近頃何かときな臭くなりそうな空気を漂わせているインヤンガイ。その一郭に置かれた壺中天が作り出すヴァーチャル世界は、きれいなインヤンガイを彷彿とさせるものだった。 路面の上をトラムが走る。その行方を追うともなく目で追って、ロストナンバーのひとりが軽く首を鳴らした。 別のロストナンバーはトラムの線路の向こうで指を鳴らしながらこちらを見ている。 残る最後のロストナンバーは軽く体を動かして、いつでも動けるようにアップしていた。 トラムが路面の向こうに姿を消す。街は人々のざわめきに包まれるが、ざわめく人々の姿はどこにもない。気配ばかりが広がっていた。 三人のロストナンバーに用意されたフィールドは、三人の他には誰の姿もない、無人の街。縦横無尽に走り回ろうが、街のすべてを破壊しようが、その行動のすべてはまったくの自由だ。 無人の街の中、ざわめきばかりが溢れている。そのざわめきの中、どこかで聞いた覚えのある女の声がした。三人は互いの顔を見合わせ、数拍の間、探り合うような色を浮かべた。 ――モウ? モウならさっきあのトラムに乗っていったネ その声が聞こえた直後。トラムが去っていった方向で派手な爆音が響いた。ざわめきが悲鳴を混じえた混乱のものへと変じる。が、それもつかの間。 ――あァ、死んじゃったネ 女の声がして、ざわめきは再び元のものへと戻っていった。 ――もちろん、フィールドをどうしようと、それは自由だ。ここで互いに拳をまじえ、コロッセオよろしくの混戦を繰り広げるのでも良いだろう。 だが。 三人は思う。ここで拳をもって強者を決するのも、もちろん楽しいかもしれない、と。 だが、ふと、ひとりが小さく口を開けたのだ。「ひらめいた」「通報した」「いや、そうじゃあない」 敷かれたレールの上を滑るように滑らかなやり取りを交わした後、ロストナンバーはさらに続ける。「思うんだ。ここで戦っても勝敗が出るとは限らない。なぜならガイアがそうささやくからだ。この俺に、もっと輝けと」「なん……だと」「つまり、どういう事だ」「俺たちは戦うことも出来る。だが互いにどこまでもクレバーに抱きしめあう事も出来るはずじゃあないのか」 ロストナンバーたちは再び黙し、互いの顔を探り合うような表情を見せた。「……こうしよう」「なんだって」「誰の技の名前が一番イカしているかを決めるんだ」「今どきイカすという表現もどうかと思うが」「悪くはないな」「ついでに誰のキメポーズが一番イカしているかも決めよう」「異論はない」「良かろう」 そうして、なぜか。本当になぜなのかは分からないが、壺中天が作り出したせっかくのヴァーチャル世界、その設定をまったく無視した、ある意味ではアツい決戦が、ぐだぐだと幕を開けたのだ。
初めに動いたのはニコル・メイブだった。ヴァーチャル空間内においても手製の花嫁衣装は健在なまま。ひらめく金色の双眸は大鷲の面影を宿している。手にした二丁拳銃はどちらも2インチの6連式リボルバー。それを所在なさげにいじりながら、ニコルは深々としたため息を落とす。 「昨日の夜さ……」 誰に向けたものとも知れない言葉に、白い少女シーアールシーゼロと、黄金の鉄の毛皮に包まれた獣竜人のハンター・チェガルフランチェスカがそれぞれに目を向ける。 ニコルは意味ありげなため息を再び落とすと、寄せられた視線に応えるように、ゼロとフランチェスカの顔を検めた。 「隣の部屋からやたらコーヒーの匂いがすんだよね」 「コーヒー、なのです?」 白い少女が首をかしげる。ニコルは小さくうなずいた。 「それで、私、何の豆か嗅ぎ分けてたらさ……一睡もできなかったッ!」 「……へえ」 チェガルが返す。あまり興味はなさげな声だ。が、ニコルはかまう事もなく軽く頭をおさえながら小さなかぶりを振る。 「だから今無性にコーヒー飲みたいんだ。極上のブルーマウンテンとまではいかなくても、すごくいい香りの熱いやつ。でもまさか、コチューテンにあるワケないよねぇ~」 言って、ニコルは再びため息を落としてかぶりを振った。 「ゼロは見たのです。