オープニング

 風の流れが変わった気がした。
 気配というほどはっきりしたものでもなく、かといって、気のせい、と呼ぶにはあまりにもくっきりとした感覚に、臣 雀は振り返る。
 頭の両側で根本だけくるんと丸めた黒髪は、さらさらと体に添って流れる。マイクロミニのチャイナ服は赤基調、純白のニーソックス、ぱっちりとした猫目が追ったのは、背後の空に舞った影。
 力強く引き延ばされた翼が空気を叩く。もう一対の翼は尾羽のように見えた、にしてはその翼の下にある体はしなやかでしかも大きい。顔の半分を覆う金属の仮面がぎらりと日を跳ねる。同じ光が両手の爪付きの手甲に弾かれ、引き上げた膝から下の鳥足、猛禽を思わせる鉤爪に走った。
 ふわり、と降りた次の瞬間には、飛んでいた気配は消えていた。猛々しさがふいに失われ、後に残ったのは戸惑ったような静寂。
 それでも。
「お兄さん天狗なの? すごいね、翔べるんだ!」
 雀が声をかけたのは、きっと、相手が瞬間に潜めた殺気に気づいたから。
 きょと、と相手は視線を投げてきた。
 大抵の男は雀を見ると目を細める。小さな可愛い女の子として見て、一瞬の隙を雀に晒す。
 だが、相手にはそんな様子は欠片もなかった。むしろ、逆に仮面ーそれは近くで見ると、鉢金のようなものだとわかるーの奥で動いた視線は、至極冷静に雀を検分したようだ。
 必要か、否か、と。
「おまえは……大陸の、退魔師?」
 訝しそうな声に敵意がないからと言って安心できない。相手は雀の正体を見破っている。
「よもやこれを好機と、外法のものを調伏する心算ではあるまいな」
 外法。自分は人に危害を加える存在だと、自ら言い放って気負いもない。
「帰郷したあかつきの実戦に向け、たがいの演習にとどめるならば、やぶさかではないが、童とて、あなどりはせぬぞ」
 ふる、と微かに震えたのは武者震いと言うやつだろうか。
 体に沸き立つ血の宥め方を、相手が今提示してくれた。
「上等!」
 応じた声が弾んだ。
「あたしも手加減しないからねっ。久しぶりに全力でいかせてもらうよ!」
 そうだ、ここは0世界。
 恨みつらみなしに、互いの実力を試すことができる場所がある。


 コロッセオで向かい合った相手は玖郎、と名乗った。
 雀の二倍近くありそうな身長、異形の姿は何か修行をする者のようだが、鉢金の奥の瞳は酷薄な金。両手の手甲が微かに震え、ちりり、と鳴った気がする。
「ここでよいのか」
 尋ねてくる声は訝っているのではなく、事実の確認。
「うん、ここで」
 雀は深く息を吸って、ゆっくり周囲を見回した。
 高く切り立った緑濃い山々、霧が広がり、霞がかかる。
 玖郎の尋ねている意味はわかる。
 この場では空を飛べる相手が圧倒的に有利、足下の地面は非常に狭い空間で、左右を囲むように深い谷があり、かなりの水量の川が滔々と流れている。単純な攻撃は空を舞う相手には届かず、逆に相手はどこからでも雀を狙える。トラベルギアの結界が効くのかどうかも不明だ。
 だが、雀には炎・雹・雷、他自然災害の能力を封じ込めた呪符がある。護符を巡らし防御結界を張ることもできる。
「まいる」
「いきます、玖郎さん!」
 重さがないもののように空中に浮かんだ相手に、雀は地面を蹴った。

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※このシナリオは、ナラゴニア襲来以前の出来事として扱います。


!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
 臣 雀(ctpv5323)
 玖郎(cfmr9797)

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品目企画シナリオ 管理番号2192
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントこの度はご依頼ご参加ありがとうございました。
ぎりぎりになってしまい申し訳ありません。
可愛らしいお嬢さんが、荒々しい猛禽に勝負を挑まれるのは如何なる理由かと、埒もないことを考えつつ、シナリオをご用意させて頂きました。
同じように自然現象を操られるお二方、勝負を決するのは何でしょうか。
息を呑んで見守らせて頂きます。

長めにお時間頂きます、ご了承下さいませ。

参加者
臣 雀(ctpv5323)ツーリスト 女 11歳 呪符師・八卦仙
玖郎(cfmr9797)ツーリスト 男 30歳 天狗(あまきつね)

