オープニング

 大草原の小さな一家。
 つい先日、ロストナンバーの活躍と助けで何とか生まれた小さな生命、マールはすくすく育っていた。母乳からそろそろ離乳食の時期に来て、母親のベスタが日々奮闘努力しているのを、父親ラールも兄タビタも知っていた。けれど、ベスタが泣き出してしまうほど心身に負担になっていたとは気づきもしなかったのだ。
「ん、やー!」
「マール!」
 がらん、と木の椀が床に落とされ、タビタは振り返った。
「もう…だめ!」
 ベスタが顔を覆って座り込んでいる。気丈な母親の頬に流れ落ちる涙に、タビタはぎょっとする。それはラールも同じだった。狩りから帰って汚れた道具の補修をしていたのを一旦止め、立ち上がってベスタの側に寄る。
「どうした?」
「……」
 ベスタは答えない。けれど、周囲に散らばった離乳食と、口も手も、いや体中どろどろにしているマールを見れば想像がついた。
「食べないのか」
「……あなたはいいわよ」
 私は一日中ここにいて、身動き取れない、何もできない。
「どうして? タビタはちゃんと食べてくれたのに、どうしてマールは」
「味とか、固さとか」
「やったわよ、工夫してるわよ、毎日毎日、何も知らないでいい加減なこと言わないで!」
 まるで小さな女の子みたいだ、とタビタは思う。知っている母親ではなくて、知らない女の人みたいだ。
 何だか体が竦んで、前にもらった白い『ボール』を触っていると、それで遊んでいたのを思い出したのか、マールがあーとタビタを呼んだ。それがまた、ベスタの苛立ちを煽ったらしい。
「タビタ! マールがご飯食べないから止めてって言ったでしょ!」
「っ」
 きりきりした声が飛んできて、タビタは胸が詰まった。慌てて『段ボール』を掴み、外へ逃げようとする。と、その背中でラールの声がした。
「……ベスタ。この前の、マイカの結婚式、行ってこい」
「…え?」
「マールの飯は俺とタビタで何とかするから」
「で、でも」
 タビタが振り返ると、ベスタがびっくりした顔でラールを見上げている。 
 マイカというのはベスタの古い友達で、今度結婚するのだそうだ。マイカの居るアルゴ村はベスタの住んでいた村で、昔からの知り合いも一杯いると聞いた。
「…いいの?」
「いいさ」
 ラールはふい、と側のゆりかごに入っていた『竹とんぼ』を掌ですりあわせて飛ばしてみた。あああー、とマールが嬉しそうに手を伸ばす。『竹とんぼ』の行き先をラールは眺め、落ちた場所に拾いに行きながら、ぼそりと続けた。
「俺は送ってやれないから『旅人』さんに頼もう……タビタ!」
「はいっ」
「『旅人』さんにベスタの護衛と……マールの離乳食の手伝いを頼んできてくれないか」
「わかった! いってきます!」

「『旅人』さーん! おかあさんがアルゴ村へ行くのに護衛に来てくださーい!」
 洞窟の入り口でタビタは叫ぶ。
「でもって、マールのご飯の手伝いにも来てくださーい!」
 おかあさんが一所懸命作っても、全然食べないんですーっ、と続け、これでよし、と胸を張りかけ……思い直した。
 そろそろともう一度、両手を口の横に当てる。
「あのねーっ、最近おかあさん、変なんですーっ。この前の、『旅人』さんに聞かせてもらった『青い鳥』の話、何度もするんですーっ。青い鳥、どこにいたのかしらねーって、言うんですーっ」
 思い出す。マールがようやく少し食べてくれて、くたびれて眠った横で、ゆりかごを撫でながら、マールが生まれたときのことを話すとき、自分を力づけてくれた細いひんやりした指のこととか、たくさん割ってもらった薪のこととか、それと一緒に、幸せを運ぶ青い鳥、の話を、何だか哀しげに話すときがあって。
『私の幸せは、ここじゃなかった、のかな…』
 そうつぶやいた後に小さく続けた名前は『ヴィーゴ』。
 父親にその名前が誰なのかと聞いたら、妙な顔をして、タビタの頭を撫でてくれた。
「おとうさん、大丈夫だって言うんですーっ! ヴィーゴって、今度おかあさんの友達と結婚する人なんだよって……けど、なんで大丈夫なんだか、ぼく、わからないんですーっ」
 その謎解き、してくれませんかーっ!
「いっぱい頼んで、ごめんなさーいっ!」
 タビタは最後にぺこり、と頭を下げ、急いで走って家に戻った。
 

