●バードカフェ『クリスタルパレス』にて「……でね。リベルに訊いたら『昔、ある壱番世界出身の方が、故郷を懐かしんで造ったそうです』って教えてくれたんです」「へえ。ターミナルにもあるんだな、そういうとこ」「うん。今度、非番の時にでも、そこで一日のんびりしようかなって思ってるの。せっかくだから、シオンも一緒にどうですか?」「行く行く。嬉しいなぁ、ガラ姉さんから誘ってくれるなんてさ」「決まりですね。ただ、ちょっと問題があって。お昼どうしようかなって」「なんなら弁当持ってってやろうか? メシおごるって約束、前にしただろ」「さすがシオン、太っ腹です。……っと、もう戻らなくちゃ。細かい相談もしたいし、後で図書館の方に来て下さいよう」「ああ、判った。また後でな」「よろしくです。それじゃ、ごちそうさまー」●うだるような暑さがなくても、そこはやっぱり夏なんです「と言うわけで、水遊びに行きませんか?」 世界司書のガラが、また何か言っていた。 しかし、秘密のビ-チで海水浴と洒落込む昨今、水遊びとはこれ如何に。「チェンバーでもなければ泳ぐわけでもないです。こう、川でばちゃばちゃと」 ……? ガラが『ばちゃばちゃ』を表現すべくくねらせた腕を見て、幾人かの旅人が要領を得ないとばかり首を傾げる。「ではでは説明しますよう」 先日散策していた折、水路が巡らされた閑静な区画を見つけた。 並行した歩道よりむしろ水路の方が広いほどで、近隣への移動手段として、小船を利用する人も見かけたという。「ね。珍しいでしょう? ターミナルに水路なんて」 道路端から水辺へと至る階段があり、通行人に迷惑が掛かり難い(と思う)し、また、流れもなく水深も大したことはないので、安全面に憂い無し。 で、何をするのか。 改めてガラに問えば、水辺でぼけーっとのんびり過ごしたり、童心に返って水遊びに興じたり、水路の行き着く先を求めてずんずん進んだり、時々謎の横穴があるから探検したり、あ、船に乗せてもらってもいいかも、他にもいろいろエトセトラエトセトラ、ですよう――といったことを、ありがた迷惑なことにいちいち身振り手振りを以って一生懸命教えてくれた。「あ、そうだ。お昼ご飯は――」 ガラがたった今思いついた案を言いかけたところで、ギャルソンの勤めを終えたシオン・ユングが、意気揚々と現れた。「お待たせガラ姉さん。……あれ、どした? みんな集まって」「丁度いいところに。お昼ご飯は――シオンが『クリスタルパレス特製店主のきまぐれランチ(ソフトドリンク付き)』を全員分用意してくれることになってるから、心配御無用です」「お、おぅ。お安い御用だぜ。…………え?」 全員分? 一同から「おぉー」と感嘆の声があがる。「え?」 たった今、次の給料が参加人数に反比例するシステムが構築されたシオンの肩をぽんと叩いて、ガラは仕上げに入った。「じゃ、当日朝、広場の館長前に集合です。きみ達の参加、待ってますよう」●叱ってくれる人が居るから楽しいんじゃない カンダータ軍と関わり合って以来、日々、激務と戦うリベル女史は相変わらず館内を忙しく歩き回っていたが――ふと、すれ違ったシラサギの背中がすすけていたので、つい声をかけてしまった。「どうかしたんですか?」 すっかりしぼんだシオンが、ぼそぼそと事のあらましを伝える。「……なんですって!?」 リベルの反応も意に介さず、シオンは、またよろよろと帰路に着いた。(なるほど。あそこで……) ひとり残されたリベルは、少し前、ガラが尋ねてきたことを思い出していた。 彼女が何をしでかす気か、この目で確かめなくてはならない。と言うか、やんちゃをはたらくに決まっている。 それにしても、と溜息をこぼす。 アリッサといいエミリエといい、世界図書館は、何故こうも曲者揃いなのか。 向こう一ヶ月はぎちぎちに詰め込まれた予定表を一部訂正するリベルの気苦労は、依然留まるところを知らなかった。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
