市場は商売人の声と、それに応じる客の声で溢れている。 小さな山の麓。森を切り開いて作られたらしきその町は、おおよそ30軒程の家が立ち並ぶ。 最も奥まった場所、山に近い場所には領主の館と見られる少し規模の大きな建物が門を構えていた。 路地では数人の子供が珠遊びに興じ、赤子の鳴き声がどこかから響いている。 日常の、人の、営み。 煙突から立ち上る煙にのって薫る石焼パンの匂いは、空腹の人がいたならば、鼻腔を刺激するであろう魅惑的なもので。 そんな、平穏そのものの町中で。 幾つかの小路で区分けされ、少しばかりの間隔を開けて立ち並ぶ家々の扉を次々に叩いて回る人影が一人、いた。 頃合いに焼けたパン生地の色をした肌に、峰々に積もる万年雪。その、夏の日差しで照らされてなお姿を保つ強さを宿した白糸の髪を汗で濡らし、少女であり、少年であり、人であり、人でないその人物は、扉を叩いては、迎え入れられるたびに、家人を押しのけて家の中へと飛び込んでいく。 その様を見守る老人が、一人。 ‡ 「ここもかっ!」 どうかされましたの、という声を受け、ナウラが叫ぶ。 その目の前にある人影は、人のようでありながら、明白に人ならぬモノ。 陶磁の肌に包まれて、天鵞絨のような髪を持ち、色硝子の瞳を持つ、人形。 泣き喚く赤子もまた、同じ。 赤子をよしよしとあやしながら声をかけてくる人形の表情は、動かない。 瞳は透き通ったまま意思を映さず、声は発せどその唇は開かない。 この家の主もまた、「全く騒々しい、一体なんだというのだね」と、薄く張り付いた笑みの表情のまま、問いかけてくる。 勿論その唇も、動かない。 人形が、人と入れ替わってしまった町――竜刻の暴走をとめよとの依頼を受けて訪れたナウラの目前で展開される光景は、想像を超えたものばかりだった。 ある家では家主が出来上がったばかりの食事を食べていた。口元が上下に動くような仕掛けになったその人形は、かつては生きて動いていたモノの残滓と見られる肉を焼いては食べるという行為だけを繰り返す。 何をしているのか、とナウラが問えば「これはこれはお客様をお一人にして失礼しました」と返し、「どうです、あなたもご一緒なされますか」と問いかけてくる。 その未だ生前の形を保ったままの動物の頭部の丸焼きが乗った皿を示されての問いに、ナウラは思わず吐き気を催し下を見て、ついにこらえきれずその家を飛び出した。 主の足元には、咀嚼されはしたものの飲み込まれぬままにこぼれ落ちていった肉の、骨の、皮の残滓が無残に撒き散らされていた。 ある家は、職人が業を為す工房だった。 ナウラが話しかけようとも応える事はなく、ただ職人は職人たるためにその生業を為し続けている。 砥石に刃を押し当てて、小さな摩擦音を響かせながら、ただ一心に刃を研ぐ研ぎ師としてのその姿。 やがて刃が尽き折れるまで、それは「研ぎ師」たるべく刃を研ぎ続け、いよいよ折れてしまった後に、ようやくナウラの方を見た。 「仕事をくれるのかね」 空洞の目で見つめられ、ナウラはその家を飛び出した。 路地を歩む時、飛び出してきた子供にぶつかった。 嬌声と共に体当たりをしてきた子供は、その質量でナウラに遥か及ばず、後ろへと弾き飛ばされる。 「ご、ごめん!」と思わず手を差し伸べて、ナウラは固まった。 転んだ拍子に「折れた」子供の手が目に入ってしまったからである。 「痛いよう、痛いよう」 泣き喚く子供と、それを取り囲み慰める友達達。 彼らがナウラを見て、「ひどいよう」「ひどいよう」と責め立ててくる。 その子らの肉体は精巧なビスクドールのように滑らかで――比喩でなく、生命の宿らぬ人形の身体だと気づくのに、一瞬の間すら要らなかった。 子供たちの人形は、「転んだせいで泣く子供」と、「泣いている友達を慰める子供」という役割を見事に果たしている。 