「……ということで」
 鳴海は手にしたチケットを渡して指を折った。
「依頼は三つです。一つ、ベスタさんの護衛。アルゴ村までは小さな森を通り抜ける一本道ですが、時々盗賊が出るということで警戒は必要です。一つ、マールちゃんの離乳食の手伝い。ラールさんが奮闘中です。最後の一つは、ヴィーゴさんに関する秘密を確認すること。これは連携がいるかもしれませんね」
 では、よろしくお願いいたします。
 鳴海は深々と頭を下げた。


======
※このシナリオは、ナラゴニア襲来以前の出来事として扱います。
======

品目シナリオ 管理番号2224
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメント何とか間に合いましたか。
殺伐とした現在の状況にいささか不似合いな『日常の小さな波乱』です。
ほのぼの、ちょっと切ない小旅行をお楽しみ下さい。

参加者
サシャ・エルガシャ(chsz4170)ロストメモリー 女 20歳 メイド/仕立て屋
川原 撫子(cuee7619)コンダクター 女 21歳 アルバイター兼冒険者見習い?
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
イェンス・カルヴィネン(cxtp4628)コンダクター 男 50歳 作家

ノベル

 二泊三日程度のトレッキング装備、化粧道具、端切れ、綿、裁縫道具、日持ちするお菓子。今回も川原撫子の準備は万端だ。
「ベスタさんは1人で頑張りすぎて疲れちゃったと思うんですぅ。ベスタさんリフレッシュ大作戦開始ですぅ☆」
 朗らかに笑う彼女は、早速挨拶をすませた面々を離れ、眉根を寄せて座り込んでいるベスタに近寄った。
「お久しぶりですぅ☆結婚式と里帰り、ですよねぇ☆それじゃぁお祝いの品を作りませんかぁ☆可愛いクッションはどうでしょぉ☆私も手伝うので1日あれば出来ますよぅ☆」
 忘れようはずがない。マールを一人で産まなくてはならなかった大変な時に、どれだけこの明るさに助けられたことか。ベスタは見る見る笑顔になる。
「あ、力持ちのお姉さんだ!」
「ぐ★」
 いきなりそれですかタビタくん。突っ込みたいのは置いておいて、自分の手元を覗き込む相手に、色とりどりの端切れを出してみせる。
「まあ…綺麗な色…くっしょん…?」
 鮮やかな布を扱うだけでベスタは嬉しそうだ。
 その前に、と撫子はベスタを外へ連れ出した。
「ベスタさん、ちょっと伸びをしませんかぁ☆こうやって背中合わせで交互に相手を持ち上げるんですぅ☆背中が伸びて気分転換になりますぅ☆最近お空、見てますかぁ?」
 晴れた青空の下、ベスタはおそるおそる背の高い撫子と背中合わせになる。
「よいしょっ…」「きゃっ」「次はベスタさんですぅ☆」「う…お…重い…」「う★頑張って★」
 ぐいんと撫子に担がれ引き延ばされて、ベスタは吹き渡った風に空を見上げた。
 思わず漏れた溜息のような声。
「……いいお天気だったんだ……」
 撫子は微笑む。


「お母さんの護衛は任せてくれよ」
 相沢 優はタビタに向き合ってしゃがみ込む。側ではサシャ・エルガシャが何をどう手伝えばいいのか、見て回っている。その隣ではイェンス・カルヴィネンが持っていく装備、アルゴ村までの行程、滞在時間などの確認をしている。
「どうか安心して任せて欲しい。……魔女の方はどうだろう?」
 イェンスはトラベラーズノートにメモを取る。万が一何かの事情でお互いにはぐれても、ノートで旅程は確認できるし、すぐに落ち合えることだろう。
「あれは……男にしか近寄らないはずだ」
 ラールは苦笑した。
「ベスタが居たので言い出しにくかったんだが、アルゴ村にはヴィーゴという男が居る。今度ベスタの友達のマイカと結婚する男だ」
 一瞬のためらい、イェンスは物慣れた男のように軽く頷いて促す。
「昔…ベスタと付き合っていた」
 イェンスはさりげなくノートを閉じた。記録にしない配慮を知らせる。
「本当は、俺と結婚するのに迷っていた、そう噂を聞いたことがある」
 ラールは声を低めた。立派な二児の父親の落ち着きは薄れ、思春期の少年のようなはにかみが滲んだ。
「俺はこの通りがさつな男だ。女に夢を見せてやれるような器じゃない。子どもも二人居て、俺としては感謝している」
「けれど彼女はどうだろう、というわけかい?」
「……気持ちは、食べられれば満足する、というものじゃないだろう」
 頷きつつ、イェンスは微笑する。家族に貧しい思いをさせなければ大丈夫だと思う男もいる。ラールはそこはわかっているようだ。これまでの態度から、ベスタを大切に思い信じているのは間違いないだろう。
「家事育児を男がやることはないのかい?」
「このあたりでは滅多にないな……そんなことをしていたら、食い物がなくなる」
「なるほど…」
 ベスタの気持ちは感じている、だが助け方がわからない、だからせめて、昔の友人や恋人と再会させてやろうというところか。