ノベル

 鳥には鳥の戦い方があるように呪符師には呪符師の戦法がある。
 大河に挟まれた地面を駆け抜けながら、雀は素早く符を取り出す。
(小さい頃兄貴に教えて貰った……私はちっちゃくて弱い雀)
 上空に舞った姿が遠ざかったわけではないことを雀は知っている。猛禽の姿をとっている相手はきっと視力も優れているだろう。自分より遥か下を舞う小雀を仕留めるために、こちらの動きを細かく見ているに違いない。
(でも、兄貴が言ってた、小さくても賢い雀であれって)
 充分な攻撃力を持たない小鳥でも、知恵次第で鷹や鷲、獰猛な猛禽に一矢報いることができる。
 呪符で出したのは霧だった。もともとうっすらと立ちこめていた霧があっという間に濃く密度を増す。その霧に紛れて、左右を囲む深い谷に入り込み、豊かな水量で流れを形作る川の真側まで降りて空を見上げる。
 これほど濃い霧ならば、木々や岩は小柄な雀を容易く隠してくれるだろう。用心深く動くなら、天空からでは岩と彼女を見間違えることもあるかも知れない。
 それに、谷に降りたことで、上空から降下する相手の方向を制御できる。張り出した木々に突っ込むわけにはいかないから、玖郎は限られた方角からしか攻撃できなくなる。
 ただし、相手はただの猛禽ではない。爪はもちろん要注意だが、雷での攻撃にも注意を払っておかなくては。
 雀は次の呪符を取り出し、霧の底からじっと空を見上げる。
 呪符の種類は風だ。


(渡る鳥同様、空を駆る妖にも海を渡り、おれの郷里へたどりつくものがいた)
 玖郎はゆったりと風に体を任せながら、見る見る濃さを増していく地上の霧を見下ろしている。
 妖達は語ってくれた。
 隣の大陸には仙人なる高位の道士がおり、その齢は外見に伴わない。ほんの幼い少年の容貌を持ちながら、齢数千歳を越え、小さく印を結ぶだけで大地を震わせ地に巨大な裂け目を作るものが居る。国を傾ける大妖を退けた武勇の主は、山の中で迷子になっていたような華奢で儚げな乙女の姿だったらしい。
(おまえもただの童ではあるまい)
 霧の下でじっとこちらを見上げている視線を感じ取る。なるほど見かけは幼い少女だが、自分に不利な場所をあえて選んで場としたあたり、どうしてどうしてしたたかなものだ。
 自分に有利と感じれば、人は気を抜く。無意識に警戒を緩める。勝てる瞬間を思うあまり、目の前に開いた穴に気づかず落ち込んでいく。
(女童の姿で相手をまどわし、陥れるものもいると聞く)
「…それは妖怪であったか」
 きょきょ、と玖郎は首を傾げた。
 そうだ、人ならば、己の有利に慢心もする。
 だが、玖郎は人ではない。未来に関する甘い見通しなど、始めから存在しない。ましてや、今相手にしているのは、退魔を生業にする者なのだ、幾重に警戒を重ねても、重ね過ぎることなどない。
 迂闊には動かない。こちらからは仕掛けない。罠かもしれない。
 少しでも可能性があることは、起こりうるということだ。用心し、状況の把握に勤め、万に一つの勝機も逃さぬようにしなければ、命を保つことができないのが自然の掟だ。
 玖郎はなお高度を上げ、雷雲を呼んでおく。
(媒介は符か…効果を発する前に風で切り裂ければ早いが)
 そう考えた瞬間、突如霧を破って一つの弾丸が飛び出してくる。


「えええいっ!」
 気合いが思わず雀の口を突いた。
 風の呪符で飛び上がって一気に加速、見定められれば攻撃にはならない、それを知りつつ、上空に浮かんだ小さな一点、玖郎の腹を狙って頭から突っ込んでいく。同時に周囲に舞わせた風の刃は、相手の弱点とはならなかった。空を翔る者には風の行方など手の内なのだろう、躱す動きさえみせずに躱される。
 雀のあまりの捨て身攻撃に、一瞬玖郎の目が見開いたが、さすがに空中戦で相手が大人しく攻撃を受けてくれるわけもなく、くるりと翻されたのは計算のうち、遠い雲が雷雲なのを見て取って、雀も雷の符を取り出す。
「いでよ雷鳥、どっちがよりビリビリくるか勝負だよっ!」
 符が周囲に撒き放たれ、符を繋ぐように光の鳥が紡ぎ出されて雄叫びを上げた。相手をしのぐ大きさに広がる光の翼、次の瞬間には一気に収束し、猛々しく輝く銀の針となって玖郎に襲いかかる、だが。
「!!」