駅前広場の館長像に集った旅人達。その数、二十九名。 厳密にはひとりだけ、旅装姿を決め込みながらターミナルからは一歩も出ない、みょうちきりんな女が居り、またその女が、この大所帯を先導するにあたり、路面電車を素通りし、目的地までたっぷり二時間だらだら歩かせたことさえも、この際、瑣末な問題であろう。 それより、今は、この。 「――――」 業塵は、水辺に腰掛け、始めはそんなことを思ったりもしていたが、程無く、心を空にした。正確には考えるのが面倒臭くて、止めた。そして、微動だにすることなく、キャラメルフラペチーノ片手に、ただ、ぼんやりしていた。 ● 煉瓦と石で造られた建物が連なる。 風情があり、可愛らしくもあり、静かだ。 隣り合った歩道と水路、あるいは、規模として本場のカナルグランデと比べるべくも無いが、節々にそれをどこか髣髴とさせる水路のみが、区画全体を縫う住宅地。 とある橋の脇から階段を降りると、水辺に少し開けた場所がある。 「はい、到着ですよう」 時折「こっちですよう」とか言うぐらいで、あとはひたすら黙々と長々と歩き続けたガラが、やっと立ち止まって、皆に向き直った。 「それじゃ、各々ご自由にー。お腹が空いたら、向こうのお兄さんのところにどうぞです」 シラサギの翼もしおしおのお兄さんは項垂れながら、右手を上げて応じた。 寂しげだった。 しかしそこはあえて触れぬが礼。などと、誰かひとりでも気遣ったか否かはさておいて。ともかく一同、どやどやと、好きなように好きなところで好きなことを始めるべく、散り散りになった。 ガラは皆の様子をいつも通りの貼り付けた笑顔で見ていたが、やがて周囲から人気が減ると、水辺に鞄を倒してその上にどっかと座り、何やら大きな書物を開いてすぐに没頭するのだった。 お兄さんことシオン・ユングは、暫くガラを眺め、それから旅人達の水遊びに興じる様に目をやり、呟いた。 「……どうすっかな、来月」 途方に暮れるあまり、背後から忍び寄る少女の影に、シオンは気付かなかった。 「――水だ」 雪深終は、多くの世界でありふれているはずの、しかし、ここ0世界では珍しい景色を前に、立ち尽くしていた。 「チェンバーじゃないんだな」 ナレッジキューブを用いた擬似的な存在ではない、本当の水路。 水際より、周囲をぐるりと仰ぎ見てから、水の通り道、その遥か先を見据えて、よくぞこしらえたものだと感心してしまう。 ともすれば造り主が、この向こうを如何仕立て上げたのか、実に興味深い。 「チャオ」 「……!」 声をかけられ、少しだけ驚いた終の目の前を、ゴンドラが一隻通りかかる。 見ればおかしな面を被った船頭が、何人か乗せて、一生懸命漕いでいた。 乗客に見覚えがあるので、終の少し先を歩いていたヴィヴァーシュ・ソレイユは、俄かに足を止めたものだ。船上より「ご機嫌よう、ムッシュ」「やあ」とそれぞれに声をかけられ、ヴィヴァーシュの方も軽く礼を返す。 さて、先を目指そうかと、終もヴィヴァーシュも思った矢先、これまた後ろの方から少々品の無い笑い声と激しい水音を伴い、近づく者が在った。 今度は終に覚えのある、良く言えば陽気な男の声だ。 ジャック・ハートだった。 ジャックも気づき、異能で水面に浮いたまま、立ち止まった。 「あン? お前ェも来てたのかァ?」 「ああ、久しぶりだ」 やや面食らった終に対し、ジャックがわざわざ胸を張って、水を弾き飛ばしながら歩いていた理由について述べる。 「勿体ねェだろう、川の上をただ浮いて移動するなんざよォ? コッチのが面白ェじゃねェか、ギャハハハ」 「そうか」 「お前ェも歩くか、ン?」 「いや……おれはこのままでいい」 終は断りつつも、微かに表情を緩めていたようだった。 こんな遣り取りも、偶には、と。 