「……時々、おとうさん、あんな顔するんだ」
 タビタはそっと優に近寄ってこそこそと囁いた。
「なんか、がっかりしてるみたいな顔」
 優もちらりとラールを見やる。詳しくは聞こえないけれど、何となく内容は察することができる。大事で愛しい人が、他の何かに強く心を奪われていく、それを止めることはできない、彼女がそれを想う気持ちがわかるから、わかりたいから。その気持ちごと、彼女を大切にしたいから。
「がっかりしてるのかもしれないな」
「何に?」
 タビタが目を見張った。
「マールが食べないから? …ぼくが……ちゃんとお手伝いできないから?」
 泣きそうな顔になるのに首を振る。
「違うよ」
 きっと、ラールががっかりしているのは、自分にだ。彼女の想いに寄り添い切れない自分、彼女の視線の先に居なかった自分。それはどうしようもないのだけど。
「もっと何とかしたくて、でも何とかできないから」
「……そっかあ…だから、大丈夫っていうのかなあ…」
 タビタが大人びた声で呟いて、優は少しびっくりする。こんな小さな子どもに、自分の気持ちが通じたのがわかったからだ。
「ぼく…時々こっそりマールにいうの。大丈夫だよって。きっといつか食べられるよって」
「マールに?」
「だって…マールも食べたがってるみたいに見えるんだよ。でも、なんかうまくいかなくて、泣いてるみたいなんだよ」
「……俺達に任せて」
 優は立ち上がりながら、タビタの頭を撫でる。


 翌朝サシャは輝くような笑顔でベスタ達を送り出した。
「いってらっしゃいベスタ様! 結婚式楽しんでらっしゃいまし。お留守番は任せて!」
「あ、ありがとう」
 ベスタ様なぞと呼ばれたのは初めてなのか、真っ赤になったベスタは撫子と優、イェンスに囲まれ、振り返り振り返りしつつ離れていく。ラールも、畑と仕掛けた罠を確認してくると家を出ていく。
 明るく見送ったサシャは、家に戻り扉を閉めたとたん、ちょっと顔を曇らせた。
「うー、ほんとはブーケゲットしたかったなあ」
 このあたりの風習でブーケがあるのかどうかわからなかったが、花嫁の幸せそうな光景をみるだけでも、気持ちは満たされてくるだろう。
「でも我慢、ワタシはワタシにできる事を精一杯しなくっちゃ!」
 言い聞かせると、ほわああああ、とマールが泣いた。
「はぁい、マールちゃん。サシャですよ〜」
 おむつを素早く確認し、泣いているマールを抱き上げる。べろべろばーと舌を出したり、くるくると黒目を回してみたりしていると、マールがより泣いた。
「もうお腹が減っちゃったかなあ」
 母乳だけでは足りなくなってきているのだろう。加えて、離乳食も十分に入っていないとなれば、日がな一日泣くこともあるのだろう。それだけ泣いていれば、疲れて食欲も気力も落ちる。慣れない離乳食を呑み込む気にもなれなくなる。そのまま眠ってしまって、また空腹に目を覚まして泣きじゃくる。悪循環だ。
「マールマール、ほら、そんなに泣くとさ」
 慌てるタビタをサシャは宥める。
「赤ちゃんは泣くのが仕事。離乳食を食べないのはベスタ様が悪いんじゃないよ。育てやすい子もいれば手がかかる子もいる。それも個性だもの」
 心配ない、心配ない。
 サシャは準備していた離乳食を器に盛りつける。
「ねえタビタ君、マールちゃんにお手本見せてあげてくれる?」
「おてほん?」
 タビタの前にも、ほかほか湯気の立つ野菜スープと柔らかなパンを用意した。
「お兄ちゃんが美味しそうにご飯食べてる所を見ればマールちゃんも真似したくなると思うの……赤ちゃんは何でも人のまねをしたがるから」
 うわんうわんと泣いていたマールがひくり、と鼻を動かした。
「わかった! マール、マール見て!」
 タビタはいそいそとスプーンを取り上げる。スープを掬って口に運び、呑み込んだとたんにぱっと顔を輝かせた。
「おいしい!」
「さあ、マールちゃんもはい、あーん!」
 ちょんちょんと小さな唇にスプーンを触れると、タビタがあーんと口を開けるのと一緒にマールもあーんと口を開ける。
「んぁー……む」
 口に飛び込んだものにびっくりしたのだろう、一気に口を閉じたが、吐き出す前にスープは喉を通ったようだ。むあぁむ、と唸って手を伸ばし、スープを見つめるマールにサシャはにこにこしながら次の一匙を掬う。
「マール、あーん!」「あーん……んむ」
 タビタとマールが二羽のひな鳥よろしく口を開けては閉めを繰り返すのに、サシャはいそいそと給仕をする。いつか作る、愛しい人との食卓も、こんな風な柔らかな光に満ちているに違いない。