(防ぎ切られる程度では意味がない)
 激しい光条が空間をたて続けに疾った。雀の紡いだ雷鳥を引き裂くように白銀と薄紫の稲妻が空間を裂き、必死に避ける雀を地上へ追い落とす。
 玖郎の攻撃は休まない。風の符を散らし、雷の符も焼かれて、今度は豆粒のように落下していく相手をまだ無力と思い込まない。
 霧が散らされ、剥き出しの大地にかろうじて降りた雀を狙って、幾条もの雷を落とす。
 薄暗く蠢く雷雲を背中に、輝く光柱に交互に照らされる玖郎の顔は、狩られる小鳥にはさぞかし酷薄なものに見えているだろう。怒りではない、憐憫でもない、狩る必要があるから狩る、そこに感情の揺らぎはない。
 鋭い視力で雀を見つめて、ざわりと首筋の羽根が立つのを感じた。
 玖郎は雷を己にも落とし、手甲に溜める。トラベルギアの神鳴の準備、いつ天候操作が遮られるかわからない、牽制手段は必要だ、なぜなら。
「へへへっ!」
 稲光の中を逃げ惑うように見える雀の顔は生き生きと輝いていて、恐怖に怯えている気配すらない。
 獲物はまだ、反撃を狙っている。


「雷撃は雷撃で相殺」
 軽く片目をつぶって、雀は楽しげに稲妻を弾く。
「五行相克は有名だけど、五行比和って知ってる?」
 聞こえないと知りつつ呼びかける、躍る気持ちがはやるから。少しは落ち着け、冷静になれ、それでも、体中の血が細かな花びらとなって舞い咲くよう。
 この感覚は何だろう。
 雀は湧き上がる想いで地面を蹴る。雷と雷、同じ気同士で高めあい、自分と玖郎がお互いの限界をぶつけあって、この瞬間に高めあっていくのを感じる。
 符が次々と消費される。こんな早さで使い尽くしていくことなんてなかった。
 なんて戦いだろう。
 なんてぎりぎりな、そして、胸締め付けられるほどの瞬間だろう。
(ねえ、玖郎さんはどうして強くなりたいの? 何故そうまで力を求めるの?)
 胸の中で問いかける、それは同時に自分への問い。
(あたしはね、大事な人を守りたいから鍛錬するの。漸く見付けた兄貴……昔は守ってもらう一辺倒だったけど、今はそうじゃない。あたしだって兄貴の隣に立てる位強くなったって証明したい)
 そうだ、今の自分なら、もっとやれる。
「っっ!」
 思った瞬間に、一瞬身を引くのが遅れた。揺れたツインテールの髪の先が、雷に散らされ焼かれて消える。手にしていた符がふいに襲った竜巻で奪われた。
「きゃあっ!」
 悲鳴を上げて背後に転がり、とっさに跳ね起きて狭い空間を逃げる。上空から雀を縫い止める猛禽の視線、餌になるとはこういう感覚か。
(今だ!)
 だがそれは雀の作戦だった。逃げるふりをして呪符を展開しておき、追いかけてきた相手を結界に誘い込む。護符による防御結界、琺瑯の風鈴を鳴らし、場を浄化し結界とする。玖郎が妖であるならば、それは有効な方法のはず、だが。
「くっ!」
 飛び去るのを引き止めたはずが、雀はそのまま一気に足場の悪い場所まで追い込まれた。


