刻、たくさんの美しい調度品に囲まれて、シャンデリアが見下ろす空間で、二人の婦人はまるでシンメトリーを描くように倒れ伏している。 ムジカは花瓶をテーブルに置くと、無言のまま、彼女たちの首筋に触れ、そして頭を振った。 割れた花瓶とガラスの水差しとグラスの破片、そしてそこら中に散らばった白薔薇が、彼女たちの《死》に彩りを添えている。 「どうしてこんなことに」 ジョージィは、温室の時と同じフレーズをまた呟いた。 ◆犯人とニアミスする 一夜が訪れたのは、体調を崩して部屋から出ることの叶わない女性、リジーの祖母の元だった。 「皆はどうしているの?」 「ムジカ様とニコル様がお嬢様のために奮闘してくださっています。我々はそのお二人の手伝いをさせていただいております」 恭しくベッドサイドへ跪き、一夜は僅かに首を傾げた。 「それで大奥様、ひとつだけ確認をさせていただいてよろしいでしょうか?」 「なにかしら?」 「過去に、この屋敷で哀しい事件はありませんでしたか?」 その言葉に、彼女はハッと顔を上げ、それからひどく哀しげに俯き、深い溜息を自分の指先に落とした。 「……そう、そうね……もう、随分と昔の出来事よ。私にとっては大叔母さまの話になるわ」 そうして語られるのは、百年も前の悲恋の話だった。 少女は年上の使用人に恋をした。身分違いのその恋は許されるはずがない。彼女は情熱のままに青年と駆け落ちを決意する。 けれど、その計画はうまくいかなかった。 「青年は彼女に小瓶に入った毒を渡すの。死が二人を分かつとも、魂だけは添い遂げようと……でも、その毒を飲んだのは彼女ひとりだけ」 「青年は裏切ったんですか?」 「いいえ……彼は、その前に殺されてしまったのよ……犯人は分からない。けれど、きっと……その時の当主の手に掛かったんだと思うわ。そして、死の連鎖は始まったの」 一夜は服の上からそっとポケットに収まる茶色の小瓶を撫で、そして別の問いを投げかける。 「そのお話をリジー様にも?」 「ええ、もちろん。あの子の母親、私の娘達にだって聞かせたけれど、リジーはどの子よりも自分を重ねていたようだったわ」 「有難うございました、大奥様。それでは失礼致します」 一夜は深く頭を垂れて、そして彼女の部屋を辞した。 「そこに居たのか、一夜」 「あ、申し訳ありません」 扉の外には、真っ青な顔をしたジョージィが立っていた。 「いや、謝罪はいい。とにかくこちらへ来てくれないか。大変なことになっているんだよ、何もかもが本当に、大変なことに……ルルー先生は見つからないし」 彼の嘆きに耳を傾けながら、一夜は思考し、彼を観察し続ける。 その背後で自分たちを追いかける視線があることになど、気付きもせずに。 ◆犯人によって昏倒する 「ムジカ様!?」 サシャの驚きと悲鳴じみた声が玄関ホールに響き渡る。 そこら中に白薔薇の散らばっている中、横たわったムジカの珊瑚色の髪が水に濡れてシャンデリアの光を反射している。 「ムジカ様、しっかりなさってください、ムジカ様……!」 必死の呼びかけに、ムジカはゆっくりと目をあけた。どうやら意識を取り戻したらしい。 「一体、一体何があったんですか?」 「……いきなり、後ろから押された……いっ……」 サシャに抱き起こされながら、ムジカは後頭部に手をやり、眉間にしわを寄せた。 「見慣れない、銀の髪の男がいたと思ったんだが」 「え?」 「いや、それよりも……ニコルが、当主と弟がリビングで死んでいるのを見つけた」 「リジー様をいれて六人も、だなんて」 「まるで無差別だ。いや、一応差別はしているのか……料理人を除けば、血縁者ばかりだからな」 相続関係をムジカは執事に確認していたが、無駄になりそうだと呟いた。 茶色の小瓶は一夜の手にある。 それでも毒殺が止まらないのだとしたら、他にもまだどこかに仕組まれた罠が存在しているということなのか。 「あ、でも……」 ふと別の考えがサシャの中に浮かぶ。 だが、次の瞬間―― ガツッ、と想い衝撃と共に鈍い音が響き、そして意識が闇の中に落ちた。 ◆名探偵の称号 すべての始まりであるリジーの部屋に、今は、ムジカ、サシャ、ニコル、一夜の四人しかいない。 薔薇に彩られたこの部屋で、一夜は徐に告げた。 「犯人……いえ、元凶はジョージィ様だったのです。ジョージィ様がリジー様に“ごっこ遊び”を持ちかけた、それが悲劇の始まり」 その後に続くのは、ひどく哀しげな呟きだった。 「新年会の朝に皆を驚かせよう。そして両親が反省してくれたらいい、と。でも、そこに悪の手が差し込まれた」 「聞いたよ。出来のいい当主に比べ、弟は事業に失敗し金の無心にきていたんだってね。リジーは従兄に懸想したようだけれど、もちろん母親が許さない。若い恋人達は両親達の不仲を嘆き、叔母は二人のために協力すると見せかけて、死の連鎖の物語をなぞろうとした」 「……長年の屈辱を晴らすために、リジー様を手に掛けてしまったの?」 