 アルゴ村までは一本道、優はミネルヴァの眼を駆使して怪しげな動きがないか見張りながら、道中を進む。
「アルゴ村はベスタさんの故郷ですか?」
「ええそうよ。生まれてからずっと暮らしてたわ。ほんと小さな村で、家畜を飼って、女はその毛で織物を作って、男がそれを売りに行くの。男の子は誰だって村の外へ出る話をしてたけど、女の子だって村の外へ出てみたいねって言ってた。私もよく話してたわ…この村の外に何があるんだろうって。幼なじみのマイカと……ヴィーゴと」
「マイカさんとヴィーゴさんとベスタさん、仲良しだったんですか」
「いつも三人でいたわね」
 遠くを見るベスタの瞳は揺れている。
「もし、村から出ることがあったら、きっと三人で出ようって言ってた。ヴィーゴ隊と名乗って、アルゴの織物ならヴィーゴ隊だっていわれるぐらいの商売をしようって……でも……子どもの夢だったわ」
 小さな呟きに優は黙る。アルゴ村には今マイカとヴィーゴが残り、ベスタ一人が村から離れている。それが何を意味するのか、わかるような気がする。
「……若かったのね、きっと。外に出れば何とかなると思ってた。一人でも、きっと何とかなるって思ってた」
「ふとした時に気づくんだよ、自分を支えているあれこれに。自分一人で何でもやっていたのではなくて、多くの力に支えられているって」
 イェンスが穏やかに口を挟んだ。
「日常生活は、そういうものの代表だね……誰かの努力に支えられてる」
 ベスタは大きく頷いた。
「ええそう。お洗濯もお料理もお掃除も、何も終わらないの。下着を洗ったら上着。上着を洗ったらシーツ。朝が終わったら昼ご飯、昼が終わったら夕ご飯。ベッドを片付けたら床。床を片付けたらテーブル」
「体調が悪くても休めないしね?」
 何もかも吐き出させるようにイェンスは合いの手を入れた。
「そうよ。時々思うわ、このまま急に私が倒れたらどうすればいいの? ラールはタビタやマールを見てくれるの? その間の食べ物はどうするの? 薪は? 畑は? ………マールを産んで、身動きできなくなったのに気づいたの……どこへも行けなくなった」
 低く呟くベスタの顔は暗い。
「タビタを連れてマールを連れて。ラールに何かあったら、どうすればいいの? 私に何ができるの? 誰が頼りになってくれるの? ……私には、抱え切れない」
 最後の一言は涙声だった。
「ラールが好きよ…タビタが大事……マールを守りたいわ……でも」
 私には無理。
「だって……何にもできないわ。……離乳食一つ、ちゃんと食べさせて上げられない……あんなにお腹空かしてるのに……怒鳴ることしかしない母親なんて……最低だわ……だから」
「だから……?」
 イェンスの声にベスタは軽く首を振った。
 一人では耐え切れない、だから。
 妻もそんな風に思ったことがあるのだろうか。
「イェンスさん」
 つ、と優が身を寄せてきて我に返る。鋭い視線に危険を察する。
「盗賊団かい? 回避しようか?」
「いえ、このまま。へたに避けても、いずれ襲われるだけでしょう」
 優の顔に珍しく不敵な笑みが広がった。暴れたいような気持ちなのかも知れない。撫子も頷いて、握力150kgの拳を握る。