 安全圏に逃げる気など毛頭なく、目の前に居る獲物を仕留めるためのみ動く玖郎は、神鳴から雷撃を放つ。結界を構成する符が一瞬にして燃え尽き、地面が衝撃に崩れた。巻き込まれる雀はもう終わりだろうか?
(いや)
 最後の最後に、その毒牙で絡み付いてくる蛇もいる。勝利の瞬間に屠られる愚かさも幾度も見た。
「まだだ」
 静かな声は自分への警告、必要はない、わかっている、と応じる声が響く。
 地面に投げ出され、振り返る雀の視界を覆って玖郎は舞い降りる。たくましい両足で相手の両肩に掴みかかり、雀を押し倒す。
(殺めては咎められるのだろう)
 玖郎は爪を立てないまま、折らぬ程度に首を絞めた。
「うっ…」
 雀の顔が赤くなり、小さくもがくのを押さえつける。顔色が次第に薄紫を帯びる。限界はここか、それとも意識を失うまでは構わないのか。
 ルールに対する逡巡が、隙となったとは思わないが。
「……いでよ炎陣、敵を焼却せよ…」
 雀の指が小さく符を弾いた。
 倒された瞬間に出していた符は炎、二人の周囲があっという間に業火に包まれ、焦熱地獄と化す。さすがに一瞬、玖郎の力が抜ける。飛び離れたのは相手の殺気に応じてだ。激しく咳き込みながら跳ね起き、雀は薄く笑いかけてきた。
「玖郎さんが雷に耐性あるのはわかった……でも」
 ここからは逃げられないよ、玖郎さん。
 燃え盛る炎は二人を包み狂うように躍り上がる。
 だが、玖郎はうろたえることもなかった。
「おれは山を守るものとして、ひとに制されるわけにはゆかぬ」
 局地的な天候操作、再び火と相克の水、濃霧を発生させて火の勢いを弱めようとする。それでも効果が薄いと見るや否や、今度は相生の木気を断つように、自分の周囲に空気の大断層を作り、火を断ってしまう。一瞬の呼吸苦などささやかな戯れだ。炎が空気を失ってすぐに、未だ咳き込み体勢整わぬ雀を急襲、今度は確実にその細い首を握り、淡々とした声音で告げる。
「制するが可能としれば、ひとは増長するが常だ」
 倒れた雀にのしかかり、今度こそ逃げられぬように押さえつけようとする。
「沈め」


 玖郎が全体重を雀の首に落としかけた、まさに猛禽が自らの体で覆いつくした小鳥を食らおうとするような、その矢先。
 ががががががが!
「っっ!」
 激しい勢いで背後から撃たれて玖郎は体を強張らせた。
 周囲を満たす冷気、肩から背中から転がり落ちる小石ほどの氷塊に、何が起こったのか察する。
 雹だ。
 炎で上昇気流を作っていた。濃霧を発生させて、空中の水分を増していた。それらを利用して上空で一気に凍らせれば、天然の投石機が出来上がる。
 しかも今、玖郎は雀を襲おうとして彼女を覆った状態にある、つまりは彼女を雹から守ってやっているような具合になっている。
「ふふふっ」
 突然、雀が笑った。
 この状況で、玖郎がもっと強くもっと素早く雀の首を絞めていたら玖郎の勝ちだったろう。雀がもっと大きくもっと突き刺さるような雹を降らせていたなら雀が勝っていただろう。
「…ふむ」
 玖郎も唸った。
 相討ち、とは、ひとの間にのみ通じる結末であるのかもしれない。


 霧が出て、雲が動き、雷が鳴り、炎が上がって、雹が降った。
 空中の水分は取り払われて、明るい日差しが辺りを照らす。
「凄いなあ、玖郎さん」
 地面に押し倒されたまま、雀が鮮やかに笑った。
「嵐みたい……自然の力そのものだよね」
 真正面からやったら、とても叶わない。
「だからきっと……向かいたくなったんだよ」
 頭を働かせ、知恵を磨き、必要な力を見定めて手に入れて。
 雀はゆっくりと自分の上から離れる玖郎を尻目に、大地の上で伸びをした。
「あーあ、負けちゃったあ!」
 まだまだ鍛錬、必要だなあっ。
「またいつか、相手をしてね、玖郎さん」
 ひょいと起き上がり、笑いかける雀を、玖郎は眩そうな瞳で見つめ返した。
 

クリエイターコメントこの度はご依頼ありがとうございました。
大変遅くなり、誠に申し訳ありません。
お二方の戦いは、知恵と本能の戦いだと感じておりましたが、人間と自然の向き合い方とも通じるものがあると感じました。
相手の力を見くびらず、かといってあっさり屈服もせず、それでもすこおし、自然の方が懐が深い、その深さの前に人は少々分が悪い、的な。

十分に書き切れていないのは腕の未熟です。
精進いたします。
ありがとうございました。
公開日時2012-10-29(月) 22:10

 

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