いたたまれず、ナウラはその場を立ち去った。 背中に浴びせられる非難の言葉。しかしその言葉を発する口は、丁寧につくられた伝統的な人形と同様、動く事がないのだ。 ‡ 通りに様々な「人」の声が響き渡り、家々で繰り広げられる光景はまさに日常のままのそれのはずだというのに。 歪で、不可思議で、しかし人の真似をするかのように行動する彼ら。 その中で、明白にたりないものが、あった。 ――生気。 この地に、真の意味で生きるものはいないのだと。 己の意思で、何かを為そうとして生きるものはいないのだと思い至ったナウラがふと気づき、振り返る。 その視線の先にいたのは、ナウラの足取りを追ってきているらしい老爺の「人形」。 老人らしい穏やかな笑みを貼りつけたまま、ナウラを観察するかのようにつきまとってくるそれは、不思議な存在感を醸し出す。 ナウラが歩けば老人も歩き、ナウラが止まれば老人も止まる。 路地に並ぶ家の一軒を尋ねれば、ナウラが出てくるまで近くの路上で座り待っているその人形。 ある意味、この一帯で唯一まともな意志で動いているように見えたから、ナウラは一握の祈りを抱きつつ、歩み寄った。 「あの――」 「満足しましたかね」 人形が言う。名を尋ねれば、「長老じゃよ」とだけ応えたその老爺は、ナウラに問われるがままに答えを述べていく。 己はこの地を尋ね来たものに、この町を案内するものだと。 自分たちは、自分達が人形であるとわかっていると。 優れた竜刻使いの手により、人の為にと創りだされた人形達。 「わしらぁ言われた。人の為に在れと」 じゃから人を殺していった。 そう何気なく続けた老爺の言葉に、ナウラは目を瞬かせる。 不思議な論理を、聞いた気がした。 どういうことか、と問おうとしたナウラの言葉を遮るように、老人の語りは続いていく。 自分達の主が自分達を作り出す中で、唯一組み込んだその有り様。 人の為に、人を殺す。それが自分達の存在理由であり、絶対の行動原理だと。 故に自分は人を殺していったのだ、と。 ――だが、やがて人はいなくなる。 小さな町で暮らす人はそう多くはなく、2日ほどで息するものは消え去った。 人がいなくなってしまっては、自分達の存在価値がなくなってしまう――人の為に人を殺すべく在るためには、この地に人がいなくては。 だから、人の振りをした。 理解できない、とナウラは内心呟いた。 人の為に人を殺すという行為の理由も分からなければ、人の振りをして何になるのかもわからなかった。 そんなナウラの表情を読み取ったのか、どうなのか。長老は一つ頷いて先を続ける。 「そうせんと、わしら在る意味がないからのう――しかしじゃなぁ」 淡々と語りながらも、表情は笑顔のままであった、その「人形」。 それが、ゆっくりと様相を変化させていく。 長い眉毛に隠されていた瞳は開き、ゆるく横に伸ばされていた口元は、滑らかな動きで、すぅ、と締ってみせた。 「わしらぁ、人形同士だってのはよくわかるからね――どんなに人の真似をしとっても、人形を壊すことはせん。人ではないのに殺す意味はないからのぅ。逆にの、「人」はすぐにそうとわかるのよ。けんどお前さんはなんだろうなぁ」 そう言う老人が、雰囲気に飲まれ固まってしまったナウラへと一歩歩み寄り、きりきりと音を立ててその首を傾げた。 ナウラよりも小柄な背丈の老人が、更に頭を地へと近づけて、下からナウラを見上げ問う。 「……お前も人形かね?」 それは、ナウラの心に幾許かの衝撃をもたらした。 兵士として。兵器として。創りだされた生命体たるナウラの本質を見透かされたかのようで。 意識の外から襲いかかってきた言葉の刃。 それ故に、不覚をとってしまう。 背後から羽交い絞めにされ、口を布で覆われた。何某かの薬が含まされていたのだろう。 