さっき、この通りの奥の方の角を曲がったずっと先の方に、イカしたカフェがあったのです」 ゼロはそう言いながら、トラムが爆発した先を指で示す。ニコルは驚いたように声をあげて目を剥いた。 「カフェェェ!? あったのォォ~~?」 ニコルは驚愕の声をあげ、ゼロが示した指の先に視線を投げる。が、その直後。目をそらしたニコルのアゴを、レンガ敷きの路面を突き破り飛び出した何かが直撃した。その衝撃にニコルの眼前に星が散る。 チェガルは弾かれたように飛び退り、距離をとった状態でゼロを見る。ゼロは片手で顔面を包み込むようなポーズを取り、残る片手はまっすぐにニコルに向けていた。 「Terra draco absorbuit nubibus……雲を呑む土の竜とでも名付けておこう、なのです」 どこか唄うように告げるその言に重なるように、どこかから地響きのような重低音が響き上がったのをチェガルは聴いた、ような気がした。 「キミ……ゼロ=サン……だったっけ」 声をかける。ゼロの顔がチェガルに向けられる。 「ゼロは残酷ですわよ、ですー」 抑揚のないその声に、しかし、チェガルはわずかに笑った。 「やれやれだね、ゼロ=サン。ところでキミが今言ったその技の名前……けっこうイカしてるじゃん」 言って、チェガルは片手でゼロを指さす。 「なんにでも名前はあるのです。誰が一番イカした名前を考えられるかが勝負なのです」 返しつつ、ゼロは両手をポケットに入れつつ、斜にかまえた向きで首をかしげた。そこに、 「そうだよねェ~……。何にでも名前はあるわ。私もそう思う。だから私も考えたの」 なんの前触れもなく、ニコルの声が挟み込まれる。チェガルとゼロの視線がズアッとニコルに注がれた。 ゼロの技によりダウンしていたはずのニコルは、いつの間にか復帰していた。右手を腰にあて、左手を後背後にそらし立つポーズに合わせ、真白なヴェールが風を受けていい感じになびいている。 「ニョホホ」 笑いながら二丁拳銃をそれぞれチェガルとゼロに向けていた。 「パルプフィクション(どうでもいい話)ッ! 私の銃――投石とか投げ縄もそうだけど、『当たらない』……絶対に」 ヴェールの下、黄金色の双眸(ゴールド・シー・イーグル)が悪戯めいた光彩を宿す。それが半月を描き、同時、二丁の銃はほぼ同時に火を吹いた。が、それは確かに宣告通りのものだ。 弾丸がまったくの見当はずれな方角に消えていくのを横目に、ゼロはやんわりと浮かべた微笑みのまま、細く弱々しげな首を再びかたむける。それから再び片手を持ち上げ、さらに人差し指と中指だけを立てた状態で、その二本の指を上空に向けた。 その動きに合わせ、再び、今度は一度にいくつかの黒い球体――見ればそれは身を丸くしたモグラのようだが、ともかくそれが路面を破り、ニコルとチェガルとを同時に見舞う。避けるのは容易い。だが、なぜだろう。ここは食らっておくのがマナーのような気もしなくもない。 「ふ……なかなかじゃあないか」 口の端を手の甲でぬぐいながらチェガルはニヤリと笑みを浮かべる。別に血を流したわけでもないのだが。 「それじゃあ、今度はボクの番だね」 笑みを浮かべたまま、チェガルはなぜか路面の上に寝そべり、足をクロスさせた状態で持ち上げ、さらに上体を起こすという態勢で、左手を耳の後ろにまわし、右手でまっすぐにゼロを指している。 「ボクがッ! 皮装備の種族相手に遅れを取るわけがないッ! ……この勝負、ボクが勝つ、イイね?」 「なん……だと」 なぜか指さされたわけでないニコルが驚愕の表情を浮かべ、よろめいた。チェガルはどこか勝ち誇ったように、ごく自然な動きをつとめながらニコルを指す。 「次にキミは「アッ、ハイ」と言う」 「断るッ」 間を挟まずに返し、ニコルはヴェールを指先でつまんだ。 「私の『パルプフィクション』……さっきのはセッション1。いい? 1があるという事は2があるという事」 「『絶対に当たらない』って言っていたのです」 ゼロが言う。ニコルはうなずき、次いで足もと大きく蹴った。 「どうやら境目は2M。