 一行が森に入って少し進んだあたりで、両側の枝や草木を掻き分け、むさ苦しい男達が現れた。前方三人、後方二人。ぎらぎら鈍く光る大きな刀を下げている。
「おいおいおいおい、お兄ちゃん達」
「楽しんでるとこ邪魔してすまねえが、有り金全部置いてきな」
「ついでに女も置いていったら、命までは盗らねえぜ?」
 ぎゃはははと髭だらけの顔で大笑いする男達に、撫子がゆっくり息を吐く。
「あああせっかく女扱いされたのに全然嬉しくないですぅ★」
「ベスタさん、下がって」
 優が両手の力を抜いて撫子の隣に並ぶ。
「彼女は僕が守ろう」
 イェンスがガウェインとともにベスタを庇う。その手にはトラベルギアの女性の長い髪『グィネヴィア』が絡み付いている。
「おいおいやるのかよ、ええ優男」
「甘くみてんじゃねえぞ、大女」
「言っちゃいけないことを言っちゃいましたね☆」
 撫子が動いた。同時に男達が一気に二人に飛びかかる。優に三人、撫子に二人。だが、所詮、この二人相手ではあまりにも数が少なすぎた。
「ぎゃああっっ」「いてえいてえいてえっ!」
 撫子が身を翻してがちりと握った二人の男の両手首がみしみしと絞られる。絶叫しながら身悶えして刀を取り落とし、びょんびょん飛び跳ねるだけの抵抗、男の一人があまりの絶望にもう一声、自らを断崖から突き落とすような叫びを漏らす。
「てめえ髪の毛長いだけで女じゃねえよ岩みたいな胸しやがってえええ!」
 ぶっっつん。
 撫子は両手を離した。逃げ去ろうとする相手に、使う必要のないトラベルギア全開、出現した小型樽の銀色ホースから噴出する水流で吹き飛ばした上に駆け寄り、殴る蹴るの連打、挙げ句に二人をたて続けに、森を抜けて真上の空へ一気にアッパーカットで打ち上げる。
「女の子を襲うバカはお空の星になれいっ☆」
「女じゃねえっっていってるだろ…ぎゃっぶうああああああ!」
 とどめは竜の如き噴流が空中の男をなおも遠く跳ね飛ばす。
 背後の修羅場を横目で見た残り三人は、優男相手で良かったなと一瞬安堵しただろうが、それもまた甘すぎる見通しだった。
「僕達の出番はなさそうだね、『グィネヴィア』」
 黒髪にキスを送りながら、イェンスは溜め息をつく。
 その目の前で優はすらりすらりと三人の攻撃をことごとく避けていた。いや、避けるだけではない、通りすがりにたまたま手が引っ掛かったと言いたげな軽さで、男の手を捻り、突き飛ばし、勢いを流す。
「ぎゃっ!」「げっ!」「あう!」「があっ!」「なんでっ!」「か、刀がっ!」
 三人とも刀を持っているのだ。ちゃんと斬り掛かっている。勢いも充分だし、無駄な動きはない。だが、優を捉え切れない。通り過ぎたと思った次の瞬間には、樹の幹に叩きつけられ、土埃に沈み、草を食っている。刀はまだしっかり持っているのに、体中見る見る打撲が増え、腫れ上がり、動けなくなっていく。
「ひょっとして手加減しているのかな」
「いえ、まさか」
 イェンスの問いに、優はカフェでお茶でも飲んでいるような静かな声で応じた。その背後で三人が続けて同じ箇所に叩きつけられ、お互いの刀で切りあいかねない状態になって悲鳴が上がった。
「うわわわ」「よせよせっ」「こっちくるな止めてっ」
「そのあたりにしておこうか」
 もう抵抗する気もなさそうだしね、とイェンスが促し、驚きに目を見張って違う意味で固まっているベスタを振り返る。
「この先、ここではもう盗賊は出ないかもしれないよ?」
 その夜、静かになった森で一行は安らかな眠りを得た。
 明日を思って緊張した様子のベスタに、撫子はそっと声をかける。
「私は憧れの人に全く気にかけて貰えないからベスタさんが羨ましいですぅ…お休みなさい」
 切ない乙女心はお星様に願いをかける。