冷たい蝋の腕に拘束されるまま、ナウラの意識は奈辺へと弾き飛ばされた。 ――人の真似をやめた人形が、気配を立てることはない。 ‡ 懐かしい人の、夢を見た。 社長、と声をあげようとしたけれども、息が喉にからみ、声がでない。 淡々と歩み去っていく男の背を追って走りだそうとするも、足が地に張り付いたようで、動くことができない。 どうして――叫び声をあげようとした瞬間、意識が、浮上する。 凝る闇は深く、小指の爪先程に小さな灯火が、部屋の隅、天井近くに下げられた燭台に一つ灯るのみ。 ほんの少しばかりの灯りは闇をより深くし、ナウラの視界を遮る。 灯りの周辺がわずかに見え、その光にどうしても目が奪われるせいで、近くに立っている人影が、よく見えない。 自分の姿も――わかるのは、口に轡をかまされて、四肢の首に紐をかけられ動きを制されているという程度。 否、もう一つ。背中に触れる台の感触。 皮膚で直接その冷たさを感じる事から導き出されるのは、己が一糸纏わぬ姿にされているという、事実。 その裸体の上を、冷たい指が、つ――と撫ぜた。 鳩尾に降ろされた無機物のように冷たい指が、ゆっくりと腹部を降りていき、足の爪先まで、その肌の質感を味わうかのように辿っていく。 声をあげようにも、轡をはめられたままのナウラにできるのは呻くことと、せめてもの抵抗に身を捩る事くらい。 それも薬が残っているせいか、弱々しいものでしかない。 「素晴らしい――」 闇の中、低く響く声が言う。 「なんと、滑らかな肌――生きた人でありながら、一切の生々しさを感じぬ、この陶磁の肌の素晴らしいこと」 陶然とした口調で呟く男の声は、どこかで聞いたような声でもあり、しかし全く聞き覚えがないようなものでもあった。 記憶をたぐろうにも、足先から再び腰の辺りまで登ってきたその指の肌触りへの嫌悪感が、思考の邪魔をする。 「何よりこの性を超越した身体。斯様なものが自然につくり出されるか」 別な意味で、ナウラの身体が震える。自然に在らざる己の身体を――意識はしていないのだろうが――指摘され、心の奥底で抱く想いを無造作にかき乱されていく。 そんなナウラの内心を知ってか知らずか、男の声は独白を続けた。 ――生きている人間はあらゆる汚らしい感情を抱き、他人を喋る背景としか見ない。 ――自身の弱さを振り回して傷つけ、出し抜く。利用できるか、自分に優越感を与えるか。そんな事ばかり考える。 ――そんな連中の所為で懊悩し、苦しむ者達は哀れだ。生きる意味が無い。外が整っていても中は醜い。 ――世界は美しいのに人間はなんと醜いことか。 ――ならば、残らず人形になればいい。一人残らず平等に、人という殻を捨て、美しく整った人形へと作り変えられてしまえばいい。 何度も、何度も、何度もつぶやかれてきたのだろう。 ある種呪文めいた抑揚で語られる独白。 それが終わる頃合いに、男がナウラの傍らに置かれていた何かを取り上げた。 男の手の中で、茫洋とした光を放ちはじめる、小さな小石――それが、竜刻なのだとナウラは思う。 男の手が。否、爪が。ナウラの左胸の付近に小さな痛みを齎した。 鋭く研ぎ澄まされたそれが、今まさに皮膚を切り裂き、肉をかき分け、骨を折り、内腑を取り出して手中の石と置換える作業に入ろうとしたまさにその時のことだった。 「ナウラはお前らとは別物だよ。一緒にすんな」 不意に、まばゆい光が闇を弾く。 闇の中に慣らされたナウラの目には、視界が塗りつぶされる感覚を覚えさせる、外界からの光。 差し込んでくるその光の中に立つ人影が発した声らしく。 「愚かだ哀れだと、てめぇの考え押し付けてるんじゃねぇや。何勝手に決めて付けてんだよ」 よく聞き覚えのある、声だった。 別行動をとっていたはずのオジロワシの化身の声。 状況が強いてくる恐怖に押しつぶされかけていたナウラが、安堵の息をつく。 