さらに1Mまで踏み込めば人並みに当たるッ」 言いながら、ニコルは未だ路面の上に寝そべったままのチェガルに走り寄る。その距離は確かに1Mほどとなっていた。 「中国武術に見られる『勁』のように……だがそんな事どうでもいい話。重要なのはそこじゃあない。『確実に倒す』そのための合理的な『覚悟』と『姿勢』……そして相手への『敬意』。それが重要」 ニコルはチェガルに向けて銃口を向ける。 「覚悟は幸福だよ……チェガル=フランチェスカ」 「ゼロは聞いた事があるのです。相手が勝利を確信した時、すでにそいつは敗北している、と」 わずかに離れた位置からゼロが言を挟む。ニコルは微笑み、目を細めた。 「3キュー4ever」 言って、ニコルは撃鉄に指をかけた。銃口はチェガルの眉間から、もはや30cmほどしか離れていない。 まさに発砲される直前。通常ならばここで向けられた銃口から逃れるため、身を反らしたりするところだろう。――が、チェガルはそうしなかったッ。大仰なため息をひとつ深々と吐き出して、ニコルの顔を仰ぎ見つめ、笑ったのだ。 「お前、ハイスラでボコるわ……」 言いながら銃口に向けて指を差し出し、叫んだ。 「竜ガ身ト共ニ雷ト堕ツル(ドラゴンダイ)ッ!!」 チェガルが放った言葉と共に、指先から青白い稲妻が奔る。ニコルが悲鳴をあげた。 「んふふ。この勝負……ついてるネ、のってるネ!」 チェガルの高笑い。が、それも、どこか冷ややかに――そう、例えるならば養豚場の豚でも見ているかのような目で薄い笑みを浮かべているゼロの言葉によって、あえなく遮られるところとなった。 ゼロは立てた指で顔を覆い、その表情をわずかに隠すような格好をしている。 「Cool guy like silk……ゼロはこれを、絹の冷奴と名付けるのです」 紡がれた言葉。チェガルがわずかに息を飲んだ。 「この構えは常にクールなあり方を保つ。常にクールでいられる者にクールでないキミたちは勝てない……なのですー」 「何をッ!」 叫ぶチェガル。ようやく身の自由を取り戻したニコルが見たのは、チェガルの全身を覆う真白な――雪に見せかけた豆腐だった。 「いやだァァァアア!! なんだコレ!! 微妙に気持ち悪いィィイイ!!」 全身を包む冷ややかでいて吸いつくような感触に、チェガルは涙目だ。弾かれたようにゼロを見たニコルが、ゼロとの間合いを取るために数歩を後ずさる。 ゼロは指の隙間からニコルを見据え、微笑んだ。 「絹の手触りの様に滑らかに事を運び、全てを終わらせる……それがクールということだ なのです」 「……グッド」 ニコルもまたチェガルと同様に息を飲む。が、 「きみ……シーアールシーゼロ……私、ね……私が生まれたのは著名なガンナーを何人も輩出した、誇り高き部族なの」 何の前置きもなく、懐かしげに目を細めながら語りだしたのだ。 ゼロは口をつぐんだまま、窺うような目でニコルを見る。ニコルは手の中のリボルバーを再びいじりながら、ゆっくり、ひとつずつ歩みを進めた。もちろん、ゼロとの間合いを狭めるために。 「なのに私ってば、この通りの腕前よ。必要以上に近接しなきゃ命中させる事も出来ないなんて、話にもなんないの」 言いながら撃鉄に指をかける。ゼロに向いていたはずの銃口から発せられた弾丸は、なぜかチェガルの後方に向かい飛んでいった。 肩をすくめるニコルに、ゼロもまたゆるゆると手を下ろす。 その頃、チェガルはようやく全身を覆う奇妙な感触にも慣れていた。大きくかぶりを振ってから、全身を覆っていたものを払い落とし、それらに向けて雷を放つ。幾筋もの細い雷光がチェガルの周囲に、雨のように降りたった。 「ボクは……」 呟くチェガルの双眸が紫電を映す。 「ボクは怒ったぞカップゥゥゥゥーー!!」 「ハァァ?」 ニコルが間の抜けたように応えたが、チェガルは聞く耳を持たない。 その全身を覆うのは、今度は豆腐などではない。青く爆ぜる静電気によるスパークエフェクトと共に、天空から大きな雷撃が降り、まっすぐにチェガルの全身を射抜いた。 「クアアアァアアアア!!」 放たれるチェガルの叫び。 