ひどいことだった。 元はと言えば、廃業してしまった工場を放置しておいたのがまずかったのだが、そこが幼い子ども達の遊び場になっていたのを、誰も気にしなかったのが余計にまずかった。「危ない、リーヤン!」「お姉ちゃんっ!」 やんちゃ盛りの少年が今にも崩れようとした廃材の下敷きになりかけたのを救ったのは、彼の姉のソンファ。二つしか離れていなかったが、配慮は大人びていた。引っ張り出しては間に合わないと知って、リーヤンを突き飛ばして自分が下敷きとなり、姉は次々降り落ちた廃材に、顔も体も見分けがつかないほど叩きのめされ、命を失った。 ソンファの母親は嘆かなかった。弟リーヤンを咎めることもなかった。 ただ、翌日の朝から、リーヤンの衣服は全て捨てられ、ソンファのものが用意された。食器も何もかもがソンファのもの。名前ももちろん、ソンファと呼ばれた。 そうして、リーヤンは母の世界から消されてしまったのだ。「……でも、最近、母さんの様子が変なんです」 依頼を受けてやってきた、ヴァージニア・劉とハーミットの前で、細身の体に桃色と白の柔らかな衣服を纏い、黒髪には花飾り、目元に朱、紅の唇の鮮やかなリーヤンは憂い顔で小首を傾げる。「ずっと、僕をソンファと信じて暮らしてこれたのに」 細い手足には、それでも思春期を迎えた少年の筋肉が伺えた。すぼめてはいるが力を抜いて胸を張れば結構広い肩も、華奢なデザインなのがいささか不似合いな靴の大きさも、確かに今は仕草で女性と見えないこともない、だが遅かれ早かれ、古い切り株から瑞々しい芽が息吹くように、真実の姿を現すのは時間の問題。「ふ、っと困ったような顔をして、どうしたの、って聞くようになりました」 どうしたの、顎のあたりに汚れがついていることが多いわね。どうしたの、風邪を引いたのかしら、掠れた声ね。どうしたの、母さんと話す時にそんなに屈み込むなんて。どうしたの……どうしたの……どうして、あなたは変わってきているの?「姉が死んだのを、僕を姉に見立ててようやく生きてこれた女性なんです。今姉が死んでいるなんて……ましてや、僕に女装を強いて来たなんて気づいたら、死んでしまうかもしれない」 赤い唇が噛み締められる。その力ははっきりと男のそれで、悔しげで。「あなたはいいの、このままで?」 ハーミットが静かな声で問いかけた。「他にごまかせる方法があるのなら」 リーヤンは頷く。「……姉のまんま、生きてくのも悪かねえって…?」 溜め息まじりに劉が尋ねる。「実際、僕、リーヤンが生きている場所なんてないんですよ」 微かな皮肉を響かせて、リーヤンは自嘲した。「ソンファが通っていたお針子の店で働いてるし、近所の人もそれなりに事情をわかってくれて、ソンファとして扱ってくれてる…」 遠い目をして呟いた。「さすがに結婚の申し込みはないけど…」 母さんはいずれ、そういうことも気にするんだろうか。「…あんた、さ」 母の人形として女装させられていた劉は、クローゼットに押し込められた窒息感を重ねて、一瞬喘ぐ。だらしなく着ていたサイケデリックな柄のシャツのボタンを、なお一つ開ける。「………うぜー……」 何か言いかけたがうんざりした顔でメンソールの箱を叩いた。もうすぐ空だ。「…お母さんに会いましょう」 ためらってから、ハーミットは立ち上がった。どこかで聞いたような、じくじくと疼く気持ちを無理矢理晒されるような依頼に、体が竦んでいる気がする。「よろしくお願いいたします」 リーヤンが髪飾りを揺らせて頭を下げる。そういえば、姿形に似合わない、『僕』から始まる男口調が違和感がなかった。むしろ、会話した今では、その姿の方がいくら艶やかであっても落ち着かないものがある。「……隠し通せそうには…ないわね」 呟いたハーミットは、しなやかに振り返る自分の姿もやはり、今のリーヤンのように、誰かに違和感を与えているのだろうかと、ふと思った。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ヴァージニア・劉(csfr8065)ハーミット(cryv6888)=========