同時に、気づいた。 傍らに立っている、男。 おそらくは町にはびこる人形達を創りだした元凶のモノの、その素顔。 差し込む光に照らされた姿は、意識が途切れる直前までナウラと話していた「長老」。 ――人形使いも、人形であり、きりきりと歪な音をたて、その首が村山へと向けられた。 「邪魔をされては、困るのぅ」 開かれた眼は硝子の瞳。されどその瞳には、狂気が宿る。 「人形となって、初めて人は人の醜さから開放される――わしらの主が残した崇高な使命を、わしらは果たさねばならぬのだ」 「その主ってのは、そこに座ってる骨のことかよ」 村山が、外光によって暴かれた部屋の奥。椅子に座したまま朽ちた遺体を見つつ言う。 「いいや」 「長老」は応えた。 「主はわしとなり、わしは主として人の身より抜けいでた。ゆえに主はわしじゃ。わしが主じゃ。醜き人たる我が身は朽ちて、永劫に美しく、整った姿の局地に至った。わしこそが、この地の主じゃとも」 狂った人形の狂った思考を動かすのは、歪んだ妄執にとりつかれた竜刻使いの竜刻に込めた想念で。 彼が生み出した人形が先ず為したのは、竜刻使いにして人形使いたる主を殺すこと。 己の姿をうつしとってつくり出された人形により、男は人しれず朽ちる運命を与えられることとなった。 そしてその夜、人形は町へ出た。 町の住人を一人殺し、二人殺し――その全てに、主が加工しおえていた竜刻を埋めこんだ。 それは人形遣いの意図通り、人の身体を人形へと作り変え、生まれ変わらせる。 能力だけは傑出していた竜刻使いの研鑽の結晶は、人ならぬ身に人ならぬモノを産ませる結果を生んだ。 ――それでも、それは人ではない。 「人のふりをする」のが精々の、歪んだ化物でしかない。 だが、「長老」であり「主」であり「人形遣い」であるものが、「人形遣いのふり」をするには十分だった。 そして一人の男の死は数多の死を招き、数多の化生を生み出した。 「それで人がいなくなっちまったもんだから、今度はナウラを連れ去って人形にしようとしたってことか――外の奴らが俺を殺そうとしたのは、差し詰め用意された竜刻が尽きでもしたか」 応える声は、ない。 「はっ、迷惑なこった。そんだけの執念でてめぇが作ったものに殺されるならさぞや本望だったにちげぇねぇ」 加えていた煙草を捨て、懐から村山はギアを取り出した。 村山が向けた殺意に反応したのは、組み込まれた本能か。それとも「人形遣い」としての義務感故か。 人ならぬ速さで襲い掛かってくる人形に狙いを定め、ワシの容貌を持つ男は、低く吐き捨てた。 「てめぇ一人で死にやがれ」 ‡ 館が、燃える。 村山に襲いかかった人形は軒並み破壊されていたが、幾ばくかは日常生活を送り続けていた。 そうして残った人形達が、燃える主に付き従おうとするかの如く、火の中へと歩み入っていく。 業火が館を包み込むまでに、さほどの時は掛からなかった。 「長老」から取り出し封印のタグを貼られた竜刻を懐にいれながら、加えた煙草に火をつける村山が思い出すのは、かつて言葉を交わした男。 人間に絶望し、その全てを滅ぼそうとした、哀れな男。 「くだらねぇ」 思わず知らず、言葉が口をついてでた。 ‡ 業火は尽きず。 取り戻した衣服で身を包んだナウラは、館が燃え落ちていくのを見ていく村山の背を、見続けていた。 常には毅然とした様相を見せる彼の後姿が、なぜだかひどく咽び泣いているように見えて、ナウラは一歩足を踏み出すと、彼の手をとり、強く握りしめた。 「帰ろう。こんな所に居たらだめだ」 かけた言葉に、返される声はない。 ただ、軽く握り返された手の感触を感じながら、ナウラは火によって赤く照らされる男の横顔を、眺め続けていた。
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