「狙ったのは財産だろう。そして、次に義理の姉を狙ったが、リジーの母親も祖母から同じ話を聞いている。カラクリに気づいて、仕掛けたのかもしれないな。そうして、お互いがお互いへ毒を盛ったんだ。グラスと薔薇、どちらにもおそらく毒物反応が出る」 ムジカの解説に、サシャの表情は更に陰る。 「次にリビングで旦那様と弟様が亡くなられた。一人は胸を刺され、一人は指先に僅かだけれど針で刺したような傷があったといいましたよね? ソファに針を仕込んだのがいつかは分からないけれど、誰が死んでも良かったんでしょうか」 「彼らはこの異常な状況で、ほんの僅かな時間の間に感情の箍が外れてしまったんだわ……どちらかがナイフを持ちだし、どちらかが罠に掛かったの」 そして、いくつもの死が生み出された。 誰もが誰かの死を望んで、罠に落ちていった。 「自業自得の連鎖といってもいいかもね。だけど」 そこで一度ニコルは言葉を切り、 「一連の事件、最後にジョージィへ幕を引いたのは、紛れもなく一夜、あなただよね?」 「一夜さんがそんなこと……っ」 屋敷に仕える仲間への告発に、サシャは大きく動揺する。 「さて、どう言い逃れする?」 対してムジカは、どこか楽しむように問いを更に投げる。 しかし、当の本人は穏やかに微笑み、 「なぜ、そう思われましたか?」 ムジカではなく、ニコルへと問いで返す。 「動機。あんたはリジーお嬢様の空想好きの話を聞き、大奥様からは昔話を聞き、情報を共有する中で気づいてしまったんじゃない? あるいはジョージィから罪の告白を受けたかしら?」 「見たんですよ、ジョージィ様が同じ小瓶を持っているのを」 罪の意識に苛まれながらも懸命に事態の収束を願った彼のポケットにも、あの小瓶はあった。 だから問い詰めた。 そして、知った。 「おれはお嬢様が好きでした。本当に心から、お嬢様の幸福を望んでいました。それがこんなカタチで潰えてしまった罪を償っていただきたかった」 「でも、一夜さんはほとんどワタシ達と一緒に……!」 「ええ、彼ひとりでは無理。……ねえ、いつまでそこに隠れているのかしら? ヴァン、あなたが一夜のために動いたんでしょ? あなた以外にそれはできないもの」 「ああ、見事な推理です、ニコルさん」 あれほど探してもいなかった彼が、扉の影から姿を現す。 「ルルー先生!?」 どうして、とサシャの呟きに、彼は笑った。 「とてもステキなショーでした。医者として、これほど楽しい催し物は他にありません。それはそれは素晴らしい体験でした」 うっとりと囁く彼に、ムジカはジョージィの言葉を思い出す。 気の狂った男が、自分たちを殺そうとしているんじゃないか―― 「あんた、正解だよ」 くつりと口の端を吊り上げて、レッドヘリングを楽しんだ男はそっと賛辞を送る。 そして。 探偵によってすべての犯人が指名され、事件はゴールを迎えた。 途吹雪に閉ざされた惨劇の館は、見慣れたクリスタル・パレスのホールへと姿を変える―― ◆そして… 「なりきって楽しませてもらったけど、こんな感じで良かった、ヴァン?」 「ええ、ニコルさん。大変お上手でした」 「すみません、手荒なまねをしてしまって……“犯人は自分”を引き当て、ちょっと慌てました」 「ううん、いいよぉ。でも一夜さんの演技、すごかったぁ」 「ムジカさんがいろいろフォローしてくださったおかげです」 「ああ、“助手が犯人”というネタは最大限楽しむべきだし、何より共同戦線の約束だからな」 肩を竦めて応えたムジカは、話をルルーへと振った。 「ところであんたは一体何を引いていたんだ? 状況的に、一夜やジョージィでは該当しない不審な出来事はあんたの担当だろ?」 ミステリを愛する彼がゲームとはいえ動かないはずがないと踏んでの質問だ。 「ああ、実はですね」 フフ、と赤いクマは笑う。 「一番はじめに“皆殺しエンド”を当ててしまったモノですから。そこに持って行くためのお膳立てを少々」 メイドに薔薇を用意し、毒を入手し、当主と弟を死に至らしめる針を用意し、時にサシャ達を監視していた視線。 それが誰なのか、今はっきりと分かった。 「ニコルさんが探偵の称号を引き当ててくれなかったら、もしかしてワタシ達全員……」 「はい、一夜さんが屋敷に放った火に巻かれて、という結末を迎えていました」 さらりと告げられた言葉に、思わずサシャは肌を粟立てる。 だが、ニコルもムジカも、そして何故か一夜までが面白そうに目を細めていた。 「さて、いい時間ですね。改めて感想と皆さんの推理を伺いたいと思うのですが?」 そうして、今度はお茶と、喪血ノ王との激闘の末に勝ち得た数々の餅料理を供に、彼らは揃って推理談義に興じることとなるのだが、それはまた別のお話。 END
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