インヤンガイの細い路地をリーヤンの家に向かって歩きながら、ハーミットはセミショートの黒髪を風に嬲らせ、考える。 (ロストナンバーになって、時間が止まったことを幸いに思ってた時期があったわ。私は“ハーミット”を保っていられるようになったから) 細身の体に身に着けているものは、リーヤンほどではないがちょっとボーイッシュな少女が着るような服と評されるとしっくりくる。腕にしがみつかせているロボットフォームのセクタンも可愛いマスコットっぽい。 元々ヴィジュアル系インディーズバンド『Tarot』で女形ボーカルを務めていたが、今の名前は事故死した姉がバンドで使っていたもの、つまりは今の『彼』は本来の姿であるよりは、姉の代役を演じているようなものだ。 体が成長を止めたからこそ、向き合わずに済んでいる問題を、リーヤンは目の前に突きつけてくる。 「もしも時間が止まっていなかったら、“僕”は……」 低い呟きはさきほどまで使っていた声音と少し違う。やや掠れた、それでも明らかに男性とわかるその声を、ハーミットは封じ込めるように呑み込み、胸で吐く。 いや。 “僕”の時間は止まっていた。 「こちらです」 リーヤンがそっと指を差し伸べて、自宅を示した。 ごちゃごちゃと軒が近接し、積み重なった一画の小さな扉、一目見るだけでも裕福な暮らし向きとは言えないとわかる。 「一芝居打つか」 劉が丸めた背中のまま、上目遣いにハーミットを見やった。側にいたリーヤンが振り返る。 「俺はソンファの彼氏で、結婚を前提に交際してるってのはどうだ?」 「趣味悪いって言われそうだけど」 どういう意図? 「母親の正気を確かめてえな」 くわえたメンソールが最後の一本だ。唇の端に貼付けたまま、続ける。 「本当に娘と思い込んでやがんのか、それともそう思い込もうとしてるだけか。もし心の底で自分のやってる事がわかってて、ちょっとでも迷いや罪悪感があるんなら、息子が男を連れて来たら動揺するはずだ」 劉も昔女装を強制されていた。劉が女の子だと偽れば、娘を欲しがっていた情夫が戻ってくると信じ込んだ母親は、どこかもうおかしくなっていたのだろう。結果的には情夫は戻ってこず、「アンタが男だったばっかりにあの人に捨てられた、息子なんかいらなかったのに」と詰られ続けていた。 「どうかしら」 ハーミットは冷ややかに吐き捨てる。 「そんな動揺があるなら」 背後のリーヤンを振り返る。 改めて見れば、女性にしては骨格ががっしりしている。肩や腕が逞しい。腰は細いが大腿部は太く、明らかの女性の体型ではないその姿に、柔らかな色と素材の衣服をまとっているのは、その違和感を消すためだとわかる。花飾りも唇も、ことさらな目元の朱色も、痛々しいほどの努力をしての偽装と取れる。 「もっと彼をちゃんと見てるはずよ」 伸びる髭を汚れだなどと言わず、声変わりしたのを病のせいになどせず、自分と話すことに屈み込まねばならない身長を労ったはずだ。 「…あの人達と同じ」 リーヤンの成長を忌むべきものとして表現する母親に、あの事故の日にハーミットではない、章人を抱きかかえて『章人の死』を喜んだ両親が重なる。 「……」 ハーミットの強い視線に射抜かれて、リーヤンは自分が責められたように瞬きし、俯いた。その彼を背中に前へ進む。時を越えて戻ったあの日の壱番世界のように。引っ張られ、促されるようにリーヤンが続き、やがて立ち止まったハーミットの前を通って家に入る。 「母さん? ただいま」 「ソンファ! どうしたの、お前、ドゥンさんの店はとうに出たって聞いて」 「ああ、それが…」 「ハーミット」 中で交わされる会話の間に、劉がすっと近づいてきた。短くなった煙草を名残惜しげに吸い切って捨て、そっと囁く。 「…いいけど……無駄じゃない?」 劉の発案にハーミットは素っ気なく応じた。 「意外に甘いのね」 もしかして、自分が女だったら母親に愛してもらえたなんて、思ってる? 「…はっ」 ハーミットのことばに、メタルフレームの眼鏡の奥で、劉の瞳が大きく見開かれる。明らかにイチモツありそうな目つきの悪い視線が、一瞬だけ気配を変えて光った。それが嘲笑だと気づいたのは、続いたことばの後だ。 「俺が娘だったら母さんは幸せになれたか? まさか」 劉は肩を竦めてみせる。痩せぎすな体を覆った悪趣味な赤と黒と銀と緑をぶちまけたようなシャツを翻らせて、背中を屈めて嗤った。 「女だったら女だったで、あの人が帰ってこないのは理想の娘じゃないからだって理不尽に怒り狂っただろうさ」 「どうぞ……ハーミット、劉」 「いらっしゃい…あら…」 招かれて入っていった家の中で、リーヤンの母親は困惑したような視線を二人とリーヤンに向けた。 「ソンファ……男の方なのね」 「初めまして、お母さん」 劉が彼にしては精一杯にこやかに話しかける。 「俺は劉……実は、彼女と結婚を前提に付き合っているんです」 「え……まあ」 母親は瞬きし、次の瞬間破顔した。 「驚かせないで、ソンファ! いきなり来て頂いても、母さん、何にも準備していないよ。けどああ、もちろん、追い出すなんてしませんよ、劉さん」 母親は嬉しそうに劉に向き直る。 「喜んでるんですよ、劉さん。この子ったらほんと奥手で、浮いた話の一つもなくてね。このままでは行き遅れになってしまうと心配してたぐらいだったんです。いえいえ、大丈夫、まだお若いし、定職についていなくても、この子ならうまくやっていけますよ」 それは、娘の交際相手が現れて喜ぶ母親の姿以外の何ものでもなく、劉とハーミットは暗鬱な気分になる。 「ドゥンさんの店でも一二を争う腕のお針子でね。これ、ソンファ、何だいお前、お茶もお出しせずに」 「は、はい、母さん…」 リーヤンは一瞬泣きそうな顔を過らせたが、すぐに諦めたように席を立つ。 「あの、お母さん」 劉がハーミットに合図されて切り出した。 「その前に少し、娘さんをお借りしてもいいですか? あの、実は、彼は俺の友人なんですが、リーヤンの友人でもあって。彼が亡くなったことを知って、今日一緒に事故現場で弔いたいと来てくれたんです」 「リーヤン…?」 母親は訝しげにハーミットを眺める。 「彼…」 「ずいぶん昔ですが、リーヤンと一緒に遊んでいました……覚えておられないと思いますが」 ハーミットが卒なく応じた。 「……あの子は…もう死にましたよ」 それまでの喜びの声から一転して、母親が表情を強張らせた。 「とっくに、いなくなってますよ」 「ええ、ですから彼を」 「どこにもいないんですって」 「わかっています、けど」 「あの子はね、廃工場で死んだんです。ほんと困った子でね、何度ソンファを危ない目に遭わせたことやら。ソンファが生き残ってくれたのは奇跡です、天命の力なんです」 ハーミットが口を挟む間さえ与えないように、母親は早口でまくしたてる。 「あなたは仲が良かったかも知れないけどね、もう死んでしまってるのを思い出させないで下さいよ。廃工場で死んだのだって、どうせよくない遊びをしてたんですよ。ソンファまで巻き込まれて、危うく死ぬところだったんだから。ええそうですよ、リーヤンなんて名前、さっさと忘れちまいたいぐらいなんですよ、今更もう思い出させないで下さいな」 がしゃんっ! がらがらがら……っ。 「ソンファ! どうしたの、大丈夫かい、お前!」 戸口で立ちすくんで、運んで来たお茶を零したリーヤンは、駆け寄ってきた母親にはっとしたように瞬きした。 「あ、ご、ごめんなさい、母さん、お茶を零しちゃって…」 ふらつくようにしゃがみ込み、割れた茶碗を拾い集める。 「そんなことはしなくていいよ、母さんがするよ、ほらお前はあの人のとこへ行って、大丈夫だって笑ってお上げ。驚いておられるよ、ほらお行き」 母親に追い立てられるように立ち上がったリーヤンが、ふらふらと劉の前にやってくる。目元の朱色が滲んで流れかけていた。見開いた瞳がゆらゆら揺れるのを、必死に堪えてリーヤンが薄く笑う。 「ごめん…なさい…私……母さんがそんなにリーヤンのこと…嫌いだった…なんて…初めて聞い…」 劉を見上げて、それでも気丈に演技するリーヤンに、劉が軽く舌打ちして唸る。 「うぜー…」 一瞬ためらって、それでもリーヤンを軽く抱き寄せて、劉はハーミットに目配せした。 「……ソンファ」 ハーミットが静かに声をかける。 「じゃあ、少しだけリーヤンの話を聞かせてちょうだい。それでわたしはもう帰るから」 「え…ええ…」 ゆらゆらと危うくリーヤンが振り返る。 「お邪魔しました」 「おかまいもしませんで……ソンファ、早く戻るんだよ」 客人に向けることばにしても十分な非礼を、母親は感じていないらしい。不安そうにハーミットと並んで出ていくリーヤンに呼びかけるのに、ハーミットは立ち止まった。肩越しに投げることばは男声、 「ずっとそのままだと、近い内に全部無くすかも」 「え…?」 「行きましょ」 あえて名を呼ばないハーミットの心遣いにリーヤンが堪えかねたようにしゃくりあげる。 「まさか………母さんがあそこまで僕を嫌ってたなんて…思いませんでした」 廃工場跡で、リーヤンはうなだれる。既に目元の化粧は水洗いして流れている。口紅も擦り落として色をなくした。無意識にまくり上げた袖の下から筋肉質の腕が伸びて、髪飾りを外した頭を抱えている。 「……まだ、誰かがあなたを悼んでくれているのね」 廃工場の隅に、明らかな供え物があるのをみやって、ハーミットは呟く。 「……そう、だね」 低い声が響いて振り返ると、リーヤンは顔を横向けて供え物を見つめていた。 「…もう数日で、僕の命日だ」 掠れた声で笑う、その頬に再び涙が流れ落ちる。 「本当に……死んじまった方が良かったのかも知れない。僕なんかが生きてちゃ、まずかったんだきっと」 くすくすと嗤う、その口許が悔しげに歪む。 「ほんとは…ほんとはさ、いつか気づいてくれるかもって思ってた。いつか僕のことを思い出してくれるかもって、ううん、思い出してくれるはずだって」 そんなこと、あり得ないんだ。 小さく続けた声を、もう一回張り上げる。 「そんなこと、あり得ないんだ」 どんなに頑張っても、どんなに努力しても、僕はずっと母さんを苦しめる存在なんだ。 「……リーヤン」 ハーミットは頭を抱えて踞った少年の側で、少し息を吸い込んだ。 「“僕”の話をしよう」 男声にのろのろとリーヤンが顔を上げる。その顔は見ないで、ハーミットは供え物を見つめながら、ことばを継いだ。 「僕の姉も事故で死んで、両親はたまたま女装が趣味だった僕を姉に見立てた。けど僕は男で、そのうち姉を演じられなくなる……ここまでは同じ」 「っ…」 息を呑んだ気配に少し笑う。すぐにその笑みを消して、淡々とした声音で続ける。 「僕はビルの屋上から飛び降りた。両親と向き合うのが怖くて、逃げ道探して、ここまで遠くに来た………両親は二度も姉を失った、跡形も無く」 「………」 「君はまだ逃げてないし、お母さんも君の変化に気付いてる。逃げた僕が言うのも何だけど……君には僕と同じコトを繰り返して欲しくない」 「…僕は…」 戸惑った声に相手を振り向く。自分を静かに指差してみせる。 「隠者の助言はここまで。どうするか、決めるのは君だよ」 「……僕…は……」 リーヤンの声が頼りなく闇に吸い込まれていく。 「…来るぜ」 ふいに、側の瓦礫の上から劉の声が響いた。するすると光る糸が降ろされてくる。それに指を絡めるようにして、劉の姿が闇から現れる。 「そう」 ハーミットが冷ややかに頷いた、次の瞬間、 「ソンファあああっ!」 悲鳴のような叫びが届いた。 「母さん…? ………え?」 リーヤンを誘拐したと手紙を投げ入れた。廃工場で待っていると文面に書いた。それを真に受けた母親が、今ようやく辿り着いた。 「もう一回だけ、チャンスをやろうぜ」 劉が呟き、リーヤンを背後から抱え込む。ハーミットが肩を竦め、これまで劉に与えられたことのない評価を呟いた。 「お人好し」 「ソンファ! あんたらどういうつもりだい、付き合ってるってのは嘘だったのかい、娘を返しなさい、今すぐ!」 「…どこが繊細なんだよ、見事な鬼ババアじゃねえか」 思わず劉がぼやいたほど、リーヤンの母親はそれまでの仮面をかなぐり捨てていた。血走った目、振り乱した髪、わなわなと震える指を曲げて、一直線にリーヤンに駆け寄ろうとする。 「おっと、そこまでだ」 劉が下卑な笑いで応じた。 「それ以上近づくと、こいつがどうなるかわからねえぜ」 「え? えっ、あの、母さん? あのっ」 ぐい、と首を劉に抱え込まれてリーヤンがうろたえる。反撃していいものか、それともこれも何かの演技なのか判別つかないといった顔で、忙しく二人を交互に見やるが、ハーミットも劉も応じない。 「思い出せ。あんたの娘はここで死んだ」 「何を言ってるんだい、あたしの娘は今そこに居る、今殺しそうになってるのはあんたらじゃないか! ソンファ! じっとしてるんだよ、今母さんが助けてあげるからね!」 それは紛れもなく母親の怒号、だがしかし、その対象はこの状況下にあっても、リーヤンではない。 「ちっ…」 めんどくせえな。 劉がうんざりした声で唸り、リーヤンを抱え込んだのとは別の手を閃かせた。 「あっ!」「ひいっ!」 次の瞬間、劉の鋼糸が煌めいてリーヤンの服を引き裂いた。さすがに恐怖に仰け反ったリーヤンの肌を掠め、ばらばらと落ちた衣服にわずかに血が滲む。上半身が晒される。 「目に焼き付けろ。こいつのどこが女だ。どう見ても男だろ!」 さすがに劉が叫ぶと、驚いた顔で母親が立ちすくむ。だが、それも一瞬だった。 「あんた、年頃の娘に何するんだい!」「、母さん!」 切なすぎる状況に我慢が切れたのだろう、リーヤンが涙を零して叫ぶ。 「もう、いい、よ!」「何を言ってるの、ソンファ!」 ああ、うるせえ。 もう一閃、劉の手が動いて空間を光が走る。残っていた衣服がばらばらと落ちて、リーヤンが苦しそうに顔を歪めた。下半身までさらけ出された姿に、さすがに母親もことばをなくす。 「もういいだろ。リーヤンに人生を返してやれ」 ぼそりと劉が唸った。 「誰かの為に、誰かの代わりに生きるなんて、そんなの生きてるなんて言わねえ。俺は生まれる前からヴァージニアだが、こいつにはリーヤンってれっきとした名前がある」 ハーミットが微かに顔を歪める。 「あんたがつけた名前だろ? 呼んでやれよ」 「あ、あたしの、あたしの娘は…ソンファ…一人なんだよ…っ!」 「くっ…」 劉が歯ぎしりしてリーヤンを離した。へたへたと崩れ落ちるリーヤンにハーミットが付き添う。そして劉は、動きの止まった母親に一気にのしかかり、押し倒して首を絞めた。 「ぎゃ…ぐっ」「っ、母さん! 何を!」 母親の悲鳴にリーヤンが弾かれたように顔を上げ、ハーミットの手を振り払う。 「どうした、母親が死ぬとこを指咥えて見てんのか、助けたいなら掛かって来い、できるはずだろ? 男なら自分の力で大事な人間を守ってみ……がっ!」 劉のことばは途中で途切れた。駆け寄ったリーヤンはためらうことなく劉の顎を打ち上げ、劉の軽い体はあっけなく衝撃に吹っ飛ぶ。 「母さんっ! 母さんっ! 大丈夫っ! しっかりしてっ! 母さんっ!」 「あ…あうう……ソン……ファ…」 「う…うん、うん、ソンファだよ! 大丈夫だよ! 俺、ここにいるから! 母さんのこと、ずっと守るから! 俺はソンファだからっっ!」 「ソン………」 のろのろと手を上げた母親が、自分を抱え込んで泣きじゃくるリーヤンの頬を、そっと、そっと撫でながら首を傾げる。 「…あんたを助けたのは……娘じゃない」 顎をさすりながら、劉が唸った。 「あんたを助けたのは……息子だ……命の恩人の息子を、これでもまだ認めないって言うのかよ」 結構派手に殴られて、唇から血を流して座り込んでいる劉をハーミットが溜め息まじりに支える。その劉を、ようやく母親が振り返った。 「…愛してやれよ……息子を」 劉の呻くような声に、母親がぼんやりとほぼ全裸のリーヤンに抱えられながら見上げた。 「あんた……」 「うん、何、母さん」 「……いい歳になったんだから……友達は選ばないといけないよ……リーヤン」 「っっ」 固まったリーヤンが顔をくしゃくしゃにする。 「うん……うん、母さん!」 「呼びやがった…」「…やれやれ」 劉の呆気にとられた声にハーミットの溜め息が重なる。 その二人の前で、間違った方向を驀進していた孝行息子が、泣き笑いしながら母親を力の限り抱き締めていた。
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