 翌日、旅程は順調に進んだ。アルゴ村までもう少しというところで、森の中の泉で服装を整え、戸惑うベスタに撫子は化粧道具を取り出した。
「ベスタさんもお化粧しましょぉ☆折角のお祝いですしぃ☆」
 生活疲れでくすんだ肌を綺麗に洗って、派手すぎないように、けれども充分華やかに見えるように目元口許を飾った。
「嬉しい…」
 はにかむベスタに、撫子が持参の菓子を渡し、そっと優しく抱き締める。
「ベスタさんは頑張ってますよぅ。これは私からベスタさんへのプレゼントですぅ。青い鳥のお話の最後はぁ、家にいた鳥がそうだったって気付くんですぅ。ベスタさんは誰とお菓子を分けますぅ? それが答えじゃないでしょぉかぁ」
「誰、と……?」
 呟くベスタの横顔に、イェンスは思う。
 ヴィーゴもベスタも今を選んだ。昔の事はもう思い出。懐かしむだけに留めなければ互いに傷つくのではないだろうか。ラール夫妻も頭ではきっとわかっている。ただ忙しすぎて、気持ちに余裕がなくなっているのだろう。


 着いた村では、既に結婚式の準備が進み、花が飾られ、おいしそうな匂いが漂い始めていた。
「お帰り、ベスタ!」
 入ったとたんに駆け寄ってきたのは、ベスタと同い年ぐらい、赤い髪、薄茶色の瞳、鮮やかで華やかな印象の女性だ。
「ベスタ! 嬉しいわ! 無理だと思ってた! その方達は?」
「マイカ…おめでとう。来れて嬉しいわ。あの…『旅人』さん達よ」
「そう、あの洞窟ね! 来て下さってありがとう! ヴィーゴ、ヴィーゴ!」
「ああ、ここに居たのか、マイカ、もうそろそろ式の打ち合わせを……ベスタ?」
 呼ばれて現れたのは茶色の髪に青い瞳の背の高い男だ。驚いたように目を見張る。マイカを見やり、ベスタを見やり、やがてにっこりと笑いかけてきた。
「ありがとう…式に来てくれたんだね?」
「おめでとう、ヴィーゴ」
「子ども達はどうしてる? ラールは? ラールも来てくれたのかい?」
「いえ、ラールは家で子ども達を見てくれているの…『旅人』さんと一緒に」
「ああ…なるほど」
 ヴィーゴは改めて側に居る優とイェンス、それに撫子に気づいたようだ。一礼すると、どうかゆっくりと楽しんでいって下さい、と卒なく続けた。
「ただ…ちょっと人手が足りなくて。準備に時間がかかるかも知れないけれど」
「もしよければ、何かお手伝いしましょう。料理もできますし」
 優が進み出た。
「いやお客様にそんなことをさせては悪いな」
「いえ、ベスタさんのご友人の結婚式となれば、充分手伝う理由になりますよ……あそこで走っている人が料理長ですか?」
「ええそうです、いや助かるなあ、一人腕を傷めてしまっててね、マルボル! 助っ人が現れたよ!」
 優を伴っていくヴィーゴが、ふとベスタに目をやり微笑みかけた。ちらっと鋭い視線を走らせたマイカが、その間を遮るようにベスタに話しかける。
「ねえベスタ、あれからどうしてたの? 話を聞かせて? ヴィーゴと話してたのよ、突然村を出て行ってしまうなんてあんまりだって」
「私もご一緒してもいいですかぁ☆」
 撫子がにこやかに口を挟む。
「ベスタさんとはすっかりお友達になってしまいましたぁ☆昔のお話もいろいろ聞きたいですし」
「あらどうぞ、そうね、どんな話がいいかしら……ヴィーゴが村の公会堂の屋根に登った話とか? あの時、ベスタが一緒にいたのよね?」
「いやだ、マイカったら、あれはマイカが怖くていけないっていうから…」
 賑やかに始まる昔話を聞きながら、イェンスはそっとノートを開いて推測を書き込む。
 どうやらヴィーゴはベスタと共にいたことが多く、村を出た理由も薄々わかっているようだ。村を出た後も連絡を取っていたことは、ヴィーゴが『子ども達』と口にしたことでもわかる。マイカはどちらかと言うと、ベスタが来るのは予想していなかった。だから、ベスタがマイカの結婚式を知ったのは、おそらくはヴィーゴからだと想像される。三人の幼なじみ、男が仲良くしていた女が村を出て、その女と連絡を取っていた男が、残った女と結婚するのを知らせてくる。
「やれやれ、男というのは困ったものだ」
 イェンスはゆっくりとノートを閉じる。