断られた当のジャックも特に気にした風でもなく(恐らくは彼なりに相手の意思を尊重して)「まァナンだ、お互いマイペースに楽しむとしよォぜェ? それじゃァまたなァ! ギャハハハ」と、来た時と同じく爆音を残して、ひとり、どんどん先に進んでいった。 今度こそ、やっと静かになり、終はそういえばとヴィヴァーシュを見る。 ヴィヴァーシュもまた、同じ理由で終を見ていた。 「どうも」 「…………どうも」 「ふむ」 もし、ハクア・クロスフォードはいつも通り無表情だったが、それでも本人なりに、このこじんまりとした水辺の一角は気に入っていた。 こんな場所で本を読み耽るのも、悪くない。 水路の中で繰り広げられている水遊びの賑わいさえも、心地良い。 では早速と持参した読みかけの書物を取り出して腰を下ろしたところ、やっと隣に人が居ることに気づき、いささか驚いた。 まるで気づかなかった。 何故と自問してみて、それから、隣に腰掛ける和装姿にベンティサイズのキャラメルフラペチーノを持つ様もシュールな年かさの男を観察して、ある結論に達した。 この男、景色と同化している。例えば、釣りの達人のように。 (侮れない……) 隣の達人業塵は、ハクアに感心されていることなど知る由も無く、ただ、圧倒的に、ぼんやりしていた。 あ、ちなみにフラペチーノは半分ほどまで減っていることも記しておく。 さて、業塵の視線の先に、今は黒翼天使と白羽悪魔とでも形容すべきか、そんな番の存在がふたり、少年の姿で手を取り合い、水面を羽ばたき漂っている。 白い蝙蝠羽の少年、ヴォルフガングが時折水面を覗き込んでは、黒い翼の方に「ジグ」と呼びかけ、何事か囁いている。 ジグことジークフリードは、都度頷いてみて、自身も期待と不安を込めた眼差しを水面に向けるが、こちらはあまり積極的に動かぬ性質のようだ。 水面、あるいは水中に何者かが潜んでいるのか。 その時、双子の少年達の足元が泡立ち、次いで黒髪が浮かんだかと思うと、ざばっと誰かの上体が飛沫を飛ばせて現れた。 水中眼鏡で面相は判らないが、若い女性のようだ。 「う~ん。なっかなか居ないなあ……タガメ」 腕組みをして悩ましげに首を傾げている、その女性は、日和坂綾だった。 「ボ、ボル……」 「大丈夫だよ、ジグ。……ね、『たがめ』って?」 突如、足元に現れた『他人』に対し露骨に怯えるジークフリードを、繋いだ手を握り締めて宥めつつ、ヴォルフガングが綾に訊ねてみた。 「え? ああ、壱番世界の虫なんだけど。私、図鑑でしか見たコトないんだよね~。ホンモノいないかなぁって思ってさ」 綾としては、壱番世界に縁あると思しきこの水路に望みにかけて、身体を張って探しているというわけだ。 「ふうん……」 「まあ、でも探し始めたばっかだし、まだまだ諦めないよ~っ」 ヴォルフガングの気の無い返事も何処吹く風、綾は「じゃあねっ」と言い残して再び潜水し、あっという間にふたりの前から消えた。 「ボル……今の話……」 「うん。人それぞれだから」 ここで素潜りするバイタリティがあるのなら、壱番世界で探した方が――とふたりが思うのも無理からぬこと。 だが、そこはそれ。やはり、人それぞれなのである。 岸に程近いところでは、シュノンと相沢優が、足先から心地良い清涼感を味わっていた。シュノンは、始め思わぬ体感温度の低さに吃驚してしまったが、いきなり踏み込むのではなく、少しずつ水をかけて慣らせば良いと優に薦められ、そのようにしてみた。 「な、平気だろ」 「……はい……」 今は、シュノンも水を恐れることなく、身動きが取れるようになっていた。 「隙ありー!」 「ぷわっ」 そこへ、仁科あかりが持参した水鉄砲で優に不意打ち。顔めがけて正確に射出された水は、優の頭部から上体に渡って、びしょ濡れにしてくれた。 「ひ、卑怯だぞ!」 「イヒヒヒヒ、手元がお留守ですよー?」 邪に笑いながら、あかりは親指で水鉄砲が詰まれた場所を示す。 「ようし、見てろ」 児戯だからこそ負けられない。童心に返った優は、怒りつつも楽しそうに水鉄砲の元へと急いだ。 「ほら、あなたも! 一緒に遊ぼう」 「え…………遊ぶ……?」 シュノンの戸惑いも構わず、あかりはその小さな手を引いて導く。 この時、あかりはもちろん、優も、まだ知らなかった。 このシュノンという内気な少女に銃を与えることの意味を。 再び、水路にて。 夕篠真千流は、当初、ひとりで突き進んでいた。 己が半身を刀袋に納め、抱えたまま黙々と、歩き続けていた。 前後を確かめれば、他にも横穴を求めて同じ道を行く者達の姿も在ったが、真千流は誰とも関わるつもりはなかった。 しかし、その最中で、自分と似たような、それでいて真逆な印象の少女を見かけ、それとなく目で追うようになった。 その内、相手も真千流に気づき――ふたりは今、通学途中の学友のように肩を並べて歩いている。 「ねえ、『まちるん』って呼んでもいい?」 儚げな真千流に対し、活発そうな隣人が親しげに話しかける。 どこか押し付けがましくもある物言いが、真千流は不思議と嫌ではなかった。 「ええ……。その、私は何て呼べば良いのかしら」 「じゃ、マリアンヌで」 「わかったわ、マリアンヌ」 「う…………」 隣人が、なにやら狼狽していた。 「どうしたの? マリアンヌ」 「…………何でもない」 「そう……」 マリアンヌ改め、南雲マリアは、調子に乗ってエレガントな味付けを行ったことを、後悔していた。連呼された際の違和感が尋常ではない。 更に、この新しい友人は冗談が通じ難い手合いのようだ。 今後は相手を見て物を言おう。うん。 しかし、如何に修正すべきか? (今更名乗り直すのもなんだかみっともないわよね……) マリア(ンヌ)は、何も無いところで、思わぬ窮地に立たされていた。 水路の果てを見極めんとする者達が居る一方で、途中途中で見受けられる横穴が目当ての者達も居る。 とりわけ烏丸明良住職などは、この薄暗い地下空間にかこつけて、コレット・ネロとふたりきりになったら、などと妄想が浮かぶに任せ、それを実行すべく、大いなる下心を以って臨んでいた。 が。 「なーにがあっかなー?」 「面白そう……目も痛くないし」 住職の目の前を、華城水炎と、ディーナ・ティモネンがスコップを小脇に抱えて、通り過ぎていった。 「……へ?」 「果たして、この奥に待ち構えているものとは? 我々が求める水晶の洞窟は、実在するのだろうか? 調査隊の歩みは続く……」 「いやいやいやフェリシアちゃんダダ漏れだから考えてることダダ漏れしてるからっつか芸風違くね? 気のせい?」 きょとんとする明良を、更に冒険企画番組のナレーション風フェリシアと、彼女に引きずられつつ突っ込みいれつつシオンが追い越して行く。 「あの、ちょっ」 「たーんけん」 駄目押しで後ろからチェキータ・シメールがてこてこと歩いてくるのを見て、明良は溜息と共に観念した。 まあそんなわけで、ちっともふたりきりにはなれなかったのだが。 がっくりと肩を落としている明良の手を、コレットが引っ張った。 「……ふふ、鳥丸さんと冒険するの、初めてね」 コレットにしては積極的で速い足取りが想定外だったので、不覚にも明良は躓いて、堪えるのに立ち止まらざるを得なかった。 「おおっと」 「きゃっ」 よろめいた拍子で、これまた思いもよらず、明良とコレットの顔が近づく。 「え、ちょ、キスとかまだ、俺っち心の準備がー」 妄言を吐く明良の隙を突いて、コレットがとったアクションは――。 「えいっ」 「あっ」 暗がりにも拘らずかけっぱなしのサングラスを、勢い良く外したのだった。 本邦初公開となる明良の素顔は――更なるサングラスだった。 こんなこともあろうかと、二重にかけていたらしい。 「ずるーい」 「まだまだですな、コレット殿!」 「もう……ふふっ」 素顔は判らぬままだったが、コレットは心底楽しそうに笑って、再び明良の手を引いた。 「さあ、先に進みましょ。頑張って奥まで行こうね」 ゆったりと、町並みが流れていく。 仮面の船頭が繰るゴンドラは、ある分岐から歩道の無い、狭い水路に入り込んでいた。歩道を挟んでいた時に比べ、建物が間近で、より高く感じられ、それ故に実際よりも水路が狭く思える。 稀に、と言うか結構頻繁に舟がよたつくのはご愛嬌。 耳慣れぬ歌をハミングする船頭は、どこへ向かって漕いでいるのか、思えば聞いていなかった。 でも、それもいい。 「綺麗……」 馮詩希は、この町並みと水の道の織り成す景色が、好ましかった。 控えめに身を乗り出して、水に手をつけてみれば、その冷たさも心地良くて。 「とても、気持ち良いものですね。この流れも……」 詩希の気持ちを代弁したかのように、ミレーヌ・シャロンが呟く。 大切なあの人と共に、この景色が見られたら――そんなことを思いつつ、ミレーヌもまた、たゆたう時を、純粋に楽しんでいた。 そんな中。 「……?」 「……あら?」 舟が失速し出した。 一番後ろでくつろいでいたルゼ・ハーベルソンが、首を回して見ると、船頭がオールに寄りかかり、肩で息をしている。 「大丈夫か? どこか具合でも」 「、……気にっ、するな。少しっ……疲れただけ……だ」 「息があがったって……そんな」 (素人じゃあるまいし) 妙だ、とルゼは思った。 少なくとも、ルゼがこれまで船医として乗り込んだ船に、新米以外でこんな無様を見せる男は居なかった。大小の差はあれ、船乗りには違いない。素人でないのなら、やはり体調が悪いのでは。 「大丈夫…………医者にかかるほどじゃ」 「あれ? 俺、あんたに医者だって名乗ったっけか?」 「……!」 ルゼが首を傾げた途端、船頭が仮面の口を両手で押さえた。 と、同時に、その胸元からセクタンがよじよじと顔を出す。 「お前さん、まさか……」 「――あら? 向こうの通りを歩いているのは、もしや」 ルゼが何事か言いかけたところに、ミレーヌが口を挟んだ。 その指差す先に見えるのは、落ち着いた赤のスーツに身を包む、銀髪で、肌が黒い女性。 詩希には、遠くてその表情までは窺えぬが、あの姿勢の良さ、規則正しい歩幅。 そして、堂々たる迫力。 間違いない。 その女性の進行方向は、このゴンドラの出発地点。すなわち――。 「………………」 「………………」 「……さ、お客さん。ひと休みしたところで、先に行こうか」 「…………だな」 船頭――虎部隆の言葉に、ルゼも頷く。 何事も無かったかのように、舟は漕ぎ出された。 ● 水遊びは、ほぼ、シュノンの独壇場だった。 「……楽しい、です」 水鉄砲を手にしたシュノンは、正確無比の射撃能力を如何なく発揮し、水面に立つ者総てに対し、一方的に無慈悲なる水の洗礼を浴びせ続けた。 当初バトルロイヤルだったはずの戦場は、今や一対残り全員の戦いになりつつある。不利なのは後者だが。 「左舷薄いよ! 何やっt」 「そんなこと言われてm」 戦況の建て直しを図ろうとしたあかりの顔に水弾が弾けて、答えようとした優までも、続け様に濡れ鼠。 時折弾幕が止むのでやりかえそうにも、シュノンは中々にはしっこく、考えなしに撃ち続けては折角充填した水が瞬く間に底をつく。 「た、退避ー!」 「了解!」 あかりと優がなんだか息ぴったりで戦線離脱すると、シュノンの銃口は、綾に付き合わされてタガメを探していた雪峰時光へと向けられた。 「殺気!?」 勿論言ってみただけだ。それはともかくシュノンに背を向けていた時光は、振り向き様、持参していたから傘を開く。しかし。 「はっはっはっこんなこともあr」 ついうっかり傘を通常通り天に差してしまい、以下略。 「……え……と?」 流石に気の毒な気がしたのか、シュノンも程ほどで止めた。 