ゼロは片手で目を覆うようにしながら視線を細め、呆然としたように口を開けた。 「ま、まさか、これは」 「まさか!」 ニコルも続いて叫んだ。 一帯を大きく揺らした雷撃がようやく静電気のような小さなスパークへと変じた時。 そこに立っていたのはチェガル=フランチェスカ――いや、チェガル=フランチェスカ=レクイエムとでも名付けようか。 頭髪はむろんのこと、全身を覆うもふもふとした毛皮は、今やもう、先ほどまでに比べてとてももふもふとしている。つまり、見た目にはあまり変化はないのだが。 ニコルとゼロが衝撃を受けたようによろめく。ニコルなど、絶望を隠せないような表情まで浮かべている始末だ。 チェガルは小さな息を吐き出す。それからニコルとゼロを見据え、唄うような口ぶりで言葉を編んだ。 「ボク、チェガル フランチェスカは怒りによってスーパーけもりぅ人となるのだ!」 豊満な胸を誇示するように張り、ウィンクをひとつ。 「うそでs」 「は……発想のスケールで……ま……まけた」 よろめき、膝をつくニコル。ゼロがニコルに駆け寄ってその腕を支えた。 「ゼロはこうも聞いた事があるのです。あきらめた時にゲームは終了するのだと」 「いや、スーパーけもりぅ人とかないでs」 「ああ……ゼロ……きみ、いい人だ」 「ゼロたちの戦いはこれからなのです」 「えええええ? なにそれ? 打ち切り?」 「そうだ、……そうだよね」 「昔の人は言ったのです。最終的に勝てばよかろうなのです」 「ライトニングストレングス・ザ・ワールド(雷ノ時~雷翔~!!」 チェガルの叫びと共に、一帯は再び大きな雷撃で覆われ、ゼロとニコルは爆風で飛ばされる悪役のノリで数メートルほど飛ばされた。 「や、やるじゃん」 よろよろと立ち上がったニコルが口の端を拭う。むろん、血など出てもいないが。 「カップさんをどうにかしたかったら、どうにかするためのアクションを起こせばいいと思うのです」 吹き飛んだ先、ゼロは何という事もなさげに立っている。チェガルはゼロの言に深くうなずき、親指をグッと立てた。チェガルの笑みに小さなうなずきを返し、そしてゼロは思い出したように手を打つ。 「忘れるところだったのです。じつはゼロも変身をするのです」 「なにッ」 チェガルの笑顔が凍りつく。ニコルはよろめきながらも立ち上がり、驚愕を満面に浮かべた顔でゼロを見た。 「光栄に思うがいいのです。ゼロの変身を見せるのは、おふたりが初めてだ! なのですー」 言って、ゼロは両手を広げる。その瞬間、一帯の光がなぜか突然に消えて、辺りに闇が広がった。――が、それも刹那の事。次の時、どこからともなく一条の光が降り注ぎ、ゼロの周りをやわらかく照らし出したのだ。 ゼロはくるくるとまわっている。壱番世界で何かのアニメでも見たのかもしれない。くるくるとまわるゼロの周りを、きらきらと光る小花が取り囲んでいた。同時に、やはりどこからともなく流れてきたのはパイプオルガンによるホーリー系っぽい音楽だ。 その眩さに思わず膝をつくチェガルとニコルの目の前で、ゼロはついに真なる姿(?)を見せたのだ。 小さな背から伸びる12枚の翼は汚れひとつない純白で、銀と純白で統一された衣装は無駄に露出度が高く――心もち胸元を包む小さな布、極端に丈の短い巻きスカート、ふわふわと舞う布地。それは宗教画などに見られがちな天使装束にも似ていた。さらに、その布地には光彩を放つ謎の装飾がなされている。 「天使……だと」 チェガルが呟きを落とす。ニコルは自分でもよく分からないが熱い雫が目尻から垂れ落ちてくるのを感じた。まるで、見ているだけで心の中が清められていくようだ。 「サービス期間は終わったのですー」 言って、ゼロは片手を掲げる。そこにあったのは銀の尺八だ。 「Sibilabit monachorum de nihilum(虚無の僧侶の笛)ー」 けれど落とされたゼロの声はいつもと同じ、安穏とした、危機感をまったく感じさせないもの。 ニコルは小さな舌打ちをして、場を大きく蹴り上げた。ゼロがいかなる技を繰り出してくるのか、見当もつかない。つかない以上、出来るのは先んじて動く事だけだ。 「この目は、大鷲から受け継いだ『血統』! 培った観察力と受け継いだ動体視力によって! あらゆる動作を精密に把握!」 リボルバーを構える。 「研ぎ澄ました反射神経を以って回避! 結果、相手は同じ動作を繰り返す、何度も! その隙にぶっ潰す! 何度でもッ!」 ニコルが備えた第二の技――タイムアフタータイム(何度も繰り返し) ニコルの動きに連動し、チェガルもまた動いていた。走りながら、両手それぞれに集めた電撃を丸く練り上げていく。 「ゼロ=サン、キミ、それ、あからさまに厨二なのだ!」 でもキライじゃないよッ! 言ってニヤリと頬を歪めた。 「迅黄牙竜ニ許サレシ紫電ノ槍(生半可なハンターには真似できないライトニングスピア)ッ!!」 叫び、練り上げた電撃をひと振りの槍に見立てて投げ討つ。 放たれた電撃の槍は大きなスパークを引きずり、空を一文字に裂きながらまっすぐにゼロを狙い定めた。 ゼロの背に伸びる6対の翼が、純白の翼ときらきら輝く小花や何かをまき散らしながら広がっていく。その翼が完全に開かれたとき、ゼロの技は放たれるのだ。たぶん。 「unam(一)」 銀の尺八が光を集める。 「vocem(音)」 尺八の音がパイプオルガンの音をかき消し、響いた。純白の花が一帯に舞い上がる。 息を大きく吸い上げて、ゼロは高らかに声を張った。 「Adepto divinitatis(成 佛)」 「失礼(し・トゥ・れい)ィィィィィ~~」 ゼロの声が続きを編むのを阻むように、ニコルが銃口をかかげた。彼女はいつの間にかゼロとの距離を1M内にまで詰めていたのだ。 「ゆっくりなの。見えるよ、絶対に……いい?絶対だよ。覆らないんだ。おたくが何をやっても、ゆっくり……。つまり、『見落としたりしない』って事」 告げたニコルの口もとに鮮やかな笑みが浮かぶ。ゼロがうろんな一瞥をニコルに向けた、その次の瞬間。 「ボクの魔力は雷を生み出すッ!」 ニコルと同様に、いつの間にかゼロの至近距離にまで間合いを詰めていたチェガルが、何だか荒ぶる鷹的なマジシャンズポーズを取っていた。 「タイムアフタータイム!」 「裁くのは、ボクの『雷』だッー!!」 ニコルとチェガルの声が重なる。 が、 「虚無の僧侶の笛が全ての終焉を告げるッ! なのですー」 無慈悲なゼロの声が落とされて、純白の翼のすべてが大きく開かれ、はためいた。 終焉を報せる尺八の音が、大聖堂で響き渡っているかのようなエフェクトがかって鳴り響く。 ――だが、その音もつかの間。 地を揺るがすほどの雷撃を形作る槍が、 狙い定めた対象を逃す事なく放たれ続ける弾丸が、 純白の御使いを絶対の的と定め、エフェクトを突き破った――ッ 「コーヒー、買ってきたのですー」 雑踏に包まれた街角で、ゼロは微笑みながら首をかしげた。 差し出されたのは紙袋。ゼロの小さな手の中で、かすかな芳香をたちのぼらせている。 「………あったのォォ~~?」 目を丸くしながら応え、ニコルは紙袋を受け取った。封を開けば、鼻先をコーヒーの香りがくすぐる。 「ヴァーチャルだからさー、”飲んだつもり”になってるだけなんじゃないのォ?」 チェガルが続く。ゼロはチェガルにも紙袋を差し出した。受け取り、開く。やはり中にはアツアツのコーヒーが入ったカップがあった。 「これもカップなのですー」 白い少女は無邪気に告げる。チェガルの頬がわずかに歪んだ。 「見てろよォォォォォ!!」 そう言ってコーヒーを口に運ぶチェガルを、ニコルとゼロは笑いながら見つめる。 それはそうと、結局のところ、純白の御使いが最後に放った技がどんな効果をもたらすものであったのか、ニコルもチェガルも知る事はなかった。 ただ、――そう、ただひとつだけ。 あの姿態を取ったシーアールシーゼロという少女が、とてつもなくラスボスっぽいような気がしたのは、確かな事だったのだが。
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