「じゃあ、こちらを炒めておきましょうか」
「どこで修行したんだ、随分な腕前じゃないか。立派に食っていける腕だよ」
「ありがとうございます。褒められついでに、この粉、余ってるんですよね? 焼き菓子でも作りましょうか」
 優は料理長を唸らせる腕で次々とテーブルの料理を増やしていく。側で見ていたヴィーゴが感嘆の声を上げる。
「凄いな……『旅人』は誰でもこんなに料理がうまいのかい?」
「誰でも、というわけじゃありませんが」
 じゅわあああ、と炒め上がった野菜を皿に移し、粉に水を加えて練り始める。
「おいしいものを食べると幸せになりますよね」
 話しながら思い出す。不器用な手つきで、それでも一所懸命に作ってくれたものをどれほどおいしいと感じたか。自分の料理に驚きに見張った目が涙ぐみそうに蕩けるのを、どれほど嬉しく見つめ返しただろう。
 ここは任せたと、忙しく別のテーブルに向かう料理長に、優は残っているヴィーゴに尋ねた。
「ヴィーゴさん」
「何だい?」
「……ちょっとお尋ねしてもいいでしょうか」
「……ベスタのことかな」
 優は粉を練る手を止めた。
「……タビタが……ベスタさんのお子さんですが、母親の口から時々出るあなたの名前を気にしています」
「…ベスタが」
「何があったんですか?」
「………若気の至りだ……そう言えば納得するか?」
「……いえ」
「……村を出ようとしていたんだよ、ベスタと」
 ざわめきに紛れるほど低い声だった。顔を見ていては話し辛いかと、優は再び粉を練る。
「村を出て、世界を一緒に回ろうとした。アルゴの織物を売りながら、いろんなものを見て回ろうと」
 珍しい景色、知らない季節。危険もあるが興奮もある。世界の神秘に触れ、見知らぬ人々と会い、関わり。
「そうしていたら……ラールに出会った。俺達の知らないことを知っていて、大人だった。同じ頃、俺の両親が相次いで寝付いた。はやり病だった。俺は村を出るのを諦め……ベスタはラールの元に嫁いだ」
 俺がガキだったんだよ。
 小さくヴィーゴは笑った。
「裏切られたと思った。俺が動けないからラールに走ったって。後から聞いてわかった、ベスタがラールに会っていたのは、俺と村を出てからのことを考えて、だった。それを俺に話そうとしてくれていた。けれど俺は……聞かなかった」
 ぎゅ、と優は粉を握った。
「自分一人が傷ついたつもりの俺にマイカは優しかった。ずっと好きだったと言ってくれた。……俺は」
 ヴィーゴは低い声で続けた。
「……俺はマイカと結婚する。それでいいと思っている」
 ゆっくり上げた顔にもう迷いはなかった。
「よくベスタを連れてきてくれた、感謝する」
「ヴィーゴ!」
「今行くよ! じゃあな、えーと…」
「相沢 優です」
「あ…ざ…ユウ、な」
 ヴィーゴは吹っ切れたように笑った。
「ありがとう、ユウ!」
「…っ」
 その声に、重なるはずのない声が重なった。
 元気にしているだろうか。セクタンが一緒にいるから、きっと元気でやってるよな。海風が吹き付けてきたような気がする。泣きそうになる。
 何年かたった後、この思いはどんな風に感じるのだろう。今のヴィーゴのように、若気の至りと苦笑するのか、それとも。
 今はまだ、これほど苦く、切なく、痛い想いなのだけど。
 二人に近寄ってきたベスタと撫子が、笑いながら話しかける。ベスタがヴィーゴを見る視線には、さっきまでの戸惑いはない。一つ突き抜けたような明るい顔だ。
「ベスタさん」
 届かないとわかっていた。優は少し震える声で続けた。
「ベスタさんの青い鳥はたぶん、ベスタさんの帰るべき場所にいる」
 そのことばが、自分の胸の深くに落ちた。