「うーん……なんかいいねぇ、こういうの」 ファーヴニールは水辺に腰掛け、足を水につけて涼みながら、スケッチブックを開いていた。と言っても、風景画に勤しんでいるのではなく、この場に喚起された発想を、アクセサリーとして形にするといった趣である。 時に向かいの赤煉瓦の棟を、時に水面を。また、時に目の前で児戯に興じる旅人達を眺めては、白い画面に筆を走らせてみる。 繰り返すうち、やがて、それは徐々にだが平面に具象化するだろう。 「久々にイメージ生まれそうだ!」 ファーヴニールの傍では、未だ業塵がぼんやりしまくっていたり、その横でハクアが、やっと落ち着いて本を読み耽っていたり。 更に少し離れたところでは、ホワイトガーデンがちょこんと座り、こちらは何がしかの文を書き綴っているようだ。 「ん……」 集中が解けたか、ひと段落が着いたのか。 ホワイトガーデンはしなやかな伸びをしてひと息つくと、徐に立ち上がった。 辺りを見回し、彼女の右手に馴染みの世界司書の姿を見かけ、近寄る。 「ガラさん」 「おあ?」 ガラは、何かの図画集に釘付けだったが、頭上から名を呼ばれると、顔だけぐるんと上に向けた。 「あ、ごめんなさい。随分熱中してたみたいね。それ、どんな本なの?」 「こんな本です」 覗き込むホワイトガーデンに、表紙を向ける。 厚化粧が身体ごと噴出した汗で溶け出し流れ落ちているような姿の人形らしきつやのある物体が、灯りに照らされている写真。 紅い文字で『溶けかけ蝋人形大全』と記されている。 「良ければ貸しますよう」 「…………その。また今度、お願いするわ」 五秒固まり、それから柔らかな笑顔で、ホワイトガーデンは受け流した。 ちょっぴり引いたのかも知れない。 「予約一名、ですね。ところで、ホワイトガーデンは何を書いてたですか?」 「何って……そうね。きちんとできる時まで秘密、かしら」 くすくすとさえずりにも似た声で一頻り笑うと、ホワイトガーデンは「さて」とスカートの裾を上げて結び始める。 「私も、ちょっと遊んで来るわ……あっ」 「じゃ、ガラも行きます」 「楽しそうですね。私も是非参加したいところですが」 「いいですよう――おうっ?」 ホワイトガーデンが声をあげた理由。 ありえざる声。 だが、ガラが振り向けば、まさしく目と鼻の先に。 「リベルだ」 「如何にも、リベルです。何か不都合でも?」 腕組みをしたリベルが眉間に皺を寄せ、微笑を浮かべていた。 勿論、目元に愛嬌など、微塵も存在するはずなどない。 在るのは0世界において比類なき、威圧感。 その時、業塵が、「む」と短く唸り、再びハクアを驚かせた。 尚、キャラメルフラペチーノは、既に完食していた。 「不都合と言うか、ここに居ると」 「ここに居ると?」 ガラの思わせぶりな言動をリベルが問い質していたところ。 「ふぃーいやはや、酷い目にあったでござるよ」 事態を見守っていたホワイトガーデンの後ろから、時光が近付いてきた。 「や、これはリベル殿。この辺りは危険でござるぞ。何しろ時折ざばーっと放水が頭上から」 時光がこの場所の危険性を示そうとした矢先、彼の頭上にある壁面から、早速ざばーっと放水された。 「っ!」 「きゃあっ」 唐傘を差したままの侍は事なきを得たものの、弾かれた水は、そのまま時光の傍に居る三名の女性をずぶ濡れにするという代償を伴った。 「い、いや、あの、その、せ、拙者はつまり、つまりでござる」 しどろもどろに口ごもる時光。 「ほら」 ね、と笑うガラ。 「――なるほど」 水も滴るリベル女史は相槌をうったものの、小刻みに震えていた。 そして。 「全員手を止めて! 今すぐ集合しなさい!」 説教が、始まった。 向こうでは、ある種大変なことになっていることなど知る由も無く、横穴に侵入した面々は、あまりの見るべきものの少なさに、ダレていた。 見所と言えば地下道そのものと、あとはどこから紛れ込んだのか、ときたまザリガニや蛙といった水棲生物ぐらい。 ディーナは「始めは面白かったのにな」とこぼした。 入って間もない辺りには、謎の扉があったり、開けてみればどこぞの家の地下だったり、そして家主に叱られたりと、微笑ましい展開もあったというのに。 それが、進むほど何も無くなっていき、まるで人里から離れていくのと同じではないか。 ディーナにとり、そして一同にとり、幸いなのは、ここが下水ではないことだった。少なくとも腐臭や悪臭、汚水などに悩まされはしない。 「今にして思えば、あれが数少ない『危険』だったのかも」 ディーナと同じ回想に溜息をつくのは、水炎。 水炎自身、0世界においてさほどの危険は無かろうと率先して先へ先へと突き進んできたのであるが、呆れるほど本当に、何も無い。 「ところで」 フェリシアは眼鏡の位置を正し、声を潜めて言った。 「ここ、随分入り組んでるけど、誰か来た道覚えてる人、居る?」 小声になったのは、不安の顕れか。 そして、フェリシアの問いに答える者は、ついに居なかった。 「おいおい」 シオンが(フェリシアにより持ち出された、何れもフェリシアの分にあたる)二人前の弁当を抱え直し、来た道を振り返った。 地下道で遭難など、笑えない冗談だ。 しかし、一方で、このまま本格的に迷い、世界図書館に保護されたら軽く七十五日は物笑いの種にされかねない。 「それだけは避けねぇと!」 「きゃあっ! 何よいきなり!」 突然の大声にフェリシアの顰蹙を買い、「あ、悪ぃ」と謝るも、シオンは引き続き遭難時のシミュレーションを行っていた。 「いや、でも、その方がクリスタルパレスにお客さん来んのかな。うまいこと営業効果が出りゃ給料も上がったりして」 「シオン」 「今回の天引きもチャラか? だったらいっそこのまま」 「シ・オ・ン」 「……え?」 フェリシアの度重なる呼びかけに、シオンはやっと気付いた。 「考えてること、ダダ漏れよ」 「――え? 俺、何か言ってた?」 「…………」 よほど借金を苦にしていたのかも知れない。 「でも、どうするの? 確実に出られるアテも無いのに、これ以上考え無しに進むわけにはいかないし」 ディーナが話を仕切り直す。 「現在地が判らないなら、なるべく引き返す方向に歩いた方がいいんじゃないかな」 少し考えて、やがて水炎が提案したのは、もっとも無難な方策。 これには他の者も同意を示し、早速来た道を戻ろうとしたところ、最後尾で全員の背中を見た水炎が、はたと気付いた。 「あれ? ひとり足りないよ?」 「本当だ」 ディーナも指差し数えてみて、異変を認める。 「そんな……」 「嘘だろ」 途中から猫の姿に変化して、先行したり遅れたりしていた、チェキータの姿がなかった。と思ったら、皆の背後、つまりさっきまで進行方向だった奥の方からにゃあんと鳴き声がするではないか。 しかし、何度も鳴き声はするが、一向に戻ってくる気配が無い。 「何かあったんじゃ?」 「行ってみよう!」 一同は、チェキータと思しき声のする方へ走る。ある曲がり角に従って進むと、そこは扉でも襖戸でもない、金属製の板が張られた袋小路になっており、チェキータも、変わらず猫のまま、その前に座っていた。 「あー、居た居た。何やってるの……って、何コレ?」 「なんだろ? 開きそうだけど」 ディーナはしげしげと観察してみる。 その板金は見るからに分厚くて、取っ手も何も無い。けれど、壁に埋まっていると言うより、この場所にある空間を塞いでいるようだった。 並みの腕力では持ち上げられなさそうだが、果たして。 「……音が聞こえない? この向こうから」 フェリシアが、遠くの轟音に似た音に気付く。 皆も耳を澄ませてみれば、それは確かにこの向こうから聞こえる。 徐々に、近付いているように感じられた。 「……何か…………ヤバいんじゃ」 「だーいじょぶだって」 シオンが不安を口にしたが、水炎は明るく笑って、板金をゴンゴン叩いたりしてみた。 直後。 狭い通路に金属が揺れる音が反響し、板金が、ゆっくり上にスライドしていった。 「わあっ!? 私何もしてないよ!?」 その、向こうには。否、向こうからは。 何かが押し寄せてきていた。 「何? アレ」 「何って」 「……水、よね」 「ああ、水だ」 「にゃーん」 しかも、ものすごい量が。しかも、ものすごい勢いで。 こっちに、来る。 「にっ――――逃げろおおおおおお!」 叫んだのは、誰だったか。 皆、同時に声を張ったようにも思えた。 だが、それはあまり重要ではない。 声は、瞬く間に轟音と奔流にかき消され、一同もろとも水に押し流されてしまったのだから。 水路に沿って、上流側にリベル、向かい合い下流側にロストナンバー達が集う。 「全く貴方達は」 これほど閑静で情緒溢れる住宅街の只中でそれもいい年の大人が過半数を占める構成であるにも関わらず今時分に馬鹿騒ぎをすることの非常識さを認識すべきでありそして数多の世界群出身者より為るターミナルにおいて自ら揉め事の種となりうる所業を働くなど言語道断であるわけでそもそも世界図書館と言うのは云々ロストナンバーとは云々といったことを、水辺でぼんやりしていた者、そして水遊びをしていた者達が延々と聞かされている中、リベルが次の言葉に備えた息継ぎをする間をみて、その足元に跪いて弁当箱を謙譲する者があらわれた。 業塵である。 さしものリベルも想定外であったのか、少したじろいでいた。 「な、何ですか」 「寛容は大人の度量と申すそうな。偶さかには……」 「……?」 「…………」 偶には遊んでみては如何かと薦めんとした業塵だが、途中で喋るのが面倒になり、終いは無言のままであった。 「来てしまったのだ、少しくらいのんびりしてはどうだ」 次いでハクアが息抜きも必要だと、口を添える。 弁当を受け取ろうと手を伸ばしたリベル。この場でただひとり。その隙を、狙い澄ましている者が居た。 それは、リベルが弁当に触れる直前。 「リベルさんっ、遊ぼっ!」 「なっ!?」 千場遊美は、リベルの背後から全力で抱きつく。 そして、諸共水路に、飛んだ。と言うか落ちた。 水飛沫があがると、誰からともなく、よく判らない拍手が巻き起こる。 「……また…………貴女ですか」 「えへへー。リベルさん図書館に篭りっきりだからね。ハメ外そうよ」 リベルは最早怒る気も失せたのか、黙り込んでしまった。 と、同時に、先程時光の頭上に放水した穴から再度水が噴出し、水と共に、女性が三名と、猫が一匹、それにシラサギが一羽、飛び出した。 偶然流れ着いたのか、遊美が無意識に発現させた異能に因るものかは判らない。 だが、何はともあれ横穴探索隊の面々も、無事に帰ることができたのだ。 徒歩か、あるいはゴンドラにて水路を一巡した者達が戻って来たのは、それから少し後のことだった。 ランチタイム。 皆が食事を持っていく毎に、シオンは悲壮感が増していた。 一食無くなる度、その額を勘定しているのだろうか。 「……俺も腹減ったな」 シオンの分の昼食は、フェリシアに押さえられている為、無かった。 その様子を、優は気の毒と思いつつも、つい笑ってしまう。 弁当を受け取り、座れる場所を探していると、見知った美丈夫が居たので「ヴィーさん」と声をかけた。 「お久しぶりです」 優に短い礼で応じたヴィヴァーシュは、よくよく顔見知りに逢うと思わずにはいられなかった。 ヴィヴァーシュの横では、終が満足げにランチに舌鼓を打つ。 終にとって、水路の散策は、有意義なものだったようである。 リベルもここで(曰く監督者として)昼食をとり、結局は皆が飽きて解散するまで付き合う羽目になったとかならなかったとか。
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