「お帰りなさいませ、ベスタ様!」
「ぅあー」
 戻ってきた四人、特にベスタにマールがまっすぐ手を伸ばす。
「お疲れ様でした……悔しいけど、やっぱりお母さんが一番みたい」
「ねえおかあさん! マール食べたの、ぼくの手からも食べたの!」
「え…まあ」
「大丈夫ですよ、もうベスタさんからでも食べてくれます」
 サシャはにっこり笑う。
「本当……? ありがとう…!」
 マールをきゅっと抱き締めるベスタには出かけた時ような疲れはない。
「ありがとう、タビタ……ありがとう、ラール」
「ああ……おかえり」
 罠の片付けをしていたラールが、どこかおそるおそる視線を上げる。だが、妻の楽しげな顔にぽかんとしてしまったようだ。
「お前もう…大丈夫なのか?」
「ええもちろん。それより、一杯話があるの。盗賊が出たし、ヴィーゴは式で酔っぱらったし、マイカは踊りを披露したし! 素晴しい式だったわ!」
「盗賊に、酔っぱらいに、踊りか」
「それから、これは『旅人』さんからもらったの、あなたとタビタに」
 撫子から受け取った菓子を二人に分け与えながら、ベスタは振り返って撫子に片目をつぶる。
「いいことを一杯教わったわ」
 帰る道すがらの撫子の話を思い出しているのだろう。
『マールちゃんは女の子だからぁ、元々タビタくんより食が細いんですぅ。タビタくんほど食べなくても大丈夫ですよぉ。マールちゃん、今も元気じゃないですかぁ。ベスタさんがおうちで笑えるのがみんなの幸せだと思うから…もっと気楽にいきましょぉ、ね?』
「私、自分一人で頑張り過ぎてたのね」
 今度はイェンスに向けてベスタは微笑みかける。
『タビタも母親や妹を大切に思う一所懸命な子だ。貴方も彼らの優しさを知っているだろう? 時には助けてもらったり、気分転換をしてみてはどうだろう?』
 イェンスはその後に付け加えた自分のことばを思い出して、軽く咳払いする。
『探そうとすれば幸せは見えにくい。いつでも別の可能性は美しく見えるが、その為に今ある物を忘れて良い訳ではない……僕や妻と同じ過ちは犯さないで』
 過ち、の内容をベスタは確かめることはなかったが、イェンスの表情から何かを察したのだろう、静かに頷いてくれた。
「皆様、お茶が入りましたよ」
 サシャが温かな飲み物を配って、静かに引っ込もうとするのに、ベスタがそっと寄り添っていく。
「サシャさん、本当にありがとう。何てお礼を言えばいいのか、わからない」
 サシャは眩しいものを見るようにベスタを見返した。
「いいえ…でも一つだけ。疲れた時は愚痴っていいんです。隣の人に寄りかかればいいんです。ベスタ様が頑張ってること、ワタシもみんなもちゃんと知ってるよ」
 大きく見開いたベスタの瞳が、ぼやぼやと潤んだ。
「青い鳥の結末をご存じですか? 幼い兄妹がさんざん探し回った青い鳥は自分の家の鳥籠の中にいたんです。幸せってきっと……近くに在ると見えないんだね」
「……ほんとね」
 ベスタがぽろりと落ちた涙を指先で拭う。
「……ねえベスタ様、ヴィーゴさんて初恋の方ですよね」
 サシャの囁きにベスタは瞬きした。
「ワタシも同じ経験があるから、なんとなくわかっちゃうんです」
「…まあ」
「ワタシの初恋は庭師見習いの男の子。好きだったけど、生き別れになって……それっきり……でもね、今は幸せ。大好きな彼がそばにいてくれるから」
 サシャは悪戯っぽく顔をほころばせた。
「優しい旦那様と可愛い子供達、喧嘩もするけど仲良し家族………ワタシにとっては今の貴女が憧れなんです」
「…どうしようか迷ってたけど……いいわよね」
 ふわり、とサシャの肩から掛けられたのは薄紅の布だった。ところどころに羽ばたく鳥の模様が編み込まれている薄いショールのようだ。ベスタが続ける。
「アルゴでは花嫁は結婚までに一枚の布を織るの。それを、式の時に若い娘に渡して幸せな縁を分け与える習わしがある……アルゴには嫁ぎそうな娘がいなかったから、私が受け取ったのだけど」
 よかったら受け取って?
「……ありがとうございます!」
 サシャは布を抱き締め、弾けるような笑顔になった。


 甘いの、なあに? 
 それは人。
 泣いたり笑ったり怒ったり。
 そうして隣に居てくれる、あなた。 

クリエイターコメントこの度はご参加ありがとうございました。
皆様のプレイングを読ませて頂き、あれやこれやと妄想が暴走しまして、甘いのなあに、どころか、甘かったり切なかったり苦かったり激しかったりと何だかぎっちり詰め込み過ぎた気もします。

少しでも楽しんで頂けているといいのですが。

またのご縁をお待ちいたしております。
公開日時2012-11-07(水) 23:30

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル